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2009年12月19日 (土)

私の好きな作品~『ノルウェイの森』

 この作品は、『世界の中心で愛を叫ぶ』のおかげで影が薄くなったかもしれません。どちらも純愛小説ですが、私は『ノルウェイの森』に大きな衝撃を受けてしまったので、このお話をしようと思います。上下巻で出ましたが、上巻はすでに『蛍』と言うタイトルで文庫本で読んでおり、下巻が出るとはその頃思いもしませんでした。

現在の語り手「僕」が14~15年前の、大学生の時の記憶をたどHigashiyama_work28s る形で物語が進行します。そして大学生の時の「僕」は高校生の「僕」につながり、「彼女」と「僕の親友」の関係へと展開していく・・・
 高校生の時に「僕の親友」が理由不明のまま自殺を遂げ、「僕」と「彼女」が受けた精神的な打撃が明確な形を取らないままジワジワと忍び寄るような形になっていました。精神的な打撃の中身は恐らく「死」に対する意識であり、この「死」に対する意識はおそらく現在の「僕」をも捕らえていると思われます。「死は生の一部として存在する」という一文がこの作品を支える構造として機能しているような気がします。

 また、ここで語られている「僕」と「彼女」の関係はいわゆる恋愛関係にあるとは考えられないですね。作品中には「僕」側の気持ちが冷静に語られていますが、相手を想うことの喜び、一緒にいることで生じる生の喜びが2人の関係には欠落していると思われ手仕方がないのです。このような関係を中心に置いて展開される作品世界が描き出しているものは、「親友の死」によりもたらされた計り知れない恐怖、そしてその恐怖により世界の一部が不可逆的に変質してしまった(「彼女」の方は本当に精神に異常を来してしまった)人物についてだと思いました。 

 『螢』では僕と彼女、それから彼女の恋人の3人で物語が展開したましたが、『ノルウェイの森』では『螢』に比べてかなりたくさんの人物が登場します(永沢さん、ハツミさん、緑、レイコさん)。これら登場人物は過去の回想部分を展開する上でそれぞれ重要な役割を果たしていますが、実は直子と「僕」の関係に本質的に関わってくるのは緑だけでなのです。緑は不幸な身の上を持った女性であるにも関わらず生へのエネルギーが非常に大きく、直子と対照的であり、この生へのエネルギーが結局は「僕」を救うことになる・・・。緑の登場が「螢」とは大きく異なる点であり、物語の展開に非常に大きな働きをしていますね。また、ハツミさんの存在とその死については「死」の取り扱いを考える上で重要かと思います。

 直子のルームメートであるレイコさんは「僕」と直子をつなぐ存在として位置づけられ、特に直子の状態を的確に把握する上で不可欠の重要なキャラクター。物語を読むとレイコさんは直子が持つ「死」の要素の影響は受けていないように見えますが、これは何故?直子と「僕」をつなぐ役割だけを担っていると解釈することもできますが、レイコさんは直子と同じ世界に住んでいるためであると考えることもできるのではないでしょうか・・・

 直子自身が有する「死」の要素を中心に物語が展開されます。この「死」の要素が直子自身を消滅させ、キズキを失望させて自殺させたのです。そして直子と対局にある女の子「緑」により「僕」は直子を捕えていた「死」から逃れられたのではないでしょうか。直子がもはや回復の望みがない入院をしたことは『螢』でも暗示されていますが、その原因をどこに求めるのかが「螢」と『ノルウェイの森』ではこのように食い違いが出てきたのは面白いと思いました。『ノルウェイの森』では直子の背景がより鮮明に描かれており、ある意味では解釈は容易でしたが、やはり直子の死は私には大きなショックでした。この子は生きていられないとずっと私の頭から消えませんでした。

 「螢」の時と同様、この作品には「死」が身近に存在しています。直子の「死」の意識は「螢」に描かれているものとほぼ同様であるが『ノルウェイの森』では直子が自殺するところまで描かれています。 ところで、直子の他にハツミさんの存在と死についても注目すべきです。永沢さんの態度がどうであれ、ハツミさんは永沢さんのことを好きだと明言。彼女は永沢さんが本気で変わると思っていたのでしょうか。それは物語の中では語られず、彼女は「人生のある段階が来ると、ふと思いついたみたいに自らの生命を絶った」のです。ここでハツミさんの心境について考察する必要は無いと思いますが、「僕」がハツミさんを特別な女性と認めていたにも関わらず救済できなかったこと、「そしてそれは僕の多くの知り合いがそうしたように」とあるように、「僕」が自分の周りに死が徘徊していると考えた点に注意を払う必要があるのでは?。ここから「僕」もまた「死」にHaruoinoue 取り囲まれている存在であり、その考えや行動が「死」に侵食される危険性が覗いているのです。キズキの死、ハツミさんの死は直子の死と共にこの物語全体の背景を構成していると考えられますが、『ノルウェイの森』では緑の存在が「僕」を「死」の危険性から救い出すべく拮抗していると考えられます。
 それからこの物語では性の描写が露骨になります。登場人物すべてが性交渉について罪悪感のようなものは持ち合わせていないかのように
思えます。しかし性的な接触が満足を与えているかというとそれは全く逆で、かえって喪失感のような寂しい雰囲気が漂っている・・・。
だからこの物語では生の喜びとしての愛や性的な交渉という解釈は成立しないのでしょう。その理由はこの物語の基調が「死」を背景」と
しているからであると考えられますね。

 レイコは、大学4年時に発病し、精神病院に入院するが、退院後、家族、さらには社会から精神障害ゆえに偏見と冷遇にあい、24歳で再発。その後、精神病院に再入院しますが、退院後も社会から身を潜めて生活していました。そんな中、理解ある夫と結婚し、一児をもうけますが、31歳に知り合いの家族から、過去の精神病院入院歴を暴かれ、周囲への被害妄想と幻聴に悩まされるようになります。最終的には、自分から夫、子どもから離れ、京都の施設に7年も入所していました。直子をはじめて訪れた僕と二人きりになったレイコは、自分の身の上話を聞かせます。その際、レイコの語りは、この小説のひとつのテーマである「精神を病むということ」とはどういうことなのか、つまり人間として「まとも」であるとはどういうことなのか、という問題を扱っているのだと思いました。
 
 小説の中で、レイコは「この施設にいる患者は皆、自分が不完全であることを知っているから、お互いを助け合うの。私たちはお互いの鏡なの。そして、お医者は私たちの仲間なの。私たちのような病気にかかっている人には専門的な才能に恵まれた人が結構多いのよ。だから、ここでは私たちはみんな平等なの」と述べ、僕に「第一に相手を助けたいと思うこと、そして自分も誰かに助けてもらわなくてはならないと思うこと。第二に正直になること」を勧めます。レイコの語りを借りながら、作者である村上春樹は、精神を病んでいるとされた人の方が「まともな」感じ方や考え方をするのに対して、いわゆる世の中の「まともな」人たちは「僕」から見ると、異常としか思えない、といった逆説的な主張をしているのではないでしょうか。

 それは、後述するように、この小説の一番の特徴である、「生と死、そして病気と病気でない二つの世界の内包、あるいは連続性」に関係してくるテーマなのです。
 僕に語るレイコの態度は、長い療養生活の後、自己の精神の病あるいは障害を受容し、そして人生の真理や教訓を獲得した人間として、死の世界に導かれる直子と生命感あふれる緑の間で苦悩する僕に生きる指針を与えてくれます。直子の自殺後、レイコは直子の洋服を贈与されたことで、死んだ直子の分身として施設から僕の住む外の世界へとやってくきて「強くなりなさい、もっと成長して大人になりなさい」と僕の成長への脱皮を支持する存在となるのです。その後、レイコ自身も、外の世界へ復帰しようとします。

 京都の障害施設の設定に作者の障害者観が投影されていると考Kaii22 えられます、ここで大事なことは、作品の時代背景が1960年代から70年代を前提とし、その時代に前記の療養施設の作者の発想は先駆的なのでしょう。おそらく作者は、1960年代に欧米で流行した反精神医学、すなわち、従来の伝統的精神医学が狂気イコール病気と仮定してきた視点への異議申し立て的な思想を取り入れた可能性があるるそうです。そして、先に述べたレイコの語りにみられる『精神の病の中にもまともさがあり、まともな人間にも病がある』という逆説的ですが、それゆえに両者の共存の必要性にも触れています。
 
 最後に、この著作は、反復される大切な人々の自殺や死、それに対極的に存在する瑞々しい生を織り混ぜた作品であり、僕を中心とした喪失と再生の物語でだと思いました。小説全体が、生と死、動と静、障害と非障害、施設と外の世界など異なった世界を内包し、そして相補的に連続させた一つの作品となっていることが特徴です。

村上氏の物語は、失意と自閉の時代に、人間同士の理解、他人や社会との接触とは如何なるものかを提示していると思いました。

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コメント

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投稿: free porn stream | 2016年7月 8日 (金) 18時36分

 おお!!!この作品は「世界の終わり~」の次にこよなく愛している作品です。
 初めて読んだ時の衝撃は良く覚えています。「ああ、孤独感を持っているのは私だけではないのだ」と安心した記憶があります。

 >>ここで語られている「僕」と「彼女」の関係はいわゆる恋愛関係にあるとは考えられないですね。

そうなんですよね。僕にとって彼女への思いは限りなく愛情に近い義務感というのか、親友の残された彼女を引き受けるのは「僕」しかいないという感じですし。

 私は直子と緑では直子の方が好きなんです。だから直子の結末は予想通りではありますが悲しかったですね。もっと何か直子が救済される手段はなかったのかと。

 映画化されるらしいですが、大丈夫なのかと見たいような見たくないような。。。。

 

投稿: おりえ | 2009年12月20日 (日) 02時08分

茶々君のご主人様、自殺願望は私もないとはいえません。それで10年以上神経科にかかっているんです。
ご主人様が・・・ごめんなさい、もう触れません。
心のやさしさ。こんなに感じていますよ。でも心の無理だけはなさらないで下さい。いつでも辛いときはコメントのことまで考えなくていですよ。私は好きで茶々君とご主人様に会いにいっているので、気の乗らない時は、どうか本当にコメントされなくても結構ですからね。
 コメントトリックは私の誤認でしたか、そうかもしれませんね。失礼いたしました。
そして言い難いこと言わせてしまっってすみませんでした。

投稿: とこ | 2009年12月19日 (土) 22時52分

とこさま
なんどもすいません。
コメント消失のトリックが
解明された模様です。ひょとして、イラスト画の薫さまと
茶々とを誤認されたのではないかと推測されます。
いかがでしょうか?

投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 14時18分

いつもながら深い洞察内容ですね。
とってもついていけません。

でも
死にたいしては、色々あって子供のころから
自殺願望のあった変わった人間なので、
人一倍想いがあるのかもしれません。

当時を書くと暗くなるので述べませんが、
今は、かなりさばさばした感情になっています。
生を受けたものとしては、
当たり前のものとして自然にまかすように
受け止められるようにもなりました。

投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 10時45分

 KOZOUさん、お褒めに与り光栄です。これ、実は書くのに4時間かかってます。私も随分前に読んだのですが、細部を忘れていて読みながら考えの繰り返しでした。好きな作家さんなのでもっと一度に書けると思っていたら大間違いでした。
 好きだから真剣になれる、いろいろ調べることがあっても苦にならない、そういうものなのですね。
今の春樹氏はまた傾向が変わってきているのですが相変わらず、走り込んでるようですね。KOZOUさんと同じく、これからの作家は体力です。
 これからも春樹氏の本は読み続けると思います。羊男を捜すように、手探りで。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2009年12月19日 (土) 07時09分

おはようございます。
こちらもうっすら雪が積もっています。北海道は雪多いでしょうね。

すばらしい論評ですね。
現代小説はあまり読まないのですが、これはご多分に漏れないよう読みました。
帯の「恋愛小説」はちと敬遠でしたが学生運動とか背景の時代であり、とても興味深かったですね。
そして読みようでどれほどでもくみ出せることのできる小説だと思いました。
正直村上春樹さんを見直したところはあります。
書かれてあります「生と死、動と静、障害と非障害、施設と外の世界など異なった世界を内包し、そして相補的に連続させた一つの作品となっている」はとてもいい総括ですね。
細部は思い出せないのですが、僕がそれぞれの女性の生と死、病で生きることを深めていく過程がよく書かれていると思いました。
レイコさんや緑さんは特に魅力的だったのを思い出します。
レイコさんは本当にすてきでしたね。
精神の病に対する対応は特に日本はずっと遅れ、村上氏が先進的に提示したことは大きいのでしょうね。
村上氏のコスモポリタンな発想はこれからも生き続けるでしょうね。
同時に読みましたけれど、「世界の中心で愛を叫ぶ」より長いことはまちがいないですね。
ほんとに論評は優れています。

投稿: KOZOU | 2009年12月19日 (土) 06時09分

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