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2009年12月22日 (火)

『向田邦子の恋文』

==向田邦子ほんとうに何も言わなかった。おくびにも出さなかった。
見事としか言いようのない“秘め事”に封じ込めてしまった。
そして一途だった。
ほかに心を動かすことはなかった。それが向田邦子という人だ。==

 2004年、TBSの50周年企画、『向田邦子の恋文』を覚えていますか?

あんなに泣いたのは久しぶりでした。いつも前向きで明るく強い イメージのある向田さん。その邦子さんの恋文を妹の和子さんが書き下ろした作品のドラマ化を、ビデオにとって何度も何度も見てもう5年経つのですね。未だ私のなかで色あせずに邦子さんとバブ(N氏)の悲しいまでに美しい恋の物語は生きています。

33~34歳でもう売れっ子の仲間入りだった邦子さんが3日とあけず、バブの家に通い、夕ご飯の仕度をし、つかの間の時間を費やしていた頃。まだラジオ放送があり何本もの番組を手掛け、寝る間を惜しんで原稿を書き、恋文も書き、家のこともきちんとこなし、でも一度も後悔しなかった・・・最初はバブには妻子がいたのですが、バブが病気になってからは、母親のいるところへ1人で住み、二人は一緒になることはなかったが、秘密を共有し、人生のよきパートナーとして、互いを頼りにし、寄り添いあって、ある時期を生きたのでした。Mukouda001

 毎日のように痛みと闘うバブに何もしてあげられず、一緒に唸る母親の姿も印象的でした。時々は外出し、取材旅行と称して、カメラマンのバブと2人で宿に泊まることもあった、これも後になって解ったことです。右の写真はN氏が撮ったものと思われます。 和子さんは、

『「お姉ちゃん、そんなに好きだったんだ。どんな障害があっても、何年かかっても、駆け落ちしたって、よかったのに。お姉ちゃん、情熱家だったじゃない。どうして、踏み切れなかったの。なぜ家を出なかったの・・・」そう言ってハタっと気づいた。思い当たった。姉は家族を見放せなかった。捨てられなかったのだ。そうに違いない。だって、いかにもお姉ちゃんらしいから・・・。今私がこうして在るのは、お姉ちゃんがいたから。そんな思いが浮かび、歳月の重さとともにくらくらし、押しつぶされそうになった。』と語ります。

 このドラマの中では家族皆が主役でした。父親は威厳を保ちながらも他所に女をつくり、母親はそれを知り、入院するまでになってしまいます。でも邦子さんは私のせいだと父親の前で取り乱し、その後は一緒にお酒を交わすような間柄になるのです。

 父も多くは語らず、身体のことだけ気遣うところが大人同士と思え、泣けてきます。母親も決して口出しをせず、いつも「いってらっしゃい」と邦子さんを送り出します。

 邦子さんが小腹がすいておそばを茹でていると母が台所に来て、「私がやるのに・・・」と言いながら「お母さんも食べる?」「ん~、頂こうかしら。」と2人でおそばをすすっていると突然の雨・・・母は「あっ!!」といって縁側の庭に干しておいた座布団のことを思い出し、邦子さんと2人で「それっ!!」とばかりに座布団の投げ渡し・・・そのあとぽつんと庭に立ち雨にぬられながら立ち尽くす母の姿もなんとも言えず、哀愁を佩びているのです。あの頃の母親とは確かにそういう存在でした。

 次女はお嫁に行き、一緒に暮らしてはいませんでしたが、三 女の和子さんとは歳は離れていて、どちらかというと、次女と三女が「お姉ちゃん、好きな人いるのかな?」「いないと思う」とさっぱりしたものです。でも、家族が家族らしかった時代ですね。朝Mokpida_004は父親と邦子さんが新聞を3誌か4誌とっているのを隅から隅まで読むのが日課のようで、こういう努力も必要なのだとつくづく思ったものでした。

 バブも「だんだん邦子が遠い存在になるんだろな・・・」という一種の淋しさがあったように思います。自分は重荷になるだけだと、思い続けていたような気がしてなりませんでした。でも邦子さんが頑張れたのはバブがいてくれたからだと思うのです。むしろバブが亡くなってからのほうが気を強く持っていくのにどこかで疲れていて、淋しさを埋める為にいろんな事を頑張ったんだと思います。

 自分の内なるものややりたいこと、仕事で判断に迷うことなどを相談し、アドバイスを求め、あどけないほど、素のままでいられる相手。深い思いやりと愛とを受け、自分を育ててくれた人。それが、バブだったのではないでしょうか。

 朝早く、仕上がった原稿を見てもらいにバブの家へ行くと、雨戸が全部閉じられ、変な予感を感じた邦子さんは、自殺したバブを発見し、必死に声をかけました。その時の様子は詳しく映像になっていません。次に映像となって流れた場面は、

「ある時私が隣の部屋で寝ていて、トイレに行こうと思って姉の部 屋の襖を開きかけた。すると姉がヘナーッと座っているのが見えた。整理ダンスに何かをしまおうとしていたのだろうが、途中で放心状態になっていた。でも、「どうしたの?」と声をかけることができず、その後ずっと私の心の中に仕舞い込んでいた」という三女のナレーションと整理ダンスに手を突っ込んで放心している姿でした。どうやって帰ってきたかもきっと解らず、あの状態が、もはや頭が真っ白な状態だったのでしょう。いつ、どのように立ち直ったのか、私には解りません。

 でも事故で亡くなるまで、忘れたことは無いでしょう。忘れるなんて出来るはずがない、だから見事としか言いようのない“秘め事”に封じ込めてしまったのだと思います。あんなに綺麗で気が利いて、でも甘える事はもう無くなったのですね。見事に貫いた純愛です。この愛が溢れた作品を観る事しかできないけれど、観られる事を好しと思わなければならないでしょう。封印されていたこの恋文のドラマを邦子さんは許してくれるのでしょうか・・・・。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

Major thanks for the article post.Really thank you! Great.

投稿: drunk wife | 2016年7月 8日 (金) 14時39分

KOZOUさん、調べてくださったのですか?ありがとうござい、ます。Nのことはあまり良く解らなかったのですが、自分が負担になてきているということはテレビでもよく現れていました。自分をおいてどんどん忙しくなる邦子さんが会えない時間を恋文に託し、N氏もまめに書いていた日記のようなものの存在は私たちに多くの愛の形を教えてくれた気がします。
 短い期間でしたが、N氏にあえたことは一生の宝あったでしょうね。生き急いだ、そんな風に私も思います。
 これは本にもなっていますが、断然、ドラマがよかったと思います。お正月にはDVDを借りてきてまた観ようと思っています(時間があれば・・・)
 補足してくださってありがとうございました。

投稿: とこ | 2009年12月23日 (水) 02時44分

KOZOUさん、調べてくださったのですか?ありがとうござい、ます。Nのことはあまり良く解らなかったのですが、自分が負担になてきているということはテレビでもよく現れていました。自分をおいてどんどん忙しくなる邦子さんが会えない時間を恋文に託し、N氏もまめに書いていた日記のようなものの存在は私たちに多くの愛の形を教えてくれた気がします。
 短い期間でしたが、N氏にあえたことは一生の宝あったでしょうね。生き急いだ、そんな風に私も思います。
 これは本にもなっていますが、断然、ドラマがよかったと思います。お正月にはDVDを借りてきてまた観ようと思っています(時間があれば・・・)
 補足してくださってありがとうございました。

投稿: とこ | 2009年12月23日 (水) 02時16分

こんばんわ。
寒いです。

向田さんの恋人の話、気になってそのあとちょっと調べてみました。
彼女本当に意外ですね。
書かれてありますように、ほんとに献身的に尽くしたのですね。N氏の自裁も書かれてありますように、向田さんが遠くなっていくようで寂しく、また負担もかけまいとしたのですかね。
自分自身が思うことはできず、自分に腹も立ったのでしょうね。
本当に彼女のドラマの世界ですね。
N氏は最初、向田さんが発見したのですか。
たまらなかったでしょうね。
そして彼女自身、ガンで手術もしているのですね。
生き急いだ面はあったのでしょうね。
小説は思いでトランプなどいくつかしか読んでいませんが、テレビドラマはあ、うんをはじめ寺内貫太郞一家とか本当に懐かしいです。
強い人と思っていた彼女の裏面を知りむしろなお好きになりました。

投稿: KOZOU | 2009年12月22日 (火) 21時27分

茶々君のご主人様、ようこそいらっしゃいませ。
 私の家庭も男尊女卑だったので、向田さんの作品を観ていると、いろいろ思い出し、でもすさんだ気持ちにはならなかったことを、今と比べてしまいます。男の役割、女の役割というのがはっきりしていて、だから女々しいなんて言葉が通用したのだと思います。今では失われてしまったかもしれませんが、やはり、女が男を尊敬していれば自然、こういう流れの家庭や世間ができるような気もするのですが・・・甘いですかね。私の母は新婚当初、父をご主人様といっていたそうです。いいですねぇ、こういう響き。
 なんだか関係ない話になってしまい、ごめんなさい。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2009年12月22日 (火) 10時13分

KOZOUさん、いつも読んでくださり、ありがとうございます。このドラマを観たときは本当に衝撃が走りました。向田さんの作品は私も大好きでよく読んだり、テレビで観たりしていたのですが、どういう女性かは謎でした。強さを持った女性もはかない女性もくっきりと描かれるので不幸な女性とかつかの間に見せる苦悩はどこから来るのだろうとそんな思いでいつもみていました。そして言われますように彼女の家庭がまさに彼女が書くドラマのようだったと思います。ホームドラマを最後まで捨てなかったのは自分とN氏がいる家族という形がもしあったらというような思いもあったでしょうね。ところどころ会話を忘れている部分があるので、これも本で読みたいです。
 KOZOUさんが向田さんを好きだったことは知りませんでしたが、何だか嬉しいです。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2009年12月22日 (火) 09時52分

御高名な作家さんに
そのような悲恋の話があるのですね。
あの飛行機事故で
なんども九ちゃんとともに報じられる
偉大な人の印象が強いだけに
不倫の恋?の物語にちょっと驚きです。

子供ころは、家長制が残っており
男尊女卑の時代を垣間見た世代としては
なんともいえないおもいになります。
さばさばとした男女関係になった
現代では、そのような感情は
もはや失われたように
おもいます。

いまや逆DVの時代
これも時代の流れなんですね。

投稿: 茶々 | 2009年12月22日 (火) 08時52分

おはようございます。
今朝も寒いです。

向田邦子さんは好きで小説作品はだいぶ読んだのですが、このような話があったとは全然知りませんでした。
そうですか。
画像にもあるようにキリリとしたとても強い女性と思っていました。強かったのはまちがいないでしょうが、何かほっとした感じもします。
そのような恋人がいたのですね。
そして自裁、感情を表に出す人ではなかったでしょうから、内面はまさに嵐だったでしょうね。
タンスの前で放心もよくわかります。
その後彼女も事故死、人間の運命は本当に宿命としかいいようがないのでしょうね。
彼女の家庭がまさに彼女が書くドラマのようだったのですね。
3人姉妹の長女として強く生きることを意識していたのでしょうね。
お母さんが座布団を取り込んだあと庭にぼう然とする姿もよく分かりますし、まさに彼女のドラマの一シーンのような気がします。興味深い話でした。

投稿: KOZOU | 2009年12月22日 (火) 07時22分

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