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2009年6月21日 (日)

私の好きな作品たち~太宰治編その②

 先々週の土曜日に大様のブランチのBOOKコーナーで太宰大先生の企画があり、つい、引き込まれて観てしまいました。それによると、太宰氏は短編や明るい話題の本がまだまだあるということで、紹介されていました。ほほうと思いましたが、希望を持ちたくて氏の作品を選ぶ方は少ないと思うのですね。でも決して絶望の淵にいる人が読んで生きる気力が無くなる作品ではなく、その微妙なところがなんとも美しいんです。

 『もの思う葦』は初めて読んだ時は太宰らしさがないと思いましたKaii011_2 が、今、改めて読むと、太宰氏の、弱さを美学とする精神が好きで、それは受け入れられるものではないのかもしれないし、 弱さで食べてはいけないし、誰も守ることすら出来ないかもしれないけれど彼の文学には、希望があると思えてきます。思ってはいたけれど、怖くて言えない、そう口の中で噛み潰していたものが、 氏の文章の中で堂々と訴えられている気がしました。 それにどんな慰めよりも、救われます。 太宰氏の精神が余すところなく収録されている一冊だと感じる事が出来ました。

 彼は至って明るく振舞っていました。どんな苦痛が胸の内にあろうとも。そういう子供時代を過ごし、作家になっても本当に津軽が好きだったと思わせる逸話が残っています。

 『津軽』が書かれたのが、育ての親越野たけとも30年ぶりに再会を果たした旅の後であることに注意すべきでしょう。。「私」はここで、「津軽人としての私をつかまうとする念願」で旅に出ながら、「生きかたの手本とすべき純粋の津軽人」を発見できなかった失望を語っていいます。「誰がどうしたとか、どなたが何とおつしやつたとか、私はそれには、ほとんど何もこだはるところが無かつたのである。」と言う「私」は、津軽の「現実」に、なによりも一方的に母と子の関係を仮構していた越野たけに失望していたに違いありません。そのことはもちろん、「私」の側の問題でしかなかったのですが。その結果、「とにかく、現実は、私の眼中に無かつた。」と、津軽の「現実」を無視しているような言葉をさえ吐くようになるのでですが・・・
 旅の手帳に二度も繰り返して書いたという、「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事が出来ない。」という言葉は、この作品の成り立ちを説明しています。津軽の「現実」から、「現実は決して人を信じさせる事が出来ない」という言葉が生
み出されたとすれば、「信じるところに現実はある」という言葉からは、作品『津軽』が生み出されたことになります。『津軽』は、「信じるところにある現実」として仮構された世界にほかならなかったのです。

 東郷克美氏は太宰氏の『晩年』『右大臣実朝』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』などを中心に、作者・太宰治が、「太宰治」という虚像を作り上げ、その虚像を演じていく様子が解き明かされているといいます。作者・太宰は「太宰治という物語」を仮構し、その仮構された「太宰治」を作者みずからの実生活が追いかけて行く。そのためには「現実世界で徹底的に敗北すること」が必要であったとして、著者は太宰の生い立ち(母の不在)や転向に現実世界での敗北を見出し、そのことが作品に与えている影響を解明しています。

 初期の「魚服記」「思ひ出」などが、それまでの作品とは別人のものであるようなのは、否定すべきものとされた「津軽的なるもの」が、転向によって容認され、そこに文学的源泉を求めようとしたからだとされる。「地主一代」「学生群」(昭和5年)から、「魚服記」「思ひ出」(昭和8年)への変貌に対して、これほど説得力のある説明を聞いたことがありません。
 しかし、この「津軽的なるもの」ももちろん仮構された世界であって、現実世界に訣別して仮構された世界に生きる、作家「太宰治」がこの本では追求されていくことになる。著者は国文学の研究者のようであるが、この本のあとがきで、「今でもどんな対象であれ、何らかのかたちでそれに私的なモチーフを仮託できるのでなければ、何も書けないたち」(292ページ)と述べているように、著者の問題意識がこの本を研究というスタイルに収まらないものとしており、そのことが読む者に感銘を与えているのだとおもいます。太宰治の作品を読み解こうとする者にとって、必読の書だといえる・・・こう語ります。

また、平野謙氏は太宰の文学と「時代の影響」について、次のようKaii002 に書いています。「太宰の三期がそれぞれ左翼崩壊の時代、戦争の時代、戦後惑乱の時代にそれぞれ対応すると、私は最初に書いたが、この時代の影響をやはり軽視すべきではないと思う。そのたぐいまれな生活喪失の文学が資性によるか環境によるか時代によるかは容易にさだめがたいが、前期の錯乱、中期の健全、後期の敗亡はそれぞれ時代の影響によつて、そのように顕現した、と思いたい。すぐれた芸術家は、すべて運命の子であると同時に時代の子ででもある。」

 それほど長くはない生涯なのに、こんな明確に区分できる時代を生きていたことが、何か幸せなことに思えてきます。でも、時代の影響だけだとしたら、太宰の文学は時代とともに滅んでしまったに違いないでしょう。

 太宰の作品が現在でも古びないのは、時代の影響と同時に、太宰の「資性」がその文学を支えているからではないでしょうか。だから、太宰の作品から「時代」だけを読み取っても、「資性」だけを読み取っても、太宰を理解したことにはならないのでしょう。

 『斜陽』や『人間失格』の背後には「戦後惑乱の時代」が、『津軽』や『お伽草紙』の背後には「戦争の時代」が横たわっているのと同時に、それらの作品を支えているのは太宰の強烈な「資性」であるような気がします。ところが、太宰が生きた時代から遠ざかるほど、「時代の子」としてよりも、「運命の子」としての側面が大きく見えてきます。太宰氏と同時代の者が感じていたようには、氏が生きた時代を感じることはできないとしても、「時代の子」としての側面が太宰の文学を支えていることも、忘れてはならないと思えます。
亀井勝一郎氏は、著者と太宰治との交友は、太宰が三鷹に引っ越してきた昭和14年からはじまり、戦後の昭和22年まで続いたといいいます。三鷹の太宰の住居は、著者の住む家から歩いて15分位のところにあったそうです。
この本は太宰の死(昭和23年)の直後から、15年の間に書かれたもので、身近にいた人特有のべっとりとした感じもなく、距離をおいて見た太宰の作品と人となりが記述されています。距離をおいて見た太宰の姿は、たとえば出自の問題として、次のように捉えられています。
「旧家には格式の高い、きびしい倫理の血が流れているが、同時にそれと矛盾して、濃い淫蕩の血も流れているものである。崩壊の感覚と抑制の意志と、この二つのものが互に戦いを挑み、そして傷つくのだが、太宰の作品に血痕のように刻印されているのは、この争闘の傷痕である。頽廃の子という自覚とともにあるきびしい倫理観念、或は「家」における秩序の観念を見のがすことは出来まい。」(「太宰治の人と作品」)

「旧家」にある、「きびしい倫理」と「淫蕩」との「争闘の傷痕」、つまり社会的な秩序とそれに対する反抗の「傷痕」が、太宰作品には刻印されているということだと思います。もちろん、それは単なる「反抗」ではなく、「きびしい倫理観念・「家」における秩序の観念」に対する愛憎の意識(「崩壊の感覚と抑制の意志」)だったことに注意するよう、著者は喚起しているようにみえます。

 そして、身近に見た太宰の印象については、次のように描かれています。
「それに彼と話すのは、なかなか骨が折れるのだ。言葉のなまりこHigashiyama_work18s そ東北弁とはいえ、この繊細な神経家は、わずかな言い廻し、ふとした比喩、ちょっとした悪口にでもすぐ傷つくのだ。人の傷痕にふれることは、罪悪にはちがいない。他の話をしながら、無意識裡に人を傷つける場合もあるでしょう。太宰氏にはそれがこたえるのです。親しいものほど悪人視される可能性が多くなります。彼は自分を理解してくれる人のないことをかこつが、もしよく理解してくれる人が出たら、彼はその人を最も憎むだでしょう。神経を余り使う必要のない、自分を甘やかしてくれるような、低能な女が、孤独者にはふさわしいのである。」(「太宰治の思い出」昭和23年9月、155ページ)
 ここには、「自分を理解してくれる」「自分を甘やかしてくれる」人を求める、「孤独者」太宰治の内面の核心が描かれています。

 著者が、距離をおいた位置から、また間近から描き出した太宰の姿は、太宰の作品を理解する手がかりを与えてくれるはずです。

 長々書いてしまいましたが、太宰氏の作品にははずれが無いということを言いたかったのです。そしてあまり陽の当らない作品にも目を通すべきだと今回つくづく思いました。

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コメント

こんばんわー。

太宰さんのは「斜陽」と「人間失格」を・・・読んでないですね(苦笑)。
高校の時(たしか一年)に友人に薦められたんですね。その頃は「なんだかむつかしいなぁ」と思って、呼んだふりをして返してしまいました。今思うとあらまぁ、という感じです。
ちゃんと読んだものも、ないので・・・恥ずかしいです(汗)

「信じるところに現実はある」のが新鮮です。なるほど、そうなると現実は必ずしも現実ではないわけですね★おもしろいです。

まったく関係ないですが、今日の夕飯はしょうが焼きでした。
あと、マクドナルドが子供達によって占拠されています←ポケモンのキャンペーンらしく、わらわらいて、みんなDSを手にぱちぱちやっているのが異様でした(笑)

では、おやすみなさいです(^^)

投稿: yukidaruma | 2009年6月21日 (日) 23時02分

こんにちは(*^-^)。
今年は太宰治生誕100年という事で色々取り上げられていますね。

とても神経質な顔をされていて、実際も、ものすごく神経質な方だったのですね。
本当に親しい人、自分を叱ってくれる人を作る事が出来ない状況は、”孤独”だけが残るのですね。
寂しいです…。

投稿: Marunaga | 2009年6月21日 (日) 18時10分

おはようございます。
今日はこちらも相当降っています。

太宰治、人並みに高校時代心酔しました。これがわたしの蹉跌の元だったのでしょうか(^_^;)
そのあと一時は毛嫌いし、今はまたゆとりをもって読むことができるのではと思っています。
「太宰治の思いで」に書いてあることはまさにその通りでしょうね。
津軽の旧家、彼のダンディズムも衒いも羞恥もすべてそこから発しているような気がします。そしてやはりプロレタリア文学、思想への負い目、彼は一時期結構真面目に活動に従事しようと思ったようですが、到底彼の資質の耐えうることではなかったと思います。だがその負い目はずっと引きずったのでしょうね。心中した時期はまだ未来を社会主義にかける時代風潮が強く、彼はそれに半ばおびえていたのだと思います。
書いてありますように「「太宰治という物語」を仮構し、その仮構された「太宰治」を作者みずからの実生活が追いかけて行く。そのためには「現実世界で徹底的に敗北すること」が必要であった」はまさに当たっていると思います。
痛ましいとは思います。
彼の文学も青春の慰安としていつまでも残るのでしょうね。

投稿: KOZOU | 2009年6月21日 (日) 10時13分

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