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2009年6月 1日 (月)

私がやや好きな作品たち~川端 康成編

 何故好きの前に「やや」がつくかは、私は川端作品をまっさらな気持ちで読んだことがなく、いつも映画やテレビが先行していて、画像がちらついて純粋な気持ちで読めなかったことにあります。全てがそうではありませんが、『雪国』は駒子は岩下志麻さんで奔放に生きた女性としか捉えられない・・・決して作品の中ではそれだけの女性でなかったと思うのですが、そういう先入観があるのです。でも、冷静になって読むと文章の美しさはやはり類を見ないものがあります。

 15歳までに両親、祖父母、姉を亡くし、書簡を交わし合った三島自殺の2年後の昭和47年にガス自殺した享年72歳の著者の当時抱いていました。死生観と美の感覚が如実に表現されていると感じました。 村上春樹氏は「人生というのは負けるにKaii5 決まっているゲームを闘っているようなものです」と読者に答えましたが、 学識があり無為徒食で裕福な暮らしを続ける家族持ちの島村、島村と同じ雪国への列車に乗り合わせた美しく透徹な陰を持つ娘の葉子、彼女が懸命に看病する重病らしき男、彼女らと同じ雪国の町に住み島村を待ちわびる芸者の駒子、この4人もまたそのような世界に生きます。 彼らの生は死を、それは肉体だけでなく心の死を内包し、健気に純粋にそして一途に芸者としてその範疇の中で生きる駒子と彼女を取り巻く島村、葉子、病の男の生き様が、儚く、虚しく、慎ましく、時に退廃的に、また一瞬の美の煌きと生への野心、そして死・別れの翳を伴って描かれます。

 ノーベル文学賞を受賞した本書の価値を私では上手く表現できませんが、負けるに決まっている人の人生が持つ意味、或は人生そのものを、川端氏は自身の死生観と美感を持って描こうとしたのではないでしょうか。 私自身もっと人生を経れば本書の持つ深みにより近づける気がします。読後感はその人の年齢や人生経験により大きく異なるでしょうが、一読に値する深みのある日本文学です。
 この「雪国」が、芥川賞を受賞した川上未映子氏の137回芥川賞候補作の主人公(=恐らくは著者の分身)の大切な思い出として描かれたことに、時空を超えた日本文学の不思議な巡り合せを感じました。駒子は、東京へ酌婦として売られ、囲われ者になり、その後また借金のため芸者になるというとても辛い人生を送っていますが、男と(金で一夜を買われる芸者としてではなく)対等に恋する女として生きようとします。こうした悲しい芸者の人生が主題なのではないかと私には思えます。東京に住む、財産はあるが行動力のない男と不倫関係に陥る田舎の貧乏な芸者駒子は、どうにもならない愛と人生に対して、苦しみながらも、何もかも受け入れて生きています。この人生は現代人から見ればとても哀しいのですが、戦前の新潟の山奥の貧しい女がどう頑張ってみても、どうにもならないことを彼女は知っていたのです。ある意味、強い女の一面が表に出すぎて悲しさが裏返しになっているような・・・。直裁な愛情の爆裂を意図的にカットすることによって読者を迷わすことなくコースを導いていきます。

ノーベル文学賞候補には始め谷崎潤一郎氏が挙げられていました。この谷崎氏を法然とするなら、川端氏こそ親鸞なのでしょう。川端康成は文章という魔法を使って雪国での日常を美しい叙情の世界へ変えてくれます。
 その淡々とした流れには、まさに雪のなかでゆっくり紡いでいくような繊細さがあって、それは折にふれて女の白い首筋のような脆い妖しさを引き出します。 淡々と物語を読み進めていくうちに「果たしてこれは現実なのか、それとも夢か」という疑問が浮かんでくることでしょう。それが真価なんだと思います。その瞬間に今ある日常は揺らいで、『天の河のなかへ体がふうと浮き上がってゆく』のです。
 また、この作品の特徴のひとつとして「どのページからでも物語に引き込まれる」というのがあります。邪道かもしれませんが、私はこの小説を読み返すときははじめから終わりまできっちり読み通すことはあまりなく、気に入っている場面をぱっと開いてそこから読み進めていきます。この読書態度はどうあれ、それでも十分物語に入っていけるぐらい細部に魅力があります。日常の真価は細部に宿るもので、この雪国という小説はその命題を十分に体現しているものといえるでしょう。

 それから、川端作品は多くありますが、私が好きなのは、『眠れる美女』です。「眠れる美女」発表は1961年、川端氏自殺は1972年でした。書いてから死ぬまでに9年の開きがありますが、私はこれを読んでいて川端氏自殺直前の作品か?と思いこんでしまってました。そういう雰囲気が纏われている、死に近い作品だったからです。
 老人達が、ぐっすり眠っている若い美女と一夜を過ごせるという宿。そこに紹介されて向かう江口老人は60代後半ですが、まだまだ男として終わっていないと思っています。彼は全裸で眠り続ける若い美女と添い寝しつつ、今までの人生で出会った女たちを思い出しながら夜を過ごす・・・そんな表題作『眠れる美女』。雪国で知られる名文句のように、川端氏の読みどころはやはり感覚に訴えてくる描写にあったように思いますが、この「眠れる美女」における風景描写は回想シーンで用いられる個所が何度Kaii15 かあったとはいえ、それほど頻度が高く用いられたわけではありません。そこにあるのは老人の悲しみ、懐かしみ、罪の意識、そして破壊衝動だと思います。これらの起伏に富んだ感情が淡々と綴られ、読者はただその人の意識に恐怖も覚えるとはいえ、死に繋がるのであろう悲しみが、重く感ぜられて素晴らしいといいたくなるのです。こういう空間を作り出す小説は数少く、間違いなく傑作にしか生み出せない力でしょう。本作は三島由紀夫氏が太鼓判を押したことで評価されるきらいが多いようですが、川端ファンの中でもやはりこれが最高だと評す人も多いと思います。

 年齢を重ねて読んだところ、全く違う印象を得ました。決して目覚めない美少女たちと床を共にするという行為は、肉体を重ねる以上のエロティズムを感じさせますが、若い女の体をくまなく眺め愛で添い寝することは、この上ない征服欲だと思います。しかも女は全くそれを知りません。老人達だけが知っている秘め事なのです。そして流石文豪川端康成、世俗的欲望を描いた官能小説でありながら、語り口は極めて美しいと思います。

 川端氏を『雪国』や『伊豆の踊子』で見切ったと勘違いしてはいけないと思います。川端氏は簡単に見切れる様な底の浅い男性ではないと私は思います。『みずうみ』『古都』なども是非読んでいただきたい傑作です。

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コメント

こんばんわ。

川端康成、文章は一番好きですね。現代文では最も美しい文章のように思っています。雪国の冒頭、夜汽車の場面、最後の火事の場面など、ほんとにうっとりしますね。妖美と言ってもいい美しさがありますね。
書かれていますように彼の生い立ちはほんとに不幸ですよね。次々と近親者が亡くなっていき、彼の孤独で一種異様な強さと虚無感もこうして養われたのでしょうね。
青春文学と言われる伊豆の踊子さえ底に寂しい虚無をたたえている感じですね。
知らなかったのですが村上春樹の村上春樹氏は「人生というのは負けるに 決まっているゲームを闘っているようなものです」という言葉はおもしろいというか、意外というか村上氏を見直したですね。
反面、彼は谷崎に似た強さをもった人とも思っていましたので自殺はほんとに驚きましたね。
事故という説もあるようですがやはり自殺したのでしょうね。三島由紀夫の割腹と切断された首は相当な衝撃を与えたようですね。彼も人の子というか、不遜ですがちょっと安心したことを覚えています。
鋭敏で、真に虚無を知った者は権力か美に酔うしか生きるすべは無いような気もします。スターリン、ヒトラーは前者であり、川端氏は後者のような気もします。凡人は酒かばくちでもいいのでしょうけれど。
眠れる美女も本当に驚倒するような妖しく美しい作品ですね。

とこさんいつも熱心に読んでいただき丁寧なコメント本当にありがとうございます。
レスを書いておりますのでいつかご覧になってください。
それと薄幸の歌人、次に書いていきます。

投稿: KOZOU | 2009年6月 2日 (火) 18時42分

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