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2009年5月18日 (月)

私の好きな作品たち~島崎藤村編

 『文學界』に参加し、浪漫派詩人として『若菜集』などを刊行。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となり、ほかの作品に、日本自然主義文学の到達点とされる作家島崎氏。

 『若菜集』も素敵な作品ですが(といってもどこまで理解出来ているやら・・・)、小説家の彼の作品は、あの時代だったからなのか、悲惨な物語が多いですよね。

 『夜明け前』は幕末から、明治国家もようやく完成されつつあるHaruoinoue002 明治19年までを扱っている歴史小説です。私にはさしずめ重厚な大河小説の感がしました。
 藤村氏は「夜明け前」を「中央公論」に第1回を載せてから約7年の歳月をかけて連載し続けました。作品の想を起こしてから脱稿するまでの期間を考えると藤村の文字通り畢生の作品であり、そして、最後の長編小説です。巨人島崎藤村氏は昭和18年の夏、風が涼しいの言葉を最後に永眠しました。数え年で享年72歳だったそうです。

 『夜明け前』の主人公は青山半蔵。舞台は中仙道の宿の1つ馬籠です。青山半蔵は藤村氏の父と藤村自身がモデルであるといわれています。青山家は馬籠村に代々続く庄屋・本陣・問屋を兼ねた旧家でした。半蔵は父吉左衛門から受け継いで青山家の当主となります。
 物語は嘉永6年の黒船来航から始まり、明治19年、半蔵の死で終わります。馬籠村は中仙道の重要な宿であり、青山家はその村のトップの存在でした。村人の世話、そして役人との交渉は青山家の仕事でした。幕末から幕府崩壊まで、馬籠の宿は多くの歴史的事実を目撃しました。孝明天皇の妹である皇女和宮が将軍家茂に降嫁するため京都から江戸に向かうのに、一行は中仙道を使い、馬籠を通過する行列は、それまでのいかなる大名の行列より長いものでした。馬籠村を通過するのに数時間もかかったといいます。この行列の光景は半蔵一家の人たちの目に永久に焼き付けられました。
 水戸浪士たちの天狗党も馬籠に来ます。攘夷を旗印にした天狗党の浪士たちは水戸から京都へと上るのに、中仙道を西に向かい馬籠の宿に逗留。本居宣長、平田篤胤に心酔している国学の徒であった半蔵は、幕府から賊徒の扱いを受けている天狗党の浪士たちに思想的に共鳴。幕府崩壊時には東征軍いわゆる官軍が馬籠を通過。そして、明治維新とともに馬籠を通過する人間は減り、馬籠の宿も衰退していくもです。

 明治になり、半蔵も村の要職をはずされました。彼は教育に活路を見出そうとしました。半蔵は新しい時代である明治にたいして心の底から期待をしていたのです。それは明治は王政復古のもとに古に復るからです。自然に帰る・・・これが本居宣長が目指すことででした。自然とは「大和言葉」が支配する世界のことです。半蔵は自然と明治を重ねたのです。しかし、明治の世は王政復古といいながら半蔵の待を次々に裏切っていました。明治の世は急速に近代を目指したのです。国学は無残に廃れていきました。「大和言葉」のために戦っていった先輩たちのことを思うにつけ半蔵の胸は痛みました。
 半蔵は心身ともに疲れ果て、いつしか精神に異常をきたしてしまいました。彼は菩提寺の万福寺に火をつけたのです。半蔵なりの廃仏毀釈だったのかもしれなません。これよりのち、半蔵は座敷牢に入れられ、狂死してしまいます。王政復古を謳った明治は半蔵には言葉だけに過ぎなかったのです・・・

 この長編が大作なりえたのは平易な文章によってかかれたことが大きいと思います。。美しい日本語のお手本のような文章で『夜明け前』は書かれています。そして、平易な文章で書かれたこの作品を格調高くしているのは作者の目の置き所です。作者の目線は下から上に向いているのです。庄屋や村人を含めた人々の動きから歴史の流れを見ているのでしょう。薩長の下級武士によってなされた革命としての明治維新の視点はこの作品にはありません 『夜明け前』は人々の日記をもとに書かれました。藤村氏は人々の声に耳を傾け、そして彼らの声から幕末・明治維新という歴史の大きなうねりを書いたのです。東京・板橋を経て、碓井峠から京へ向かう中仙道。幕末から明治への激動期、中仙道の要衝、木曽路の馬籠宿を舞台に、宿の当主・半蔵の生涯を描き切っています。宿を仕切る公的な役目に生涯の大半を捧げながら、自らの信念にも誠実でありたいという半蔵の引き裂かれる思いが、時代の奔流の中で、痛いほど伝わってきます。そして待ち望んだはずの時代に裏切られてしまった半蔵の苦悩は、歴史の酷薄さ描いて余りあると言えるでしょう。激しい攘夷運動のあとに待っていたものは、“散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする”と唄われたほどの西欧化の波でした。
 待ち望んでいた王政復古を果たすも、民衆の暮らしはいっこう楽にならなりません。その煩悶のなかで、木曾街道・馬籠本陣の当主 青山半蔵は56年の生涯を閉じます。半蔵とは作家・島崎藤村の実父でだったのです。父祖の代からの街道沿いの生業と暮らしぶりをつぶさに再現しながら、嘉永年代から明治半ばまでのこの国の歴史と、そこに翻弄されるしかなかった人間の生き様を描き出しています。日本史に疎いため手に取るのに時間がかかりましたが、ヒロイズムや情緒に流されることのない淡々とした筆致は、かえって一層の迫力を持ってその時代をあぶりだしていました。

また『破戒』では、明治後期、被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、その生い立ちと身分を隠して生きよ、と父より戒めを受けて育ちました。その戒めを頑なに守り成人し、小学校教員となった丑松であったが、同じく被差別部落に生まれた解放運動家、猪子蓮太郎をひた隠しに慕うようになります。丑松は、猪子にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出掛かかることもありましたが、その思いは揺れ、日々は過ぎていきます。やがて学校で丑松が被差別部落出身であるとの噂が流れ、更に猪子が壮絶な死を遂げます。
 その衝撃の激しさによってか、同僚などの猜疑によってか、丑松は追い詰められ、遂に父の戒めを破りその素性を打ち明けてしまいます。そして丑松はアメリカのテキサスへと旅立ってゆくと言うお話で、この作品(特に丑松が生徒に素性を打ち明ける場面)は、住井すゑの『橋のない川』でも取り上げられ、誠太郎をはじめとする登場人物の間で話題に上っています。この中で誠太郎は、丑松が素性を打ち明ける際、教壇に跪いて生徒に詫びていることを批判的に捉えています。『橋のない川』も『破戒』同様、部落差別を扱った作品ですが、両者の差別に対する考え方あるいはスタンスは正反対と言ってよいほどに異なります。

事実、現在の差別問題に関する認識、見解、解放運動のベクHaruoinoue トルは様々で、この問題のある一定以上の捉え方は非常に難しいものとなっています。問題の性質が性質なだけに、腫れ物を触る行為になりかねないのがこの問題の理解を深めるにあたり障壁になる部分であるともいえるでしょう。『春』でもそうなのですが、1929年には、『現代長編小説全集』第6巻(新潮社)の「島崎藤村篇」で「破戒」が収録されました。ここにおいては、藤村はこの作品を「過去の物語」としています。これは当時、全国水平社が部落解放運動を展開し、差別的な言動を廃絶しようとする動きがあったことを意識しています。これも一部の組織から圧せられて、やがて絶版になったといいます。水平社は後に言論の圧迫を批判し、『破戒』に対しても「進歩的啓発の効果」があげられるとし、評価していますそして1938年に、「『破戒』の再版の支持」を採択しました。
 こうして翌年『定本藤村文庫』第10篇に「破戒」が収録されたが、藤村はその際に一部差別語などを言い換えたり、削除しています。これを部落解放全国委員会が、呼び方を変えても差別は変わらないとして批判。1953年、『現代日本文学全集』第8巻(筑摩書房)の「島崎藤村集」に、初版を底本にした「破戒」が収録された。委員会は、筑摩書房の部落問題に悩む人々への配慮のなさを指摘し、声明文を発表しました。1954年に刊行された新潮文庫版『破戒』も、1971年の第59刷から初版本を底本に変更しています。

 1899年(明治32年)、小諸義塾の教師として長野県小諸町に赴任し、以後6年過ごす(小諸時代)。秦冬と結婚し、翌年には長女・みどりが生れました。この頃から現実問題に対する関心が高まったため、散文へと創作法を転回とします。小諸を中心とした千曲川一帯をみごとに描写した写生文「千曲川のスケッチ」を書き、「情人と別るるがごとく」詩との決別を図りました。1905年(明治38年)、小諸義塾を辞し上京、翌年「緑陰叢書」第1編として『破戒』を自費出版。すぐに売り切れ、文壇からは本格的な自然主義小説として絶賛されました。ただ、この頃栄養失調により3人の娘が相次いで没し、後に『家』で描かれることになります。
この頃の藤村の回りでは
・父親と長姉が、狂死したこと。
・すぐ上の友弥という兄が、母親の過ちによって生を受けた不幸の人間であったこと。
・後に姪のこま子と不倫事件を起こして、次兄のはからいによって隠蔽された。兄の口から、実は父親も妹と関係があったことを明かされた。 ・・・こんな小説にしてくれとばかりに相次いで起こった出来事が藤村氏を憂鬱にさせたのでしょうね。どんなに辛かったか計り知ることは藤村の作品が語ってくれます。恐ろしい血をひいたとどれだけ苦しんだか、再読してもいい本だと思います。

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コメント

こんばんわ(^^)遊びにきました。

王政復古が急速な近代化・西欧化とは半蔵さんの苦しみは大きかったでしょうね。王政復古を目指して奮闘し、果たしたのにもかかわらず、何もよくならない。病んでしまったのは、それほど頑張っていた証なんだろう、と思いました。

自分の父の生き様を書くのは、ある意味でとても苦しく、自分自身をえぐるようなものだと思います。それを書ききった時、島崎さんは何を思ったんだろうな、と想像しますね。

投稿: yukidaruma | 2009年5月20日 (水) 20時34分

若菜集や千曲川の抒情詩人がほんとに大変化ですね。
夜明け前、破戒、おもしろく読んだことを思い出します。書かれていますように平易で美しい文章ですね。
青山半蔵は本当に哀れですね。
尊皇攘夷がいつのまにか尊皇開国、開国どころかこびるように西洋を求めたのですからね。
このような人はたくさんいたでしょうね。
歴史は酷薄だと思います。

破戒が相当な経過をたどったことは知っていましたが今回の記事で正確に知ることができました。
確かに現在の解放運動からみれば大きな問題があるでしょうけれど、あの時代に作品にした歴史的価値も大きいのでしょうね。

家族的悲劇もこの記事で再認識しました。性的にも昔のほうがよほど放縦であったようですね。なにせ、夜ばいが半ば公然とですからね。
藤村は甘美な詩に似ず相当強靱な神経の持ち主だったのでしょうね。

投稿: KOZOU | 2009年5月20日 (水) 12時36分

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