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2009年6月17日 (水)

私の好きな作品たち~安部工房編

 私が詩の作品をはじめて読んだのは高校生のある夏の日でした。何でもいいから読んで、感想文を書きなさいということで、私が図書館でタイトルを眺めていた時、安部工房氏の写真を見つけました。それがクラブ活動の顧問も先生にそっくりで、思わず本を棚から抜き出していました。
 人間を物質的・即物的に見たとき、必然的にそれには値段がついてきます。値段のついていない「もの」の方が、希でしょう。『R62号の発明』では、主人公の機械技師は、その命を売り、『第四間氷期』では、主人公の妻の胎児を、無理矢理買い取られる。逆に、『耳の値段』『手段』は、「保険」という、現実社会で唯一認められている人間の格付けを利用して、儲けようとする話です。そう聞くと嫌な話なのかなと思われがちですが、そういう観点からものを観ると逆に人間の尊いものが見えてきたりするということなのだと思いました。

 私は特に『他人の顔』が好きですが、あの物語も自分を偽っTadanori007 て暮らしていたはずが妻には見抜かれていたという、人間は簡単に全てを変える事は出来ないのだということを学んだ気がします。安部氏のモチーフを一言でいえば、「存在論」ということができると思います。なかでも『他人の顔』は、人間にとって必要不可欠な「顔」を題材とし、人間存在の不安を容赦なく揺さぶる作品だと思うのです。また、安部氏はしばしば理系の作家といわれますが、本作品における精緻な科学的記載はまさに作者によってのみ可能であり、新鮮な読後感を与えています。そして、個人的感想ですが、作品の後半部でエピソード的に語られる少女の映画が印象的であり、作品全体のテーマを暗示しているように思われました。

 「顔を解体すること、これは決してささいなことではない。狂気に陥る危険も多分にある。精神分裂病者が自分の顔についても他人の顔についても等しく、顔の感覚をなくすと同時に、風景の感覚、言語と支配的な意味作用の感覚を失うのは偶然だろうか。つまり、顔とは一つの強力な組織作用なのだ」(訳書p.213-214 原書p.230.)

一方、「他人の顔」のラストはこうです。

「ともあれ、こうする以外に、素顔に打ち克つ道はないのだから、仕方がない。むろん、これが仮面だけの責任ではなく、問題はむしろぼくの内部にあることくらい、知らないわけではないのだが……だが、その内部は、なにもぼく一人の内部ではなく、すべての他人に共通している内部なのだから、ぼく一人でその問題を背負い込むわけにはいかないだ……そうだとも、罪のなすりつけはお断りだ……ぼくは人間を憎んでやる……誰にも、弁解する必要など、一切認めたりするものか! 足音が近づいてくる…… だが、この先は、もう決して書かれることはないだろう。書くという行為は、たぶん、何事も起らなかった場合だけに必要なことなのである」(p.283-284.)

「凡庸さ」は、顔の支配の終わりは「非人間性」を目指すところにある、これを、安部公房氏は、すでに24歳のとき、こう書いているのです。

 「終った所から始めた旅に、終りはない。墓の中の誕生のことを語らねばならぬ」(終りし道の標べに 1948)

このように、すでに何もかも見ていたように感じさせる他ない安部氏は、世界史を超えてどこかを(どこかへと)疾走=失踪し続けていたんだと思います。

 これで感想文を書いたのですから、先生は、私を異端児だと思ったかもしれません。

 次に好きな作品は、『砂の女』です。阿刀田高氏は「小説の一番の面白さは、謎が提示され、それが深まり、最終的にそれが解けてゆくことだが、この作品はその構造を持っている。砂がもう一つの主人公になっていて、砂は日ごとに変わり、独特の模様を描き、無機的である。生きているような様相を持っているし、何もないように見えながら、生命体を隠していたりして、非常に不思議な存在の砂に目をつけたいうところが、この小説の面白さじゃないかと思う。人間の自由とは何なのか?自分たちが接している日常とは何なのか?と、根本から問いかけるような側面があって、男と女の根源にも問いかけるようなことも持っている。これだけ小説の望ましい姿が詰め込まれている作品は、なかなか見当たらない。このぐらいの小説を生涯に一つ書けたら、死んでもいいぐらいに(同作品に)惚れている」と評しています。

 『砂の女』を含む安部氏の作品群の中で良く取り上げられる状Tadanori004 況設定が、言うまでもなく「不条理」です。今の今まで「常識」、「当たり前」と思っていた「生活していく上での前提条件」が、ある些細な出来事から崩壊し、自分が主体的に生活をコントロールしていた筈が、逆に生活から従属的にコントロールされる側に転落し、その状況を主人公(人間)がどう受け入れ、克服していくか・・・今までの生活の「何気なさ」、違和感無く口を広げている「不条理」への入り口、誰にでも起こりえると感じさせる「不気味さ」、この点が他の作家の作品にはない、氏の作品独特の醍醐味であると感じています。
 本作は「不条理な出来事」が切っ掛けで、「今までの価値観ではあり得ない状態」に追い込まれる処までは他の安部作品と同様のテーマの展開ですが、そこから主人公がその状況を受け入れ、「今までの価値観の上に構築された生活」を捨て、「不条理な条件の上に成り立っている現状と共に生きていくために必要な条件」が記載されている点が他の作品と比べて知的に抜きん出ていると思います。力で強制されたただけでは、人間は慣れ親しんだ価値観を捨てることはできないこと、一度は脱出の「希望」を持ち、それが失敗することで「絶望」を経験し、それでも脱出の希望を伺いつつ生活していくのであるが、彼の地で「生甲斐」を発見したとき、主人公が「その生活と共に生きていく決意」を固める・・・見方を変えると人間の価値観を丸ごと取り替えるために必要十分な状況設定が記載されていると読むこともでき、その点で、恐ろしい小説であるとも言えるでしょう。

世界二十数カ国語に翻訳された云々の謳い文句を気にする必要はありませんが、その事実は文化的背景に関係なく普遍的に万民を考えさせる内容を本作品が備えていることを示していると思います。 未読の方は是非、『他人の顔』同様読まれることををお勧めします。

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コメント

いつもながら専門的な記事で
ついていけなくてごめんなさい。
 人生において若かりし頃文学的作品や詩集にふれ感動したことを思い出します。
 アラカンの今はというと、自分以外の深刻な生きざまにはあまりふれたくないような感じがします。仕事関係でさまざまな思いに悩むことも多かったため、今しばらくはこれでいいのかなと勝手に納得している昨今です。
 阿部工房先生のご本(最近あまり目につきませんが装丁のしっかりした箱本)も家にありましたが、当時高校生の自分にはちょっと理解できなかった記憶があります。

投稿: 茶々 | 2009年6月17日 (水) 16時08分

こんにちわ。
今日はちょっと暑いです。
そちらはからっとして涼しいでしょうね。

安部公房、日本には珍しい観念的、哲学的作家で好きですね。
他人の顔、物語としてもおもしろいですね。顔は確かに書かれていますように「一つの強力な組織作用」なのでしょうね。それが人間存在を規定するような。すげ替えたら存在そのものが揺るぐような。
砂の女も抜群におもしろかったですね。それこそ不条理を絵に描いたような砂の壁、毎日毎日、砂を掻きだして、神話のシーシュポスが岩を毎日山の上に運び、また岩が落ちてきて、それを上にを繰り返すように。人間は比喩的に見ればこの砂の男であり、シーシュポスなのでしょうね。この世に根源的な意味はなく、行為にも意味はない。これはわたしは絶対の真理だと思っています。
そのなかで「彼の地で「生甲斐」を発見したとき、主人公が「その生活と共に生きていく決意」を固める」、そうなのでしょうね。無意味でも不条理でも見事死す勇気がない限り、何とか生きていくしかない。その時砂の女も目に入り、セックスし、共に生きる覚悟をもつ。実存主義花盛りの頃をなつかしく思い出します。

とこさん、けしてとこさんのことで疲れたのでは絶対ありませんから(*^_^*)
よそでちょっとイヤなことが。
人間をあまり信じたらいけないですね。(*^_^*)

投稿: KOZOU | 2009年6月17日 (水) 13時52分

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