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2009年4月19日 (日)

私の好きな作品たち~メンデルスゾーン編

 誰もが知っているメンデルスゾーン。あまりにも有名で、お話になりませんね。では彼の違った一面も・・・

多数の言語を自在に操り、青年になる頃にはドイツ語のみならず、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語までも話していました。音楽のみならず詩や絵(水彩画)にも興味を持ち、いくつかの作品が残っているそうです。特に水彩画に関しては趣味として楽しんでいたのにも関わらず、本職の画家顔負けの実力を持っていました。
 作曲以外の彼の最も重要な業績はまず、それまで独立していなかった指揮者という職務を独立させ、自らも極めて有能な指揮者として率先して範を示し、弟子たちに指揮法を教え、現在にまで至る指揮法を確立した創始者であるという点です。

 同様に極めて重要な業績として、その当時すでに忘れ去られMurillo01 ていた大バッハの楽譜を自ら発掘してその価値を見抜き、同様に演奏困難などの理由で早くも忘れられつつあったベートーヴェンの作品をもこよなく愛し、自分の作品だけでなく彼らの作品を好んで積極的にパイプオルガン、ピアノないしオーケストラの曲目として取り上げ続け、貴族にも大衆にも大バッハやベートーヴェンの価値を広く知らしめた点が挙げられる。また、友人のシューマンが発見したシューベルトの遺作、交響曲ハ長調D944(第8番『ザ・グレート』)を初演したのもメンデルスゾーンでした。

 さらに、自らがオルガニスト、ピアニストあるいは指揮者となり、それまで古い楽曲を演奏する習慣のなかった音楽界に、古くても価値¥ある作品を敬意を払って演奏するという音楽作法を確立し、ピアニストやオーケストラの演奏活動を大いに盛んにしたことも、メンデルスゾーンの大きな功績と言えます。

 メンデルスゾーン家は1812年以降ベルリンに居を構えますが、フェリックスも含めてユダヤ人としていわれなき迫害を受けることが多く、それは改宗後も大して変わりませんでした。にも関わらず、フェリックスの業績・影響力は極めて強く、終生ドイツ音楽界の重鎮として君臨し続けました。音楽への情熱が彼をかりたてたのか、差別など彼にすれば些細な事だったのかもしれません。多くの人々に音楽を聞かせたかったのでしょう。あの『結婚行進曲』もメンデルスゾーンの曲だと知っていましたか?身近な存在に感じませんか?

 デュッセルドルフの音楽祭の監督を経て、メンデルスゾーンは、1835年にライプツィヒのゲヴァントハウス交響楽団の音楽監督に就任します。交響楽団は良く訓練されており、幼友達のフェルディナンド・ダーヴィッドをコンチェルトマイスターに迎え、メンデルスゾーンと
って絶好の音楽環境が作られる。 2年後の幸福な結婚も加わり、メンデルスゾーンの音楽活動は実り豊かな時期を迎える。メンデルスゾーンは押しも押されぬ名声を得ることになりました。
 ところが、ベルリンとの関係は終わったわけではありませんでした。1840年になると、メンデルスゾーンの国際的名声に触発されたプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、メンデルスゾーンをベルリンに招聘しました。メンデルスゾーンは、ライプツィヒの仕事をしばし中断し、ベルリンに赴き、任務につくことになります。しかし、この話は、紆余曲折を経、1845年になって、メンデルスゾーンはベルリンに残ることを最終的に拒否することになります。フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の招請は、音楽を愛好するというよりは、名声の
上がったメンデルスゾーンを自分のもとに置きたいという気持ちから出たもので、結局メンデルスゾーンの活動の場を何等提供しなかったためでした。このプロイセンの王室との問題の心労もあって、この頃からメンデルスゾーンは体の不調を訴えるようになります。そのメンデルスゾーンに決定的なショックを与えたのが1847年5月の姉ファニーの突然の死でした。メンデルスゾーンの四つ年長の姉ファニーも同様に音楽の才能があり、音楽の道に進みたがっていたにもかかわらず、メンデルスゾーン本人も含め、家族の皆は、女性が主婦以外の道を進むことは考えられないことだと思っていました。当時の社会の意識が偲ばれます。プの音楽家にはなりませんでしたが、ファニーはメンデルスゾーンの終生の良き理解者であり、精神的支えであり、また、自らも多くの作品を残しています。
 ファニーを追いかけるように、メンデルスゾーンも、同じ年の11月にライプツィヒで亡くなりました。メンデルスゾーンの遺体はベルリンに運ばれ、メンデルスゾーン家の墓地に葬られました。今、訪れてみると、姉ファニーの墓と並んでメンデルスゾーンの墓があります。もっとも、二人とも墓石は新しく、メンデルスゾーンの墓は、単純な白い十字架でした。

 メンデルスゾーンは、生前は高い名声を誇っていましたが、その後のドイツでの評価はさほどでもありませんでした。調べてみると、これには、リヒャルト・ワーグナーの反ユダヤ宣伝、反メンデルスゾーン宣伝が大きく影響していると思われます。

 ワーグナーは、メンデルスゾーンよりいくつか年が若いのですが、神童のメンTana01デルスゾーンと違い、年をとるまで芽が出ませんでした。
 そこで、メンデルスゾーンに近づき、自分が世に出るのを助けて もらおうとしましたが、同時にメンデルスゾーンに激しい嫉妬を感じていたようです。ワーグナーは、メンデルスゾーンが亡くなるとともに反メンデルスゾーン宣伝を始め、妻のコジマとともに胸糞の悪くなるような反ユダヤ宣伝を展開しました。ワーグナーの品性がうかがわれますが、これが、後のナチスの反ユダヤ宣伝につながって行くのは、火を見るよりも明らかです。

 神童と呼ばれ、モーツアルトにも劣らない才能っを持った彼も周知のように、ユダヤの家系です。でも並の家系ではありませんでした。メンデルスゾーン家は、プロイセンのユダヤ人の家系の中でも最も名家で、最も裕福でした。そして、ナチスの抑圧に遭う1930年代まで、多くの銀行家、科学者、芸術家を生んでいます。

 メンデルスゾーンの親の世代には、ユダヤ人の解放は更に進み、それとともに当時のドイツ市民社会の発展を象徴するサロンを主催する女性も、メンデルスゾーンの親戚の中から沢山輩出しました。メンデルスゾーンの父親は銀行家でしたが、お金があるだけではユダヤ人の社会的解放は達成できず、教養が大切なことを骨に沁みて理解していました。そのため、子供の全人的教育に極めて熱心で、作曲や指揮、ピアノ演奏に神童と評判の高い息子にも、モーツァルトやパガニーニのように音楽に特化した英才教育を強制することはありませんでした。
 メンデルスゾーンは、ギリシャ語や絵画にも才能を発揮し、ベルリン大学ではフランス革命史を受講し、大哲学者ヘーゲルの美学の講義も受けています。特筆すべきは、メンデルスゾーンは、12歳で初めてゲーテに会って以来、ゲーテが亡くなるまで、ずっとその恩顧を得たことです。

 そして、全部で48曲残された「無言歌」は、当時のドイツ・ロマン派音楽の中で作曲されたピアノの性格的小品集の中でも、最もよく知られた傑作の1つとなっています。これらの曲は、曲想が優美で温かく、技巧的にも難しくないことから、発表の当初から多くの人々に愛されてきました。ピアノ独奏用の「性格的小品集」は、シューベルトの『4つの即興曲D899』が発端であると言われていますが、このメンデルスゾーンの『無言歌集』やシューマンの初期のピアノ作品群の影響を受けて、多くの作曲家たちがこの分野で種々の名作を書いてきました。

 全48曲にはそれぞれ表題がありますが、メンデルスゾーンが自Murillo05 分でつけた表題は5曲しかありません(注:この記事ではこれらは『』の括弧を使用します。それ以外の曲名は《》の括弧を使用する)。3曲の『ヴェネツィアの舟歌』(作品19-6, 30-6, 62-5)と『デュエット』
(作品38-6)、『民謡』(作品53-5)は作曲者のオリジナルの題名であります。それ以外の曲名は大半は楽譜出版社などが曲想からつけたものがほとんどですが、楽譜の冒頭にある発想標語からついた標題もあります。最も有名な《春の歌》(作品62-6)はその一例であり、他に《葬送行進曲》(作品62-3)、《紡ぎ歌》、(作品67-4)、《子守歌》(作品67-6)も楽譜の冒頭の発想標語からついた題名です。この4曲については、作曲者オリジナルの5曲と同様にみなして差し支えないでしょう。それ以外の曲名は、楽譜の版によってまちまちな場合もあり、その他の39曲の題名について、以下の一覧表では日本で最も普及したものを紹介すると、
   ~第1巻~
1.ホ長調、アンダンテ・コン・モート 《甘い思い出》 (1831年作曲)
2.イ短調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《後悔》 (1832年作曲)
3.イ長調、モルト・アレグロ・エ・ヴィヴァーチェ 《狩の歌》 (1832年作曲)
4.イ長調、モデラート 《ないしょの話》 (1829年9月14日作曲) 作曲年代が確認できる最も早い時期の曲。《信頼》という表題で呼ばれることもある。
5.嬰ヘ短調、ピアノ・アジタート 《不安》 (1831年作曲) 《眠れぬままに》と呼ばれることもある。
6.ト短調、アンダンテ・ソステヌート 『ヴェネツィアの舟歌 第1』 (1830年10月16日作曲) 『ヴェネツィアの舟歌』と題した3曲は、いずれもメンデルスゾーンが自分でつけた表題である。これはその第1番に当たる。

  以降第8巻まであり。このように短調と長調が程よく混ざり合っているところが私が彼の曲を好きな理由でもあります。

天才にも色々あるなと感じた瞬間でした。

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受信: 2009年4月19日 (日) 16時41分

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