私の心の記憶~実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
1972年、あなたはテレビに釘付け、新聞を読みあさりはしませんでしたか?あのあさま山荘立てこもり事件にたんを発したと思われた赤軍派のことを。
この映画は、日本赤軍との関係も深い若松孝二監督が、革命を叫ぶ若者のそばから1972年の連合赤軍・あさま山荘事件に迫る人間ドラマ。殺害される運命の遠山美枝子を坂井真紀、中心メンバーである永田洋子を並木愛枝、坂口弘をARATAが熱演。狂信的な連合赤軍メンバーの革命への夢が、悪夢へと至るプロセスが臨場感たっぷりに描かれます。壮絶なリンチシーンは目をそらしたくなるほど衝撃的ですが、それ以上に彼らの思いが圧倒的な力強さで表現されています。
ことの発端は、ベトナム戦争、パリの5月革命、中国文化大革命
など、世界中が大きなうねりの中にいた1960年代。日本でも学生運動が熱を帯び、連合赤軍が結成されました。革命戦士を志した坂口弘(ARATA)や永田洋子(並木愛枝)ら若者たちは、山岳ベースを設置し訓練をはじめます。厳しい訓練に追い詰められ、メンバーによる仲間同士の粛正が壮絶を極めていきます。
これは、理想の名の下に懸命に生きたのに、取り返しのつかない過ちを犯してしまった若者たちと失われた命の峻厳な記録です。60年代から70年代初め、この国を憂い、革命を夢見て起ち上がり、その反市民性ゆえ社会の闇へと追いやられた若者たちがいました。
映画は客観的に事実を積み上げ、彼らを決して美化せず、ひたすら観念的に純化していく未熟な姿を時系列に追いました。やがて、数十挺の銃だけでは「革命」など実現しえないことに気づいたのか、欺瞞と不安を埋め合わせるかのように仲間の精神的な向上を追求し、その粛正は凄惨なリンチへ・・・当時はその猟奇性ばかりが喧伝されましたが、本作のカメラアイは、彼らが平和と他者の幸福を願った誠実な若者だった事実を伝えつつ、冷徹な眼差しと確かな愛情をもって批判的に捉え、慟哭しています。最後の銃撃戦の最中、最年少の高校生戦士の発するにもなだれ込んできます。あれから36年経った今も、戦うべきは「国家」なのでしょうか。いえ、何も考えず皆と同じだと感じることで安堵する個々の顔がない、ただ思いつきと思いこみで動き、消費に明け暮れる怪物・・・そう、国家も何もかもまるごと呑み込んでしまった「大衆」こそが撃つべき相手ではないかとさえ思えてきます。あの事件を正視してこなかったすべての日本人に向け、挫折した彼らの精神の中から希望のかけらを見出せないかと真の「総括」を問う、若松孝二渾身のメッセージをしっかりと受け留めなければならないでしょう。
1972年2月、日本中がテレビに釘付けとなったのは5人の若者たち が、長野県軽井沢の「あさま山荘」に立てこもり、警察との銃撃戦を展開したからでした。彼らは、革命に自分たちのすべてを賭けた「連合赤軍」の兵士たち。その後、彼らの同志殺しが次々と明らかになり、日本の学生運動は完全に失速する・・・この時期まで学生運動が行われていた事など露とも知らなかった幼かった私に怒りさえ覚えました。あの時代に、何が起きていたのか。革命戦士を志した若者たちは、なぜ、あそこまで追いつめられていったのか。なぜ、同志に手をかけたのか。なぜ、雪山を越えたのか。なぜ、山荘で銃撃戦を繰り広げたのか。あさま山荘へと至る激動の時代を、鬼才・若松孝二が描くいた本作は、2008年ベルリン国際映画祭「フォーラム部門」招待作品に選出され、第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門では作品賞を受賞しました。
しかし、私の諸先輩達は、世で言うところの団塊の世代は、どの様に思い、今という時代を生きているのか私には想像も出来ないのだろうと思います。ただあんな形で学生運動が失速したと言っていいのでしょうか。
この「実録・連合赤軍」はそういう地平で語れない、数多くの矛盾に満ちた日本の戦後史の重要な側面を語る映画であり、それは世界に影響を与えた政治運動の軌跡を記録した巨大なアーカイブスとなった事業だと思うのですが・・・
何がすごいと思ったのか?と問われれば、連合赤軍が辿った一連の事件をなぞるだけでも膨大であるのに、この映画は、敗戦国日本が米国の覇権主義の手先となって、朝鮮やインドシナの戦乱への協力と引き換えに国際社会に復帰し、国内経済を復興してゆく過程を描き、日米安保制定、第二琉球処分(外国軍基地付き返還)、三里塚紛争という社会矛盾を敏感に感じ、学費値上げや待遇改善など身近な問題からその異議申し立てを始めた学生たちの意識の高揚と行動から、緻密に語っていることだ。誰も言わないけれど、連合赤軍が決して特殊ではなく、あの時代の誰もが〝わたしだったかもしれない〟と思わせる内なる事件だったことを浮かび上がらせる映画として、学校では絶対に教えてくれない日本戦後史のタブーを丁寧に駆け足で描いてゆきます。そして愚かで間違っていただろうが確かにそこにヒトが必死に生きていた姿を映画は的確に冷徹に語ってくれます。
総括という名のリンチ殺人や山荘での銃撃戦など、連合赤軍の起こした事件の一つひとつは、はっきり云って「革命ごっこ」と馬鹿にしてもおかしくありません。それは太平洋戦争で「お国のため」「鬼畜米英」「神国」などと信じ込んで叫んだこととほとんど変わりはないように思えます(事後首謀者がのこのこ生き残っていたことも共通点として滑稽)。・・・運動の中身をどうこう云う資格はないけれど、日本の左翼運動の大衆化の可能性を急速に減退させた一連の事件をまさしく「日本史」として記録した映画であり、あの事件、あの時代に関心のある者には決して避けては通れない映画であると思います。
連合赤軍は京浜安保共闘と赤軍派がコンジャンクションした組織であり、既成の左翼思想に物足りなさを感じた左翼大学生とそれに洗脳された専門学校生や高校生、労働者たちによって組織化されていました。しかし、トロツキズムを基盤とする共産主義がスターリニズム共産主義と如何に違っているのかを自分自身の理論として確立するには、専門学校生や高校生、労働者たちの学習量では追いつけなかったようです。(※日本共産党は反日共系を一派一絡げにして、全員トロツキストと呼んでいます。)
悲劇はこの格差によって引き起こされますが、共産主義を具現化しようとして先鋭化していく連合赤軍という集団に、百姓の身分でありながら士道を追及するあまり、局中法度により仲間を切腹や斬首に追い込んだ新撰組をダブらせてしまうのです。そして、スターリンへのアンチテーゼでトロツキーを選択した連合赤軍が“スターリニズムの血の
粛清”を犯してしまう行為は、勇気がなかったといった
“1フレーズ”は映画内でも少年が叫び、実際には獄中で森が自分を総括しています。しかしこれだけでは解決出来ない筈です。
連合赤軍メンバーの多くは所謂、一流大学の学生でした。中でも黒澤明監督作品の「わが青春に悔なし」でも題材にした京都大学の反権力、反骨主義が極左集団の知識の拠り所となりますが、そこには超一流大学の東京学、一橋大学、東京工業大学の学生は一人もいません。全員が旧・国立二期校、或いは早稲田、慶応という、超一流大学の滑り止め校へ進学した挫折感が鬱屈とした感情に構築され、それを満たすためにイデオロギーへ傾斜していったのでしょう。更なる無力感は連合赤軍たちが救済しようとした市井の一般市民たちによって警察機構へ通報され逮捕されたことにもあります。
殆どの一般学生も積極的にデモ等に参加していた安保闘争は、映画の冒頭のドキュメントでも描かれている東京大学の学生だった樺美智子さんの死に見てとれます。彼女はラジカリストではなく、デモがある日にたまたま時間があったから参加したノンポリ学生に過ぎなかったということを聞きました。当時、“手には朝日ジャーナル、心に少年マガジン”という一世を風靡した言葉がそれを物語っているといえるでしょう。
映画のクライマックスは浅間山荘攻防戦ですが、国家権力のエリートである東京大学法学部卒の幹部キャリア警察官の遠望深慮によって、この浅間山荘事件を宣伝材料と利用され、国民は左翼系学生運動自体を支持しなくなり、国家権力の中に取り込まれていくのです。日本の左翼系学生運動の終焉を意味したエンディングが見事な映画です。
連合赤軍が渇望した共産主義は毛沢東の文化大革命やポルポト政権による自分の国の市民を大量虐殺に辿り着きました。人間は、必ず理想を求めては、いつも最悪のモノを生み出してしまう存在なのです。…共産主義を実現した国家は皆無に等しいのですから。
とにかく考えさせられる映画でした。(と、ここでチャンチャンは無しです)
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