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2009年5月 2日 (土)

私の好きな作品たち~葛飾 北斎編

 日本画は東山魁夷氏、平山郁夫氏以外、目が行かなかったのですが、最近になって北斎の絵の素晴らしさに気付きました。

 森羅万象、何でも描き、生涯に3万点を超える作品を発表。版Hpokusai002 画のほか、肉筆画にも傑出していた。 さらに読本・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大でした。 葛飾派の祖となり、のちには、ゴッホなど西欧の印象派画壇の芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えています。
 その功績は海外で特に評価が高く、平成11年(1999年)にはアメリカの雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人としてただ一人、ランクインしていました。浮世絵以外にも、いわゆる挿絵画家としても活躍しました。

黄表紙や洒落本・読本など数多くの戯作の挿絵を手がけましたが、作者の提示した下絵の通りに絵を描かなかったためにしばしば作者と衝突を繰り返していました。
数ある号の一つ「葛飾北斎」を名乗っていたのは戯作者の曲亭馬琴とコンビを組んだ一時期で、その間に『新編水滸画伝』『近世怪談霜夜之星』『椿説弓張月』などの作品を発表し、馬琴とともにその名を一躍不動のものとしました。 読み物のおまけ程度の扱いでしかなかった挿絵の評価を格段に引き上げた人物と言われています。 なお、北斎は一時期、馬琴宅に居候していたことがあるそうです。
 嘉永2年4月18日、北斎は卒寿(90歳)にて臨終を迎えた。そのときの様子は次のように書き残されている。

翁 死に臨み大息し 天我をして十年の命を長らわしめば といい Yosiwara 暫くして更に言いて曰く
天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし と言吃りて死す
これは、「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら』と言い、しばらくしてさらに、『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだ
」との意味を意味します。
辞世の句は───

人魂で 行く気散じや 夏野原
その意、「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」というものであった。

まだまだ多くの作品を手掛けたかった様がありありと浮かんできます。作品について触れることにしましょう。

--北斎漫画 --
全15編。図数は4,000図とされる版本(彩色摺絵本)。北斎54歳、画号・戴斗の頃 1814年に初版あり。初めは絵手本(画学生のための絵の教本)として発表されたものでしたが、評判を呼び、職人の意匠手引書などにも用いられることとなって広く普及しました。さまざまな職業の人から道具類、ふざけた顔、妖怪、さらには遠近法まで、多岐にわたる内容が含まれていいます。

-- 百物語 --                                 Kohada001_2  
表題の「百物語」は、江戸時代に流行した数人が夜中に集まり交代 で怪談を語り、話が終わるごとに蝋燭の明かりを消していき、最後の蝋燭が消えると怪奇現象がおこると洒落たれた遊びです。現在5枚の作品が確認されている。こはだ小平二は、山東京伝の『復讐奇談安積沼』(享和3年刊)と題する5巻5冊の読本に登場する江戸の役者で、後妻のお塚とその密夫太鼓打ちの安達左九郎によって安積沼に突き落とされて殺害されますが、小平二の亡霊に悩まされ左九郎はついに非業の死を遂げるという話です。髑髏となった小平二が、蚊帳に手をかけ中を覗き込んでいる・・・筋肉の細かい描写や赤黒い炎が不気味さを増していいます。

-- 富嶽三十六景--
「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いています。発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品。また西洋画法を取りいれ、遠近法が活用されている事、当時流行していた“ベロ藍”ことプルシャンブルーを用い て摺ったことも特色です。
 浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言えます。「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写していいます。
 当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気Hokusai_003を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になりました。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼びます。

--肉筆画帖--
全10図一帖からなる晩年の傑作。肉筆画(紙本着色)でありながら版元の西村屋与八から売り出された。1834~39年、前北斎為一改画狂老人卍筆。天保の大飢饉(1833- 39年)の最中、版元たちとともに休業状態に追い込まれた北斎は一計を案じ、肉筆画帖をいくつも描いて店先で売らせることで餓死を免れたと伝えられました。ただし、大飢饉の前に出された肉筆画帖発売の広告も知られています。現存は一帖のみですが、肉筆画帖は当時、複数が発売されてたそうです。

 この後、北斎はこう述べています。
『私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。』

--祭屋台天井絵--
上町祭屋台天井絵は「男浪〈おなみ〉」と「女浪〈めなみ〉」の2図からなる『怒涛図』であり、東町祭屋台天井絵は『鳳凰図』および『龍図』の2図です。 『怒涛図』の絢爛たる縁どりの意匠は北斎の下絵に基づき鴻山が描いたものですが、当時は禁制下にあったにもかかわらずキリシタンのものを髣髴とさせる1体の有翼天使像が含まれていいます。不思議ですね。

-- 八方睨み鳳凰図--
信州小布施にある曹洞宗寺院・岩松院の本堂、その大間天井に描かれた巨大な1羽の鳳凰図。嘉永元年(1848年)、無落款、伝北斎88歳から89歳にかけての作品。肉筆画(桧板着色)。 由良哲次説によると、北斎は83歳のときを初めとして4たび小布施を訪れていますが、本作は、4たび目の滞在時のおよそ1年を費やして描き込まれ、渾身の一作を仕上げた翌年、江戸に戻った北斎は齢90で亡くなったと考証されました。しかし現在では、本図が描かれたとされる嘉年元年六月に、北斎は江戸浅草で門人・本間北曜と面談し、北曜に「鬼図」(現佐野美術館蔵)を与えていた事実が確認され、北斎が89歳の老体をもって小布施を訪れ、直接描いたとする説には否定的な見解が強くなっています。
 しかしながら、21畳敷の天井一面を使って描かれた鳳凰は、畳Hokusai004 に寝転ばないと全体が見渡せないほどに大きい。伝北斎の現存する作品の中では画面最大のものです。植物油性岩絵具による画法で、中国・清から輸入した辰砂・孔雀石・鶏冠石といった高価な鉱石をふんだんに使い、その費用は金150両と記録される。加えて金箔4,400枚を用いて表現された極彩色の瑞獣は、その鮮やかな色彩と光沢を塗り替え等の修復をされることもなく今日に伝えられているのです。素晴らしい!!

 映画『北斎漫画』はご存知でしたか?私は知りませんでした。富士映画(のち、松竹富士)による昭和56年(1981年)製作の日本映画で八代静一原作の戯曲『北斎漫画』を映画化した作品。春画の大家としても知られる北斎とその娘・お栄(応為)の生涯と、刎頸の友・滝沢馬琴との交流を描いています。監督・脚本:新道兼人死。演者:緒形拳(鉄蔵〈葛飾北斎〉役)、西田敏行(左七〈曲亭馬琴〉役)、田中裕子(お栄〈北斎の娘・応為〉役)、樋口可南子(お直、春画「蛸と海女」の海女のモデル役)でした。

--吉原妓楼の図--
吉原の楼閣の1階の様子を、遠近法を用いながら5枚続のワイド画面に描いたもの。座敷の奥には楼主が座り、神棚には唐獅子と達磨がかざってあます。花魁や新造、禿たちが部屋を行き来している様がよく解ります。火の用心の張り紙のある柱の側では、竈に火がおこされ料理人たちが食事の用意をし、座敷の中央には、膳の用意をする女性たちの様子も描かれています。

 美術館で見るのは難しそうなのでネットで沢山保存しようと思います。

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コメント

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投稿: 巨乳人妻の浮気 | 2011年10月12日 (水) 17時17分

こんばんわ。
今日はちょっと曇って蒸し暑かったです。

葛飾北斎の画業がよくわかりました。
ほんとに幅広く画いているのですね。
ライフの企画に載ったことは知りませんでしたが、それだけ高く海外で評価されているのですね。
江戸時代の大天才ですね。
彼の絵への執念、とこさんが書いてありますようにすごいですね。当時の90歳と言えば大長寿でしょうけれど、あと10年、いやあと5年と、すごいですね。
それだけの執念で描き上げた絵なのですね。
浪裏富士などの斬新な構図は今でも十分に通用しますね

芸術家の魂、執念というのがよくわかりました。

投稿: KOZOU | 2009年5月 3日 (日) 19時48分

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