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2009年3月31日 (火)

私の好きなミュージシャン~ジョン・レノン編

 私と同世代か少し上の方々にとってジョンの死は受け入れられなかったでしょう。ビートルズ時代からリーダーシップを発揮し、ソロになってからも衰える事のなかった人気。世界で最も成功したシンガー・ソングライターの一人であり、1960年代に世界的人気を得たロックバンドの主要メンバーでした。ビートルズ時代には、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、数多くの名曲を作り上げました。1970年のビートルズ解散後は主にソロ・シンガーとして活躍。ギネスワールドレコードでは最も成功したソングライティングチームの一人として「チャート1位の曲が米国で盟友のポール・マッカートニーが32曲、レノンが26曲(共作は23曲)、英国チャートでレノンが29曲、マッカートニーが28曲(共作が25曲)」と紹介されています。

 ビートルズ時代には、「抱きしめたい」、「シー・ラヴズ・ユー」、Jon001 リードボーカルをとる「プリーズ・プリーズ・ミー」、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」、「ヘルプ!」、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」、「愛こそはすべて」、「アクロス・ザ・ニバース」、「カム・トゥゲザー」等、数多くの曲を残しました。ソロ時代は「イマジン」などの曲を発表する一方、妻で芸術家のオノ・ヨーコとともに平和運動家としても活動しましたね。

1980年12月8日(ニューヨーク時間)、ニューヨーク市の自宅アパート「ダコタハウス」前においてファンを名乗る男に銃撃され、40年の生涯を閉じました。

  1970年代は、メンバーのジョージ・ハリスンも参加した「インスタント・カーマ」を発表、「レット・イット・ビー」とほぼ同時期に発表されチャートを上昇しました。1970年4月10日、ポールが脱退を発表しビートルズが事実上解散したのちジョンは深い精神的ショックに陥りますが、これと前後してアメリカのアーサー・ヤノフ博士が提唱した精神療法、プライマル・スクリーム療法に参加。約半年間のち、ビートルズのメンバーであったリンゴ・スター(ドラム)、クラウス・フォアマン(ベース)、ゲストにビリー・プレストンを迎え、アルバム『ジョンの魂』を制作し発表(米6位、英8位)。「マザー」がシングルとして発表されされました。
 続く1971年6月、アルバム『イマジン』の制作を開始(発表は10月)。米1位、英1位、日1位と大ヒットを記録、ソロ最高傑作との評価も高く、ここではジョージ・ハリスン(ギター)、アラン・ホワイト(ドラム)、キング・カーティス(サックス)らが参加しています。またこのアルバムの2曲に参加したドラマーのジム・ケルトナーが以後セッションに加わるようになります。

 ジョンとヨーコの政治的活動は、反体制派からの影響を強く受けてはいたが基本的に中立で、公式に特定政党を支持したことは一度もなかったのですが、「人々に力を!民衆に権力を!」とデモ行進をする姿を見た共和党政権は、外国人左翼勢力による国家転覆活動とみなし、国外退去命令を下しました(これに対する抗告と裁判は1975年10月まで続き、ジョン側が勝訴している)。FBIによる監視については、ジョンの死後に関係者の訴訟により膨大な量の調査報告書が公開されています。

  1980年代 にはいるとほぼ5年間ジョンはハウス・ハズバンド業に専念していたが、その間も自宅で作曲活動は続けており、暇を見つけてはテープに録音していました。その時期に作られた楽曲のデモ・テープの数々は1998年に『dジョン・レノン・アンソロジー』で発表されています。1980年11月、ジョンはヨーコとの共作名義のアルバム『ダブル・ファンタジー』(米1位・英1位・日1位)を発表します。この中では後にキング・クリムゾンに加入するトニー・レヴィンを起用しています。このアルバムからは「スターティング・オーヴァー」(米1位・英1位)、「ウーマン」(米2位・英1位)、「ウォッチング・ザ・ホイールズ」(米10位)などの大ヒット曲が生まれ、アルバムも全世界で500万枚以上を売り上げました。また同アルバムは1981年のグラミー賞年間優秀アルバム賞を獲得し、授賞式に参加したヨーコは謝辞を述べました。私はどの曲も好きですが、やはり「イマジン」と「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が大好きです。

 またレノンは常に「ポールは弟であり、彼との確執は『兄弟ゲンJon002 カ』みたいなもので、他の奴にとやかく言われる筋合いはない」というスタンスを保ち続けていました。マッカートニーを卑下する発言をする者に対しては「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許さない」と発言しています。レノンとは飲み友達でオノとの別居中は共同生活を送っていたハリー・ニルソンや秘書・メイ・パンにでさえ、マッカートニーの悪口を言うことは許さなかったといいます。またレノンは「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった。」、また「俺が音楽業界で達成した偉業はひとつ。『ポール・マッカートニー』を発掘したことだ」とも発言しています。もはやポールとジョンの間には確執なんてなかったのです。最高の伴侶と友人に恵まれ、幸せになるはずだったのに・・・あの恐ろしい惨劇・・・

 チャップマンはレノンの帰宅を待つためにその場にとどまっていました。午後10時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着。レノンとオノが車から降りたとき、チャップマンは暗闇から「ミスター・レノン?」と呼び止めると同時に、リボルバー拳銃のチャーターアームズ・アンダーカバーを両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れました。警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着。ちなみに、チャップマンが使用した弾丸は.38スペシャルのホローポイントでした。銃と覚せい剤は私がもっとも憎む存在です。事件後チャップマンは現場から逃亡せず、手にしていた『ダブル・ファンタジー』を放り出し、警官が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んだり、歩道をあちこちそわそわしながら歩いていたそうです。彼は逮捕時にも抵抗せず、自らの単独犯行であることを警官に伝えました。被害者がジョンであることを知った警官が、「お前は、自分が何をしでかしたのか分かっているのか?」と聞いたときには、「悪かった。君たちの友達だっていうことは知らなかったんだ」と答えたそうです。精神疾患だということですが、許せません。ジョンとヨーコは私立ちに多くのメッセージを残してくれました。またヨーコさんは今でも、あの時のままでいらっしゃいます。『死を無駄にしないで』と言う言葉はあまり好きではありませんが、今のミュージシャンに受け継がれていって欲しいと心から思います。

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コメント

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投稿: jasa seo bergaransi | 2016年9月 4日 (日) 01時13分

投稿: isin4d | 2016年8月31日 (水) 12時10分

投稿: Sbobet | 2016年8月22日 (月) 20時05分

Im grateful for the article post.Thanks Again. Awesome.

投稿: in the ass | 2016年6月 2日 (木) 09時35分

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投稿: screw my wife please | 2016年3月31日 (木) 09時41分

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投稿: mature dp | 2016年3月 3日 (木) 16時21分

Thanks so much for the blog article.Really thank you! Great.

投稿: eebest8 | 2015年3月26日 (木) 10時49分

とこさん、リンクしていただいたんですね。
ありがとうございます。お手数かけました。

言われることはわたしもブログを始め感じました。確かに固いというか、普通におもしろくない記事は敬遠されがちのようですね。
ただアクセスだけ伸ばすつもりなら、色んな書き方があるのでしょうが、これで行くと決めればきっと見てくれる人もいるような気がします。
とこさんの道を(*^_^*)
わたしも知り合えて嬉しいです(*^_^*)

こちらこそこれからもどうかよろしくお願いします。
とこさんもどうか風邪お気をつけてです。

投稿: KOZOU | 2009年4月 1日 (水) 22時19分

こんにちわ。
今朝はこちらも寒かったです。

絵画、文学、音楽と造詣深いですね。
ビートルズはわたしの青春でした(^_^;)デビュー当時の鮮烈な音楽性、世界中が度肝ぬかれたですね。
来日時は殺人的な大騒ぎ(^_^;)
ジョンレノンもイマジンも大好きです。
歌で世界を変えたと言われますが、ほんとに同世代に訴えた力は大きかったですね。
それだけにあの暗殺は驚きました。
FBIが相当監視していた彼のこと、裏があるように思えてなりませんが、案外チャップマンの単独犯行だったかもですね。
「ライ麦畑でつかまえて」があれでまた売れたとか(^_^;)
ジョージ・ハリスンも亡くなったですけれど、わたしたちにあの鮮烈な姿が消えることはないでしょうね。

投稿: KOZOU | 2009年3月31日 (火) 12時32分

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NO.00142 ジョン・レノンのベストアルバム『THE COLLECTION』(1982年) 先日、知り合いの“ジョン派”の人と『ジョン派とポール派』について語り合ったのですが、2人の間ではこんな結論に到達しました。(言論の自由って事でお許し下さい....... [続きを読む]

受信: 2009年4月 5日 (日) 12時30分

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