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2009年3月

2009年3月31日 (火)

私の好きなミュージシャン~ジョン・レノン編

 私と同世代か少し上の方々にとってジョンの死は受け入れられなかったでしょう。ビートルズ時代からリーダーシップを発揮し、ソロになってからも衰える事のなかった人気。世界で最も成功したシンガー・ソングライターの一人であり、1960年代に世界的人気を得たロックバンドの主要メンバーでした。ビートルズ時代には、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、数多くの名曲を作り上げました。1970年のビートルズ解散後は主にソロ・シンガーとして活躍。ギネスワールドレコードでは最も成功したソングライティングチームの一人として「チャート1位の曲が米国で盟友のポール・マッカートニーが32曲、レノンが26曲(共作は23曲)、英国チャートでレノンが29曲、マッカートニーが28曲(共作が25曲)」と紹介されています。

 ビートルズ時代には、「抱きしめたい」、「シー・ラヴズ・ユー」、Jon001 リードボーカルをとる「プリーズ・プリーズ・ミー」、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」、「ヘルプ!」、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」、「愛こそはすべて」、「アクロス・ザ・ニバース」、「カム・トゥゲザー」等、数多くの曲を残しました。ソロ時代は「イマジン」などの曲を発表する一方、妻で芸術家のオノ・ヨーコとともに平和運動家としても活動しましたね。

1980年12月8日(ニューヨーク時間)、ニューヨーク市の自宅アパート「ダコタハウス」前においてファンを名乗る男に銃撃され、40年の生涯を閉じました。

  1970年代は、メンバーのジョージ・ハリスンも参加した「インスタント・カーマ」を発表、「レット・イット・ビー」とほぼ同時期に発表されチャートを上昇しました。1970年4月10日、ポールが脱退を発表しビートルズが事実上解散したのちジョンは深い精神的ショックに陥りますが、これと前後してアメリカのアーサー・ヤノフ博士が提唱した精神療法、プライマル・スクリーム療法に参加。約半年間のち、ビートルズのメンバーであったリンゴ・スター(ドラム)、クラウス・フォアマン(ベース)、ゲストにビリー・プレストンを迎え、アルバム『ジョンの魂』を制作し発表(米6位、英8位)。「マザー」がシングルとして発表されされました。
 続く1971年6月、アルバム『イマジン』の制作を開始(発表は10月)。米1位、英1位、日1位と大ヒットを記録、ソロ最高傑作との評価も高く、ここではジョージ・ハリスン(ギター)、アラン・ホワイト(ドラム)、キング・カーティス(サックス)らが参加しています。またこのアルバムの2曲に参加したドラマーのジム・ケルトナーが以後セッションに加わるようになります。

 ジョンとヨーコの政治的活動は、反体制派からの影響を強く受けてはいたが基本的に中立で、公式に特定政党を支持したことは一度もなかったのですが、「人々に力を!民衆に権力を!」とデモ行進をする姿を見た共和党政権は、外国人左翼勢力による国家転覆活動とみなし、国外退去命令を下しました(これに対する抗告と裁判は1975年10月まで続き、ジョン側が勝訴している)。FBIによる監視については、ジョンの死後に関係者の訴訟により膨大な量の調査報告書が公開されています。

  1980年代 にはいるとほぼ5年間ジョンはハウス・ハズバンド業に専念していたが、その間も自宅で作曲活動は続けており、暇を見つけてはテープに録音していました。その時期に作られた楽曲のデモ・テープの数々は1998年に『dジョン・レノン・アンソロジー』で発表されています。1980年11月、ジョンはヨーコとの共作名義のアルバム『ダブル・ファンタジー』(米1位・英1位・日1位)を発表します。この中では後にキング・クリムゾンに加入するトニー・レヴィンを起用しています。このアルバムからは「スターティング・オーヴァー」(米1位・英1位)、「ウーマン」(米2位・英1位)、「ウォッチング・ザ・ホイールズ」(米10位)などの大ヒット曲が生まれ、アルバムも全世界で500万枚以上を売り上げました。また同アルバムは1981年のグラミー賞年間優秀アルバム賞を獲得し、授賞式に参加したヨーコは謝辞を述べました。私はどの曲も好きですが、やはり「イマジン」と「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が大好きです。

 またレノンは常に「ポールは弟であり、彼との確執は『兄弟ゲンJon002 カ』みたいなもので、他の奴にとやかく言われる筋合いはない」というスタンスを保ち続けていました。マッカートニーを卑下する発言をする者に対しては「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許さない」と発言しています。レノンとは飲み友達でオノとの別居中は共同生活を送っていたハリー・ニルソンや秘書・メイ・パンにでさえ、マッカートニーの悪口を言うことは許さなかったといいます。またレノンは「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった。」、また「俺が音楽業界で達成した偉業はひとつ。『ポール・マッカートニー』を発掘したことだ」とも発言しています。もはやポールとジョンの間には確執なんてなかったのです。最高の伴侶と友人に恵まれ、幸せになるはずだったのに・・・あの恐ろしい惨劇・・・

 チャップマンはレノンの帰宅を待つためにその場にとどまっていました。午後10時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着。レノンとオノが車から降りたとき、チャップマンは暗闇から「ミスター・レノン?」と呼び止めると同時に、リボルバー拳銃のチャーターアームズ・アンダーカバーを両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れました。警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着。ちなみに、チャップマンが使用した弾丸は.38スペシャルのホローポイントでした。銃と覚せい剤は私がもっとも憎む存在です。事件後チャップマンは現場から逃亡せず、手にしていた『ダブル・ファンタジー』を放り出し、警官が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んだり、歩道をあちこちそわそわしながら歩いていたそうです。彼は逮捕時にも抵抗せず、自らの単独犯行であることを警官に伝えました。被害者がジョンであることを知った警官が、「お前は、自分が何をしでかしたのか分かっているのか?」と聞いたときには、「悪かった。君たちの友達だっていうことは知らなかったんだ」と答えたそうです。精神疾患だということですが、許せません。ジョンとヨーコは私立ちに多くのメッセージを残してくれました。またヨーコさんは今でも、あの時のままでいらっしゃいます。『死を無駄にしないで』と言う言葉はあまり好きではありませんが、今のミュージシャンに受け継がれていって欲しいと心から思います。

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2009年3月30日 (月)

私の気になる作品たち~玄侑宗久編

 京極夏彦氏を思わせる文体に興味を持ち、調べてみる事にしました。芥川賞をとった『中陰の花』・・・小説を書く坊さんと言えば今東光氏、瀬戸内寂聴さんらを思い浮かべますが、色・恋・欲の世界を赤裸々に書いてベストセラーになった人たちであって、その限りでは解脱とは煩悩に身を焼く経験が必須なのだと身をもって説いていらっしゃると思います。「中陰の花」は現職の臨済宗僧侶の作品ですが爽やかなお説教であり、好感をもって読めた小説でした。この人、高僧にはなれないかもしれないが市井の名僧にはなれるかもしれないと思ってしまいました。一度本物の説教を聞いてみたいものです。
 ミステリアスなテーマです。「たたり」「霊障」「お祓い」「霊視」「予言」「背後霊」「金縛り」「憑依」「霊能者」「死後の世界」「離魂現象」等々死者にまつわる超常現象はいつの時代でもどの世界でも日常生活にある好奇のテーマのようです。
 高僧であれば快刀乱麻で解答を出すところですが、主人公は僧Hirayama001 侶なのですが僧侶にしては正直者で「あの世」を否定しているくらいですからこれらの不可思議現象を半信半疑で眺めているところもおもしろいですね。
 主人公は作者自身のようなのです、インターネットで「霊能者」を検索したり、過去帳をパソコンでデータ管理しているなんて実に親しみのもてる人物なんですね。禅に限らず、宗教は呪術とは違う、宗教に「霊法」を期待してもらっては迷惑だとおっしゃる・・・禅はきわめて現実的な生活哲学なのだから。これはなかなか説得性がありますね。

 作者の玄侑宋久さん、京極夏彦氏の『鉄鼠の檻』にいたく刺激を受けたと云っています。祈祷師京極堂こと中禅寺秋彦の哲学と類似点がありますね。
 でも、数々の不思議をおこした霊能者が死んで、どうもまだ「浮かばれないでこの世とあの世の境にとどっまているらしい」と、更に彼の奥さんは流産した子供の霊がさまよっている気配がすると、そこでこの魂を成仏させる感動的な奇跡をおこすお話です。
 私は超常現象など手品だと思っている不心得ものだから奇跡自体に驚きはしませんが、「成仏」とはなにか、これを深く考えさせてくれました。それはこの前の芥川賞『聖水』の印象があまりに強かったのですね。『聖水』は死にゆくものの「成仏」ですが、『中陰の花』は生きているものの「カタルシスとしての成仏」を説いている・・・・のだと思います。

「やはり世間で言うような『霊障』・・・・成仏できない霊のいたずらなのでしょうか。わかりますか?成仏の仕方なんて、だいたい亡くなった人が成仏してくれてるかどうかさえ私にはわかっていませんもの。私らが目指しているものも多分故人の成仏じゃなくて、残った家族の心の成仏じゃないのかなあ」そのとおりだと、私は覚醒しました。

 「死とは」「よく生きるとは」「死者との距離感」などの問題について、多かれ少なかれほとんどの人は疑問や不安感があると思いますが、この短編の中で著者は、亡くなった人の四十九日までの主人公の心の移り変わりを描いて「生命とは関係性を持つこと」というメッセージを紙縒りのエピソードを用いて極彩色に描いています。読み終えて、何か心が落ち着き、人に優しくなれるような、そんな小説でした。

 そして面白いなと感じたのは『アブラクサスの祭』です。この物語の主人公である僧侶の浄念は「分裂症まじりの躁鬱病」の患者であり、 それが彼のアイデンティティでもあります。 彼は通いの僧侶で、住職の宗に見守られながら修行を積んでいます。
若い頃はロック・ミュージシャンだった浄念は、僧侶としてのお勤めの合間に定期的にライブをやっているのですよ。 お寺は東北地のどこかにあるのですが次のライブはお寺のある町でやりたい・・・浄念は住職にそう申し出て玄宗もそれを承知します。この物語はライブの当日までの数ヶ月間について、浄念の日常と心の動きを追ったを作品です。「分裂症まじりの躁鬱病」を身近に経験したことがあるかたには、よりおもしろく読めるでしょう。私などうってつけですね。わたしは身近に経験していたことがあるので、ぞくぞくするほどのリアルな感じがありました。 あるシーンでは本を抱えて爆笑してしまったのですが、侑さんは病気の経験者ではないのかとしか思えないできばえです。並たいていのお坊さんではないですよ・・・と私が言っても説得力がたりないですね・・・ 

 他にも『まわりみち極楽論―人生の不安にこたえる』も説教じみていないで歩んできた道を解いて下さいます。素敵な作家さんに巡り合えた事に感謝しています。

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2009年3月28日 (土)

私の好きな画家~マルク・シャガール編

 シャガールは、ロシア西方の町ヴィテブスクのユダヤ人家庭に生まれた後、モスクワ、ベルリン、パリ、ニューヨークなどに移り住み、天性の色彩感覚と枯渇することを知らない想像力で、型破りの愛と聖の絵画世界をつくりあげました。ヴァイオリン弾き、婚礼の祝祭
、村人、牛・ヤギ・ロバ・鶏などのモティーフは、シャガールが幼少期に故国、とりわけ生地のヴィテブスクで見ていたものでした。忘れ得ぬ故郷の想い出は、Sag4 ノスタルジアとなって、シャガールの芸術をつらぬいていきます。

 幻想的な絵画は、ユダヤ教の象徴やロシア民衆版画などから来るものです。民族や、異邦人の悲劇、悲哀など、人間の苦悩が根底にあるものを描き続けました。未来派や前衛美術に多くの影響を与えました。

 初期には褐色系の色彩を基調とし、ゴーガンやナビ派の影響が見られます。パリに出てからは故郷ヴィテプスクやロシアの情景、幼い日々の家庭内の情景、祭りや婚礼などの絵を描きましたね。

 私が初めて作品に触れたときの感動は、これは天国のようだと思ったものです。異邦人の悲劇、悲哀などは無縁に思えたのですが、そうではなかった・・・よく観ると打ちひしがれた思いが伝わってくるのです。

 『異邦人』という歌がありましたね。まさしく、子供たちが両手を広げ、鳥や雲、夢までもつかもうとしています。男女が中むつまじくしている様はシャガールの妻ベラを亡くしてからの連作です。よほど愛していたのでしょう。ベラの死去後は花嫁と花婿を主題に繰り返し描いていました。

 1957年くらいから、ステンドグラスの制作を始めした。メッツ大聖堂(北フランス)、ハダサ病院(エルサレム)などにシャガールのステンドグラスがあります。是非観てみたいものです。1964年、パリのオペラ座の天井画を制作しました。

 毒舌家としても知られ、同時代の画家や芸術運動にはシニカルな態度を示していたそうですが、果たしてそうなのでしょうか・・・私にはそういう傲慢さが絵からは感じ取れないのですが・・・

 私は個人的に『イカルスの墜落』が好きですというか最近とても気になる絵のひとつです。イカルスは古代ギリシア神話に登場するアテナイの名工ダイダロスの息子です。ダイダロスはクレタ島のミノス王に命じられ、頭が牛で下半身が人間の怪物ミノタウロスを閉じ
込めるための迷宮(ラビュリントス)を作りました。しかしテーセウスがミノタウロスを退治するのを手伝ったために、今度は息子のイカルスとともにその迷宮に幽閉されます。彼らは脱出するために空を飛ぶことの出来る翼を作り、みごとに成功します。しかしその翼は蝋
と羽で作られていたためにイカルスが空高く飛び過ぎた時、太陽の熱で蝋が溶け、海に墜落してしまう・・・果敢に窮地から脱出したイカルスが、最後はその技術の未熟さで死を迎えます。この作品を完成させた年に90歳の長寿を迎えたシャガールは、いったいこの若者にどのような思いを巡らせたのでしょうか。

 また『顔の2つあつ花嫁』は、シャガールの作品に登場する人物は、現実にとらわれない自由な発想で描かれることが多いですね。それはルネサンスによって確立された、解剖学的に正しい人体の表現、つまりヨーロッパのアカデミックな人体表現とは全く別のものです。この作品でも腰から下は不自然に曲がり、奇妙なことに顔も二つ描かれています。向かって右の顔は大きな花束を見て感嘆の表情を浮かべ、左
の顔はベールに覆われながらも何かを見つめている・・・この二つの顔が何を意味しているのかは分からないが、おそらく右を向いた顔は結婚への期待を表し、左を向く顔はその後に続く現実の生活を冷静に見ようとしているものかもしれませんね。背景には動物と、笛を吹き太鼓を叩く楽団が小さく描かれています。あたかもこの女性は彼らの上空を浮遊しているようです。流れるような下半身がその浮遊感を強めていShagaru001 る作品でふと足を止めて見入ってしまいました。

 ピカソを連想させるような作品、『立体派の風景』も興味を注がれます。画面のやや左上にわずかに具象的な建物と人物が描かれていますが、それ以外はほとんど幾何学的な形態で占められています。また画面の下方には木片が貼付られたような表現も見え、これは立体派の創始者の一人であるピカソが壁紙の一部を画面に貼付けた方法の影響なのでしょう。この作品はそのタイトルが示すように立体派(キュビスム)のスタイルを採用しています。立体派の画家たちは、自然界に存在する物は全て球、円錐、円筒に還元することができるとセザンヌが指摘したように、幾何学的な形態によって事物を描こうとします。シャガールの絵画は幻想的でロマンティックだと思われることも多いのですが、シャガールは20世紀美術の理知的で革新的な造形言語も熱心に研究していた事が覗かれますね。

 また、シャガールは動物などの生き物に人間と同じような意志や感情を持たせることがよくあります。作品に登場する動物や大きな魚の目等にそれを感じることができるでしょう。これは、シャガールが生まれ育った東欧のユダヤ人社会で盛んであったハシディズム、つまり森羅万象、いろいろな物に神が宿るという一種の神秘主義的な敬虔主義の影響だといわれています。サーカスでは超絶的なアクロバットや猛獣使い、あるいは見せ物や道化など、日常を超えた出来事が起きます。それは現実と虚構が混沌とする不思議な世界であり、シャガールの描く世界と共通するものがあり、興味を惹かれます。

 これからも私はゴッホのように好きな画家として名を連ねたいと思います。

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2009年3月27日 (金)

私の好きな映画監督~北野武編

 武さんのねたはピンからキリまでありますが、私はあえて映画人の武さんに注目しています。それから俳優としても。

 1997年、映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞。発表直後、たけしさんは「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画目指す者に刺激になったと思う」と語りました。授賞式では「また日伊同盟を組んで他国を攻めよう」と英語でスピーチ。帰国時の記者会見で現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して笑いをとりましたね。

 その後、2005年4月、フランスの『カイエ・デュ・シネマ』創刊600号記念号の特別編集長を務めるようになりました。。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めRock184 た映画監督は、ジャン=リュック・ゴダール(300号)、ヴィム・ヴェンダース(400号)、マーチン・スコセッシ(500号)などがいます。

 2005年4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の教授および映画専攻長に就任しました。

 「キタノ映画」のビジュアル面での最大の特徴は、「キタノブルー」と評される青の色使い。また、多くの作品で登場人物の「死」が描かれ、青みの深い画面のもたらすひんやりした映像感覚とあいまって、全編に静謐な不気味さを醸し出しています。
 こうした一貫したカラーを持つ一方で、撮影時のアングルや編集のリズム、自身の絵画の導入、CGによるエフェクトなど、一作ごとに新たなチャレンジや創意も感じさせる。映像に一層の格調高さを与えている久石譲の音楽(3作目以降)も「キタノ映画」には重要な存在です。監督作品については、

・その男、凶暴につき(1989年)
ヨコハマ映画祭・監督賞
(第63回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第8位、第11回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第2位)

・3-4×10月(さんたいよんえっくすじゅうがつ)(1990年)
トリノ国際映画祭・特別賞
(第64回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第12回コハマ映画祭日本映画ベストテン第4位)

・あの夏、いちばん静かな海。(1991年)
第46回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第13回ヨコハマ映画祭・作品賞、監督賞
第65回キネマ旬報賞・読者選出日本映画監督賞
第16回報知映画賞・最優秀監督賞
第34回ブルーリボン賞・作品賞、監督賞
(第65回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第6位、第13回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第1位)

・ソナチネ(1993年)
タオルミナ国際映画祭・「カリッディ金賞」
コニャック国際映画祭・批評家賞
※イギリス国営放送BBC「21世紀に残したい映画100本」に選出
(第67回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第4位、第15回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位)

・みんな?やってるか!(1995年)

・キッズ・リターン(1996年)
第51回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第39回ブルーリボン賞・監督賞
第7回文化庁優秀映画作品賞・長編映画部門
第6回日本映画プロフェッショナル大賞・監督賞
(第70回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第2位、ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第1位)

・HANA-BI(1998年)
ヴェネチア国際映画祭・グランプリ(金獅子賞)
ニューヨーク国際映画祭・ヨーロピアン・アカデミー賞「スクリーン・インターナショナル賞」
サンパウロ国際映画祭・批評家賞
オーストラリア映画批評家協会賞・外国作品賞
第53回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
報知映画賞 邦画部門・最優秀作品賞、最優秀監督賞
第41回ブルーリボン賞・作品賞、監督賞
第49回芸術選奨・文部大臣賞映画部門
(第72回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、第20回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位)

・菊次郎の夏(1999年)
第54回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第1回文化庁優秀映画賞・長編映画部門優秀映画賞
(第73回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第21回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第5位)

・BROTHER(2001年)

・Dolls(2002年)
ダマスカス国際映画祭・最優秀作品賞
第4回文化庁優秀映画賞・長編映画部門優秀映画賞

・座頭市(2003年)
ヴェネチア国際映画祭・監督賞
シッチェス・カタロニア国際映画祭・グランプリ
トロント国際映画祭・観客賞(グランプリ)
第58回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第77回キネマ旬報賞・読者選出日本映画監督賞
(第77回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第25回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位)

・TAKESHIS'(2005年)

・監督・ばんざい!(2007年)
ヴェネチア国際映画祭・監督ばんざい!賞
アキレスと亀(2008年)
テサロニキ映画祭・ゴールデン・アレクサンダー賞(同映画祭の大Rock026 賞で、最優秀作品賞もしくは名誉賞にあたる。)
パストーネ・ビアンコ賞2008(白い杖賞)

とありますが、私は『あの夏、いちばん静かな海。』が大好きです。他の作風とは違って、映画評論家の淀川長治氏は「ビートたけしと言う人は、お年寄りの事を馬鹿にしたりするので嫌いだったが、この映画を観て考えが変わった、一度会いたい」という旨の発言をしていましたし、また蓮實重彦氏もこの映画を絶賛しています。

たけしさんが『文藝春秋』で勝新太郎と対談した際(これは1994年文芸春秋社刊行の勝新対談集「泥水のみのみ浮き沈み」に収録された)、勝氏から「お前、この映画撮ってて気持ち良かっただろ。でも観る側にすれば、これ程キツイものはないよ」と言われました。 黒澤明に高評価されたが、一方でよくわからないラストシーンはいらなかったと指摘されます。これに対して武さんははサービスだったとしています。(「黒澤明が語る日本映画論」より)
 脚本家の笠原和夫氏は当初この映画を酷評しましたが、後に北野映画全体への評価を改めています。その際に脚本執筆についての要諦をまとめた「骨法十箇条」を記しました。

 『座頭市』も爽快でよかったですね。私も淀川さん同様好きなこと言ってる嫌な人だと思っていましたが、年々好きになってきた方です。俳優としても、もっと活躍して欲しいですね。歳をおう毎に魅力的になる俳優さんを私は大好きです。

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2009年3月25日 (水)

私の好きな俳優たち~とよた真帆編

 学習院女子高等科在学中にモデルの仕事をはじめ、89年CX「愛しあってるかい!」で女優デビュー。テレビ、映画、舞台に出演する一方、写真や絵画の個展を開くなど幅広く活躍。また、ディノスで洋服やアクセサリーなどのデザインを手掛ける「MAHO*STYLE」をプロデュースしています。2002年映画監督の青山真治さんと結婚。来年フランスで開催される世界の映画監督による「ランヴェール・ド・ラ・トワル」展では夫婦でコラボレートするとが決まっていました。現在、NHKハイビジョン特撮ドラマシリーズ「生物彗星WoO」、NHK教育テレビ「イタリア語会話」に出演中なんです。ここ数年で急成長を遂げ、連続ドラマだけでなく、単発2時間ものでよく見ていました。元々私が真帆さんを好きになったのはモデル時代からで、あどけない顔が印象的でした。あっという間にテレビのあちこちで見るようになり、髪型やきている服までチェックするようになりました。 『一に睡眠、二に食事。どんなに忙しくてもこれさえ充実していれば、絶対に文句を言わないし、毎日を気持ちよく過ごせるんです。』と言う真帆さん。気取ってなくて3枚目も時折見せ、主役も脇役もこなせる役者さんですね。

 <連続ドラマ>
1989/09~12 フジテレビ「愛しあってるかい」                                 Maho002
1990/01~03 TBS「トップスチュワーデス物語」
1990/10~12 フジテレビ「すてきな片想い」
1994/04~06 TBS「パパとなっちゃん」
1991/07~09 TBS「結婚したい男たち」
1993/01~03 テレビ朝日「いちご白書」
1994/01~03 TBS東芝日曜劇場「Sweet Home」
1994/04~06 テレビ朝日「彼と彼女の事情」
1994/10~12 TBS「夢みる頃を過ぎても」
1995/01~03 日本テレビ「ステイション」
1995/03~08 NHK「宝引の辰捕者帳」
1995/07~09 TBS東芝日曜劇場「パパ・サヴァイバル」
1996/04~06 日本テレビ「竜馬におまかせ!」
1997/02~03 NHKドラマ新銀河「名古屋お金物語2」
1998/01~03 TBS「SWEET SEASON」
2000/07~09 日本テレビ「億万長者と結婚する方法」
2001/07~09 テレビ朝日「生きるための情熱としての殺人」         
2002/05~06 フジテレビ「空から降る一億の星」(第6話~)            
2003/01~03 TBS「刑事★イチロー」
2006/04~ NHKハイビジョン/特撮ドラマ「生物彗星WoO」
2006/11~12 TBS 日曜劇場「鉄板少女アカネ!!」
2007/05~06 NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」
2007/07~09 テレビ朝日「警視庁捜査ファイル さくら署の女たち」
2008/04~06 テレビ東京「密命 寒月霞斬り」
2008/07~09 テレビ東京 ドラマ24 「ウォーキン☆バタフライ」

これだけでも凄いのに単発の数は連続を上回っています。
 連続では、推理のも、サスペンスものが多く、推理作家、推理好きのカメラマンなどは印象的です。最近は洋服やアクセサリーなどのデザインを手掛ける事のほうがお忙しいのか、あまり見かけません、残念です。でも結婚なさったのですね、良かった、良かった!
まさか女優業をおやめになった訳ではないですよね。元気な顔を見せてください!!

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2009年3月24日 (火)

私の好きな作品たち~辻 仁成編

 私にはもう恋愛小説は・・・なんて思っていたら大間違いですね。いくつになっても恋心は持っていたいものです。そう思わせてくれた作家さんに辻さんがいました。中山美穂さんの旦那様といったほうが解りやすいでしょうか、それともミュージシャン?

 私は正直なところ、ミュージシャンだと思っていたので、作品と辻さんがどうもうまく繋がりませんでした。でも、『サヨナライツカ』を読んでミュージシャンのイメージは払拭されました。「人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと愛したことを思い出すヒトとにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す」。“好青年”とよばれる豊は結婚を控えるなか、謎の美女・沓子と出会う。そこから始まる激しくくるおしい性愛の日々。二人は別れを選択するが二十五年後の再会で…。愛に生きるすべての人に捧げる渾身の長編小説です。

 この本は描写を超えて ふたりの主人公を感じることができます。 二人に訪れた遅すぎた運命の出逢い、切ない愛の契り、苦悩の中二人が選んだ 選択と決断、人生をかけた愛・・・ ふたりの様々な心情に、何とも言えぬ思いで胸が締め付けられました。
受け止め方は人それぞれだと思います。 「別れてしまってもこんなにも愛せる人と巡り会えて幸せだ。」 「こんなにも愛せる人と巡り会えたのに人生を共に歩めずに不幸だ。」 きっとその答えは、冒頭の『人間は死ぬとき・・・』を自分ならどう思うかで 違うのかもしれません。 女性側からの視点で見ると、豊をズルイ、卑怯と思う女性もいるかと思います。でも、沓子は愛しているからこそ自分の愛から開放し、彼の幸せを願った。 そこには束縛や嫉妬や計算、損得勘定もない、ただ沓子の深い愛だけが 存在していたのだと思います。 彼を愛し続けることに、想い出に生き続けることに人生を捧げた沓子は強く そして純真な女性です。
 簡単に出会いや別れを繰り返す希薄な男女関係が多い現代だからこそ、 若い方にもぜひ読んでほしいですね。
 もちろん、年齢を重ね心から誰かを愛し辛い別れを経験した方も、 きっと心にしまっていた何かを感じることでしょう。 個人的にはハードカバーがおすすめです。 二人が愛を育んだ表紙の写真がより想像を深め、本棚に大切に置かれる日がきっとくるからです。

 その反面、何十年という時を経て会えないままこんなにも想っていられるだでしょうかという問いに突き当たるでしょう。
 人生を共に歩めなかったがずっと心の中にいた沓子、人生を共に歩めたが自分だけではない妻光子、 自分だったら女性としてどちらが幸せだっただろうか・・・きっと一番幸せで、そして一番辛く苦しかったのは豊だったのかもしれません。 もしMich015 、地位や名誉を捨てて、誰かを犠牲に周りを不幸にしてまで、ただ心のままに生きることができたらなら・・・
そうは出来ないと暗黙の了解の中ふたりの揺れる感情を思うとせつなくなります。そこで私は考えました。相手が幸せであれば自分も満足できると私は思います。現に私がそうでしたから。25年好きでもう私には遠い存在のなってしまった彼は今頃奥さんと子供と幸せ
な日々を送っているでしょう。彼が幸せな顔をしているのを想像すると、最初は辛かったですよ。でも彼は私の中でどんどん膨らみ、もう異性としての存在を超越してしまいました。好きな野球も腕を壊してから痛み止めの注射を打ちながら頑張る人でした。時々、新聞で試合結果を見たりしていましたが、今はもう大丈夫です。死ぬ時に、愛した人がいたことは幸せだったときっといえると思います。
 その人とはこの先出会う事が無いのが小説と違う事ですが・・・

 『愛をください』はまた異色の作品です。文通を通して心を開いていく純粋な愛の物語です。施設で育ち自殺しようとした18歳の遠野李理香のもとに1通の手紙が届く。函館に住む長沢基次郎という23歳の男性からだった。同じ境遇の基次郎に心を開き手紙のやり取りをする李理香。その文通には意外な事実が隠されていました。
 小説では決して会わない約束をした二人がやり取りする手紙の文面が綴られています。
最初は愛を嘘と欺瞞に満ちていると思っていた李理香が基次郎との手紙のやり取りで真実を書くことを通じて人を信じることや愛することに目覚めていきます。

 メールの普及で手紙を書く機会が随分減りました。でも相手の筆跡にぬくもりを感じられるのは手紙ならではですね。手紙といういまや消滅しつつある方法でコミュニケーションをするのもいいですね。何度も読み返すことが出来るし、書いた人の家とか地方とかの臭いが手紙に残りますよね。これほんとです。
 「世界の99%は嘘でできていて、 誰もがみんな幸福そうな顔をしては嘘をつきあって、孤独なくせに孤独じゃないふりをして メール仲間を増やしたりしている姿は、 愚かすぎて同情もできないし、 呆れ果ててまねる気にもなりません。」
私たちが孤独を「嘘」や「振り」で隠している姿を 痛烈に批判する、主人公の感情を綴った書き出しの章の一部です。

 主人公の女性は、 そのような感情を抱く自分自身に対しても とても冷淡な視線を投げかけます。
 話の展開としては、 この女性がある人との文通を通じて、人に対して心を開いていく様を描いています。 でも、この本の注目すべき美しい点は、 冒頭の主人公の「人を信じることのできない」感情を綴った箇所にあると思います。 私は、そこからある種の真実を感じ、感銘を受けました。

 『海峡の光』は、舞台は函館のとある刑務所、そこで主人公は受刑者として現れたかつての同級生と出会います。優等生の影で残酷な人間性を持った彼の変化とそれに対する自らの心境が暗く淡々と描かれる世界観を、暗い海に投影しています。
 監視される立場と監視させる立場の2人を隔てる暗い暗い海の中に、一本の光を見出せるか否かの人間関係を深く描いた辻仁成の最高傑作だと思います。文章の運びや言葉では最近の作品の方が洗練されている感もありますが、読者に直に訴えて来る圧倒的な重々しさは他作品とは一味違った独特の深さを漂わせています。辻氏の著書『函館物語』にて、訪問した函館少年刑務所、インタビューした元青函連絡船乗員などをベースにかかれた作品であると思われます。

 物語は、連絡船の元客室乗務員で、現在、函館少年刑務所の看守である主人公が、刑務所に小学生時代に苛められた同級生が入所されたり、青函連絡船が廃止になることで元同僚の乗員達とのわだかまりができたりする中で、揺れる気持ちを描いています。 随所に「函館物語」で、記された「言葉」がでてくる。「函館物語」で聞いた事実を組み合わせて物語に仕立てた辻氏のセンスは、素晴らしいと思いました。

「私は彼のまるで詩でも朗々と読み上げるような口ぶりから、自分が過去に苦Romann002しんだ日々の記憶を思い出してはそっと奥歯を噛み締めた。」と言った一説があります。まるで独房にいる花井が刑務官で、自由が保障されている自分こそが囚人...そんな逆転した関係性
は斎藤を苦しめ続けた"闇"そのものであり、斎藤の人生を捕らえ続 けた暗部が生々しく照射されています。
 暗闇に佇むとどんなに微細な光でも視認することは出来るが、光で包まれた世界にどれだけ光が自己主張をしてもその光がどこにあるのかまではわからない。タイトルの『海峡の光』に込められた意味が最後まで読むと自然と明らかになってきますが、その意味を知った瞬間、私は身震いを止めることができなかった。それほどプロットが練りに練られていて、純文学の真髄が味わえる名作なのでしょう。
 

 純度の高い文章と共に二人の間に底流する体温をぜひみなさんにも感じとっていただきたいです。漆黒の闇がどこまでも終わることなく人生を支配していく条理に無情さを抱きつつ・・・

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2009年3月23日 (月)

私の好きな選手たち~イチロー編

 今ははWBCでちょっと元気の無いイチロー選手。日本で活躍していた頃は凄い記録を撃ちたてながらも、それほど気になる選手ではありませんでした。2001年メジャーに入ってからです。年々線が細いと思っていた体が肉体改造したかのように外国人選手にひけをとらなくなったと思い出したのは・・・

 当初は、日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多くありました。あるマリナーズの番記者は、日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球をたたくように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投Itiro001 手と野手が相手では歯が立たないだろうと思われました。そのうえ、パワーもなさそうだった」と述べ、当時のマリナーズの監督だったルー・ピネラも、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30、まあ得点
は稼いでくれるだろう」とそこまで大きな期待はしていなかった。「51」という背番号をつけることになったときにも、当時のマリナーズには「背番号51」はランディ・ジョンソン(1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られてはいませんでした。その後の活躍で、このことを取り沙汰するファンは誰もいなくなりました。前述の番記者も、シーズン開幕から1か月半後の『シアトル・タイムズ』紙に、「お詫び」のコラムを掲載したほどです。その後、日本プロ野球とメジャーリーグのシーズン最多安打記録を保持しており、驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称されます。米国においては、その巧みなバットさばきの様子から「wizard(魔法使い、魔術師)」と呼ばれています。

 イチローのバッティングスタイルは、変化球を打ちにいき、直球を“詰まりながら”内野と外野に落とす、または、あえて相手投手の決め球を狙って打ちにいきます。アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、一塁への到達時間が短いのですね。バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ためでです。そのため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるようなボテボテの内野ゴロ
が安打になることが多いのです。日本時代は全安打の約16%、メジャーでは全安打の約22%を内野安打が占めており(2008年シーズン終了時点)、内野安打の多さは突出している。さらにこのような内野安打は「狙って打っている」と語っています。2001年は打率.350をマークしましたが、242安打中62安打が内野安打であり、内野安打を全てアウトとして計算すると打率は.260に過ぎない。262安打を放ち打率.372で首位打者に輝いた2004年も、内野安打58本を全てアウトと換算すると打率は.290に留まる。毎年記録される高打率はこのような内野安打を打つ技術に裏打ちされて生まれていることは明白です。でも、イチロー本人は意外にも「(内野安打では)見てる人もつまらないでしょ」というコメントを残しています。(余裕~)現役プロ野球選手としては小柄なほうで、本塁打数も歴代シルバースラッガー賞受賞者の中でも最も少ない部類に入るイチロー選手。ただし、本塁打に関しては、前マリナーズ監督のボブ・メルビンがケーブルテレビ局・ESPNに「(試合前の)彼の打撃練習を見てみなよ。いつも山ほど(ホームランを)打っているよ」と語っているように、ウェイド・ボッグスと同じくあえて試合では単打狙いに徹していると言われています。コラムニスト・木本大志氏は、イチローが内野安打を打った時と本塁打を打っItiro002 た時では軸の位置に違いがあることを言及しています。イチロー自身も『ニューヨーク・タイムズ』紙に「僕にとって、フライを打ってから『あぁ、多分ホームランになるな』と思うシチュエーションになった事は一度もない」と語っていることから、本塁打は意図的に打っている事が汲み取れます。実際それは記録上にも現れており、日本時代の1000本安打目を始め、節目の安打は本塁打が多く、メジャーでの通算本塁打のうち3分の1以上が初回先頭打者本塁打です。2007年のオールスター後のインタビューでは「(打率が)2割2分でいいなら、40本(打てる)と言っておきましょう」と冗談混じりながら語っています。

 「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視し、四球を望まず積極的に打ちにいくタイプで、三振・四球ともに少ないですね。ただ敬遠の数は多く、年10回以上されることが多々あり、通算でも200個を超えています。書籍『イチローイズム』では、著者の「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で、3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」という質問に対し、「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えています。2005年は年間最多安打記録を更新した翌年だけに打率4割を期待する声も強かったのですが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮し、4割の大台達成よりもむしろジョー・ディマジオの持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解を示唆しました。対して本人はインタビューでの『打率4割とメジャー最長記録である56試合連続安打、どちらのほうが達成は難しいか』という問いで、56試合連続安打のほうを選んでいます。まさに職人ですよね。

 打席に入ると背筋を伸ばし、やや後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、1996年シーズンから必ず行うようになりました。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する動体視力を一時的に上げる効果があるとも言われています。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「magic wand(『魔法の杖』の意)」と称されます。メジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、ハイキックをやめてオープンスタンスを採用するなど、止めどなく変化を続けるバッティングフォームであるが、2004年シーズン中である6月24日の夜に行ったフォーム改造で、「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っています(この時、なにかが降りてきたかのようにフォーム改造を思いついたことから、一部で「シスラーが憑依した」とも言われた)。
このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っています。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えています。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えました。

 2001年のメジャーデビュー当初、元マリナーズのチームメイトであったジョン・オルルドはイチローの打撃について5通りの打ち方をすると評しました。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりな
がら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力で引っ張るバッティング)であるといいます。2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった強肩に加え、「レーザービーム」と称されるコントロールのいいスローイングのため、他球団からは最もタッチアップしにくい外野手に挙げられています。コントロールの良さは、マリナーズのCMのメイキング映像で、外野からキャッチャーミット目がけて指定したコースにカーブを投げ、ストライクになっている事からも窺えます。

 記録には出ないファインプレーも魅力の一つになっています。この守備はメジャーでも高い評価を受け、ゴールドグラブ賞を2001年?2008年の8年連続で受賞しています。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりするのですから驚きです。この事からイチローの守備する右翼は、その背番号と超常現象がよく確認されるというネバダ州の米軍秘密地区に掛けて、「エリア51」と呼ばれていました。

 「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」ことなどを挙げています。

ニューヨーク・ヤンキースの捕手ホルヘ・ポサダはイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同チームの王建民は試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。同僚のジャロッド・ウォッシュバーンは「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評しています。

 チームが勝利した試合であっても自分に安打が出なければ「つまらない」とコメントするように、ある種独特な野球観を持っていますね。更に孤高な態度も相まって、チーム内からは、イチローがチームワークを乱すとの不満が度々表面化しています。2007年5月のタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)戦前には、イチローはわがまな選手だとの声がチーム内で聞かれ始めたことを受けて、当時の監督マイク・ハーグローブが急遽ミーティングをして沈静化しており、2008年には『シアトル・タイムズ』紙が、“信じ難い人数のチームメートがイチローを嫌って”おり、彼らがイチローを”殴り倒してやりたいと話していたのを耳にしたと言う内部者の話を掲載しています。この時は当時の監督ジョン・マクラーレンによってミーティングが開かれたといいいますが、記事掲載当時の監督代行ジム・リグルマンとJ.J.プッツはこれを否定しています。2009年にニューヨーク・メッツに移籍Itiro007したJ. J. プッツは『シアトル・タイムズ』紙に、「マリナーズ内にチームプレイヤーではない奴がいた」として、イチローを遠回しに非難しているそう。更に、米大手スポーツサイトは、「WBCを辞退すべき5人の選手」と題した記事の中でイチローの名前を挙げ、「チームは新監督を迎え、自身の性格について疑問が投げかけられる状況なので イチローは(マリナーズのキャンプに参加し)チームメートと親睦を深めることに 時間を費やしたほうがよい。」と述べました。 東北楽天の野村克也監督は、「(イチローは)マリナーズ で評判悪いらしいやないか。 チームメートが全然相手にしていないらしい。 団体競技なのに、嫌われたら話にならんだろ」とコメントしています。これも職人気質が災いしているだけで、イチローがいなくなったら、また逆の評判がたつんでしょうね。気にしない、気にしない。

 普段はメディアの取材に積極的に応えることはありませんが、糸井重里氏との対談で、「僕はゲームの後にその日の試合のことについて語ることを、あまりしていません。それは真剣に見てくれている人々のことを考えると、いい加減なことを言えないからです。適当にあしらうことはできないんです」と語っています。「オフになってからは『イチローは何を考えているのだろう』という質問に答えることにしています」との言葉どおり、オフの特別番組やロングインタビュー等には積極的に応じています。同対談では「一時的な注目ではなく、何年も僕に興味を持ってくれる人達とは、もう一生の付き合いだと思っているんです」とも語っていいます。現在39歳になるとは思えない俊敏さをずっと見守りたい気持ちで一杯です。

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2009年3月22日 (日)

私の好きな作品たち~保坂和志編

 『この人の閾』で芥川賞っを取った保坂さん。私は彼のような小説、とても好きです。

 『この人の閾』に収録されている作品も含めて、保坂和志の一連の作品に共通して言えることですが、作品を紹介するのにストーリーの概要を使うことは、まったく無意味です。

  『この人の閾』では、小田原に出張した男が空いた時間をつぶすために、大学時代の友人である女性の家を訪れるという、ただそれだけの話ですし、『東京画』は玉川上水の近くに引っ越した男がその町の様子をつらつらと眺めるという、ただそれだけの話です。

 『夏の終わりの林の中』では男が女にさそわれて自然公園の中001sway を散策するだけだし、『夢のあと』も知り合いの笠井という人といっしょに子供の頃に遊んだ場所へ行く、というだけの話なのです。こうしてシチュエーションだけ書き並べてみると、何か大きな物語に発展していきそうな雰囲気ではありますが、一連の作品では書かれてある以上のことは何も起こりません。深読みすらさせてもらえない。「三十代後半の男と女が昼下がりに会うなんて"昼メロ"ならそのまま十年の不在の時間を越えて常時の始まりになってしまうが、ぼくと真紀さんでは十年の不在は「不在」よりももっと何もない(『この人の閾』より)」と作品の中でことわっているように、著者はおそらく、そういった物語の流れを意図して避けて作品を書いているのでしょう。それでいて、これらの作品は小説として充分楽しむことができるのです。キーとなっている「十年ぶりに友人に会う」「××町の移り変わり」「松林が極相林へと遷移していく」「昔遊んだ場所を訪れる」・・・ですが、よくありがちなノスタルジーのようなものはありません。そこに起こった変化をそのまま描き、ふと何かを感じたり考えたりする。おしつけがましいものが何もない、というのも、この作品がもつ味わいのひとつでしょう。
 練りに練られたストーリーのもと、魅力的なキャラクターが事件に立ち向かったり大活躍したりする、激しい動きのある作品も好きですが、保坂さんの作品のように、ゆるやかな時間の流れを思いながら、それなりに生きる姿を描くものも好きなんです。
  たとえば、この中の 『東京画』で、路地裏でじいさんが夕涼みをしている光景を見て、執拗に考えをめぐらせたりするところとか『夏の終わりの林の中』で食物連鎖の話なんかを登場人物がずっと会話してたりするところとか、こういう題材でふつうだったら面白くなんてならないんじゃないかな、とおかしみさえ感じます。
 そして、こういうところから哲学的になったりするのがとくに好きなところです。哲学的というのもちょっと違うのかもしれませんが、逆に言えば、哲学に私が求めるものが保坂さんの小説やエッセイの中にあるということです。哲学といっても難解なことでもなく、ふだん意識に上らなかったり、追求して考えなかったりするようなことを、捕まえてみせてくれる、という感じでしょうか。

 ですから、「あぁ、そういうことか」とか「そうそう、そうなんだよなぁ」とか「うんうん、わかるわかる」みたいな反応が引き起こされます。
 なので当然、『プレーンソング』もその流れを汲んでおり、「何も起こらないこと」というジャンルが、映画や文学の中で確かにあるという確信を懐くようになったのは、保坂和志さんの文学に触れるようになってからの事だと思うのですが・・・
 この時間の感覚は日常生活そのものですが、それを小説を読むという形で追体験する経験自体が、何かしら官能的なものがあるように思えるのです。
 小説を1冊読みきるのは、何かしら一つの体験を通り抜けるという事なのですが、この小説を通り抜けたあとは、夏の日の眩しさと若い人に特権として与えられている、豊穣な時間の跡が体の中に残ります。読んでいるときはそうは感じないのだけれど、地の文がとても長い。文章に独特のリズムがあって、ゆるやかになのだけれどなんとも腰の強い文章だという感触があり、それとあっさりとした描写と会話文の落差がこの、妙な雰囲気を醸し出しているのではないかと思います。そして、その中で時々挿入される「ぼく」の考察はなかなかに深くて、つい一緒に考えてうなってしまう・・・そう思いませんか?きっちりした事件を元に起承転結がある「物語」があってもいいし、しかし徹頭徹尾だらだらと続く、そしてこの物語が終わった後も続いているような「物語」があってもいいと思うのです。どちらも「物語」だと思うから。多分、後者はよう子の言う「日帰りで行ける場所」だったりするのかも知れないな、と思いますが・・・

 『猫に時間の流れる』は「あることがきっかけでぼくは猫とつきあうようになったのだが、猫、とくにノラ猫をみているうちに、彼らの生きる現実というのは可能性の海にぽつんと浮かび出たとても見つけにくい孤島だという感じを持つようになった。彼らの生きる現実は、こちらが思い描くいくつもの想像や推察の一つとしか交わらないし、交わりそびれることもいくらでもあるからだ。死んだ人間が残すわからなさは、動物の場合には生きているあいだもつねにあるというのが、「猫に時間の流れる」を書いた動機となっている。」と言われています。

 保坂さんにとって、「猫」は「死」という主題と同等かそれ以上の重みを持っていま031steiす。保坂作品は、「死」そしてそれに付随して「時間」や「記憶」が中心的な主題になるというか、どの作品もこれらの主題を繰り返し思考し続けています。
「猫」もまた同様であるが、つまりこれらはみな人間にとって「他者」あるいは「外部」なのです。そして、この「外部」の持つ「わからなさ」は、文学を豊かにしてきました。とりわけ、保坂さんの語りを饒舌なものにします。我が家にも猫がいながらそんなふうに考えたことが無かったです。確かにそんな風に考えると、彼らの行動は「わからない」ですね。でもそこで考えてみる・・・それが大事だと教わった気がします。

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2009年3月21日 (土)

私の好きな作品たち~矢作 俊彦編

 70年代を通じ短編小説、漫画を手掛ける傍ら、ラジオ・TVドラマの構成作家としても名を成し、日下武史による長編朗読劇『あいつ』(FM東京)で特に高い評価を得た矢作さん。   

 1977年 初の長編小説『マイク・ハマーへ伝言』を上梓、日本人ばなれしたスタイリッシュな、ハードボイルド小説の旗手として、注目を集める。1980年には、漫画界の新星大友克洋との共作『気分はもう戦争』を漫画アクションに連載開始(単行本刊行は1982年)。当時、気鋭の作家同士のコンビとあって話題ともなり、現在でも読みつがれるロングセラーとなっています。

 1980年代には、単独作及び司城志朗との共作で、ハードボイルGc087 ド作品、冒険小説、カー・アクション小説などを発表。また、漫画家谷口ジローさんとも、「マンハッタン・オプ」シリーズの挿絵担当、共作漫画『サムライ・ノングラータ』などでコンビを組んでいます。1997年の大作『あ・じゃ・ぱん!』は、偽現代日本史として、また世界の文学作品のパロディを縦覧網羅した奇書として、福田和也氏(『作家の値うち』では90点)や?秀実(『ららら科學の子』を凌ぐ怪作)など批評家から高く評価されました。同年より「文学界」に連載した『ららら科學の子』は、米国における同時多発テロの影響で執筆中断を余儀なくされたが、2003年に刊行。やはり福田和也が週刊新潮の「闘う時評」で激賞し、朝日新聞「回顧2003 文学」の「私の3点」に挙げるなど読書界の話題を浚いました。

  司城志朗氏との共著『暗闇にノーサイド』はインドシナで紛争に巻き込まれクメール・ルージュの捕虜となったタツヤはスパイと疑われてホォ・グァン将軍によって拷問を受ける。その後、大金を手に入れたタツヤがホォ・グァン将軍に復讐する物語。クメール・ルージュが跋扈したカンボジアから始まり、一路香港、フランスへと舞台を移す、長い復讐の旅路。
 
 特筆すべきなのは、その国際背景を舞台にしつつ、諧謔を飛ばす登場人物達で、特に主人公を助け、最後の戦いまで付き添う傭兵、ジョウ・ラミレス・モルテスのカッコよさときたら!。ガバメントを手に「拳銃が俺のパスポートだ」とか言うのだから、モデルは一発でわかりますよね(笑)。また、ヒロイン?である、蘇・海鈴(アイリーン)も魅惑的な美しさと影の持ち主です。でも、そういった背景だけではなく、例えば脇役の登場人物にすら、いささか冗長ともいえる生い立ちをインサートする。その生い立ちに関わる歴史的事件を把握していればしているほど、この物語の深みというのがわかるでしょう。ちなみに客家、OASについては初めてこの小説を読んでから知った口。ラストの仰々しい仕掛けっぷりは・・・ここは読んで頂きたいです。
 
 冒険小説といえば、古今色々な作品があるますがその中でいまだに読み返す回数の多い冒険小説に、矢作俊彦氏と司城志朗氏の合作で送り出された『暗闇のノーサイド』『ブロードウェイの戦車』『海から来たサムライ』の三作があるほど有名ですが、実は私は知りませんでした。

『ブロードウェイの戦車』は、前作で主役を喰いかけていたジョウ・ラミレス・モルテスの元上官の死から始まります。ジョウの過去であり、傭兵達の栄光の場所であったアフリカのコンゴ動乱についてある程度知識はいるでしょう。そして、舞台は、ニューヨークのマ
ンハッタンへ。相手はイギリス、ソビィエト、アメリカ、そして大企業。ジョウは亡き上官が果たせなかった作戦の発令書を手に、かっての仲間達へ声をかけるのですが・・・
 元々タイトルからして、矢作俊彦の短編集「ブロードウェイの自転車」から取られていますが、この作品でもお遊びは随所にある(例えば、シングルアクションのコルトをファニングするジョウとか。どこがお遊びなのか、知らない人はこの作品の肝心な部分の面白さが
わからないかも・・・)、アーパ・ネット(インターネットの前身)が出ていて吃驚としましたね。

1984年当時、ちゃんとネットでの検索シーンを出していたとは。また、MP5SDをメインアームズにしようとするくだりもあります。(作中では、出たばかりで、マック11で我慢しろといわれていますが)。古式ゆかしい。というわりには当時の最新のガジェットは出てきていたのだ。しかし、テーマにも関わりますが、どこかノスタルジックさ加減が漂う物悲しさがあり、最後のラストシーンまでの流れるような展開は見事です。

 『海から来たサムライ』は、それまでとは違って時代を遡って、明治時代の日本、日清戦争を前夜に、畏こき方からの命もあって、動乱のハワイへ向かう元海軍士官の鹿島丈太郎が主人公です。この物語も、随所にお遊びが出てきますが、洒落にならないのはそのお遊びのヒネくれ具合。でもそういう部分も差し置いても、出版時期から察するに、かなり先取りしている話題が多いと思います。例えば、物語の最初と最後に出てくる海軍「浪速」艦長の、東郷平八郎や、陸奥宗光。そして、主人公達を助ける博覧強記でありながらメカにはまるでダメな南方熊楠。最初読んだとき、ネタ?と思っていましたが数年後の熊楠ブームで吃驚!だとは、1980年代です。そんなに知られた人物?作者らの先見というべきなのでしょうか。また、ハワイのダイアモンドヘッドの要塞に仕込まれたモノとか、初めてのサーフィン。真珠湾でヒロインがつぶやく台詞など、随所に色々なネタが満載でした。

 『マンハッタン・オプI』は、きっとそれなりに皆さん好みがあると思いますが、ここまで短編でやるとは!本当にびっくりです、とてもクオリティが高いと思います。
『ハードボイルドする』のは、簡単そうに見えてかなりの高度なテクニックが必要です。ただの1人よがりの1人称では到底醸し出せない直接語らない重要な何かを読者に響かせなくてはハードボイルドできないからです。そのため、どうしても情報量として分量が多くなります。ですから有名なハードボイルドは長い小説が多いと私は思ってます、トリックも、伏線も、背負う傷も、最初の巻き込まれ方、「私」のスタイルも、お酒も、様々な手垢がついているとしても、そうする事でしかなかなか『ハードボイルドする』のは難しいからです。 つまり、その世界に、『読者』を巻き込める、読ませるチカラが無い限り、客観性が『ハードボイルド』させてくれなくなってししまうのです。 それを、短編で!やるなんて、相当技術がないと出来ないと思いますが、もう見事です。

 『サムライ・ノングラータ』もお勧めです。ハードボイルドだど!!

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2009年3月20日 (金)

私の好きな作品たち~高嶋哲夫編

 サントリーミステリー大賞を授与したときから富み始めたので、読むう順番が逆になってしまったのですが、魅力的な作品を書いていらっしゃる方です。慶應義塾大学工学部卒業、大学院修士課程修了。 日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。帰国して学習塾を経営しつつ、小説を書いていました。

 1990年 - 『帰国』で第24回北日本文学賞を受賞。
 1994年 - 『メルトダウン』で第1回小説現代推理小説新人賞受賞。
 1999年 - 『イントゥルーダー』で第16回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。

と年々実力を発揮している高嶋さん。『イントゥルーダー』では。真相追求の過程で,知らなかった息子の人間像が浮かび上がってくる・・・交通事故に合って瀕死の状態に陥っている息子の存在が突然明らかになった、スーパーコンピュータ会社の副社長、羽嶋。息子の事故原因を追求する過程で、徐々に明らかになる原発建設の裏。
さすがに、原発研究者の作品だけあって、原発にかかるディーテールはしっかりしていて。妙に絵空事のような感じがしないのには感服しました。原発建設は膨大な利権がからむため、これに群がる勢力が多数存在します。中には、工学的正論をも排してそれを食い物にするきわめて厄介な勢力が存在します。工学的正論を得た主人公と「極めて厄介な勢力」との暗闘がこの小説の筋書きです。
 

  高嶋さんはは原子力工学を熟知しており、現存する原発に関し263kand て事実であるかどうかは別として、工学的見地での小説としての記述に間違いは無いのでしょう。問題は、この小説の筋書きがフィクションとして読み過ごせるのかどうかです。個人的な感想としては、小説の中に散りばめられた個々の事件は別としても、大枠の経緯や結果としての事実関係があまりにも酷似しており、今読み返してみると衝撃を覚えずにはいられません。

 『ダーティー・ユー』はまた違った背景があって、面白かった作品です。アメリカ生まれの帰国子女(?)で中学2年生の小野田雄一郎(YOU)が、経験する日本の中学校での経験。     彼のこれまでの経験は全てアメリカの習慣に基づいている。唯一例外なのは、母に教え込まれた家庭内の日本教育でした。米国式教育を受け、そういう友人と共に育ったYOUが、日本の中学校に放り込まれて、どう感じるのか、どう反応するのか? いじめられていた友人が、屋上から飛び降りて死んだ。やがて、YOUが弁護士を雇って、イジメ殺人事件の裁判を起こすというもので私の中では問題作です。

現在の日本では、高校生年代の凶悪犯罪が社会的関心を受けています。 2000年前半の例では、バットによる母親殺人、牛刀によるバスジャック殺人事件、近隣一家6人死傷事件と暇がありません。 日本の教育機関の中で、イジメが問題になってから久しく時が流れました。この本では、作者の米国での経験が反映されているものと思います。
 特に、イジメに対する防御方法をYOUは示しています。YOUは精神的に強い。 本文の中でも述べていますが、「いずれアメリカに帰るんだろう」を本人が認めたら、日本に根を張る中学生には理解しがたい行動なのでしょう。イジメのボス的存在「新藤」に対して、教室の椅子を振り上げて対向する。この行為によって、YOUはイジメの対象から外される。ここまでやらないと、イジメに対抗できないとすれば、体力が無い小柄な男にはイジメ対策は無いのでしょうか・・・高嶋作品なのですが、ミステリーではないもですが、テーマそのものが現代のミステリーですね。中学生、高校生に読んでもらいたいのですが、大人の人も読んでみて考えて欲しい1冊です。日本国内では気が付かない視点から、イジメ問題を根底からえぐる問題作です。

 『トルーマン・レター』も高橋さんの得意分野の電子力とは関係が無いように思われる作品ですが、私は割りと好きです。

 新聞記者を辞めて失業中の峰先は、J大学経済学部の河田雄一郎教授を訪れた帰り道で、公園で争っている外国人同士を止めに入った。その後、ふと手に取った雑誌の中から、1通の古ぼけた英文の手紙が出てきた。この手紙を手にしたことで、いざこざに巻き込まれたようで、何回も襲われた。手紙は友人の英文学者園田美弥子に託し、解読したところ、米国33代大統領ハリー・トルーマンが愛人に宛てた私信で、広島原爆投下の恐るべき理由が書かれていました。
 折りしも、現米国大統領のアルバート・チェアマンが8月6日の広島平和式典に出席するとが間近に迫っていた一方、沖縄米兵によるレイプ裁判で反米感情が高まっている中で、この手紙を公開したらどうなるか? 考えるのも恐ろしい、暴動的大統領非難が起こるのは目に見えていた。真実を公開することが正義か、自分の記事がきっかけで自殺した少女の面影がよぎる・・・と言う内容で女性にとっては屈辱的なレイプの恐怖シーンから始まりますが、テーマは単なる沖縄米兵問題ではありません。偶然手に入れた、インクが滲んだ古い手紙をコンピュータ技術で読めるまでに再現した手順や、サインを比較する鑑定方法など最新技術が活用されるなどの巧さがまたいい味を出していています。大統領訪米の直前に、この手紙を公開すべきか否か?真実の報道は正義と信じて自分が書いた記事が、結局は明るい女子高生を自殺に追い込んだ「報道する責任」と「報道した結果の責任」の板ばさみに合って、苦悩する峰先は、人間だなと実感しました。

 ここから先は、スピード感のあるアクションの連続で、ページを繰る指の動きが速くなります。こんな大胆なテーマを最後にどうまとめるのかと、他人事ながら心配していたら、国家のエゴ戦略の終焉と言うことになって、なんとなく納得。こういう考え方もあるのでしょう。
 作者によれば、この作品は5年程前にある賞に落ちたものを、どうしても世に出したくて、大幅に改変して出版したものだそうだ。その努力は、十分に反映されていると思います。

 理工系の作家さんの作品はは数字で割り切れる、割りと淡々としている風に私は思っていたのが、そうではないと確信させてくださったのが高嶋さんや東野圭吾さんでした。

  2000年に入ってからの作品はまだ残してあるので楽しみです。

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2009年3月19日 (木)

私の好きな俳優たち~仲間由紀恵編

 最初は綺麗なだけの女優さんかと思っていました。とことが、『トリック』を見てえ~っとあのボケぶりにすっかり酔ってしまい、『お前のやったことは全部お見通しだ!』などと言って私の天然ボケをごまかしていたりしました。上田次郎役の 阿部寛さん、矢部警部役の 生瀬勝久さんもとてもおかしくて実に肩の凝らないドラマでした。脚本も 堤幸彦氏から鬼頭理三氏など、第3シリーズまでで10人近い方々がおられました。札幌だからなのでしょうか、人気シリーズなのに深夜番組だったのは。

 どちらが先になるのかはっきりしないのですが、『神様、もう少しNakama005 だけ』で宮沢りえちゃんの妹役でちょっと意地悪な役をやっていた時は別人かと思うほど冷たい女の子の役で綺麗なだけじゃダメよなんて思ったこともありましたが、圧倒的に私が仲間さんを好きになったのは『ごくせん』でした。宇津井健さん曰く『かつて赤いシリーズで共演した山口百恵を彷彿させる存在感』と絶賛していました。学園ものでは私は一番に挙げたいですね。ヤクザやさんの娘や孫が教師だったり、警官だったりするのはあり得ないようですが、これから出てくるかもしれませんよね。

 仲間さんのブレイクは女優としての演技力の認知によるもので、歌手やアイドル活動によるものではないのです。結果的にむしろアイドル路線を追求しなかったことが後発ながらも巻き返しに繋がりました(同時期にともさかりえや深田恭子がいました)。そのステイタスは今や同世代タレントではトップの座に君臨するまでとなり、主にコメディをはじめ幅広い演技力、存在感ともに認められた地道な戦略が功を奏したといえるでしょう。

仲間さんの演技力は『リング0 バースデイ』の山村貞子役のオーディションに合格してから見出されました。その後『TRICK』で注目され、『ごくせん』で大ブレイク。2作はその後のホームグラウンドとも位置づけられるコメディの作品で、共演者に恵まれたこともあり、彼女を一気にスターダムへと押し上げた。『TRICK』では共演の阿部寛との絶妙な掛け合わせにより、コメディを得意分野にすることに成功しました。『ごくせん』では『おしゃれカンケイ』出演の際、苦労したことに「怒る演技」をあげています。理由は日常生活で怒って声をあげたことがなかったため、ということだった。『ごくせん』(特に第2期)でのブレイク以降は、“視聴率の女王”と呼ばれるまでになっています。その後『ザテレビジョン』のドラマアカデミー賞主演女優最優秀賞を幾度となく受賞しています。

 透き通るような透明感のある声が特徴で、女優として本格始動する前は、事務所の意向と言われているがアニメ声優をメインに力を入れており、1998年までは「現役女子高生のアイドル声優」ということになっていました。でも、彼女がかつてアイドル声優として活動していたことは、女優として成功しましたが、今となってはほとんどのプロフィールに記載されていません(例えば、日本放送出版協会が発行している大河ドラマ『功名が辻』のドラマストーリーにおいても、声優としてのプロフィールは一切書かれていません)。
ただし、仲間さん自身が過去の声優業を否定した事はないそうです。キャリア等を踏まえても、大河ドラマ3回目の出演にして主役登板になったことはかつNakama002 てない抜擢的な要素が強いそうです。
 大河ドラマにおいて女優が主役となったのは1994年の『花の乱』の三田佳子以来であり(ちなみに『利家とまつ?加賀百万石物語?』のまつ役・松嶋菜々子は準主役。主役は利家役・唐沢寿明)、他に過去に主役として名を連ねたのは松坂慶子、大原麗子、佐久間良子ら大女優ばかかりです。

 そう、あなたはもう大女優さんんです!!ハードなスケジュールだと思うので、身体に気をつけて・・・

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2009年3月18日 (水)

私の好きな作品たち~宇神 幸男編

 『神宿る手』がヒットし、音楽ミステリーというジャンルを、初めて読みました。こういうモノがあるという事さへも最近まで知らなかったんですが、ブックオフでシリーズ本の第2冊目を見つけて、買い集めてました。クラシック、特にワーグナー好きな人なら簡単にお気づきでしょうが、1冊1冊は独立してますが、本書は4部作の第1冊Ikaru04
このあと
 第2冊「消えたオーケストラ」
 第3冊「ニーベルングの城」
 第4冊「美神の黄昏」
と、こっちの方が恥ずかしくなってくるくらい耽美的で、ロマンティックな構成です。
 幻の伝説のピアニストのCDが発売される。エリック・ハイドシェックがモデルらしいんですが、相当なフィクションが織り交ぜて物語は進みます。どこぞの有名なクラシック音楽雑誌記者が主人公で、記者がピアニストの復活の謎を追うことからストーリーはミステリアスになってゆきます。でも、そんなにミステリでもないかな。
  
クラシックが好きな人には幾分面白いかもしれませんが、そうで無い人にはかなりキツイかもしれませんね。そんなマニアックな音楽界ミステリがあってもいいじゃないですか、というのが私の感想です。現実にはクラシック音楽は注目度が極度に低く、このような事件が仮にあってもまるで騒がれることはないでしょうが、読んでいる間は自分が本当のスキャンダルに巻き込まれたように小説世界に遊ぶことが出来ました。クラシックの知識は全く必要ないので(もちろんあればあったで楽しめますが)量産型の少々中身の薄いミステリーに飽きた向きに是非進めたい構成のしっかりした「濃い」作品です。こういう小説はそう簡単には書けないし、出会えないでしょう。
 
宇神氏は、愛媛県宇和島文化センターの職員で、アルフレッド・コルトー最晩年の弟子であるエリック・ハイドシェック氏の長き沈黙ののちの再デヴューコンサートを宇和島で企画し実現させた方とのこと。このコンサートは、プライベート録音ながらテイチクから発売(現廃盤)され、名盤の評判の高い伝説的なものとなりました。まさに、事実は小説よりも奇ですね。

 『消えたオーケストラ』は前作『神宿る手』の登場人物が、またまた大事件を起こします。ホールを埋めた聴衆の前から、オーケストラのメンバー全員が消えた。黒い舞台衣裳の特異な姿の彼らだ、人目につかないわけがない。なのに目撃者は皆無。やがて楽団事務局に、正装したヴィオラ奏者の死体の入ったコントラバスケースが届いた・・・空前の消失トリックにいどむ音楽ミステリー。

『ニーベルングの城』は、スイスの古城に展開する禁断の愛。ヒトラーを呪縛した世界支配の象徴“聖槍”の行方。暗号曲に隠された秘
密。ワーグナーが鳴り響きナチの悪夢が今よみがえる・・・ 
 

幻の天才ピアニスト・バローの復活を描く『神宿る手』から始まった物語は、ヒロイン島村夕子が音楽の師・バローの遺産を守るべく、とんでもない行動力を発揮する物語に発展しました。バローの遺産とは、聖遺物ロンギヌスの槍、『ニーベルングの指輪』のワグナー自筆の楽譜、そして、ヒトラーが遺したナチス復興のための遺産のありかを示す地図。

 第4作『美神の黄昏』に入った時点で、聖槍と楽譜、地図は夕子の手にあります。
ここから読み始めても大丈夫なようにある程度、前巻までの説明もあるところは親切です。バローが愛した弟子、夕子にとっては弟弟子の天才ピアニスト・フリッツも無事。既に夕子はネオナチの党員2人の命を奪っている。だが、警察には届けない。
まあ、それはそれなりの理由があるということでよしとして・・・。この時点では・・・

でも、夕子を助けるために日本からやってきた蓮見と沢木圭子が、あっさりと実にあっさりと殺されてしまったのには驚きました。

これでは身代わりにするために出したようなものです。挙句、車を取り替えたということを運命の分かれ道だったと大仰に嘆かせる。その前に1台にしようとしていたのに、わざわざ2台のままで、目的地へ向かったことの結果です。拷問シーンを書きたかったんじゃないのか?と疑ってしまいます。これから拷問だなと思った時点で、読み飛ばしてます。

とはいえ、おかげで、夕子とフリッツは時間を稼ぐことができ、追跡者であるネオナチに先んじて、ヒトラーがヒムラーに託した遺産を
見つけることができました。
 でも、結局、それが何かを確かめただけで、聖槍も置いてきてしまうのです。
確かに、全く所有欲のわかない代物ではあったし、始めから、夕子の意地で始まった宝探しだったのだから、置いてくること自体は想像できたのだけれど・・・

とはいえ、おかげで、夕子とフリッツは時間を稼ぐことができ、追跡者であるネオナチに先んじて、ヒトラーがヒムラーに託した遺産を見つけることができました。
でも結局、それが何かを確かめただけで、聖槍も置いてきてしまうのです。
確かに、全く所有欲のわかない代物ではあったし、始めから、夕子の意地で始まった宝探しだったのだから、置いてくること自体は想像できたのだけれど。ここで完全完全に脱力状態の私。この脱力感こそが著者の狙ったものだったのでしょうか。
そういえば、宝を発見する前に、夕子は朝日に染まる山をみて、これを眼にすることができただけでいいというようなことを言っていました。ワグナーの楽譜はそれより先に燃やしている。生きるため、フリッツを守るためという切実さがあるので、このシーンは良かった
と思います。いずれにせよ、守るはずの遺産はフリッツを除いてすべて失われました。

 命からがら戻った夕子とフリッツを迎えるのは平田。この人が悪いとは言いませんが、蓮見が哀れすぎると思いました・・・好きだとも言えないうちに、ろくに役にも立てないうちに殺されてしまったのだから。

そして、その後は、たまに夕子が思い出して良心の呵責を覚えるくらいなのです。
そもそも、冒頭は蓮見視点で始まったのに、スイスにきてからはすべて夕子視点なので、彼の心情も、沢井圭子の心情も、夕子の想像でしか描写されないBear020 と思うのです。

1作めの『神宿る手』に倣っているのだろうけれど、妙な夢オチはついているし・・・
最後が、1作目のバローの復活リサイタルと次世代を担うべき天才ピアニスト・フリッツのコンサートを同じ会場でというのは、心情としては頷けるし、立ち竦んだフリッツを「コラッジョ・マエストロ・コラッジョ」とバローの時と同じ言葉で励ますのもいいでしょう。
でも、『神宿る手』では蓮見が言った言葉を、『美神の黄昏』では平田が言うのがどうも・・・

 作品の最初のページには三島由紀夫の「小説とは何か」より文章が引かれている。
・・・ともすると、人間にとっては、「命を賭けても知りたい」という知的探究心が真理を開顕することよりも、「知ることによって身を滅ぼしたい」という破滅の欲求自体のほうが、重要であり、好もしいことなのではないでしょうか?・・・

言わんとすることはわかる気がしますが、夕子がそれを体現していたという読後感はありません。身を滅ぼした蓮見と沢木圭子にもそういう気持ちはなかっただろうと思います。
沢木圭子に至っては、夕子への贖罪としか思えなませんでした。
実際そうなのでしょうが、そこまでしなくてもと思うような贖罪。哀れすぎて耐え難いです・・・

夕子の願いがバローの音楽の真価を世に知らしめることであり、その愛弟子のフリッツを世に出すことであったのであれば、それにもっと的を絞り動機づけすることで、夕子の行動が説得力を持ったはずだ。あっさり遺産を手離さず、どうせならそれで取引するぐらいの根性を持ってほしかったです。そうであればこそ、音楽に魅入られた人々の狂気と恍惚、そして彼らにとって至上のものである音楽を感じることができると思うのですが・・・

結局、誰一人として法律上の罪には問われないままのようだし、残ったのは釈然としない気分だけでした。
1作目の『神宿る手』が好きだっただけに残念でなりませんが、どう思われますか?

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2009年3月17日 (火)

私が好きになりかけている作品たち~唯川恵編

 いつものようにノーマークだった女流作家さん。でも『肩ごしの恋人』は読みふけってしまいました。『シュガーコート』のタイトルで、文芸誌『鳩よ!』に1999年4月号から2000年11月まで連載され、2001年9月に単行本としてマガジンハウスより発行されました。恋愛にのめりこむことができないOLと、恋に翻弄されつづけるOLの幼馴染の女性が、結婚・不倫・離婚・就職・妊娠など現実に直面しながら、女性としての幸せを見つけていく物語。現代社会に生きる女性達をリアルに描き、女性だけでなく、男性からも共感を得ています。

 親友である室野(旧姓・青木)るり子の3回目の結婚式に出席した早坂萌は、式で出会った海老嫌いの男・柿崎祐介と関係を持ちました
。彼は新婚ほやほやであったが、萌はのめり込まない程度につJansem_work05s き合うようになります。また、仕事の残業中に知り合ったバイトの青年・秋山崇と食事をともにした日、彼が家に戻ることを拒み、萌は崇を家に引き入れ、一夜を過ごしてしまいます。一方、るり子は順調に新婚生活を送っているかに見えましたが、結婚した途端に夫・室野信之とのセックスに興味がなくなり、崇を自分の家に連れこんで遊んでいたりなどしていました。
 そして二人に事件が起きます。萌は自分が勤めている会社で新しい部門の責任者に任命されるのですが、それは自分が最も嫌っていた製品の担当でした。自分の描いた夢と現実との差を痛感した萌は会社を辞めてしまう。一方、るり子は信之の浮気現場を目撃。問い詰めると信之は謝罪したのだが、後日るり子は相手の女性に呼び出され、「付き合てきたのは向こう。20年の流行顔で総務部のおばさんに受けるルックスだし、私からは付き合わない」と馬鹿にされてしまいます。怒ったるり子は家を飛び出し、萌のマンションに押しかけ、さらに、崇はるり子の元を離れたあと、野宿をしたり、果てはゲイバーでバイトをしようとしたりするなどして家に戻る気配がまったくない始末。萌はしぶしぶながら、二人をマンションに泊めてしまう。かくして、萌とるり子、それに崇の共同生活が始まっていくのです。

 主人公の早坂 萌 は、27歳。四谷にある通信販売・輸入代行会社のOL。報道記者になる夢を持っていたが、挫折。世界とかかわっていたいという気持ちから輸入代行会社に入社したものの、不良品の苦情処理や後輩のミスの尻拭いに追われる。それでも、主任になり、さらに同期ではいち早く新しい部門の責任者に任命されるのですが・・・。
自分も男も信用できない性格。男は好きなのだが恋愛に発展しない。恋にのめりこむことが怖く、一歩下がった状態になる。本人は否定しているが、過去に受けたある出来事がトラウマになっている。また、お人よしな性格で、分かっていても人の面倒を見てしまうところ
がある。るり子の性格を不愉快には思ってなく、寧ろうらやましがっています。
るり子の今の夫と以前付き合っていたのですが、るり子に横取りされ、あっさりと身を引いてしまう性格。喫煙者。ただし、物語の最後では禁煙している。 終盤では、同棲していた高校生・崇の子供を妊娠してしまう。そして、子供を育てたいという思いから、崇の子供であることを本人に告げず、シングルマザーになる決意をします。

 一方、室野(青木)るり子 も27歳。萌と5歳のころから22年来の親友。バツ2。男とブランド製品と芸能人にしか興味がなく、泳ぎ続けないと死んでしまうというサメに自らを例え恋愛に翻弄されないと生きられない「鮫科の女」と呼んでいます。
 とにかく自分が幸せになるために男に積極的なアプローチをかけ、男には好かれる反面、女からは嫌われているタイプ。その一方で結婚すると途端に冷めてしまい、初婚も2年で、1年後の再婚は半年で終わっています。そして今回の結婚生活にも暗雲が垂れ込めて・・・
 これまで結婚した男達とはいずれも略奪愛。初婚は不倫の末に手に入れたのだが、刃傷沙汰になりかねないほどの騒動を起こしているのです。これに懲りたのか、3度目の結婚相手は"信頼できる"萌が付き合っていた相手。 喫煙者。生まれ変わるとしたら猫になって金持ちに飼われたいとか。 終盤では、書店のオーナー・リョウに心惹かれ、リョウはゲイで女にまったく興味を抱かない男であったが、気持ちが揺らぐことはなく、信之と離婚。

 対照的な二人の女性を軸に進められる作品です。 ストーリーの流れは唯川さんの作品『恋人たちの誤算』に似ていますが圧倒的にこちらの方がコミカルです。 唯川さんに作品は、どちらかと言うとシニカルで読んでいて心にグサグサと刺さる作品が多いですが、この『肩ごしの恋人』はコミカルで読んでいて元気になれる作品です。 普段あまり読書をしない方や唯川さんの作品を読んだことない人にもお勧めです。この作品のタイトルは「『恋愛』を正面に見据えた生き方より、自分が目指す目標に向かって突き進んで生きていく中で、気が付くと肩ごしに恋人が見える生き方の方が幸せになれる」という意味がこめられています。(肩ごしの恋人 ドラマサイトより)
 女性ならだれしも、二つの究極の価値観のなかで、自分がしっくりする場所をみつけ、また現実と折り合いをつけて生きているのだと思うものです。だから本を読みながら、よきにつけ悪しきにつけ、二人の主人公両方に感情移入してしまう・・・最後まで飽きることのない小説でした。女も女、男も男・・・誰に感情移入したということの無い作品で、肩が凝りません。

『キスよりもせつなく』もよかったですねえ。失恋の痛手もまだ癒えない知可子は27歳のOL。予定のない週末、偶然に会った同僚の有季から彼氏と紹介されたのは、知可子を振った張本人だった。レンタルビデオ店で出くわした男を仮の恋人に仕立てあげ、その場をしのいだ知可子だが、皮肉な恋の運命が回りはじめる―。知可子と、彼女を巡る女たちそれぞれの愛の選択、恋の行方は?迷い悩みながら、ひたむきに恋する女たちの姿を描く長編です。 登場人物の個性がとくに強く感じた作品でした。主人公は、恋人を友人にうばわれ、落ち着かない日々を過ごしていたときに、ひとりのカメラマンと出会い、恋におちていくのですが、あそこまで男性に自分の素顔をさらせる主人公がとてもうらやましく感じました。

 恋愛は不安との戦い。結婚は不満との戦い。唯川恵、待望の長編恋愛小説。音響メーカーに勤める26歳の美月。最近学生時代の友人が婚約し、自分も結婚を考えるようになった。4年前に結婚し、平穏な生活に満足している34歳の主婦英利子。二人の女性の人生が、ひとりの男性を挟んで交錯し、やがて違う生き方を選び取っていく…。不倫、浮気、離婚、再婚などを描き、恋愛と結婚の実相と揺れ動く女性たちの気持ちを丁寧にすくいとる、著者本領の長編恋愛小説。「MORE」人気連載の単行本化『瑠璃でもなく、玻璃でもなく』もスーッとん吹き抜けた風のようで、こういう恋愛小説ならいくらでも読んじゃうぞ的な気持ちになったのは私だけでしょうか・・・もう恋愛は卒業した私が言っても説得力が無いですけど・・・でも充分堪能しました。
 

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2009年3月16日 (月)

私の好きな画家~フィンセント・ファン・ゴッホ

 今までも私の記事に挿入画として紹介してきましたが、私は日本の東山魁夷氏と同じくらい好きな画家です。

 ゴッホの作品は、初期の段階を除けば、印象派を出発点としています。また、日本の浮世絵の特徴である明快な色使い、影の無い世界にも大きな影響Gohho004 を受けました。即ち、戸外での制作、明るい画面、筆触分割等々といった特色なのです。

ところが、印象派の画家達の筆触が視覚混合を狙う為比較的細かなものであるのに対し、ゴッホは時代が下ると共に筆触は長く伸び、うねり、表現主義的。また印象派の視覚分割に於ける色彩の選択が科学的な知識を基本とするのに対し、ゴッホのそれは主観的・また時に象徴主義的です。強い輪郭線、色面による構成、人物の戯画的なデフォルメ等も、印象派とは異質のものだといえるでしょう。
 また、印象派は自然主義を基本とするが、ゴッホの絵画は単なる現象の写しを離れ、しばしば象徴主義的です。この傾向は特に後期に著く、印象派が太陽の照らす戸外を描くのに対し、彼は夜をも描きます。また、憂鬱な人間と社会、更には神的な世界をも描きましたが、この態度は印象派と決定的に異なるものとなりました。

 ゴッホは画家としての活動が約10年間と短く、絶対数としては油彩900点、素描1100点があると言われていますが、傑作とされる作品はほとんどが晩年の約2年半(1888年2月から1890年7月)に制作されたものであり、知名度に比して(傑作・良作とされる)作品数は少ないのです。

 生きているうちに何故絶賛を浴びなかったかは彼の異常な言動が世間から見れば普通でないと思わせ、彼は色々な悩みを弟に手紙で記しています。絶望に淵にありながら晩年の2年半描き続けたゴッホの心情を思うと私は苦しみさえ覚えます。

 いろいろな経緯を経て、作品の取引においては高額となるました。代表作でもある『医師ガシェの肖像』は、1990年5月15日にニューヨークのクリスティーズでの競売で、8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で、当時大昭和製紙名誉会長の齊藤了英に競り落とされました(齊藤は数日後にルノアールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」も7810万ドルで落札している)。これらの作品については齊藤の「死んだら棺おけに一緒に入れて焼いてくれ」という旨の発言が報道され(1991年5年1日日本経済新聞)、美術愛好家からの非難の声もありました。結局、齊藤の所蔵中は一般公開されることなく、齊藤の死後は銀行の担保となり、結局1997年から1999年頃にかけて海外に売却されました。

 『医師ガシェの肖像』は約100億円でアメリカ人コレクターに売却されたとされるが、現在の所蔵者は不明です。『医師ガシェの肖像』は弟テオの未亡人ヨハンナによって、1898年頃、デンマークのコレクターにわずか300フランで売却されたと伝えられていますが、芸術作品の投資(投機)商品としての側面がクローズアップされたとも言えるでしょう。
 
 大変な読書家だったゴッホは、ゾラ、ディケンズ、ヴィクトル・ユゴーなどの作家についても、攻撃的写実主義によって貧困層の受難を描写する点で、自分と共通点があると考えていました。そしてミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家でした。宗教的な主題を直接描く
のではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからです。1886年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居した。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌しました。

 1888年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていきました。
 1890年7月、オヴェールで自殺。生前に売れた絵は1点だけだったが、その頃には既に、画家仲間から作品は知られるようになり、評価され始めた時期でした。パリに出ると特に、社会主義やアナキズムの賛同者が画家仲間でも多くいGohho24 て、ゴッホは画家が協同制作するコミューンを夢見たのですが・・・

 1890年6月、姉に宛てた手紙に以下のように書いています。「ぼくはいま、村の教会のかなり大きな作品を手掛けています。この建物は深く澄んだ、純粋なコバルド・ブルーの空にくらべると紫色がかって見えます。焼絵ガラスのはまった窓は群青のしみのようです。屋根は紫色で、一部はオレンジ色です。前景にはちょっと緑がかった花が咲き、日のあたっている砂地はバラ色です。この作品はヌエネンで描いた古い塔と墓地の習作とほとんど同じですが、この作品では、色彩はもっと表現力に富み、もっと豪華になっています」・・・この絵は、『オーヴェールの聖堂』でした。素晴らしい絵です。ゴッホは緑内症だったとも言われています。それが見えるものも色をこんな風に描いたのかもしれません。

 あのアルルの時代 、南フランス アルルにいた頃。画家たちの 共同生活をしようと「黄色い家」を借りましたが、実際に来てくれたのはゴーギャンだけでした。「耳切り事件」のあと、悪夢と幻覚はゴッホから離れることはなかっのです。

 サン・レミ時代は サン・レミのカトリック精神療養院「サン・ポール」に入院していた時期。発作持以外は安定していたので「制作室」で制作していました。

 ゴッホは一時期、ブリュッセルの副音伝道学校へ入っていました。しかし、ゴッホの過剰な信仰は、学校側に警戒され、信仰さえ自由のきかない時時代だったのです。彼がどれほど救済を求めていたことか・・・かれはプロテスタントとして貧しい市民の力になりたかっただけなのに・・・

 「ゴッホが好きです」というと誰もが「情熱的なんだね」と言います。彼の深い悲しみを何故彼の絵から想像できないのかと、私は残念でたまりません。ゴッホの優しさが自分を亡き者にしたのです。それを踏まえて絵を鑑賞したいものです。

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2009年3月15日 (日)

私の好きな作品たち~井上由美子編

 珍しく社会派の脚本家さんです。立命館大学文学部文学科中国文学専攻卒業。シナリオ作家協会シナリオ講座研修科修了。テレビ東京勤務を経て1991年、「過ぎし日の殺人」で脚本家としてデビューしました。「ギフト」「GOOD LUCK!!」など木村拓哉主演の人気ドラマで定評のある一方、社会問題を題材にした硬派作品も手がけるところに私は惹かれました。前回小山内美江子さんについて書きましたが、井上さんの場合、トレンディもかっこよく書けるのに、硬派といわれるほど、社会問題を取り上げることがよくあり、私はあえて問題作とされた作品にスポットを当てたいと思います。

 松嶋菜々子さんの出世作『ひまわり』では、会社をリストラされたGohho009 主人公南田のぞみが、複雑な家族関係の中において弟の窃盗事件をきっかけに弁護士の世界を志し、司法試験、司法修習生を経て、一人前の弁護士に成長していく物語。初々しい松嶋菜々子の演技や、ペットが語りを担当する斬新なアイデアが好評を呼び、高視聴率を記録しました。当時、視聴率低迷に喘いでいたシリーズの起死回生として企画され、2週間完結方式のドラマ作り、史上初のサブタイトル導入、同じく初めて週末に次週の予告を放送(本作は2週に1度)、2週毎に異なるゲストを出演させるなど、多くの画期的な試みが行われその後の連続テレビ小説の基盤を作りました。朝ドラとあって、あまり深追いした作品ではなかったと私は思いましたが、『マチベン』では毎回しっかり作り、私達に問題提起していました。

 物語は、元々検事を務めていた天地涼子(江角)が、ある事件をきっかけとして検事を辞任し、町の小さな弁護士事務所を立ち上げて、市民の様々な問題点を克服するべく奮闘する姿を描いたヒューマンドラマである。江角はこのドラマで、メイクを一切付けないで収録に望んでいたといいます。ドラマの題名である「マチベン」は、「(町)医者のような弁護士」と、「依頼人をひたすら(待ち)続ける弁護士」の、二つの意味を掛けたもの、とされています。
第5話・最終話を除いては一話完結で 第1話では少年犯罪、第2話では冤罪、第3話では死刑判決、第4話では安楽死、とテーマは多岐にわたっていました。

『14才の母』は読んで字のごとくですが、金八先生の時とかなり違ったストーリーになっていて、これからも増えるであろうこういう問題に井上さんは真っ向勝負する人なのです。

 一ノ瀬未希役の志田未来さんはこのドラマの主人公。5月5日生まれの14歳。名門・聖鈴女学院に通っていいます。普通の家庭に生まれ育った中学2年生。破天荒で明るい性格なので友達も多い。学校では放送部に所属していて校内放送のMC(DJ)もしている。しかし、成績はあまり良くなく、学校の教師の受けも悪い。同じ塾に通う桐野智志と周囲に内緒で付き合っていました。第1話で思いもかけず妊娠が発覚し、第2話で的場クリニックで検査し事実と判明した。周りの意見から一度は中絶に同意するが、両親から自分が生まれたときの話を聞くと、中絶を拒否して周囲の反対を押し切り「おなかの子に会いたい」と子供を生む決心をする(学校で恵たちクラスメートの前で学校を辞めてでも出産すると宣言する)。出産するという決意を通す一方、智志に迷惑をかけないように別れを自分から言い出したり、学校のみんなに迷惑をかけたくないからと退学しようとしたり、妊娠報道で家族が苦しむと家を出ようとする(マコトに店の手伝いをするからおいてほしいと頼んでいる)など家族をはじめ周りの人たちのことを大切に思っている・・・立派だと思います。母親も口癖は「自分の行動に責任を持ちなさい。」で、未希の幸せを願い、未希のために名門私立中学である聖鈴女学院に通わせている(妊娠発覚後、中絶はするから退学は勘弁してほしいと学校で頭を下げている)。学費の重い負担に耐えるためファミリーレストランでパートをしていて、チーフを務めている。当初は出産に反対していたが、未希の強い決意(学校での出産宣言)を前に娘を守り支えていくことを決意。その後、未希が家を出て行くと言ったときに周りが冷たくなろうと家族4人でこの家で踏ん張るしかないと未希を諭したり、静香に誓約書を突きつけられたときに14歳でも将来を決めることはできると言い切るなど腹の据わったところを見せます。

 周りが何と言おうと家族で力をあわせよう・・・そう言い切った母親に未希はどんなに救われたでしょうか。家族の絆について考えさせられました。

そして『新マチベン~大人の出番』では、いよいよ、2007年4月Higashiyama_work21s 以降、現在60歳前の団魂の世代が企業から抜ける現象が起こります。しかし、定年を迎えても、新たな生き甲斐や職業に挑戦している退職者は少なくありません。これからは、定年退職者が新しい人生を自らつかみとる時代。このドラマの主人公は、今までの人生を起点に新たな道を「弁護士」と定め、精一杯生きている元気な壮年・徳永源太郎60歳。同じ夢を目指す同世代の仲間(堺田春樹・岡村重勝)と出会い、ひょんなことから一緒に法律事務所を開くことになります。「レグラン(オトナの)法律事務所」と名付けられた事務所の最初の依頼人は、電車内で痴漢にあった美しい女性。しかし彼女は本当にただの被害者なのか…。
 生きてきた環境も職業も性格も違う三人の男たち。弁護士としては新米でも、「オトナ」として暮らしてきたそれぞれの人生経験を生かしながら、依頼人に体当たりします。そして彼ら自身もまた、依頼人との出会いを通して新たな経験を重ね、さらに「オトナ」へと成長していく…。
 「新マチべン」は、三人の熱き壮年弁護士たちによる「法律ドラマ」であり、またセカンドライフを真っ向から取り上げる「ヒューマン・ドラマ」です。

 『パンドラ』をご存知でしょうか。WOWOWでの放送だったので私は観る事が出来ませんでしたが、WOWOWでは2003年から不定期に、オリジナルドラマシリーズ『ドラマW』を制作・放送してきました。有料放送であるがためにレベルの高いドラマが完成し、2008年3月までに36本が放送されました。 そこでWOWOWは、2008年4月から連続ドラマ枠を新設。第1作として選ばれたのがこの作品です。
 製作に当たっては、地上波のドラマよりも海外ドラマを意識して作られていています。そのためか骨太な内容で、医師・刑事の二視点から見せており、ミステリ・サスペンス的な要素も感じさせる作品となっているとか。

 港東大学病院内科医の鈴木は、18年間もの研究のすえ、どんながんでも完全に死滅するがんの特効薬を発見する。全く相手にされずたった一人で研究を続けてきたが、特効薬が完成した途端に周りからの目が変わる。しかし、その特効薬は単純に世界に役立つものではなかった。“パンドラの箱”の最後に残ったものは、希望という説もあれば絶望という説もある。『パンドラ』と名付けられた特効薬からは、
様々な「厄介」がもたらされる・・・キャストは、ほぼ全員が三上博史や柳葉敏郎(この2人は『君の瞳をタイホする!』以来、約20年ぶりの共演)をはじめとした実力派のベテラン俳優であり、脚本は、民放の人気ドラマを作り出している人気脚本家井上由美子による書き下ろし作品です。ここでも「欲望」「裏切り」「罪」などと一話ずつテーマがあり、考えさせられた事でしょう。

 このような作品がこれからも増えて欲しいと思う今日この頃です。お笑い番組が多いのには閉口してしまいます・・・・

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2009年3月14日 (土)

私の好きな俳優たち~江守徹編

 またひさびさに渋い方の紹介です。私が江守さんが凄い!!と思ったのは子供のころ、NHKの『お母さんと一緒』で朗読をするお兄さんとして観た時です。何の小道具も使わないで江守さん自身が身体一杯を使ってそして声もトーンを変えることで何人もの人が存在したかのようにお話を進めていくのは思わず、引き込まれていました。何十年も前のことなのに鮮明に覚えています。

 いろんな役をやってきたからなのか、悪人、善人どちらのイメージが強いかと言われても答えられません。ただ、凛としたところのある方なので時代劇Emori002 には欠かせないですね。まだ意味も解らず『樅ノ木は残った』や『 新・平家物語』『元禄太平記』など、観ていた記憶があります。でも実は江守さん、脚本家・翻訳家・演出家でもあるのですね。『アマデウス』(ピーター・シェーファー原作)の翻訳をされていますね。

 同級生に吉田日出子さん、出崎統氏がいます。同高校卒業後、19歳で文学座に入り、早くから俳優志望でしたが、当時の東宝などの「ニューフェース」という言葉が嫌で、偶々杉村春子や宇野重吉など、それらと違う新劇俳優の道を知ったのが文学座へ入った理由。風貌と演技力が買われ、次第に頭角をあらわしました。以後、テレビや舞台において俳優・演出・台本などをこなす実力派俳優となりました。

 特に実践から培われたシェイクスピアの演劇論はかなり専門的で、大学での演劇論の出前講座を受け持ったほどです。1991年には「魔笛」で初のオペラの演出を手掛けてました。

 文学座では「オセロー」「シラノ・ド・ベルジュラック」といった作品に出演するほか、「欲望という名の電車」などを演出。テレビやCMなどナレーションの仕事も多数。主な映画出演作に、『社葬』(1989)、『39 刑法第三十九条』(1999)。声優として出演した作品には『東京ゴッドファーザーズ』(2003)、『パプリカ』(2006)があります。

 『シラノ・ド・ベルジュラック』においては、2007年(平成19年)は、文学座にとって創立70周年の記念すべき年になります。1937年9月6日に産声を上げた文学座。その記念公演の第一弾として『シラノ・ド・ベルジュラック』を上演致します。『シラノ・ド・ベルジュラック』は言うまでもなく、エドモン・ロスタンの戯曲作品として遍く知られている作品です。17世紀に生きた実在の人物シラノ・ド・ベルジュラックを主人公に描かれていた戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』は、1897年12月27日、パリのポルト・サン・マルタン座に於いて歴史的な初演を迎えました。それから119年の月日が経過し、文学座も記念の年に『シラノ・ド・ベルジュラック』を上演するわけですが、この作品自体も文学座にとっては記念碑的作品と言っても過言ではありません。
 文学座が『シラノ・ド・ベルジュラック』を初めて上演したのは1951年(昭和26年)。辰野隆、鈴木信太郎の共訳で、演出は長岡輝子、戌井市郎でした。シラノに三津田健、ロクサアヌに杉村春子(後半の続演は丹阿弥谷津子)、クリスチャンに大泉滉を配し、全膜での上演でした。会場は三越劇場、一ヶ月を超える公演で、ステージ数は54回、29000余名の観客動員の記録が残されています。この全幕通し公演は、このような形態をとったものとして本邦初演でした。以後、1955年に東横ホールで再演されており、この時のクリスチャンは仲谷昇。1967年(昭和42年)、文学座創立30周年には、演出に木村光一、安堂信也。シラノに三津田健と北村和夫、ロクサアヌに杉村春子と小川真由美、クリスチャンに細川俊之という布陣で国立劇場小劇場、渋谷公会堂で37回の公演通しに挑んでいます。さらに16年後、いよいよ江守シラノの登場です。1983年(昭和58年)、演出は藤原新平。シラノに江守徹、ロクサアヌに平淑恵、クリスチャンに大出俊という配役でした。どうしても観たかったのですが、叶わず・・・残念です。文学座の重鎮的な存在であることから、濱田雅功が出る番組に登場する際には「文学座の偉いさん」などと呼ばれることがあるそうですね。

  主な受賞歴は、1973年 紀伊國屋演劇賞・個人賞(舞台「オセロー」イヤーゴ役)、1989年 日本アカデミー賞優秀助演男優賞(映画「社葬」)、1994年 読売演劇大賞優秀演出家賞受賞(「ウェストサイドワルツ」「恋ぶみ屋一葉」)。

 2007年2月末に軽度の脳梗塞で入院したそうですが、今は元気に復帰なさっています。是非生舞台を一度は観たいものです。

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2009年3月13日 (金)

私の好きな俳優たち~長瀬智也編

 私が長瀬さんを意識したのは、鈴木光司によるミステリーホラー小説、およびそれを原作とした映画、ドラマかされた『リング?最終章?』でした。なんてホリの深い顔にサラサラヘアーなんだろうと、そしてこの人は何者?すみません。TOKIOを知らなかったもので・・・
 かもし出す妖艶さといい、スタイルのよさといい、二重丸!!と心のうちで叫びながらあの怖い『リング?最終章?』を見ていました。

柳葉さんも好きでしたが眼中に無かったですね(ごめんなさい)。『白線流し-19の春』は再放送しか見ていなかったし、普通の高校生以上に感情は揺れませんでした。

ところがまた、『ムコ殿』で大ブレイクしてしまいました。普段はバカNagase_005 で熱い心を持つが、世間ではクールなキャラを貫くトップスター・桜庭裕一郎が結婚した女性の元へ嫁ぎ、家族の問題に関わっていく姿を桜庭の芸能活動を絡めて描いたホームドラマでした。竹内 結子
ちゃんがまだ目立たない存在だった気がします。桜庭裕一郎のポスターがほしくてたまりませんでした。
 何といっても長瀬さんの演技が印象的でした。一人二役と言ってもいいぐらいギャップのある裕一郎役を彼は見事に演じ分け、桜庭裕一郎を本当のスターに創りあげてしまったのですから。あの役は長瀬君以外の俳優では絶対に考えられない、と感じたのは私だけではないはずです。

 また、『マイボスマイヒーロー』では12年ぶりの学生服姿を披露。ストーリーのおかしさに今度は没頭しました。『マイボス・マイ・ヒーロー』は原作のある作品で、もともとは2001年に公開された同名の韓国映画が下敷き。学歴コンプレックスを持つ28歳のヤクザの若親分が、極道の世界を渡るためには「学」が必要と判断、子分と共に高校へ入学し、恋やケンカに大暴れしながら高校3年生をやり直すというストーリー。堅苦しい話ではなく、純然たる学園コメディです。そう、この作品での長瀬智也は高校生役であると共に、ヤクザ役で
もあるのです。昨年放送された「タイガー&ドラゴン」でもヤクザ役を演じていたので、連続ドラマではヤクザ役連投になるわけですね

『歌姫』でも熱演。
ドラマの内容は昭和の高知県を舞台にした人情喜劇、戦争で運命を狂わされた悲しいラブストーリーになりました。そこで長瀬さんは歌姫と言われた歌手を娘に持つ父と、同歌姫を母に持つ息子の2役に演じることになり、長瀬自身も「すごくいいキャラクターを演じられ
ることが楽しみです」とコメントを残していました。

 そして今だ続いている『鉄腕ダッシュ』ではメンバーとうち解けて煎る姿もまた、彼らしいですね。あくまでリーダーをリーダーとして敬い(たまに城島さんがこけますが)、ここまでできるようになるの?と思いたくなるほど、皆、村での生き方を習得してきたところは凄いと思います。

 映画では話題作『ヘブンズ・ドア』は、97年のドイツ映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(トーマス・ヤーン監督・脚本)を原案とし、余命3日と宣告された28歳の青年・青山勝人(長瀬)と、病院で出会った余命わずかな14歳の少女・白石春海(福田)が、海を目指して無軌道な逃避行を繰り広げるというロードムービーです。ストーリーにちなんで、「もし余命3日と知らされた時、これだけは言っておきたいこと」を問われた主演の2人は、「親にキャッシュカードの暗証番号を言っておきたい」(長瀬)、「両親に仲良くしてほしいと言いたい」(福田)とそれぞれ答えました。一方、若い女性で埋めつくされた客席を見て「今日はやっぱり長瀬くんのファンが多いかな(笑)」と寂しげにつぶやいた三浦さんが“言っておきたいこと”は、長瀬さんに対し「ずっとアイドルでいてくれ」とのこと。かつてアイドル俳優として絶大な人気を誇った三浦さんは、タバコのCMへの出演が問題となって国会でも議論され、「三浦友和は結婚したので、もうアイドルではない」という結論になったそうでNagase003_2、「僕は国会でアイドルじゃないって決められてしまったので、長瀬くんにはこれからもずっとアイドルでいてほしい」と、自分が叶えられなかった“永遠のアイドル”への道を長瀬さんに託したそうです。長瀬さんは「尊敬する大先輩。国会を揺るがすだけの人間だなっていうオーラを感じた」と先輩アイドル・三浦に恐縮しながらも、「奥さん(山口百恵さん)と 仲良くされていますか?」と鋭いツッコミを入れたが、「けんかしたことないです」とかわされて、貫禄負け。すると、長瀬さんは突然、別会場での舞台挨拶直前にパンツのチャックが開いていたというエピソードを披露しはじめ、「俺の“ヘブンズ・ドア”はノックしなくても開いていた(笑)」と下ネタを披露し、アイドルのイメージを台無しにしていました。(笑)

まだ30ですよ、結婚もしなければいけないし、父親にもならなきゃいけないんです。アイドルと呼ばれなくてもいいからTOKIOのメンバーと末永く仲良く、そしていい俳優でいてください。でもヤクザさんの役ばかりや羅内で欲しいです・・・・

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