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2009年4月 9日 (木)

私の好きな映画~キリング・フィールド (The Killing Fields)

 どうしても忘れられない映画に、以前も紹介したように『キリング・フィールド』があります。

 1949年、シアヌークを元首としてフランスからの独立を果たしたカンボジア。1970年3月、シアヌークの訪ソの隙に乗じて、親米派のロン・ノルがクーデタをおこしました。折からのベトナム戦争を有利に進めたいアメリカはこれをチャンスと見て、ロン・ノル政権を支援すべくカンボジアに侵攻。これに対し、シアヌークは中国にあって祖国の解放闘争を指導し、激しい内戦が展開されたのです。

 1975年4月17日、ポル・ポト率いる共産党勢力、赤いクメール(クKiringfield002 メール・ルージュ)はロン・ノル政権をついに打倒し、民主カンボジア政府の樹立を宣言。しかし、プノンペン解放後、ポル・ポト政権は、極端な共産主義政策を押し進め、住民の強制移住や大量虐殺を行いました。カンボジアはまさに“killing fields”(虐殺の野)と化したのです。

 1973年8月、ニューヨークタイムズの敏腕記者、シドニー・シャンバーグは特派員としてカンボジアに派遣されました。折しも、アメリカを後ろ盾としたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いがいよいよ表面化していました。彼を出迎えたのは、通訳兼ガイド、ディス・プランでした。1975年、いよいよクメール・ルージュが首都プノンペンに迫り、ロン・ノル政府軍は敗退を続けていました。シャンバーグは、プランに家族とともにアメリカに脱出するよう勧めるが、結局妻と4人の子だけを見送り、プランは彼のもとにとどまったのです。

 1975年4月、ロン・ノル政権はついに崩壊。病院を取材したシャンバーグとプランら4人は、帰途クメール・ルージュの兵士たちに捕まってしまいます。しかし、プランが、機転をきかせて3人とも中立の立場を守っているフランスのジャーナリストであると偽ったため、すんでのところで死刑を免れ釈放される。4人は最後の避難所であるフランス大使館に逃げ込む。シャンバーグらは、プランのバスポートを偽造して一緒に脱出しようとするが、写真がうまく焼き付かず、失敗してしまうのです(ここでうるうる・・・)。プランだけが外に出され、降りしきる雨の中、プランは泣きながら去っていきました。この場面は心がちぎれそうな思いで、観ていました。

 タイとの国境を越えて、無事ニューヨークに帰ったシャンバーグは、プランの身の上を案じていました。彼はカンボジアで見たことを書き、ピューリッツァー賞受賞という名誉にも輝きました。しかし、それもみなプランのおかげなのです。彼は、必死になってプランの行方を探しますが、遠いアメリカではどうにもならなかったのです。サンフランシスコに住むプランの家族にも一切連絡はないというし・・

その頃プランは、クメール・ルージュの監視下、強制労働に従事していました。毎日たくさんの人々が殺され、更に多くの人々が飢えと病のために死んでいました。クメール・ルージュはとくに知識人に対してはその撲滅を図っていたため、プランは、外国語を話せることや、ジャーナリストだったことなど、過去についてはひたすら隠していました。

 子どもが親を密告するような異常な状態。考えられますか?クメKiringfield001 ール・ルージュの村では、一切の知識に毒されていない子どもたちこそ、リーダーだったのです。ある時、プランはひそかに牛の血を吸っているところを見つかり、炎天下に放置された彼のもとに一人の少年がやってきて、「ベンツ、ナンバーワン」と言いながら縄を切ってくれます。その少年は、かつてプランがベンツのエンブレムをプレゼントした少年でした。やがて、辛くも脱出したプランは、累々と屍が連なる“killing fields”をさまよい、さまざまな苦労を経て、ようやくタイの難民キャンプにたどり着きました。

 それは1979年秋のこと。シャンバーグはついにプランの消息をつかみ、キャンプを訪れます。4年ぶりの再会できたのです。功なり名とげたアメリカ人と、苦闘と死の恐怖にさいなまれたカンボジア人。そこには、国境も、戦いも、体制も、すべてを超越した友情だけがありました。
 最後の再会のシーン、どこからともなく『イマジン』が流れてきます。もう嬉し涙があふれてしまい、『イマジン』はそれから私には欠かせない曲となりました。イマジンも良かったですが、途中、途中で流れる効果音で私は背筋がぞーっとするほどまさにピッタリのサウンド・エフェクトでした。

 ニューヨークタイムズ記者としてカンボジア内戦の混乱をルポし、ピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの実体験を、デビットパットナムが企画し、ローランド・ジョフィが見事に映像化しています。もう一度観たいですが、これは映画館で観なければ臨場感の伝わり方が違ってしまうと思います。

 この映画で私はいろいろなことを考えました。国境を越えた友情、人を蝕むだけも戦争、プランの忍耐、子供と大人の逆転、荒れ果てた地にどっさり置かれた人骨・・・友情以外に美しい物は何も無かった・・・だからなおのこと、プランがシャンバーグに駆け寄り、あのちいさな身体を大きなシャンバーグに飛びついた時の感情は手に取るように伝わってきたのだと思います。目を背けたくなるシーンの沢山ありますが、私達はそこから逃げてはいけないのだと思いました。世界のどこかでまだこのような惨劇が繰り返されているのですから・・・

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コメント

おはようございます。
暖かくなりましたね。
ショパンへのコメントありがとうございました。
わたし音楽はあまり詳しくなく、ショパンもむしろ人への興味で書きました。39歳の燃焼した生涯、と言いながらやはり無念ではあったでしょうね。

お忙しいようですね。
年度も替わったしいろいろ大変でしょうね。
お疲れさまです。

BBSもゆとりができましたらいつでもどうぞです(*^_^*)

投稿: KOZOU | 2009年4月12日 (日) 09時25分

こんにちわ。
すっかり暖かくなりましたね。こちら半袖でもいいくらいです。
とこさん、札幌なのですね。桜いまから楽しめますね。福岡はほとんど散ってしまいました。

ほんとに異論分野を書かれていることに敬服いたします。それとすごい執筆量も驚きです。キリング・フィールド見たかったのですが機会をはずしてしまいました。記事を読み、よくわかりました。
あの時代、ベトナム、カンボジア、ラオスなどの戦いはすごかったですね。ポルポト政権も一時は解放の星として期待されたことも。ちょうど中国の文化大革命まっ盛りで中国もポルポト支持していましたし。わたしも少しの期待はありました(^_^;)
ポルポト始め幹部はフランス留学のインテリであまりにも「共産主義」の理念を純粋に追い求めすぎたのでしょうね。
世に「純粋」ほど怖いものはないような(^_^;)

映画は感動的な作品のようですね。「イマジン」もぴったしの場面ですね。ほんとに劇場でみないと感動も全然違うのでしょうが、いつか見てみたいと思います。

投稿: KOZOU | 2009年4月 9日 (木) 14時58分

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