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2009年7月

2009年7月30日 (木)

私が気になる作品~『思考の整理学』

 実は立ち読みしちゃった本なんです。自己啓発本は苦手で買う気になれなかったので、つい、紀伊国屋さんで1時間近くこの本とにらめっこしてしまいました。

 タイトルの通り、どのように思考を整理していくかについて書かれた本でした。が、まとめるとなると、なかなか難しいものです。

まず、なにゆえ思考の整理をするのか、その目的から。コンピュータが進化してきた今日、人には知識の蓄積よりも独創力、創造力が求められますが、世の中には自力飛行のできないグライダー人間が多いといいいます。思考を整理するのWhistler01 は、飛行機人間になるためだと言います。

・見つめるナベは煮えない
これは面白い表現だと思いました。頭の中に素材と発酵させるための酵素を入れ、しばらく忘れる。思考を熟成させるには寝させることほど大切なことはない。しばし忘れるのは、いちずに考え続けると視野が狭くなるから。

・思考の手
知識は系統的に集めること。アイデアは逃さないよう、鞍上、枕上、厠上どこでもメモれるようにしておく。忘れて、しかも忘れないようにするために、記録しておくこと。

 アイデアを脈のありそうなものとそうでないものに分けるためにメモからノートに移す。これを数回繰り返す。時の試練を経て、なおかつノートに残っているアイデアは、”使える”アイデアになっているということ。

 知識は最初は増やさなくてはならないけれど、折り返し地点からは捨てて、洗練されなければならない。捨てること、自然に廃棄していくのが忘却、意識的にするのが整理。整理とは、その人の関心、興味、価値観に基づいて行われます。思考の整理には忘れることがもっとも有効ということ。

 整理できた知識はまとめなくてはならない。物知りとは、ただ知識を保有しているだけ。まとめるためには、まず書いてみる。書いているうちに頭の中で筋道が立ち、思考の整理が進むということ。

・着想するには気心が知れていて、縁の薄い者同士が集まると、触媒効果で新しい発見が期待できる。似たもの同士では互いに影響しあうことが難しい。だから、ひとつの組織だけで育ってきた純粋培養はよろしくない。新しい風を入れて、刺激しあう必要あるということ。

・考えるときの心得は、ものを考えるには、力んではダメ。ぼんやりと考える。ほかにやることがありながら考えられる、三上(鞍上、枕上、厠上)、三中(無我夢中、散歩中、入浴中)がよい。そして、自分の経験、知見に基づいた、自分だけのことわざ・格言をつくること。

以上、ざっとまとめてみましたが、常にメモをとることまではよしとして、熟成のさせ方はたいへん参考になりました。
 やはり思い詰めて考えるのはよくないのですね。段取りをよくして、早くナベに材料と調味料を入れ、見つめずに放っておく。頭の片隅は常に置いておきながら、見つめない。これが、あっと驚く発見・発明につながるポイントなのでしょうか・・・
もちろん「忘れる」ことも負けず劣らず大事なことであると言います。

 「テーマはシソグル・セソテンス(一文)で表現されるものでなくてはならない」 という注意があり、おもしろいと思ったから記憶に残っています。はじめにのべたように、 テーマを説明させたら、十分も十五分もしゃべっているようでは、とても、シングル・セソテンスでまとめるなどという芸当ほできません。一文で言いあらわせたら、その中の名詞をと 隼弓管する。とは何でもないはずです。思考の整理の究極は、表題ということになります。

 自分の考えに自信をもち、これでよいのだと自分に言いきかせるだけでは充分でない。他の人の考えにも、肯定的な姿勢をとるようにしなくてはならないと言います。どんなものでもその気になって探せば、かならずいいところがある。それを称揚する。 よくわからないときにも、ぶっつけに、「さっぱりわかりませんね」 などと水をかけるのは禁物。「ずいぶん難しそうですが、でも、何だかおもしろそうではありませんか」とすれば、同じことでも、受ける感じはまったく違ってきますね。
 
 すぐれた教育者、指導者はど こかよいところを見つけて、そこへWatteau02 道をつけておく。批評された側では、多少、けなされていても、はめられたところをよりどころにして希望をつなぎとめることができるのです。 全面的に否定してしまえば、やられた方ではもう立ち上がる元気もなくなります。自分でダメ だと言うのでさえひどい打撃です。ましてや他人からダメだときめつけられたら、目の前 が真暗になってしまいます。

 ピグマリオン効果 ほめると伸びる

三上を唱えた欧陽修は、また、三多ということばも残しています。これもよく知られたことばです。 三多とは、看多(多くの本を読むこと)、作多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の秘訣三ヵ条でです。

 こういう断片的な知識、大部分が耳学問です。それを散らしてしまわないで、関連ある もの同士をまとめておくと、ちょっとした会話のタネくらいにはなります。知らない人は、大変詳しいと感心してくれるかもしれないというのです。知識というものは、心掛け次第で、と
くにまとめようとしなくても自然にまとまってくれるものらしいのです。

 われわれには二つの相反する能力がそなわっています。ひとつは、与えられた情報などを改変しよう、それから脱出しようという拡散的作用であり、もうひとつは、バラバラになって しゆうれんいるものを関係づけ、まとまりに整理しようとする収蝕的作用です。

 かりに十人の人に、三分間の話をするとしましょう。あとでその要約を書いてもらう。結果は十色に違っているはず。まったく同じまとめになることはまずありません。こういう場合は、正解?はない、ことになります。正解とは、すべての人がほぼ同じ答を示しうる場合
でないと 考えられません。数学には正解があるけれども、右のような要約では正解は存在しないのです。おも しろいもの、よくまとまったものはあります。これが唯一という正しい答というものはあり得ないのですね。

 このエッセイは20年前に書かれたものですが、今でも色あせていないと思います。多方面で使える思考だとつい思ってしまった私でした。
尚、立ち読みだったので、文章が正しいかどうかは自信がありません。すみません。

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2009年7月29日 (水)

私の好きな画家たち~アンディ・ウォーホル編

 マリリンモンローが微笑んでいるポップアートを観たことの無い方はいないでしょう。この絵を描いた画家がアンディ氏なのです。
 カーネギー工科大に通い、ニューヨークへ出てイラストの仕事につきますが、やがて漫画を題材にして絵を描くようになり、ドル札、キャンベル・スープ、マリWarhol_work01s リン、惨事シリーズを制作するようになりました。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。本名はアンドリュー・ヴァーコラ。

 1960年、彼はイラストレーションの世界を捨て、ファインアートの世界へ移る。『バットマン』、『ディック・トレーシー』、『スーパーマン』など、コミックをモチーフに一連の作品を制作しましたが、契約していたレオ・キャステリ・ギャラリーで、同様にアメリカン・コミックをモチーフに一世を風靡したロイ・リキテンスタインのポップイラストレーション作品に触れて以降、この主題からは手を引いてしまいます。当時アメリカは目覚ましい経済発展のさなかにありました。

 1961年 (33歳)、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描きはじめます。ポップアートの誕生です。

1962年にはシルクスクリーンプリントを用いて作品を量産するようになります。モチーフにも大衆的で話題に富んだものを選んでいました。
 マリリン・モンローの突然の死にあたって、彼はすぐさま映画『ナイアガラ』のスチル写真からモンローの胸から上の肖像を切り出し、以後これを色違いにして大量生産しつづけた。ジェット機事故、自動車事故、災害、惨事などの新聞を騒がせる報道写真も使用。

ウォーホルの多くの作品はアメリカ文化とアメリカなるものの概念をテーマにしています。彼の選んだ紙幣、ドルマーク、食料品、日用品、有名人、ニュース写真、事故などは、彼にとってアメリカの文化価値を代表するものでした。たとえばコカ・コーラは「コークはいつでもコーク。大統領の飲むコークも僕の飲むコークも同じだから」Andei004 というわけで民主主義社会の平等性を表すものでした。

こうしたポピュラーなイメージや手法を、彼は20世紀アメリカの文化的アイデンティティーを視覚化するために使用。世界に影響を持つに至ったアメリカ文化の再定義はウォーホルのテーマであり、ウォーホルもまた世界的に影響を持つようになりました。

 1964年(35歳)からはニューヨークにファクトリー (The Factory、工場の意) と呼ばれるスタジオを構えました。ファクトリーはアルミフォイルと銀色の絵具で覆われた空間であり、あたかも工場で大量生産するかのように作品を制作することをイメージして造られました。
彼はここでアート・ワーカーを雇い、シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作しました。ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)などアーティストの集まる場となっていきました。凄い面々です!

19世紀末、ニーチェが「神は死んだ」と言言いました。これは来るべき20世紀モダニズム社会への警鐘であったのでしょう。

1960年代、アメリカは高度経済成長の只中にいて、モダニズムの社会でした。大量消費社会の背景にあるのは、物質文明。人間は神など信じていない。「物」を信じ、「物」を作り出す「機械」を信じ、その機械に支配される。そんな時代が衰えていくどころか、どんどん加速していきました「物」の中に「情報」も含まれる。すなわちマスメディアです。大量消費社会を加速させていくのは、大量に消費される情報である。「情報」がかつての「神」に取って代わったのです。

 1961年、史上最年少の大統領ジョン・F・ケネディの誕生に全米がわいた。同年、ベルリンの壁が築かれ、東西ドイツ分断。
 1962年、キューバ危機。同時にアメリカはベトナムに一万6500人の「ミリタリー・アドバイザー」を送りこむ。
 1963年、ベトナムからの完全撤退を考えていたケネディ大統領が暗殺される。
このあとアメリカはベトナム戦争へと突入してしまう。
 1962年、マリリン・モンローが謎の死をとげる。ウォーホルは同年、「ゴールド・マリリン」を制作した。金色はヨーロッパではキリスト教の宗教画によく使用される。聖母マリアやイコン画などである。マリリンはウォーホルにとって「イコン」でした。それだけではなく、
病めるアメリカにとって、イコン的な作品が「ゴールド・マリリン」だったのでしょう。「物」が溢れている社会は、その裏で「虚無感」がつきものです。

ウォーホルはマリリン・モンローや毛沢東の顔を繰り返しました。曼荼羅のよAndei010うに顔を並べただけ。交通事故の写真や電気椅子も繰り返し事故の写真も一枚だけならリアリティーを持って見ることができます。しかしマスメディアはこれを繰り返すのだ。繰り返し繰り返し情報を流す。その過程で、リアリティあるものが、虚無化してしまう。「神」が死んだ時代にふつふつと湧いてきた「虚」の世界。これをつかんだのがウォーホルの天才でした。

きらびやかな消費社会の裏側にある、どうにもならない重苦しい雰囲気、虚無感。光は強ければ強いほど、闇は暗いのである。現実を現実として見ることができない。あるのはマスメディアの情報だけ。本当は暗い闇から叫び声を上げたいのに、光あるきらびやかな世界に踊らされる。それは本当の自分ではないのです。ウォーホルだけではなく、20世紀芸術にはこういった虚無感の叫びがありました。

 ウォーホルにとっては「買う」は「考える」よりずっとアメリカ的。アメリカは人でも金でも会社でも国でも買ってしまう国だから、ウォーホルはアメリカでなければ生きられない。そのかわり、ウォーホルには人というものはすぐに狂気に走りたがることが手にとるように観察できました。ともかくウォーホルは有名なものを複写して複製して、仕事場を会場にしてポップアート宣言するだけなのだから、あとは集まってきた連中がおかしくなるのを待つだけでした。23歳で髪を真っ白にしておいたのもうまくはたらきました。そのころのベルベット・アンダーグラウンドに「オールトゥモローズ・パーティ」という歌があったけれど、たいていはパーティに来ているうちにおかしくなっていました。だから映画スターやポップスターはみんな成り上がりだが、パーティに顔を出しているうちに成り下がるのが目に見えていました。だから60年代はみんながみんなに興味をもって、パーティがつまらなくなった70年代はみんながみんなを捨てはじめたのです。
  

 ウォーホルがメディア・パーティの主人公だと勘違いされた60年代は、目立った男や目立った女と親しくなるためにはファッションも言葉も趣味も独特でなくてはならず、それで傷つくのを恐れてはいけなかったのです。いいえ、必ず傷つくために親しくなったものでした。
そして親しくなったら、必ず傷ついた・・・親しくなるというのはウォーホルにとっては、そういうことだったのです。
 こうしてウォーホルは10年に1度しか休暇がとれなくてもどこへも行きたくないという奇人変人になりおおせました。たぶんウォーホルは招かれないかぎりは、いつも自分の部屋にいたのでしょう。テレビを2台つけて、リッツ・クラッカーをあけて、ラッセル・ストヴァーの
チョコレートを食べて、新聞と雑誌を走り読む・・・

 ウォーホルは「ひなひな」であり、ママ坊であり、再生元素がAndei008 足りない化学物質でした。しかしそのぶん、ウォーホルには常套句がありました。それがウォーホルの哲学でした。「だからどうなの?」と言ってみること。言わないときは心で呟いてみること。
 母親に愛されなくてねえ。だからどうなの? 旦那がちっともセックスしないのよ。だからどうなの? 仕事ばかりが忙しくてさ。だからどうなの? いまの会社で大事にされているんだけど、なんかやることがあるような気がしてね。だからどうなの? これってアートにならないらしい。だからどうなの?
 

 いずれにせよ、人はいつも同じことを繰り返してばかりいるのですね。ウォーホルからすると、それで失敗するのは当たり前で、成功することなど忘れれば、すぐに成功するのにと思えると言います。
 

 そのうち、ウォーホルはまた気がつきます。「新しいものとはわからないものなんだ」ということでです。それが何かさえわからないもの、それだけが新しいものなのです。ということは、「これ、わからないね」と言われれば自信をもてばいいはずです。ただし、100%わからないものにしなくてはいけない。全部わからないのが、いい。「ここがわからない」と言われるようではダメなのです。ウォーホルは、こう、確信しました。「とくにアートは作れば新しくなくなっていく」。

 でも好きですね、私。
 

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2009年7月28日 (火)

私の好きなミュージシャン~中島みゆき編

 私は今現在50代のミュージシャンの頑張りに励まされています。

50代、決して遠くない私の未来は彼らのように動的だろうかと考えた時、どうしても頭を掠めるのは彼ら、彼女らなのです。

今は『ダサい』で済まされてしまう例えば、中島みゆきの歌詞を よく聞くとこんな光景は今でも大いにあると思えるはずです。みゆきさんは、1975年5月、財団法人ヤマハ音楽振興会の主催による第9回ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン、現在のTEENS' MUSIC FESTIVAL)に「傷ついた翼」が入賞。同年9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)から晴れてレコード・デビューを果たします。そして、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテストに「傷ついた翼」から急遽差し替えた「時代」によってグランプリを受賞。つづけて11月の第6回世界歌謡祭 でもグランプリを受賞した(「時代」は同年12月にセカンド・シングルとして発売)。

 これをきっかけにミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックの川上源一Miyuki002に見出されました。その後みゆきさんは川上氏を現在に至るまで師父のように仰いでおり、彼女のアルバムには、今日に至るまで、スタッフが記載されたクレジットに「DAD 川上源一」と記載されています。ヤマハ育ちでも、ヒットが出ると離れていくミュージシャンが多い中で、彼女はヤマハをそのまま自分の拠点としている数少ないミュージシャンです。
 
 この70年代は、歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた1978年発表の4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』には「世情」という楽曲が収められています」。この作品は後年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングル・カットされなかったにもかかわらずみゆきさんの初期の代表曲のひとつとなっています。なお、『親愛なる者へ』以降、1985年発表のアルバム『miss M.』までの8枚のスタジオ録音アルバムは連続でオリコンのアルバムチャートで1位を獲得しているのです。

 

 1979年、ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン』(月曜1部)がスタートし、番組においての軽妙な語り口がリスナーのあいだで大きな人気を集めした。ユーミンとよく比べられていたのを覚えています。1980年代前半にはミュージシャンとして更に大きな人気を集めており、1981年のシングル「悪女」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位を獲得し、翌1982年の年間チャートでも6位を記録。
、また、この曲のアルバム・バージョンが収録された1982年発表のアルバム『寒水魚』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録するなど、1981年から1982年にかけてはその人気はピークに達しました。1983年には柏原芳恵に提供した「春なのに」が大ヒットし、第25回日本レコード大賞の作曲賞を受賞したほどです。みゆきさんは多くの詩を他の歌手に提供し、その後、『おかえりなさい』でそれらの曲を自分で歌ってそれもまた、情緒があっていいなと思ったものです。

ところが、それ以降アルバム・セールスは下降線を辿り、1980年代中期から後期にかけてはサウンド・アプローチや作風そのものについてもひたすら模索する時代が続きました。当時みいゆきさんは、甲斐バンドの甲斐よしひろやクリスタルキングなどをプロデューサーに迎えてアルバムを制作したり、テッド・ジェンセンやラリー・アレキサンダーなどによるニューヨークでのミキシングなどに臨んでいました。また、1985年発表のシングル「つめたい別れ」ではスティーヴィー・ワンダーの吹くハーモニカを大々的にフィーチャーしています。後年になって模索に励んだ1980年代中期を振り返り、『御乱心の時代』と称しています。自らのレコード・セールスが伸び悩む一方で、職業作家としては工藤静香の「MUGO・ん…色っぽい」、「黄砂に吹かれて」などの作詞を担当しました(作曲は後藤次利)。

 そんな「御乱心の時代」は、1988年のアルバム『グッバイ ガール』のプロデュースを手がけた瀬尾一三氏との出会いによって収まることとなりました。みゆきさんにとって「これまで自分がやってきたあらゆるスタイルに対処してくれる」という瀬尾は適任らしく、それ以降現在に至るまでの全てのオリジナルアルバムでアレンジ、プロデュース、演奏に携わっています。1989年からは、瀬尾氏が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台『夜会』をBunkamuraシアターコクーンで毎年12月に上演するようにまりました。

「夜会」はみゆきさんにとってのライフワークともいえる舞台となり、1998年に一旦、年一回の公演という形を終了し、その後は不定期で上演されています。一度でいいから行きたいねと兄(兄は熱狂的なファンです)と話しても何年経つことでしょう。札幌にはなかなか来てくれないですね。

 1990年代の日本の音楽業界では、テレビドラマやCMとのタイアップによってミリオンセラーを記録するシングルが後を絶えませんでしたが、その中においてみゆきさんも例に漏れず、「浅い眠り」をはじめとする3枚のミリオンヒットを記録しています。この3枚のいずれもテレビドラマの主題歌として起用された楽曲であり、なかでも安達祐実主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた1994年の「空とMiyuki003 君のあいだに」は147万枚のセールスを記録しました。1983年発表のアルバム『予感』収録曲「ファイト!」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、現時点での中島にとっての最大級のベストセラーです。また、この時期のアルバムはシングルほど芳しい成果を上げるわけではなかったものの、それでも1980年代後半よりも安定した成績を収めました(『EAST ASIA』から『パラダイス・カフェ』までの5作は全て20万枚以上のセールスとなっています)。1996年にはベストアルバム『大吟醸』がオリコンのアルバムチャートで1位を獲得し、日本における女性ソロアーティストのアルバムチャート1位獲得の当時の最高齢記録を更新(現在この記録を保持しているのは竹内まりや)。しかし、その後1997年から1999年にかけてのCDセールスは全体的に大きく伸び悩びました。

一方で、1989年から始めた舞台「夜会」に自身がかけるウェートはより大きくなり、1995年以降に上演されたものは書き下ろしの新曲を中心に構成される、より大掛かりなものへと変貌を遂げていきました。

 2000年には、NHKのテレビ番組『プロジェクトX?挑戦者たち?』の主題歌「地上の星/ヘッドライト・テールライト」が注目されました。このシングルは主にみゆきさんの作品にこれまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週に渡ってランクインするという驚異的な記録を打ち立てたのです。

 中高年に応援歌のランキングを聴いたところ、『ファイト』がダントツだったというアンケート調査もあるくらいです。

女心を歌う歌手としてNO.1と言っても私じは過言ではないと思います。誰でも『化粧なんてどうでもいいと思っていたけれど、せめて今夜だけでも綺麗になりたい・・・』こんな思いをしたことがあるのは私だけではないはずです。女心を切々と歌ったかと思うと空、大地、銀の龍とテーマが大きく変ったり、でもよく聞くと弱きものが大きなものへ挑戦している姿だったりするところが彼女らしいと思うのです。

 確かに『根暗』といえるかもしれません。でも一度『夜会』を見てみて下さい。彼女がいつも歌う歌があるのですが、1秒たりとも音のずれがないことに驚くはずです。私はユーミンのほうが好きでしたが、最近じっくり詩を聞いて情けないくらい弱い女の部分を知らされたと思います。

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2009年7月27日 (月)

私の好きなドラマ~『風のガーデン』

 もう昨年の10月からあっと言う間に過ぎてしまいましたが、私は昨年観ていなくて、つい先日再放送で観ることができました。緒方拳さんがあんな最期をとげなければ、おそらく再放送も観なかったでしょう。というのは最近の倉本作品には昔書いたものほど、感動で
きなくなっていたからです。『風のガーデン』もそういう意味で、観てがっかりするのが嫌だったからなのです。

 でも、こんな特別なドラマになるとは思ってもみませんでした。Gadenn001 おそらく大抵の方がご覧になったと思うのでストーリーは割愛します。

 倉本氏は『死を目前にした一人の麻酔科医を主人公に、「人が最期に帰る場所」を描くドラマです。タイトルにもある「ガーデン」には、三途の川を渡るところの向こう側に見える花園、という意味合いがあって、どうやってそこへ行き着くのか、つまりどう最期の時を迎えるのか、ということを描いてみたいと。家庭崩壊、ターミナルケアなど、今の日本で問題になっていることをベースに据えながら、死ぬということについて考えた作品です。
 設定を麻酔科医にしたのは、痛みを取り除く専門家である医師が、自分が末期癌だということになったとき、どう自分を死に向かわせるんだろうかという発想があったからです。死を目前にしたとき、恐れと生きたいという気持ちとが自分の中でどういう状態になるのだろうかということを、僕なんかはリアルに考える年齢なんですよね。
 

 医療、花、ガーデニングと、取材は非常に大変でしたが、本当にいいキャストを組むことができて、脚本はすごく書きやすかったですね。ただ、書きながら感情移入しすぎてしまい、身体を壊しまして。昨年は精密検査を2回も受けたんですよ。
 富良野を舞台にした連続ドラマは三作目となりますが、これが最後になるかもしれないし 、それゆえにこういった「人が最期に帰る場所」というのをテーマに選んだというのもあるんです。『北の国から』は富良野の東側、富良野岳をバックにしたドラマでしたが、今度は西側、芦別岳を背景としてガーデンがあるシチュエーションだし、冬のドラマだった『優しい時間』に対し、今回は春から秋を中心にした景色が背景になるので、また違った富良野の表情をご覧に入れることができるのではないかと思います。』とおっしゃっていましたね。

 ドラマの中の生と死ではなく、息子が苦しんでいる時の緒方さんの表情が何とも言えず、笑っている顔すら観ていて涙が止まらず、なんて神様はこんなこGadenn008 とをするのかと毎回泣きました。
 
 奇しくも緒方さんが演じたのはターミナルケアを専門にする老医師で、中井貴一さん演じる末期ガンの息子を看取る役という役。劇中では病気を隠すのは中井さんの役でしたが、現実には緒方さんが本物の末期ガンを隠していました。このドラマが放映される頃に、自分は死ぬことを覚悟しての演技だったはず。緒方さんが文字通り命を懸けた、最後の芝居が観られました。

 人は最期に何処に還るのでしょう。倉本氏脚本『北の国から』『優しい時間』に続く、富良野三部作の集大成。美しき花が咲き誇るガーデンを舞台に、死を目前にした男を通して家族の絆や生きること、死ぬことを描いた人間ドラマを緒方さんにはどう写っていたのいたのでしょう・・・

 ドラマのために、2年がかりで造成した富良野の美しく広大なブリティッシュガーデンをBlu-rayで堪能できる「風のガーデンに咲く花々富良野から~」のドラマスピンオフBGVも発売中です。倉本脚本作品が続々リリースしています。
フジテレビドラマ初のBlu-ray化として「北の国から」からは、11/19発売「'95秘密」、12/17発売「'98時代」、1/21発売「2002遺言」。
そして、2009年1月21日には「6羽のかもめ」が、2009年2月18日には「ライスカレー」が発売されるなど不朽の名作が続々リリース決定となりました。  Hosino001

 『6羽のかもめ』でも加藤さんと言う役者さんがドラマの中で死ぬシーンがあり、その後、本当に加藤さんは帰らぬ人となったことがあり、その事を倉本氏はとても悔いていました。

今回もおそら倉本氏は大きなショックを受けている事でしょう。大天使ガブリエルとなって空に旅立ったと思いたいです・・・

 もう一度、生と死を見つめなおしているのかもしれませんね。そうあってほしいです。

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2009年7月25日 (土)

芥川賞候補作品~『白い紙』

 シリン・ネザマフィさんの『白い紙』は、イラン・イラク戦争下で、首都テヘランからイラクとの国境に近い田舎町にやってきた(父が戦争医師として最前線の病院に派遣されたので)女子高校生の「私」が、同級生のハサンという成績優秀な男子生徒に淡い恋心を抱き、信仰深くもないのにモスクに通ったり、突然の空爆に慄いたりする「戦時下」の日々を過ごしながら、何も書かれていない「白い紙」のような未来に思いを馳せる、というような小説です。

 「戦争から四年も経っている」という記述があるので1984年頃Munku2 という設定でしょう。シリンさんは1979年生まれとのことなので、親に近い世代の経験を伝え聞いたことが素材になっているのかもしれません。というか、驚いたのはこの小説の「私」やハサンとほぼ同年代
だということです。私とは全然違う経験を描いているともいえるが、異性と話すときにどぎまぎしてぎこちなかったりとか(この田舎町では学校で「男女が喋ることは禁じられている」とのことですが)、大学受験して都会に行くことを考えたりとか、そのあたりは「同時代的」な共通性を感じたりもしました。

 ネタバレになりますが、この小説の最後で、ハサンは結局、テヘランの大学に行って医者になるという夢を蹴って、兵士として戦争に行く若者たちを集めたトラックに乗るという道を選択します。「前途有望な若者がなぜいかにして自ら戦争に行くことを決意するか」と
いうのがこの小説のテーマだともいえるのでしょうが、その伏線として、イラクの軍が国境を越えて侵入し、「味方の軍の半数が殺され、半数が銃を置いて逃げた」戦闘のエピソードが語られています。ハサンの父はこの戦闘に参加していました。そして「逃げた」者の一
人となりました。

「俺は昨日まで戦争に行っている英雄の息子だった……」 ハサンは突然大きな空笑いをした。

「こんな狭い町で……みんなに知られてしまう……恥をかく毎日が」

 何を言えばいいか、分からない。

「俺はかまわないけど……もうすぐテヘランに行って、大学に入って……いいのかもしれない……」 先までの静けさと打って変わって、ハサンが喋る。肝心なことを言わずに、ただ喋るだけ。

「だけど、母はこれからもずっとここに住むし、俺がいなくなったら相当辛いと思う」

 私がこの小説を読んで思い出したのは、こうの史代さんの漫画『この世界の片隅に』、島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』(2006年)、佐谷眞木人『日清戦争――「国民」の誕生』(2009年)などでした。「戦時下の日常」で人々がどういう暮らしをしているか、空爆の
衝撃がいかに日常を中断させ「無知の恐怖」(情報飢餓)をもたらすか、戦争の「熱狂」がどんな風に作られ広がっていくか、戦争に行った夫や父からの手紙を残された家族がどんなに心待ちにしているか、息子を戦争に送り出す母親たちがどれほど心配し悲しみに暮れているか…。

 「戦時下」に生きる人々にとって、戦争とは、それに賛成したり反対するよりも前に、今ここにある圧倒的な現実として、自分たちを巻き込み押し流していく強烈な渦のようなものとしてあります。イラン・イラク戦争の場合、イラク軍の一方的な侵攻によって始まったという経緯からして、「防衛戦争」という意味合いが強いといわれています。父が戦場から逃げ出したことは、家族にとって「恥」であり、「みんなに知られてしまう」と「相当辛い」という「国民感情」があるのは当然ともいえます。

 この小説は体制批判の小説でもなければ、反戦小説でもありません。「私」や他の人物たちは、所与の状況を当たり前の日常のように受け入れています。ただ、そこに、「白い紙」に落とされたインクの染みのように、困惑や違和感、恐怖や悲しみが印されていくのです。

「この紙に名前を書いた人が、神に会える喜びと幸を迎える」 鉢巻のお兄さんが今度は白い紙を宙に回しました。

「兵士として、名前を登録するリストだ。さー、勇者よ。国のため、神のため」 人ごみが動き始めます。中にいた男性が名前を書きに一斉に前に出ます。指先が燃えている、心臓の音が喉から聞こえる・・・女でなかったら紙に名前を書いていたでしょう。横を覗くとこの
手からあの手に回される紙を、ハサンが唇を噛んだまま、見つめているのです。
 二十一台もの大きなトラックが消え去りました。

 土埃に包まれている黒チャドル姿の女性たちがお互いを強く抱きしめ、泣いていいます。チャドルが頭の半分までずり落ちているハサンのお母さんが、真っ赤に腫れ上がっている顔に小さくなった目を細め、去っていく息子の最後の姿を目に焼きつけようとしているのです。
 濃い緑のトラックの列が視界から消えました。何百人もの白い紙を乗せたまま、黒い排気ガスとともに、走り去った・・・

 イランと言えばその昔はペルシャ、ペルシャと言えば「千夜一夜Munku4 物語」で、私が読んだ唯一のイラン産の物語です。バートン版であれマルドリュス版であれ、アラビア語原典の英語訳もしくは仏語訳からさらに日本語に重訳されたものだから、手間暇がかかっています。しかるこの受賞作はイラン人がイランにおける生活を日本語で書いているのだから。

 ところが舞台がイランである上に登場人物がすべてイラン人で、日本語で書かれたこと以外は日本とは無縁であったせいか、まるで翻訳を読んでいるかのように感じたこともしばしば。非漢字圏出身者による初めての文学賞受賞作品という話題性がなければ、多分接することがなかっただろうにと思うだけに、この作品の伝えてくれるイランという国の生活実態がけっこう面白かったです。
 主人公である女子学生の父親は戦争医師として、最前線に近い病院に派遣されているが、週末には女子学生とその母親が首都テヘランから疎開してきた田舎町に戻ってきて、町医者よろしく住民を診察する。そして患者をなんと紅茶などでもてなすのです。

 所変われば品変わるで、随所に出てくるイランの生活風習が面白かったり。しかし男女の引かれ合う心の動きとか、男子学生が田舎町からただ一人の医学生として、夢に描いていた道がこれから開かれようとするその瞬間に、戦士として戦場に赴くことを決意するが、その心の葛藤などはいわば万国共通のテーマであって、エキゾチックな味わいを別にすると、類型的な小説仕立てに終わっているように感じました。

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2009年7月23日 (木)

私の割と好きな作品たち~津村 記久子編

 津村さんは1978年生まれと聞き、驚きました。出す本出す本、売れている凄い方なのですから。『ポトスライムの舟』で第140回(2008年下半期)芥川賞も受賞していますね。

表題作の「ポトスライムの舟」の主人公ナガセは、30歳目前の女性で、独身、彼氏なしの契約社員。彼女は小説中いくつかのことを考ますが、大別すれば、仕事、結婚、子どもを持つということ、そしてそれらをひっくるめた人生、といったところでしょうか。独身の同世代が考えることは一緒ですね。

彼女の手取り年収163万は、世界一周旅行と同じ値段。世間一般007dega の基準からして安月給です。「時間を金で売っているような気がする」中で、その年収をすべて世界一周につぎ込もうと考えますその一歩踏み出したような思いが、非常に前向きで好ましいですね。

その意志が彼女の生活の中で、確かな存在を占めることになるのですが、その意志自体に大きな意味はないのでしょう。まじめな彼女はどう考えても最終的に古い家をどうにかすることを優先するタイプだからです。
しかし163万という数字は、彼女にとってはうんざりする部分もあるだろうけれど、彼女の生活を引き締めているようにも見えて興味深いです。そういう点、意志ってのは重要だな、と読みながら思いました。

 結婚に関しては、ナガセ自体、結婚願望は薄いのだろうっていうのが伝わってきます。小説内では、結婚に関する嫌な側面が描かれている部分が多く、そういう例が示されている中、不器用そうなナガセに、唯一の成功例(?)のそよ乃のように愚痴をこぼしながら、上手く主婦業をやっていくようなしたたかさがあるようには見ません。
母親に孫の顔を見せた方がいいか、と考えますが(恵奈の使い方が上手い)、ナガセ自身が自分でも思っているように、この先彼女が結婚してなくても、読む限り大して違和感はないような気がしましたね。
 でもそういった物事に、まったく悲観はないのです。彼女はただ淡々と日々をつましく生きて、近しい人と仲良くし、なんだかんだで働いて、毎日を生きていく・・・それで充分なのだろう、っていう気もします。私もそうでした。彼女は意志的な部分もあり、適度な笑いもあるので、いくつか悲観に見えかねない事象がありながら、物語の底から明るさが立ち上がってくるのが印象的です。

  細部描写や、女性四人のキャラクターなどの描写が非常に丹念で、手応えが感じられるのも忘れがたいところです。
地味ではあるのですが、巧みとしか言いようのない等身大の作品だと思います。主人公の性格と近い部分もあるので、すっと物語世界に馴染むことができました。個人的には結構好きです。

 大学は出たものの、しかし就職戦線では何となく弾き飛ばされ、非正規雇用労働者として日々の糧を得て、地味で、大人しく、これと言った売りも自信も無い。異性との出会いに努力は出来ず、またそういう機会もなく行動範囲は狭い世界の中に入り込み、少しの友人と部屋の中の自分だけのささやかな希望を大事にし、29歳から30歳になってしまった女性は、周囲で実際に多いと想像出来ます。しかし本書を読んで、その淡々としたどうということも無い日々の地味な生活を描いていることに、面白くない作品とは思えない・・・。むしろ何かと紆余曲折があり激しい心の葛藤を読まされるより、面白いことが少ないがほんのり穏やかな、しかしささやかな希望と目標を持つ女性の生活に、こちらの心も静かに安らかにいつのまにか応援しているのに気づきます。
 実際にこういう女性には敢えてenergeticになれとは言わいませんが、Scotland出身のSusan Boyleのような女性もいるのだからいつか花咲いて、今の生活から見事に羽ばたいてと応援したいと思ってしまいました。

 第21回太宰治賞受賞作『君は永遠にそいつらより若い』もお勧めです。

 格好いいタイトルとは裏腹に、物語の三分の二くらいは、自らを067dega 女の童貞と評する主人公ホリガイ(就職の内定の決まった大学4年の女子学生)の、不恰好な人間関係を、諧謔を利かせて描いていきます。それぞれにクセがありながらも、自分の身の回りにもいそうな人々。品のない小金持ち、恋愛にしか自分の価値を見出せないのに、そのことにすら気がついていない女の子、気の弱い善人、気のいい馬鹿、だるそうに見えて気概のある女の子、そ知らぬ顔で闇に飲まれてしまった人・・・
 一見、青春群像風なのですが、それだけに留まらず、この小説の核にあるのは、理不尽な暴力への抵抗でです。物理的、精神的な暴力、意図的な暴力、水面下の暴力、無意識の暴力。日常のはしばしに顔を覗かせる、人を蝕む力。部屋のふすまにグラビアアイドルの切きを貼っていたりはしますが、概ね平凡な学生であるホリガイを突飛な行動へ突き動かすのは、苦しんでいる人に手を貸したい、という当り前の道徳観念です。しかし、それは「苦しめた側の人間」に対する憎悪を抱えることでもあります。

作者はホリガイを単なる善人ではなく、憎しみの川の上に張られた救済というロープをわたる道化のように、危うくリアルに表現していると思います。
 是非、最後まで読んで、タイトルの持つ意味を知っていただきたいと思います。

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2009年7月22日 (水)

私の好きな作品たち~道尾秀介編

 最近知った作家さんなのですが、これが間髪入れず面白かったですね。今回直木賞候補と聞き、やはり来たかという感じです。

私が最初に面白いと感じたのが、『向日葵の咲かない夏』でした。

 ここ一年ほどのあいだに、このN町で、犬や猫のおかしな死体001bear が立てつづけに見つかっていました。その数はぜんぶで八体にものぼっています。すべての死体には、二つの共通した特徴があり、一つは、後ろ足の関節、人間でいえば膝の部分の関節が、すべて逆方向に曲げられているということ。そしてもう一つは、死んだ犬や猫の口に、白い石鹸が押し込まれているということでした。

 明日から夏休みという終業式の日、小学校を休んだS君の家に、プリントと宿題を届けることを引き受けた僕(ミチオ)は、彼が家の欄間からロープを垂らして首を吊っているのを発見した。慌てて学校に戻り、岩村先生が警察と一緒に駆けつけてみると、なぜか死体は消えていました。そこでいつも親身になって話を聞いてくれる、近所に住んでいるトコお婆さんに相談してみるとそこであの力を使ってお告げをもらったところ、トコお婆さんは、小さな、掠れた声で、こう囁いた。臭いが――それだけだったのです。

 一方、S君の死んだあの日の朝、古瀬泰造は隣接するクヌギ林の中からS君の姿を目撃していました。それとともに、S君の声も聞いていましたが、それを聞いたときには、ただの独り言だと思っていました。しかし、あとで思い返してみると、あれは、誰かに話かけていたのではないか、と考えるようになります。

 それから一週間後、ミチオ兄妹の部屋へ突然の訪問者が現れた。S君の生まれ変わりと称する蜘蛛でした。そして、「さてはあいつ、僕を殺したあと、死体を持ち去ったな…。僕は自殺なんてするもんか。僕は、殺されたんだ」、と蜘蛛のS君は訴えました。半信半疑のまま、ミチオと妹のミカはS君に頼まれ、S君の死体を探すことと真相を探る調査を開始しました。
 ミチオ少年の調査パートと、古瀬泰造のパートが平行して、ストーリーは進行して行きます。人間的に破綻している人物たちが次々に登場するのですが、これがホラー部分よりも怖かったりするのです。その人間の暗い情念というか怒りのパワーというか負のエネルギーは、読んでいてざわざわとしてくるものがありました。

 そんな歪な世界で、あいつが怪しいと思わせて、ぱたりと一転、こいつだったのかと惑わせて、またぱたりと一転。よくこれだけ二転三転させるものだと感心してしまった私。そして複線の使い方もさすがに上手いです。そんなわけで早々と謎解きは放棄していたので、ラストを楽しみに読んで行くとこれまでうやむやな物事が次々に明らかになっていくのが、これががとっても読後感がわるいんです。ピタッとはまるのだけど、ここには快感がない。しかし、読み終えてすぐさま冒頭部分を読み返すと、ここに快感があったりするのです。まい
りました。

 そして今回注目の『鬼の跫音』です。

 心の中に生まれた鬼が、私を追いかけてくる。―もう絶対に逃げ切れないところまで。一篇ごとに繰り返される驚愕、そして震撼。ミステリと文芸の壁を軽々と越えた期待の俊英・道尾秀介、初の短篇集にして最高傑作といえるのでは・・・

 『ラットマン』が最高傑作と思っている方も多いでしょう。ですが期003bear 待を裏切らない傑作であるのは間違いありません。
 そもそも作者はホラー大賞でデビューした経歴があるだけに、今回はホラー色の強いミステリばかりです。少年視点の物語が多く、読んでいてワクワクします。。少年視点のホラーは、ニューウェイブの三津田信三さんもよく書いていますが、ホラーの質で言えば、そちらかというと乙一タイプのホラーですね。

 ミステリとしては「鈴虫」「悪意の顔」がとっても面白かったです。
 
 「鈴虫」は作者が得意とするミスリードが冴え渡った一品で、真相読むと読者の考えがいかに手玉にとられていたかがよく分かります。ここまでのものが書けるのは、現役作家で道尾さんしかいないと思います。
 「悪意の顔」は論理では割り切れないホラーの性質と、ミステリに求められる合理性が見事に結実した作品で、最後の最後までどちらにも振れているあいまいな物語です。どんでん返しの冴える作品です。これは「世にも奇妙な物語」でドラマ化したら面白いんじゃないかなと思いました。

 「冬の鬼」などは、日記を過去へさかのぼっていき、ゼロ地点でなにが起こったかを徐々に明らかにして行く構成がホラーとしての恐怖を煽っています。最後の一行もすばらしく、確かにある人物のとったある行いは確かに合理的で説明がつくんだけど、それはいわば狂人の論理というやつで、一般人にはとうてい真似できない。この「どこかズレてる」感覚を一瞬の驚きで表現してみせた良作。

 「よいぎつね」は過去と現在、自分と他人、の境界線をあいまいにして、万に一つの偶然を自然に描いてみせた作品。これは幻想性、ホラー色が、ひょっとしたら収録作中一番強いかもしれません。こういう表現ができるのが小説の強みなんですよね。ほかの表現媒体ではなかなかうまくいかないと思います。小説書きとしての上手さを見せ付けた作品です。

 「助・iけもの)」は、後味の悪い作品で、これも作者らしさが表れたものといえるでしょう。ラスト直前までは親子の仲直りを描いた、なんだかんだでハッピーエンドないい話になりそうだったのに、ラストでは道夫秀介の暗黒面がいかんなく筆を振るいます。親子のギク
シャクした関係、ふとしたきっかけで、自分と同じ境遇の人物が引き起こした事件を調査することになった少年、旅を通じて自分を見つめ直す姿、そして取り返しのつかない突きつけられる現実、などなどこれは書きようによっては純文学の傑作になり得そうです。

 「箱詰めの文字」は収録作中一番残念な出来で、読み終わってからも「結局なんだったんだろう」という余韻を残してはいるものの、ミステリとしてもホラーとしても爆発力不足な印象をぬぐえません。ミステリとしての真相がとって付けたようで、その不発が尾を引き、最後のホラーとしての趣向もいまいちに終わっている感じです。

 全編に渡って「鴉」が凶事の象徴として登場し、さらに「Sさん」なる人物が物語に絡んできます。これらによって、全編が共通した陰鬱な雰囲気で統一されているのも悪くないですね。
 本書は、読者の意表をつく大胆な構成と 人間の暗部を鋭く抉り出す描写に定評がある著者による初の短編集だと思いました。

短編という形式のため 大がかりな構成上のトリックは見られませんが そのかわり、人が心の闇におぼれる瞬間と、 それに抗うことができない悲しさを鋭く切りとります。 個人的にとりわけ印象深いのは 刑務所で作られた椅子に刻まれたSという名前です。それを手がかりに、椅子を作った受刑者と彼が起こした事件を探る『(ケモノ)』 徐々に明らかになる事件の秘密や、「驚愕のラスト」もさることながら、 Sや事件にかかわった人々の苦悶が伝わり、 「罪」というものについて深く考えさせられます。
 誰もが持っている狂気や暗部と それが引き起こす悲劇を真正面から見据えた本作。 決して楽しい作品ではありませんが 著者のファン以外の方に限らず多くの人に読んでいただきたい著作でした。

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2009年7月20日 (月)

私のすきな作品たち~朝倉かすみ編

 このところ、女性の小説も積極的によむようになりました。というのも私の年齢層と近い主人公がでてくるのが気にってたまらない、そして今の若者の考え方ももっと理解したいと、同じ女としてかんじているからです。

 朝倉さんは、北海道小樽市出身、札幌市在住しています。それだけでちょっと親近感。2003年『コマドリさんのこと』で北海道新聞文学賞受賞。2004年『肝、焼ける』で小説現代新人賞受賞。2009年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞受賞も持ち主です。

 私が一番きになるのは『ロコモーション』です。この結末は、幸Kaii002 せ? 不幸せ? 吉川英治文学新人賞『田村はまだか』では止まらない。「週刊現代」「週刊新潮」「産経新聞」その他メディアで「強烈な読後感」と絶賛の一冊です。朝倉かすみの衝撃的才能。最新書下ろし長編。

 彼女の名はアカリ。この街でいちばんさびしい女のひと。いちばん気になる女のひと。

 小さな街で、男の目を引くカラダを持て余しつつ大人になった地味な性格のアカリ。
色目を使われたり「むんむんちゃん」などのあだ名を付けられたりしない静かな生活を送りたくて、大きな街に引っ越し、美容関係の仕事を見つけました。でも新しくできた屈託のない親友、奇妙な客、奇妙な彼氏との交流が、彼女の心の殻を壊していく・・・。
読む者の心をからめ取る、あやうくて繊細でどこか気になる女のひとの物語です。 自分でも気付かないほど微妙だけど、ずっと澱となってたまっていく心の動きが、朝倉さん特有の適度に乾いた文体とリズムで描かれています。 これがピンポイントに私の心を突いてきました。

 例えば、幼児の頃家に訪れた外国人宣教師の真似をして意味もなく罪悪感を感じる場面、こんなあだ名で呼ばれたら嬉しいと、心の中で微笑む場面。……まだたくさんそういう場面があるので、二つぐらい例を挙げても赦されるでしょう。
小説と同じ場面を経験したわけではないですが、主人公のこの心の動きは、あの時の私だ、知っているこの感じ!と、私は思わず本から顔を上げて、しばし呆然としてしまいました。 少なくとも、私はそうでした。

 主人公の微妙な心の揺れが少しずつ積み重なっていき、それに呼応しながらストーリーは変化していきます。その塩梅が絶妙。優れたサスペンス、心理劇を見ているようです。 そして後半、主人公は全く予想もしない方向に進んでゆくのです。驚きますよ。

 他人の人生と心の内をのぞき見たような緊張感と興奮がありました。
でも、作品自体くどくどしていないし、重苦しくもない。なんなのでしょう、この洒落っ気と哀しさの同居の妙は。

『田村はまだか』とはテイストが違いますが、個人的にはこっち『ロコモーション』が好きです。粘土を握りしめて握りしめて、さらに握りしめた上で、にゅるっと「それでも生きていきまっしょい」という肯定的なテーマが見えてきます。そんな感じがたまりません。

『田村はまだか』は確かに面白いです。2009年吉川英治文学新人 賞受賞作。かつて「孤高の小学六年生」と言われた男を待つ、軽妙で感動の物語です。

 深夜のバー。小学校のクラス会の三次会。四十歳になる男女五人が友をHaruoinoue002待つ。大雪で列車が遅れ、クラス会同窓会に参加できなかった「田村」を待つ。 「田村」は小学校での「有名人」だった。有名人といっても人気者という意味ではない。その年にしてすでに「孤高」の存在でした。貧乏な家庭に育ち、小学生にして、すでに大人のような風格があったのです。

 そんな「田村」を待つ各人の脳裏に浮かぶのは、過去に触れ合った印象深き人物たち。今の自分がこのような人間になったのは、誰の影響なのだろう----。四十歳になった彼らは、自問自答します。最初は5人それぞれがバトンを受け渡しながら「田村くん」との思いでを中心に物語を進めて行くのかと思いきや、それは第一エピソード「田村はまだか」のみ。

 後はバーでクダを巻きながら各人が語るそれぞれの人生のエピソードで「田村くん」とは直接には関係がありません。 ただ、そんな彼らを外から眺めるバーのマスター(こちらも何かと「訳あり」)の存在感と誰からともなく発せられる「田村はまだか」というコールが物語の輪郭に効果的なアクセントを加えています。

何となく「イイ話OR泣ける話」っぽい売り方をされている雰囲気もありますが実際はそれほど甘い話ではなく、その部分を期待外れと感じる方も多いのではないえしょうか。
 人生の折り返し地点辺りに差し掛かった男女5人、きれい事だけで済ませられるはずもなく、語られるエピソードは赤裸々であったり身も蓋もなかったりします。 ただし、決して嫌味な話ではなく、説教臭さもほとんどありません。
 それでいて描かれるエピソードはどこか「ぬるり」としたリアルさがあって読ませます。
個々のエピソードは好き嫌いが分かれるところですが筆力は確かな物を感じさせますし脇のキャラの造形も上手い(特にバーのマスターと会社勤めをしながら「隠居している」二瓶さん)。

「田村さん」の到着をめぐるラストエピソードの展開には意見が分かれそうですが落とし所としては後味の良さを含めて面白い構成になっていますね。

人生の約半分が過ぎて感じる自分の将来ポジションについてのあきらめ、子供時代についての懐旧等自分自身同世代ゆえに登場人物の思いに共感するとともに、そのリアルさに心を抉られるような感じです。

ラストはちょっと甘い感じですが、同世代への応援歌として受け止めたいです。

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2009年7月19日 (日)

私の好きな作品~北村薫編

  やりましたね、直木賞受賞、おめでとうございます。
『鷺と雪』は読もうかどうか迷った作品でした。北村さんはベテランの域に達しており、山本周五郎賞選考委員を務めるベテラン作家だったこともあり、取ってしまえば当然といえば当然なんですよね。でも『鷺と雪』はやはりよかったです。

 北村さんは埼玉県生まれ。早大卒業後、高校教師の傍ら、ミステリーの評論、編集に携わり89年、「空飛ぶ馬」で作家デビュー。91年「夜の蝉」で日本推理作家協会賞、2006年「ニッポン硬貨の謎」で本格ミステリ大賞。96年以来、6度目の候補で直木賞を射止めました。

 受賞作は、上流階級のお嬢様とハイカラな女性運転手の周りKaii5 に巻き起こる事件と不気味な騒乱の予感を、昭和前期のモダンな世相を背景に描き出す作品集です。選考委員の浅田次郎さんは「難しい時代を勇気をもって描き、人物も生き生きしている。余分な表現のない短い文章で読者の想像力を喚起させるうまさを感じた」と評価しました。

 『街の灯 (本格ミステリ・マスターズ)』『玻璃の天』に続く、花村英子とそのおかかえ運転手・ベッキーさんが主人公のミステリー・シリーズ第三弾。本書所収の3短編は、それぞれ昭和9年から11年にわたる3年の物語です。

 最初の『不在の父』はある華族の男が失踪し、今はルンペンとして暮らしているらしいという不思議な物語です。それは事実なのか、そしてそれはなぜなのか…。

 『獅子と地下鉄』が描くのは東京三越本店近くの和菓子店の少年が夜中に上野で補導されるという事件。少年はなぜひとりそんな行動をとったのか…。

 『鷺と雪』は英子の学友が銀座で撮った写真に、台湾にいるはずの許嫁(いいなずけ)が写っていたという怪異談。ドッペルゲンガーは果たしているのか…。

 こうした個々の短編は、日常に潜むささやかな、そして罪のない謎を扱った一話完結の物語です。しかし、北村氏がこのシリーズで真に描こうとするのは複数の短編を貫く、堅固で大きなストーリー・アーク(物語の弧)です。
 昭和の初期、巨大な時代の力がうねり、人々を飲み込もうとしています。押しとどめようもない波濤を前に、市井の人々は無力であるか、もしくは気がつかない。しかし一方で、この「鷺と雪」の登場人物である軍人たちのようにわずかですが、なんらかの挙に出ようと決意する者たちがいます。
 「真実とされていることも、時には簡単に覆る」(96頁)その時代にあって、それでもベッキーさんは「わたくしは、人間の善き知恵を信じます」(242頁)と語ります。彼女の孤高ともいえる姿勢に、心洗われる思いがします。

 北村さんはこのミステリー・シリーズで果たして昭和のどこまでを描くのか、そして物語の弧はどこまでつながるのか。楽しみであると同時に、昭和のたどった道を知る身にはつらく痛ましい物語が立ち現れてくるであろうことを感じて、心さびしい思いがするのもまた事実です。

  北村薫の作品はいつも楽しく、今回は昭和初期の設定なのに、登場人物には隣人のような親しみを感じました。また、元ネタとなっている事件の選択もいいですね。。大事件ではありませんが、非常に趣のある事件で、それを見つめていた人や時代がやさしく書いてあります。
『日常の謎』には殺人事件のような強烈な動機がないだけに、つい、ミステリーとしての完成度を求めてしまいます。完成度の高さに思わず唸ってしまう作品が多いだけに、『鷺と雪』にミステリーを求めすぎると期待がはずれてしまうかもしれ無いと思うのは考え過ぎでしょうか
・・・現代ではありえない浮世離れした、とよく評される北村薫さんの描く女性達。 芯が強くて、やや引っ込み思案で、「自尊心」があって、・・・とこれは私の感想ですが。英子嬢は、昭和初期の背景にはしっくりときます。学習院に通うお嬢様なのだから、やや浮世離れしているのが似つかわしいのです。
『鷺と雪』は、ほのかな恋心を頂いていた青年将校と、思わぬ遭遇。 時代という竜巻の気配。漠とした不安を感じずに入られません。

 この小説は三部作の最後となるシリーズで日本が大きく傾いていく前夜を女学生とそれを護る女性運転手という二人が事件(事件というほどに大変なものではないが)を解き明かしていく物語でです。

いささか時代背景もあり、華族の悩みみたいなものは理解しがたい部分はあるが、物語を通じて何か我々が最近どこかに忘れてきた大事なもの、それは家族を思うことや社会のあり方や、利己的ではない抑制の効いた人間関係などが、やはり大切なんだということを決して説教じみて語るのではないところがいいと思ってしまいました。

長いシリーズの後半部分なんでいよいよ最後のクライマックスがどこへたどり着くのかが、この本の一番最初のエピソードで分かってしまうのも仕方ないのでしょう。是非とも「街の灯」、「玻璃の天」とあわせて読んでいただくことをお勧めします。

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2009年7月18日 (土)

私が気になる作品~『終の住処』

 これは磯崎憲一郎さんの芥川候補作品です。磯崎作品のテーマはこれだっとかズバッと言いにくいのが磯崎作品の特徴なのですが、それでもやっぱり磯崎作品は大体どれも「時間」というのが通底していると思います。時間に喰われる、あるいは時間が助けてくれる。そ
ういうことですね。

 とにかく、傑作です。時間のとびかたも良かったですよね。突Higaiyama006 然、「次に妻が彼と話したのは、それから十一年後でした」。はあ?イグアナの話も『眼と太陽』の遠藤さんの話を彷彿とさせられました。蟻にもう絶対に女は抱かないと誓う場面も良かったですし、太っている(外見からはわからない)女性と浮気をして、それを母に告白したときに「その女の子が太っているということだけは、完全にあなたの思い違いなのだと思うわ」と言われるシーンも印象的で象徴的でした。

 場面場面の細部がよく記憶に残る作家は好きです。印象に残りやすく、すぐにでも再読したくなるので。妊娠した奥さんがカレーとサンドウィッチを食べるとこもドキッとしましたね。こういった細部の良さは主人公の徹底した視線にあるのでしょうね。目を逸らさずに
見ること。そして、それが世界をつくっていること・・・

 イソザキノアニの作る小説の主人公たちは世界に、宇宙にいる一要素でしかない、それは交換可能なものとしてあります。とはいえ大事だから何度も言いいますが、その一要素が歴史を作るのです。だからついに家を建てるわけですね、「終の住処」を。

 家というのは元々が人間よりはるかに寿命が長いものです。だから人間が家を建てようなどという傲慢を抱いてはいけない、家によって、ある定められた期間、そこに住む人間が生かされているだけなのですから。
 これは家を地球に置き換えるとじつに面白いんです。「絵画」のラスト、地球最後の描写が思い出されました。磯崎さんはいつも本気を出していので、毎回、前作の解説となるような作品を出されて、より大きくなっていると思います。そして、前作が最新作や他の作品の解説ともなっています。虎と鏡。時間の迷宮。これだけ大きな作家です。芥川賞をとらなくても大きな作家なのです。

 メディアで注目されているのは芥川賞候補のシリン・ネザマフィさんの「白い紙」ではないでしょうか。顔写真入りで報じていた新聞も見かけました。文學界新人賞を授賞された作品ですから期待できると思うんですが、どうも、作者がイラン人女性で漢字圏出身者です
らないという話題性が先行しているような気がしないでもありません。「白い紙」を収録している『文學界』は多くの図書館に置いてあるでしょうから、私も機会があれば読みたいと思いますが、期待と不安がゴッチャになっています。
 実は、密かに私は磯崎憲一郎さんの「終の住処」に期待しています。
 
 2007年「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。2008年「眼と太陽」で第139回芥川賞候補になっているのですから。

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2009年7月17日 (金)

私の気になる作品たち~西川 美和編

 今回、『きのうの神さま』で直木賞好捕となった西川さん。『ゆれる』で世界的な評価を獲得し、今、最も注目を集める映画監督が、日常に潜む人間の本性を渾身の筆致で炙りだした短編集です。『ディア・ドクター』に寄り添うアナザーストーリーズです。 もともと脚本家であった西川さんが見たものとはなんだったのでしょう。

 前回の「ゆれる」は映画はもちろん、小説も大変良かったので、2作目となる新作小説も、早々と読んでみました。

あとがきによると・・・。
僻地の医療を題材とした映画を作りたいということで、取材を始 めたということです。すると編集者の方に、取材の支援をするので同じような題材で小説を書いてみませんか・・・という誘いがあったそうです。それで今回の小説に至ったとか。取材は映画の脚本の素材にもなったけれど、映画の時間軸で語りきれなかった数々のエピソードや人々の生き方をこの本で甦らせたということでした。

 小説は、5つの短編から構成されています。関連性はあまりなGohho39 いのですが、どのお話も丁寧な心理描写と舞台になる町の情景が美しいです。前回の映像でも感じられたのですが、文章でも随所に人物描写の鋭さがみられる作品でした。人間、負の感情も色々と持ち合わせているわけですよね。どの章の主人公も、出来事に直面するたびに色々なことを考え、思ったりしているわけです。それが実に人間くさく、面白かったです。
 また、表紙の写真も素敵です。これは逆向きなのでしょうか。表紙をめくると、同じような写真が白黒であります。これは表紙とは逆の写真。なんとも不思議な構成です。

「1983年のほたる」
主人公は小学生の私。田舎の村に住んでいます。自分は人とは違うと思っているがよくわからない。最近、受験のために遠くの塾にバスで行きだしました。村の中では一番だと思っていても外に出れば私なんてそんなに特別でもありません。友だちも村のことも、色々考えます。そんな私が帰るのは最終便のバス。あるとき、そのバスの運転席、一之瀬時男という人に名前で声かけられます。私は彼が苦手でした。

「ありの行列」
主人公は若い医師の男。とある離島にある診療所の代診となった彼。そこにいる老医師の診察に付き合い小さな島の医療の現状を知る。

「ノミの愛情」
主人公は私。もと看護師。夫は市民病院に勤める小児心臓外科医。非の打ちどころのない医師だが、私にはいろいろと不満がある。

「ディア・ドクター」
父が倒れた。父は大学病院の外科医だった。入院した病院にあの人=兄は来るのだろか。兄のことを思い出す私。

「満月の代弁者」

男は今日での僻地の医療現場を離れる。彼の変わりに年配の新任医師はすでにやってきている。引継ぎをするために一緒に、患者のもとを訪ねる男。男は色々なことを新任医師に語る。

「ディア・ドクター」での兄弟と父親の関係。「ノミの愛情」での妻と夫の関係が面白かったです。

以下・・「ノミの愛情」の本文から

私の未知数はあの夫に全てやってしまった。あの虚勢と誇りとを混同し続ける夫の、高潔な生業と、品行方正な人間性とを、守るため、それが世界のため。
けれど未知数を放棄した代わりに、そんな完全無欠の男が家族に見せるだけのほころびを、かつて私は確かに、舌の先でなめて喜んでいたではないか。
小さな秘密の急所に歯をあてて、大きな大きな象の背中に乗っているノミのような
気分だったではないか。

これは、家庭に入った主婦の立場からみればわかると言う思いと同時に、女性の恐さも感じるお話です。らせん階段をどんな思いで、磨くのか想像すると恐いです。冒頭で、お隣でかっているレトリバーの犬、トーマス君が登場し、彼(犬)の人生と自分を重ね合わせているところも、面白いです。

 映画監督西川美和の新作「ディア・ドクター」は、心優しさとさほんわかとしたユーモアにくるまれながらも実に奥が深い、色々と考えさせられる映画でした。文句なく今年のベスト1を狙える傑作ですが、まずは映画を観てから、と封印していた直木賞候補の原作も早速購入。作家としても大変な才気を感じさせる彼女の待望の新刊です。映画の余韻も冷めやらぬ中読み切りました。

 少女期における微熱的な心の揺らめきと得体の知れない嫌悪感、無医村での代診医が遭遇する老人の町の孤独、思慕する偉大な父親への深い愛情に囚われもがく男。ちょっとした行間から醸し出される感情の綾。 何気ない日常の隙間から漏れ出してくる深層心理。
 彼女らしい人間凝視と洞察力の見事さは相変わらずです。 彼女自身があとがきで触れているように、本書は飽くまでも、本編の脚本、プロット構築のプロセスから企画、生まれた映画の内容とは別の創作。ただ、伊能治、大竹朱美、鳥飼りつ子と言った映画でのキャラクターは登場し、彼らの後日談ならぬ過去が語られます。
そして、映画では殆ど触れられる事がなかった伊能と年老いた父との関係、彼が肌身離さなかった父のネーム付ペンライトへの想いに、新たな切なさがこみあげてきます映画を観て感動した方は押さえておいていい作品だし、本書をまず読んだ方は、是非映画本編をご覧になる事をお薦めしたいですね。

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2009年7月16日 (木)

私のやや好きな画家~青木繁編

 ~青木繁にはじまる創造の水脈~

 3月に東京国立近代美術館/石橋財団石橋美術館/日本経済新聞社主催の『青木繁と近代日本のロマンティシズム』がありました。

 ★本展は、明治浪漫主義の旗手と謳われた青木繁の画業を見直す、20年ぶりの青木繁展です。「文明開化」をかかげた明治の日本は近代化を推進しましたが、急激な西洋化は文化の混乱を招きました。しかし、世界のなかに船出したAoki005 この島には、世界のさまざまな異文化のかけらが流れ着き、それらが流れ込んだ文化の深みでは、豊かな混沌が渦巻いていました。この混沌を創造の活力として若い想像力を開花させた最初の画家が、青木繁であったと言えるのではないでしょうか。
 本展では、約80点の青木の作品とともに、さまざまな文化が流れ込んだ見えざる水脈に創造の源泉を見い出した、その後の作家たちの作品をあわせて展示します。青木繁の《海の幸》や《わだつみのいろこの宮》をはじめとする重要文化財7点を含む、約140点の作品を通して、美術史上の流派をこえたロマンティックな精神の水脈をさぐります。

主な出品作家は 青木繁、萬鉄五郎、中村彝、村上華岳、村山槐多、関根正二ほかでした。

特に私は青木氏の絵を通して彼の半生を追いたいと思いました。

 ★青木繁氏は、明治32年、画家を志して福岡・久留米から上京し、小山正太郎の不同舎に入門、翌年、新設間もない東京美術学校西洋画科に入学し、黒田清輝氏の指導を受けました。しかし、黒田氏の教室よりは、図書館や博物館に通い、古今東西の書物や文物に想像力を駆り立てられた青木氏は、外光派の絵画におさまりきらない人類への夢を育んでいきました。明治36年の白馬会展には、《黄泉比良坂(よもつひらさか)》をはじめとする、神話や古代の世界にインスピレーションを得た画稿類を出品し、画家デビューを白馬会賞の受賞で飾りました。
 
 ★翌年美術学校を卒業した青木は、その夏、恋人 や友人と遊んだ房州布良(めら)の体験をもとに制作した《海の幸》で、大海原を背景にくりひろげられる神話的な世界を、古代への憧憬で謳いあげました。《海の幸》は白馬会に出品されるや、当時の美術界に衝撃を与えたのみならず、蒲原有明ら当時の浪漫派詩人たちに歓呼の声で迎えられました。
 しかしこの時を絶頂期に、現実と向かい合うことができなかった画家は、恋人福田たねと愛息との生活をみずからの手で切り開くこともできず、困窮のうちに輝きを失っていきました。再起を期して出品した《わだつみのいろこの宮》も明治40(1907)年の東京府勧業博覧会での評価はふるわず、この年開設された文展にもついに登場することはありませんでした。父の死によって久留米に呼び戻された青木は、福田たねとも肉親とも縁を絶ち、郷里を放浪して28歳の若さで波乱の生涯を終えました。

 ★『海の幸』は、明治37年の作品で、佐賀には明治41年冬に訪れますが、明善中学校の恩師であった森三美が佐賀中学校に転任したことで、森を訪ねて翌42年7月から43年11月まで滞在していました。明治43年4月には、当館の支援者でもあった西英太郎(衆議院議員・西肥日報社長)の後援で、当館で画会が開かれました。 この画会の大成功は、貧困と絶望にあえいでいた当時の青木繁にとって、つかの間の幸せだAoki001ったようです。その後、7月から9月に架けて当館に投宿し、 宿代の代わりに「温泉」他の作品を置いていったとのことですが、現在は残っていません。
 先年の東京芸術大学創立百周年記念の所蔵作品全国巡回展では、その図録の表紙に青木繁の自画像が選ばれるなど、最近、青木芸術への再評価が高まっていますが、 明治時代の西洋一辺倒の洋画壇にあって、青木繁が神話や伝説を題材にして、天才的な感性と想像力、描写力を発揮したことが彼の芸術に普遍的な価値を与えているものと思われます。

 ★『わだつみのいろこの宮』は明治40年の、「古事記」上巻の綿津Aoki002 見の宮の物語を題材とした作品です。
 兄の海幸彦からかりた釣り針をなくした山幸彦が、釣り針を探して海底にある「魚鱗(いろこ)の如く造れる」宮殿へとくだり、画面向かって左のトヨタマヒメ (豊玉毘売)とその侍女に出会う場面が書かれています。青木にとって記紀の神話は重要な着想現でした。一方、海底の情景という設定、女性像のプロポーション や着衣、全体の構図などにはイギリス・ヴィクトリア朝の画家エドワード・バーン=ジョーンズからの具体的な影響を指摘する事ができます。日本の古代も20世紀初頭の西洋も青木にとっては遠きものでした。遠きものへの憧憬を表現しようとしたところに青木の絵画世界のロマン的特色があったわけですが、そのような 表現は絵画としては未完成たらざるをえない場合が多いのです。夭折したことも相まって、青木の画業もまた未完成の感が強く、その中にあって本作品は 油彩画としての高い完成度を示しています。

 ★「海の幸」があまりに強烈な印象を与えすぎたのか、その後発表し続ける作品を評価されなくなった青木氏・・・。絵も売れず、生活は苦しく、夜中に暗い自室で日本刀を振り回し壁や柱を斬りつけ、奇声を上げるなどの奇行を繰り返します。「青木は発狂した・・・」とささやかれ、絵も描かなくなり、福田と幸彦を捨て故郷九州へ一人帰るも生まれた久留米には帰らず、旅先の福岡で喀血、病の床につきます。
  理解し難い「“天才”青木繁」の生涯は、芸術家としての才能に恵まれた反面、欠落し過ぎた社会性、傲慢さの中に時折見せる気弱な部分との葛藤に満ちていたのでしょう。今から100年以上前の夏、早すぎた彼の才能の開花は、ここ布良の海辺でピークを迎え、そのわずか6年後、青木はまるで館山湾の海ほたるのごとく刹那的で強烈な印象を残す光をこの世に放ち、黄泉の国へひとり旅立ったのでした。享年28歳でした。現在この絵は重要文化財指定をうけ、久留米市にある石橋美術館にて展示、保管されています。

 ★『青木繁』という本が刊行されていますが、その表紙を飾ったのは青木繁氏の恋人であり、妻と成った福田たねがモデルだと言いいます。青木繁は、『海の幸』でも、恋人の福田たねの顔を描いて居るが、それらを見て私が驚く事は、明治時代の女性は、こんな表情をして居たのか、と言う事です。明治時代と聞くと、古めかしい、現代とは懸け離れた時代だと思ひ勝いがちですが、当時の若い女性が、こんな表情をして居たのであれば、それは、私たちの時代と懸け離れた時代ではなかったのではないでしょうか?青木繁氏が描く恋人の表情を見ると、私は、そんな気がしてならないのです。
 本書は、その青木繁の芸術と人生を廉価でコンパクトな本にまとめた名著書です。若い人が、青木氏と出会う為に、そして、青木繁とその恋人を通じて、明治時代と言う時代を考えるきっかけとして、最適の本だと思います。

 今一度原点に立ち返る思いで青木氏の絵にふれることをお勧めします。

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2009年7月15日 (水)

私の好きな作品~『1Q84』

 待ってました。なぜか賛否両論あるようですが、私は今までの集大成的でとてもいい気持ちで読めました。1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行しました。
 そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説です。そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのです。私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。

 「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿なのですね。

 本書を読んでの第一印象は、これまでの村上春樹の集大成にSchim_work09s なっているというものでした。『羊をめぐる冒険』『国境の南、太陽の西』『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』「納屋を焼く』など、すべての要素が入っています。そして、これまで彼が明確にしなかったも
のが、本書ではっきり道筋をつけたのだなあと感じました。だから、村上春樹であって、村上春樹でない印象を受けてしまうのです。

 つまり、答えを出さないでいてくれたところに、自分に気持ちが代弁されてると感じていたので、その話の先はこうでした、と見せられることで、違和感があったのかもしれません。
 この『1Q84』に続編がなければ、中途半端に答えを出されて宙吊りにされたような気持ちになってしまいます。どうせ明確にされた
のなら、いつものような止め方ではなく、その先を教えて欲しいと思ってしまったのも事実ですが・・・
ただ、そう感じさせることが村上春樹の狙いであるようにも感じ取れますね。そこはテーマとつながるだろうから、詳しくは言えませんが、読んで感じたこの気持ちが、恐らく主人公たちも薄々感じているものなのではないかという気がします。

 また今回出てきた動物(犬以外)が、彼がこれまでに書いた「羊」ではなく、何故「山羊」なのか、というのも青豆、そしてひいては天吾に絡んでのことなのでっしょう。ここで「山羊」だったということで、村上春樹が敬愛する、とある作家のテーマ(もっと大きくいえば、文学史的なテーマ)に近づけようとしている気がします。いや、近づけたのではなく、どうしてもそこに行き着いたのかもしれません。

春樹氏が、これまで様々な作品を生み出しながらも、実は全くブレておらず、彼の言いたいことはこういうことだったのか、と本書で判明した気がしています。けれどどそれが本当なのか、続編か、続編がないなら、別の新作を読むまでは、この『1Q84』に対する気持ちに決着がつかないと思いました。

 あだ名のような名前の主人公が 現実とも虚構ともいえる世界の中で考え、他人と語り合い、世界と折り合いをつけて行く物語は これまでの著者の作品と同一です。著者が本書で取り上げたテーマのうちのひとつ過去のできごとの解釈を私は評価したいです。
 主人公の男女二人はともに恵まれない少年少女時代を送っていました。

男は自分の父親の死期に際して父親の元を訪れ、 父親への憎しみを感謝に替えて今後の人生を生きようとする・・・

女は自分の犯した過ちから過去を完全に断絶し、会えるはずの家族にも会わず自らの命をも絶とうとする・・・

 過去のできごとは事実として存在するのですが、その意味の解釈は何通りもあるのだと思います。過去のできごとの意味合いを替えて過去との折り合いをつけ、未来もうまくやっていけると気づく男 。
 過去のできごとを頭から否定し 未来へのつながりも絶とうとする女。過去と他人は変えられないが未来と自分は変えられと思いたい。
 過去の事実は変えられないが過去の事実の解釈は変えられる・・・過去の延長が未来ではないのだから。過去にどんな事実があろうとその解釈の仕方で未来は必ず変えられると私は思いました。

これは春樹氏のメッセージだと思います。

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2009年7月14日 (火)

私の好きな作品たち~貫井 徳郎編

 私が最初に読んだのが『慟哭』でした。

★ 作者は、精緻で冷徹な文章で、男の堕ちていくさまを書いています。作者の主人公に対する観点は、愛情というより徹底的なまでの観察眼でしょう。だか らこそ、心痛む残酷な事件や描写にもめげず、登場人物にそこまで感情移入することなく、成り行きを見守る一歩引いた感覚で事の次第を追っていくことができたのだと思います。特にカルト的な宗教団体の緻密な描写には目を見張るものがあり、普段目に触れるものではないだけに、想像上の世界だとしてもすごく興味を引かれてページをめくる手が止まりませんでした。しかし、最初は一歩引いた感覚で見られていたものが、人物を取り巻く環境が酷くなればなるほど、その感情が激しさを増せば増すほど、だんだんと心に、あくまで客観的に書かれている男の感情が、食い込んできたのです。感情を前面に出した小説よりも、事実を客観的に述べて、読者にその感情を類推させる類の小説のほうが、実は読者へ与えるショックは大きいのかもしれなません。最後、慟哭は、まさにそうとしか言いようのない、強さで、大きさで、私を襲ってきました。

 

★ この小説の内容からしてこういう言葉は似つかわしくないのかもしれませTadanori003んが、すごく、面白かったです。なかなか忘れない作品になると思いましたし、しばらくはミステリーといえばこの作品を思い浮かべるでしょう。まだ読んだことのない人は、小説の裏表紙に書かれているあらすじさえ読まずに、この作品を読んでほしいと思います。この作品を読む前には、ただ、おもしろいミステリーだという前知識以外は邪魔になる気さえします。クライマックスで「あっ」と言わざるを得なません。 衝撃が走る・・・完全に作者に踊らされました。

 この『慟哭』がデビュー作なんて、凄すぎますよね。さすがに第4回鮎川哲也賞の最終候補作に残っただけの作品です。 

2006年『愚行録』で第135回直木賞候補。2009年、『乱反射』で第141回直木賞候補となりました。

★ この『乱反射』はどんな作風になっているのかというと、本書は、法的には罪にも問えないちっぽけな悪事の集積が、大変な事態を生み出す顛末を描いています。凄いと思うのは、章題でカウントダウンすることで、緊張感をじわじわ高めているところ。ネタバレを避けるために詳述しませんが、幼児を襲う奇禍の正体は、おぼろげながらもかなり早い段階から予見できます。そのため、「取り返しの付かない事態」の準備を作者が着々と進めているのが、手に取るようにわかってしまうのです。作者は事件への過程を描く中で、事件の伏線をリアルタイムで張り巡らせていきます。読者はそれを、まざまざと見せ付けられるのです。これは色々な意味でたまらないですね。少なくとも第「0」章に至るまでは、良い意味でイヤな感じの読書が楽しめることを保証します。

 

★ というわけで、幼児が死ぬところで話が終わっても、『乱反射』はかなり読ませる佳作になっていたはずです。しかし本書はこの後、幼児が死んで以降に、さらに深みのある話が続くのです。幼児の両親は、自分の子の突然の死に納得が行かない。なぜ自分の愛息は、死なねばならなかったのか。特に父親・聡は、自身が新聞記者であることもあって、背景に何かあるはず、何かないとおかしい、そうでなければ我が子があまりにも不憫だと切実な感情をもって事件の背景を調査します。しかし調べても調べても、人々の、ほとんど無意識の「ちっぽけな悪事」しか出て来ないのです。これでは社会的に制裁を加えることすら難しいではないか・・・。愕然としつつも聡はなおめげずに、本人たちに直接対面し、事故と彼らの行動の因果関係を伝えて、糾弾します。

 

★ この結果、幼児の死の原因を作った人々は、自分の行為が何をもたらしたか自覚することになるのです。これはなかなか面白い展開だと思いました。 自覚のないまま、登場人物が事故・事件の原因を作ってしまう、という話は、実はそれほど珍しくありません。しかしほとんどの場合、彼らは自分が事件・事故の片棒を担いでいたことを最後まで知らないことが多いのです。ところが『乱反射』は違います。知ってしまうどころか、被害者の父親(広義では、この父親も被害者自身に他ならない)から直接、非難されるのです。
 この指弾を受けての各人の周章狼狽と、それを通して父親が徐々に形成していくある種の諦念が、本書最大の読みどころであり、本書の真のメッセージもここにこそ込められていると思います。

 

 ノワール小説やサスペンス小説であれば、この後に幼児の親がTadanori002 ブチ切れて「加害者」を殺して回る、などといった更なる波乱があってもおかしくないのですが、『乱反射』において、貫井徳郎の筆は、ここで止まるのです。いえ、あえて止めたと言うべきでしょう。派手な展開はエンターテインメント性を高める反面、本書で提起されたような「ちっぽけな悪事」を濃やかに拾うには、あまりに大味です。貫井徳郎氏はこれを避けて、あくまでも身近でより現実的で、ゆえに全くスカッとしない苦い落着を用意し、真のテーマに肉薄するのだと思います。
 果たしてこの物語に救いはあったのか。悲劇を避けるためには何がどうあるべきだったのか。扱われている問題は(幼児の死という結果はともかく)非常に「ありがち」なだけに、読者全員が無関係ではいられないはず。モラルの欠如が叫ばれる現代社会において、一度とっくり考えてみてもいいテーマと言えるでしょう。

というわけで、本書は「黒貫井」を強調しつつも、後半は一転して、卑近であるがゆえに重いテーマについて、「本当にこれでいいのか」と読者に強く訴えかけてきます。世の中なんてこんなものと皮肉に嘯くような前半と、次第に真面目な問いかけが浮かび上がってくる後半の対比は、非常に鮮やかで素晴らしいです。貫井氏の新たな代表作として、お勧めしたい作品です。

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2009年7月12日 (日)

私の好きな芸術家~四谷シモン編

★最初は不気味に思えた人形達を作る四谷さん。でもいつのまにか人形愛に見せられるようになっていきました。
その魅力は何なのでしょう。大阪万国博覧会のために制作した「ルネ・マグリットの男」は、巨体の不気味な老人が15体、薄暗い中に屹立していて、その間を繊維に見立てた赤いレーザービームが行き来するという作品でした。のちにこのうちの一体は状況劇場の舞台装置として使われました。

 初期の作品「未来と過去のイヴ」は、裸にガーターベルトと網タSimonn004 イツを付けた姿の人形でパーマをかけた金髪に、濃い色の口紅を付けており、一種挑発的な印象を受けました。それに続く「慎み深さのない人形」も同様に挑発的な作品でした。手足のない裸で、上半身と下半身が180度逆に付いている。シュルレアリスムの影響が直接的に顕れていたように思われます。しかし以降の作品からは挑発的な印象が隠れ、その表情は永遠の相を見ているような穏やかなものになっていきます。
「機械仕掛の少女」「機械仕掛の少年」は、エコール・ド・シモンの生徒であった荒木博志との共同作業によるもの。一部は実際に動く作品。「少女の人形」の一体は澁澤龍彦の所有となり、『少女コレクション序説』『裸婦の中の裸婦』などにより読書界でも有名な作品となりました。
 
  人形制作にはナルシシズムが抜きがたいものだという発見により、「ナルシシズム」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」を制作。これはシモンさん自身を人形化した作品です。

 少年の頃より人形制作を好み、川崎プッペに私淑しました。中学卒業後、アルバイトをしながら人形制作を続けたそうです。林俊郎氏、坂内俊美さんに師事していました。

★昭和40年、雑誌『新婦人』に掲載されていた、澁澤龍彦氏の紹介によるハンス・ベルメールの球体関節人形を見て衝撃を受け、それまでの人形制作方法を捨ててしまいました。アニメーションの原義「animate」には、「生命を与える」という意味がありますね。映画「イノセンス」で、押井守監督はアニメーションに人形創作との類似点を見い出し、「人はなぜ自分の似姿を作りたがるのか」という問いに挑んでいいます。人はなぜ人形を作るのか。日本を代表する人形作家で、同展に出品している四谷シモン氏に聞いきました。

★『その問いに答えはないと思います。もちろん、日頃から、「人はなぜ人形を作るのか」と問い続けています。しかし、問いそのものは必要でも、答えは必要でないはずです。なぜなら、「人形とは、人形である」としか言えないからです。本来、あらゆる問いに答えはないと思います。ただ、答えがないからといって問いを止めないのが人間なんです。だって、様々な事象について、人間は何一つ分かっていないんですから。いえ、そもそも「分かる」ということだって分かっていないはずです。だから問い続ける以前は、稚拙なものだ思っていましたが、この前「イノセンス」の映像を見せてもらって、ショックを受けました。こんなに綺麗なものがアニメーションで表現できるのかと。それまで、押井監督の作品を見たこともなく、接点もなかったのですが、今回の展覧会によって出会えたのはとても不思議な気がします。

★20歳ぐらいの頃、フランス文学者の澁澤龍彦さんが、雑誌「新婦人」で、ドイツのシュールレアリスムの美術家ハンス・ ベルメールの球体関節人形を紹介していたのを偶然目にして、衝撃を受けました。私はそれまで、人形とはポーズが固定したものだと思っていました。
 球体関節人形は、手や足に丸い球が入っていて、キュッキュッSimonn005 と動く。これに驚いたわけです。人形とは、人間の似姿、人の形と書くわけですから、関節が動くということは原点だと教えられたんですね。もちろん触っても構いせんが、実際に触る人はほとんどいませ。ん。むしろ、実際に動かすことよりも「可動性がある」という事実の方が重要なのです。おそらく世界でも初めての画期的なことでしょう。もちろん、球体関節人形をはじめとし様々な人形を集めた展覧会はありますが、これだけの規模で開催されるのは極めて異例のことです。今
、パリのアル・サン・ピエール美術館で、私も参加している「人形 POUPEES」展が開かれていますが、今回の「球体関節人形展」は、そういったものと比べても圧倒的で、一種異様な雰囲気が漂っています。作品が持っているエネルギーがただならないのです。どんな人形展でも、大抵は静かでおとなしいものになりがちですが、この展覧会は違います。非常にガサガサしていて騒がしい。人形たちが、見る者に強く揺さぶりをかけてくるように感じます。ヨーロッパで度々開催される展覧会でも、こんな雰囲気を味わうことはできません。』それだけ魂がこもった人形たちなのでしょうね。怖いけれど、観てしまうんですよね・・・・

★ この人間らしさと、ひんやりとした人工的な素材感との独自な融合を見せる作品群は、国内外を問わず多くの人々を惹き付けますね。

そしてシモンさんの人間性が、常に向上心となり新たな分野への挑戦になっているのでしょう。役者としても唐十郎氏などと『状況劇場』の女形として舞台に立ち、また80年代から90年代にかけては久世光彦氏演出のTBS向田邦子新春スペシャルに出演するなど、役者としての顔も持っています。唐さんにしてもシモンさんにしても本業がありながら役者としても特異性を放つ人に私は唖然とするばかりです。

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2009年7月11日 (土)

私の尊敬する選手だった男~長嶋茂雄編

 私は中学2年生でプロ野球に目覚め、毎晩欠かさず、試験があろうと、勉強は9時からと決めて、観ていたジャイアンツファンです。V9時代から引退、そして負け続けた監督就任・・・そして今懸命にリハビリをされているミスタージャイアンツ、長嶋さん。

 日本テレビのジャイアンツおやじ、徳光アナウンサー、私はあなたの気持ちが痛いように解ります。

お姿を拝見しなくなって、テレビは観なくなったものの、心は同じです。私じは今、すっかり親父さんモードになっています。

プロ選手としての長嶋選手は、その打撃力のみならず三塁手とNagasima001 しての守備も注目されました。長嶋選手はライン際の打球の処理に難点があるため、欠点をカバーすべく三塁線に近く、そして深めに位置していました。そのため、長嶋とコンビを組む遊撃手(初期には広岡達朗、のちに黒江透修)は長嶋の分まで守備範囲を広めにとっていたのです。しかし彼は、時に通常の守備範囲を超え、本来であるならば遊撃手が捕るべき打球にまで反応し、猛烈なダッシュとともに捕球を試みる場合も多く、観るものを圧倒させました。

イージーゴロにさえ鋭いダッシュをみせる長嶋氏の守備は、プロ経験者からは「簡単なゴロを難しく見せる」と評されたりしました。一方、フライ飛球などは「見せ場がない」と、遊撃手に任せるということもしばしば。それゆえ、当時から守備の堅実さでは三宅秀史(同時代のタイガースにおける正三塁手)に軍配を上げるファンや解説者も少なからずいました。しかし、長嶋氏の派手なアクションをまじえた守備は、トンネルなどの単純なエラーですら、多くの観客に喜ばれたのです。どんなプレーもありなんです。たまりませんでした、あの爽快感は・・・

 1974年10月12日、中日ドラゴンズの優勝が決まり、巨人の10連覇が消えると、長嶋は現役引退を表明した。翌々日の10月14日、後楽園球場で行われた優勝したドラゴンズとのダブルヘッダーの第1試合で、長嶋はホームランを放ちました。これが現役最後のホームラン(通算444号)です。また、大卒での通算2471安打は日本最多記録であり、この先これを抜く選手はなかなか出ないであろうとも言われていました。 第2試合の最終打席はショートゴロ(ダブルプレー)であった。

 引退セレモニーでは『わが巨人軍は永久に不滅です!!』という、あまりにも有名な言葉を残しましたね。兄も外野スタンドの金網に捕まって、泣いたそうです。

 1974年11月21日、巨人の監督に就任した長嶋は、「クリーン・ベースボール」を標榜しました。川上流の緻密な用兵と作戦重視のスタイルではなく、投・打の力量差がそのまま勝敗につながることを理想としていることを端的にあらわした言葉です。「哲のカーテン」と揶揄された川上監督時代とは対照的に、マスコミとのコミュニケーションを重要視しました。    それゆえ、川上監督時代のスタッフはほぼ一掃され、新生長嶋巨人軍の選手達には「シンデレラ・ボーイ」と名付けられました。又、球団初の非日系の外国人選手であるデーブ・ジョンソン内野手を獲得し、自らの後継三塁手としました。

長嶋監督は自らの背番号を「90」に変更し、現役時代の「3」は永Nagasima002 久欠番となりました。この「90」は当時小学生の息子・一茂のアイディアといわれています。「現役のときは3つの3があった(打順が3番、背番号3、3塁手)から、3を3つ足して9。これに0を付け加えて90番にしたら?」という言葉がきっかけになったそうです。しかし、迎えた1975年のシーズンは長嶋氏の構想が裏目に出て、球団創設以来初の最下位に終わりました。そのため、オフには日本ハムファイターズから高橋一三投手・富田勝内野手との交換で「安打製造機」と呼ばれた張本勲を獲得。外野手である高田繁を内野手の三塁に、当時としては異例のコンバートをし、ジョンソンを本来の二塁に移動するなど、チーム強化に着手。その結果、翌1976年、1977年と優勝を果たしますが、日本シリーズではともに阪急に敗れました。同年、ヤクルトから倉田誠投手との交換で浅野啓司投手を獲得しました。

 (1980年前後)になると長嶋の采配が「カンピューター野球」(論理的に説明することができない、長嶋独自の勘・ひらめきによる野球)と揶揄されることも常となり、また、OBによる批判も数多く出るようになりました。前監督である川上氏が、週刊文春の座談会で長嶋の
後継監督について語ったことは、長嶋批判の象徴的な出来事であったと言えるでしょう。また、王さんの衰えも明らかであり、チームの成績は芳しくありませんでした。

 長嶋氏の指揮する巨人の低迷を憂慮した務臺光雄ら読売新聞社幹部は、1980年のシーズン終了前には長嶋の監督解任を決断しました。10月21日に行われた記者会見で長嶋氏は「男のけじめ」と、みずから不振の責任を取り辞任することを表明しましたが、自身が「辞任」を知らされたのは、会見の直前のことであったといわれています。解任が発表されると、一連の読売新聞社および巨人の措置に激怒した一部のファンによる、読売新聞・スポーツ報知の不買運動が起きたほどでした。

 長嶋氏以後、藤田元司監督(1981年?1983年、1989年?1992年)、王監督(1984年?1988年)が監督に就任し、リーグ優勝5度、日本一も2度達成しますがが、プロ野球全体、そして巨人の人気は低下していきました。V9時代の巨人にはじまり、そのOBである広岡や森祇晶などにより確立されたシステマティックな野球は管理野球(長嶋の前任者だった川上監督時代の流れを汲む野球)と評され、かつての長嶋氏のように個人技が際立つということがみられなくなったことによる人気の低下と考えらていました。

 Jリーグの創設を翌年に控えた1992年には、巨人は2位でシNagagsima003 ーズンを終了、2年連続で優勝を逃したこともあり、国民的スポーツとしての野球を再活性化するためのキャラクターとして長嶋の復帰が求められました。読売グループ内の事情を考えても、長嶋氏の復帰を阻む最大の障害であると考えられていた務臺光雄氏が1991年に死去し、現役時代から親交のある渡邊恒雄が読売新聞社社長に就任したことが、長嶋氏の監督再就任を容易にしました。ふたたび現場に復帰することとなった長嶋の新しい背番号は「33」(3を2つ合わせたもの)となり、同年のドラフト会議において当時、星稜高等学校の松井秀喜(現:ニューヨーク・ヤンキース)を引き当てました。

 ここまで長嶋氏を愛し続けた国民を私は全力で愛し返したいです。アンチ巨人でも長嶋さんは好きということはよく聞きます。そういう方々を含め、これからも体調を気遣って見守っていってあげようではありませんか。

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2009年7月10日 (金)

私の好きな作詞家~北原白秋編

こんな梅雨の季節には、童話や童謡がなぜか懐かしくなります。詩人・歌人。童謡作家でもある北原白秋氏の詩は、優しく、鬱陶しい気分を変えてくれます。

こんな詩がありましたね。

夏の日なかのヂキタリス、
釣鐘型に汗つけて
光るこころもいとほしや。
またその陰影(かげ)にひそみゆく
蛍のむしのしをらしや。

そなたの首は骨牌(トランプ)の
赤いヂヤツクの帽子かな、
光るひもなきその尻は
感冒(かぜ)のここちにほの青し、
しをれはてたる幽霊か。

ほんに内気な蛍むし、
嗅げば不思議にむしあつく、
甘い薬液(くすり)の香も湿る、
昼のつかれのしをらしや。
白い日なかのヂキタリス。

 これは『蛍のイメージを綴った詩です。真夏のヂキタリスの花、その釣鐘状の花の中に隠れ、ぼうっと光る蛍の愛しさ。

 蛍の首のその赤は、トランプのジャックの帽子の色だ。また弱々しい光るその尻は風邪でもひいてるように空ろだ。
消えかかった幽霊のようにボヤッとしている。

その気弱なニオイを嗅ぐと妙に蒸し暑く、甘い薬の香りが漂ってくるようだ。けだるい真夏の白い日中にヂキタリスが咲いている。

そういった意味の詩なのだと思います。夏になるとこんな光景を、観たことも無いのに頭に浮かびます。詩は私にはよく理解できませんが、これが曲をともなって1つの歌になった時、イメージがパアーっと明るくなり、哀愁をおびてその歌の風景が浮かびます。

白秋氏は、 詩集 、 歌集、句集、 童謡・作詞、校歌・応援歌と幅広く人々が口ずさめる詩を残してくれました。

、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の唱歌『待ちぼうけ』などはつい人を待っている時に口からでていることがあります。

詩を自分で書けたら、と白秋氏を羨望のまなざしで見ている雨の日でした。

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2009年7月 9日 (木)

私の好きな演出家~久世光彦編

Gadenn  私が久世さんの名をおぼえたのは、紛れもなく向田作品をテレビで観ていた時でした。演出家、プロデューサーとして「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」などテレビ史に残る数多くのテレビドラマを製作しました。女性問題が週刊誌で騒がれ1979年に独立、1980年にカノックスを設立。1987年に出版された処女作『昭和幻燈館』を皮切りに、作家活動を本格的に開始。小説・評論・エッセイなど幅広く執筆活動を行いました。50歳を過ぎてのスタートにもかかわらずその活躍は目覚しく、独自の耽美的な作風を確立して多くの文学賞を受賞。他にドラマ作成の現場の戦友であった向田邦子さんを巡るエッセーが人気を博しました。

 2006年3月2日、虚血性心不全のため都内の自宅で死去。生 前はどんな病気でも入院することを嫌っていたそうです。軽い糖尿病を患っていた他、数年前には副交感神経関係の手術を受け、脳梗塞からの回復の途上でもありましたが、死の直前まで仕事を抱えており、多くの関係者を驚かせた急逝でした。

私にとってもとても悲しい出来事でした。向田さんの作品を誰よりも愛し、理解していた方だと思います。

 『向田邦子 久世光彦 終戦記念BOX』は特に好まれている作品群で、終戦60周年を記念し向田邦子原作、久世光彦氏がディレクターを務めた「終戦記念」TVドラマ5作品をBOX化です。戦時中の母親と娘の生きる姿を描いています。『いつか見た青い空』『言うなかれ、君よ別れを』『蛍の宿』『昭和のいのち』『あさき夢みし』を収録しています。これだけでも久世さんの才能があふれんばかりに触れることができます。

 久世さんが手がけられたこのドラマシリーズでは、戦争はあくまで背景として描かれていて、ここでも主役は「家族の日常」です。戦時下でも変わらない心のふれあいと微妙なずれが、久世さん独特の美意識によって色彩豊かに描かれています。

 このシリーズで一番印象に残っているのは、「蛍の宿」のラストシHosino001 ーンです。 戦争が終わった日の午後、まばゆいばかりに輝く海に向かって末娘役の田畑智子さんが砂浜を駆けて行くシーンは鮮烈でした。

「いつか見た青い空」のラストのナレーションも感動的でした ・・・・・あの日の空は青かったと誰もが言います。何かが終わったのか、それともこれからはじまるのか、私にはよくわかりませんでした。私たちは四人で青い空を見ていました。いつまでも、いつまでも・・・
ナレーターの黒柳徹子さんは読みながら声をつまらせ、涙を流されたそうです。

 戦争を体験された世代としては、久世さんの世代が最後になるのでしょう。戦時下の人々の暮らしを身近な日常として描くことは、後の世代の作家には出来ないことです。そういう意味でも、この作品が素敵な装丁のDVDとして残されることを嬉しく思います。
 あらためて、久世光彦さんのご冥福をお祈りします。

 向田邦子原作、久世光彦がディレクターを務めた名作TVドラマシリーズの平成9年から13年までの作品をBOX化では母と3人の娘が暮らす一家と落語家の触れ合いを綴る『空の羊』ほか、『終わりのない童話』『小鳥のくる日』『あ・うん』『風立ちぬ』を収録されています。
毎年お正月を少し過ぎたころに放送されていた、久世光彦演出の向田作品。毎回、話の構成は大体同じなのですが、つい見入ってしま作品の魅力。その理由としては、向田作品の持つ「力」でしょう。一見すると、堅実で、礼儀正しく、朗らかな「完璧」な家庭。しかしながら一人ひとりの人間には何かわだかまりやら秘密があって、ふとしたときにそれが露呈される。家庭の持つ「陰」の部分が非常に旨く描き出されているからこそ、この作品は時代を超えて共感されるのではないでしょうか。

 そして忘れてはならないのは、この作品を演じる役者たち、加藤治子さん、小林薫さん、田中祐子さん。ちょっとしたしぐさにもその時々の心情が表現されており、かつそれが自然なだけに引き込まれてしまいます。このような豪華な定番キャストに挑戦する「旬」の俳優たちも、普段とは異なった一面を見せていて、この点もこの作品群の大きな魅力となっているように思われます。

 また、TVの演出やプロデューサーで名を馳せた久世さんが、小説家として一躍メジャーにのし上がった作品が『一九三四年冬―乱歩』でした。この作品で1994年の第7回山本周五郎賞を受賞。その年の第111回直木賞にもノミネートされるも、非常に高い評価と「もはや直木賞のカテゴリーを越えている」等の否定的な意見と賛否両論となり、受賞には至りませんでした(その時の直木賞受賞作の一つは同じく山本賞にノミネートされながらも久世氏の前に落選した海老沢泰久の『帰郷』でした)。

1934年、乱歩は新聞に連載していた小説「悪霊」を突然自分の都合で打ち切るというGadenn007醜態を世間に晒し、数ヶ月間姿を隠していた。打ち切りの理由は「構想の未熟」であったと言う(乱歩の構想は「アクロイド」だったらしい)。本作はその空白の期間を作者があり余る想像力で補い、乱歩のそして時代の様子を描いたもの。乱歩に対する作者の愛情がヒシヒシと伝わります。 乱歩は友人に紹介されたホテルに泊まり新作を書こうとする。ところが、このホテルが怪しいのだ。ホテルの雰囲気自身が怪しいし、美青年のボーイ、謎の麗人、その他の怪しい宿泊客等、いかにも乱歩好みの状況。この状況に押されように、乱歩は新作(勿論作者の作中作)を書き始める。その名は「梔子姫」。
 物語は、乱歩が数々の謎に満ちた出来事に刺激を受けながら、この「梔子姫」を書き上げるまでを描いています。

この作中作は素晴らしい出来で、エロティシズムに溢れた怪異譚の傑作。乱歩自身の作品に優るとも劣らない幻想的作品です。そして、最後に仕掛けが用意してある全体の構想も見事の一言に尽きます。
 戦前の東京の様子・雰囲気も見事に描かれ、作者の研究ぶりが窺がえます。乱歩への愛情が産んだ乱歩ファンへの最高のプレゼントであり、構成も確かな耽美小説の傑作といえるのでしょう。このような作品を読みながら久世さんを偲ぶのも、ファンである私達のできることではないでしょうか。 もう少し詳細を調べて久世さんの足跡を辿ってみたいと思うのでした。

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2009年7月 7日 (火)

私の好きな作品~『第三の時効』

またまた横山さんの作品におぼれている私です。ひさびさのサスペンスですね。

 15年前、本間ゆき絵がレイプされ、その夫が殺害されるという事件が起きた。捜査は捜査一課二班が担当しながらも、犯人と思われる武内は逃亡し何も手掛かりのないまま時効成立の時を迎えようとしていた。捜査一課一斑・森隆弘は捜査一課長・田畑から時効成立防止のため、助っ人として二班の捜査に参加するよう命じられる。武内は海外渡航した記録があるため、表向きの時効の1週間後に真の時効(第Kaii21 二時効)が存在するというのだ。この事件のカギを握っているのは、武内との間に産またゆき絵の子供・ありさ。その事実を知っているはずの武内が、第一時効の成立後に彼女と接触を試みるだろうとの予測していた。しかし、二班班長・楠見は初め森に事件とは関係ない判事の素行調査を命じる。森は不満を感じつつ判事の調査をし、その後任せられたありさの張り込みを続けた。が、とうとう第一時効成立の瞬間を迎える。ここからが本当の勝負だと刑事達は息巻くが、めったに現場にも現れない楠見との連携が取れぬまま着々と第二時効が迫っていた。

  表題にもなってる本作ですが、タイトルどおり時効、すなわち公訴時効期間が問題になってます。そして殺人の時効15年が第一の時効で、海外渡航による時効停止期間が第二の時効となっています。では第三の時効とは何か? 法的にも論理的にもアクロバティックな荒業です。現実にはほとんど不可能でしょうが、本作の場合には伏線もちゃんと張ってありますから納得です。 

 ただ、作品は内容とは別のところで少々引っかかりを覚えました。
 本作では殺人の時効期間が15年として扱われています。初出時(平成14年)は確かにこれで良かったのです。しかし、実は平成16年に刑事訴訟法が改正されまして、殺人の公訴時効は15年から25年になりました(刑訴法250条)。で、文庫版は平成18年に出版されましたので作中と現在の法律との間で齟齬が生じていることになります。このことを以って本書は間違ってる、みたいなことを言うつもりは全くありません。殺人の時効が15年だった時代は確かにあったわけですから、それが25年に訂正されてたりしたら逆に興醒めというものです。
 でも、法律に詳しくない方が本作を読むと、殺人の公訴時効は今でも15年なんだなぁ、とは思っちゃうでしょう。それはよろしくないと思うのです。ですから、こういう場合には解説でフォローするか、もしくは巻末に注釈などを入れるとかするべきだったと思いますし、二刷以降(アイヨシの手元にあるのは初刷)からでもやるべきだと思います。
 細かいことと思われるかも知れません。ただ、助産婦→助産師とか精神分裂病→統合失調症なんかの変更にはすごい素早い対応がされたように思うのですが、それに比べると今回の場合は2年前の法改正であるにも関わらずちょっと鈍感なようにも思いました。

囚人のジレンマ
 本書収録の短編の中のマイベストはこれです。
 囚人のジレンマを物語の軸に、一班、二班、三班がそれぞれ担当する事件と、三つ班を監督する立場にある田畑第一捜査課長の組織人としての苦悩 が描かれています。複数の事件が同時進行するモジュラー形式は警察小説ならではの醍醐味ですが、それを読
者に分かりやすく伝える著者の手法には卓越したものがありますね。 部下が無能だと上司が苦労するのは当然ですが、有能なら有能で上司の苦労は絶えないという、結局組織人である以上苦労からは逃れられないわけですが、だったら、有能でいいから事件を挙げてくれという田畑課長はカッコいいと思います。報われないでしょうけど・・・ 横山作品の警察短編としては珍しくホロリとさせられるものがあります。情と論理の交錯が物語を奥深いものにしていることに驚かされます。

密室の抜け穴
 これもまた巧みです。被疑者はいかにして刑事たちの監視を逃れて密室から脱出したのか? 密室ものというよりは消失ものといった方本格ミステリ的には正確かもしれませんが、その謎が会議室という密室で解かれるという二重の密室の趣向が憎らしいほど見事に決まっています。解決に至る論理性と意外な真相は本格ミステリとしても傑作だと思います。それでいて、会議室の中で行なわれる責任のなすりあいという真剣勝負は手に汗握るものがありますし、イヌワシの雛のたとえで物語を引っ張る展開も見事です。ちなみに、岡嶋二人の短編に同じタイトルのものがありますが(『記録された[→fukkan.com]』収録、講談社文庫)、内容的に両者は全くの別物ですので念のため。

ペルソナの微笑
 間接正犯というのは、他人の行為を利用して自己の犯罪を実現する正犯のことでHaruoinoue、法律用語なわけですが、そんな一般にはなじみのない概念も横山氏にかかればすんなりと読めてしまう作品に仕上がるのですから不思議なものです。
 操る側が操られる側になる入れ子構造とでもいうべき物語の構図が後期クイーン問題を彷彿とさせる、というのは考えすぎでしょうが、なかなかに味わい深い作品だと思います。

モノクロームの反転
 一家三人殺害、しかも一人は小学校に上がる前の子供ということで、田畑課長は三班だけでなく手の空いていた一班も事件に投入します。
 一プラス一がいくつになるのかが問題になるわけですが、お約束どおり、一班と三班は手柄を競い合います。縄張り争いに情報の断絶といった露骨なまでの殺伐とした争いに、いっそ清涼感を覚えつつも、最後になって一班班長朽木と三班班長村瀬の間で行なわれるやりとりにホッとさせられます。なるほど、モノクロームの反転とは良くぞ名付けたものです。もちろん、一義的には目撃証言の真実を暗示したものではあるのですが、巧妙なタイトルだと思います。

 以上、各短編それぞれが傑作です。
 加えて、それぞれの短編の通奏低音として流れているのが各班同士の対立です。一班の班長朽木は犯人の心理に容赦なく緻密に迫る正攻法のやり手、二班の班長楠見は女性を物扱いするフェミニストならずとも非難したくなるダメ人格ですがその思考は冷徹そのもので違法スレスレの手段も辞さない策略家、三班の班長村瀬は事件の真相が早見えする天才肌と、それぞれの班長が有能にしてキャラが立っています。こうした捜査班内部の争いはこれから先もとても楽しみなので、ぜひ少しでも早い時期に続編が出ることを切にお願いします。

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2009年7月 6日 (月)

 私の好きな作品~『クライマーズ・ハイ』

 ご存知横山秀夫氏の作品です。実は映画化されていたことを知らなかったので最近本で読みました。

1985年、群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故をめぐって翻弄される地元の新聞記者たちの姿を描く社会派ドラマ。実際に記者として日航機墜落の取材をした作家・横山秀夫s氏」が自らの体験を反映した同名小説を、映画『金融腐蝕列島 [呪縛]』の原田眞人監督が映像化しました。地元新聞社の熱血漢デスクを『ALWAYS 三丁目の夕日』の堤真一が演じたほか、『殯(もがり)の森』の尾野真千子ら実力派が集結。感情が激しく交わる濃密な1週間の人間ドラマに圧倒されれます。

 あの夏の惨劇――直後に動き出す地元新聞記者たちの闘Higashiyama_work15s い。編集局内の確執や販売局との対立といった事態に直面し、ブンヤ魂が熱くほとばしる。カオスの中、脇役たちが活写され、局内の管理職・蛍雪次朗、遠藤憲一、でんでんら個性派キャラは、ここぞとばかり全開でした。単なる事件記者ものではないのです。あれから23年経った現在から、極限状態の中を無我夢中で生きた全権デスク・堤真一が、トラウマともなった過去を思い起こし、今また新たな「山」に登り直すという構成を採っています。つまり、1985年の墜落事故は彼の心象風景でもあるのです。

原田眞人氏の演出は、サスペンスフルではあっても、相変わらず内面の掘り下げにもどかしさを感じさせ、時折インサートされる現代のパートは、過去とうまく反照し合わないらしいです。立て籠もった若者たちの描写を一切捨象した権力礼賛映画「突入せよ!『あさま山荘』事件」の原田は、何を血迷ったのか、今度はもっと遺族側を描こうと画策したようです。だが、原作者・横山さんから受けた「君は『クライマーズ・ハイ』がやりたいのか? 日航機墜落事故がやりたいのか?」という示唆が効いたようで、未曾有の悲劇そのものを描くだけの映画では終わらず、あの事故を通過した主人公の、組織という父性からの自立、息子との関係を修復し自身が父性を確立するというテーマは貫かれました。極度の興奮によって感覚が麻痺した状態を脱し、挫折を乗り越えて成長するという
物語の核心はかろうじて担保され、映画的醍醐味が味わえる佳作に仕上がっているそうです。

 1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日航機123便が、群馬と長野の県境に墜落、その一報が北関東新聞社に入る。編集部で全権デスクに任命された悠木和雅は記者として扱う一大ニュースに対する興奮を禁じえないが、中央紙とのスクープ合戦や組織や家族との衝突を経て、命の重さに対しわき上がる使命感を覚えます。
 
 新聞社デスクの、ひりひりするような、日々の葛藤を、臨場感たっぷりに描いていますね。思わず感情移入させられ、その場で、ビジネスの、大小のさまざまな摩擦の中にいる感覚を味わえます。これらの瑣末なしかし影響度合いの大きな日常の葛藤と、大惨事、人の生死という、エポック・メイキングな出来事とを、錯綜させて、主人公の苦悩のほどを、描いています。

 新聞社でのキャリアを、寒村の記者とし終えた主人公ですが、なんと手ごたえある、人間らしい人生だったでしょう。これもまた、猪瀬直樹の「日本凡人伝」を彷彿とさせる、凡
人でありながら、筋を通した人物の、ドラマでだと思います。 責任を負った者がそれを果たそうとするも、壁に阻まれ思い通りにならない歯痒さに共感する方が多いと思います。阻む「壁」は、時には自分自身の揺らぎであったり、組織であったり、人であったりと様々。

日航機事故を巡る新聞社を描写しながら、現実に対応していく人々の生き様が描かれ、人の弱さと強さが浮き彫りにされます。
生きていれば思い通りにならないことは沢山あって、主張や妥協を経て、着地点を見つけるのも一苦労だなと思ってしまいますね。安西の「下りるために登るんさ」というのも、彼が目指した着地点でえした。読み終えて、自分にとって、何か見出したい着地点はあるのだろうかと自問が残ります。また、何かに対して「クライマーズ・ハイ」な状況になったことがあるかと鑑みるに、無い。何だかそれも哀しい・・・。

 横山さんの作品は今1冊も目を話せないところですね。

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2009年7月 5日 (日)

私の好きな作品たち~大森寿美男編

☆久々の脚本家のお話です。コメディから時代劇まで幅広いジャンルをこなす、スペシャリストです。10代で演劇活動を始め、劇団「自家発電」を旗揚げし、作・演出を手掛けました。1990年代前半には渡辺えり子主宰の「劇団3○○(さんじゅうまる)」の公演「1の1の6」(1990)、「クレヨンの島」(1991)、「月に眠る人」(1993)等に出演。1997年には「男的女式(おとこてきおんなしき)」が第3回劇作家協会新人戯曲賞にノミネートされました。同年オリジナルビデオ「新・静かなるドン」で脚本家としてデビューしました。

『泥棒家族』(NTV)、『トトの世界~最後の野生児~』(NHK BS2)にKawaguti03 おいて“社会に対する確かな視線”が評価され、当時史上最年少33歳で第19回(2000年度)向田邦子賞を受賞しました。

 『泥棒家族』は、ごく普通に暮らしている家族が、泥棒を仕事にしていることを知ったひとり息子の困惑。戸野島家に旅行に出ていた祖父の久作(津川雅彦)が帰ってきた。光彦(長谷川純)は父の洋介(舘ひろし)、母の奈津子(南果歩)とともにだんらんを楽しむというもので、そんなある日、光彦は友人の映子(盛内愛子)の父親から娘に近づくなと言われました。訳が分からない光彦は、家の秘密を探り、大量のかぎを見つける・・・・

 これが、普通実は自分の親もおじいちゃんも泥棒だとわかったっら、すごくシリアスで、おもたい内容のはずなんですが、すっとぼけてユニークなセリフの連発で、シリアスに全然ならないんです。おじいさんは孫をあとつぎにするべく、昔ながらの技を教えようとすけるのですが、孫はその気にならなりません。父は「自分からこの仕事を好きになってもらってやってほしい」とゆっくり見守るスタンス。息子は自分の家族が泥棒の仕事をしてることを、納得できなくてお父さんに問いただすけど「職業に貴賎はないだろう?」と言いかえされてしまうわけです。

 おじいさんもお父さんも泥棒とゆう仕事にポリシーを持ってなんだか職人みたいなふうな描き方なんですね。仕事部屋で、マンションのマスターキーをせっせと作っていたり、(あのアイカギ作りのキカイでが・・・・と研磨してる)、ねらいを定めた家の写真の現像とかてるのが、妙に感心してしまいました。プロですね。
 

この泥棒一家と対照的に描かれてるのが、刑事の一家です。刑事は津川を刑務所の常連として知っていて、軽蔑してるけど、実は自分の家庭は崩壊しているのでした。娘の万引きをきっかけに夫婦仲がわるくなり、妻が家出中。この娘は本当はいい子なので、両親のことを気に病んでいます。そして、ハセジュンの彼女でもあるんですね。この刑事は仕事熱心なのはいいけど、家庭をかえりみないタイプで、奥さんになかなか素直になれない。このちゃんとした世間からみたらいい家庭が実はバラバラで、泥棒で世間に顔向けできないけど家族円満ってゆう対比がとってもおもしろい設定だったです。泥棒が刑事の家族の心配を本気でしてたり。最後は泥棒一家の息子が彼女のために一肌ぬいで、彼女の両親を和解させるのですが。
 キャストを見ても、ハセジュンやその彼女がまだまだ子供っぽさのほうが濃い顔だちなので、あどけなさがとてもこのドラマにはあってましたね。舘ひろしも、こんな地味で、おかしみのある男の役もできるんだ~と、認識をあらためました。(あまり舘ひろしのドラマって
見たことなかったから)あと、藤井君や、シルヴァが泥棒に入られた住人役でてましたね。

 ただ面白いだけでは終わらないのが向田邦子賞です。故・向田邦子さんのテレビ界における偉業をしのび、その名を永く放送界に記録すると共に、テレビドラマの脚本の質的向上と発展を期すために1982年に制定された。毎年、最も優れた脚本作家を年間賞の形で表彰しています。そこにノミネートされるだけでも大変なことなのに、賞を取ってしまう、これは、私が脚本家さんをこよなく愛している証でしょう。

☆『トトの世界~最後の野生児~』は、1999年、週刊「漫画アクション」にて連載、その斬新なストーリーで人気を博したさそうあきら氏の話題作を新進気鋭の脚本家、大森さんが果敢にもドラマ化に挑戦。心に傷を抱える少女・真琴が、言葉を話せない野生の少年・トトに出会います。少年は真琴から言葉を教わり、真琴は少年から忘れていた大切なものをもらい、そして、自分を取り戻してゆく…。現代を生きる人にコミュニケーションの原点、そして言葉の持つ意味を深く問いかける珠玉の物語です。

☆向田賞を取った方は殆ど、NHKの大河ドラマに携わっていますよね。大森さんは『風林火山』で話題になりましたね。

☆私が好きな作品はこのほか、『星になった少年』は暫くみなかったので編集に携わっている事を知りませんでしたが、よかったですね。
 
☆『一番大切な人は誰ですか?』もいい作品でしたよね。東京郊外の鴨下町の交番に一人の警察官(巡査部長)松ヶ谷要(岸谷五朗)が赴任してきます。初めての街、しかし、結婚して間もない妻の路留(牧瀬里穂)と新しい生活切り開いていく希望にあふれた街であったはずでしたが.....。ある日、商店街をパトロールに出た要は、ある女子中学生を見かけて驚いてしまう。彼女は、小南(小林涼子)、別れた妻東子(宮沢りえ)についていった娘だったのでした。東京郊外の鴨下銀座商店街を舞台に、前妻と娘に偶然再会してしまった警察官の要とその妻路留、前妻の東子と娘の小南の4人の心の葛藤を描いたホームドラマでした。

暗くなりがちなストーリーを脚本の大森寿美男の軽妙で味のある台詞によって、ちょっとほろ苦くもユーモアと暖かみのあるドラマに仕上がっています。特に要のことがまだ心の中にありながらも、一人の働く女性として生きていく、どこかか弱さを残した芯の強い女性を演じているりえさんの演技が印象的でした。

その宮沢さんも撮影後の会見で「東子という女性に出会えて本当に良かったです。」と述べています。
 交番の住所録から東子を訪ねた要は、東子の友人坂下(内藤剛志)から離婚してから洋裁店を経営している東子の苦労を聞かされます。
また、東子の経営するアトリエTOCOのシャッターがベンゼンで落書きされ不安になっていた東子と娘の小南に、要は次第に心を動かされていく・・・そして「あんな落書きされて、一人で商売いていくのが怖くなった。」と言った東子の言葉を思い出した要は、自らバイクで向かってくる犯人に飛び掛り拘束。一方、路留は川辺でお互い偶然素性を知らない小と出会い親しくなりますが、小南は路留の持っていた「鬼平犯科帳」の本から路留が父の新しい妻だと気づいてしまいます。路留もまた偶然見つけたアルバムから小南が要の娘であることを知ることに。東子は自分の店を手伝うようになった若い川口という男(忍成修吾)に店のお金を全て盗まれてしまいます。川口はコンビニ強盗の容疑者でした。要への想いを断ち切れていない東子は、盗難のショックと寂しさから思わず要に抱きついてしまいます。そして「要ちゃん、助けてよ!」とすがる東子に、要は「助けるよ。お前をこんな目にあわせた奴、許しておかないから!」と言って東子を抱きしめる
のでした。
 一方、お互いの素性を知った路留と小南は心の中でわだかまりを持ちながらも仲良くなり、小南は要の家に出入りするようになります。そして、母を励まそうとした小Hosino003南は路留の提案で「アトリエ・トーコ」のホームペ-ジを立ち上げます。早速八丈島から仕事の依頼が入りますが、小南が路留と付き合っていることを知った東子はショックを受け、路留から携帯を渡された小南を見た東子は激しく動揺し小南を責めてしまいました。そして東子は要に「あなたが来たおかげでメチャクチャクチャ。」と言って怒りをぶちまけました。そして、「どうすれば今の小南と君を助けられる?」と東子にところにやってきた要に、落ち込んでいた東子は「私が寂しいときどうするんだった!」と言ってキスしてしまって・・・ショッピングセンターで見知らぬ男小沼(村田充)からデジタルカメラをもらって いた小南は、小沼に拉致されその自宅に監禁させられてしまうのです。小南からのメールで事態を知った要は小南を助け、小沼をボコボコに殴ってしまい謹慎処分を受ける。謹慎中に八丈島に逃避行した要と小南、小南は父へのわだかまりをぶつけ「(離婚を)何でもないと思っていた自分が一番嫌いだった」と訴え、自分を救った父に「ありがとう!」と言うのです。そして八丈島から帰った要は思わぬ光景を目にします。何と東子の家に路留が来ていたをしてしまのでが・・・。路留を捜す要はケンカに巻き込まれ警察手帳を失くしてしまい、どうにか路留を見つけた要に、路留は自分の胸のわだかまりをぶつけたりします。要は「一人で辛くなるな。君には俺がいるんだ!」と言い、路留も「ごめんね。辛くさせて!」と言って家へ戻るのです。警察手帳が見つかり八丈島への辞令がくだった要は最後に東子に会いに行きました。「ありがとう!東子でいてくれて。」と言った要の頬をはった東子は「もうこれで思い残すことは無い!」と要に告げ、二人は涙を流しながら別れるのです。

☆DVDがあったらもう一度観たいです。これからもっと羽ばたいて欲しい脚本家さんです。

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