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2009年11月

2009年11月 7日 (土)

私の好きな作品~『ひとがた流し』

北村薫さんの連載小説で、これを原作としたテレビドラマ化したものに私は何故かとても惹きつけられたので、ここで紹介しようと思います。
 ご存知の方も多いと思ったので部分的な書き方になってしまいますが。

ヒロイン・千波は、テレビ局のアナウンサーとして仕事一筋に30067dega代を駆け抜け、40代という人生の折り返し地点を迎えた。ニュース番組のメインキャスターという長年の目標に手が届く直前に、病に倒れた千波を、幼なじみの親友・牧子と美々が懸命に支えていく。フリーライターの牧子。写真家の妻になった美々。二人はそれぞれ、離婚・再婚・出産・子育てという人生の紆余曲折を経験しながら、千波とは変わらぬ友情を育んできた。二人に支えられながら、病と闘い、必死に生きる千波。仕事への執念。後輩ディレクターとの愛。そんな千波の姿は、牧子と美々にも、それぞれの人生に正面から向き合う勇気を与えていく…。(NHKドラマより)
 
 お互い中高生の時に知り合い、ずっとべたべたするのではなく、離れすぎずいい関係ですごしてきた歳月・・・「友情」という言葉ではこぼれ落ちてしまうような、お互いに対する思いがたくさん詰まった作品です。

 夫婦が人生を一緒に歩いていく仲間であるとしたら、女同士の関係というのは、ずっとつかず離れずの位置にいながらいつも心を開いて受け止め合える関係・・・同士と呼んでも過言ではないと思います。「女の友情なんてもろいもの」と世間ではよく言われますね。でも、一度相手を信じたらとことんつき合う、相手を見ることがまるで鏡を観ているかのように・・・だからほっとけない、言いたいこともポンポン言い合えるのでしょう。

 描写のひとつひとつの積み重なりが、登場人物たちがともに生きたということそのものにしたと思います。そして、そのエピソードを丹念に読んでいくと、そのことの重さと意味が読む者の心にじわじわじわと染み渡ってくるのです。

 最後に好きな人と女としていい時間をすごせた千波の一生・・。人生にはそれぞれの時間があって、母から娘に受け継がれる思いがあって、それは川に流れるように過ぎ去っていく・・・川に流れるたくさんの「ひとがた」は、それぞれの願いをのせて流れていく・・・。

 人生は流れに浮かぶ木の葉のようにはかないけれど、それぞれが愛しい大切なもの。そんな当たり前だけれど、当たり前でないことを感じることができました。

自分の感情を押し出す前に、この築いた関係において 今大切な007dega_2 ことは何かを問うことが出来るのは、人間として見習いたいところですね。人間が最後まで忘れてはならないものだと思います。

 誰も教えてくれない、目に見えない本当の“絆”というものが見えてくるような気がしました。

 限りある身であるから、人間は、否応無しに大切な誰かとの別れを体験するでしょう。その時、その人と過ごした時間を一緒に持って行ければ・・・。自分の何分の一かが消えてしまうような喪失・・・。だからこそ、消えても残る、その人との繋がりを確認することがとても大事なのでしょう。
 この物語に書かれた内容の多くは、実際の体験から生まれています。それだけにつらく、また大事な一冊です。

 40代を迎えた彼女達にとって友達とは何かを考えた時、こんなに深く結びついた友情があるだろうかとつい自分のことを振り返り、はっとさせられます。

 でも友情はこんなにも深く、でも切ないのだとしみじみ思いました。『転がる石にはコケはつかない』、転がりながら成長していく友達や家族について考えるための作品でした。

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2009年11月 5日 (木)

私の大好きな映画~『私の中のあなた』

 『号泣するよ』ということだけで、他に先入観を持たずに観た久々の映画でした。映画にはポップコーンでしょなんて思っていたのですが、ポップコーンにAna001 は最後までほとんど口に出来ないほど、考えさせられた映画でした。

 11歳の少女アナは、白血病の姉に臓器を提供するドナーとして、遺伝子操作によってこの世に生まれた。母サラは愛する家族のためなら当然と信じ、アナはこれまで何度も姉の治療のために犠牲を強いられてきた。そんなある日、「もうケイトのために手術を受けるのは嫌。私の体は、自分で守りたい」と、アナは突然、両親を相手に訴訟を起こす。しかし、その決断にはある隠された理由があった…。
    

  アメリカの人気作家ジョディ・ピコーの同名小説を映画化ですが実際にあったお話らしいので驚きました。

 ケイトはずっと白血病で苦しみ、「もう手立てはないのか」と医者に詰め寄ります。家族の誰もドナーとして適合せず、新しい命を作ることでドナーとなりえることを知らされた母親は妹を産みました。姉ケイトと妹のアナは仲の良い姉妹。しかし、アナは白血病を患うケイトのドナーとなるために人工授精で生まれた女の子で、生まれてから何度も血や髄液などをとられ、その影響による感染症により入院も経験していましたが、姉のために当たり前のように役目を果たしてきました。愛する家族の為だと信じ・・・

 ところがある日突然、訴訟を起こすのです。私はまだ幼い妹が自Ana006 己主張したくなったのだ、自分も普通の人のように元気で何でもやりたいのだと、幼心で感じたのかと思っていました。ここではケイトのために最善を尽くそうとしている母親サリーの言い分のほうが最もだとも思っていたのですから。そこにある真実が隠れている事にも気付かず・・・

 でも家族は明るく、何事も無い普通の家庭より、深い愛情で結ばれて沢山のステキな写真を撮りました。それをケイトは愛しいまなざしで見、アルバムにしていきました。そして入院の際はいつもその写真を撫でていたのです。まだ17~18歳くらいのケイトの頭はすでに髪が抜け、「こんな私を皆じろじろ見るの。」と落胆するケイトにサリーは自分の長い髪をばりかんで剃り出しました。そして堂々と街へ繰り出すのです。また明るさが戻ったと思っていましたが、訴訟をおこしたアナと母親の対決が始まりました。

 「ケイトが死んでもいいの?」と詰め寄るサリー。窮地に立たされるアナ。そこでサリーは気付くのです。「他に何か隠しているんでしょ!」・・・傍聴していた兄がとうとう言ってしまうのです。

「ケイトが望んでる事なんだ!アナのせいじゃない!」

そう、ケイトは疲れ果てていました。もうこれ以上延命措置はしてほAna003 しくない、もう充分だと。だからアナに頼んだのです。もう手術はイヤだから、アナに拒否してほしいと、お願いしていたのです。

 ずっと姉の苦しみを目の当たりにしてきた兄弟姉妹たちは最初はケイトの話に戸惑ったけれど、幼いながら苦しむ姉を見て承諾するのです。子供にこんな選択が出来るだろうかと私は呆気にとられました。これは大きな問題です。日本ではこんな選択は出来ないでしょう。そして愛する我が子を1日でも長く生きさせたいと思う親の気持ちも当たり前だと思います。

 ケイトはステキな恋愛を同じ病気の男の子とし、それも支えになっていたのですが、二人が結ばれてすぐ、彼はこの世を去りました。ケイトは次第に衰退し、ある日海へ行きたいと言い出します。父親とアナたちは早速出かける用意をしますが、サラはまたもや猛反対。危険すぎると。でもあとから追いかけてきたサラとともにまた家族のふれあいが始まります。そこでケイトは最後の海だと覚悟したのでしょう。

 このストーリーの主役は誰なのだろうと考えると、おそらくドナーとしての運命を背負ったアナでしょう。姉を慕う純粋な少女が実は姉のために産まれてきたとはきっと知らされていなかったでしょうし、知っていたとしても、それは「あなたしか適合しないのよ」と言った表現ではなかったかと思います。でなければアナは救われないもの。Ana005 訴訟などという行為もアナには過酷だったでしょう。でもケイトのために約束を守った、それが安楽死させたと思われても。映画を見ていると本当にケイトの衰退は見ていられないほどで、これが現実ならもっと壮絶な病との戦いだったことがじーんと伝わってきました。キャメロン・ディアス扮するサラも主役なのかもしれません。

 親の視点で見ると、どう写るのか、観る人それぞれがどんな観かたをするか、私には計り知れませんでした。問題作と言われる意味も解りますが、死とどう向き合うかを深く考えされられました。観てよかったです。

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2009年11月 3日 (火)

私の大好きな音楽家~フランツ・リスト

 私は中学時代にどれ程偉大な音楽家の演奏をレコードで聴いたことか、数え切れません。成長期においてクラッシックを聴くことは、その後の人生においてとても必要不可欠になりました。

 バロック期の音楽は繊細でかつのびやかなところが好きですが、モーツアルトやベートーベンとまた違った色合いのリストの曲は、聴くたびゾクゾクさせられます。僅か15歳にしてピアノ教師として家計を支えたほどで、もう老体になったベートーベンも絶賛したほど、有名な曲を残しています。

 奏技術に関しては、どんな曲でも初見で弾きこなしたと言われ、彼の死後100年以上経っている現在においても、いまだに彼を超えるピアニストは現れていないと言われています。その技巧と音楽性からピアニストとして活躍した時代には「指が6本あるのではないか」という噂がまともに信じられていたそうです。それはオーバーな表現としても、幼少時から指を伸ばす練習をし、10度の音程も軽々と押さえられたとされます。彼の曲には両手を広げての4オクターブの音が多用されました。また速いパッセージでも音数の多い和音を多用しました。

 リストの演奏を聴いた人々の文献によれば、繊細ながら非常にRisut001 情熱的で力強い演奏をしていたとされ、演奏中に弦が切れたり、ピアノのハンマーが壊れることが度々あったといいます。そのため、最初から3台のピアノを用意して演奏をしたこともありました。1台が壊れたら次のピアノに移って演奏、といった形で・・・凄すぎません?また、リストは即興に重点を置いていたため、楽譜はおろか鍵盤すら見ずに、絶えず生み出されるピアノの音に耳を傾けて演奏をしていたと言われているものファンを熱狂させた要因であると思います。

 作曲人生は大きくピアニスト時代(1830年~1850年頃)、ヴァイマル時代(1850年頃~1860年頃)、晩年(1860年頃~没年)と3つに分けられます。

 ピアニスト時代は、オペラのパラフレーズなどの編曲作品を始め、ピアノ曲を中心に書いいたそうです。このころの作品は、現役のピアニストとしての演奏能力を披露する場面が多く含まれ、非常に困難なテクニックを要求する曲が多くありました。ジャズの即興ピアノに近いかもしれませんね。

 ヴァイマル時代は、ピアニストとしての第一線を退きましたが、作曲家としてはもっとも活躍した時代。彼の有名な作品の大部分はこの時代に作られているといえます。ピアノ曲もテクニック的にはまだまだ難易度が高く、過去に作った作品を大規模に改訂することも多かったそうです。また、ほとんどの交響曲や交響詩はこの時期に作曲されています。「ピアノ・リサイタル」という形式はリストによって完成しました。

 晩年になると、以前彼がよく作っていた10分以上の長大なピアノ曲は減り、短く無調的になります。この時期の音楽はピアニスト時代、ヴァイマル時代にくらべ、深みのある音楽が増えました。特に1880年以降、5分以上の曲はほとんどなく、しかもさらに音楽は深遠になっていきます。最終的に彼は1885年に『無調のバガテル』で長年求め続けた無調音楽(全音階的でない)を完成させました。

 私が初めて聴いた曲は『ハンガリー狂詩曲第2番ヘ短調』で、音楽の教科書に載っている少し神経質そうな顔をした写真と共に怖いイメージがありました。

『愛の夢』(2曲目)、『3つの夜想曲』なども素晴らしく、このような題名は交響詩といって、リストが標題音楽に交響詩というジャンルを確立したものです。『ラ・カンパネッラ』(今お聴きの曲です)で有名な『パガニーニ大練習曲』はパガニーニの原曲によりながらも独創性の強い作品なので、通常は編曲とは看做さずオリジナル作品に分類されました。

 しかしリストは同時期のショパンやワーグナー、ベルリオーズに比べ、かなり低い評価しかされていません。もともと、ショパンとは全く違うタイプで比較するほうがおかしいのですが、「交響詩」という形で実が結び、後のスメタナやドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、レスピーギ、シベリウスなどによって受け継がれ、多くの傑作が生まれた事も事実で、そこは高く評価されていいと思います。

 彼の曲は決して癒しを求めるものではないけれども、何かに必死に取り組む姿を連想させ、ピアニストなら誰もがその巧みな業を披露したくなるのではないかと思います。

 ここでは辻井伸行さんとフジ子・ヘミングさんの演奏でお楽しみ下さい。

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2009年11月 2日 (月)

私のお勧めの作品~『横道世之介』

 これも大様のブランチの受け売りなのですが、かなり評判になりそうな吉田修一さんの本です。

 18歳の世之介君が大学へ入って様々なことと出会い、成長していくストーリーです。世之介君は何処にでもいそうな一見目立たない存在なのですが、読んでいるといとおしKaii16くなるキャラクターなんですね。自己主張をあまりせず、『呑みに行く?』といわれれば『うん』と答えてしまい、素朴で人懐っこい性格は、こんな人いたなあと思わせてくれる、思い出させてくれる人物です。

1980年代のお話なのですが、20年後の現代にも繋がっていてそこが面白かったりします。20年前の出来事と同時に登場人物達の現在が挿話としてさしこまれ、世之介君の輪郭を埋めこんでいくと言う形がいいのでしょう。

 田舎から上京し、ワンルームマンションで戸惑いながらクラス1年間。単に皆に流されているだけのように見えて、流れを作ってるのは世之介君のほう。
 ふっと気が付くと世之介君の存在が大きくなっていると思ってしまう回りの皆。結局彼の存在を認め、再認識しているのです。なんだか酸素のような存在と私は思ってしまいました。

 恋愛も田舎にいた時に好きだった同級生のことを思い出しながらも、年上の片瀬千春に憧れ、東京湾の残土処理業者として成功した家のお嬢様祥子に惹かれていくところなどは少しハラハラします。

 何せ携帯もパソコンも無い時代なので、ジンワリ個々の距離感があるのが妙に懐かしいのです。私の学生時代がまさにそういう状況だったので頻繁に公衆電話を使うことが時々面倒になることもあったりして・・・だから友達より、自分のマンションの周Higashiyama_work24s りの住人と仲良くなれたりしたんだと思います、世之介君のように。

 彼は、損得や、成功するかどうかの値踏みをしない人です。とにかくそっちへ行き、飛び込んでみる、それが何なのか解った時、世之介君は、変わらないのに大人になっていったような感じがします。

 何て事のないというか、起伏の無い作品なのですが、読み終わったあと、無償に愛しくなる作品です。ここまで人を惹きつける要因は何なのでしょうね。

 時が経って思い出の風景の中で輝いている人がいたら、それが私にとっての横道世之介なのかもしれません。

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