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2009年6月24日 (水)

私の好きな写真家~星野道夫編

 私は欲知らなかったのですが、星野さんの写真に癒される人が多いのに驚き、記事を書くことにしました。

1978年アラスカ大学の入試を受け、入試では、英語(英会話)の合格点には30点足りなかったのですが、学長に直談判して野生動物管理学部に入学。その後アラスカを中心にカリブーやグリズリーなど野生の動植物やそこで生活する人々の魅力的な写真を撮影しました。しかしアラスカ大学の方は結局中退してしまいました。1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞しました。

 「シンラ」の記者によれば、事故の一週間ほど前、朝食時に一頭のクマが一行に気がついて近寄ってきたという。こういう時、普通、人が大声を上げたりすればクマはHosino003逃げていくのだが、このクマはいくらそうしても怯まず、石を投げてようやく追い払ったそうだ。 そのクマがやっと立ち去るとき、星野さんは 「イヤな奴だな。」とつぶやいたといいいます。
 クリル湖畔はマッキンレーほど人は多く入らないだろうが、研究者などが寝泊まりするロッジも数ヶ所あり、ここのクマはかなり人に慣れていたようでした。
 イヤな感じがあったにもかかわらず、ロッジではなくテントで寝ていたのは、集団での仕事で自分の空間が欲しかったからなのか。そしてどこかに、そばに人がいるという安心感があったからなのか。
 アラスカで、しかもいつものように単独であったならば、こんなことにはならなかっただろうに。

 星野さんの親友が語って下さいました。

 「新聞や雑誌にも意外にたくさん取り上げられていたので知っているかもしれないが、今年の8月、カムチャッカ半島のクリル湖畔でテレビ番組の取材中にヒグマに襲われて亡くなった。夜、テレビの他のスタッフは小屋で寝ていたのだが、彼だけは小屋のすぐそばに自分用のテントを張って眠っていて、そこを襲われた。最初、この事を新聞で読んだ時、信じられなかった。写真集を出すほどアラスカで多くのグリズリーを撮り、クマの行動については熟知していたはずの人がなぜ襲われたのか。「サケが川を上る時期は、エサが豊富だから人を襲うような事はない。」とテレビのスタッフに言っていたそうですだが、その判断が甘かったのでしょうか。
 僕が最初に星野道夫を知ったのは栄の丸善で見つけたWWFのカレンダーだった。確か1989年のカレンダーだったと思う。そこには雪を戴いたマッキンレー山をバックにどこまでも続く草紅葉の原野にたたずむムースや、ワタスゲの穂が逆光に輝く草原に群れるカリブーなどアラスカの野性動物の姿があった。僕はスケールの大きい、しかも悲しげな 詩情のあるそれらの写真にすっかり魅せられて、3年ほど続けて星野道夫のWWFのカレンダーを買った。どの写真にも突き放すような厳しく、人間のことなど歯牙にもかけない雄大なアラスカの自然が写しとられていた。

 最近は西表島やらバリ島やら、南の島も大好きになってしまったが、もともと僕は北方指向で、学生時代は東北や北海道など北の山ばかり登っていた。その延長上にあるアラスカは、一番近い氷河の見られる場所(当時はソ連なんて行けるHosino001 所とは思っていなかった)として僕の長きにわたる憧れの地であった。
 その夢がかなったのは結婚して4年目の1986年のことだった。まだ「地球の歩き方」のアラスカ版なんてないころで、旅行会社でアメリカのドライブマップである「MILE POST」をコピーさせてもらって持って行った。レンタカーを借り、キャン場にテントを張りながら約一週間、アンカレッジ周辺やデナリ(インディアンの言葉で“偉大なる者”の意味でマッキンレー山を指す)国立公園などを巡った。その時の事を思い出すと本当に夢のようで、ろくに英語をしゃべれもしないくせによく行ったなと思う。

 アラスカの8月はもう秋の入り口で予想よりもずっと寒く、ハイウェイの両側に何処までも続くピンク色のヤナギランの花が移り行く季節を象徴していた。楽しみにしていたアンカレッジ南のポーテージ氷河では、氷河の割れ目の神秘的なブルーを実際に見ることができ感動したが、冷たい雨に打たれて長居はできなかった。天気はずっとはっきりせず、何度もにわか雨に降られ、何度も虹を見た。3日間いたデナリでもマッキンレーの山頂が見えたのはほんのわずかだったが、マッキンレーではその前々年、植村直己が冬季単独登頂後 に遭難していたこともあって、白い山容がはるか原野の上に浮かび上がったとき少々ジンと来た。

 アラスカは本当に広大だ。野性動物もたくさんいるのだがあまりにも広すぎて目立たない。最も目についた哺乳類は車にはねられてハイウェイに横たわるジリスかもしれない。ムースも見たかったのだが、とうとう一度も目にすることはなかった。国立公園内ではシャトルバスのすぐ近くにグリズリーが何度も出てきて驚かされたが、かえってサファリパークみたいで感動が少なかった。むしろ谷を隔てた遙か遠くに、ゴマ粒のようなグリズリーが2、3頭ゆっくりと歩いていくのを見た時のほうがアラスカの広さが感じられ、 
  「本物のグリズリーだ。」という気がした。

 あのアラスカ行きはわずか一週間ではあったが僕にとっては本当に大きな旅で、その後数ヶ月はボーッとしていた。星野道夫のカレンダーはそのときの厳しく大きなアラスカの自然を思い出させてくれた。そしてちょうどその頃、小説新潮の臨時増刊というかたちで「マザー・ネイチャーズ」というグラフィック雑誌が発行され、そのなかでまた星野道夫の写真に出会うことができた。その雑誌には毎号と言っていいほど彼の写真が掲載されていたし、第2号からは「イニュニック(エスキモーの言葉で「いのち」の意味)」と題してアラスカの生活を綴った文章も書き始めていた。とくにうまいとは思わなかったが、アラスカの自然や、アラスカの人々に対する彼の愛情がひしひした伝わってくる文章だった。
 

 僕の手元には5号までしかないので「マザー・ネイチャーズ」がいつまで続いたかは知らないけれど、1994年1月からは月刊誌「シンラ」に引き継がれた。最初は後継誌とは知らず、女房が買ってきたものを「昔あったマザー・ネイチャーズによく似ているが、あっちの
ほうが良かったな。」などと言いながら読んでいた。自然指向の雑誌「シンラ」は今では僕の愛読誌になっているが、読み続けるきっかけになったのは池澤夏樹氏の「ハワイイ紀行」という連載のせいだった。彼は「マザー・ネイチャーズ」の創刊号にも文を書いていたのだが、そのころのはちっとも記憶に残っていなくて、「ハワイイ紀行」ではじめてその情景描写の的確さに魅せられた。あとから彼が埼玉大学の物理学科を中退していることを知り、その描写が理科系のセンスによるものだと納得した。

 「ハワイイ紀行」以後、彼の作品を拾い読みしていたのだが、「南Hosino002 鳥島特別航路」という文庫本で僕はもっと前に池澤氏に出会っていた事を知らされ驚いてしまった。この本1989年から90年にかけて、日本交通公社発行の雑誌「旅」に連載されていた記事を集めたもの で、その中の五島列島の章は確かに読んだ覚えがあった。普通の紀行文と少々毛色が変わっていて、火山性の五島列島の成り立ちや波に削られた断崖の地層の描写など、随分専門的だなと感じ、記憶に残っていたのだった。(この機会に本棚を探したら、このときの「旅」が出てきた。1989年1月号だった。)
 

 星野道夫の「イニュニック」も「シンラ」創刊2年目の1995年1月号から「ノーザンライツ(北半球のオーロラのこと)」として連載が再開された。連載は彼の死によって中断されてしまったのだが、「シンラ」10月号に星野道夫レクイエムとして池澤氏が追悼文を書いている。星野と池澤の結びつきは、おそらく「マザー・ネイチャーズ」の頃から雑誌を介して始まったのではないかと思うが、その追悼文の中で、星野道夫がアラスカへ定住することになったきっかけについて、びっくりするような事を書いていた。
 

 星野道夫とアラスカの関わりの一番の始まりは、神田の古本屋で見つけたアラスカの本に載っていたエスキモーの村の空撮写真に魅せられ、19歳の時にその村へ行き、一夏を過ごしたことであることは、彼の著書「アラスカ、光と風」で知っていた。しかし、すっかりアラスカに行ってしまうきっかけになったのは、中学以来の親友が山で死んだことだったと言うのだ。
 

 星野がTと書いている友人は1974年の夏、妙高連山の焼山の頂上付近でキャンプしているときに、10年以上活動の無かったこの火山の突然の噴火に巻き込まれ、仲間の2人と共に亡くなっている。そして、この時亡くなった3人は僕の大学の同じ学科の3年先輩にあたる。
 僕が千葉大に入学したころ、松戸の園芸学部の食堂の前に三本のベニバナトチノキが植わっていて、誰かから登山中に亡くなった先輩がいる事を聞いた。 そのトチノキは同級生が植えた追悼の記念樹だという。その木はおそらく僕が入学する前年か前々年に植えられたもので、その名のとおり、薄紅色の花がまだ薄くて柔らかい黄緑色の葉陰に揺れていた。
 

 入学後、山登りを始めていた僕に、山で死ぬということを目に見Hosino004 える形で表していたその トチノキを、いつも僕は特別な想いで見ていた。当時珍しかったその花の写真を撮った記憶があったので、学生時代の古いアルバムを探してみたら、少々色褪せてはいたけれど、確かにあのマロニエの写真が残っていた。
 池澤夏樹の追悼文を読むと、星野道夫がアラスカの自然と同じように、ヒグマに対しても愛情を持ち、そして良く知っていたのが分かる。
 星野はアラスカのクマのなかで最も危険なのは、国立公園にいるクマだという。大勢の観光客が訪れる国立公園では、本来、クマが人間に対して自然に保つ距離が取れない状況になってしまっている。人間との距離感が麻痺してしまっているクマとの遭遇は事故が起こりやすいというのだ。

 池澤氏は書います。
 「彼は基本的に銃を持たない。銃をもつと銃に頼りすぎて、動物と対面する場面で必要な緊張感を失い、不用意な行動をしてしまう。その方が問題だと考えていた。グリズリーと何度も関わって、そのたびにグリズリーがその時々きちんと的確に自分の感情を表現するのを読みとっている。だから手の中に銃があるばかりに、脅威でもないものを脅威と妄想して撃ってしまう方を恐れた。クマを軽んずるのではない。クマに対して必要にして充分なだけの畏怖の念が彼にはあったのだ。」

 

 「シンラ」の記者によれば、事故の一週間ほど前、朝食時に一頭のクマが一行に気がついて近寄ってきたという。こういう時、普通、人が大声を上げたりすればクマは逃げていくのだが、このクマはいくらそうしても怯まず、石を投げてようやく追い払ったそうだ。 そのクマがやっと立ち去るとき、星野は「イヤな奴だな。」とつぶやいたという。
 クリル湖畔はマッキンレーほど人は多く入らないだろうが、研究者などが寝泊まりするロッジも数ヶ所あり、ここのクマはかなり人に慣れていたようだ。イヤな感じがあったにもかかわらず、ロッジではなくテントで寝ていたのは、集団での仕事で自分の空間が欲しかったからなのか。そしてどこかに、そばに人がいるという安心感があったからなのか。アラスカで、しかもいつものように単独であったならば、こんなことにはならなかっただろうに。
 

 植村直己が遭難したときにもまさかと思った。彼は本当に用意周到な人で、南極点への犬ぞりによる単独到達が夢で、エスキモーから犬ぞり操縦の技術を習い、予行演習として犬ぞりによる単独北極点到達とグリーンランド縦断までなし遂げてしまった。あんな用心深い、忍耐強い人が遭難死するとは思ってもみなかった。
 そして、あんなにクマのことを良く知っていた星野道夫がヒグマに襲われて亡くなるとは。自然相手に絶対ということは無いと分かっていても。『アラスカに、カリブーやムースやクマやクジラと一緒に星野道夫がいるということが、ぼくの自然観の支えだった。
 彼はもういない。僕たちはこの事実に慣れなければならない。残った者にできるのは、彼の写真を見ること、文章を読むこと、彼の考えをもっと深く知ること。彼の人柄を忘れないこと。それだけだ。』

 星野道夫の死は、今年の夏、僕にとってほんとに衝撃的な出来事だった。僕にとっての星野道夫の死の意味を整理しておかないと、どうにも落ちつかない感じだった。今思えば、僕のあのアラスカ旅行は夢を叶えるために努力ができた最後の旅だったような気がする。歳をとるに従って夢などという青臭い一途な憧れを持ち続けるなんて気恥ずかしくなってしまうし、若さ故の漠然とした不安といったものも日々の生活のなかで擦り切れてしまった。
 アラスカは僕にとっては、そんな忘れてしまいがちになる感情を思い出させてくれるものだった。そのアラスカへの想いを星野道夫がいでいてくれた。
 星野道夫が亡くなり、もう彼の写真や文章によって、心のアルバムにアラスカのページが増えることは無くなってしまった。そろそろこのアルバムを本棚に納める時期かもしれない。」と。

 もうすぐ星野さんの一周忌がやって来ます。長かったような、早かったような。それにしても、その著書を通してしか知らない男の死を、単なる一読者でしかないはずの自分がなぜこうも悼み続けるか。今までこのような経験はなかったのに。これこそたぶん、星野さんの言葉が持つ力なのだと思います。彼の文章の中にはいつでも優しい笑顔をした等身大の男の姿が見ええます。ひどく近しい場所、まるですぐそばに彼が立っているように。勿論、星野氏は写真家であり、彼の写真集はどれも見る者に深く感銘を与えずにはおかないのだけれど、それでも、写真しか見たことがなかったならば、それほど影響はなかったと思う。写真もすばらしいけれど、それと同じくらいに大きいのは、やはり彼の言葉の力なのです。

 星野さんの文章は非常に平易です。本当にやさしくわかりやすのです。漢字さえ知っていれば子供にだってそれなりに読めるでしょう。もっと言ってしまえば、今時、普通なら恥ずかしくてとても書けないだろうと思うくらい純真純情な言葉が並んでます。汚れたものが何もないのです。誰にもとても真似などできないくらい。もし他の誰かがこんな文章を書いていたら、読者は赤面するか胡散臭そうに放り投げるに決まっています。にもかかわらず、星野さんという男性の書いた文章だから、それは非常に力強く深みがあって、真実なのす。結局、信用ということなのでしょうか。大自然を相手にしながら、美辞麗句を使用して大言壮語するわけではない、非常にささやかな感想を何となくはにかみながらぼそぼそと漏らしているような、そういう男が書く文章なら信用できないわけがないと思うのです。

 変わりゆく自然を、過ぎ去った歴史を、年老いあるいは若くして亡くなってゆく人々を、惜しみながらも、常に現在という瞬間を肯定してゆく生命の力、軽やかで明るいオプティミズム、そのような人生に対する彼の態度もまた、その言葉に力を与Hosino005 え輝きを添えている・・・
変わりゆく悲しみは年老いてゆく悲しみと共通していますね。しかし決して変化と老いとを否定はしません。むしろ積極的に肯定してゆこうとします。その上で、しかもなお、変わらずに守ってゆかなければいけないものは何か見据えようとしています。そのため、星野さんは見る者、見守る者なのですね。長い長い時間をかけて。熊が冬眠から目覚め活動する瞬間を見るために、何日も待ち続ける。あるいはカリブーの季節移動を一カ所で待ち続ける。いつ通るかも知れない、もしかしたら通らないかも知れないのに。ただ待つだけの日々。それだけの余裕が彼にはある。彼は決して性急に結果を求めはしない、答えを出そうとはしない・・・

『混沌とした時代の中で、人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと、私達はある無力感におそわれる。それは正しいひとつの答が見つからないからである。が、こうも思うのだ。正しい答など初めから存在しないのだと……。そう考えると少しホッとする。正しい答をださなくてもよいというのは、なぜかホッとするものだ。しかし、正しい答は見つからなくとも、その時代、時代で、より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。』

『「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。』(『旅をする木』)

 星野さんの眼差しはとても優しい。それはおそらく、結果を重視し最優先する社会を離れてしまった者の眼差しだからでしょう。

ふと思うのです。そもそも、時間には結果など無い。時間には、延々と過ぎ去って行く、その流れだけがあるのだと。生きていることとは、過ぎ去り続けることで、結果を出すことではないのだと。星野さんは「時の流れを観照し続けた人」なのだと思います。彼のことを思う時、人の一生の短さが、何千年何万年という比較しようもない時間の流れに対して直に繋がっている、そのことをいつも再確認させられる気がしました。

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コメント

失礼します。

記事に出てくる焼山の噴火で亡くなった学生。一人はたぶん僕の母方の叔父です。

あまり事故の詳細を聴いたことがなかったので、ふと思い立って検索していたところでこの記事を見つけました。

つながりって不思議ですね。今、なんとも形容しようのない感覚にひたっています。

このこと、母にも伝えたいと思います。
どうもありがとうございました。

投稿: ippei takada | 2010年10月 7日 (木) 20時58分

星野さんが落命したのはアラスカとばかり思いこんでいたのですが、ロシアのカムチャッカ半島なのですね。

投稿: KOZOU | 2009年6月29日 (月) 13時45分

とこさん、こんにちわ。
今日はとても暑いです。
今から先思いやられます。
大変お忙しい中読んでいただきコメントありがとうございました。
レスを書いていますのでいつかご覧になってください。

どうか無理をされずに、お体たいせつにです。

投稿: KOZOU | 2009年6月26日 (金) 17時38分

こんばんわ。
今日は暑かったです。
そちらは涼しいのでしょうね。
この前は記事を追うのにいっぱいで画像ああり見ていなかったのですが、動物のおもしろいですね。
シロクマのくつろいだつうか横着極まる姿(*^_^*)
熊が入浴?する横でかわいく寝ているアザラシかな。
どちらも星野さんの写真ですかね。

色々大変と思います。
どうかお体気をつけられてです。

投稿: KOZOU | 2009年6月25日 (木) 18時08分

茶々さん、コメント有難うございます。

やはり私は主婦とまちがえられたようですね。
残念ながら今だシングルです。と言えば聞こえがいいですが、、バツイチです。もうこりごりと言う感じです、星野さんの記事は友人の抜粋が多く、間違えるのもt当然です。書き方がよくなかったですね、しつれいしました。しました。

これに懲りずにまた来て下しね。私の訪問します!!。

投稿: とこ | 2009年6月25日 (木) 02時59分

KOZOUさん、コメント有難うございます。記事の大半は星野さbbの友人が寄せたものです。
私は残念ながらバルイチなんですよ~

私が病気がちで、他の女性が沢山いたのでもうダメとリタイヤしました。今は両親と兄との4人暮らしです。今の暮らしが
いいようで兄の結婚してません。・・・親不幸です、兄妹ともに。

絵がすきなので写真はどうも、と思っていたのですが、いいものですね。おれから注意して「にていこうと思います。

投稿: とこ | 2009年6月25日 (木) 02時48分

こんばんわ(*^_^*)
こちらよく降りました。

星野道夫さん、ほんとに惜しかったですね。
彼の写真大好きでした。
そして生き方に尊敬と憧憬を持っていたのですが。
彼の死の状況がとこさんの記事でよくわかりました。
アラスカの熊はほんとに恐ろしいと思いますが書かれてあるように誰よりも生態を知っていたはずなのにですね。
魔の時だったのでしょうね。
植村直己さんといいほんとに惜しいです。
ただ真の冒険家はどこかで命を落とす気もしますね。
彼らもどこかで覚悟しているのでしょうが。
掲載の写真はマッキンレーですかね。
すばらしい山ですね。
迫力と美しさがよく出ていると思います。
全然違いますがこの前の夢二の絵もよかったです。
「そもそも、時間には結果など無い。時間には、延々と過ぎ去って行く、その流れだけがあるのだと。生きていることとは、過ぎ去り続けることで、結果を出すことではないのだと。星野さんは「時の流れを観照し続けた人」、実にいい言葉ですね。胸にしみます。
ところでとこさん、ご夫婦でアラスカ探訪されたのですか。
ほんとにすごいですね。
カナダまででアラスカは行ったことありません、いつか行きたいとは思いますが。

投稿: KOZOU | 2009年6月25日 (木) 00時04分

こんばんは
あいかわらず毎回
タフネス記事ですね。
どこにその源泉があるのですか?
うらやましい。

話かわりますが、若い時は冒険家だったんですね。
ご夫婦でのアラスカ探訪なんですか?

ほんと
すごいですね~

投稿: 茶々 | 2009年6月24日 (水) 21時27分

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