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2009年3月16日 (月)

私の好きな画家~フィンセント・ファン・ゴッホ

 今までも私の記事に挿入画として紹介してきましたが、私は日本の東山魁夷氏と同じくらい好きな画家です。

 ゴッホの作品は、初期の段階を除けば、印象派を出発点としています。また、日本の浮世絵の特徴である明快な色使い、影の無い世界にも大きな影響Gohho004 を受けました。即ち、戸外での制作、明るい画面、筆触分割等々といった特色なのです。

ところが、印象派の画家達の筆触が視覚混合を狙う為比較的細かなものであるのに対し、ゴッホは時代が下ると共に筆触は長く伸び、うねり、表現主義的。また印象派の視覚分割に於ける色彩の選択が科学的な知識を基本とするのに対し、ゴッホのそれは主観的・また時に象徴主義的です。強い輪郭線、色面による構成、人物の戯画的なデフォルメ等も、印象派とは異質のものだといえるでしょう。
 また、印象派は自然主義を基本とするが、ゴッホの絵画は単なる現象の写しを離れ、しばしば象徴主義的です。この傾向は特に後期に著く、印象派が太陽の照らす戸外を描くのに対し、彼は夜をも描きます。また、憂鬱な人間と社会、更には神的な世界をも描きましたが、この態度は印象派と決定的に異なるものとなりました。

 ゴッホは画家としての活動が約10年間と短く、絶対数としては油彩900点、素描1100点があると言われていますが、傑作とされる作品はほとんどが晩年の約2年半(1888年2月から1890年7月)に制作されたものであり、知名度に比して(傑作・良作とされる)作品数は少ないのです。

 生きているうちに何故絶賛を浴びなかったかは彼の異常な言動が世間から見れば普通でないと思わせ、彼は色々な悩みを弟に手紙で記しています。絶望に淵にありながら晩年の2年半描き続けたゴッホの心情を思うと私は苦しみさえ覚えます。

 いろいろな経緯を経て、作品の取引においては高額となるました。代表作でもある『医師ガシェの肖像』は、1990年5月15日にニューヨークのクリスティーズでの競売で、8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で、当時大昭和製紙名誉会長の齊藤了英に競り落とされました(齊藤は数日後にルノアールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」も7810万ドルで落札している)。これらの作品については齊藤の「死んだら棺おけに一緒に入れて焼いてくれ」という旨の発言が報道され(1991年5年1日日本経済新聞)、美術愛好家からの非難の声もありました。結局、齊藤の所蔵中は一般公開されることなく、齊藤の死後は銀行の担保となり、結局1997年から1999年頃にかけて海外に売却されました。

 『医師ガシェの肖像』は約100億円でアメリカ人コレクターに売却されたとされるが、現在の所蔵者は不明です。『医師ガシェの肖像』は弟テオの未亡人ヨハンナによって、1898年頃、デンマークのコレクターにわずか300フランで売却されたと伝えられていますが、芸術作品の投資(投機)商品としての側面がクローズアップされたとも言えるでしょう。
 
 大変な読書家だったゴッホは、ゾラ、ディケンズ、ヴィクトル・ユゴーなどの作家についても、攻撃的写実主義によって貧困層の受難を描写する点で、自分と共通点があると考えていました。そしてミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家でした。宗教的な主題を直接描く
のではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからです。1886年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居した。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌しました。

 1888年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていきました。
 1890年7月、オヴェールで自殺。生前に売れた絵は1点だけだったが、その頃には既に、画家仲間から作品は知られるようになり、評価され始めた時期でした。パリに出ると特に、社会主義やアナキズムの賛同者が画家仲間でも多くいGohho24 て、ゴッホは画家が協同制作するコミューンを夢見たのですが・・・

 1890年6月、姉に宛てた手紙に以下のように書いています。「ぼくはいま、村の教会のかなり大きな作品を手掛けています。この建物は深く澄んだ、純粋なコバルド・ブルーの空にくらべると紫色がかって見えます。焼絵ガラスのはまった窓は群青のしみのようです。屋根は紫色で、一部はオレンジ色です。前景にはちょっと緑がかった花が咲き、日のあたっている砂地はバラ色です。この作品はヌエネンで描いた古い塔と墓地の習作とほとんど同じですが、この作品では、色彩はもっと表現力に富み、もっと豪華になっています」・・・この絵は、『オーヴェールの聖堂』でした。素晴らしい絵です。ゴッホは緑内症だったとも言われています。それが見えるものも色をこんな風に描いたのかもしれません。

 あのアルルの時代 、南フランス アルルにいた頃。画家たちの 共同生活をしようと「黄色い家」を借りましたが、実際に来てくれたのはゴーギャンだけでした。「耳切り事件」のあと、悪夢と幻覚はゴッホから離れることはなかっのです。

 サン・レミ時代は サン・レミのカトリック精神療養院「サン・ポール」に入院していた時期。発作持以外は安定していたので「制作室」で制作していました。

 ゴッホは一時期、ブリュッセルの副音伝道学校へ入っていました。しかし、ゴッホの過剰な信仰は、学校側に警戒され、信仰さえ自由のきかない時時代だったのです。彼がどれほど救済を求めていたことか・・・かれはプロテスタントとして貧しい市民の力になりたかっただけなのに・・・

 「ゴッホが好きです」というと誰もが「情熱的なんだね」と言います。彼の深い悲しみを何故彼の絵から想像できないのかと、私は残念でたまりません。ゴッホの優しさが自分を亡き者にしたのです。それを踏まえて絵を鑑賞したいものです。

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コメント

とこ様、読んでいただきほんとにありがとうございました。
コメントも嬉しかったです。(*^_^*)

わたしもまたおじゃまして色々読ませていただきたいと思います。
これからもどうかよろしくお願いいたします。(*^_^*)

投稿: KOZOU | 2009年3月25日 (水) 08時41分

詳細なすばらしい記事ですね。
わたしもゴッホは大好きです。
絵もですがその人間が。
ただ一緒にいればうっとおしくはなるようですが(^_^;)
言われるとおり、彼は優しすぎたのだと思います。
銃粋すぎる優しさは人の受け入れるところではなかったのでしょうね。
それに深い絶望を。
生前一枚の絵が二束三文で売れただけなのに、天文学的な価格に。
どちらもおかしくこの世の悲喜劇なのでしょうね。
弟テオも大好きです。

投稿: KOZOU | 2009年3月23日 (月) 15時04分

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