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2009年4月23日 (木)

私の好きな作品たち~有島 武郎編

 また、古い小説を引っ張り出して、読みふけっていました。そこに有島 武郎氏の『或る女』がありました。そして『小さき者へ・生れ出づる悩み』も掘り出しました。どちらかというと後者のほうが記憶にあって『或る女』は私が幼くて読むには早過ぎたように思います。
 『小さき者へ・生れ出づる悩み』、は「前途は遠い、そして暗い。しかしおそれてはならぬ、恐れぬものの前に道は開ける。行け、勇んで、小さきものよ」と言われる通り、自分を小さき者と思うことで、自分を過大に評価しすぎなかったことが出来たのだと思います。そう、昔はこの言葉にどれだけ勇気を貰った事か・・・

 深く生きることについて考えさせられた作品でした。表題作二編は息子と、画家を志す友人へのメッセージとなっています。両作品の最後、 行け。勇んで。小さき者よ。と、 君よ!と、強く訴えかける部分は深く感動させられます。
 これから強く歩んでいかなければならない息子たちに、画家を志すにも周囲の環境がなかなか許さない友人に、強く、夢をあきらめずに進んでいってほしい。その思いが文章の中に溢れ出ています。
 今、メディアなどで学生の自殺の問題が大きく取り上げられていますが、この作品はそれらの人生に悲観している人たちを勇気づけるのに十分ですし、こんなことがいえるのか解りませんが、生きる事の素晴らしさを感じさせてくれます。 読んで損は無いです。というか、是非読んでいただきたいと思っています。

 「生まれ出づる悩み」は、主人公は職業作家でありながら思うよKaii002 うな作品を生み出せず悩む(=題名)。一方、偶然に知り合った青年は漁師を続けながら絵を描いているという境遇ですが、その才能と執念は驚くべきものがありました。 芸術を志す者が誰でも感じるであろう、己の才能への疑念と、他者の才能に対する羨望と嫉妬を素直に描いた作品で、その素直さで逆に印象に残ります。
 「小さき者へ」は息子へのメッセージですが、文学として昇華されているか否かは疑問。ただし、いずれも作者が自身の感情をそのまま表現している事にある種の感慨を覚えます。私小説とは異なるのですが、作者を取り巻く環境を率直に表現して読者の共感を呼ぶ作品集です。今読み返すとあの頃見えなかった作者の苦悩もよく理解できますね。

『或る女』も読み返してみて、自由奔放に生きてきた女が最後に陥る虚無の孤独地獄を描いたものです。 この話のラスト三分の一は全て主人公の葉子の主観から見た人物と世界で描かれていて おそらく葉子から観た世界と他の登場人物から観た世界は全然別の世界だったことでしょう。全ての善意が悪意に見えてしまう恐怖。 自分の思い込みの世界に嵌りきり自分の内なる世界に嵌り込んで自滅していく女を 突っ放して描いているのがこの小説の醍醐味です。 葉子はどんな女だったのでしょう?それを一言でいうとタクトのある女。と著者によって本文中に説明されています。女学生の制服をひとつ着るのでも、他の女学生とは一風変わった着こなしをする。男の気を引くような素振り、科を作って見せる。媚を売ると言ってもいいのですが、そこまで100%自尊心を捨ててもいない・・・自負があるようで、ないような女なのかと写りました。自立しているようでしていない女・・・男にすがって生きている癖に、自分勝手に生きている葉子。自分に夢中になる男をバカにしてせせら笑っている・・・結婚してもすぐ飽きて、次の人生にさっさと乗り換える始末です。外国に行ってみたり、戻って来てみたり・・・
 船員の倉地だけが葉子の思うままになりませんでした。だからこそ葉子は彼に執着しました。自分より強い、自分より自我の強い、そして人格の大きい男を愛する女・・・縋りつき抱きついても、振り捨てられ、殴られることを好む女。理智より情熱を愛する女。それが「或る女」葉子の真実なのかと唖然とする作品です。

 この作品の時代は20世紀の冒頭に設定されています。つまり1901年の9月初旬から翌年の夏に限定されているのです。20世紀最初の大事件は、01年9月6日の米国大統領マッキンレーの狙撃事件がありましたね。14日に大統領が死んだあと、この小説の主人公の葉子は米国行きの船に乗ろうとしていました。歴史的出来事と小説の時間とが密な関係を持つ手法を、有島武郎は、トルストイとフローベールから学んだと思われます。
彼は欧米の近代文学の熱心な読者ででした。『或る女』には、作品の構成によって主人公の内面の闇をつぎつぎに描き出していく複雑な手法が取り入れられています。冒頭の新橋の発車のシーンでは、車中で前夫木部に出会い、人々の侮蔑を強く意識する女の気持ちを的確に描いています。ここに、自由で独自な生活を望んでいる葉子の強い態度と、世間から逃げて強い男にささえられようとする弱々しい女心の矛盾が表現されているのだと思いました。
 20世紀初頭の日本で、女性が独立して自由と恋愛をまっとうすることが、どんなに困難な生き方であったかを、この小説は、男女の心の深い洞察と、時代の風潮の精密な観察でもって描き出しています。私は有島武郎氏の小説作法から、ずいぶんいろいろと教えられてきた気がします。

 『カインの末裔』も読み逃すと勿体無い作品です。そもそもカインの末裔)はKaii006キリスト教において聖書に登場する人のことらしく、類の起源と人間の宿命を諭す概念ですが、作品は昭和初期にできた美術館に飾られてる薄暗い風景画みたいな印象を受けました。絵の具を塗り捲った重たい雰囲気はで、まず単純に、イチゴとかレモンと かの対極にある生活の描写に圧迫されます。自然や世の中に対して抗えず、こうもままならないのが人間なのかと。そして人間とは何なのかについて有島氏らしい言葉が述べられています。
『カイン』とは旧約聖書に出てくるアダムとイブの息子で、農業に従事しており、また世の中で初めて人殺しをした。本作の中にはカインだとか、聖書の世界はでてきません。しかしここでカイン末裔というタイトルが付いているところに、小説の中に神の視座を意識します。しかし神はすべてを語りません。この主人公をカインの末裔だとしているのか、人間が皆カインの末裔だとしているのか。難しいけれど、上手く自らを制御できない主人公から、人間のあり方のようなものを示唆しているような気がする小説でした。私の読み方がまだ浅いのだと思います。うまく説明が出来なくてすみません。

 でも今後も『白樺派』の作家さんには注目していくつもりです。

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コメント

とこさん、いつもコメント大変ありがとうございます。

出ました(*^_^*)
わたし現代小説はあまり読まなくなってしまったのですが、(^_^;)有島武郎は大好きな作家です。
作品もわたし好みですが、ご承知のように日本には自然主義文学の強固な伝統があり、不当に彼の作品は評価されてきたと思っています。
彼の生き様も哀れでならないですね。貴族でこの上なく優しい人柄、彼は自らの出自に苦しむほど誠実で、最後の悲劇は必然であったような気もします。
「或る女」的な生き方にはもっとも遠かった人と思うのですがそれだけに、そのような生き方にあこがれがあったのでしょうね。
キリスト教にもひかれていた彼もついにはそれを捨てることに、その心情がカインの末裔なのでしょうね。人はみなカインの末裔、この絶望は大きかったと思います。
もっと高く評価されていい作家の一人だとわたしも思います。

コメントへのレスの写しです。
またよろしくお願いしますm(__)m

これもだいぶ前に書いていたものですが、かなり見直しはしました。少年が出てきた段階でどうしてもメルヘン的なものになってしまいました(^_^;)。一方、リアルに老婆の生態を書き尽くしていけば、今はやりの老残小説(^_^;)。それもありでしたが今回は甘やかな救いをと。
ほんとにありがとうございます。そう言っていただくと書いてよかったとほんとに思います。
なんか小説ブログになってしまいそうなので(^_^;)これからも時々出していきます。
よろしくお願いします。

投稿: KOZOU | 2009年4月23日 (木) 13時22分

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