« 私の好きな作品たち~有島 武郎編 | トップページ | 私の好きな作品たち~ギュスターヴ・フローベール »

2009年4月24日 (金)

私の好きな作品たち~志賀直哉編

 志賀直哉氏といえば誰もが『暗夜行路』や『城の崎にて』 を思い浮かべるでしょう。私もそうです。

 現在奈良県奈良市高畑町に旧邸宅が「志賀直哉旧居」として保存されており見学を行うことができます。1925年に京都山科から奈良市幸町に引っ越してきた志賀氏は、奈良公園に隣接し若草山の眺望も良い高畑に居宅を1929年に建設しました。この際設自ら設計に携わり、1938年から鎌倉に移り住むまでの10年間を家族と共にこの家で過ごしました。数寄屋造りに加え洋風や中国風の様式も取り入れており、洋風Kaii13 サンルームや娯楽室、書斎、茶室、食堂を備えたモダンかつ合理的な建物ででした。志賀氏はここで「暗夜行路」のほか「痴情」、「プラトニック・ラブ」、「邦子」などの作品を執筆したそうです。
志賀氏を慕って武者小路実篤や小林秀雄、尾崎一雄、若山為三、小川晴暘、入江泰吉、亀井勝一郎、小林多喜二、桑原武夫ら白樺派の文人や画家・文化人がしばしば訪れ、文学論や芸術論などを語り合う一大文化サロンとなり、いつしか高畑サロンと呼ばれるようになりました。書斎や2階の客間からは若草山や三蓋山、高円山の眺めが美しく、庭園も執筆に疲れた時に散策できるように作られています。

 生前、東大寺別当の上司海雲とは特に親しく長い付き合いをしていたそうで、奈良を去り東京へ帰った後も「奈良はいい所だが、男の児を育てるには何か物足りぬものを感じ、東京へ引っ越してきたが、私自身には未練があり、今でも小さな家でも建てて、もう一度住んでみたい気がしている」と奈良への愛着を表しています。 志賀氏のサロンの一部は上司海雲に引き継がれていきました。

 白樺派の作家であるが、作品には自然主義の影響も指摘されます。無駄のない文章は小説の文体のひとつの理想と見なされ評価が高く、そのため作品は文章修業のための模写の題材にされることもあるほどです。芥川龍之介氏は、志賀氏の小説を高く評価し自分の創作上の理想と呼びました。当時の文学青年から崇拝され、代表作「小僧の神様」にかけて「小説の神様」に擬せられていましたが、太宰治氏から長篇小説『津軽』の中で批判を受けて立腹し、座談会の席上で太宰を激しく攻撃、これに対して太宰氏も連載評論「如是我聞」を書いて志賀氏に反撃したことがありました。これは有名な話なのでご存知だと思いますが、小林多喜二氏は志賀直哉氏に心酔しており、作品の評を乞うたこともありますが、多くのプロレタリア文学作家が共産党の強い影響下にあることを指摘して「主人持ちの文学」と評し、プロレタリア文学の党派性を批判しましいた。

こういうことはともかく、
 
 作品『暗夜行路』は、志賀直哉唯一の長編小説で晩年の穏やかな心境小説の頂点に位置づけられる作品で四部構成になっていますね。
祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引きとられて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過す謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯します。苛酷な運命に直面し、時には自暴自棄に押し流されそうになりながらも、強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描いた作品です。

 特に最初の方は芸妓を相手に友人と遊んでいるだけで一体それを通して何を書きたいのかが、なかなか読み取ることができませんでした。途中の展開でも、ここまで細かく主人公の心情を描いて何をしたいのか、と感じる部分も多く見られました。しかしそれでも不思議と退屈だと感じずに最後まで小説を読み進めることがでます。その理由はさっぱりわからないのですが、あるいは淡々とした文章のリズムと、主人公の心理描写を自然体で描いていることが大きいのかもしれないとも思えました。そんな起伏に乏しい作品ではあるのですが、もちろん山となる部分も存在します。そのひとつが主人公の出生の秘密とおとの関係なのでしょう。この小説を恋愛小説だと言う人もいるらしいのですが、、それも一面では正しいと感じさせる流れですね。
 若者らしく性欲にふりまわされながら、自身の一番親しいお栄に思いを告白する流れが、淡々とした心理描写で描かれており、それが丁寧で読ませる力があるのです。それに伴う謙作の不愉快も、栄花を通して抱く「一人の人が救われるという事は容易な事ではないと思った」という感慨も、胸にすっと染み込んでくるようで滋味深いものがありました。

 後篇の妻の不義という展開は前篇よりもシリアス度が増して読ませる力があります。
不義を許そうと思いながら、それをどこまで許せているのか自分でもしっかりわかっていない主人公の心理と、自分は許されないのではないか、というひがみを持っている妻の直子との微妙な葛藤が適度な緊張感が生んでおり、スリリングに読むことが出来ます。
 子供の死という事件も踏まえた丁寧な展開と描写のため、夫婦の緊張感がより伝わってくるのが大変興味深い作品に仕上がっている気がします。

 そして主人公が大山に行くことで、夫婦の間で心情の変化が生Kaii003 まれる流れがじんわりとした感動を呼んでいます。まだ妻の不義を疑う気持ちはあるけれど、相手を思いやる心の様子は温かく、妻のラストの思いもさわやかで読後感も嫌な気分になりませんでした。
 自然と一体化する、ある種悟りの境地に似た主人公の山での場面も、真の意味での赦しと救いを見るようでした。
 志賀氏の作品は「私小説」「心境小説」などといわれる我が国特有のジャンルに分類されます。この系統の作品は色々形を変えて書き継がれていますが、残念ながら質は低下するばかりで、現在では先行作品を読まずに誰でも書ける薄っぺらなカラオケ文学の台頭を許している状態です。大江健三郎氏や谷崎潤一郎氏の作品のように物語を追求した文学は確かに面白いですが、虚飾を排し人間の存在をそのまま鏤刻したような文学も素晴らしいものです。若い人たちも食わず嫌いせずに、こうした作品の本質的な素晴らしさを知って頂きたいと思います。

 また、『城の崎にて』『濠端の住まい』は、高等学校の頃、国語の時間に読まされた人も多いと思いますが、時を経て、成人して大分経ってから読んでみると別な意味で感慨深いものになります。よくこんな、話にもならない事が小説として、読ませるものだと、改めて信じ難い作品に感嘆。それも、自然な流れで、充実した時間を経過した後の満足な読後感が凄いです。それと、志賀氏は動物が好き、というか、気になる方で、動物が困ったり右往左往したりする、そんな状態を子供のような興味の目線で、見事に描写します。決してサディスティックな病的なそれではないのですが、なんか、動物がやっつけられているような、そういう状態が気になるらしい心の清い方のような気がします。そこから、「生」のなにかが、説明ではなく、訴えかけてくる。かといって、詰まらない「意味付け」などは行わず、ただ、「経過」として、それが描かれ、その描写が、主人公=作者=読者の意識の推移を共にする・・・「小僧の神様」は、下手をすると小学生のときに読まされかねない作品だが、理解するのはまず無理だと思います。一体に、志賀氏の小品は優しそうにみえますが、或る年齢を経ないと、頭の問題ではなく、理解は出来ないと思うのです。「小僧の神様」は確かに「小説の神様」の名に恥じない作品です。「雨蛙」は、志賀自身が、やや、失敗したところもある事を別な文章で述べており、阿川弘之氏の「志賀直哉」にもその辺りの事は書かれていますが、数回読んだ感じから言うと、若干、終盤の実家に戻る場面は、聊か作り物めいてもいるが、気になるというほどでもありません。私は個人的には、「邦子」(本書未収)とともに、志賀直哉氏らしくない作品で、やや「暗夜行路」の終盤の片鱗に通じる作品として、好ましいほうです。「雨蛙」を、川端康成Kaii4 が絶賛していたとのことも、さもありなんと思う。川端氏なら、若い妻「せき」の初心なようで底知れない「女」の面と、意表を衝かれての驚愕が、同時に、せきに対する「いとをしさ」になる主人公の気持ちを、もっと鋭く審美的に書いたような想像も出来るので、だから、ある面、志賀の表現が野暮ったい気もします。が、むしろ、その野暮ったさ、下手さ加減(?)が、私には却ってリアリティを感じるし、「何時かあった話」として、真摯に耳を傾けることができました。 私小説の衰退は純粋に作家の才能に帰すべき問題ですが、残念ながらジャンルそのものへの批判に繋がることも多く、本作のような古典的名作を必要以上に敬遠させる要因にもなっています。大江健三郎や谷崎潤一郎の作品のように物語を追求した文学は確かに面白いです。でも、虚飾を排し人間の存在をそのまま鏤刻したような文学も素晴らしいものです。若い人たちも食わず嫌いせずに、こうした作品の本質的な素晴らしさを知って頂きたいと思います。

|

« 私の好きな作品たち~有島 武郎編 | トップページ | 私の好きな作品たち~ギュスターヴ・フローベール »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

asics running

投稿: asics singapore outlets | 2015年6月13日 (土) 17時39分

それにしてもすごい執筆量、感服です。

投稿: KOZOU | 2009年4月26日 (日) 03時53分

こんばんわ(*^_^*)
すみません、こんな時間に(^_^;)
ちょっと疲れて一眠りしていました。
今晩は覚悟を決めて朝まで(^_^;)

いつもコメント大変ありがとうございます。
ひとりごはん・ふたりごはんも見せていただきました。
すごいです。ぜひがんばってください(*^_^*)

またまた鋭く深い分析に感嘆します。
志賀直哉、小説の神様、ほんとに一時は神様でしたね。わたしも彼の文章をなぞり書きしたことがあります。(^_^;)
そぎ落とした簡潔な文章はやはり至芸ですね。
同じ白樺派でも有島武郎とは対極をなす「強い」人間だと思いますね。
(あ、前回の有島の記事、ぜんぜん失礼なことないですよ(*^_^*)もちろん自由に書かれてください)
太宰との軋轢も太宰のコンプレックスなのでしょうね。同じ上流階級出身でも太宰ともまるっきり違って、結局「弱い」二人は自殺してしまいますけれど。

暗夜行路はやはり近代文学の一大傑作なのでしょうね。書かれていますように大山での暁の描写、しびれますね。多少とも山を登った者から見ても白眉の描写だと思います。
書かれていますように、私小説、日本文学の主流をなした私小説、現在はその悪しき伝統だけ残っているようで、カラオケ文学は笑いました(*^_^*)けれどやはり文学としては大きく立ちはだかる山脈、越えるにしろ越えないにしろ、一度は挑戦しないといけないのでしょうね。

結局彼にとり文学は全身をかけるものでもなく、いわば職人芸として見ていたような気もします。それだけ常識人として強かったのでしょうね。太宰、芥川、有島、自殺した3人の文学者にとりプロレタリア文学の影響は非常に大きかったと思います。プロレタリア文学というか、時代の思潮、時代の変化に同調しようとして同調もできず、真摯に苦しんだような気がします。その意味で3人は好きですね。
志賀直哉は明確に割り切っていたような気がします。

非常に興味深く読ませていただきました。国木田独歩、フローベルも楽しみです(*^_^*)
(*^_^*)

投稿: KOZOU | 2009年4月26日 (日) 03時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/528484/29264052

この記事へのトラックバック一覧です: 私の好きな作品たち~志賀直哉編:

» Megaporn(メガポーン)で見る1919GoGo.comの世界 [Megaporn(メガポーン)で見る1919GoGo.comの世界]
最大ファイルサイズ5GB、無制限アップロードが可能。Megaporn Videoで1919GoGo.com一部作品を無料視聴!≪前ページ|ホームへ|次ページ≫より、どんどん動画を拝見して参りましょう! [続きを読む]

受信: 2009年4月24日 (金) 13時56分

« 私の好きな作品たち~有島 武郎編 | トップページ | 私の好きな作品たち~ギュスターヴ・フローベール »