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2009年5月27日 (水)

私の気になる芸術家~岡本太郎編

 まず、『太陽の塔』を知らない人はいないでしょう。しかし、太郎氏の絵だけでなく、彼がどのような両親の元に生まれ育ったか、それ
が彼の人生に多大なる影響を及ぼしたであろう事を抜きに彼の絵を語る事はできません。

 彼の父親 岡本一平(1886~1948)は漫画家として知られているが、元々は藤島武二らに学び、のち東京美術学校西洋画科に入学。 在学中に帝国美術院展覧会に《トンネル横町》を出品し、入選しています 卒業後、朝日新聞社にに入社しTadanori001 て漫画を担当し従来のポンチ絵形式を一変し現代漫画を生みました 1922年と1929~32年と2回ヨーロッパを巡遊し、主な著作に《世界漫遊》・《野次喜多》があります。
 また母親 岡本かの子(1889~1939)は歌人、小説家でした。22歳の時にまだ画学生であつた一平と結婚し、翌年太郎をもうけました。 結婚生活の夫との性格的対立に10年間程苦しんだ末、仏教研究をはじめ一平の漫画家としての名声が確立すると、天台学から原始仏教に進んだ。 この年に川端康成を知り小説家になる機縁となつた。 著書は多くあり代表作に《母子叙情》、《金魚繚乱》、《生々流転》等を挙げるにとどめまIした

 その子供 岡本太郎は1911年東京に生まれ、 慶応幼稚舎、普通部をへて東京美術学校に入学。 半年後、中退。 1929年、渡欧。 リで前衛芸術運動に参加し、ソルボンヌ大学で文化人類学を学びます。1940年、帰国しました。こんな環境で生きた太郎は自著「岡本太郎の眼」の前文につぎのように書いています 『私は青春の十年以上パリですごした。そこでは、情熱と確信をもって、前衛芸術運動に身を投げこんだ。 私は世界人でありたいと思ったのだった」以下略、続いて『そんな切実な思いで日本に帰ってきた。 しかし、あきれた。 多くの日本人が日本人でないのだ』また続けて『私は官僚的に固定化して不毛になった伝統観をひっくりかえした。 たとえば、異端視されていた縄文土器の怪異な美に、忘れられた日本人のヴァイタリティ(活力)を発見したり。 伝統とは過去でない。瞬間、瞬間に現在の自分を通して創り上げてゆくものである。』と。

この言葉を読み、私が力説したいのは、当然太郎氏自身が1929年以来、10年以上もパリで過ごし、同時代のアーティストとして前衛芸術運動が、1924年アンドレ・ブルトンがシュールリアリズム宣言をした事もあり、それに影響を受けた事は想像にかたくなく、太郎の作品を理解するうえでこのシュールリアリズムにも多大な影響をうけたのをふまえてなければ、太郎氏の参加していた前衛芸術運動も理解できない
事実があります。それ故に、帰国して縄文土器 (これは多分に超現実主義的であり、或る意味ではと言うか太郎が考えたシュールリアリズムでもある)に惹かれた背景には母かの子の影響と日本回帰した事である。それを太郎が意識していたかどうかは、多分彼自身も気がついていなかったにしても大きな影響力があったと思えられます。その太郎氏が帰国してからの主題になったのは、彼自身が言っていたように座れない椅子をわざと創り続けた事、これは多分に縄文土器の形とシュールリアリズムを意識して創造したのは明解に理解できます。その象徴的なモニュメントとしての70年にTarou002 行われた大阪万博に創った “太陽の塔” ではなかったのではないでしょうか。
 
芸術は観念なのだ。 
観念はそう簡単に破壊されない。 
観念と戦うには観念が必要だ。 
太郎氏の爆発は観念なのでした。 

 観賞者、すなわち、こちら側見る側が感動的人間であることが要求されます。

 ”人生は感動的なのだから”
だから爆発は岡本太郎氏でなく、こちら側が爆発しなければならないのでしょう。 そして太郎芸術はまさにその時爆発し輝きを増すよう出来ているのです、凄いではありませんか。
 
 アメリカでは日本美術と日本人芸術家にたいする再評価のきざしTarou008 が見えます。現在、フィラデルフィア美術館で本阿弥光悦の芸術、日本のルネサンスの巨匠展の開催ニューヨーク・タイムズ(8月20日2000年)でも川崎市岡本太郎美術館をとりあげ、彼の業績とその新しい美術館の様子をつたえています。
 アート欄掲載記事より抜粋すると『日本経済と美術界の沈滞を打ち破るように川崎市岡本太郎美術館は昨年オープンした。公園の中に位置するそのモニュメンタルな美術館はすでに10万人以上の入場者を集めるほどのヒットとなっています。
... 岡本太郎は写真家、民族学者そして旺盛な作家でもありました。後年はTVにも出演し、「芸術は爆発だ!」と叫ぶTVコマーシャルはお茶の間でも有名にまりましたね。 ...
... 彼はフランスに12年間滞在し、その間にアルベルト・ジャコメッティ-とジャン・アルプと親交を結び、アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造協会)に参加し、のちにシュールリアリスト達と作品展を開いています。パリで彼は民俗・部族芸術に感動し、社会学者・人類学者であるマルセル・モースの人間を断片的に分析するのではなく全体としてとらえるべきだという「全体性」理論を学んでいます。またジョルジュ・バタイユのもとでも学んでいました。...
... ヨーロッパで学んだものと後に日本で経験したものを基にし、岡本は「対極主義」という彼独自のアイデアを発展させてゆくきます。それは抽象主義とシュールリアリズムの理念を同時に推し進めることを可能とし、前衛芸術と複雑な現実との融合を目指すものであった。岡本氏はまた、彼の作品が審美的な物体にとどまらず日常生活のなかの生の叫びとして「いかに社会に影響を与えることができるか」と言うことに興味があると言っています。...
... 岡本氏は1970年の万国博覧会のアート・ディレクターを務め、呪術Tarou004 の揺らめく炎、部族のトーテムポールそして根底に流れるモダンアートの理念を思い起こさせる「太陽の塔」を完成させたのでした。...
... 日本の美術館はそこが審美的経験の場になるような努力をしてきませんでしたが、岡本太郎美術館は違います。.この美術館のエネルギーは美術好きであるなしにかかわらず見る価値があります。

と書かれました。私は、信念のためには、 たとえ敗れるとわかっていても、おのれを貫くと言う姿勢や、出世したいと思って、上役におもねったり取り入ろうとするから、 イヤらしい人間になってしまうんだ。 それよりも、自分は出世なんかしなくっていいと思ってしまえば
、逆に魅力的な人間になってくるなど言葉を残しています。この辺にきっと私は惹かれているのでしょうね。

 太郎氏をギャグにするのは止めて欲しいですね。

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