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2009年5月25日 (月)

私の好きな作品~『楢山節考』

 私がこの作品に出逢ったのは小学5年生の学芸会の時でした。そうです。演劇で『楢山節考』をやったのです。やってる本人達はきっと意味もよく解らないで演じていたと思いますが、なんと観客の中で泣いている声が聞こえてきて・・・そのときやっと、私達って凄いものを演じたんだと感じました。

 あれから何十年かして映画化された時、観る事は出来なかったのですが、家に本があり、読んでみることにしました。なんて切なく悲しい作品なんだろうと姥捨て山ってこういうことなのかと心が叫ぶのです。その後映画を観ました。

 信州の山深い寒村を舞台に、死を目前にした人間の生き方を描いた作品です。深沢七郎の同名小説と「東北の神武たち」の映画化で、脚本・監督は「ええじゃないか」の今村昌平、撮影は栃沢正夫がそれぞれ担当しました。

 おりんは元気に働いていたが今年楢山まいりを迎えようとしていHuukei005_2 ました。楢山まいりとは七十歳を迎えた冬には皆、楢山へ行くのが貧しい村の未来を守る為の掟であり、山の神を敬う村人の最高の信心でした。山へ行くことは死を意味し、おりんの夫、利平も母親の楢山まいりの年を迎え、その心労に負け行方不明となったのです。春。向う村からの使の塩屋が辰平の後添が居ると言って来ました。おりんはこれで安心して楢山へ行けると喜びます。辰平にはけさ吉、とめ吉、ユキの三人の子供とクサレと村人に嫌われる利助と言う弟がいて、それがおりんの家・根っ子の全家族です。

 夏、楢山祭りの日、向う村から玉やんが嫁に来た。おりんは玉やんを気に入り、祭りの御馳走を振舞います。そして悩みの、年齢と相反した丈夫な歯を物置の石臼に打ちつけて割りました。夜、犬のシロに夜這いをかけた利助は、自分が死んだら、村のヤッコ達を 一晩ずつ娘のおえいの花婿にさせるという新屋敷の父っつあんの遺言を聞きます。早秋、根っ子の家にけさ吉の嫁として、腹の大きくなった雨屋の松やんが混っていました。ある夜、目覚めたおりんは芋を持って出て行く松やんを見ました。辰平はもどって来た松やんを崖から落そうとしたが腹の子を思いやめます。数日後、闇夜に「捕山様に謝るぞ!」の声がしました。雨屋の父つっあんが焼松の家に豆かすを盗みに入って捕まったのです。食料を盗むことは村の重罪であった。二代続いて楢山へ謝った雨屋は、泥棒の血統として見なされ、次の日の夜、男達に縄で縛られ生き埋めにされました。その中におりんに言われ雨屋にもどっていた松やんも居たのです。新屋敷の父っつあんが死に、おえいは遺言を実行していたが利助だけはぬかしました。飼馬のハルマツに当り散らす利助を見かね、おりんはおかぬ婆さんに身替りをたのみます。

 晩秋、おりんは明日山へ行くと告げ、その夜山へ行く為の儀式が始まりました。夜が更けて、しぶる辰平を責め立てておりんは楢山まいりの途に着きました。裏山を登り七谷を越えて楢山へ向う・・・楢山の頂上は白骨と黒いカラスの禿げ山。辰平は七谷の所で、銭屋の忠やんが又やんを谷へ蹴落すのを見て茫然と立ちつくす、気が付くと雪が舞っていました。辰平は猛然と山を登り「おっ母あ、雪が降ってきたよう! 運がいいなあ、山へ行く日に」と言い、おりんは黙って頷くのでした。

 主人公はおりんという女性ですが 本当の主人公は「村の掟」でBobu002 あると読んみました。その掟は村人が作りだしたものなのでしょうが それが自立した生き物 のように村の中を彷徨い、人々を従わせていく姿が本筋だと思うのです。食物を 盗んだ一家に対する処分、結婚と再婚の作法、そうして60歳を超えたら 神の住む山にその老人を捨てなければならないという棄老。 村人が「神」と呼んでいるものは「村の掟」に他なりません。

 おりんはその「神」にむしろ嬉々として従っていきます。自らの死を準備していく 姿には奇妙な明るさと強さがあるのです。本作がじめじめした親子の情愛譚に 留まらないのは その明るさと強さが放つ「光」が眩しいからでしょう。岩陰で雪を身にまといながら念仏を唱える場面は おりん自身が神になった様を思わせます。 戻ってきた息子に対して無言で手を振って返させているのは もはやおりんではないもかもしれません。そうかんじたのは私だけでしょうか。
 何時から“死”は、忌み嫌われる遠い存在になったのでしょう。核家族化が進み、親族の死に立ち会う機会は失われました。食卓に並ぶ食材も予め手が施されたものばかりだし命を奪っている感覚は薄いし・・・ニュースで事件や事故を見聞きしても、所詮は他人事。5分と経たずに忘れてしまう現代。まだ子供の頃のほうが、死は身近だったかもしれません。昆虫をいたずらに殺したし、ザリガニなんか胴体をへし折ってザリガニのエサにしていました。今となっては、随分可哀想なことをしていたと後悔しています。でも命の尊さを知る経験だったとも思います。
 忘れてしまった死の感覚は、恐怖に繋がります。分からないから怖い。なるべく遠い存在であって欲しい。カワイイ子猫は抱きしめたいけど、死んだ瞬間から見たくもないということ。でも間違ってますよね。生と死は隣り合っているはず。本作を観て気付きました。子殺しに姥捨て。村人にとって死は日常です。死産や幼子を亡くすことは珍しくなかったし、姥捨てだって、いつか自分にも番が回ってくるのです。村人は死に鈍感なのではなくて、不可避なものとして受け入れているのだと感じました。もちろん自分は今の日本が好きです。自分と他人の命を尊重できる社会がやはりいいに決まってます。でも「人の命は地球よりも重い」なんてスローガンがもてはやされるのも違う気がします。逃げずに、真摯に死と向き合うこと・・・それが生を尊ぶことだと思いました。ときに可笑しく、ときに辛くやるせない、村人たちの生と性。自分の歯を打ち砕いた婆さんの想いも、倍賞にとばされて狂ったとん平さんの気持ちもよく解りま。日本人の文化風俗とその根底にある想いを通じて、生について考えさせられました。

 命は誰にも左右されてはいけないと思わずにはいられない作品でした。

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コメント

こんばんわ。
今日はさわやかな一日でした。

小学生の学芸会で楢山節考ですか。すごい学校ですね(*^_^*)
細部は忘れていたのですがとこさんの文で思い出したところも多いです。
山の荒涼とした風景、おりん婆さんが歯を折るところ、その最後の場面、とこさんが言われるようにほんとうに婆さんが神に見えますね、などはやはり強烈な印象で覚えていました。
深沢七郎の文章は八方破れというかけしていわゆる名文ではないのでしょうが、不思議な魅力がありますね。題材にとてもあった感じですね。
書かれていますように主人公はほんとに村の掟なのでしょうね。いつもながら深い読みに感服します。
戦前まで日本の農村の因習は深かったと思います。書かれていますように生の生と性、赤裸々な人間の世界だったのでしょうね。
間引き、捨て子、棄老はどこにでもありふれていた感じを受けますね。子供を人として認めるようになった歴史もまだ浅いのでしょうね。ただ「ヒューマニズム」が主流となっている現代も一皮むけば、厳しい現実を感じますけれど。
ほんとにこのような世界が日本のあちこちに見られた、その歴史を考えることも現代人には必要なのでしょうね。
死の覚悟、やはり最後は最も必要なものに思えます。
ありがとうございました。

投稿: KOZOU | 2009年5月25日 (月) 23時55分

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