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2009年10月

2009年10月31日 (土)

私の大好きな作品~『蒲田行進曲』

 1982年、もうそんなに前のことだったのかと思わせられるほど、私の中では色あせない物語です。直木賞をとったことで、興味を持ち読んだのですが、もうたまらなく面白かったというか趣があったので、つい映画も観てしまいました。もともとつかこうへい氏のお芝居から端を発していたので、お芝居で観るのが一番面白かったのかもしれませんが、生憎その頃はお芝居に興味はなかったし、つか劇団も殆ど知りませんでした。      

 あらすじはご存知の方も多いと思いますが、何せ25年以上前のお話です。時代劇のメッカ、京都撮影所。今、折りしも「新撰組」の撮影がたけなわである。さっそうと土方歳三に扮して登場したのは、その名も高い“銀ちゃん"こと倉岡銀四郎である。役者としての華もあり、人情家でもあるのだが、感情の落差が激しいのが玉にキズ。こんな銀ちゃんに憧れているのが大部屋俳優のヤス。ヤスの目から見れば銀ちゃんは決して悪人ではない、人一倍、仕事、人生に自分なりの美学を持っているだけだ。ある日、ヤスのアパートに銀ちゃんが、女優の小夏を連れて来た。彼女は銀ちゃんの子供を身ごもっていて、スキャンダルになると困るのでヤスと一緒になり、ヤスの子供として育ててくれと言うのだ。ヤスは承諾した。やがて、小夏が妊娠中毒症で入院するが、ヤスは毎日看病に通った。その間、ヤスは、撮影所で金になる危険な役をすすんで引き受けた。小夏が退院して、ヤスのアパートに戻ってみると、新品の家具と電化製品がズラリと揃っていた。だが、それとひきかえにヤスのケガが目立つようになった。それまで銀ちゃん、銀ちゃんと自主性のないヤスを腹立たしく思っていた小夏の心が、しだいに動き始めた。そして、小夏はヤスと結婚する決意をし、ヤスの郷里への挨拶もすませ、式を挙げて新居にマンションも買った。そんなある日、銀ちゃんが二人の前に現われた。小夏と別れたのも朋子という若い女に夢中になったためだが、彼女とも別れ、しかも仕事に行きづまっていて、かなり落ち込んでいるのだ。そんな銀ちゃんをヤスは「“階段落ち"をやりますから」と励ました。“階段落ち"とは、「新撰組」のクライマックスで、斬られた役者が数十メートルもの階段をころげ落ち、主役に花をもたす危険な撮影なのだ。ヤスは大部屋役者の心意気を見せて、なんとか銀ちゃんを励まそうと必死だった。“階段落ち"撮影決行の日が近づいてきた。ヤスの心に徐々に不安が広がるとともに、その表情には鬼気さえ感じるようになった。心の内を察して、小夏は精一杯つくすのだが、今のヤスには通じない。撮影の日、銀ちゃんは、いきすぎたヤスの態度に怒り、久しぶりに殴りつけた。その一発でヤスは我に帰った。撮影所の門の前で、心配で駆けつけた小夏が倒れた。“階段落ち"はヤスの一世一代の演技で終った。(goo映画より)

 物語は勿論面白いのですが、何より、セリフがいいんです。映Kamata_001 画は映画用につかさんが書き直しているのですが、小説でも笑ってしまうセリフ、例えば、銀ちゃんのあまりに派手な格好をヤスが褒めると、『オレの場合、センスがセンスしちゃってよう。』なんて言ってみたり、ヤスはヤスで小夏を養う為に火達磨になっても『オレの場合、背中に哀愁が出てるってその分ギャラが高いんです。』・・・『顔なんて写ってないくせに』と小夏につっこまれたり。

 一番印象深くて心に響いたセリフが、ヤスが階段落ちを決めてから毎晩飲んだくれていた時、小夏は『私、この生活気に入ってるのよ、何が不満なの?』と問われて、ヤスは背中を向けて『優しくされるほど、苦しいんだ、切ないんだよ。』とポツリと言った一言です。

 邪険にされることに慣れていたヤスにとっては、優しさが一番嬉しくもあり辛くもあったのだと思います。銀ちゃんも階段落ちが決まってから目をあわせてもくれない、それが淋しくて仕方がなかった・・・最後に渇を飛ばされた時、『銀ちゃんはそうでなくっちゃ!』と喜ぶ姿は長年大部屋で培ったものであり、ヤスの本当の優しさの表れだったと思います。

 小夏も小説の中では昔『二十四の瞳』のヒロインをやったほどの女優で、最後の最後まで銀ちゃんを愛していた、けれど主体性の無かったヤスのひたむきさにいつしか心がヤスへと向かう、女ってそいうとこありますよね。小夏流で言うと『どう観ても不細工な顔』でも新しい出発のため、銀ちゃんのマンションの大掃除を終え、シャワーを浴びて泣き崩れるところは小夏も辛いんだという境地につかってしまいました。

 愛することと愛されること、狭間に立って苦しむこと、尽くすことと尽くされることに慣れてしまうこと、そういうことを考えさせられる作品でした。

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2009年10月29日 (木)

私の好きな作品~『ライ麦畑でつかまえて』

 これを初めて読んだのは25歳でした。遅すぎたと後悔しました。友達がまさにこの作品に感化された生活をしていて、ちょっと憧れもあってサリンジャーを一通り読みました。異質な世界ではあったし、言葉は汚いし・・・でも未成年ならホールデンの気持ちが解るのだろうなと思ったものでした。私もいつの間にか感化されていた事は否定できません。今も人気のある小説であることは否めないでしょう。村上春樹氏が翻訳し直したことでも物議を醸し出しました。

 私は野崎氏の翻訳しかまだ読んでいないのですが、春樹氏のLichtenstein_work09s サリンジャーへの並々ならぬ思い入れが解るだけにいつか春樹氏の翻訳も読んで観たいと思っています。

 大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが3校目に当たるボーディングスクールを成績不振で退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の話です。
 自身の落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれる主人公が、妹に問い詰められて語った夢:自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい・・・が作品の主題となっていると思います。このクライマックスシーンを導くために主人公の彷徨のストーリーが積み重ねられているようです。

 1945年発表の短篇「気ちがいのぼく」(原題:I'm Crazy)を敷衍した内容となっており、主人公がニューヨークを放浪して家に帰った後、いくらか月日が経過してから「君」に語りかける構造になっています。ブロークンな口語体で主観的に叙述されているため、事実とは異なると思われる表現や支離滅裂な文体が見られます。(参考文献より)

 今では、その当時の若者言葉を記録している本として、参考文献にされています。ある米映画で『お前はいつまでもホールデンだな』と茶化されているシーンがありました。どのようにこの話を参考文献にしているのかとても興味深くもあります。その独自な文体に加え、欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄する主人公に共感する若者も多いのですから。

 しかし攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用、セックスに対する多数の言及、売春の描写などのため、まだピューリタン的道徳感の根強い発表当時は一部で発禁処分を受けています。若者の熱狂的な支持と体制側の規制は、アメリカの「暗部」の象徴としての役割を負うことになりました。ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンも、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーも愛読していたそうです。

 全世界の若者に与えた影響は凄いもので発表以来60年近く経った今でも版を重ねています。累計発行部数は全世界で6000万部、アメリカで1500万部を超え、2003年時点でも全世界で毎年25万部が売れるといいます。2002年には野崎訳の累計発行部数が250万部を突破しました。

 単なる、世間知らずの若者が大人への通過儀礼への葛藤を描いPubne た本ではなく、主人公には何気ないものが、インチキに見えたり逆に取り留めのないことがまいったなどという主張を独断的に展開していく姿に、現代的な孤独のヒーローを感じる読者が多のでしょうね。ヒーローといっても、ケンカは弱く、スポーツもさして出来ず、成績不良な落ちこぼれなのですが、ある一貫した主義・主張がある気がするのは何故なのでしょうか。

 ホールデンは純粋で傷つきやすい人間だと感じました。頭もいいし、モラルもあります。しかし彼自身はまったく逆のことを言い、逆のことをしようとする・・・簡単に言ってしまえば、彼は理想と現実の相反するものに苛まれているのだと言う評価もあります。眼の前にある景色に割り切れない思いを感じ、それを未熟な彼は消化できないのでしょう。そういう青少年は今も確実に悩んでいるのです。だからモラトリアムという言葉も使われたのでしょう。

 また、父親も、重要な位置をさしているのかも知れません。父親は同性の先輩として、こうした自己形成の不全な子供に対し、何らかの役割を負わねばならなかったとも言えるのかもしれません。
 しかし間違いなくホールデンの父親はそうした義務を放棄しています。彼を息子を全寮制の学校に放り込み、放校になってもまた新しい学校に放り直すだけ・・・。最初の学校からドロップアウトしたとき、父は息子が何故そんな不始末をしでかしたかを考えたのでしょうか・・・もちろんそれなりの悩みはあったのかもしれません。しかし行動としては何も示してやらなかった、少なくともホールデンが感じるようなことは何もしなかったのは確かでした。仕事にばかり入れ込んで、自分を振り返ることも無い背中ばかりの遠い存在、それが父親なのだと思っていた、これは悲しいことです。誇れる父親がほしいのでしょう。ホールデンが学校という枠の中に納まりきらないのも、社会を斜めに見ているのも、既存の権威を馬鹿にするもの、ある意味父親に対する反抗もあったのではないでしょうか。
 
 でも父親だけが原因ではないと私は考えます。今の日本社会の父親は多かれ少なかれ、家族の為に奔走してる、そのために子供と向き合う時間が少ないと言う現状で子供たちがみんな現実逃避している訳ではないのですから。

 たぶん兄のD・Bという人間は、ホールデンにとっては父よりもずっと身近で、目標になるほど先を行く存在であったのだろうと思います。しかし兄はシナリオ書きとしてハリウッドに行き、たぶんその仕事があまり上手くいっていなかった・・・。そんKayama_work05s な姿を見て、彼は自分がこれから経験する挫折を予感してしまったのかもしれません。

 こうしたホールデンの心理的な混乱が象徴されているのが、タイトルになっている“The Catcher in the Rye”です。将来の目的を見出せない彼は、ライ麦畑の中で遊ぶ子供たちを、崖に落ちる危機から救う“Catcher”になりたいという意味不明な夢想を幼い妹に話して聞かせます。このとき、子供たちというのは、もちろん話し相手のフィービーも含まれますが、幼い頃の自分と、もちろん死んでしまった弟のアリーをイメージしていますね。平和で何の疑問も無かった少年時代、彼は世界が自分を受け入れない存在だとは知らなかったのだと思います。すべての子供たちが、いまの自分のように、途方も無い深みに落ちてしまわないようにしてあげたい・・私はホールデンが自分を捕まえて欲しいと願っていると思っていましたがそうではないのですね。
 またこの作品では主人公の語りの中で物語が進むのですが、今のあらすじは、あくまでもホールデンの外側に視点を据えているだけとも思えます。

 内側の視点はもっと難しい(サリンジャーを知ることが難しいように)に違いありません。私はそここまで踏み越えることが出来きたのでしょうか・・・
 『キャッチ・インザ・ライ』は読み手によっていくらでも解釈が出来、ヒーロと思う方とアンチヒーローと思う人がいて、それでいいと思います。

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2009年10月27日 (火)

私の好きな作品~『ゴッホ殺人事件』

 おなじみ高橋克彦さんの作品です。「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」「広重殺人事件」ほか、高橋克彦氏の小説にみられる着想のあざやかさ、物語の展開の鋭さには脱帽です。「写楽殺人事件」を読んだ時は正直、今までには無かった着想だと関心させられました。
 日本とヨーロッパを舞台にした美術界の謎を中心に物語が進むこの「ゴッホ殺人事件」でもしかりです。
 
 今や世界中で知らぬ人の無い「ゴッホ」という天才画家。「ひまわり」Gohho40 「黄色い部屋」「アルルの跳ね橋」「星月夜」…彼の絵を一度も目にしたことが無い人間を探す方が困難ですよね。生前に売れた絵はたったの一枚である…という彼の絵は、今や一枚10億~15億という天文学的価格で取引されているそうです。
 
 ゴッホは、数々の恋愛事件、ゴーギャンとの諍い、耳きり事件、精神錯乱…そして自殺。また、四歳年下の弟・テオとの美しい兄弟愛で知られますね。テオは当時パリ屈指の大手画廊に勤め、兄であるフィンセント・ゴッホを経済的に援助し続けていたことでも有名です。
 ここで疑問が起こります。弟は大手画廊に勤めながら、何故、兄ゴッホの絵が売れなかったのでしょう・・・ ここも読んでいて惹きつけられる部分です。

 写楽や北斎が頭を過ぎります・・・

 この「ゴッホ殺人事件」舞台はパリ。オルセー美術館の美術修復家、由梨子はオランダ人の父を持つハーフ。ある日、母が突然自殺し隠し金庫の中からあるリストが見つかる。どうやらゴッホと関係のあるリストのようだ。オルセー美術館のゴッホ専門家のキュレーターに問い合わせると、どうやらそれはナチスが押収し、公開されていないゴッホの作品50点のリストだということが発覚する・・・

ゴッホは自殺だったのか?
50点のリストは本当にゴッホの作品なのか?
そして
これだけ愛されている画家、ゴッホの作品がなぜ生前は一枚の絵も売れなかったのか?

という美術史上で依然として謎の部分にも触れられています。このGohho3 ミステリー、どこまでがフィクションでどこまでが真実か、解らなくなくなります。とにかく読んでいて難しいけれど面白いのです。

 後半では「浮世絵シリーズ」で活躍する浮世絵専門家の塔馬も登場。シリーズ探偵である塔馬双太郎の悲しい過去の清算もファンには見逃せません。絵画をテーマとして大ベストセラーになった「ダビンチ・コード」も面白かったですが、それと同じくらいこの本も面白いと私は思いました。
 複雑なトリックなどはありませんが、「ダビンチ・コード」よりも絵そのものにこだわっていることが感慨深いですね。しかも扱っている画家はダビンチに負けず劣らず高価な値の付くゴッホです。それと、ナチスのがらみの話も興味深いのです。ナチスが押収した美術品というのは美術家の中ではそれだけで評価に値するほどの正確さがあったとのこと。

母親の死の謎を追うはずだったのが、ゴッホの未発見の絵の存在にかかわってくることで、ゴッホの生涯の謎の解明にせまることになっていく展開が面白いです。

 ゴッホの秘密めいた生涯を知りたい方には是非お勧めです。

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2009年10月25日 (日)

風景の中の私~松任谷由美

 悲しい時には元気を、嬉しい時には優しさをいつも音楽で教えてくれたユーミン。男性はいつまでも少年のような心を持った人が好きだと言われますが、女性だっていくつになっても少女のような心があるのだと思います。そう思わせてくれるのがユーミンでした。荒井由美の時代から『ひこうき雲』『ベルベットイースター』『魔法の鏡』などどれも思い入れの大きな曲ばかりで、自分の淡い恋心を歌に重ねていたあの頃・・・

 ヒットが続き、荒井由美と言う名が浸透してきたにも関わらず、松任谷正隆氏と結婚し松任谷性にあっさり変ったことも驚きました。
 新婚当時は歌もなんだかお惚気っぽかったことがありましたが、そこはユーミン、ちゃんと起動修正し、ユーミンらしいものへと戻ったように思いました。『帰愁』『翳りある部屋』『あの日の帰りたい』・・・青春の後姿を人は皆忘れてしまう・・・曲も素晴らしいですが、詩も私にはかけがいの無い宝物のようです。

 いくつになってもバービー人形のようスタイルを保ちたいとユーミンは常に努力の人でもあります。

 よく中島みゆきさんと比較されますが、比較するのはおかしいと思いませんか?全く違った良さがお二人ともあるのですから。好き嫌いはあるかもしれませんが、1980年代から活躍しているのです、お二人とも50代になっても全く衰えることを知らない、いえ、衰える隙が無いのだと思います。小田和正さんも、稲垣潤一さんも努力して今に至っていると思うのです。

 私は50代になっても頑張ってるミュージシャンを絶賛したいのです。勇気をもらえるのです。

 中島みゆきさんの歌は詩に考えさせられる事が多く、ただ聞き流すには勿体無い歌が多いですよね。その点、ユーミンの歌は聞いていて風景を思い浮かべ等身大の自分をその風景の中に置くことで物語の主人公になったような気にさせてくれます。青春のいろんな思い
が蘇ってきて、今の摺れてしまった自分を反省することもできます。

 何はともあれ、聞きいていて耳障りでないのが音を楽しむ上で重要だと考えます。夢を与えてくれるのも音楽のいいところですよね。

一時期は聴きすぎて少し飽食状態になったことがありますが、最近、またとても聞きたくてメディアプレーヤーでいろんな他の人の曲とシャッフルして聞いているのでした。

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2009年10月23日 (金)

何度観ても飽きないドラマ~『ラスト・フレンズ』

ーー長らくお休みをいただきましたがおかげさまで少しずつ良い方向へ向かっています。これからは無理せず、コツコツやらせいていただきます。宜しくお願い致します。ーー
 

★ラスト・フレンズ

もう何度も再放送で観ているのですが、これは虚構ではなく、あり得る話ですよね。

 家や職場でも居場所が得られず、恋人からのDVに苦しむ藍田美知留、モトクロス選手として全日本選手権優勝を目指す一方、性別という誰にも言えない悩みを抱える岸本瑠可、女性達の良き相談相手でありながら、過去のトラウマからセックス恐怖症に悩む水島タケル。
 悩み傷ついた3人は、ひょんな事から、シェアハウスで共同生活をRasutohurennzu003_2 始めます。そして、彼女達は共に暮らすうちに、人と人との関わりの大切さを知り、前向きに生きようとするのです。

 シェアハウスには他にスチュワーデスのエリ、おぐりんこと小倉友彦もいて、何かといえば、「○○パーティー」と名をつけては飲んだり、笑ったりのごく普通の共同生活に見えるのですが、虐待を受けながらも『私は弱いから宗佑の気持ちがわかるの。瑠可は強いから。』
とたびたび宗佑のもとへ行ってしまっては後悔し、タケルに連れ出される美知留をシェアハウスの面々は真剣に彼女を守ろうとします。

 『男だったら引くことも愛情なんだってこと、解んないの?!』とエリに突っぱねられても理解できない宗佑が次々とシェアハウスの住人に嫌がらせを繰り返す・・・

 一方、瑠可は高校時代から美知留に特別な感情を抱きつつ、友情だと偽って美知留を必死に守ろうとします。それは観ていて切なくなりました。性同一性障害のことを誰にも言えないで悩んでいる瑠可を『男の心を持った化け物』と吹聴して回る宗佑の陰険なやり方で周囲を混乱させたことを回りの家族や友人が知らぬふりをする思いやりも見所の一つだと思います。そう、驚いたのは宗佑の本来の姿を見抜いていたことです。
 一度苦しくて、シェアハウスをあとにし、タケルにだけ手紙で本当のことを打ち明けますが、タケルも児童性的虐待のトラウマで異性を好きになれないという心の傷を持っていることもあり、瑠可を追いかけ、『話は解った、でもオレは瑠可が好きだ。』といって瑠可を思い切り抱きしめました。その時の瑠可は本当に心がほぐれて泣き崩れてしまいます。私も思わず泣いてしまいました。

 私の友達にも決してスカートをはかないし、自分のことを「自分は」という女の子がいますが、私にはとても優しくて気配るの出来る人です。彼女が性同一性障害なのかは解りませんが、男性と対等に見て欲しいという思いは伝わってきました。

 性同一性障害は同性愛と勘違いされることが多いようですが、厳密には違います。心の性と身体の性が一致しない状態のことをいうのが本当なのだそうRasuto006_2 です。ここのところはドラマでは少しウヤムヤにしているように思えますが、自分の胸を見るのが嫌、といったことをとっても恐らく性同一性障害と捉えいていいのではないかと思います。男性が女性の心を持っていて悩む人も多いと思いますが、男性より、女性のほうが内に秘めて悩んでいるケースが多いのではないかと、このドラマを通じ、感じたことでした。

 東野圭吾さんの『片思い』でもこういう女性が出いてきますが、ここでは堂々と自分は女じゃないと化粧をとり、上半身裸になったりとするのですが、やはり、同級生同士で結婚した奥さんのことをずっと好きだったとは言えなかったことを思いだしました。

 このドラマでキーマンになるのがタケルの存在だと思います。誰に対しても優しく接しますが、瑠可とはとても気が合い、守ってあげたいと思い続けます。好きだと告白して、好きな人がいると言われ傷つくのですが、それでも友達として守りたいと思い直すことの出来る人なのです。普通はふられたらそこでお終い、友情なんて形にならないと思うじゃないですか。でもタケルは見守り続けてくれるのです。ここが現代の若者像なのかなと感心しました。瑠可の大事な友達の美知留を守ろうとするのも頷けます。こんな人が友達の中にいたら、やっぱり頼ってしまうだろうなと思います。

 シェアハウスの住人は今の若者の縮図のようです。問題を抱えながらも前向きに生きようとする、大人からみれば危なかしいようでも、ちゃんと歩いていく姿に私は感動を覚えました。

 この作品を手掛けた脚本家は浅野妙子さんです。『大奥』や『神様、もう少しだけ』でもう有名な脚本家さんですね。

その後先の読めないストーリー展開が放送を重ねてくほどに視聴率を高めるなどし、テレビ雑誌『ザテレビジョン』が行った「第57回ドラマアカデミー賞」(2008年春クール)において、作品賞・助演男優賞(錦戸亮)・助演女優賞(上野樹里)など6冠を達成したそうです。

 久しぶりにいい作品に出会えたと言う思いです。

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