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2009年4月29日 (水)

私の好きな作品たち~『愛は静けさの中に』

 もう何年前になるでしょうか、この映画を劇場で観たのは・・・知っている方は少ないかもしれませんので、あらすじから・・・

 ジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)は、片田舎の聾唖者の学校に赴任して来ました。11年生の7名の生徒を受け持つことになったリーズは、彼らと対面した後、食堂でサラ・ノーマン(マーリー・マトリン)という若く美しい女性を見かけます。校長Marimanntonn001 (フィリップ・ボスコ)の説明によると、サラは5歳の時からここで学び、昔は優秀な生徒だったが、今は学校掃除係をしているという。彼女に興味を抱いたリーズは、自分の殼に閉じこもろうとするサラを根気強く説得していきます。イタリアン・レストランで食事をした際、聞こえるはずのない音楽に合わせて踊るサラの姿を見たリーズは、かたくなに心を閉ざし続ける彼女をなんとか救いたいと、遠路はるばるサラの母(パイパー・ローリー)を訪ねました。そして、サラの姉の男友達とデートをするほどだった彼女が笑い者にされるなどして、心を閉ざしてしまったことを知ります。その事実をサラにぶつけたリーズは、彼女から、かつて姉の作ったリストの順番に従って男友達に求められるまま体を与えたことをうち明けられました。思いもかけぬ告白に心みだされつつも、サラを愛していることを知ったリーズは、人目をしのんで1人プールで裸で泳ぐサラのもとにいき、愛を告白、プールに飛び込みました。そして2人は、水深き沈黙の世界で、かたく抱き合うのだす。父兄会の席で、日頃の教育の成果を披露し、生徒達と手をとって喜ぶリーズ。そんな姿に嫉妬し興奮したサラは手に5針も縫うけがをしてしまいます。感情表現えお余りにすらないさらでした。校長に強く叱責されたリーズは、サラと一緒に暮らすことを決意します。サラと順調な同棲生活を続けていたある日、リーズは思わず彼女に自分の名前を呼んでくれるように語ってしまいます。かなわずとも遠き願いである禁句の一言を発したリーズの目の前で、心なしかサラは悲しそうでした。
 ある日、パーティで、経済学者で数学の天才の女性聾唖者マリアン・レッサー(リンダ・ボブ)に出会ったサラは、自分が無能力であることを痛感し、自分を哀れんで一緒に暮らしていると興奮してリーズに言い放つと、泣きながら夜の街に飛び出していきました。何日たっても母の許から戻ろうとしないサラを気にかけてリーズは、大学にいく資金を貯めるため美容院で働いていた彼女を窓越しに見ると、その場を立ち去りました。胸中を思うと胸が張り裂けんばかりの光景でした。家に帰り、リーズが来たことを母から聞いたサラは、卒業パーティで生徒達と別れの挨拶を交わすリーズの前に現われました。愛し合いながら離れ離れになった2人は自分のいたらなさを認め合い、永遠に手をとり合って生きることを、強く、それぞれの心に誓うのでした・・・

 これを観たとき、聾唖者の苦悩と絶望に胸打たれ、リーズのもとを去り、必死で美容師の道を歩もうとするノーマンにいたいけな気もちになった事を思い出します。

 そして耳が聞こえないとはどんなだろうとプールの中に身体うを沈め、何も聞こえない中に身をおいてみるリーズ・・・

 2人にはそれまでまるで違う生き方をしてきて、リーズは家に帰ると心地よい音楽を聞く週間があったのが、聞こえないノーマンには理解出来ず、そんなすれ違いの日々を送っていました。お互い時運の領域を侵されたくないという気持ちが、結婚当初はあったように思います。県下になって思わず口にした『ファッキュー』をノーマンはセックスしたいと勘違いをしてしまう始末・・・ノーマンはノーマンなりにこれではいけないという思いを募らせていたのでしょう。家を出る決心は高まっていき、一人立ちできるようにならなければ、何をやっても今までの繰り返しと考えたのでしょう。その過程は映像になっていませんが、いつも一人、プールの中に身をおいていた時、こんな事を決意させたのでしょう。リーズを愛していたから、彼女は変わったのだと私は思いました。

 一度でいいから名前を呼んでくれと願うー男と言葉の無い世界で深い愛に生きようとするー女・・・この言葉を意識しながら観ていくと、それぞれのキャラクターの内面がより理解できると思います。落ち着いた感じの映画ですが心に響く作品です。

 実際、聾唖者の方々は相手の言葉は口を見て理解できても、自分のからに閉じこもって、話せたらいいのに、とか、話して表現したいという希望を捨てている方が多いでしょう。手話が全てを表せるものだとは私にも解りません。

 私達は普通に生活していれば、聞きたい音も聞きたくない音も否Wiriamuhart002 応なしに耳に入ってきます。それは不快な音楽だったり声だったりするわけです。しかしこの音が無けれ人はコミュニケーションをとれません(特別な修練を積まない限り)。人と関わり合うことは恐らく一生続くだろうし、人間の本能とも言えるでしょう。会話をする時によく「沈黙が恐い」と言います。余り親しくない人との間に漂う何とも言えない気まずい空気。この映画はその空気を見事に表現しているシーンがあります。聾唖の女性学者に招待されたパーティーでの孤立感や、卒業パーティー(?)で再会した二人がベンチに腰掛けるあの距離感。沈黙は決して無ではなくその奥に爆発しそうな感情の固まりが蠢いているとサラは言いたかったのではないだでしょうか。「声にならない声を聞け」と。ちょっと野暮ったい気もしますが邦題の「愛は静けさの中に」というのは非常に的を得た表現だと思えてなりません。

 私の好きな作品の2位か3位にいつもいて、不自由な身体で生き抜いてる人々を常に忘れず、五体満足で生まれた事に感謝せずにはいられないのでした。

 ただ気になるのは、『相は静けさの中に』でラストに2人が会うシーンで終わっていますが、本当にハッピーエンドなのだろうかと、問いたい気持ちは残ったのですが・・・皆さんはどう思われましたか?

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