2009年11月 7日 (土)

私の好きな作品~『ひとがた流し』

北村薫さんの連載小説で、これを原作としたテレビドラマ化したものに私は何故かとても惹きつけられたので、ここで紹介しようと思います。
 ご存知の方も多いと思ったので部分的な書き方になってしまいますが。

ヒロイン・千波は、テレビ局のアナウンサーとして仕事一筋に30067dega代を駆け抜け、40代という人生の折り返し地点を迎えた。ニュース番組のメインキャスターという長年の目標に手が届く直前に、病に倒れた千波を、幼なじみの親友・牧子と美々が懸命に支えていく。フリーライターの牧子。写真家の妻になった美々。二人はそれぞれ、離婚・再婚・出産・子育てという人生の紆余曲折を経験しながら、千波とは変わらぬ友情を育んできた。二人に支えられながら、病と闘い、必死に生きる千波。仕事への執念。後輩ディレクターとの愛。そんな千波の姿は、牧子と美々にも、それぞれの人生に正面から向き合う勇気を与えていく…。(NHKドラマより)
 
 お互い中高生の時に知り合い、ずっとべたべたするのではなく、離れすぎずいい関係ですごしてきた歳月・・・「友情」という言葉ではこぼれ落ちてしまうような、お互いに対する思いがたくさん詰まった作品です。

 夫婦が人生を一緒に歩いていく仲間であるとしたら、女同士の関係というのは、ずっとつかず離れずの位置にいながらいつも心を開いて受け止め合える関係・・・同士と呼んでも過言ではないと思います。「女の友情なんてもろいもの」と世間ではよく言われますね。でも、一度相手を信じたらとことんつき合う、相手を見ることがまるで鏡を観ているかのように・・・だからほっとけない、言いたいこともポンポン言い合えるのでしょう。

 描写のひとつひとつの積み重なりが、登場人物たちがともに生きたということそのものにしたと思います。そして、そのエピソードを丹念に読んでいくと、そのことの重さと意味が読む者の心にじわじわじわと染み渡ってくるのです。

 最後に好きな人と女としていい時間をすごせた千波の一生・・。人生にはそれぞれの時間があって、母から娘に受け継がれる思いがあって、それは川に流れるように過ぎ去っていく・・・川に流れるたくさんの「ひとがた」は、それぞれの願いをのせて流れていく・・・。

 人生は流れに浮かぶ木の葉のようにはかないけれど、それぞれが愛しい大切なもの。そんな当たり前だけれど、当たり前でないことを感じることができました。

自分の感情を押し出す前に、この築いた関係において 今大切な007dega_2 ことは何かを問うことが出来るのは、人間として見習いたいところですね。人間が最後まで忘れてはならないものだと思います。

 誰も教えてくれない、目に見えない本当の“絆”というものが見えてくるような気がしました。

 限りある身であるから、人間は、否応無しに大切な誰かとの別れを体験するでしょう。その時、その人と過ごした時間を一緒に持って行ければ・・・。自分の何分の一かが消えてしまうような喪失・・・。だからこそ、消えても残る、その人との繋がりを確認することがとても大事なのでしょう。
 この物語に書かれた内容の多くは、実際の体験から生まれています。それだけにつらく、また大事な一冊です。

 40代を迎えた彼女達にとって友達とは何かを考えた時、こんなに深く結びついた友情があるだろうかとつい自分のことを振り返り、はっとさせられます。

 でも友情はこんなにも深く、でも切ないのだとしみじみ思いました。『転がる石にはコケはつかない』、転がりながら成長していく友達や家族について考えるための作品でした。

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2009年11月 5日 (木)

私の大好きな映画~『私の中のあなた』

 『号泣するよ』ということだけで、他に先入観を持たずに観た久々の映画でした。映画にはポップコーンでしょなんて思っていたのですが、ポップコーンにAna001 は最後までほとんど口に出来ないほど、考えさせられた映画でした。

 11歳の少女アナは、白血病の姉に臓器を提供するドナーとして、遺伝子操作によってこの世に生まれた。母サラは愛する家族のためなら当然と信じ、アナはこれまで何度も姉の治療のために犠牲を強いられてきた。そんなある日、「もうケイトのために手術を受けるのは嫌。私の体は、自分で守りたい」と、アナは突然、両親を相手に訴訟を起こす。しかし、その決断にはある隠された理由があった…。
    

  アメリカの人気作家ジョディ・ピコーの同名小説を映画化ですが実際にあったお話らしいので驚きました。

 ケイトはずっと白血病で苦しみ、「もう手立てはないのか」と医者に詰め寄ります。家族の誰もドナーとして適合せず、新しい命を作ることでドナーとなりえることを知らされた母親は妹を産みました。姉ケイトと妹のアナは仲の良い姉妹。しかし、アナは白血病を患うケイトのドナーとなるために人工授精で生まれた女の子で、生まれてから何度も血や髄液などをとられ、その影響による感染症により入院も経験していましたが、姉のために当たり前のように役目を果たしてきました。愛する家族の為だと信じ・・・

 ところがある日突然、訴訟を起こすのです。私はまだ幼い妹が自Ana006 己主張したくなったのだ、自分も普通の人のように元気で何でもやりたいのだと、幼心で感じたのかと思っていました。ここではケイトのために最善を尽くそうとしている母親サリーの言い分のほうが最もだとも思っていたのですから。そこにある真実が隠れている事にも気付かず・・・

 でも家族は明るく、何事も無い普通の家庭より、深い愛情で結ばれて沢山のステキな写真を撮りました。それをケイトは愛しいまなざしで見、アルバムにしていきました。そして入院の際はいつもその写真を撫でていたのです。まだ17~18歳くらいのケイトの頭はすでに髪が抜け、「こんな私を皆じろじろ見るの。」と落胆するケイトにサリーは自分の長い髪をばりかんで剃り出しました。そして堂々と街へ繰り出すのです。また明るさが戻ったと思っていましたが、訴訟をおこしたアナと母親の対決が始まりました。

 「ケイトが死んでもいいの?」と詰め寄るサリー。窮地に立たされるアナ。そこでサリーは気付くのです。「他に何か隠しているんでしょ!」・・・傍聴していた兄がとうとう言ってしまうのです。

「ケイトが望んでる事なんだ!アナのせいじゃない!」

そう、ケイトは疲れ果てていました。もうこれ以上延命措置はしてほAna003 しくない、もう充分だと。だからアナに頼んだのです。もう手術はイヤだから、アナに拒否してほしいと、お願いしていたのです。

 ずっと姉の苦しみを目の当たりにしてきた兄弟姉妹たちは最初はケイトの話に戸惑ったけれど、幼いながら苦しむ姉を見て承諾するのです。子供にこんな選択が出来るだろうかと私は呆気にとられました。これは大きな問題です。日本ではこんな選択は出来ないでしょう。そして愛する我が子を1日でも長く生きさせたいと思う親の気持ちも当たり前だと思います。

 ケイトはステキな恋愛を同じ病気の男の子とし、それも支えになっていたのですが、二人が結ばれてすぐ、彼はこの世を去りました。ケイトは次第に衰退し、ある日海へ行きたいと言い出します。父親とアナたちは早速出かける用意をしますが、サラはまたもや猛反対。危険すぎると。でもあとから追いかけてきたサラとともにまた家族のふれあいが始まります。そこでケイトは最後の海だと覚悟したのでしょう。

 このストーリーの主役は誰なのだろうと考えると、おそらくドナーとしての運命を背負ったアナでしょう。姉を慕う純粋な少女が実は姉のために産まれてきたとはきっと知らされていなかったでしょうし、知っていたとしても、それは「あなたしか適合しないのよ」と言った表現ではなかったかと思います。でなければアナは救われないもの。Ana005 訴訟などという行為もアナには過酷だったでしょう。でもケイトのために約束を守った、それが安楽死させたと思われても。映画を見ていると本当にケイトの衰退は見ていられないほどで、これが現実ならもっと壮絶な病との戦いだったことがじーんと伝わってきました。キャメロン・ディアス扮するサラも主役なのかもしれません。

 親の視点で見ると、どう写るのか、観る人それぞれがどんな観かたをするか、私には計り知れませんでした。問題作と言われる意味も解りますが、死とどう向き合うかを深く考えされられました。観てよかったです。

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2009年11月 3日 (火)

私の大好きな音楽家~フランツ・リスト

 私は中学時代にどれ程偉大な音楽家の演奏をレコードで聴いたことか、数え切れません。成長期においてクラッシックを聴くことは、その後の人生においてとても必要不可欠になりました。

 バロック期の音楽は繊細でかつのびやかなところが好きですが、モーツアルトやベートーベンとまた違った色合いのリストの曲は、聴くたびゾクゾクさせられます。僅か15歳にしてピアノ教師として家計を支えたほどで、もう老体になったベートーベンも絶賛したほど、有名な曲を残しています。

 奏技術に関しては、どんな曲でも初見で弾きこなしたと言われ、彼の死後100年以上経っている現在においても、いまだに彼を超えるピアニストは現れていないと言われています。その技巧と音楽性からピアニストとして活躍した時代には「指が6本あるのではないか」という噂がまともに信じられていたそうです。それはオーバーな表現としても、幼少時から指を伸ばす練習をし、10度の音程も軽々と押さえられたとされます。彼の曲には両手を広げての4オクターブの音が多用されました。また速いパッセージでも音数の多い和音を多用しました。

 リストの演奏を聴いた人々の文献によれば、繊細ながら非常にRisut001 情熱的で力強い演奏をしていたとされ、演奏中に弦が切れたり、ピアノのハンマーが壊れることが度々あったといいます。そのため、最初から3台のピアノを用意して演奏をしたこともありました。1台が壊れたら次のピアノに移って演奏、といった形で・・・凄すぎません?また、リストは即興に重点を置いていたため、楽譜はおろか鍵盤すら見ずに、絶えず生み出されるピアノの音に耳を傾けて演奏をしていたと言われているものファンを熱狂させた要因であると思います。

 作曲人生は大きくピアニスト時代(1830年~1850年頃)、ヴァイマル時代(1850年頃~1860年頃)、晩年(1860年頃~没年)と3つに分けられます。

 ピアニスト時代は、オペラのパラフレーズなどの編曲作品を始め、ピアノ曲を中心に書いいたそうです。このころの作品は、現役のピアニストとしての演奏能力を披露する場面が多く含まれ、非常に困難なテクニックを要求する曲が多くありました。ジャズの即興ピアノに近いかもしれませんね。

 ヴァイマル時代は、ピアニストとしての第一線を退きましたが、作曲家としてはもっとも活躍した時代。彼の有名な作品の大部分はこの時代に作られているといえます。ピアノ曲もテクニック的にはまだまだ難易度が高く、過去に作った作品を大規模に改訂することも多かったそうです。また、ほとんどの交響曲や交響詩はこの時期に作曲されています。「ピアノ・リサイタル」という形式はリストによって完成しました。

 晩年になると、以前彼がよく作っていた10分以上の長大なピアノ曲は減り、短く無調的になります。この時期の音楽はピアニスト時代、ヴァイマル時代にくらべ、深みのある音楽が増えました。特に1880年以降、5分以上の曲はほとんどなく、しかもさらに音楽は深遠になっていきます。最終的に彼は1885年に『無調のバガテル』で長年求め続けた無調音楽(全音階的でない)を完成させました。

 私が初めて聴いた曲は『ハンガリー狂詩曲第2番ヘ短調』で、音楽の教科書に載っている少し神経質そうな顔をした写真と共に怖いイメージがありました。

『愛の夢』(2曲目)、『3つの夜想曲』なども素晴らしく、このような題名は交響詩といって、リストが標題音楽に交響詩というジャンルを確立したものです。『ラ・カンパネッラ』(今お聴きの曲です)で有名な『パガニーニ大練習曲』はパガニーニの原曲によりながらも独創性の強い作品なので、通常は編曲とは看做さずオリジナル作品に分類されました。

 しかしリストは同時期のショパンやワーグナー、ベルリオーズに比べ、かなり低い評価しかされていません。もともと、ショパンとは全く違うタイプで比較するほうがおかしいのですが、「交響詩」という形で実が結び、後のスメタナやドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、レスピーギ、シベリウスなどによって受け継がれ、多くの傑作が生まれた事も事実で、そこは高く評価されていいと思います。

 彼の曲は決して癒しを求めるものではないけれども、何かに必死に取り組む姿を連想させ、ピアニストなら誰もがその巧みな業を披露したくなるのではないかと思います。

 ここでは辻井伸行さんとフジ子・ヘミングさんの演奏でお楽しみ下さい。

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2009年11月 2日 (月)

私のお勧めの作品~『横道世之介』

 これも大様のブランチの受け売りなのですが、かなり評判になりそうな吉田修一さんの本です。

 18歳の世之介君が大学へ入って様々なことと出会い、成長していくストーリーです。世之介君は何処にでもいそうな一見目立たない存在なのですが、読んでいるといとおしKaii16くなるキャラクターなんですね。自己主張をあまりせず、『呑みに行く?』といわれれば『うん』と答えてしまい、素朴で人懐っこい性格は、こんな人いたなあと思わせてくれる、思い出させてくれる人物です。

1980年代のお話なのですが、20年後の現代にも繋がっていてそこが面白かったりします。20年前の出来事と同時に登場人物達の現在が挿話としてさしこまれ、世之介君の輪郭を埋めこんでいくと言う形がいいのでしょう。

 田舎から上京し、ワンルームマンションで戸惑いながらクラス1年間。単に皆に流されているだけのように見えて、流れを作ってるのは世之介君のほう。
 ふっと気が付くと世之介君の存在が大きくなっていると思ってしまう回りの皆。結局彼の存在を認め、再認識しているのです。なんだか酸素のような存在と私は思ってしまいました。

 恋愛も田舎にいた時に好きだった同級生のことを思い出しながらも、年上の片瀬千春に憧れ、東京湾の残土処理業者として成功した家のお嬢様祥子に惹かれていくところなどは少しハラハラします。

 何せ携帯もパソコンも無い時代なので、ジンワリ個々の距離感があるのが妙に懐かしいのです。私の学生時代がまさにそういう状況だったので頻繁に公衆電話を使うことが時々面倒になることもあったりして・・・だから友達より、自分のマンションの周Higashiyama_work24s りの住人と仲良くなれたりしたんだと思います、世之介君のように。

 彼は、損得や、成功するかどうかの値踏みをしない人です。とにかくそっちへ行き、飛び込んでみる、それが何なのか解った時、世之介君は、変わらないのに大人になっていったような感じがします。

 何て事のないというか、起伏の無い作品なのですが、読み終わったあと、無償に愛しくなる作品です。ここまで人を惹きつける要因は何なのでしょうね。

 時が経って思い出の風景の中で輝いている人がいたら、それが私にとっての横道世之介なのかもしれません。

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2009年10月31日 (土)

私の大好きな作品~『蒲田行進曲』

 1982年、もうそんなに前のことだったのかと思わせられるほど、私の中では色あせない物語です。直木賞をとったことで、興味を持ち読んだのですが、もうたまらなく面白かったというか趣があったので、つい映画も観てしまいました。もともとつかこうへい氏のお芝居から端を発していたので、お芝居で観るのが一番面白かったのかもしれませんが、生憎その頃はお芝居に興味はなかったし、つか劇団も殆ど知りませんでした。      

 あらすじはご存知の方も多いと思いますが、何せ25年以上前のお話です。時代劇のメッカ、京都撮影所。今、折りしも「新撰組」の撮影がたけなわである。さっそうと土方歳三に扮して登場したのは、その名も高い“銀ちゃん"こと倉岡銀四郎である。役者としての華もあり、人情家でもあるのだが、感情の落差が激しいのが玉にキズ。こんな銀ちゃんに憧れているのが大部屋俳優のヤス。ヤスの目から見れば銀ちゃんは決して悪人ではない、人一倍、仕事、人生に自分なりの美学を持っているだけだ。ある日、ヤスのアパートに銀ちゃんが、女優の小夏を連れて来た。彼女は銀ちゃんの子供を身ごもっていて、スキャンダルになると困るのでヤスと一緒になり、ヤスの子供として育ててくれと言うのだ。ヤスは承諾した。やがて、小夏が妊娠中毒症で入院するが、ヤスは毎日看病に通った。その間、ヤスは、撮影所で金になる危険な役をすすんで引き受けた。小夏が退院して、ヤスのアパートに戻ってみると、新品の家具と電化製品がズラリと揃っていた。だが、それとひきかえにヤスのケガが目立つようになった。それまで銀ちゃん、銀ちゃんと自主性のないヤスを腹立たしく思っていた小夏の心が、しだいに動き始めた。そして、小夏はヤスと結婚する決意をし、ヤスの郷里への挨拶もすませ、式を挙げて新居にマンションも買った。そんなある日、銀ちゃんが二人の前に現われた。小夏と別れたのも朋子という若い女に夢中になったためだが、彼女とも別れ、しかも仕事に行きづまっていて、かなり落ち込んでいるのだ。そんな銀ちゃんをヤスは「“階段落ち"をやりますから」と励ました。“階段落ち"とは、「新撰組」のクライマックスで、斬られた役者が数十メートルもの階段をころげ落ち、主役に花をもたす危険な撮影なのだ。ヤスは大部屋役者の心意気を見せて、なんとか銀ちゃんを励まそうと必死だった。“階段落ち"撮影決行の日が近づいてきた。ヤスの心に徐々に不安が広がるとともに、その表情には鬼気さえ感じるようになった。心の内を察して、小夏は精一杯つくすのだが、今のヤスには通じない。撮影の日、銀ちゃんは、いきすぎたヤスの態度に怒り、久しぶりに殴りつけた。その一発でヤスは我に帰った。撮影所の門の前で、心配で駆けつけた小夏が倒れた。“階段落ち"はヤスの一世一代の演技で終った。(goo映画より)

 物語は勿論面白いのですが、何より、セリフがいいんです。映Kamata_001 画は映画用につかさんが書き直しているのですが、小説でも笑ってしまうセリフ、例えば、銀ちゃんのあまりに派手な格好をヤスが褒めると、『オレの場合、センスがセンスしちゃってよう。』なんて言ってみたり、ヤスはヤスで小夏を養う為に火達磨になっても『オレの場合、背中に哀愁が出てるってその分ギャラが高いんです。』・・・『顔なんて写ってないくせに』と小夏につっこまれたり。

 一番印象深くて心に響いたセリフが、ヤスが階段落ちを決めてから毎晩飲んだくれていた時、小夏は『私、この生活気に入ってるのよ、何が不満なの?』と問われて、ヤスは背中を向けて『優しくされるほど、苦しいんだ、切ないんだよ。』とポツリと言った一言です。

 邪険にされることに慣れていたヤスにとっては、優しさが一番嬉しくもあり辛くもあったのだと思います。銀ちゃんも階段落ちが決まってから目をあわせてもくれない、それが淋しくて仕方がなかった・・・最後に渇を飛ばされた時、『銀ちゃんはそうでなくっちゃ!』と喜ぶ姿は長年大部屋で培ったものであり、ヤスの本当の優しさの表れだったと思います。

 小夏も小説の中では昔『二十四の瞳』のヒロインをやったほどの女優で、最後の最後まで銀ちゃんを愛していた、けれど主体性の無かったヤスのひたむきさにいつしか心がヤスへと向かう、女ってそいうとこありますよね。小夏流で言うと『どう観ても不細工な顔』でも新しい出発のため、銀ちゃんのマンションの大掃除を終え、シャワーを浴びて泣き崩れるところは小夏も辛いんだという境地につかってしまいました。

 愛することと愛されること、狭間に立って苦しむこと、尽くすことと尽くされることに慣れてしまうこと、そういうことを考えさせられる作品でした。

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2009年10月29日 (木)

私の好きな作品~『ライ麦畑でつかまえて』

 これを初めて読んだのは25歳でした。遅すぎたと後悔しました。友達がまさにこの作品に感化された生活をしていて、ちょっと憧れもあってサリンジャーを一通り読みました。異質な世界ではあったし、言葉は汚いし・・・でも未成年ならホールデンの気持ちが解るのだろうなと思ったものでした。私もいつの間にか感化されていた事は否定できません。今も人気のある小説であることは否めないでしょう。村上春樹氏が翻訳し直したことでも物議を醸し出しました。

 私は野崎氏の翻訳しかまだ読んでいないのですが、春樹氏のLichtenstein_work09s サリンジャーへの並々ならぬ思い入れが解るだけにいつか春樹氏の翻訳も読んで観たいと思っています。

 大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが3校目に当たるボーディングスクールを成績不振で退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の話です。
 自身の落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれる主人公が、妹に問い詰められて語った夢:自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい・・・が作品の主題となっていると思います。このクライマックスシーンを導くために主人公の彷徨のストーリーが積み重ねられているようです。

 1945年発表の短篇「気ちがいのぼく」(原題:I'm Crazy)を敷衍した内容となっており、主人公がニューヨークを放浪して家に帰った後、いくらか月日が経過してから「君」に語りかける構造になっています。ブロークンな口語体で主観的に叙述されているため、事実とは異なると思われる表現や支離滅裂な文体が見られます。(参考文献より)

 今では、その当時の若者言葉を記録している本として、参考文献にされています。ある米映画で『お前はいつまでもホールデンだな』と茶化されているシーンがありました。どのようにこの話を参考文献にしているのかとても興味深くもあります。その独自な文体に加え、欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄する主人公に共感する若者も多いのですから。

 しかし攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用、セックスに対する多数の言及、売春の描写などのため、まだピューリタン的道徳感の根強い発表当時は一部で発禁処分を受けています。若者の熱狂的な支持と体制側の規制は、アメリカの「暗部」の象徴としての役割を負うことになりました。ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンも、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーも愛読していたそうです。

 全世界の若者に与えた影響は凄いもので発表以来60年近く経った今でも版を重ねています。累計発行部数は全世界で6000万部、アメリカで1500万部を超え、2003年時点でも全世界で毎年25万部が売れるといいます。2002年には野崎訳の累計発行部数が250万部を突破しました。

 単なる、世間知らずの若者が大人への通過儀礼への葛藤を描いPubne た本ではなく、主人公には何気ないものが、インチキに見えたり逆に取り留めのないことがまいったなどという主張を独断的に展開していく姿に、現代的な孤独のヒーローを感じる読者が多のでしょうね。ヒーローといっても、ケンカは弱く、スポーツもさして出来ず、成績不良な落ちこぼれなのですが、ある一貫した主義・主張がある気がするのは何故なのでしょうか。

 ホールデンは純粋で傷つきやすい人間だと感じました。頭もいいし、モラルもあります。しかし彼自身はまったく逆のことを言い、逆のことをしようとする・・・簡単に言ってしまえば、彼は理想と現実の相反するものに苛まれているのだと言う評価もあります。眼の前にある景色に割り切れない思いを感じ、それを未熟な彼は消化できないのでしょう。そういう青少年は今も確実に悩んでいるのです。だからモラトリアムという言葉も使われたのでしょう。

 また、父親も、重要な位置をさしているのかも知れません。父親は同性の先輩として、こうした自己形成の不全な子供に対し、何らかの役割を負わねばならなかったとも言えるのかもしれません。
 しかし間違いなくホールデンの父親はそうした義務を放棄しています。彼を息子を全寮制の学校に放り込み、放校になってもまた新しい学校に放り直すだけ・・・。最初の学校からドロップアウトしたとき、父は息子が何故そんな不始末をしでかしたかを考えたのでしょうか・・・もちろんそれなりの悩みはあったのかもしれません。しかし行動としては何も示してやらなかった、少なくともホールデンが感じるようなことは何もしなかったのは確かでした。仕事にばかり入れ込んで、自分を振り返ることも無い背中ばかりの遠い存在、それが父親なのだと思っていた、これは悲しいことです。誇れる父親がほしいのでしょう。ホールデンが学校という枠の中に納まりきらないのも、社会を斜めに見ているのも、既存の権威を馬鹿にするもの、ある意味父親に対する反抗もあったのではないでしょうか。
 
 でも父親だけが原因ではないと私は考えます。今の日本社会の父親は多かれ少なかれ、家族の為に奔走してる、そのために子供と向き合う時間が少ないと言う現状で子供たちがみんな現実逃避している訳ではないのですから。

 たぶん兄のD・Bという人間は、ホールデンにとっては父よりもずっと身近で、目標になるほど先を行く存在であったのだろうと思います。しかし兄はシナリオ書きとしてハリウッドに行き、たぶんその仕事があまり上手くいっていなかった・・・。そんKayama_work05s な姿を見て、彼は自分がこれから経験する挫折を予感してしまったのかもしれません。

 こうしたホールデンの心理的な混乱が象徴されているのが、タイトルになっている“The Catcher in the Rye”です。将来の目的を見出せない彼は、ライ麦畑の中で遊ぶ子供たちを、崖に落ちる危機から救う“Catcher”になりたいという意味不明な夢想を幼い妹に話して聞かせます。このとき、子供たちというのは、もちろん話し相手のフィービーも含まれますが、幼い頃の自分と、もちろん死んでしまった弟のアリーをイメージしていますね。平和で何の疑問も無かった少年時代、彼は世界が自分を受け入れない存在だとは知らなかったのだと思います。すべての子供たちが、いまの自分のように、途方も無い深みに落ちてしまわないようにしてあげたい・・私はホールデンが自分を捕まえて欲しいと願っていると思っていましたがそうではないのですね。
 またこの作品では主人公の語りの中で物語が進むのですが、今のあらすじは、あくまでもホールデンの外側に視点を据えているだけとも思えます。

 内側の視点はもっと難しい(サリンジャーを知ることが難しいように)に違いありません。私はそここまで踏み越えることが出来きたのでしょうか・・・
 『キャッチ・インザ・ライ』は読み手によっていくらでも解釈が出来、ヒーロと思う方とアンチヒーローと思う人がいて、それでいいと思います。

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2009年10月27日 (火)

私の好きな作品~『ゴッホ殺人事件』

 おなじみ高橋克彦さんの作品です。「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」「広重殺人事件」ほか、高橋克彦氏の小説にみられる着想のあざやかさ、物語の展開の鋭さには脱帽です。「写楽殺人事件」を読んだ時は正直、今までには無かった着想だと関心させられました。
 日本とヨーロッパを舞台にした美術界の謎を中心に物語が進むこの「ゴッホ殺人事件」でもしかりです。
 
 今や世界中で知らぬ人の無い「ゴッホ」という天才画家。「ひまわり」Gohho40 「黄色い部屋」「アルルの跳ね橋」「星月夜」…彼の絵を一度も目にしたことが無い人間を探す方が困難ですよね。生前に売れた絵はたったの一枚である…という彼の絵は、今や一枚10億~15億という天文学的価格で取引されているそうです。
 
 ゴッホは、数々の恋愛事件、ゴーギャンとの諍い、耳きり事件、精神錯乱…そして自殺。また、四歳年下の弟・テオとの美しい兄弟愛で知られますね。テオは当時パリ屈指の大手画廊に勤め、兄であるフィンセント・ゴッホを経済的に援助し続けていたことでも有名です。
 ここで疑問が起こります。弟は大手画廊に勤めながら、何故、兄ゴッホの絵が売れなかったのでしょう・・・ ここも読んでいて惹きつけられる部分です。

 写楽や北斎が頭を過ぎります・・・

 この「ゴッホ殺人事件」舞台はパリ。オルセー美術館の美術修復家、由梨子はオランダ人の父を持つハーフ。ある日、母が突然自殺し隠し金庫の中からあるリストが見つかる。どうやらゴッホと関係のあるリストのようだ。オルセー美術館のゴッホ専門家のキュレーターに問い合わせると、どうやらそれはナチスが押収し、公開されていないゴッホの作品50点のリストだということが発覚する・・・

ゴッホは自殺だったのか?
50点のリストは本当にゴッホの作品なのか?
そして
これだけ愛されている画家、ゴッホの作品がなぜ生前は一枚の絵も売れなかったのか?

という美術史上で依然として謎の部分にも触れられています。このGohho3 ミステリー、どこまでがフィクションでどこまでが真実か、解らなくなくなります。とにかく読んでいて難しいけれど面白いのです。

 後半では「浮世絵シリーズ」で活躍する浮世絵専門家の塔馬も登場。シリーズ探偵である塔馬双太郎の悲しい過去の清算もファンには見逃せません。絵画をテーマとして大ベストセラーになった「ダビンチ・コード」も面白かったですが、それと同じくらいこの本も面白いと私は思いました。
 複雑なトリックなどはありませんが、「ダビンチ・コード」よりも絵そのものにこだわっていることが感慨深いですね。しかも扱っている画家はダビンチに負けず劣らず高価な値の付くゴッホです。それと、ナチスのがらみの話も興味深いのです。ナチスが押収した美術品というのは美術家の中ではそれだけで評価に値するほどの正確さがあったとのこと。

母親の死の謎を追うはずだったのが、ゴッホの未発見の絵の存在にかかわってくることで、ゴッホの生涯の謎の解明にせまることになっていく展開が面白いです。

 ゴッホの秘密めいた生涯を知りたい方には是非お勧めです。

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2009年10月25日 (日)

風景の中の私~松任谷由美

 悲しい時には元気を、嬉しい時には優しさをいつも音楽で教えてくれたユーミン。男性はいつまでも少年のような心を持った人が好きだと言われますが、女性だっていくつになっても少女のような心があるのだと思います。そう思わせてくれるのがユーミンでした。荒井由美の時代から『ひこうき雲』『ベルベットイースター』『魔法の鏡』などどれも思い入れの大きな曲ばかりで、自分の淡い恋心を歌に重ねていたあの頃・・・

 ヒットが続き、荒井由美と言う名が浸透してきたにも関わらず、松任谷正隆氏と結婚し松任谷性にあっさり変ったことも驚きました。
 新婚当時は歌もなんだかお惚気っぽかったことがありましたが、そこはユーミン、ちゃんと起動修正し、ユーミンらしいものへと戻ったように思いました。『帰愁』『翳りある部屋』『あの日の帰りたい』・・・青春の後姿を人は皆忘れてしまう・・・曲も素晴らしいですが、詩も私にはかけがいの無い宝物のようです。

 いくつになってもバービー人形のようスタイルを保ちたいとユーミンは常に努力の人でもあります。

 よく中島みゆきさんと比較されますが、比較するのはおかしいと思いませんか?全く違った良さがお二人ともあるのですから。好き嫌いはあるかもしれませんが、1980年代から活躍しているのです、お二人とも50代になっても全く衰えることを知らない、いえ、衰える隙が無いのだと思います。小田和正さんも、稲垣潤一さんも努力して今に至っていると思うのです。

 私は50代になっても頑張ってるミュージシャンを絶賛したいのです。勇気をもらえるのです。

 中島みゆきさんの歌は詩に考えさせられる事が多く、ただ聞き流すには勿体無い歌が多いですよね。その点、ユーミンの歌は聞いていて風景を思い浮かべ等身大の自分をその風景の中に置くことで物語の主人公になったような気にさせてくれます。青春のいろんな思い
が蘇ってきて、今の摺れてしまった自分を反省することもできます。

 何はともあれ、聞きいていて耳障りでないのが音を楽しむ上で重要だと考えます。夢を与えてくれるのも音楽のいいところですよね。

一時期は聴きすぎて少し飽食状態になったことがありますが、最近、またとても聞きたくてメディアプレーヤーでいろんな他の人の曲とシャッフルして聞いているのでした。

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2009年10月23日 (金)

何度観ても飽きないドラマ~『ラスト・フレンズ』

ーー長らくお休みをいただきましたがおかげさまで少しずつ良い方向へ向かっています。これからは無理せず、コツコツやらせいていただきます。宜しくお願い致します。ーー
 

★ラスト・フレンズ

もう何度も再放送で観ているのですが、これは虚構ではなく、あり得る話ですよね。

 家や職場でも居場所が得られず、恋人からのDVに苦しむ藍田美知留、モトクロス選手として全日本選手権優勝を目指す一方、性別という誰にも言えない悩みを抱える岸本瑠可、女性達の良き相談相手でありながら、過去のトラウマからセックス恐怖症に悩む水島タケル。
 悩み傷ついた3人は、ひょんな事から、シェアハウスで共同生活をRasutohurennzu003_2 始めます。そして、彼女達は共に暮らすうちに、人と人との関わりの大切さを知り、前向きに生きようとするのです。

 シェアハウスには他にスチュワーデスのエリ、おぐりんこと小倉友彦もいて、何かといえば、「○○パーティー」と名をつけては飲んだり、笑ったりのごく普通の共同生活に見えるのですが、虐待を受けながらも『私は弱いから宗佑の気持ちがわかるの。瑠可は強いから。』
とたびたび宗佑のもとへ行ってしまっては後悔し、タケルに連れ出される美知留をシェアハウスの面々は真剣に彼女を守ろうとします。

 『男だったら引くことも愛情なんだってこと、解んないの?!』とエリに突っぱねられても理解できない宗佑が次々とシェアハウスの住人に嫌がらせを繰り返す・・・

 一方、瑠可は高校時代から美知留に特別な感情を抱きつつ、友情だと偽って美知留を必死に守ろうとします。それは観ていて切なくなりました。性同一性障害のことを誰にも言えないで悩んでいる瑠可を『男の心を持った化け物』と吹聴して回る宗佑の陰険なやり方で周囲を混乱させたことを回りの家族や友人が知らぬふりをする思いやりも見所の一つだと思います。そう、驚いたのは宗佑の本来の姿を見抜いていたことです。
 一度苦しくて、シェアハウスをあとにし、タケルにだけ手紙で本当のことを打ち明けますが、タケルも児童性的虐待のトラウマで異性を好きになれないという心の傷を持っていることもあり、瑠可を追いかけ、『話は解った、でもオレは瑠可が好きだ。』といって瑠可を思い切り抱きしめました。その時の瑠可は本当に心がほぐれて泣き崩れてしまいます。私も思わず泣いてしまいました。

 私の友達にも決してスカートをはかないし、自分のことを「自分は」という女の子がいますが、私にはとても優しくて気配るの出来る人です。彼女が性同一性障害なのかは解りませんが、男性と対等に見て欲しいという思いは伝わってきました。

 性同一性障害は同性愛と勘違いされることが多いようですが、厳密には違います。心の性と身体の性が一致しない状態のことをいうのが本当なのだそうRasuto006_2 です。ここのところはドラマでは少しウヤムヤにしているように思えますが、自分の胸を見るのが嫌、といったことをとっても恐らく性同一性障害と捉えいていいのではないかと思います。男性が女性の心を持っていて悩む人も多いと思いますが、男性より、女性のほうが内に秘めて悩んでいるケースが多いのではないかと、このドラマを通じ、感じたことでした。

 東野圭吾さんの『片思い』でもこういう女性が出いてきますが、ここでは堂々と自分は女じゃないと化粧をとり、上半身裸になったりとするのですが、やはり、同級生同士で結婚した奥さんのことをずっと好きだったとは言えなかったことを思いだしました。

 このドラマでキーマンになるのがタケルの存在だと思います。誰に対しても優しく接しますが、瑠可とはとても気が合い、守ってあげたいと思い続けます。好きだと告白して、好きな人がいると言われ傷つくのですが、それでも友達として守りたいと思い直すことの出来る人なのです。普通はふられたらそこでお終い、友情なんて形にならないと思うじゃないですか。でもタケルは見守り続けてくれるのです。ここが現代の若者像なのかなと感心しました。瑠可の大事な友達の美知留を守ろうとするのも頷けます。こんな人が友達の中にいたら、やっぱり頼ってしまうだろうなと思います。

 シェアハウスの住人は今の若者の縮図のようです。問題を抱えながらも前向きに生きようとする、大人からみれば危なかしいようでも、ちゃんと歩いていく姿に私は感動を覚えました。

 この作品を手掛けた脚本家は浅野妙子さんです。『大奥』や『神様、もう少しだけ』でもう有名な脚本家さんですね。

その後先の読めないストーリー展開が放送を重ねてくほどに視聴率を高めるなどし、テレビ雑誌『ザテレビジョン』が行った「第57回ドラマアカデミー賞」(2008年春クール)において、作品賞・助演男優賞(錦戸亮)・助演女優賞(上野樹里)など6冠を達成したそうです。

 久しぶりにいい作品に出会えたと言う思いです。

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2009年9月 7日 (月)

私の好きな俳優~メル・ギブソン編

 本名はMel Columcille Gerard Gibson。11人兄弟で育ったメルさん。父親の事業の失敗で68年にオーストラリアに移住。高校を卒業し、奨学金を受けながら国立演劇学校に学ぶ(この時期ジェフリー・ラッシュと同居生活を送っていたとか)。76年「メル・ギブソンの青春グラフティ」で映画デビューしました。79年、「マッドマックス」のオーディションで主役を得て国際スターに。また「ティム」ではオーストラリアのアカデミーと呼ばれるサミー賞で主演賞、新人賞を受賞。「誓い」はオーストラリアで空前のヒットを飛ばしました。以降、82年「危険な年」でハリウッドに進出。

 幾つかの作品をへて87年「リーサル・ウェポン」でスターとしての地Meru003 位を確かな物にしました。また、93年「顔のない天使」で監督デビュー。95年「ブレイブハート」ではアカデミーの作品、監督賞を受賞。製作者としても広い才能を示しました。2004年には監督第2作目となる「パッション」を製作。キリスト最後の12時間を描いた本作は、多くのハリウッド関係者が及び腰となるなか、約30億円もの私財を投じて執念の映画化、様々な物議を巻き起こしながらも映画は世界各地で空前の大ヒットを記録、メル自身も出資金をはるかに上回る巨額のギャラを手にする大成功を収めることとなりました。79年、看護婦だったロビンと大恋愛の末、結婚。現在は7人の父親です。

 かなり前のお話ですが、『ウェーサル・リポン、面白いよ。』の言葉につられ、観たのが始まりでした。言われたとおり『いかれた奴』という名がふさわしい、でもストーリー展開も、おばかなコンビも最高でした。

 家庭思いの黒人刑事と自殺志望の刑事が、麻薬組織を潰滅させるまでの警察アクション。製作はリチャード・ドナーとジョール・シルヴァー。監督は「レディホーク」のリチャード・ドナー。脚本はシェーン・ブラック、撮影はスティーブン・ゴールドブラット、音楽はマイケル・ケイメン、エリック・クラプトンが担当。出演はメル・ギブソン、ダニー・グローヴァーほか。ドルビー・ステレオ。シーズン4まで観ましたよ。

監督業にも乗り出しており、1995年の『ブレイブハート』でアカデミー監督賞を受賞していますね。

 中でも私のお気に入りは『顔のない天使』でした。

 それまでのアクションスターがまるで別人のようにそれも、将来に不安を抱く少年と、過去の呪縛から逃れられない元教師の理解と友情を描いたヒューマン・ドラマです。メル・ギブソンが友人のプロデューサー、ブルース・デイヴィと設立したアイコン・プロ第一回作品で、ギブソンが初監督と主演を兼ね、製作をデイヴィーが手がけています。イザベル・ホランドの小説を、本作が初の劇場映画のマルコム・マクラーリーが脚色。撮影は「パトリオット・ゲーム」のドナルド・マッカルバイン。音楽は「心の扉」のジェームズ・ホーナーでした。

 1968年の夏、メイン州の高級避暑地にノースタッド家が恒例のバカンスにやって来ました。姉と妹とはそれぞれ父親が違うという複雑な家庭に育った12歳の少年チャック(ニック・スタール)の夢は、名門ホリフィールド士官学校に入学することMeru001 。家族から孤立している彼は、朝鮮戦争で死んだという父のわずかな記憶だけを心のよりどころにしていました。避暑地には事故で顔半分にやけどを負い、人目を避けるように暮らす、元教師のジャスティン・マクラド(メル・ギブソン)がいました。
 チャックは彼に自分の個人教師になってほしいと頼みますが、マクラウドは誰も教える気はないと断りました。でも、いつしか2人は心を通い合わせ、友情が芽生えるのです。勉強に打ち込むうちに、2人は教えること、学ぶことの喜びを取り戻していきました。チャックはマクラウドの事故のことを聞き出そうとしますが、彼は決して語ろうとしませんでした。ある時セックスの現場をチャックに見られた姉は怒りから、彼の父の本当の死因を明かしてしまいます。父はアルコール依存症で、精神病院で悲惨な最後を遂げたと聞かされたチャックは、雨の中をマクラウドの元にかけつけます。彼は動揺するチャックを家に泊めました。

 母親の連絡を受けてマクラウドの家を訪れた保安官は下着姿のチャックを見つけて母親の元に連れて帰るばかりか、以後は彼に会うことを禁じてしまいます。

マクラウドは10年前、教え子を乗せた車で事故を起こして死なせたばかりか、その時、車内で性的虐待を行っていたかどで投獄されていたのでした。自分とマクラウドの間には何もなかったと言っても町の人々は信じてくれなません。町を発つ日、チャックは母の目を盗んでマクラウドに会い、事故当時の真相を聞きました。「真実は自分が信じることにある」と言う彼の姿に無実を確信したチャックは、士官学校の入試に向けて旅立ちました。

みごと合格したチャックはマクラウドの家を訪れますが、そこには誰もいません。4年の歳月が過ぎ、チャックは卒業式を迎えました。人込みの彼方には懐かしいあの後ろ姿が・・・その後ろ姿はゆっくりと振り向くと、嬉しそうに手を振っていました・・・・

 どうですか?いいお話ですよね。まさに顔など要らない天使だと想いました。彼としては異色ですが、これからはこんな作品にもっと出演して頂きたいですね。

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