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2009年3月22日 (日)

私の好きな作品たち~保坂和志編

 『この人の閾』で芥川賞っを取った保坂さん。私は彼のような小説、とても好きです。

 『この人の閾』に収録されている作品も含めて、保坂和志の一連の作品に共通して言えることですが、作品を紹介するのにストーリーの概要を使うことは、まったく無意味です。

  『この人の閾』では、小田原に出張した男が空いた時間をつぶすために、大学時代の友人である女性の家を訪れるという、ただそれだけの話ですし、『東京画』は玉川上水の近くに引っ越した男がその町の様子をつらつらと眺めるという、ただそれだけの話です。

 『夏の終わりの林の中』では男が女にさそわれて自然公園の中001sway を散策するだけだし、『夢のあと』も知り合いの笠井という人といっしょに子供の頃に遊んだ場所へ行く、というだけの話なのです。こうしてシチュエーションだけ書き並べてみると、何か大きな物語に発展していきそうな雰囲気ではありますが、一連の作品では書かれてある以上のことは何も起こりません。深読みすらさせてもらえない。「三十代後半の男と女が昼下がりに会うなんて"昼メロ"ならそのまま十年の不在の時間を越えて常時の始まりになってしまうが、ぼくと真紀さんでは十年の不在は「不在」よりももっと何もない(『この人の閾』より)」と作品の中でことわっているように、著者はおそらく、そういった物語の流れを意図して避けて作品を書いているのでしょう。それでいて、これらの作品は小説として充分楽しむことができるのです。キーとなっている「十年ぶりに友人に会う」「××町の移り変わり」「松林が極相林へと遷移していく」「昔遊んだ場所を訪れる」・・・ですが、よくありがちなノスタルジーのようなものはありません。そこに起こった変化をそのまま描き、ふと何かを感じたり考えたりする。おしつけがましいものが何もない、というのも、この作品がもつ味わいのひとつでしょう。
 練りに練られたストーリーのもと、魅力的なキャラクターが事件に立ち向かったり大活躍したりする、激しい動きのある作品も好きですが、保坂さんの作品のように、ゆるやかな時間の流れを思いながら、それなりに生きる姿を描くものも好きなんです。
  たとえば、この中の 『東京画』で、路地裏でじいさんが夕涼みをしている光景を見て、執拗に考えをめぐらせたりするところとか『夏の終わりの林の中』で食物連鎖の話なんかを登場人物がずっと会話してたりするところとか、こういう題材でふつうだったら面白くなんてならないんじゃないかな、とおかしみさえ感じます。
 そして、こういうところから哲学的になったりするのがとくに好きなところです。哲学的というのもちょっと違うのかもしれませんが、逆に言えば、哲学に私が求めるものが保坂さんの小説やエッセイの中にあるということです。哲学といっても難解なことでもなく、ふだん意識に上らなかったり、追求して考えなかったりするようなことを、捕まえてみせてくれる、という感じでしょうか。

 ですから、「あぁ、そういうことか」とか「そうそう、そうなんだよなぁ」とか「うんうん、わかるわかる」みたいな反応が引き起こされます。
 なので当然、『プレーンソング』もその流れを汲んでおり、「何も起こらないこと」というジャンルが、映画や文学の中で確かにあるという確信を懐くようになったのは、保坂和志さんの文学に触れるようになってからの事だと思うのですが・・・
 この時間の感覚は日常生活そのものですが、それを小説を読むという形で追体験する経験自体が、何かしら官能的なものがあるように思えるのです。
 小説を1冊読みきるのは、何かしら一つの体験を通り抜けるという事なのですが、この小説を通り抜けたあとは、夏の日の眩しさと若い人に特権として与えられている、豊穣な時間の跡が体の中に残ります。読んでいるときはそうは感じないのだけれど、地の文がとても長い。文章に独特のリズムがあって、ゆるやかになのだけれどなんとも腰の強い文章だという感触があり、それとあっさりとした描写と会話文の落差がこの、妙な雰囲気を醸し出しているのではないかと思います。そして、その中で時々挿入される「ぼく」の考察はなかなかに深くて、つい一緒に考えてうなってしまう・・・そう思いませんか?きっちりした事件を元に起承転結がある「物語」があってもいいし、しかし徹頭徹尾だらだらと続く、そしてこの物語が終わった後も続いているような「物語」があってもいいと思うのです。どちらも「物語」だと思うから。多分、後者はよう子の言う「日帰りで行ける場所」だったりするのかも知れないな、と思いますが・・・

 『猫に時間の流れる』は「あることがきっかけでぼくは猫とつきあうようになったのだが、猫、とくにノラ猫をみているうちに、彼らの生きる現実というのは可能性の海にぽつんと浮かび出たとても見つけにくい孤島だという感じを持つようになった。彼らの生きる現実は、こちらが思い描くいくつもの想像や推察の一つとしか交わらないし、交わりそびれることもいくらでもあるからだ。死んだ人間が残すわからなさは、動物の場合には生きているあいだもつねにあるというのが、「猫に時間の流れる」を書いた動機となっている。」と言われています。

 保坂さんにとって、「猫」は「死」という主題と同等かそれ以上の重みを持っていま031steiす。保坂作品は、「死」そしてそれに付随して「時間」や「記憶」が中心的な主題になるというか、どの作品もこれらの主題を繰り返し思考し続けています。
「猫」もまた同様であるが、つまりこれらはみな人間にとって「他者」あるいは「外部」なのです。そして、この「外部」の持つ「わからなさ」は、文学を豊かにしてきました。とりわけ、保坂さんの語りを饒舌なものにします。我が家にも猫がいながらそんなふうに考えたことが無かったです。確かにそんな風に考えると、彼らの行動は「わからない」ですね。でもそこで考えてみる・・・それが大事だと教わった気がします。

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