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2009年4月26日 (日)

私の好きな作品たち~国木田独歩編

  国木田氏といえば『武蔵野』と答える私。独歩の規定する武蔵野とは狭義では雑司が谷から入間、立川までの範囲でその中に所沢や田無(西東京)、そこから布田、登戸を挟んで下目黒の範囲となっています。昨年、西東京市の周辺環境を眺めた時、最初に思い浮かんだのが本書「武蔵野」ででした。クヌギ等の雑木林が鬱蒼とOgura_work08s 茂り、なぜか散歩したくなる武蔵野は確かに日本全国を探してもこの武蔵野地区にしかありません。
 東京のベットタウンとして開発され尽くした感のある同エリアですが、大阪等の大都市と比較しても圧倒的な緑を大切にし一種のグリーンベルト的な存在として名残を残しているのは、住民が武蔵野を心から大切にしていることの裏付けだと思います。今後もこの武蔵野を大切にし、孫の代になって孫が散歩する時、国木田独歩の武蔵野を思い浮かべるよう、この自然を残していきたいものです。

 『武蔵野』は、私にとって、最良の本の一つです。『武蔵野』は、国木田独歩が、失恋の不幸を味わった後、明治29年の秋から翌年(明治30年)まで、その心の傷を癒すべく、当時は水車の村であった渋谷で生活した際、自分が見た自然を言葉で残した作品です。こ
の本の中で、私が大好きな一節を、以下に御紹介します。

--自分が一度犬をつれ、近所の林を訪い、切り株に腰をかけて書(ほん)
  を読んで居ると、突然林の奥で物の落ちたやうな音がした。足もとに
  寝て居た犬が耳を立ててきっとその方向を見詰めた。それぎりで有っ
  た。多分栗が落ちたのであらう。武蔵野には栗の木も随分多いから。--

  (国木田独歩『武蔵野』より)

 何と美しく、静寂な世界でしょうか。--かつて、こんな世界(自然)が、本当に有ったのです。--独歩は、この様な静寂の世界で、神を身近に感じていたのに違いありません。田園や雑木林の描写も美しくて、 今は消え去った東京郊外への憧れがかき立てられます。 玉川上水へのピクニックと冬の雑木林の描写が気に入っています。 独歩は女っ気もなく、ひたすら田舎歩きが好きだったようです。
 

 『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』は、近代的短編小説の創始者独歩の中・後期の名作を収録。理想と現実との相剋を超えようとした独歩が人生観を披瀝する『牛肉と馬鈴薯』、酒乱男の日記の形で人間孤独の哀愁を究明した『酒中日記』、生き生きとした描写力を漱石がたたえた『巡査』、ほかに『死』『富岡先生』『少年の悲哀』『空知川の岸辺』『運命論者』『春の鳥』『岡本の手帳』『号外』『疲労』『窮死』『渚』『竹の木戸』『二老人』が収録されています。自然なるもの、この世において唯一無二のもの、ごく当たり前で童の思考のようですが、「習慣(カストム)」によって意識することさえなくなる、非常に重要なことに気づかされました。どことなく、運命論や西洋的な思考が漂っている気がします。

 ここで自己紹介。幼名を亀吉、のちに哲夫と改名しました。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがあります。 田山花袋氏、柳田国男氏らと知り合い「独歩吟」を発表。詩、小説を書きましたが、次第に小説に専心。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後『運命論者』『竹の木戸』などで自然主義の先駆とされる。また現在も続いている雑誌
『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されています。

 1892年2月から1994年の2年間柳井に居住。 1893年2月3日、没後出版されることになる日記『欺かざるの記』を書き始めます。 同年、蘇峰に就職先の斡旋を依頼。蘇峰の知人でジャーナリストの矢野龍渓から紹介された、大分県佐伯の鶴谷学館に、英語と数学の教師として赴任し(1893年10月)、熱心に教育を行います。でもGohho54 、クリスチャンである独歩を嫌う生徒や教師も多く、翌1894年6月末に退職。
 同1894年、『青年文学』に参加。民友社に入り徳富蘇峰の『国民新聞』の記者となる。この年起きた日清戦争に海軍従軍記者として参加し、弟・収二に宛てた文体の「愛弟通信」をルポルタージュとして発表し、「国民新聞記者・国木田哲夫」として、一躍有名となりま
した。帰国後、日清戦争従軍記者・招待晩餐会で、キリスト教婦人矯風会の幹事 佐々城豊寿の娘信子と知りあう。熱烈な恋に墜ちるのですが、信子の両親から猛烈な反対を受けてしまいます。信子は、母豊寿から監禁されたり他の男との結婚を強要されたといいます。

 独歩は、信子との生活を夢見て単身で北海道に渡り、僻地の田園地帯に土地の購入計画をする。「空知川」はこのことを綴った短編です。
 1895年11月、信子を佐々城家から勘当させることに成功し、蘇峰の媒酌で結婚。逗子で二人の生活が始まったが、あまりの貧困生活に耐えられず帰郷し両親と同居します。翌年信子が失踪し協議離婚となり、強い衝撃を受ける。この顛末の一部はのちに有島武郎によって『或る女』として小説化された(偶然ですがが同作には鳩山和夫がモデルの人物も登場する)。なお、信子側からの視点では、信子の親戚の相馬黒光が手記「国木田独歩と信子」を書いており、独歩が、理想主義的ではあったがその反面、かなり独善的で男尊女卑的な人物であったことが、記されています。 

 二葉亭四迷の訳「あひゞき」に影響され、『武蔵野』(「今の武蔵野」改題)「初恋」などを発表し、浪漫派として始まる。1901年に初の作品集『武蔵野』を刊行しますが、当時の文壇で評価はされませんでした。さらに「牛肉と馬鈴薯」「鎌倉夫人」「酒中日記」を書きます。1903年発表の『運命論者』『正直者』で自然主義の先駆となりました。そして、独歩は自然主義運動の中心的存在として、文壇の注目の的になっていたのでした。

 短編が多いので古書扱いかもしれませんが、他の作品も少しずつ読んでおおらかな気持ちになりたいと思います。

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コメント

こんばんわ。
とこさん、遅れてすみません。
一日以上パソコンが使えませんでした。アクセスポイントの故障で買い換えたら早くなってよかったです。

いつも記事にコメント大変ありがとうございます。

国木田独歩は武蔵野しか読んだことないのですけれど、よかったですね。
静謐で自然描写も巧みで。
彼もあまり幸多き人生ではなかったのですね。
早死にしていますね。
ほんとに渋谷が記載されていますように自然豊かなところだったとは現在からは想像できませんね。
そういえば東京には馬や谷のつく地名が多いし、ほんとに一昔前はゆったりしていたのでしょうね。
今も東京の人たちは武蔵野をとても大事にしているのですね。

投稿: KOZOU | 2009年4月29日 (水) 22時25分

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