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私が未読の作品たち~松浦寿輝編

 『花腐し』が芥川賞受賞作の松浦氏。何故読んでいなかったのかわかりませんが、私の視界に入っていませんでした。ごめんなさい。

そこで作品の紹介だけになってしまいますがご勘弁を。

 書のタイトルにもなっている『花腐し』とは、万葉集の和歌である「春されば卯の花腐し・・・」からとったもの。せっかく咲いたきれいな花をも腐らせてしまう、じっとりと降りしきる雨のことを表現しているといいいます。そして、その和歌が示しているように、本書のなかには多くの水のイメージ・・・というよりも、絡みつくような湿ったイメージと、そこからわきあがる腐敗のイメージがります。

 同棲した祥子の死から10数年、栩谷は、友人と作ったデザイKawaguti06 ン事務所が行き詰まって倒産に追い込まれ、礼金ほしさに、多国籍な街、新宿・大久保のアパートで一人頑張っている伊関の立ち退き交渉に行くが、したたかな伊関に誘われてビールを飲みながらついつい話し込むことになってしまう。部屋には少女が眠っていて、伊関は幻覚作用のあるキノコを売っているらしい。キノコの腐臭に酔った栩谷は、少女と交わり、祥子に似た姿を見かける。生死の境が溶けていくような妖しさを、男の現在と過去とを重ね合わせ、その精神の彷徨の一夜を雨の中に描いた、古風で知的な文体の小説です。

 祥子との関係について、栩谷は次のように言います。「そうか、とだけ呟いて黙ってしまった俺の冷たさに祥子はきっとひどく傷ついたのだ。あの『そうか』、一つをきっかけに俺たちの関係は腐りはじめたのだ。腐って、腐って、そして祥子は死んで、俺の方もとうとうこんなどんづまりまで来てしまったということなのだ」。

して「40代も後半に差し掛かって、多かれ少なかれ腐りかけていない男なんているものか。とにかく俺の会社は腐ったね。すっかり腐っちまった」と言うと、伊関が「卯の花腐し・・・」と呟きます。「春されば卯の花腐し・・・って、万葉集にさ」と言います。

「卯の花腐し」は、陰々と降り続いてウツギの花を腐らせてしまう雨のことを言うそうです。卯の花月、すなわち陰暦4月の季語です。あたりの腐臭を立ちこめさせる「卯の花腐し」には、ひたすら陰気な鬱陶しさしかありません。今の日本にはそうした雨がじくじくと降り続いているように思われると、松浦寿輝は言います。確かに「花腐し」は、廃屋寸前の木造家屋やら、蒼い光の中で栽培されるキノコやら、「幽(かすか)」で甘い時代の腐臭に覆われています。

著者は、現役の東大大学院総合文化研究科教授でもあり、古井由吉選考委員は、「東大も変質した、東大教授になっても、やっぱり往生できないんでしょう。」と、冗談交じりに話したそうです。

 本書の中では、常に雨が降りつづいています。伊関という陰気な男が居座っている古びたアパート、春をひさぐ女たち、近代的な高層ビルや、その影の中にひっそりとたたずむ繁華街、そこに渦巻くさまざまな人間の情念、そして栩谷という名の、くたびれた中年男そのもの・・・そのすべてを腐らせようとするかのように。そこにあるのは徹底した負のイメージ、けっして何ものも生み出すことのない、自然からかけ離れた世界のイメージであるが、面白いことに、人工物によって築かれた世界のなかで、ただひとつ、降りしきる雨のみが
自然の産物・・・

 言葉を発明し、自分たちの文明を発展させていった人類は、実に様々なものをつくり出し、そのことによって豊かな社会を築いてきたと信じてますが、私たちが生み出したものは、何も目に見えるものばかりではありません。目に見えないもの、実体のないもの・・・た
とえば時間、感情、意識や無意識、心といったものにもわざわざ名前をつけ、あたかもそういったものが存在するかのように思い込んでいるのかもしれません。

立ち退きを迫る栩谷をアパートの中に招き入れた伊関は、そうした人間が名づけたものを「怪異なお化け」と呼んでいます。私たち人間が生み出したものに、いったい如何程の価値があるのか、と。私たちは自然によって生み出されたものを真似て、造花をつくり、犬や猫そっくりのロボットペットをつくることはできるようになったが、それらは結局ところ、本物を超えることのできない亜流でしかない。

たったひとつ、私たちが生み出すことのできる生命の奇跡・・・自分たちの分身でもある子供は、しかしこの日本においては徐々に出生率が減少しており、それ以前に行なわれる性の営みさえ、人間は古くからひとつの商品、娯楽として切り売りすることを暗黙に了解しているのではないでしょうか。

自然の中で生きることを拒否し、経済という目に見えない約束事、亡霊のような存在にがんがらめにされてしまった私たちの姿は、たしかに伊関が言うとおり、すでに亡霊の仲間入りを果たしてしまった存在なのかもしれません。

 本書に治められているもうひとつの作品『ひたひたと』は、その亡霊の存在をより前面に押し出したもので、時間の概念から解放された人の記憶の残留・・・澱のように沈殿している影の部分がさまざまに変化しながら、何者でもないものとして物語を語る、という構成
になっているようです。

 澱・・・私にとっても永遠のテーマです。いつまでも澱の中にいてはいけない、澱の中から今私達がすべき事・・・澱のなかではなく川の様に流れ、水の中でころがることが必要なのではないのか・・・

『転がる石にはコケはつかない』そんなことを考えていた10代でした。

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