« 私の好きな作品たち~井上ひさし編 | トップページ | 私の好きな歌舞伎役者さん~坂東玉三郎編 »

2009年6月 6日 (土)

私の好きな画家~アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック編

 彼の奇抜な絵は私を一時虜にさせました。ヨーロッパで最も由緒ある大貴族トゥールーズ=ロートレック家の嫡男として生まれ、少年のころ両足の大腿骨を折るという二度の事故のあと、不具の身となったロートレックは、絵画で欠けた人生補Rotorekku001 おうとしました。
 彼の作品は、もちろん世界的な財産であるとともに、当時を明らかにした記録、特にパリ生きる人々の本当の姿を描いています。今世紀前後のパリには画家だけでなく、小説家や音楽家、彫刻家など、世界中の優れた作家がたくさん集まり、影響されたり、共同作品を作ったり、共に生きたりした素晴らしい時代でした。これは、単なる偶然ではなく、1900年にパリ万博が行われ、その事によって、更に活気づきました。その中から芸術的な「派」を作っていく、例えば、セザンヌやルノアールらの「印象派」の人々や、一匹狼のドガのような人がいました。そして、彼らに共通していることは、貧乏であるということ、生活費を稼ぐ必要がありました。ルノアールは、そのために毎日小さな油絵を1枚仕上げていました。しかし、ロートレックは全く違いました。

 1864年に南仏のアルビで生まれ、生家はカルル大帝の時代までさかのぼり、十字軍の騎士も輩出したフランスの名家でした。苦労しらずな恵まれた環境のもと、人生を思いのままに楽しむのに、十分な財力に恵まれていたのです。

 しかし、彼には生涯二つの大きなコンプレックスが、彼自身をしめていました。一つは、幼年期の二度の骨折によって上半身は成長するのですが、下半身は発育不良のままという異常な容姿だったということ。父、アルフォンス伯と母は実の従兄妹同士であり、家系内での血族結婚が稀ではなかったと書かれていることから、骨と骨の成長に異常をきたす病気のために、発育障害になったことも理解できます。もう一つは、父親アルフォンス伯の存在でした。もともと、変わり者で有名であり、社会的な制約に一切縛られず、乗馬や狩猟といった現実離れしたものにしか興味を持ちませんでした。スコットランドタータンの肩掛けをまとい、バレエのチュチュを付けて昼食の席に現れるなど、奇妙な服装をして人々を驚かすのが好きだったと伝えられています。

 ロートレックに対しては、絵を学ぶためのアトリエをパリに探したPc010 りと彼なりにいろいろとしていたようですが、実際にはあととりとしての息子の接し方ではなく、不具の身を哀れんでのことだったらしいのです。時には、息子に対し、敵意にも似た感情を表していたともいわれました。しかし、ロートレックは、明るく、人前では決して愚痴を言わず、極めて背の高い人を好み、自分を冗談の種にしていました。変わり者の父親と息子は、パリのキャバレーでばったり会ったこともあるようですが、一生分かり合うことはありませんでした。歩み寄る術は、本当になかったのでしょうか・・・これこそ悲劇です。

 ある日、ロートレックはコルモンのアトリエで親しくなったゴッホとゴッホの弟テオとロートレックの子供のころの親友モーリス・ジョワイヤンと再会しました。テオはグービル画廊の支配人をしていました。また、彼のあとを受け継いだのが、ジョワイヤンです。後にジョワイヤンは、ロートレックが亡くなった後も彼の作品を管理し、彼の故郷のアルビに美術館を作りました。
 ロートレックは、その後グービル画廊へ足を向けるようになりました。1890年にグービル画廊は、浮世絵と日本の絵本(浮世絵絵本)を展示しました。ロートレックはジョワイヤンを手伝って、一緒にこの展示会の準備のために働いきました。19世紀末に日本芸術がフランスに紹介されると、印象派の画家たちが夢中になりました。ロートレックはゴッホと同じように浮世絵と巡り会い、その魅力に囚われ、熱心に研究しました。
 1891年、27歳のロートレックが「ムーラン・ルージュ」の依頼で、そのポスターを制作することは、彼自身未知の分野に挑むとともに、ポスター界の帝王ジュル・シェレへの挑戦を意味することでもありました。二年前に「ムーラン・ルージュ」開店披露のポスターをシェレが制作し、大変好評だったからです。ロートレックはシェレに教えられ、ピエール・ボナールにその技法を学んだ石版画と浮世絵研究したものを実現できる機会を迎え、一気に制作した「ムーラン・ルージュ」のポスターは大きな成功を収めました。
 

 翌年から石版画の製作に取り組み、カタログ総数の387点のほとんどを1898年までの7年間に製作していいます。大量の油彩画を制作しながら、年平均Rotorekku_003 ほぼ50点の石版画に取り組んだということだけでも、ロートレックの石版画にかけた情熱がうかがえますね。
 1894年9月ジョワイヤンはロンドンで歌麿展を開催しました。ロートレックも同行し、再び浮世絵の収集に没頭すると同時に、墨で一連のデッサンを描きました。その一つに『広重の手法による隅田川の風景』があります。この作品は、1972年の「世界の文化と現代芸術展」で盗難にあい、その後発見されていないそうです。
 ロートレックが果たした石版画の追求は、20世紀絵画の様々な方向性の前進となりました。
 ピカソが19歳の時描いた「青い部屋」は、ピカソ自身の部屋を描いたものですが、部屋の奥の壁の中央にロートレックのポスター『メイ・ミルトン』が貼られてあったそうです。泣きたくなる話ですよね。

 しかし、1899年、35歳の2月にアルコール中毒が原因の発作を起こしました。ロートレックの母親は治療のため彼を監禁することを決意。力づくででした。ロートレックが画室から出たところを拉致して、ヌイーイのサン=ジャム精神病院に入れたそうです。ロートレックは自由を奪われてしまったことに耐えられなかませんでした。正常であることを証明するために、記憶だけで『サーカス』シリーズを制作。ジョワイヤンら友人らの奔走もあって、退院にこぎつけましたが、36歳になって、再び飲酒癖が始まってしまいます。完全に健康が蝕まれてしまっていました。1901年、渾身の力で制作活動を続けていましたが、8月20日、発作の再発。ロートレックは母親の購入したマルロメの城館で、母親のそばで死にたいと望んみました。そして、9月9日に37歳で息を引き取ったのでした。37歳・・・・これからだというのに・・・。

 そんな生涯を送ってきたからこそ、何時観ても、飽きない、優しい目線と自分もこうであったらと言う望みと明るさが返って悲しく観えたりするんですね。あなたの絵は永遠に継がれていくでしょう。安心して眠ってください。

|

« 私の好きな作品たち~井上ひさし編 | トップページ | 私の好きな歌舞伎役者さん~坂東玉三郎編 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ。
ロートレック、名門の出であることは聞いていましたがヨーロッパでも有数の超名門なのですね。
彼の生涯に良きにつけ悪しきにつけ大きな影響を与えたのでしょうね。親父さんがちょっとぶっ飛んでいたおですね。

彼の絵、パリの退廃と憂愁と詩情をあますことなく表したようでとても惹かれますね。現代アートにも通じる当時としては画期的な作品だったのでしょうね。彼の絵でパリのイメージを持った日本人は多いでしょうね。
絵があったから救われた、また絵を求め耽溺したため命も縮めたのでしょうね。37歳、本当に若いですね。19世紀と共に去っていったのですね。でも書かれていますように今や人類の財産、
本当に人生は短く 芸術は長いですね。

とこさん、女流歌人すみません。次回は必ず(^_^;)

投稿: KOZOU | 2009年6月 8日 (月) 15時51分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/528484/29971022

この記事へのトラックバック一覧です: 私の好きな画家~アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック編:

« 私の好きな作品たち~井上ひさし編 | トップページ | 私の好きな歌舞伎役者さん~坂東玉三郎編 »