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2009年3月18日 (水)

私の好きな作品たち~宇神 幸男編

 『神宿る手』がヒットし、音楽ミステリーというジャンルを、初めて読みました。こういうモノがあるという事さへも最近まで知らなかったんですが、ブックオフでシリーズ本の第2冊目を見つけて、買い集めてました。クラシック、特にワーグナー好きな人なら簡単にお気づきでしょうが、1冊1冊は独立してますが、本書は4部作の第1冊Ikaru04
このあと
 第2冊「消えたオーケストラ」
 第3冊「ニーベルングの城」
 第4冊「美神の黄昏」
と、こっちの方が恥ずかしくなってくるくらい耽美的で、ロマンティックな構成です。
 幻の伝説のピアニストのCDが発売される。エリック・ハイドシェックがモデルらしいんですが、相当なフィクションが織り交ぜて物語は進みます。どこぞの有名なクラシック音楽雑誌記者が主人公で、記者がピアニストの復活の謎を追うことからストーリーはミステリアスになってゆきます。でも、そんなにミステリでもないかな。
  
クラシックが好きな人には幾分面白いかもしれませんが、そうで無い人にはかなりキツイかもしれませんね。そんなマニアックな音楽界ミステリがあってもいいじゃないですか、というのが私の感想です。現実にはクラシック音楽は注目度が極度に低く、このような事件が仮にあってもまるで騒がれることはないでしょうが、読んでいる間は自分が本当のスキャンダルに巻き込まれたように小説世界に遊ぶことが出来ました。クラシックの知識は全く必要ないので(もちろんあればあったで楽しめますが)量産型の少々中身の薄いミステリーに飽きた向きに是非進めたい構成のしっかりした「濃い」作品です。こういう小説はそう簡単には書けないし、出会えないでしょう。
 
宇神氏は、愛媛県宇和島文化センターの職員で、アルフレッド・コルトー最晩年の弟子であるエリック・ハイドシェック氏の長き沈黙ののちの再デヴューコンサートを宇和島で企画し実現させた方とのこと。このコンサートは、プライベート録音ながらテイチクから発売(現廃盤)され、名盤の評判の高い伝説的なものとなりました。まさに、事実は小説よりも奇ですね。

 『消えたオーケストラ』は前作『神宿る手』の登場人物が、またまた大事件を起こします。ホールを埋めた聴衆の前から、オーケストラのメンバー全員が消えた。黒い舞台衣裳の特異な姿の彼らだ、人目につかないわけがない。なのに目撃者は皆無。やがて楽団事務局に、正装したヴィオラ奏者の死体の入ったコントラバスケースが届いた・・・空前の消失トリックにいどむ音楽ミステリー。

『ニーベルングの城』は、スイスの古城に展開する禁断の愛。ヒトラーを呪縛した世界支配の象徴“聖槍”の行方。暗号曲に隠された秘
密。ワーグナーが鳴り響きナチの悪夢が今よみがえる・・・ 
 

幻の天才ピアニスト・バローの復活を描く『神宿る手』から始まった物語は、ヒロイン島村夕子が音楽の師・バローの遺産を守るべく、とんでもない行動力を発揮する物語に発展しました。バローの遺産とは、聖遺物ロンギヌスの槍、『ニーベルングの指輪』のワグナー自筆の楽譜、そして、ヒトラーが遺したナチス復興のための遺産のありかを示す地図。

 第4作『美神の黄昏』に入った時点で、聖槍と楽譜、地図は夕子の手にあります。
ここから読み始めても大丈夫なようにある程度、前巻までの説明もあるところは親切です。バローが愛した弟子、夕子にとっては弟弟子の天才ピアニスト・フリッツも無事。既に夕子はネオナチの党員2人の命を奪っている。だが、警察には届けない。
まあ、それはそれなりの理由があるということでよしとして・・・。この時点では・・・

でも、夕子を助けるために日本からやってきた蓮見と沢木圭子が、あっさりと実にあっさりと殺されてしまったのには驚きました。

これでは身代わりにするために出したようなものです。挙句、車を取り替えたということを運命の分かれ道だったと大仰に嘆かせる。その前に1台にしようとしていたのに、わざわざ2台のままで、目的地へ向かったことの結果です。拷問シーンを書きたかったんじゃないのか?と疑ってしまいます。これから拷問だなと思った時点で、読み飛ばしてます。

とはいえ、おかげで、夕子とフリッツは時間を稼ぐことができ、追跡者であるネオナチに先んじて、ヒトラーがヒムラーに託した遺産を
見つけることができました。
 でも、結局、それが何かを確かめただけで、聖槍も置いてきてしまうのです。
確かに、全く所有欲のわかない代物ではあったし、始めから、夕子の意地で始まった宝探しだったのだから、置いてくること自体は想像できたのだけれど・・・

とはいえ、おかげで、夕子とフリッツは時間を稼ぐことができ、追跡者であるネオナチに先んじて、ヒトラーがヒムラーに託した遺産を見つけることができました。
でも結局、それが何かを確かめただけで、聖槍も置いてきてしまうのです。
確かに、全く所有欲のわかない代物ではあったし、始めから、夕子の意地で始まった宝探しだったのだから、置いてくること自体は想像できたのだけれど。ここで完全完全に脱力状態の私。この脱力感こそが著者の狙ったものだったのでしょうか。
そういえば、宝を発見する前に、夕子は朝日に染まる山をみて、これを眼にすることができただけでいいというようなことを言っていました。ワグナーの楽譜はそれより先に燃やしている。生きるため、フリッツを守るためという切実さがあるので、このシーンは良かった
と思います。いずれにせよ、守るはずの遺産はフリッツを除いてすべて失われました。

 命からがら戻った夕子とフリッツを迎えるのは平田。この人が悪いとは言いませんが、蓮見が哀れすぎると思いました・・・好きだとも言えないうちに、ろくに役にも立てないうちに殺されてしまったのだから。

そして、その後は、たまに夕子が思い出して良心の呵責を覚えるくらいなのです。
そもそも、冒頭は蓮見視点で始まったのに、スイスにきてからはすべて夕子視点なので、彼の心情も、沢井圭子の心情も、夕子の想像でしか描写されないBear020 と思うのです。

1作めの『神宿る手』に倣っているのだろうけれど、妙な夢オチはついているし・・・
最後が、1作目のバローの復活リサイタルと次世代を担うべき天才ピアニスト・フリッツのコンサートを同じ会場でというのは、心情としては頷けるし、立ち竦んだフリッツを「コラッジョ・マエストロ・コラッジョ」とバローの時と同じ言葉で励ますのもいいでしょう。
でも、『神宿る手』では蓮見が言った言葉を、『美神の黄昏』では平田が言うのがどうも・・・

 作品の最初のページには三島由紀夫の「小説とは何か」より文章が引かれている。
・・・ともすると、人間にとっては、「命を賭けても知りたい」という知的探究心が真理を開顕することよりも、「知ることによって身を滅ぼしたい」という破滅の欲求自体のほうが、重要であり、好もしいことなのではないでしょうか?・・・

言わんとすることはわかる気がしますが、夕子がそれを体現していたという読後感はありません。身を滅ぼした蓮見と沢木圭子にもそういう気持ちはなかっただろうと思います。
沢木圭子に至っては、夕子への贖罪としか思えなませんでした。
実際そうなのでしょうが、そこまでしなくてもと思うような贖罪。哀れすぎて耐え難いです・・・

夕子の願いがバローの音楽の真価を世に知らしめることであり、その愛弟子のフリッツを世に出すことであったのであれば、それにもっと的を絞り動機づけすることで、夕子の行動が説得力を持ったはずだ。あっさり遺産を手離さず、どうせならそれで取引するぐらいの根性を持ってほしかったです。そうであればこそ、音楽に魅入られた人々の狂気と恍惚、そして彼らにとって至上のものである音楽を感じることができると思うのですが・・・

結局、誰一人として法律上の罪には問われないままのようだし、残ったのは釈然としない気分だけでした。
1作目の『神宿る手』が好きだっただけに残念でなりませんが、どう思われますか?

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