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2009年5月17日 (日)

私の好きな作品たち~北山 修編

 私が北山さんでイメージしていたものは、ミュージシャンとしての北山さんでした。学生時代は関西フォークブームの出発点となる「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで、1970年前後のフォークブームでは関西、京都フォークの中心的人物の一人として活躍してましたよね。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』『風』『花嫁』『白い色は恋人の色』『レッツゴー!サザエさん』などの作詞でも有名です。『戦争を知らない子供たち』で日本レコード大賞作詞賞を受賞。『さらば恋人』は堺正章の歌で大ヒットを記録しました。
 1968年、大島渚監督の映画『帰ってきたヨッパライ』にフォークルとして出演。特に1969年~1971年あたりまでの活躍は目覚ましく、全共闘世代の若者たちの精神的支柱、イコンでもあっりました。その頃の著書に、『くたばれ!芸能野郎』『戦争を知らない子供たち』『さすらい人の子守唄』『ピエロの唄 北山修青春詞歌集』などがあります。正直『変わった人だけど存在感の或る人』としか思っていませんでした。本屋で時々目に知る程度で買って読もうとまで思わなかったのですが、どこか心にひっかかっていました。まさか精神科医を目指してロンドンへ留学したなんて思ってもいませんでした。なので以降、かれの遍歴には、日本の精神科医、心理学者、医学博士、作詞家、ミュージシャン。京都府立医科大学医学部卒。九州大学教授。日本精神分析学会会長。専門は精神医学、精神分析学。となるわけです。
 凄い事ですよね。なにが精神分析に駆り立てたのか解りませんが、著書だけでも

1986年『他人のままで ある精神科医の部屋』
1993年『北山修著作集 日本語臨床の深層』
2000年『みんなの精神科』
2004年『みんなの深層心理分析』
2007年『劇的な精神分析入門』
    『現代フロイト読本 1』などがあります。

 『劇的な精神分析入門』では、「ようやく私のような者でも、〈私〉が生きてここにいることにそれなりの意義があるのだと思える本ができ上がった。この本Kaii001 にオリジナリティがあるとすれば、源は精神分析本来の劇的観点と、精神科医としての経験、そして舞台人としての私のささやかな体験そのものであり、その間にこそ私の個性的な立脚点があるからだ。加えて、症例や私自身の内的世界を詳しく語らないままで、若き日のエッセイや歌詞など、私自身のすでに公開されたところを活用することが、〈私〉に関する問題や視点の提起を容易にさせたのである。つまり、パーソナルコミュニケーションの極致にある精神分析と、マスコミ活動という両立し難いものの接点で私は随分と格闘してきたが、その結果や成果がここに書き込まれていると言える」(「あとがき」より)

 今日、精神分析の臨床は、患者やクライエントの症状の意味を分析することから、人が生きることを抱え、共に考え、そして失敗することへとその力点を移しています。意識と無意識、外と内、人間と動物、大人と子ども、日本語と外国語、普通と普通でない……〈私〉を分かつ社会の二分法や二重性をこえて、〈私〉が本来の在り方を確保するために。「心の台本を読む」「治療室楽屋論」など、人生の営みを演劇的なものと捉えてみること、そして〈私〉の心の台本に気づき、読み取り、かみしめること。かつて舞台人として楽屋を愛した著者の、独創的で体験的な〈私〉の時代の精神分析論なのです。はじめは、本を手にとり「劇的」というとちょっとびっくりしながらよみはじめましたが、だんだんと、違う意味だったのだと気づきました。読了後「劇」への見方が変わりました。

「自分を使う」ということ。セラピストの姿勢は硬直したものではなく、セラピストも変化があり「動き」として捉えるという見方。 また、「劇」という視点が加わり、文脈を書き直していく作業を助ける仮の共同作業だということが、よく伝わってきました。
  Clの中での【楽屋で文脈を書き直すCl】←→【劇を演じ直すCl】という関係性を支えるものが、Thの中での【共同作業として言語化に参加するThとしてのTh】←→【自分のこころの傷をあつかいその気づきを台本として参考にするひと】の関係性なのかなと思いました。
 誰もが感情をあつかい、心の傷とその周辺とつきあっていくという点で、同じ作業をしているのであり、役割は違っても一つひとつの劇を味わう。また、過去も大事にしながら、自分の中であつかうことができるようになってその過去も、ある意味変えられる。このようなあたたかさを感じました。

 北山 修 (編集), 松木 邦裕 (編集), 藤山 直樹 (編集), 福本 修  (編集), 西園 昌久 (監修) の『現代フロイト読本 1』では、フロイトは大変たくさんの論文を発表しており、人文書院のフロイト著作集では11巻 にまでなっています。これらの論文を全部読むことはかなり骨の折れる作業ですが、 とても実りのあるものでもあります。本書はたくさんあるフロイトの論文から主要なもの を取りげ、それぞれの要約や解説、現代的な意味や視点が書かれています。そして、著者はすべて日本精神分析協会の会員であり、いわゆる精神分析家の先生方となっています 。その為、臨床的な視点からのものが多くなっています。

 本書はフロイトの主要論文が網羅されており、非常に読みやすく、含蓄深いものばかり ですが、これだけを読んでフロイトを理解できたとは思わない方が良いと思います。というのも、フロイトの言ったことを著者たちなりの「翻訳」をしているところもあります。
 またフロイトを読むことは各自の体験とのすり合わせの中で生きてくるものであり、単に 知識と技術を習得するためのものではないからです。フロイト論文をロールシャッハの図版に見立て、そこから連想を広げ、自分なりのフロイト理解をしていくことが極めて臨床的な営みへと通じていくものと思います。ですから、本書を入門的に読むとしても、そこで終わらず、できればフロイトの論文を実際に読むことをお勧めしたいと僕は思います。
 
 フロイトは、オーストリアの精神分析学者で、オーストリアの白人系ユダヤ教徒アシュケナジーの家庭に生まれ、神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、自由連想法、無意識研究、精神分析の創始を行い、さらに精神力動論を展開しました。
 非常に詳細で精密な観察眼を示す症例報告を多数残した科学者でもあります。それらは、現在においても次々と新しい角度から研究されています。
 フロイトの提唱した数々の理論は、のちに彼の弟子たちによって後世の精神医学や臨床心理学などの基礎となったのみならず、20世以降の文学・芸術・人間理解に広く甚大な影響を与えました。弟子たちは、フロイトの考え方のどこかしらを批判した上でこれを受け継ぎ、様々な学派に分岐し、それぞれ独自の理論を展開していきました。フロイト自身がこの精神の病理という分野に大きなスポットライトを当てた業績は誰にも否Kaii013定できないものがあります。フロイトの時代の医学では精神病理の治療はほとんど進んでおらず、脳内のメカニズムを解明する可能性はほとんど存在しなかったのです。一方でフロイトが、良質な科学者がそうであるように、現象を重んじ、しばしば理論を修正していっていたといいます。彼の判断の基礎には臨床的な経験があり、彼はそれ等を重んじたのです。そのこと自体は称賛に値します。しかし、現代の精神医学においては、フロイトの理論自体が高く評価されているとはいえません。その理由としては、嗜好性の強い独特の性的一元論に代表される、およそ通常の現代人の感覚にそぐわない違和感のある内容という事があげられます。

 性的一元論は、そもそも彼自身の心の病理からくるとする意見もありますが、当時のヴィクトリア朝時代の抑圧性の非常に強い時代にあっては、まさに紳士を自認する人間たちが性的な領域を否認することに、フロイトは欺瞞を感じたのでした。性理論の形成に関しては、当時の抑圧の強い時代において、フロイトがその観点の強調に革命的意味を持たせていたことを念頭に置く必要がありますね。また、例えば心的外傷(トラウマ)といった考えは、現代においても通用するものです。
 でも、性理論への偏向自体はとりもなおさず、フロイト自身の政治的な立場から自身の主張を一つのものの見方に限ってしまうことになり、科学者としての彼の姿勢に非難があがる結果にもつながりました。さらに、それ以後の精神分析や心理学の発展により、フロイトの主張とは異なる新たな見解や方法が生み出されてきた歴史的経緯もあります。

 また、『こころを癒す音楽 』ではこの本は、心理療法家が書いた「その人にとっての癒し(ヒーリングミュージック)の音楽」に関する語りの本です。
 出てくる曲は、クラッシックだけでなく、ポップスにジャズなど、さらに童謡、歌謡曲なども含まれています。 それぞれの曲で癒される理由は、人それぞれでありますが、中には、自分は、心理治療の専門家だからと、その曲に癒されているという理由を自己分析されている人もいます。また、科学的に癒しとなっている音楽を調べてみたという人もいました。
 また、編著の北山修氏が大学の研究室でまとめられた「ミュージック・デザイン・プロジェクト」の結果も本書にまとめられています。
 本書を読んでみて、あ~わかる わたしもこの曲を聴くと落ち着くと感じたもの、語られているものを読ん で、共感できる感じるものたくさんありました。 音楽というのは「音を楽しむもの・音が楽」であり、けして「音が苦しむもの」ではありません。 けれども、人生に疲れたとき、迷うときには「音が苦」になってしまうこともあるかもしれません。でも、 癒される音楽を聴いているうちに、 「音が苦」から「音が楽」に変わっていくと思います。 この本から、癒しの音楽が見つけたり、癒される理由を感じ取ると、これから先、なにかあったときに
心のよりどころになるではないかと感じました。これからも心の闇を持つ人々に光を与えてください。

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コメント

こんにちわ。
こちら曇っていますが涼しくていい季候です。
関西地方はちょっと大変のようですね。

「ザ・フォーク・クルセダーズ」、確かに一世を風靡しましたね。とても懐かしいです。。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』『風』、いい歌がいっぱいですね。
北山修さん、その後そのような経歴をたどったとは知りませんでした。本当にすごいですね。ステージの経験も精神分析の大きな参考になったのでしょうね。
フロイト確かに無意識の発見は革命的だったと思います。書かれてありますようにあらゆるものに影響を与えたでしょうね。著書のわずかしか読んでいませんがおもしろかったのは事実ですね。
ただとこさんも書かれているように、相当な批判もあり、現代ではやや忘れ去られている感もありますね。
わたしも、すべてを性的なものに結びつけることには疑問がありますが、書かれているような背景があるのですね。個人の心理分析としては今でも基本的には有効なのでしょうね。
わたし自身、すべてを心理的に還元することはわかりますが、社会的、政治的背景も重要な気がします。ただあえてそれは捨象しているのでしょうね。
興味深く読ませていただきました。

投稿: KOZOU | 2009年5月18日 (月) 12時48分

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