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2009年5月29日 (金)

私の好きな作品たち~武田泰淳編

 武田泰淳氏とくれば『ひかりごけ』と『富士』を連想してしまいます。

『ひかりごけ』はまず、構成が意外なしくみになっていますね。
 最初は淡々とした小説のように始まっていて、文筆家の「私」が羅臼を訪れたときのことを回顧しているように見えます。なぜ、こんな北海道の果てに来たのかわからないままに、その最果ての漁村の光景の描写がつづいたあと、これはヒカリゴケを見る途中の話だということがわかってきます。「私」は中学の校長に案内され、自生するヒカリゴケの洞窟に入ました。ヒカリゴケはこの世のものとはつかない緑色の光をぼうっと放っています。 帰途、校長が「ペキン岬の惨劇」の話をします。漂流した船の船長が乗組員の人肉を食べ、なにくわぬ顔で羅臼にやってきたという話です。「私」は札幌に来て、知人を訪れました。札幌ではちょうどアイヌに関する学会が開かれていて、そこに出席していた知人は、その学会で昔のアイヌ人が人肉を食べていたという報告があったことに憤慨していました。校長と知人の話に関心をもった「私」は『羅臼村郷土史』を読みます。

 ここから話は昭和19年の事件の記録に入っていきます。事件Hirosi002 を報告している記録者の言葉に、「私」はどこかひっかかるものを感じます。
 ここで「私」は、現実の作家(これはまさに武田泰淳のこと)に戻ってしまい、野上弥生子の『海神丸』や大岡昇平の『野火』を思い出しつつ、この事件を戯曲にしようと試みます。ここが奇妙なのです。読者はすっかり事件に関心をもたせられるのですが、そのとき急に、この話はかつて野上弥生子が『海神丸』で描いてみせた話だということを知らされ、さらに大岡昇平氏の『野火』のテーマにつながるという文学的な話題に転換させられるのです。
 これは妙なことですよね。読者は作者の用意してくれた虚構の船から突然に降ろされて、武田泰淳氏の作家としての現実的な問題意識につきあわされるからです。ところが、そこで武田氏は、ほんとうに戯曲を書いてみせ、読者はそれを読むことになっていく・・・まるで、ほんとうはこの戯曲が最初に書かれ、そのプロローグとしてここまでの物語があとから加わったというふうなのです。

 こうして息をのむような迫真の戯曲が始まります。それも意外な構成で、第1幕は難破した船で生き残った4人の船員が洞窟にいて、そのうち船長と西川が二人の人肉を食べると、西川の首のうしろにヒカリゴケのような淡い光が浮かび上がるのです。西川は罪悪感にさいなまれますが、船長が自分を食べようとしているのを察知して、海に身を投げようとするのですが、船長は結局のところ西川を追いつめて食べてしまのです。
 第2幕は法廷の場。船長が被告になっている。ところが、おそろしいことに、ト書には「船長の顔は洞窟を案内した校長の顔と酷似していなければならない」と指定されています。船長は検事や裁判長を前に、「自分が裁かれるのは当然だが、自分は人肉を食べた者か、食べられた者によってのみ裁かれたい」と奇妙なことを言います。一同が呆然としいるなか、船長の首のうしろが光りはじめる。船長はさあ、みんなこれを見てくださいと言うが、誰も光が見えません。そのうち船長を中心に舞台いっぱいにヒカリゴケのような緑色の光がひろがっていったところで、幕・・・

 この作品のテーマは必ずしも新しくはありません。しかし、『野火』や『海神丸』では人肉を食べる罪を犯さずに踏みとどまった人間が主人公になっていて、そこに一種の「救い」が描かれているのに対して、この作品では最初から最後まで安易な救済をもちこまず、徹して宿命の行方を描こうとしました。
 そこに浮かび上がるのは不気味な人間の姿そのものなのです。これはひとり武田氏にして描きえた徹底であると思います。

 その後、随分たって、日本人による人肉事件がおこって、世界中に報道されました。フランスでドラムカンに人間を煮詰めて食べたという、いわゆる佐川事件です。そして、これを唐十郎が『佐川君からの手紙』として作品にしましたね。
 人肉を食べること、これをカニバリズムというそうです。カーニバルとはそのことでです。本書は人間の文学が描きえたカーニバルの究極のひとつなのでしょう。『海神丸』『野火』とともに忘れられない作品です。
 ちなみに『海神丸』は1922年の作品で、私が知るかぎりはカニバリズムにひそむ人間の苦悩を扱った文学史上初の作品だと思います。野上弥生子は日本が生んだ最もスケールの大きい作家の一人で、いまこそ読まれるべき女流作家ではないでしょうか。高村薫・宮部みゆきからさかのぼって、山崎豊子・有吉佐和子・円地文子・平林たい子らをへて野上弥生子に戻るべきかもしれません。
 武田泰淳という人、いまの日本の文学がすっかり失った文学者と思いきや、結構ファン層が広いことにおどろいています。

 そして『富士』は、第二次大戦中、富士のふもとの精神病院を舞台とした小説です。主要人物に憲兵が出てきたり、戦争に参加できないことを悔やむてんかん患者が出てきたり、自分を宮様だと自称する虚言症患者が出てきたり、と、大戦中の「日本」の精神分析を試みているような要素が強く入っています。特に宮様患者の言っHokusai006 ていることは天皇制を巡る本質を突いているようなところがあって、興味深く読みました。この作品で作者が描いてみせた日本人の特質というのは、現在も何も変わっていないので、こういう読み方は今でも有効だろうと思います。
 もちろん、そういう「日本」批判だけがこの小説の魅力ではなく、例えば正気と狂気の境界をキリスト教的心理と共に描くクライマックスの凄まじさは、私に取って多分一生忘れない読書体験になるでしょう。
 なお、カヴァー裏表紙でこの作品を「大乗」の作品と埴谷雄高が書いていますが、このストーリーの救いようの無さは全く逆だと思います。(ドフトエフスキー好きの埴谷にとって宗教がどういうものだったのかは私はよく解りませんが。)むしろ、解説で斉藤茂吉の息子が指摘しているように「諸行無常」の作品と言った方が僕の読み心地にはあっていました。

 戦時下の精神病院を舞台に繰り広げられる人間模様。この小説には沢山の重要な現代に通じる課題が詰まっています。異常と正常の境目は? マイノリティーとマジョリティーの関係は? 天皇に対する自由な意見を言えない情勢とは? 男と女の位置関係は? 女の性欲は抑圧されるべきものなのか? …数え上げればキリがありません。それらが、当時のおそらくは一般的な統一見解であった何ものかが、精神病院という舞台では、時に逆転してしまうというアイロニー。登場人物がたくさん出てきますが、それぞれのキャラクターが確立されており、長編小説だが息つく暇なく読みふけってしまいます。結末は、少し意外な印象をきっと多くの読者にもたらすでしょう。

 この2冊を読むときっとまた武田氏の本を探しているでしょう。

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コメント

Very good article post.Really looking forward to read more. Fantastic.

投稿: school porn | 2016年2月 1日 (月) 22時27分

こんにちわ。
今日はまた朝は冷えました。天候不順のようですね。

武田泰淳、書かれていますようにほんとに今は忘れ去られた作家のようですね。戦後すぐは相当もてはやされたようですけれど。観念的な作風は好きで「ひかりごけ」は非常に興味を持ちました。
最後法廷に緑色のひかりごけの光が広がっていく。裁判官も検事も弁護士も傍聴人も、実際「人肉」は食べてはいないのでしょうけれど。
人間の原罪というか存在そのものが他の命を食ってしか生きられない。そこに人肉と獣肉の差はあまりないように思いますね。
「野火」でも書かれますが、実際南方の島では最後人肉食は頻繁に見られたようですね。これらの島では戦死より餓死者の方が圧倒的に多かったのですから悲惨を極めたと思います。人間を食べて辛くも生き残った者は、口をぬぐい、それはけして語らなかったでしょうね。中国では歴史的に食材の一つだったし、世界には人肉文化は多く見られたようですね。武田氏はそれらを非難するのではなく人間存在としてそのまま提示したような。
人間を食うことも殺すこととの差はあまりないように思います。人間、いのちとは恐ろしくも罪深い存在なのだと思います。神がもしいのちを創造したのなら、神に永遠ののろいあれと思いますね(^_^;)
実際のわたしは肉類は好まない軟弱者ですけれど(^_^;)

「富士」も興味深いですね。
読んでませんでした。いつも幅広い読書に感心いたします。
「クライマックスの凄まじさは、私に取って多分一生忘れない読書体験になるでしょう。」
とても興味あります。いつか読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

投稿: KOZOU | 2009年5月29日 (金) 18時45分

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