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2009年2月

2009年2月19日 (木)

私の好きな作品たち~石川 達三編

 石川 達三氏といえば『蒼茫』と連想してしまう私ですが、1935年の作品というとびっくりされる方も多いでしょう。

『蒼茫』は1930年にブラジルに渡り、数ヶ月後に帰国。『新早稲田文学』の同人となり、小説を書くことから始まり、ブラジルの農場での体験を元にした作品です。

 戦前から戦後にかけて二十万人もの南米移民を送り出した旧神戸移民収容所。その建物がそっくり神戸・山の手の高台に残っていました。もう七十余年、阪神大震災にも耐えましたが、古びた五階建ては取り壊すか保存かで揺れています。
 第一回芥川賞の受賞作になった石川達三の『蒼氓』は、こ16183658at こが舞台になりました。神戸港から旅立つ家族連れはいったんこの施設に移って、日本での最後の8日間を過ごしました。ほとんどは故郷をすてた農民たち。期待と不安に揺れる思いを抱き、語り合い、やけ気味にふるさとの民謡を唄う・・・ 二十四歳の石川氏は「若気の至り」から、家族移民ならぬ単独移民として、九百五十人の移民団にまじってブラジルに渡りました。目にしたその人たちの生活は厳しくも悲しい・・・「私はこれまでにこんなに巨大な日本の現実を目にしたことはなかった。そしてこの衝撃を、私は書かねばならぬと思った」。石川氏は後日『出世作のころ』で述懐しています。

 <彼等のみならず殆どの全部の移民が希望をもっていた。それは貧乏と苦闘とに疲れた後の少しく捨て鉢な色をおびていた、それだけに向こう見ずな希望であった。最初この収容所に集まってきたときは、風の吹き溜まりにかさかさと散り集まってきた落葉の様な寂しさと不安に沈黙してきたが、日を啄うて海外雄飛の先駆者、無限の沃野の開拓者のように幻想するようになったのである>

 石川氏はこの小説で、貧しい暮らしのなかで、希望を見い出そうとする素朴な日本人を描きました。恋しい人に後ろ髪をひかれながらも弟にしたがっていく佐藤夏、「徴兵逃れ」という非難に身をひそめる弟の孫市。二人の主人公を含めた移民たちの多くは、事実上、日本から切り捨てられた「棄民」だった。しかし、うらみごとは聞こえてこない・・・ 移民を送り出した建物は神戸の山の手になじんでいた。昭和四十六年に移民業務が終わって神戸市に移管され市の看護学院となり、つい最近までは神戸海洋気象台の仮庁舎でした。船室を模した低い天井、むき出しの配管は建設当時のまま。外壁をはうつたが時代を感じさせます。出港の朝、移民の人々は靴ずれの痛みをこらえ、鍋や釜を手に港に向けて歩きました。突堤までの道は三ノ宮の繁華街を抜ける二キロ。坂道をくだると見え隠れしていた海は、ビルにさえぎられた・・・コンテナ貨物を積み下ろしする第三突堤が当時の乗船地でした。小学生たちが小旗をうち振り、歌って移民見送った埠頭。いまは釣り人がのんびり糸をたれています。
「移民館は神戸の歴史を語る生き証人、日本の近代史を語る証人ですよ。だから残したいんです」と案内してくれた神戸市国際部長、楠本利夫さんは力をこめました。しかし震災による市の財政危機を救うため売却話も出ます。玄関脇の「ブラジル移民発祥の地」の記念碑がわずかにこの地を教えてくれます。さきごろブラジルの在留邦人会から記念館として保存してほしいとの陳情が神戸市に寄せられたのです。

『蒼茫』とは「もろもろの民、すべての人民」という意味です。田畑や家財一切合財を手放して出てきたのに、病気で渡航を許されない家族、思う人と 別れて船に乗る娘、煙管を握りしめて、周りに心を開かない婆さん……酒を飲んで景気 よく踊ったり歌ったりしている男たちでさえ、どこか暗く見えてくる。 。日が経つにつれ、幸も不幸もひっくるめ て現実を受け入れていく登場人物たちの姿の、そのエネルギッシュなこと。 そして、第三部のラストの、ブラジルの日差しをあびる移民たちの姿。 階級社会、人Deko0625 間のもつずるい一面など、考えさせられる部分も多くありましたが、なに よりも、生きていくエネルギーをもらえる、そんな小説でした。

 『四十八歳の抵抗』は五十五歳停年の時代に、退職が現実のこととして見えてきた保険会社次長の西村耕太郎の話しです。家庭を持ち、何不自由ない毎日を送っているが、心に潜む後悔と不安を拭えない。その心中を見透かすかのように島田課長にヌード撮影会に誘われる。日常への「抵抗」を試みた西村は、酒場で知り合った十九歳のユカリと熱海に出かけるが―。書名が流行語にまでなった日本的男性研究の原典です 。
本作品では老年にさしかかった主人公が、今までの平凡な人生から一歩踏み出そうという葛藤が描かれています。会社でこそ次長の立場にある主人公も、家庭においては妻子には相手にされないという典型的なオヤジ。しかもいまさらのように若い娘との恋愛にワクワクする一方、娘の恋愛・結婚問題に過敏になる二面性に気づいてその矛盾とも暗闘しています。
 全体にゲーテ「ファウスト」を案内役としていますが、、いろいろな個性の人物が登場し、案内されるままに飲屋街を彷徨う辺りは、それが近場の温泉街であっても、幻想的な雰囲気すらします。
 逡巡と内省を繰り返し、外部にも翻弄されながら、最後の落としどころとしてはこの作家らしいと思えます。そこがまたこの作家の限界として好き嫌いの分かれるところかもしれませんが・・・
ところで、現在の同じ年齢ではこれほど枯れていないのではないかと思うのですが。それは時代がもたらした幼稚化なのでしょうか。喜ぶべきなのか、憂うべきなのか、石川達三氏に聞いてみたいところですね。

 『青春の蹉跌』はこの本は、読み進むにつれある程度の展開は読者も想像に難くありません。 しかし、そうでありながらも「何故、何故?」と心を揺さぶられてしまう魔力があります。 主人公の青年の持つエゴは、形は違えども誰しも少なからず持っているものでしょう。 青年期に抱く閉塞感や末期感をグサリと書ききっている石川達三氏は恐るべしです。 決して今風の新しさや奇を衒ったところもない作品ですが、 今、10代の人が読めば返って新鮮な感もあるかもしれません。 自分にとってこれは財産かもしれません。

 これからも度々本棚から出してきて読むと思います。

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2009年2月18日 (水)

私の好きな俳優たち~藤村俊二編

 愛称おひょいさんでおなじみの藤村さん。もともと振り付け師だったこと、ご存知でしたか?演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。理論偏重の教育に飽き足らず中退し、東宝芸能学校舞踊科を第1期生として卒業しました。

 日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧し、イギリスやフランスを巡り、このとき本場の芸の水準に驚いて舞踊家の道を断念し、帰国後、振付師に転向。ザ・ドリフターズの大人気番組『8時だョ! 全員集合』(TBS)やレナウン「イエイエ」のCFの振り付けも担当しました。

 それからは、昭和37年 俳優としてテレビでの初レギュラーの座に着きました。昭和44年頃から 『巨泉・前武ゲバゲバ90分』『カリキュラマシーン』「ぴったしカン・カン」など人気番組で活躍されていましたね。

 近頃私が頭から離れないのは映画『ラジオの時間』です。ただOhyoi001 の守衛のおじさんかと思いきや昔はSE(効果音)は全部自分達で作り出していた、それをやってのけたのがおひょいさんだったのです。花火の効果音などは最高でしたよね。久々に笑った映画でした。

 他にも
くるみ割り人形(1979年3月3日公開 インド風名士 サンリオ製作)
日本の黒い夏─冤罪(2001年3月24日公開) - 藤島教授 役 
Quartet カルテット(2001年)- 藤岡俊吉 役
ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT(2001年7月20日公開) - 木本研作博士 役
子ぎつねヘレン(2006年3月18日公開) - 上原教授 役
初恋(2006年6月10日公開) - 柏田バイク店店主 役
デスノート / デスノート the Last name(2006年) - ワタリ 役
L change the WorLd(2008年) - ワタリ 役

と知的な部分とひょうきんな役となんでもこなせる役者さんだと思います。

特にお勧めは『日本の黒い夏─冤罪』と『デスノート / デスノート the Last name』です。おひょいさんは脇をしっかり固めてくれています。地味でも派手でもない、本当に喫茶店で時々しゃれた事を言うダンディなマスターという感じですが、私は『カリキュラマシーン』で育ったのでおひょいさんをみるとつい、港で『さようなら~。さようならはうと書いておと読むのよ~』なんて子供向けなのに大人が体当たりでしている演技に感動したものです。

 『日本の黒い夏─冤罪』は1995年6月上旬、長野県松本市に住む高校生の島尾エミと山本ヒロは、松本サリン事件報道の検証ドキュメンタリーを制作していました。NHK長野放送局をはじめとするテレビ局が取材を拒否する中で、ローカルテレビ局「テレビ信濃」は取材に応じるといいいます。報道部長の笹野、そして記者の浅川・圭子・野田の口から誤報につながった原因が語られました。
 被疑者不詳の殺人事件として捜査していた長野県警松本警察署は、事件の第一通報者である神部俊夫の自宅を家宅捜索して薬品を押収。その中に青酸カリがあったとの警察からのリーク情報から、マスコミは「青酸カリから毒ガスを発生させた」と一斉に報道するのですが、笹野は過去に誤報を伝えた経験から、裏付けが取れない以上は青酸ガス発生説の報道を取り止めるとの判断を下すのです。
 その後毒ガスが「サリン」と断定。テレビ信濃では大学教授・藤島から得た「サリンは薬品をバケツで混ぜ合わせて簡単に作る事ができる」との証言を放送したが・・・。熊井は自身の母親が理科教師を勤めていた当時の長野高等女学校(現・長野県長野西高等学
校)の校長に河野義行の祖父が就任していた縁で、幼少の頃に河野家に出入りしていた経験から河野家の家風をよく知っており、当初より「河野は事件に関わっている疑いが濃厚である」とのマスコミ報道についても「シロ」ではないかと感じていたという。また、熊井の初監督作品『帝銀事件 死刑囚』での取材経験になぞらえて、犯行は極めて専門的な知識が必要であって「素人」では不可能である点や、確たる証拠がないまま容疑者を自白に追い込む警察の捜査手法が明らかになった事も、熊井が制作へ傾倒させる一因でした。
 構想以前から日活社長の中村雅哉から「社会性が濃厚で、文化的にもレベルが高い作品の構想を考えておいて欲しい」と依頼されていた事もあり、本作品の制作が決定したそうです。

 『デスノート / デスノート the Last name』は死神のノート「デスノート」を、ひとりの天才・夜神月(やがみ ライト)が入手する。そして、その日を境に、世界の犯罪状況は一変してしまう。犯罪者を裁く法に限界を感じた月は、世の中を変えるため、ノートの力で凶悪犯を次々と粛清し始めたのだ。そして、この奇妙な連続殺人事件を調査する警察から、大きな期待を寄せられている人物がいた。警察を裏から指揮し、数々の難 事件を解決してきた世界的名探偵Lである。
 天才同士の戦い、求める世界の違いから起こったこの闘いに勝つのは死神の力を持つキラか、それとも警察を動かすLか。
 月はキラ対策本部に加入することに成功する。そして、月とL、2人が対峙し壮絶な頭脳戦が始まった。もう一匹の死神レムによりデスノートを手に入れたキラに心酔する少女、弥海砂(あまね ミサ)は自らの寿命と引き換えに、顔を見るだけで相手の名前と寿命が見える死神の目を得て、さくらTVを利用し、自身を「第2のキラ」と称して、キラを否定する者を消し去っていく・・・多くの人が興味を持った作品だと思います。前編・後編とも夜神月役が藤原竜也さんだったことも頷けます。

話を戻しますね(最近話しが横道にずれるんです・・・ごめんなさい。

 人生70歳代に入ったことを「初めてだから楽しみ」と目を輝かせる藤村Ohyoi003俊二さん。振り返ることはあっても後悔も反省もしないという言葉の後に、「だって言った言葉を返せなんて言えないでしょう」と茶目っ気をきかせます。
 いまを代表する「大人が惹かれる大人」といえる方ですね。芸能界で活躍する一方、バー「O'hyoi's」(オヒョイズ)を経営していることはご存知に方も多いはずです。店のロゴマークにはオーナーの藤村さんのシルエットがあしらわれている。芸能人が経営する店は、いわゆる名義貸しオーナーの形が多いのですが、藤村さんは仕事の合間を縫って店に立つなど、実際に現場での経営を行っています。ちなみに、このお店には「お客様にサービスするのが当たり前だから」という粋な理由で、サービス料はないそうです。

 「僕はわりと〝しょうがないや?タイプなの。例えば、今までゴルフであそこまで飛んだけど飛ばなくなっちゃったのも「しょうがないよ」と思う。同じように飛ばそうなんて思って飛ばないと落ち込むんじゃない。ゴルフをしに行くわけで、落ち込みに行くわけじゃないんだからね。僕は人と比べることから不幸が始まると思っている人だから、人と比べないの。それより自分の好きな車、好きな服装。そこが起点のほうが自分自身が楽しい。大車輪を回るおじいちゃんいるでしょ。すごいと思うけれど、同じことやったら僕なんて腕は抜けるわ複雑骨折するわ、でしょ。やりたいと思わないもん(笑)。勘かもしれない。やってもしょうがないやというね。」とさらっとおっしゃる(ここではおひょいさんとは呼ばずに)イギリス紳士藤村氏。

「体にはガタがきているけれど、それは武器にするものが少なくなった証拠なの。でもね、年を取ったという武器があるでしょ。見えないとか、聞こえないとか、覚えてないとか(笑)。忘れちゃったとか言っておけば良いんだからね。爺の特権ですよ(笑)。年を取って出来なくなることが増えたどころか、実際に楽ですよ。長距離歩けないけど、歩く必要もなくなってくるわけだから。
  僕は本来はせっかちなんだけれど、一つ心に留めているのは、「元気」「勇気」「陽気」っていう言葉があって、この三つの「き」さえあれば何でも出来るんだけれど、それでも出来ないことがある。「時」という「き」があるんだそうですよ。これは自分じゃどうにも出来ない。だから何も慌てることはないんですよ。」ともおっしゃてくれました。

 素敵な言葉だなと思いませんか?そして素敵な歳をとっている・・・私も「50になるのが楽しみ」といってみようかしら・・・

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2009年2月17日 (火)

私の好きな作品たち~寺山修司編

 詩人、歌人、俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、俳優、作詞家、写真家、劇作家、演出家など。演劇実験室・天井桟敷主宰。本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」とかえすのが常でした。

 言葉の錬金術師の異名をとり、膨大な量の文芸作品(小説・エッセイ・評論・戯曲・シナリオなど)を発表。その一方で、映画・演劇なども幅広く手掛けました。競馬への造詣も深く、『ユリシーズ』(船橋競馬場所属)という競走馬の馬主になるほど。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行ないましたね。

 1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。山田太一氏とは同級で在学中から早稲田大学短歌会などにて歌人として活動しました。18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞しましたが混合性腎臓炎で立川の病院に入院し、ネフローゼと診断されます。

 20歳で処女戯曲『失われた領分』が早稲田大学の大隈講堂「緑の詩祭」で上演され、それを観た谷川俊太郎の病院見舞いを受けて交際が始まりました。21歳で第一作品集『われに五月を』が出版されます。
 1958年(昭和33年)第一歌集『空には本』が出版されました。Higasiyama006 また、石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、大江健三郎、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。
 1960年(昭和35年)2月第3作目のラジオ・ドラマ『大人狩り』が放送されます。長編戯曲『血は立ったまま眠っている』も浅利慶太氏の「劇団四季」で上演ました。篠田正浩監督作品のシナリオを担当し、大島渚監督とも出会いました。

 1967年(昭和42年)1月1日演劇実験室・天井桟敷を結成。4月18日草月アートセンターで旗揚げ公演。演し物は『青森県のせむし男』。6月新宿末広亭で第二回公演『大山でぶ子の犯罪』。アートシアター新宿文化で第三回公演『毛皮のマリー』。3月評論集『書を捨ててよ、町へ出よう』が刊行されます。 身体の調子は不十分だったのによくここまでやってこれたことを私は尊敬しています。1983年(昭和58年)東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、敗血症で死去。享年49(満47歳没)。死後、青森県三沢市に寺山修司記念館が建てられました。

 寺山修司主宰で演劇実験室を標榜した演劇グループ天井桟敷は状況劇場の唐十郎、早稲田小劇場の鈴木忠志、黒テントの佐藤信と並び、'アングラ四天王と呼ばれ、1960年代後半から1970年半ばにかけて、小劇場ブームを巻き起こしたことは以前にも書きましたね。天井桟敷という劇団名はマルセル・カルネの映画『Les Enfants du Paradis(邦題:天井桟敷の人々)』に由来しますが、寺山氏曰く、「(好きな演劇を好きなようにやりたいという)おなじ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっと高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」と言われています。
 創立時のメンバーは寺山の他に、九條映子(当時寺山夫人)、高木史子、東由多加、横尾忠則、青目海、大沼八重子、濃紫式部、小島嶺一、斉藤秀子、支那虎、高橋敏昭、竹永敬一、桃中軒花月、萩原朔美、林権三郎の全16人。『書を捨てよ街へ出よう』などの一連の著作により、若者の間で「退学・家出の扇動家」として認識され人気を得ていた寺山が主宰していること、また劇団創立時のメンバー募集の広告が「怪優奇優侏Higasiyama003儒巨人美少女等募集」だったことなどから、設立から長い間「一癖も二癖もあ る退学者や家出者が大半を占める」という異色の劇団になりました。1983年5月4日に寺山が死去すると、劇団としての求心力を失い、同年夏の『レミング - 壁抜け男』を最後に、同年7月31日をもって解散した。その後、1970年代初頭から寺山の片腕として演出・劇伴を務めたJ・A・シーザーが演劇実験室「万有引力」を設立し、劇団員の多くはそこに移りました。

そして作者としての寺山さんは最後までやさしいさというものを貫かれた方です。詩、エッセイが一番寺山さんらしいと思いますが、例えば、『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム』のような一字に影があるように、一行にも影がありまます。―言葉と発想の錬金術師・寺山修司さんならでは、諧謔と毒との合金のような、文字どおり寸鉄の章句たちです。愛と暴力、快楽と死、賭博と夢、もちろん男と女。つごう52のキィワードの下、広く著作群のなかから集められ、あの鬼才のエッセンスがそのまま凝縮された413言が彼らしいこの一冊になったのもも見逃せません。いろいろな作品から抜き出された言葉なので、前後の文脈が分からないといまいち意味を掴みきれないものも多々あると思います。ですがその意味を想像してみるのも楽しいですし、何より羅列された言葉の中には必ず「お気に入り」が見つかることと思います。その言葉によって救われたり、また歩き始める力をもらえたりするのでしょう。
 童話のように挿絵があり優しい言葉で語られているものも、実は大人が読むべきだと思います。何かが変ります、きっと。

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2009年2月15日 (日)

私の好きな俳優たち~田村 正和編

 私はもう何十年も田村さんをテレビで観てきましたが、こんなに歳を感じさせない俳優さんは他にいるでしょうか。

 体格も華奢で声もあまり通らないためか、映画では兄ほど成功しなかったそうですが、線の細いナイーブな二枚目青年として、人気も実力も徐々に身につけ、日本屈指のスター俳優にまで登りつめました。

 最終的には兄の人気を超えたといえるでしょう。主にテレビドラマに多く出演していました。70年代初頭までに出演したテレビドラマで代表的なものとしては、例えば『冬の旅(立原正秋原作・木下惠介脚本)』等があります。
 70年代中頃まではテレビ時代劇『眠狂四郎(関西テレビ系列)』に代表されるようなニヒルでクールな、そして「憂愁の貴公子」とさえ呼ばれるような憂愁を帯びた役柄に限られてましたが、1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帖』あたりから、軽やかで明るい役柄にも徐々に芸域を広げていきました。後年、その頃を顧みて、あるMasakazu004 新聞の取材に対して「(若様侍を演ることに関して)それまでのクールなイメージとの段差があり、かなり熟慮した」と田村さん本人も語っています。

 そして40歳を過ぎた1984年、それまでの路線を完全に覆すようなコメディドラマの主役に抜擢されました。TBS系列の『うちの子にかぎって…』です。ちょっと頼りなく優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』
『パパはニュースキャスター』など数々のコメディドラマに主演。以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめています。

 恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界随一の主演スターとしての地位を築き、本人もある時期から自身「テレビ俳優」と位置づけるようになりました(他に桃井かおりさんも自身をそう位置づけています)。後年のインタビューでは待ち時間が多い映画の現場よりも、スピーディーに撮影が進むテレビドラマの現場の方が気持ちが乗ると語っています。

 刑事ドラマ『古畑任三郎』役では和製刑事コロンボともいえる新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となりましたね。
舞台では専ら時代劇でニヒルなヒーローを主演し活躍しています。田村正和の殺陣は妖艶な美しささえ感じさせる独特の境地を見せ、多くの時代劇ファン・正和ファンを興奮させています。若くして映画に主演した当時には、その責任の大きさを理解できず、自身の役者としての力について考えることはあまりなかったといいます。テレビの世界に入り、有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて初めて自分の力のなさに気づいたといい、それ以来の努力は相当なものであったと想像されます。
 
 テレビドラマに多く出演しているせいか、映画ファンからは多少、過小評価される感もありますが、日本の二世俳優としては屈指の努力家であり、また、父の名声にすがることなく実力で這い上がってきた真の名優といえます。それは田村さんの眠狂四郎を見た原作者の柴田錬三郎氏が、市川雷蔵氏亡きあと、「最高の狂四郎役者」と絶賛したという事実が何よりも物語っています。いずれにしてもテレビドラマを主な活躍の舞台としている俳優としては別格の評価を得ている名優です。

面白いのは、例えば

・刑事ドラマには出演しないと決めていたが(マネージャーが断っていたらしい)、『古畑任三郎』は送られてきた三谷幸喜の脚本(第1シリーズ第2話、犯人・中村右近の回)を読んで出演を決意した。
・古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、芝居に優劣をつけたくないという理由で辞退していた。その後、古畑任三郎第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞している。
・『古畑任三郎番組宣伝&NG特集スペシャル』は、出演作品には珍しく、ドラマ仕立てのバラエティ番組であった。現場での撮影風景を編集したものであるが、バラエティ用のトークをしている場面もある。また、田村が、NGらしきものを出しているシーンも見られる。トークゲストとしてスタジオに出演したのは西村雅彦と石井正則のみであった。
・『古畑任三郎』第1シーズンは夢中で取り組み、第2シーズンでは円熟された磨きをみて第3シーズンではマンネリ回避からの古畑疲れが出ていると自身でも認めている。
・古畑任三郎の性格でバラエティ番組が好きと言うミーハーな一面があるが、実際の田村にもそういった一面があり、2007年6月16日放送のSmaSTATIONで香取慎吾と対談した時に「こないだSMAP×SMAP観たよ。」と香取に言っていた。
・古畑任三郎役はセリフも多く複雑で、相当大変だったようだ。ファンの声に押され、三谷幸喜の脚本アイデアと自身のチャレンジ精神で10年以上続けたが、2006年1月3日~5日『古畑任三郎 FINAL』が放送され、完結となった。しかし続編を望むファンの声は絶えない。三谷幸喜は「アイデアが尽きた」と語っているが古畑放送終了後に出演した「スタ☆メン」(フジテレビ)において「打ち上げで田村さんと相談する」と語っMasakazu_008 ていた。
・2008年6月14日放送の『古畑中学生-古畑任三郎、生涯最初の事件-』では、番組側が水面下で田村と話し合っており、古畑の過去を語る意欲的なストーリーに理解を示した田村は、数日後に「そういうことでしたら、出演しましょう」と、TVでは2年ぶりの古畑役での再登場を快諾したという。また、出演後は、「少し古畑の役作りを変えてみようか」とも周囲に語ったようである。
・「しゃべりすぎた男」にゲスト出演した明石家さんまは、事前に台詞を覚えない主義のため、現場でミスを繰り返し、これを見た田村はさんまに「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。結果的に仕上がった作品は、その撮影現場の雰囲気から緊張感あふれる優れた法廷劇になった。
・一旦「古畑」が終了した際に、多くのファンからの続編を望まれ た。その質問に対し番組で「(続編は)ないですね」とクールに返した。しかしその後もシリーズやスペシャルなどで度々続編は組まれることになり、まさにエンタテインメントの男らしくファンには何が起こ
るかわからない「期待」や「煽り」を送り続ける一面を持ち合わせている。
・『新ニューヨーク恋物語』(2004年)撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていると、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在するという偶然が起こった。

 等の逸話があって昔からのファンの秋野耀子さんは田村さんがボンカレーのCMで3枚目をやった話しをするだけで『やめて!!』と話しをそらしたそうですがそういう気持ち判らなくはないですよ。私は2枚目が3枚目の役をやったり、悪役がとってもいい人の役やったりする時のギャップがたまらなく好きなもので、田村さんも壊れちゃっていいと思います。(ファンの皆様ごめんなさい!)

 たとえ、酢豚弁当が好きで無いとだだをこねても、たっぷり甘いパフェを食べていても、私はファンの一人です。

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2009年2月14日 (土)

私の好きな作品たち~野島 伸司編

 『ひとつ屋根の下』は誰の作品だったかを思い出す為にまた調べてしまいました。野島 伸司さんという方を忘れていたなんて、お恥ずかしい・・・

 中央大学法学部政治学科中退後、渡米。ホームステイしながらUCLAに通ったんですね。1987年10月、脚本を学ぶため、シナリオスクール「東京山手YMGanntona02 CA」のシナリオ講座9期研修科へ入学。講師の一人であり、当時第一線で活躍していた脚本家・伴一彦氏に師事しました。
 1988年5月、『時には母のない子のように』で第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、メジャーデビュー。『君が嘘をついた』(1988年、フジテレビ系)で連続テレビドラマの脚本家デビュー。以降、フジテレビの名物ドラマプロデューサー、大多亮と二人三脚で、トレンディドラマの脚本を手がけていきました。
 1993年、『高校教師』(TBS系)ではゴールデンタイム枠でありながら男性教師と女子高生の純愛、近親相姦という重いテーマを取り上げ、 1994年、『家なき子』(日本テレビ系)に企画・原案で参加し、「同情するなら金をくれ!」という名台詞が流行語となりました。

 デビュー時より山田太一氏のような社会派テレビドラマを書くことを希望していた野島さんは、大多亮氏にその希望を伝えた際にフジテレビの局風に合わないと却下されたそうです。
 その後、山田作品を多く制作した東京放送(TBS)に売り込みをかけ、その後長年にわたってコンビを組むことになるドラマプロデューサー伊藤一尋氏にアプローチ。ふぞろいシリーズなどのヒット作を生んだ金10枠を希望。野島が書くならと、伊藤Pや編成部も快諾したというのです。ここまで貫くっていうのは脚本家魂といっていうほど、私は尊敬してしまいますね。

1992年の『愛という名のもとに』以降、暴力、いじめ、障害者、自殺問題など、現代社会の暗部を独自の視点で鋭く切り取った作品を多く手がけました。また、過去の作品の中でも、「同情」「偽善」というセリフが多く使われているため、ありとあらゆる不幸が登場人物に苛烈なまでに襲いかかる展開が描かれ、過剰な描写も多いといわれていました。さらに、作品終盤でヒロインが死ぬ、もしくは死んだように見せる展開も多く、このことには、ストーリー上の起伏をつけるための口実である、興味本位のあざとい手法である、軽々しく人の生死をドラマの演出として用いているなどの批判が多くありました。何故現実をみないのかと私は言いたいのでが、このドラマ中のグロテスクな表現は、日本PTA全国協議会のアンケートでも度々問題として取り上げられる事が多く、野島脚本のドラマが高視聴率をマークするようになった1994年以降、野島作品を含めたテレビドラマが「子供に見せたくない番組」ワーストランキングに入るようになってしまったのです(他の脚本家の作品には、『14才の母』や『ライフ』がランクインしている)。
 また、1998年の『聖者の行進』(TBS系)は、暴力描写の多さに視聴者からの抗議が殺到し、スポンサーの三共がTBS金曜ドラマ枠のスポンサーを降りるという事態も発生。ナンシー関さんは生前、週刊文春のコラムで再三にわたって野島作品を「偽善である」と非難していました。後に週刊文春がこれに同調、「偽善ドラマ撲滅キャンペーン」と称して野島バッシングを繰り広げました。また、キャスティングの段階で、役内容(レイプシーン、いじめ役、近親相姦など)を理由にオファーを断わる事務所もありました(『高校教師』1993年版での観月ありさなど)。反面、人間の愛と死を独特の視点で扱う作風に根強いファンも多く、常に賛否両論に晒される脚本家さんなのです。
 
 一方、独特のセンスによるドラマのテーマ曲選びが魅力の一つとなってます。1993年の『高校教師』(TBS)では森田童子、1995年の『未成年』(TBS系)ではカーペンターズ、2001年の『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』(TBS系)ではABBAを起用し、それぞれのリバイバル・ブームを巻き起こしました。
 
 タイトルを既存の作品から借用することが少なくありませんでした。。デビュー作の『時には―』はカルメン・マキのヒット曲(1969年発売、寺山修司作詞)と同名。『人間失格』(1994年、TBS系)は太宰治の『人間失格』と同名であったため、ドラマスタート前に遺族からのクレームにより『人間・失格?たとえばぼくが死んだら』と改題されました(『たとえばぼくが死んだら』は森田童子の曲名)。この野島手法について、児童文学作家舟崎克彦は自著のコラムの中で「過去の名作のパクり」「原作を知らぬ少年少女達の共感を煽って視聴率を稼いでいる」と厳しい非難を浴びせています。

 何故、こんな事になってしまったのか、他の作品もちゃんと観てください。そこに愛はあるのです。(by あんちゃん)だからファンも多いのです。『金八先生』も厳選の末重いテーマのものがありました。でも親子で考えませんでしたか?こんなことがあっていいのかとか、これはこうなんだねとか、そういう会話が出来ない家での反論なのではないかと思えてなりません。悲しいです。下記の野島作品            Kuzukiriz001
をご覧下さい。

君が嘘をついた(1988年、フジテレビ)
愛しあってるかい!(1989年、フジテレビ)
すてきな片想い(1990年、フジテレビ)
101回目のプロポーズ(1991年、フジテレビ)
愛という名のもとに(1992年、フジテレビ)
高校教師(1993年、TBS)
ひとつ屋根の下(1993年、フジテレビ)
この世の果て(1994年、フジテレビ)
人間・失格?たとえばぼくが死んだら(1994年、TBS)
未成年(1995年、TBS)
ひとつ屋根の下2(1997年、フジテレビ)
聖者の行進(1998年、TBS)
世紀末の詩(1998年、日本テレビ)
リップスティック(1999年、フジテレビ)
美しい人(1999年、TBS)
ストロベリー・オンザ・ショートケーキ(2001年、TBS)
ゴールデンボウル(2002年、日本テレビ)
高校教師(2003年、TBS)
プライド(2004年、フジテレビ)
あいくるしい(2005年、TBS)
薔薇のない花屋(2008年、フジテレビ)
ラブシャッフル(2009年、TBS)

私は愛を感じます。人間味が溢れていると思います。一つとして偽善と思える作品は無いと思いませんか?これらを偽善というのなら善って何ですか?愛するって何ですか?考えてみてほしいです、もう一度・・・・

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2009年2月13日 (金)

私の好きな作品たち~灰谷健次郎編

 最初、私はあまりに有名な作家さんといだけで灰谷作品を読んでみました。すると、これは児童向き作品?と躊躇し、暫く読まないでいたのですが、灰谷さんは左翼とか色々な批判を聞くようになり、左翼でもいいじゃないというおもいで読み返してみました。

 小学校教師を勤める傍ら児童詩誌『きりん』の編集に携わりますが、1971年(昭和46年)に、17年間勤めた小学校教師を退職し、沖縄やアジア各地を放浪。1974年(昭和49年)『兎の眼』で児童文壇にデビューする事となりました。1967年、4月2日、長兄吉里が自殺。灰谷健次郎氏、三十三歳の時でした。翌年には母つるが死去し、教師として、人間としての生き方に迷いを持ちはじます。灰谷氏にとって、長兄の自死は重くのしかかり、ヨーロッパ、地中海、中近東、インドを放浪するが、挫折感は強くなるばかりでした。
そして1929年5月、38歳、兄の自死から立ち直れず、学校を辞め、十七年間の教師生活にピリオドをうちました。そして退職後は東南アジア、沖縄に 行きました。

『兎の眼』は、大学を出たばかりの新人教師の小谷芙美先生が、担Sag8 任の一年生、鉄三にてこずりながら、やがて教師として成長していく話です。灰谷健次郎氏は、『兎の眼』についてこう語っています。

「ぼくが十七年間の教師生活で、子どもたちから人間として生きることの意味を教えてもろた、子どもたちのやさしさに助けられて現在の自分がある、その道程を書いたのが『兎の眼』で、あれ書かれへんと、生きていかれへんかった。」

 沖縄に行き、「自分の人生のなかに、子どもというものがほんとうに詰まっておった」
・灰谷健次郎その時のことに気付いた時、それは同時に「子どもたちのやさしさに助けられて現在の自分がある」と気付いた時ではないでしょうか。「子どもを捨てたという負い目のようなものが」自分の中にあり、だからこそ「あれ書かれへんと、生きていかれ」ず、その時の気持ちを「洗いざらい吐き出した」のでしょう。

『太陽の子』・・・しかし、「自分を、洗いざらい吐き出した」『兎の眼』では兄の死を消化しきれず、『太陽の子』を執筆に走らせます。

「てだ」は「太陽」、「ふあ」は「子」という意味を持ちます。『太陽の子』は、ふうちゃんが、てだのふあ・おきなわ亭(小料理屋)に来る人々のやさしさに触れ、やさしさ、いのち、生きるということを考え、つらく悲しいことにも向き合っていきながら成長していく物語です。父親の心の病気に沖縄の戦争が関係していることを知り、未だに終わらない戦争、戦争により受けた父親の心の傷を少しでも治してあげたいという思いから、沖縄の戦争を学んでいきます。『太陽の子』を執筆しているとき、灰谷氏は神経症を患っていました。

「神経症の苦しみは凄まじい」(『優しい時間』)、不安と恐怖感は増幅し、死をも選びかねないという苦しみの中から生まれた『太陽の子』は「兄の死を通して、『生』の根源的な意味を考える」為に書かれた作品だと思います。

『天の瞳』は小瀬倫太郎の成長物語です。倫太郎は天衣無縫で、いたずら好き。小学校入学早々担任の先生に「ヤマンバ」とあだ名を付けたり、クラスメートを泣かせたりして、先生や周りの大人たちから叱られてばかりいる。しかし、倫太郎は本当に問題児なのでしょうか。
少なくとも、私にはそうは感じられません。灰谷氏は「倫太郎は問題児なのか。そういうふうにレッテルを貼ってもいいものなのか、というのが、この小説の主題の一つでもある」(『子どもに教わったこと』)と語っていました。
 「なぜ教師のいうことに従わないのか、を反抗とみるのではなく、何か伝えたいことがあるのだと思ってほしい。子どもの目線にたって倫太郎のことを考えると、その答えが自ずと見えてくる。」と灰谷氏は言っているような気がします。もし、倫太郎に「悪ガキ」とい
うレッテルを貼ってしまったら、見えるものまで見えなくなってしまい、新しい倫太郎を発見することが難しくなってしまうかもしれない。実際、一年生の担任の山原先生は思ったことをストレートに表現する倫太郎に戸惑い、倫太郎を授業を妨害する問題児だと見ていたきらいが多少あります。山原先生は倫太郎に出合ったことで、少しずつ変化をしていくのだが、もし一歩間違え「倫太郎は問題児だ」という目で倫太郎を見ていたら、倫太郎の鋭い感受性やその他の可能性に気付けなかったかもしれません。

 灰谷氏はこの作品に「人にも、ものにも添うて生きてほしい」という祈りを込めている気がする。「添う生き方」とは、一体どのような生き方なのでしょうか。
 
 倫太郎は、じいちゃんから出合いについて学んでいます。「人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。」「好き嫌いが激しいと、これは嫌い、これは嫌いとせっかくの出合いを遠ざけてしまうから
、見えるものまで見えなくなってしまう。」そして、倫太郎に友だちが多いことに触れ、「神様がおまえのために祈ってくださったおかげがひとつ、そうしてできた出合いを倫太郎が大事にしたことがひとつ、相手もまた倫太郎を気にかけてくれたことがひとつ、そんなひとつひとつが重なって、今の倫太郎がある」といいます。
 

 倫太郎は友だちとのつきあい方だけでなく、いのちとのつきあい方、さらにこの世の中にある全てのものとのつきあい方をじいちゃんから学んでいますが、それらのじいちゃんの言葉は倫太郎を「いったん友だちになってしまえば、それは、親きょうだいと同じように、と
り替えることのできない、かけがえのないものだ」という感覚になるのです。

 こんなことがありました。ヒマワリとホウセンカの種を蒔く時、花をきれいに咲かせるにはばらばらに蒔いあた方がいいのだが、倫太郎にはどうしてもそれができない。人間だけでなく、種同志も「仲良しの方がええねん」というのである。そしてひとつの穴に一緒に蒔く
く・・・

 倫太郎について、保育園のヒデミ先生が「倫太郎ちゃんみたいSag18 な子にどう添うてあげたらええの」という。「人に添うて生きる」「人とつながって生きる」ことこそがこの『天の瞳』の主題であり、様々な反響を呼び、いろいろな人に読まれる所以ではないでしょうか。
「いっしょにいるってことは、ほんとうに素晴らしいことなのよ。」という園子さん。この言葉こそ灰谷健次郎氏がいつも実感し、かみしめていることなのではないかと思います。

 中学生になり、リンチを受けた倫太郎は、復讐の鬼と化す。やられた相手一人一人に仕返しをしていくのだ。そんな荒れた倫太郎をミツルや青ポン、タケやん、芽衣、園子さん、あんちゃんらは、自分のことのようにとても心配していた。そして、そんなみんなの心配を受けて、自分はどうするべきなのか、自分がしてきたことは間違っていたのか、これからどう行動すべきなのかを考えて、倫太郎は変わる。たとえ暴力を受けて、相手にどんなに怒りが込み上げてこようと、どんなに痛みがおそってこようと、無抵抗で通すのです。
 倫太郎は言う。
「そのとき、オレは、オレを大事にしてくれる人のことを、じっと考えていた。だから我慢できた。」と。そして、倫太郎の母、芽衣は考える。「 自分を大事にしてくれる人がいるのに、自分を粗末にできるはずはない。」「自分のいのちの中に、他者のいくつものいのちが存在することを、この子はこの子なりに解しているのだ」。

 一つのいのちが成り立つためには、他の無数のいのちがそれを支えているのだということ、わがいのちも、また、他のいのちを支えているのだという思想が、人間の誠実さを生み、優しさをつくるのではないかということを教えられました。そしてこの「いのち」の追求
は、灰谷健次郎氏の文学にとって終わることはありませんでした。なぜなら、この思想こそ灰谷健次郎文学のはじまりであり、永遠のテーマであるからだです。「いのちを見つめる」、それが灰谷健次郎文学の神髄なのではないでしょうか。

 学ぶと変わり、変わる為には、相手が必要であす。だから、出合いを大切にしなければならない。出合いを大切にしているとまた学ぶとが出来るのだと。

厳しく、そしてやさしい灰谷氏。作品ひとつひとつに、灰谷健次郎氏のいのちが吹き込まれています。だからこそ、私は灰谷健次郎氏の作品を読むたびに、魅せられるのだと思います。

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2009年2月12日 (木)

私の好きなマルチ作家~大橋巨泉編

 時は1970年前後になりますが、巨泉さんを知らない方はいないのではないでしょうか?

 セミリタイアと言う言葉を使って巨泉さんは50歳にはセミリタイアをする人生設計を描いていましたが、各方面からの慰留、また49歳の時に司会を始めた「世界まるごとHOWマッチ」に本人の意向で起用したビートたけしさんや石坂浩二さんとの絡みが楽しかったこともあり、56歳まで仕事を継続しました。

 現在では「セミリタイア」は、早くから蓄財しておき仕事が好調の内に辞め、悠々自適に過ごしながら余裕のあるときに仕事もする、という意味合いの言葉として定着していますが、これにもちろん巨泉さんの、絶頂にも係わらず仕事をすっぱりと終わらせたことと、以降の生活スタイルが源泉です(尚、同じような形で芸能活動の一線からのリタイアをした司会者としては上岡龍太郎氏・芳村真理さんがいます。何れも巨泉さんと同じく司会者の大御所として絶頂を極めていた50代でリタイアを宣言していますね)。

 現在は、11月から翌年4月までオーストラリアとニュージーランKyosenn002 ドに、6月から9月までカナダに滞在し、経営するギフトショップの管理の傍ら、ゴルフを楽しむなど悠々自適の生活を送っています。日本に滞在するのは5月と9月から10月末までの約3ヶ月間だけで、この期間はバラエティ番組にゲスト出演するなどしている。外国がとても好きなようだが、以前、福留功男氏の『ベストタイム』に出演した折、寿司を食べてビールを飲んでご満悦のご様子で「日本人でよかった」とコメントする一面もありました。

 まだ評価の高くない人間の才能を見抜く眼にすぐれており、関口宏氏の司会者としての素質を関口自身が司会した『スター千一夜』の時から評価していたといいます。また、TBS番組『大学対抗バンド合戦』のMCをつとめた際、学生バンドの司会として出場したタモリの才能を認めており、芸能界入り直後から積極的に自身の番組に起用しました。さらに、漫才師としての活動が主だった頃のビートたけしさんを、『世界まるごとHOWマッチ』にレギュラー出演させました。テレビ東京アナウンサーで、競馬実況を担当していた小倉智昭氏を誘い自身の所属事務所に入れたりもしました。

こんな偉そうなのは何者?と思うでしょうが、日本のタレント、放送作家、司会者、評論家、元参議院議員、オーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)取締役会長兼エグゼグティブタレント、芸能プロモーター、エッセイスト、競馬評論家、馬主なんです。

大学生の頃はほとんど勉強をせず、テストではカンニングをしていたという(東京新聞での発言)。後に「早大を中退したタレントは出世する」という伝説のはしりとなった方なのです。早稲田大学の学生時代から当時ブームだったモダンジャズ、コンサートの司会者として活躍。なお早稲田大学在学中は俳人としての活動もしており「巨泉」という芸名はこの時期に付けた俳号でだそう。でも2年後輩の寺山修司氏と出会った時に「こいつにはかなわん」と思って俳句の道から足を洗ったといいいます。

 ジャズ評論家・放送作家からテレビ司会者に進出、弁舌家のマルチタレントとして人気を得るようになりました。この方面では、やはり放送作家出身の前田武彦氏と人気を二分し、この2人で日本テレビのバラエティー番組『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』の司会を務めました。あんな面白い番組なのに遅い時間帯にやっていて見れずに寝なければならず後悔したものでした。

 競馬評論家としても積極的に活動していて、調教を見ないで予想することから、書斎派の筆頭格ででした。サンケイスポーツや競馬エイトで執筆するほか、『中央競馬ダイジェスト』(フジテレビ系・土曜深夜放送分)や『日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)に出演していました。血統と展開と騎手で推理し、しばしば長距離の逃げ馬を的中させていた(トーヨーアサヒのダイヤモンドステークス等)。
 谷岡一郎氏が「本命2000円、対抗1000円、穴・大穴・枠流し500円」で大橋の予想と結果をGIレースのみ計算した結果、戻って来る金は賭け金の80.85%でした(谷岡一郎『ツキの法則』)。もちろん負け越しですが、競馬の控除率が25%前後であることから、平均してそれ以上の戻りがあった巨泉さんの予想を優れたものと結論づけています。また、巨泉さんの予想の影響力が大きく、大橋氏が本命に推した馬がそのまま実際の本命(倍率が最低)になったことも多々あり、その結果大橋の回収率は下がっていると指摘。もし巨泉さんが予想を公表せず、自分一人で買う金額も決めていたなら、もっと回収率は上がった可能性があるとしています。

 所ジョージ、関口宏、藤村俊二、タモリ、石坂浩二、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン等から番組に出演するたに「日本に帰ってくるな」などの嫌味を言われていますが、これは慕われていることの裏返しでしょう。「バラエティは生放送じゃなきゃダメ。今の番組はすぐにスタッフの意向でハサミを入れる(カットする)から、出演者の面白さが全部切り取られてる」「映画は監督のもの、テレビはホストのもの」が口癖(巨泉さんが司会を務めていた番組は殆ど収録番組でしたが、全て放送時間と同じ時間で収録を行っており、極力カットもしない「撮って出し」の方式をとっていました。現在このスタイルを取り入れている日本のテレビ番組は『徹子の部屋』、『ライオンのごきげんよう』など、ごく一部しかない)。尚、本人も日本に帰ってきた際、オファーがあれば収録番組にも出演しますが、実際自身が観る番組は『笑っていいとも!』や深夜のニュースショーなど、生放送の番組だけだと言われています。
 月・水・金曜の『11PM』は中学生ながら楽しみにしていました。矢追純一氏がディレクターだった頃、UFOや超常現象について放送されると、真剣に観たものです。

11PM
お笑い頭の体操
クイズダービー
世界まるごとHOWマッチ
巨泉のこんなモノいらない!?

が長寿番組だったことからも巨泉さんの力量が見えてきますよね。上記の番組は毎週みていました。特に『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』はまさに伝説のバラエティー・エンターテイメント番組といっても過言ではないと思います。そして評論家としての顔でいろいろなジャンルの著作を出しています。

読むと納得しちゃうんでしょうね、きっと。私は好きですよ、こういう物知り博士みたいでどこか頭のねじがずれてはまっているような方。覚えてますか?流行語にもなった、あのセリフ、

『みじかびの きゃぷりことれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ』・・・野田秀樹氏と対をはれそうですよね。

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2009年2月10日 (火)

私の好きな作品たち~田向正健編

 NHKでよく名前は知っていたのですが、作品についてはあまり知りませんでした。でも向田邦子賞を取った『橋の上においでよ』は観たかった作品でした。

1987年の堤真一さんと南果歩さんは観たかったです。聞いたところによると、脇を固めていた俳優も一流ばかりだったそうで・・・すみません、DVDありませんかぁ~?と叫びたい気持ちです。なんでも堤真一は当時社会現象化しつつあったテレクラに通う浪人生だったそうで、テレクラでアポを取り、待ち合わせは大阪戎橋の上。女の子とデートできたのだが、その時に聞いた話は嘘で会うことができなくなったのですが・・・・

 人の人に対する虚構と真実、人の本当の姿とは何か。を求めていく堤真一。いろんな事が起きたのちに、実は故郷には17の時に生んだ子供が故郷にいると真実を話だす南果歩。しかしそれだけでは信じることができない堤真一は南果歩を故郷(富山)につれていく。
 ラスト近くに、南果歩の故郷に帰ったときに起こった体の変化に、南果歩と一緒に見る者は心をうち震わせられる。そして蜃気楼を二人で見る。蜃気楼は有名だが、ここで見るのはめずらしいと南果歩はいう。
 ラストさらに、堤真一に衝撃がおとづれる。本当に現代の焦Kaii5 燥感、虚構から、真実を求めていこうとする姿に私たちも感情を見事に移入させられます。これは見るしか無い!!

 そこで田向さんについて、少々。

1961年に明治大学文学部卒業後、松竹大船撮影所に助監督として入社。1969年『とめてくれるな、おっ母さん』で監督および脚本家としてデビュー。同年木下惠介プロに移籍し、それ以後は脚本家の道を歩みました。1976年、NHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』で人気脚本家となります。
1982年、『リラックス』で芸術祭大賞を受賞。
1987年、『橋の上においでよ』で第6回向田邦子賞受賞。
1988年、NHK大河ドラマ『武田信玄』を大ヒットさせ、大河史上2位の平均視聴率を上げた。その後も、2本の大河ドラマを執筆しています。
 同世代の脚本家である山田太一との交流が深く、山田氏は、ずっと意識していた脚本家として倉本聰氏と田向氏の名を挙げています。

そうなんです。大河ドラマを3本も書いているんです。『信長 KING OF ZIPANGU』『徳川慶喜』がそうです。

ところがネットで調べていたら田向さんのドラマは重いとか配役が悪いとか言いたいこと言われていて、驚きました。原作があってその時代風景を考えれば、現代劇のようにいかないのは解りそうなのですが・・・時々あるんです。例えばある人について調べてみようとします。ずっと尊敬していて書く材料を探していたら、凄い反撃の記事、スキャンダラスな記事ばかりだったということが。こう情報が氾濫していると何が正しいのかわからなくなりませんか?

 私はこう考えます。NHKがよく起用するということはそれだけの信頼を得ているわけで、単なる人気取りではないのです。受け狙いでは無いのです。大河ドラマは歴史小説を重んじていますから、二谷幸喜監督のような茶目っ気を求めること自体が間違いだと思いますよ。

 と、このことは忘れて、本題に戻ります。山田氏と同じく1900年代に多くの作品を残していますが、2005年、『ハチロー?母の詩、父の詩?』がやはりNHKで放送されました。昭和を代表する詩人・サトウハチローの破天荒な生涯と、その家族の波乱万丈の物語を描いたもので、サトウハチロウ役は唐沢さんでした。それ以前の作品を紹介すると

冬の旅(1970年、TBS)
喪服の訪問者(1971年、日本テレビ)
雲のじゅうたん(1976年、NHK総合)
優しい時代(1978年、NHK)
リラックス 松原克己の日常生活(1982年、関西テレビ)
夏に恋する女たち(1983年、TBS)
ロマンス(1984年、NHK)
オアシスを求めて(1985年、NHK)
橋の上においでよ(1987年、NHK)
武田信玄(1988年、NHK)
問題の教師(1989年、テレビ朝日)
真夜中のテニス(1990年、NHK)
信長 KING OF ZIPANGU(1992年、NHK)
街角(1993年、NHK)
和菓子の味(1994年、NHK)
ひとさらい(1995年、TBS)
レイコの歯医者さん(1996年、NHK)
月の船(1996年、NHK)
誰かが私を愛してる(1997年、TBS)
徳川慶喜(1998年、NHK)
ハチロー~母の詩、父の詩~(2005年、NHK)

となり、考えさせられる作品が多いことが解ります。『問題の教師』では堤真一さんを再起用するなど、役者へのこだわりもある方です。

もう一度向田邦子賞をとってあっと言わせてください。

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2009年2月 8日 (日)

私の好きな作品たち~古川 日出男編

 1998年、『13』で小説家としてデビュー。2002年、『アラビアの夜の種族』で第55回日本推理作家協会賞・第23回日本SF大賞を受賞。2005年、『ベルカ、吠えないのか?』で第133回直木三十五賞候補。2006年、『LOVE』で第19回三島由紀夫賞受賞。素晴らしい!!

 私のお勧めは以外と(?)『13』なんです。1969年、橋本響一は左目だけが色弱という特異な障害をもって生まれました。高い知能指数と驚異的な色彩能力に恵まれた少年響一は、従兄の関口と共にザイールに渡ります。そこで彼が出逢ったのは、片足の傭兵「13」を通じ、別人格を育んだ少女ローミでした。驚異の体験を経て渡Tana02 米した響一は、26歳の時にハリウッドの映画製作現場で神を映像に収めることに成功するのです。溢れ出さんばかりの色彩と言葉、圧倒的なディテールが構成する、空前絶後のマジカル・フィクションです。
 行間を読むことを許さないほど詰めこまれたディテールに圧倒され、気づけば私も奇跡の現場へと流されているのです。いつもなら苦手なジャンルのはずなのに不思議な世にワープした感じでした。

 『ベルカ、吠えないのか?』も圧倒されました。4頭の軍用犬から始まる血の系譜、そこに連なるイヌたちの戦後史。
 その有用さゆえに、彼らはヒトのために殖やされ、ヒトのために改良され、ヒトのために生きて死んでいく。その過程で、イヌたちはしばしば他の犬種と、そして必要ならば狼とすら雑じる。ヒトによって意図的に番わされることもあれば、ヒトのくびきを噛み破って本能のままに為されることもあるが、(保護された)純血の力だけでは超えられない壁を、イヌたちはそうした力強い交雑と凄絶な淘汰の繰り返しによって突破していく・・・。
 そうしたイヌたちの血文字で紡がれた歴史上、ベルカ/ストレルカという最も「遠くまで」往還したそのイヌの名が、この物語の中でどう語られ、そして着地するのか・・・
 

 乾いた疾走感、吐き出される悪罵、濫造される死、執拗なリフレイン。この小説は、全体としては重厚な叙事詩でありながら、部分としては時に暴力的で、時に愛に満ち、時にナンセンスで、情感のままノイジーに掻き鳴らされるハード・ロックです。それだけに、その
文体はかなり読むヒトを選ぶかもしれませんね。ストーリーは犬の話を縦糸に、ソ連に裏切られた男の復讐の話を横糸に 編まれています。 最終的には一本につながるのですが。

 古川さんは20代後半から村上春樹寿氏に傾倒。若手作家が村上作品をトリビュートした「村上春樹RMX」シリーズ(ダヴィンチ・ブックス)の発起人となり、自身は「中国行きのスロウ・ボートRMX(のち『二〇〇二年のスロウ・ボート』に改題)」を手がけました。

影響を受けた作家として村上の他に清水邦夫や吉増剛造、ガルシア=マルケスやボルヘスなどのラテンアメリカ文学を挙げています。
爆笑問題の太田光やアジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文、上述の向井秀など、芸能人やミュージシャンにもファンが多いというのですから、ちょっと安心しまし。

 『LOVE』は都市とそこで生きるものたちの喪失と再生を、鮮やHaruoinoue かにきりとった青春群像小説でなんとも新鮮で、神話的で、「すべて」がある世界なんだと思えます。

古川日出男氏は、我々の足元に広がる(でも、衰弱した我々には感じることのできない)「もう一つの世界」の匂いを嗅ぎ、その音を聴、見つめることができる。ちょうど、野良猫がそうであるように。それは、なんとも新鮮で、複雑で、神話的で、いいえ、、「すべて」がある世界なのでしょう。

僕は速度だ。
あたしたちは全員同じだ。
でも、あたしたちは全員、違うのかもしれない。
現代なんて三月後には消費されて、東京の記憶から消されるんだろうな。

古川日出男さん特有の短く切ったスピード感のある文章に捕らわれると、胸倉を掴まれたみたいに物語にひきこまれます。二人称で語られる物語も最高です。そして登場人物の名前がいつもながら冴えていますね。そんなこんなでで結局買ったその日に読みきってしまいました。
猫がかなり重要な役目を果たすので、「ベルカ、吠えないのか?」と対になっていつのでしょうか?となんとなく思いました。「沈黙」に対しての「アビニシアン」のような。雰囲気としては「サウンドトラック」や「gift」なんかに似てるような・・・

 そして古川さんの集大成でもある『聖家族』。これは読まなければいけません。きっと病みつきになるでしょう・・・

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2009年2月 7日 (土)

私の好きな俳優たち~寺脇康文編

 正直なところ、高感を持って観ていた作品は『相棒』と以前の『大様のブランチ』でした。元々水谷さん目当てに『相棒』を観ていたのですが、あの杉下右京殿と最初は全く息が合わなかったのにどんどんお互いを意識し始めながら、自分のスタイルを崩さず、相棒として相手の存在を認めるようになった・・・動物的感を持つ亀山薫クンは杉下さんがいるからこそ際立つ事が出来たともいえますが、もうひとり立ちできるようになったのです。どんどん、その人間臭さが好きになりました。

  このお二人は以前にも『刑事貴族』で共演されていたのですね。残念ながら藤村亮刑事のことははほとんど覚えていませんでした。

『刑事貴族2』以降の主演は水谷豊氏に定着し、出演陣を大幅に入れ替えながら心機一転しました。シリアスとコミカルさが入り混じる若手刑事たちが活躍する刑事ドラマに生まれ変わり、新たなファン層を獲得しました。水谷さんは愛車にイギリス車を使用し、エンデ
ィングにて、タキシード姿に花束を持ってステップを踏むシーンや、常にベストを着用しているなどファッショナブルな設定が随所に出てきて、また音楽も英詞の楽曲を使用したり、インストもあぶない刑事以降のフュージョンを多用したおしゃれな楽曲が多く、エTerawaki003ンディングテーマも舘、郷はもちろん、矢沢永吉、織田哲郎、鈴木雅之 など、アーバンかつワイルドな雰囲気の持つアーティストの楽曲を起用し、そのような細かいところでのこだわりが作品のスタイリッシュなディテールを際立たせました。
 パート1に見られたレギュラー刑事の殉職は、パート2以降はなくりますが、代わりに、卒業や入学を思わせる若手刑事たちの人事異動などは、他の刑事ドラマにはない特色だったと言えます。
やがて人情系刑事ドラマが主流になり始めるとともに視聴率が低迷、1992年12月をもってシリーズは終了。アクション刑事ドラマとしての歴史は、次作『はだかの刑事』で終焉を迎えることになりました。

 1996年4月の放送開始から2006年12月まで司会を務めました。地球ゴージャス公演中(東京公演・地方公演)も生放送、その直後劇場に戻って舞台出演と多忙を極めるスケジュールながらも番組を休む事はありませんでした。(2007年1月からは谷原章介にバトンタッチ)。
 上京して1984年に三宅裕司主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)へ入団。同年11月、SETの第17回目公演『超絶技巧殺人事件』でデビュー。1987年、同劇団の岸谷五朗、山田幸伸と共にコントユニット・SET隊(せったい)を結成。SETの公演内やラジオドラマ等でコントを披露していました。
 1994年、岸谷五朗と共にSETを退団し、企画ユニット「地球ゴージャス」を結成。現在は舞台や映画、テレビドラマ等で活躍中です。観たいですね、とっても。これまで出演されたテレビ作品は、

追いかけたいの!(1988年10月 - 12月、フジテレビ系列)
ヴァンサンカン・結婚(1991年7月 - 9月、フジテレビ系列)祐之 役
刑事貴族2(1991年10月 - 1992年3月、日本テレビ系列)藤村亮・刑事 役 
刑事貴族3(1992年4月 - 12月、日本テレビ系列)藤村亮・刑事 役
ジェラシー(1993年1月 - 3月、日本テレビ系列)宮坂隆夫 役 
悪魔のKISS(1993年7月 - 9月、フジテレビ系列)加藤明夫 役。
オレたちのオーレ!(1993年10月 - 12月、TBS系列)島田健太 役
季節はずれの海岸物語 X'masスペシャル(1993年12月24日 フジテレビ)
適齢期(1994年4月 - 7月、TBS系列)不破貴之 役 
男嫌い(1994年、TBS系列)平尾修二 役 
おれはO型・牡羊座(1994年、日本テレビ系列)林大臣 役 
君に伝えたい(1994年、MBS/TBS系列)
パパ・サヴァイバル(1995年、TBS系列)北原直人 役 
輝け隣太郎(1995年、TBS系列)富島正樹 役
君と出会ってから(1996年、TBS系列) 神谷健一 役
ひと夏のプロポーズ(1996年、TBS系列)三上絋一 役 
竜馬におまかせ!(1996年、日本テレビ系列)高杉晋作 役 
バージンロード(1997年、フジテレビ系列)有川俊 役
D×D(1997年、日本テレビ系列)岡崎博文 役 
心療内科医・涼子(1997年、日本テレビ系列)杉本陽一 役 
サービス(1998年、日本テレビ系列)早乙女彬 役 
女教師(1998年7月 - 9月、テレビ朝日系列)杉本裕之 役。
徳川慶喜(1998年、NHK)岩倉具視 役。 
板橋マダムス(1998年、フジテレビ系列)岩倉具視 役。   
女医(1999年、日本テレビ系列)時任慎司 役
恋愛中毒(2000年1月 - 3月、テレビ朝日系列)藤谷直樹 役。 
相棒(2000年 - 、テレビ朝日系列)亀山薫 役 
最後のストライク(2000年、フジテレビ系列)北別府学 役 
エースをねらえ!・奇跡への挑戦(2004年、テレビ朝日)桂大悟 役 
ヒットメーカー 阿久悠物語(2008年、日本テレビ)宣弘社の上司  役 
お台場探偵羞恥心 ヘキサゴン殺人事件(2008年、フジテレビ)フジテレビ医務室の医師 役

「相棒」シリーズで水谷さんと共演できた約8年間を『夢のような時間だった』と語っています。また、同シリーズで寺脇はシーズン7を最後に卒業しますが、それは「寺脇はこれから俳優としてどんどん成長できる。相棒にとどまらず様々な役を演じるために、羽ばたいて欲しい」という水谷さんの先輩俳優としての気遣いがあったと「徹子の部屋」出演時に寺脇さんが明かしました。充分主役をはれる俳優さんです。アドリブもできそうですよ、三谷監督!でも『大様のブランチ』も卒業してしまわれたので、これから主役を期待しています。

『地球ゴージャス』も順調で、『ささやき色のあの日たち』は           

どこだかわからない空間。体温の感じられない透明な場所。
そこで、2人の男が出会った。
2人は、何故だかわからないまま、どちらかともなく、それぞれの人生を語りだす。
幼いときのこと、青春の出来事、そして様々な出会いと別れ……。
その度にその情景がくっきりと描きだされ、男は相手の過去を眺める傍観者となる。
やがて、中年男2人の話題は、一つのことに集中していく。
それは、『俺が出会った女たち』。
見栄と恥が混ざり合った男たちのバカバカしいラブストーリー。そして、その裏に潜む彼らの真実の顔。
それは最高の女との物語。
それまでの過去とは一変して、そこに現れた彼女たちは圧倒的な存在で再び男たちを魅了する。
しかし、その出現は男たちにもうひとつの真実を突きつける……優しく、そして残酷に。ワクワクします。

そして『クラウディア 』・・・ 桑田佳祐が世に生み出した数々の名 曲によって構Terawaki_005成され、地球ゴージャ スの舞台とコラボレーション。さらに山本寛斎の手掛ける衣裳がその世界観 を広げる、最高のエンターテインメント。人類崩壊後の未来社会、その世界は愛が抹消され、新たに生まれた人 々は戦いに明け暮れていた。戦いを繰り返す二つの国に生きる男と女、細亜羅(ジアラ)とクラウディアは、 許されないと知りつつお互いに惹かれあっていく。クラウディアが成人を迎える 日、二人の犯した禁じられた愛に眠る龍が目を覚まし、人類は破滅への 狂想曲を奏で始める・・・。

そして舞台『マルグリット』はもう上演されているのでしょうか?春野のマルグリットは、この場面は物憂げな表情が続く。オットーとアルマンの間で引き裂かれ、ある重大な決意をし、虚脱状態に陥ってしまったマルグリット。考えに沈み、静かに、ときたま激情を見せる。そんな女性を抑制された表現で演じていた。演技中は役に相当集中するのだろう、稽古の合間に見せるほっとした笑顔が印象
的でした。寺脇さんのオットーも印象に残りそう。単純な悪役に見えないのは、本人の人柄のせいなのかしら・・・。マルグリットへの高圧的な態度の後ろに、男としての大きさや包容力も感じられました。

 成功を祈ります。

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2009年2月 6日 (金)

私には難解な作品たち~京極夏彦編その①

 昨日1日調べて頭がぐちゃぐちゃになった作家・京極さん。実は兄がファンで、兄に「何か面白い本読んだ?」と聞いたところ、迷わず「京極夏彦」と言う答えが返ってきました。推理作家という知恵しかなかった私は、兄の本棚を探しました。そして驚きました。
ネットで、糸井さんとの対談を読んでもっと驚きました。

 まず、略歴は、日本の小説家、妖怪研究家、アートディレクター。世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員(肝煎)、関東水木会会員、東アジア恠異学会会員。「怪談之怪」発起人の一人。北海道小樽市出身。北海道倶知安高等学校卒業、専修Kyougoku001 学校桑沢デザイン研究所中退。代表作に、『百鬼夜行シリーズ』、『巷説百物語』シリーズなど。妖怪伝承をモチーフとしつつも合理的な謎解きを骨子とする推理小説が多いが、作風は多彩である。

1994年(平成6年) - 『姑獲鳥の夏』を講談社に持ち込み、デビュー。
1996年(平成8年) - 『鉄鼠の檻』が第9回山本周五郎賞候補作品となる。
1996年5月16日(平成8年) - 『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞。
1997年(平成9年) - 『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞を受賞。
1998年(平成10年) - 『嗤う伊右衛門』が第118回直木賞候補作品となる。
2003年1月8日(平成15年) - 『覘き小平次』が第128回直木賞候補作品となる。
2003年5月15日(平成15年) - 『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞を受賞。
2004年1月15日(平成16年) - 『後巷説百物語』で第130回直木賞を受賞。

 桑沢デザイン研究所を経て広告代理店に勤務、その後独立しデザイン会社を設立。1994年、講談社に投稿した『姑獲鳥の夏』でデビュー。この作品は仕事の合間に書かれたもので、小説の執筆は京極氏にとって初めてのこと(ただし漫画の執筆経験はある)。原稿枚数が新人賞の規定を越えていたため、手元にあった講談社ノベルス版『匣の中の失楽』の奥付を見て、投稿先を決めたといいいます。
 原稿を読んだ編集者・唐木厚により、すぐに講談社ノベルスとしての発売が決定。無名の新人であっただけに衝撃は大きく、これを機にメフィスト賞が創設されました。そのため、しばしば「第0回メフィスト賞受賞者」と称される。本人曰く、暇つぶしに書いた原稿であり、作品の構想は10年前に考えた漫画のネタだというのです。

 デビュー作以来続く、京極の代表作と言える百鬼夜行シリーズには、憑物落しと同時に推理する、新しいスタイルの探偵が出てきます。装飾部分やサブストーリーに様々な伝承、オカルティズムをふんだんに用いながらも骨格はKyougoku_002 論理的な謎解きに徹しているため、狭義の推理小説の王道を歩むと同時に、作者いわくの「妖怪小説」とも呼び得るという、特異なシリーズとなっています。

 百鬼夜行シリーズは、極めてページ数が多いのも特徴で『鉄鼠の檻』で826ページ、『絡新婦の理』で829ページ、『塗仏の宴 宴の支度』『塗仏の宴 宴の始末』で上下巻に分けて1248ページという厚さに達しています。そのため、百鬼夜行シリーズ作品は「レンガ本」「サイコロ本」とも呼ばれており、合作の経験がある漫画家とり・みきには、漫画中の登場人物が京極の本をアコーディオンのように持つと言うパロディをされています。

 作品の見せ方についても、一つの文がページをまたがることのないように、ページ・見開きの末文で改行するよう構成する(文庫化などで字数が変わるとそれに合わせて適宜改行位置を操作する)など、独特のルールを遵守しています。デザイナーの血がそうさせる
のだとも言われますが、それは読者がページを開いたときの第一印象まで、作家の主体的な制御下に置こうという試みといえます。
 こだわりは、みずからDTPソフトAdobe InDesignを駆使して、全ページのレイアウトをこなして印刷所に入稿するレベルにまで至ってい
ます。

 百鬼夜行シリーズ、古典改作シリーズ、巷説百物語シリーズ、厭シリーズ 、南極探検隊シリーズ 、新潮落語シリーズ など調べる程きりが無いのです。

 百鬼夜行シリーズは第二次世界大戦後まもない東京を舞台とした推理小説でした。作中に実体として登場はしませんが、個々の作品のタイトルには必ず妖怪の名が冠せられており、その妖怪に関連して起こる様々な奇怪な事件を「京極堂」こと中禅寺秋彦が「憑き物落とし」として解決する様を描いています。作品内では民俗学、論理学など広範にわたる様々な視点から、妖怪の成り立ちが説かれ、「憑き物落とし」が「事件の種明かし」になることから、推理小説の枠内で語られることが多いが、中には伝奇小説などとする方が見
合う作品も存在します(推理小説的な「トリック」自体に意味がない作品)。また後述のキャラクターが、非常に特徴的であることから、一種のライトノベルとして見る向きもあります。
 

 謎解き役である中禅寺の屋号から京極堂シリーズと呼ばれることも多いのですが、作者自身は「京極堂シリーズ」という名称を好ましく思っておらず、「あのシリーズ」などとぼかして呼称することが多いそうです。
 シリーズ第一弾の『姑獲鳥の夏』は、京極夏彦氏のデビュー作品であり、メフィスト賞創設のきっかけとなりました。講談社ノベルスから刊行されたのち、講談社文庫から通常文庫版と分冊文庫版が刊行され、順にハードカバー化もなされています。

 ネットで糸井重里さんとの対談があり、興味深く読ませていただきました。でも温度差が解らないとか食べる事も忘れちゃうとかどちらかを選ぶなんてことはどっちでもいい、寝る、寝ないもどっちでもいいとおっしゃるんです。仕事をしているとそれだけ集中してしまい、あとのことはどうでもいいように聞こえて、変り過ぎだと思ってしまいました。

とにかく読んでみます。これじゃ何を書いているのか解らないですよね。作品の紹介は第二弾で・・・ごめんなさい。

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2009年2月 5日 (木)

私の好きな作品たち~大森美香編

 私は以前にも書きましたが竹内結子ちゃんのファンで、『ランチの女王』『不機嫌なジーン』など月9は結構観ていますがこの2作品、脚本が同じ方だとご存知でしたか?私はついぞ知りませんでした。『不機嫌なジーン』が向田邦子賞を取ったことは知っていたのにで
す。どちらかというと『ランチの女王』のほうに賞をあげて欲しいと思うのですが・・・

 脚本家であり演出家、映画監督でもある大森さんは1972年生まれと聞いて驚いてしまいました。短大卒業後、名古屋テレビ放送に入社。東京支社に勤務し、24歳で退社後、フジテレビの契約ADとなりました。『美少女H』(1998年)・第12話「十七歳の記録」で脚本家、演出家デビュー。この後アシスタント・プロデューサーとなり、山口雅俊プロデューサーのもとでフジテレビのドラマ制作に深く携わりキャリアを積んだそうです。

2000年からフリーランス。以後、『カバチタレ!』のヒットを足掛かりにコンスタントに佳作を著し、若くして月9、朝ドラの脚本を手がける人気脚本家となりました。その一方で、映画監督としての活動にも力を入れています。

 多くの作品で、気の強い女性を中心に据えているのですが、実は優しいし淋しがりやなのかなとふっと思える瞬間があり、今時の女の子ってこんな感じなのかなあと考えさせられます。ドラマで検証しますと、

美少女H(1998年、フジテレビ)※12話担当
恋愛結婚の法則(1999年、フジテレビ)※7話のみ担当
二千年の恋(2000年、フジテレビ)※6話を藤本有紀と共著
ただいま満室(2000年、テレビ朝日)※1、2、4、6、8、10話を担当Takeuti004  
カバチタレ!(2001年、フジテレビ)
ロング・ラブレター?漂流教室?(2002年、フジテレビ)
ランチの女王(2002年、フジテレビ)※4話 - 12話が、単独の脚本クレジット
お見合い放浪記(2002年、NHK)
きみはペット(2003年、TBS)※9話のみ演出を兼任
ニコニコ日記(2003年、NHK)
ラストプレゼント(2003年、NHK)
不機嫌なジーン(2005年、フジテレビ)
風のハルカ(2005年 - 2006年、NHK)
里見八犬伝(2006年、TBS)
マイ☆ボス マイ☆ヒーロー(2006年、日本テレビ)
Good Job?グッジョブ(2007年、NHK)
エジソンの母(2008年、TBS)

これらに共通するのが気の強い女性なのですが、ふっと力が抜ける瞬間がどの作品にもあって、それが何故か観ている私などはほっとするんです。

『ランチの女王』はランチが大好きな麦田なつみ(竹内結子)は、ひょんな事から洋食屋「キッチンマカロニ」で働きながらその家に住む事に。「マカロニ」の次男鍋島勇二郎(江口洋介)、三男の純三郎(妻夫木聡)、四男の光四郎(山下智久)、そして下宿人でもある牛島ミノル(山田孝之)と共に店で働くなつみ。長男健一郎(堤真一)の偽りの婚約者と嘘を抱えているのだが・・・最初は他人として距離をおく鍋島家となつみだが、元彼の修史(森田剛)が現れ・・・なつみの意外な過去を知った上で「家族」としての絆を深めていくラコメディです。なっちゃんが好きなのは、勇二郎か純三郎か・・・なっちゃんが自分のことをつい話してしまう相手は勇二郎さんなんですよね。気の強い女は多少の年齢差があって相当頼れる相手じゃなければ、むずかしいのかもしれないと思いましたが、『不機嫌なジーン』は珍しく別れてジ・エンドでしたが。

 この『不機嫌なジーン』が向田向邦子賞を得た背景に、動物行動学や大学院生の研究生活を取り扱ったことが月9の視聴者層全体には受け入れられなかったのか、高視聴率につながりませんでした。しかし積極的に科学分野を取り入れたことが評価され、脚本は向田邦子賞を受賞しました。この作品で受賞できたことを大森さんはとても喜んでいました。実際の研究者が見れば失笑物のシーン・設定も多いでしょう。例えば舞台となる動物行動学研究室では学生一人が一つのモデル生物をテーマに研究を行っているのだが(しかも脊椎動物・無脊椎動物関係なしに雑多な生物を扱っている)、安定した実験結果を得るには莫大な科研費・維持費が必要となり、実際には一研究室がこのように雑多な動物をテーマにする事はほとんど不可能です。 一方で実際の分子生物学的実験のシーンでは、本物の研究者よろしく手際よく実験を進める芝居を行っている点で評価できるのだそうです。

 このジーンこと蒼井仁子(竹内結子)は努力家だが『人間と自然は共存できる』『人間は動物を守る存在』など理想家の一面もあり、南原によく指摘され討論になることもしばしば。恋愛に無関心というわけではなく、実はシャイで純情に恋をする女。ただ1年付き合っ
て南原が浮気をし、以来男性不信に陥るのです。一方南原孝史は35歳。仁子曰く、自分勝手でナルシスト。自信過剰、いつもブツブツ文句を言ってばかり、すぐに泣く。大嫌いで同時に愛おしいらしい。だが理想家の仁子と違い、『人が消えても地球は何も困らない』
など現実を見る男。仁子にどんなに貶されてもそれを原動力に変えてしまうポジティブ体質。実はバツイチ。最初は仁子を遺伝子を増やすために迫っていたが、知らない間に彼女に惹かれ愛していた。ミネソタに旅立つ直前に本当の想いを告げ、両思いになる。2年後、仁子にプロポーズを申し入れ成功するが彼女が迷っていることに気づき、背中を押す形で自分から別れを告げる。しかし、部屋の中で彼は一人涙を流していた。そういうタイプの男性って増えているのですか?ちょっと気になるところです。

 他にもこれ、観たというドラマがきっとあるはずです。私は『カバチタレ!』も好きでした。昨今の法律職ブームの大きな火付け役となったとも言われ、ヒット以降、それまでマイナーな存在であった隣接法律職の行政書士や司法書士、社会保険労務士などが一躍注目を
浴び、その受験者が激増して社会現象となりましたよね。本作品に対して、主人公たちは行政書士が本来できないことまで行っている、つまり、いわゆる非弁行為を行っている、と指摘されることがあります。しかし、本作品は弁護士法72条の解釈について、実務、学説
において通説とされる事件性必要説の立場で描かれているようです。これによれば、本作品の主人公達の行為はほとんど合法になると考えられます。しかし、日本弁護士連合会が支持する事件性不要説(少数説)の立場からは、当該漫画で描かれている行政書士の業務内容には非弁行為が含まれていると考えられています。

『カバチタレ!』は青木雄二監修、田島隆原作、東風孝広作画により、1999年5月からモーニングで連載されている漫画作品で、大森さんも脚本は原作が漫画作品ということも多く、映画では綿矢りささんの『インストール』にも携わっています。若き受賞者に乾杯!!応援しています。

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2009年2月 4日 (水)

私の好きな作品たち~南木 佳士編

 最近医学の小説が映画やドラマになっていますね。『チームバチスタの栄光』『医龍』『コードブルー』などなど。

そんな中、南木 佳士氏の『ダイアモンドダスト』を思い出していました。本書を読んで、医師とは弁護士以上に心労の多い職業ではないか?と再確認しました。 人間にとって一番悲しいことは死です。それは死んでいく本人よりも残された人の方が強く感じるものです。その死を毎日のように直面する医師という職業はある意味人間としての感情を放棄した生き物なのかもしれないと思いました。そんな医師という職業につき、それについて多少矛盾を感じている著者だからこそ書ける小説だと思いました。文体も非常に美しく内容の濃さの割には読みやすかったのを思っています。
 淡々とつましく生きていく人たちを、そして死んでいく人たちを確かな筆致で描いた作品。第100回芥川賞受賞作です。

 南木さんという人が、地域の医療に従事する医者だということKaii013 や、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境近くに派遣された、ということにも興味を持ちました。そんなわけで、たまたま買っておいた「ダイヤモンドダスト」を、読んでみました。私が買った本は、1989年に第1刷で、それから7年目の1996年で16刷ですから、じわじわとそして相当な売れ行きだったんですね。なぜか私の記憶からすっぽりと抜け落ちているんですが。南木さんの芥川賞受賞の言葉が素晴らしい、「学校を出たての24、5歳の若者が、多くの想い出を抱え込んだまま旅立つ死者を見送ることは、苦痛であった。この苦しみから抜け出したくて小説を書き始め、もう10年になる」と。

 南木さんは1951年生まれの内科医で、現在でも文筆活動を続けながら長野県の佐久総合病院に勤務し、肺癌を専門分野として診療にあたっています。月~金は臨床医、土日は作家というような日常生活だそうです。「理想的な生活」と言えるかどうか、本人も「心を病んだ」ようですが、詳しくはわかりません。この本『ダイヤモンドダスト』は、芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の他、「冬への順応」「長い影」「ワカサギを釣る」という短篇3作、計4作品からなっています。主人公は医者の場合と看護士の場合があります。

 芥川賞受賞作の「ダイヤモンドダスト」は、浅間山麓の高原に建つ町立病院の30代の看護士和夫が主人公です。母は早くに他界し妻もガンで早逝、父と主人公と息子、三世代男のみの所帯が描かれている。ベトナム戦争ではファントムに乗っていたというアメリカ人
宣教師と、昔は草軽電鉄の運転手だった和夫の父が、2人病室で一緒になり話が展開していきます。生と死、家族関係、老人問題、都市化していく山村、等々、という現代の病根が詰まった重いテーマです。和夫の同級生悦子との対話や若い院長香坂との関係も、さらりと描かれています。僅か63ページの短編です。本の帯では、三浦哲郎氏が「100回記念にふさわしい出色の作品だと思う」と絶賛していますが、私が嬉しかったのは、もうなくなって何年になるでしょうか、吉行淳之介氏がまだ元気に選評を書いていることです。作品をナイフの切れ味にたとえて、切れすぎるのも困るが、この作品は過不足なくしっかり切れたと言い、「地味だが文学の本筋をゆく作品で、このところ『文学の王道』とか『志』とかいうと顔をしかめてみせる風潮がある。しかし、それは大きな間違いである」と断言し、南木さんを褒め称えていました。この言葉も重く、今だに覚えていてのかもしれません。

 ちなみに賞を貰った翌年、仕事中に突然発作に襲われ、うつ病、パニック障害の診断を受けました。『トラや』は、心身ともに生きる力を失っていた時期に家に住み始めた猫、トラと過ごした15年間を描く書き下ろし小説です。「具合が悪くなったころにトラが来て、私が元気になったのを見届けるように逝った。トラを通して、何とか生き延びてきた15年が書けるかなと思いました」
 このまま死んでしまうのか、と不安におののいていた時、足元にまとわりつく猫に気付き、餌を与えたことから「生きる側」に引き戻された。「過剰な自意識で疲れ切っていた自分に、お前も同じような体を持った動物なんだぞ、と思い出させてくれた」
 南木さんにとって、だからトラはペットというより共同生活者。4人家族の間にいて、さりげない仲介役にもなってくれた。「そんなに大事にしていたわけでもないけれど、いる、ということがとても大事だったんだなあ」。トラが死ぬ前年の夏、庭先で一杯やりながら一緒にくつろぐ写真に、静かに目を落としました。なんて優しい先生だろうと思いませんか?

 高度な先進医療も大事ですが、患者さんを人として接してくれる医師の存在はもっと大事な気がしたのでした。

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2009年2月 3日 (火)

私の好きな作品たち~寺内 小春編

 私がまだ脚本家についてよく解らなかったとき、小春さんと向田さんの区別がつきませんでした。その原因となったのが『麗子の足』というドラマでした。これは原作が向田さんで脚本は小春さんだったんですね。向田さんの色をそのまま出してくれたので、なんの違和感無く観られたドラマでした。

 主人公は、女学校の教師で三人姉妹の長女、礼子。ニ・ニ六事件で自決する、いとこで軍医の総一郎との悲恋が描かれています。
幼い頃から近い存在で、互いに好意を抱きながら年齢を重ね、そKaii007 れでも最期まで相手への想いは口にしない。教師・長女・軍医・いとこ、という互いの立場を意識するがゆえに。やがて、総一郎がニ・ニ六事件に加わってしまったがゆえに・・・互いの想いをを伝える時間を失ってしまう・・・

画面からは、互いの心情があふれているのに、そうしたセリフがありません。

素足の「麗子像」を前にして、二人が互いに足袋を脱ぎ、足を見せあう。日本人は下駄の鼻緒をはさむから、二本の指は離れている。
お互いいとこだから、足の形が似ている。同じ血が流れている。と繋がっていくセリフは、ここで留まります、そして事件当日、二人は結ばれると思いました。裕子さんが長嶋さんにもたれかかって片足を少し上げ、足袋を脱ごうとするのです。そこにに・2.26の関係者がずたずた入ってきて・・・裕子さんの足袋はぬぐことも履く事も出来ない・・・
このクライマックスシーンが、互いの熱い想いを強く伝えていて、なお哀しく映りました。

女性の大切な気持ちがぶつっと切れた瞬間って、いえ、お互いの気持ちや立場がわかっているからああいうクライマックスになったのでしょう。向田作品もなかでも忘れられない作品です。

 『イキのいい奴・ 』も向田邦子賞受賞作品ですね。
 時代設定は、ALWAYS・・・まさしく、昭和27~28年頃の東京の下町を舞台にしたドラマでしたが、冒頭のセリフを言った松尾嘉代さんの役は、少し、年齢不詳気味でしたが、夫役の若山富三郎さんが、60前後といったところでしたから、50歳くらいだったでしょうか。 祖母の年代でしょうか、思えば、その時代、その年齢の人は、それまでに、死ぬほど涙を流してきてるんですね。
まさしく、今のイラクやアフガンと一緒で、我が子の死を見、友人知己の死を聞き、家を焼かれ、食べるものもなく・・・。
ドラマではそこまで言ってませんでしたが、言わないのが当たり前で、誰もが経験している当たり前のことなのですから、わざわざ、取り立てて言うようなことではなかったということでしょう・・・。
一方で、主演の小林薫さんが演じた寿司屋の親方にも、その時代の空気が感じられましたよ。 思えば、うちの祖父などがそうだったような気がします。 そう、いわゆる、「昔気質」というものですね。
 そういった人間模様を通して、かつて、この国にあった古き良き時代を見事に描ききったという点で、こういったノスタルジーものの中では、傑作中の傑作と言ってもいいのではないかと思っています。

 寺内さんというと、NHKの『はね駒』を思い出される片のほうが多いかもしれませんが、『思い出トランプ』や『男どき女どき』なども寺内さんの脚本でした。演出は、あの(と言っても解らないですね。向田作品を多く手掛けた方です。)久世光彦氏で今はDVDが多く出ています。このような私的なドラマがどんどんDVD化してくれる事は嬉しい事です。以前は映画が殆どで素晴らしいドラマは観ることができませんでしたから。『虞美人草』の脚本も寺内さんだったのですね。夏目漱石作品はまた今の視点でドラマにして頂きたいと思います。出来れば寺内さんの脚本で・・・

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2009年2月 2日 (月)

私の好きな作品たち~保坂 和志編

 学卒業後の1981年、小説を書く時間のありそうな職場として西武百貨店のコミュニティ・カレッジに就職、哲学や現代思想のワークショップを企画しました。30歳を目前にして尻に火がつく思いで書いたという「ヒサの旋律の鳴り渡る」「グノシエンヌ」(とも
に未発表)の制作を経て、1990年、『プレーンソング』を『群像』に発表しデビューしました。1993年「草の上の朝食」で野間文芸新人賞受賞。同年に会社を退職

『プレーンソング』を読んだのは随分前のことですが、「何を書くのか」を充分に推敲してから書き始めた作品だと感じました。それは事件でもなく、出来事でもなく、「思考そのもの」なのだと思うかたらです。語り手を取り巻く登場人物も興味深いですね。

猫のことなら何でも言い当てる学生時代の友人ゆみこ。何かを積み上げていKaii006く思考のなさを感じる競馬仲間の石上さん。世界観のようなものが奇矯な思い込みのうえに成り立っている同じく競馬仲間の三谷さん。語り手の部屋に突然転がり込ん でくる面々もすこぶる個性的です。しつこくしゃべり続けて調子にのり続けますが、実は遊園地にも海にも行ったことがないアキラ。風呂からあがったばかりで顎を上に向けながらワイシャツの一番上のボタンをとめる島田。黙々と近隣の野良猫に餌をやりにいくよう子。作者の分身のような、この作品の解説者のような、ビデオをまわすゴンタ。保坂和志の会話文は素晴らしいと思います。地の文では思考を、会話の文ではその技巧を堪能できるのです。

最初の第一文から最後の最終文まで味わい深いものでした。「プレーンソング」とは「単旋聖歌・典礼歌・グレオリオ聖歌」や「神の恩寵」という意味ですね。読んでいて、1ページ前に登場人物が何をやっていたか、それがとりあえず、まったく思いだせない・・・。勿論、それも作者の戦略のうち。受動的な主人公、まわりの人たちの会話に流されて、そのうねるような思考がうねるような文章とシンクロして、いつの間にかページをめくっているという、その技術。そこには、決して何も起こらない話では無いと思いました、表面的には・・・ では、この小説が何故こんなに奇妙なのかといえば、実は、この小説には「中心」がないのす。猫を探したり、海行ったり、部屋に人が転がりこんできたり、競馬行ったりしてるますが、そのどれもが物語の中心にならず、あっさり流されてしまうのです。
 ゴンタは、ある出来事が起こったとき、その出来事でなく、その出来事をなんとなく見ている人のほうに動きが生まれ、そっちのほうが大事なんだよ、と主張するのです。それは著者の主張でもあるのでしょう。
 つまり、この小説は、この小説の外で起こった何かの出来事(それは何かわからないけど)を見ているキャラクタたちの姿を描いた小説になってるのです。凄いことだと思いました。ある意味大江健三郎氏の文と似ていると思いました。

『この人の閾』での内容は、何人かで街を歩いたりしながら、目に入るものについてたわいもないことを話したり考えたりしているというもの。ふつうは会話の中に人間関係がうかびあがってくるのだけれど、この本の中の作品では、それぞれの人物が個人として周囲の事物に感じていることが浮かび上がってきます。それはよくみるととてもおもしろいものなのです。

 もう一編での舞台は小田原の民家。「汚くしてるけどおいでよ、おいでよ」というので、およそ十年ぶりに会ったこの人は、すっかり「おばさん」の主婦になってい・・・でも、家族が構成する「家庭」という空間の、言わば隙間みたいな場所にこの人はいて、そのままで、しっくりとこの人なのだった…。37歳の「ぼく」が今は子供が二人いるふつうの主婦になってしまった一年上の女性の
先輩、真紀さんに会いにきた。と書くと背徳の香りがしてしまいそうですが、そういう香りは完全にシャットアウトされています。
 真紀さんは最近『失われし時を求めて』とか哲学の本とか時間のかかる本ばかり読んでいるそうだ。でも、そうして頭の中に保存されたものは、感想を残すこともなく、いずれあとかたもなく消えてしまう。『三四郎』の広田先生が「偉大な暗闇」とよばれていたことを思い出しました。
芥川賞を受賞した表題作をはじめ、木漏れ日にも似たタッチで「日常」の「深遠」へと誘う、おとなのための四つの物語です。

 思考というのは並列的で、矛盾を含んでいるのに対し、文章は直列で、整合性がとれていなければならない。ふつう思考から文章を変換するときは、小さなもの余計なものは省いて、できるだけコンパクトにしようとするのですが、保坂和志氏の場合には、一見意味のないような思考の流れを切らずにそのまま文章に埋め込もう としているのです。そんな文体です。

『カンバセイション・ピース』も目が放せない頭も殻に出来ない絶品です。

 「自分が頭を洗っている姿くらい自分自身の目でみたことない姿はないのにKaii012、私はその姿を自分自身の目で見たのと同じぐらい知っている」というくだりがありますが、私もそう思うことがあります。記憶の中にある自分は、いつも他人の視点から見えている自分です。だいたい小学生の頃僕はおちつかないよそ見ばかりしている子供だったのですが、覚えているのはそんな自分を後ろから俯瞰でみている自分の視線。時には前から見ていたりもする。ドッジボールをする自分を校舎から見ていたり。どういうわけか視点が他者の視点になっている。そんなこと考えたこともなかったのですが、この本にしっかりと文章にされているのを読んで鳥肌が立ちました。そんな描写が至る所にあるこの本は、じっくりと読み返なければなりません。
「人間が神を信じていた頃、人間は神という存在を想定することによって、自分たちのできないことを神が代行してくれると考えていたわけだけれども、それは本来人間のなかにあったはずだ。」という文章が心に残って消えません。

 カフカを読みながら書いてきたその後の作品も多分私は読むでしょう。

『小説の自由』・・・小説は読後にテーマや意味を考えるものではない。小説はそのような固定した〈名詞〉でなく、読むたびに読者に向かって新しい世界観や人間や「私」についての問いを作りだす、終わることのない〈動詞〉の集積なのです。誰よりも小説を愛している小説家が、自作を書くのと同じ注意力で、実際の作品を精密に読んでみせる、驚くべき小説論です。つい唸りたくなる作品ばかりなので・・・

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2009年2月 1日 (日)

私も戸惑った作品~モブ・ノリオ編

 芥川賞は時に何ゆえ?と頭を傾げたくなるう作品に出会ううことがあります。モブさんもその中の一人でした。『介護入門』と言う作品は思わず手に取りたくなると思いますというか現代社会では、こういう作品は多いと思います。その中でモブさんの作品が候補にあがった背景はよく考えれば、解るような気がしてきます。そこで選考委員さんのご意見を聞いてみると、

「主人公のちょいとふざけたラップ口調で語られる「介護する者」と「介護される者」との日々の辛さやいらだちや不安や怒りは、まことに正論である。」「だがその正論が、モブ氏がこの小説で使った口調によって価値を持ったとするなら、私はその点においてある種の危惧を抱かざるを得ない。」「それは単なる一過性の小技にすぎないのであって、一篇の小説が内包する本質的な深さとは無関係だからである。」と宮本輝氏。ちなみに■評でした。また、

「私は全く評価しなかった」「神ではない人間が行う「介護」という現代的主題の根底に潜んで在るはずの、善意にまぶされた憎悪とか疎ましさといった本Kiyohara001 質の主題が一向に感じられない。」「各章冒頭に出てくる「介護入門」なるエピグラフもことさらのアイロニーも逆説も込められてはおらず、ただ説明的なだけで蛇足の域を出ない。」と石原慎太郎氏。どちらも辛口批評でしたが、かと思うと

「《家と家族とを呪い続けた俺》から《世で最も恵まれた環境を授かった俺》への転生にして新生を遂げた場所、YO、教科書を丸暗記させられたように、無理矢理そう思い込んだんじゃねえぜ、朋輩(ルビ:ニガー)、そう感じる以外に辻褄の合わぬ現実を思い知らされたのだよ。」「言葉の過不足を量っていられるような境ではない。」という古井由吉氏や

「読み易い小説ではない。」「しかし読み進むうちに言葉に込められた熱が力に変り、作者の怒りがストレートに伝わってくるのが感じられるようになる。血の繋りという欺瞞に対する憤り、形式的な介護システムへの疑い、自分の生活からの出稼ぎとしての介護を否定する姿勢が鮮烈に浮上する。」という黒井千次氏。そして

「話の中心には祖母と母と語り手という聖家族がおり、ここにだけ介護を通じて発見された本当の愛がある。作者はこの発見を世に伝えるために小説という手段に訴えたかのごとくで、この初々しさは好ましい。」とする池澤夏樹氏ら肯定派が若干多かったという結論です。

「介護入門」の主人公は、俺、29歳、無職の自称音楽家、僅か週3日、小学生相手のアルバイト。頭は金髪に染めていて、マリファナ常習者。どこから見ても、老人介護に携わっているという雰囲気はまったくありません。そんな若者が、80歳過ぎの下半身不随で痴呆症の祖母を、病院から引き取り、母親と交代で自宅で介護しているのです。昼間はヘルパーに任せても、夜は祖母のベットの横の折り畳みベットに寝て、深夜2回起きて、祖母の股を熱いタオルで拭き、新しいおむつに替える。午前8時、介護ヘルパーが出勤する前に起床し、ベットを折り畳み、ポータブルトイレや室内用車椅子をセットするのです。

 マリファナ常習者であろうが、金髪であろうが、ラップ好きであろうが、全身全霊で祖母の世話をしていることには代わりが無いのです。なにしろ介護の描写は詳細を究めます。マニュアルを読むような、正確かつ念入りな描写です。俺はいつも、「オバアチャン、オバアチャン、オバアチャン」で、この家にいて祖母と向き合う時にだけ、かろうじてこの世に存在しているみたいだ、と言います。たまに見舞いに来る親戚からは「アンタ、毎日お昼まで寝てんのか?」と白い目で見られ、金髪の穀潰しと思われているのです。
 叔母に対しては、醒めた目で見ていますね。実の親が介護ベットで横たわる部屋の隣室で、「人間もこないなったら終わりやなあ、私やったら死んだ方がましやわ」と番茶を啜りながら嘆息している叔母。その叔母が、祖母の枕元で「お母ちゃん、辛いなあ」と無知特有の自己満悦にも等しい涙を流す。しかし、一度も襁褓を替えようともしたことがい。介護入門:「誠意ある介護の妨げとなる肉親には、いかなる厚意も期待するべからず。・・・」

「高齢化社会」と言うのは簡単ですが、その足がかりを見いだすのKatznoblog は困難です。僅か100ページの作品、著者モブ・ノリオの実体験が多く含まれているのでしょう。ちなみに著者の名前「モブ」は、「モバイル」の「モブ」かも?この作品を評して、「窮地の内にこそ、剥離解体しかけた言葉と、更に現実を回復する足がかりを見いだしつつあるとすれば、ここに今の世の、ひとつの、神話と言わず例話の、始まりがひそむ。」と、古井由吉氏も言っています。誰もが人事ではないと思いつつ、本当のシンドさを知らない気がします。

 私も何時介護の現実に見舞われないともわからない・・・でも親戚やヘルパーには頼りたくないとつくずく思いました。何年かかるか解らない、私がくじける可能性だってあります。でもモブさんが教えてくれた事は当てはめてみるといとんなことが当てはまってしまって・・・だから私は両親より長く生きたくないと思っていました。でもそれは違うと心から思えるようになれたのです。

これからは両親のために、いえ、両親と共に楽しい人生を送る方法を考えようと。私のよう半端な人間でも介護は出来ると思えるようになったから・・・・私は家族を最後まで守りたい、そう思った作品でした。

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