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2009年2月13日 (金)

私の好きな作品たち~灰谷健次郎編

 最初、私はあまりに有名な作家さんといだけで灰谷作品を読んでみました。すると、これは児童向き作品?と躊躇し、暫く読まないでいたのですが、灰谷さんは左翼とか色々な批判を聞くようになり、左翼でもいいじゃないというおもいで読み返してみました。

 小学校教師を勤める傍ら児童詩誌『きりん』の編集に携わりますが、1971年(昭和46年)に、17年間勤めた小学校教師を退職し、沖縄やアジア各地を放浪。1974年(昭和49年)『兎の眼』で児童文壇にデビューする事となりました。1967年、4月2日、長兄吉里が自殺。灰谷健次郎氏、三十三歳の時でした。翌年には母つるが死去し、教師として、人間としての生き方に迷いを持ちはじます。灰谷氏にとって、長兄の自死は重くのしかかり、ヨーロッパ、地中海、中近東、インドを放浪するが、挫折感は強くなるばかりでした。
そして1929年5月、38歳、兄の自死から立ち直れず、学校を辞め、十七年間の教師生活にピリオドをうちました。そして退職後は東南アジア、沖縄に 行きました。

『兎の眼』は、大学を出たばかりの新人教師の小谷芙美先生が、担Sag8 任の一年生、鉄三にてこずりながら、やがて教師として成長していく話です。灰谷健次郎氏は、『兎の眼』についてこう語っています。

「ぼくが十七年間の教師生活で、子どもたちから人間として生きることの意味を教えてもろた、子どもたちのやさしさに助けられて現在の自分がある、その道程を書いたのが『兎の眼』で、あれ書かれへんと、生きていかれへんかった。」

 沖縄に行き、「自分の人生のなかに、子どもというものがほんとうに詰まっておった」
・灰谷健次郎その時のことに気付いた時、それは同時に「子どもたちのやさしさに助けられて現在の自分がある」と気付いた時ではないでしょうか。「子どもを捨てたという負い目のようなものが」自分の中にあり、だからこそ「あれ書かれへんと、生きていかれ」ず、その時の気持ちを「洗いざらい吐き出した」のでしょう。

『太陽の子』・・・しかし、「自分を、洗いざらい吐き出した」『兎の眼』では兄の死を消化しきれず、『太陽の子』を執筆に走らせます。

「てだ」は「太陽」、「ふあ」は「子」という意味を持ちます。『太陽の子』は、ふうちゃんが、てだのふあ・おきなわ亭(小料理屋)に来る人々のやさしさに触れ、やさしさ、いのち、生きるということを考え、つらく悲しいことにも向き合っていきながら成長していく物語です。父親の心の病気に沖縄の戦争が関係していることを知り、未だに終わらない戦争、戦争により受けた父親の心の傷を少しでも治してあげたいという思いから、沖縄の戦争を学んでいきます。『太陽の子』を執筆しているとき、灰谷氏は神経症を患っていました。

「神経症の苦しみは凄まじい」(『優しい時間』)、不安と恐怖感は増幅し、死をも選びかねないという苦しみの中から生まれた『太陽の子』は「兄の死を通して、『生』の根源的な意味を考える」為に書かれた作品だと思います。

『天の瞳』は小瀬倫太郎の成長物語です。倫太郎は天衣無縫で、いたずら好き。小学校入学早々担任の先生に「ヤマンバ」とあだ名を付けたり、クラスメートを泣かせたりして、先生や周りの大人たちから叱られてばかりいる。しかし、倫太郎は本当に問題児なのでしょうか。
少なくとも、私にはそうは感じられません。灰谷氏は「倫太郎は問題児なのか。そういうふうにレッテルを貼ってもいいものなのか、というのが、この小説の主題の一つでもある」(『子どもに教わったこと』)と語っていました。
 「なぜ教師のいうことに従わないのか、を反抗とみるのではなく、何か伝えたいことがあるのだと思ってほしい。子どもの目線にたって倫太郎のことを考えると、その答えが自ずと見えてくる。」と灰谷氏は言っているような気がします。もし、倫太郎に「悪ガキ」とい
うレッテルを貼ってしまったら、見えるものまで見えなくなってしまい、新しい倫太郎を発見することが難しくなってしまうかもしれない。実際、一年生の担任の山原先生は思ったことをストレートに表現する倫太郎に戸惑い、倫太郎を授業を妨害する問題児だと見ていたきらいが多少あります。山原先生は倫太郎に出合ったことで、少しずつ変化をしていくのだが、もし一歩間違え「倫太郎は問題児だ」という目で倫太郎を見ていたら、倫太郎の鋭い感受性やその他の可能性に気付けなかったかもしれません。

 灰谷氏はこの作品に「人にも、ものにも添うて生きてほしい」という祈りを込めている気がする。「添う生き方」とは、一体どのような生き方なのでしょうか。
 
 倫太郎は、じいちゃんから出合いについて学んでいます。「人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。」「好き嫌いが激しいと、これは嫌い、これは嫌いとせっかくの出合いを遠ざけてしまうから
、見えるものまで見えなくなってしまう。」そして、倫太郎に友だちが多いことに触れ、「神様がおまえのために祈ってくださったおかげがひとつ、そうしてできた出合いを倫太郎が大事にしたことがひとつ、相手もまた倫太郎を気にかけてくれたことがひとつ、そんなひとつひとつが重なって、今の倫太郎がある」といいます。
 

 倫太郎は友だちとのつきあい方だけでなく、いのちとのつきあい方、さらにこの世の中にある全てのものとのつきあい方をじいちゃんから学んでいますが、それらのじいちゃんの言葉は倫太郎を「いったん友だちになってしまえば、それは、親きょうだいと同じように、と
り替えることのできない、かけがえのないものだ」という感覚になるのです。

 こんなことがありました。ヒマワリとホウセンカの種を蒔く時、花をきれいに咲かせるにはばらばらに蒔いあた方がいいのだが、倫太郎にはどうしてもそれができない。人間だけでなく、種同志も「仲良しの方がええねん」というのである。そしてひとつの穴に一緒に蒔く
く・・・

 倫太郎について、保育園のヒデミ先生が「倫太郎ちゃんみたいSag18 な子にどう添うてあげたらええの」という。「人に添うて生きる」「人とつながって生きる」ことこそがこの『天の瞳』の主題であり、様々な反響を呼び、いろいろな人に読まれる所以ではないでしょうか。
「いっしょにいるってことは、ほんとうに素晴らしいことなのよ。」という園子さん。この言葉こそ灰谷健次郎氏がいつも実感し、かみしめていることなのではないかと思います。

 中学生になり、リンチを受けた倫太郎は、復讐の鬼と化す。やられた相手一人一人に仕返しをしていくのだ。そんな荒れた倫太郎をミツルや青ポン、タケやん、芽衣、園子さん、あんちゃんらは、自分のことのようにとても心配していた。そして、そんなみんなの心配を受けて、自分はどうするべきなのか、自分がしてきたことは間違っていたのか、これからどう行動すべきなのかを考えて、倫太郎は変わる。たとえ暴力を受けて、相手にどんなに怒りが込み上げてこようと、どんなに痛みがおそってこようと、無抵抗で通すのです。
 倫太郎は言う。
「そのとき、オレは、オレを大事にしてくれる人のことを、じっと考えていた。だから我慢できた。」と。そして、倫太郎の母、芽衣は考える。「 自分を大事にしてくれる人がいるのに、自分を粗末にできるはずはない。」「自分のいのちの中に、他者のいくつものいのちが存在することを、この子はこの子なりに解しているのだ」。

 一つのいのちが成り立つためには、他の無数のいのちがそれを支えているのだということ、わがいのちも、また、他のいのちを支えているのだという思想が、人間の誠実さを生み、優しさをつくるのではないかということを教えられました。そしてこの「いのち」の追求
は、灰谷健次郎氏の文学にとって終わることはありませんでした。なぜなら、この思想こそ灰谷健次郎文学のはじまりであり、永遠のテーマであるからだです。「いのちを見つめる」、それが灰谷健次郎文学の神髄なのではないでしょうか。

 学ぶと変わり、変わる為には、相手が必要であす。だから、出合いを大切にしなければならない。出合いを大切にしているとまた学ぶとが出来るのだと。

厳しく、そしてやさしい灰谷氏。作品ひとつひとつに、灰谷健次郎氏のいのちが吹き込まれています。だからこそ、私は灰谷健次郎氏の作品を読むたびに、魅せられるのだと思います。

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