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2009年5月 5日 (火)

私の好きな音楽家たち~ビゼー編

 私にとってビゼーといえば『アルルの女』のメヌエットです。とても好きな曲の一つです。

 9歳でパリ音楽院に入学し、フランソワ・マルモンテル、シャルル・グノー、ユダヤ人ジャック・アレヴィらに師事してピアノ、ソルフェージュ、オルガン、フーガで一等賞を獲得しました。19歳でカンタータ『クローヴィスとクロティルデ』でローマ大賞を獲得。1861年にはリストの新作(リストは、「この曲を正確に弾けるのは私とハンス・フォン・ビューローだけ。」と豪語していた。)のパッセージを一度聴いただけで演奏し、さらに楽譜を渡されると完璧に弾いてのけてリストを驚かせました。この時、リストは「私は間違っていた。3人というべきでした。正確に言えば、最も若いあなたが最も奔放で輝かしいというべきでしょう。」といってビゼーを賞賛したそうです。しかし、オペラ作家としての成功を夢見ていたビゼーは、ピアニストになることを潔しとはしませんでした。

 歌劇などの劇音楽を作曲の中心とし、25歳のときの歌劇『真Lichtenstein_work07s 珠採り』でオペラ作曲家の地位を確立。その後フランス人の作家アルフォンス・ドーデの劇『アルルの女』の付随音楽や、歌劇『カルメン』などを作曲しましたが、1875年3月にパリのオペラ=コミック座で行われた『カルメン』の初演は、ヒロインが女性労働者だったこともあり失敗に終わりました。ヒロインの声域をそれまでに一般的だったソプラノではなくメゾソプラノに設定したことも新しさの一つだでした。
 1869年にビゼーは師アレヴィの娘であるジュヌヴィエヴ・アレヴィと結婚しました。師は既に1864年に亡くなっていました。『カルメン』初演の約3ヵ月後である1875年6月3日、敗血症のため36歳の若さで死去しましたが、のちにビゼーの音楽は世界的に認められるようになりました。早すぎる死です。

 『アルルの女』は、作曲期間が短く、また契約の関係で極めて小編成のオーケストラしか使えなかったため、作曲には大変苦労したという話が伝わっています。なのに初演の評価は芳しくなありませんでした。6年後に再演された時は大好評のうちに迎えられましたが、その時すでに作曲者ビゼーはこの世の人ではなかったのです。

 一般に知られているのは、演奏会用に劇付随音楽から数曲を選んだ組曲です。第1組曲 第1組曲はビゼー自身が初演後すぐに組曲としたものです。

第1曲「前奏曲」
劇音楽No.1 序曲から。3部構成。第1部の主旋律は、プロヴァンス民謡「3人の王の行列」に基づく。第2部のアルト・サクソフォーンによる
旋律は、主人公フレデリの知的障害の弟を表す動機によっている。第3部は、フレデリの恋の悩みを表している。                          
第2曲「メヌエット」
劇音楽No.17 間奏曲から。
第3曲「アダージェット」
劇音楽No.19 メロドラマの中間部から。 劇音楽No.18 導入曲および No.19 メロドラマ前後部から。

第2組曲
第2組曲は、ビゼーの死後、友人エルネスト・ギローの手により完成されました。ギローは管弦楽法に長けており、「アルルの女」以外の楽曲も加えて編曲。
第1曲「パストラール」
劇音楽No.7 導入曲および合唱から。
第2曲「間奏曲」
劇音楽No.15 導入曲から。中間部のアルト・サクソフォーンによる敬虔な旋律は、『神の子羊』という歌曲としても歌われました。
第3曲「メヌエット」
アルルの女といえば、この曲と連想されるほど有名な曲ですが、実はビゼーの歌劇『美しきパースの娘』の曲をギローが転用、編曲したものです。フルートとハープによる美しい旋律が展開されます。
第4曲「ファランドール」
劇音楽No.21 ファランドールから。フランス(プロヴァンス)民謡「3人の王の行列」に基づく旋律とファランドールが組み合わされ、熱狂的なクライマックスを築き上げ、「ファランドール」の軽快な旋律は、民謡「馬のダンス」に基いています。

 南フランスの豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた美女に心を奪われてしまいます。フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるのですが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとそます。それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。2人の結婚式の夜、牧童頭のミチフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝えらます。物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つというストーリーです。
 
 しかしビゼーは決して恵まれた境遇ではありませんでた。若すImai02 ぎた死のの為、それも評価されたのは死後のことでした。ちなみにビゼーは舞台作品は約30曲以上も残していますが、『カルメン』や『アルルの女』、『真珠採り』以外はほとんど知られていません。なお歌劇『美しきパースの娘』の中のセレナードをベースにした『小さな木の実』は、NHKの「みんなのうた」で放送され、音楽の教科書にも採り上げられるなど、日本では特によく親しまれている楽曲でです。私の中学の音楽の授業で、『アルルの女』を聞いて痛く感激したものです。
 ビゼーは生涯で交響曲を3曲書いたが、1859年に作曲された第2番の草稿は破棄されてしまい、第3番は作曲されたのかどうかも判然としません。その他にも管弦楽曲、合唱曲、歌曲、編曲作品などがあります。
 
 オペラ『カルメン』は、プロスペル・メリメの小説『カルメン』を基にしたもので、アンリ・メイヤックとリュドヴィク・アレヴィがリブレットを作りました。音楽(歌)の間を台詞でつないでいくオペラ・コミック様式で書かれています。全4幕。1875年、パリのオペラ=コミック座で初演されたがまた不評ででした。ビゼーは初演から間もなく死去しますが、その後エルネスト・ギローにより台詞をレチタティーヴォに改作されて上演され、人気を博すようになったと言われています。。フランス歌劇の代表作として世界的に人気がある。近年ではオペラ・コミック様式に復元した原典版である「アルコア版」による上演も行われます。一般的に『カルメン』組曲として知られているのは、フリッツ・ホフマンの選曲・編曲によるものです。第1組曲と第2組曲があります。
 異色の組曲としては、ロディオン・シチェドリンが13曲で構成した弦楽器と打楽器だけの編成のための『カルメン組曲』があります。1967年に『カルメン』をモチーフにしたバレエが上演されることになり、主演のプリマドンナだったマイヤ・プリセツカヤは最初ショスタコーヴィチに、次いでハチャトゥリアンに編曲を依頼しました、両者とも「ビゼーの祟りが怖い」という理由で断り、仕方なくプリセツカヤの夫であったシチェドリンが編曲に取り掛かることになりました。肝心のバレエの初演はブレジネフらの横槍もあって大失敗しましたが、後に海外で評価されるようになりました。

 何故このように才気溢れる一の作品が生きている内に好評を得なかったのでしょうか。ブレジネフのような共産主義者が何度も嫌がらせしてきたからなのでしょうか・・・
『カルメン』はドビュッシー、サン=サーンス、チャイコフスキーなどから賞賛され、ニーチェは『カルメン』を20回も観たと記述していますし、運命を引き受ける至高の個人としてのヒロインに、感応するところが大だったと考えられてます。それなのに何故・・・なにか判然としないものが残ってしいます。
 でもいまでは立派な作曲者として名を連ねている事が、唯一嬉しい事です。安らかな眠りを・・・・

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コメント

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投稿: パイズリでいかしてくれる巨乳ギャル | 2011年3月14日 (月) 22時09分

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