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2010年1月

2010年1月29日 (金)

暗い影『海と毒薬』

 評論家の山本健吉氏は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」と言っています。

太平洋戦争末期、米軍捕虜八名を生体解剖した事件を二人の研究生の目を通して描いています。
本当に暗い海と、対象的な二人の研究生の姿が印象的でした。

 映画のあらすじは、昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、九州F市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。
 F帝大医学部研究生、勝呂と戸田の二人は、物資も薬品もろくに揃わぬ状況の中で、なかば投げやりな毎日を送っていた。

だが勝呂には一人だけ気になる患者がいた。大部屋に入院している“おばはん"である。助かる見込みのない貧しい患者だった。「おばはんは、おれの最初の患者だ」と言う勝呂を、リアリストの戸田は、いつも冷笑して見ていた。そのおばはんのオペ(手術)が決まった。

どうせ死ぬ患者なら実験材料に、という教授、助教授の非情な思惑に、勝呂は憤りを感じながらも反対できなかった。当時、死亡した医学部長の椅子を、勝呂たちが所属する第一外科の橋本教授と第二外科の権藤教授が争っていたが、権藤は西部軍と結びついているため、橋本は劣勢に立たされていた。

 橋本は形勢を立て直すために、結核で入院している前医学部長の姪の田部夫人のオペを早めることにした。簡単なオペだし、成功した時の影響力が強いのだ。ところが、オペに失敗した。手術台に横たわる田部夫人の遺体を前に呆然と立ちすくむ橋本。

橋本の医学部長の夢は消えた。おばはんはオペを待つまでもなく空襲の夜、死んだ。数日後、勝呂と戸田は、橋本、柴田助教授、浅井助手、そして西部軍の田中軍医に呼ばれた。B29爆撃機の捕虜八名の生体解剖を手伝えというのだ。二人は承諾した。

生体解剖の日、数名の西部軍の将校が立ちあった。大場看護婦長と看護婦の上田も参加していた。勝呂は麻酔の用意を命じられたが、ふるえているばかりで役に立たない。戸田は冷静だった。

彼は勝呂に代って、捕虜の顔に麻酔用のマスクをあてた。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたった。

その夜、会議室では西部将校たちの狂宴が、捕虜の臓物を卓に並べてくり広げられていた。その後、半月の間に、次々と七人の捕虜が手術台で“処理"されていった。(goo映画より)

 この小説はフィクションとして書かれていますが、「捕虜に対する生体解剖実験(九大生体解剖事件)」と言うのは戦時中、実際に起きた事件です。作者の遠藤周作氏は、その事件に着想を得てこの「海と毒薬」を書いたようです。

 原作は信仰心はあるのに実質的に神の存在というものが無いTadanori004 日本人と、キリスト教の教えを対比していますが、映画の中でその部分は薄くしか感じ取れません。熊井啓氏は、宗教的な相違に焦点を当てるよりも、生きている人間を組織や状況の中で致し方なかったとはいえ、実際に生きている人間を解剖してしまうその人間の強欲、エゴ、そういった部分に焦点を当てて脚本を書いたと思われます。

 この映画は1986年の作品ですが白黒です。それがなおさら物悲しいものに仕上げています。私は映画の前半はあまり記憶がなく、ただ、研究生の勝呂(奥田瑛二 )の気の弱い性格と、戸田(渡辺謙)の物怖じしない性格の二人が暗い海辺で、生体解剖をするにあたり、苦悩する姿は忘れられません。白い巨塔宜しく教授争いなどというものが絡んでいた為に生体解剖というとてつもないことに直面するのです。
  

 まさに人権を無視したエゴであり、強欲です。そしてその様子を記者らしき人々が群がって写真を取り捲るシーンは、これが戦渦の実態なのかとおぞましくさえ思えました。

 戦争で人を殺しても非難されなかった時代、生体解剖で人を殺すことだけが悪いといえなかった背景もあったでしょう。人間の本性、理性という仮面を一旦取ってしまえば人間はこんな残虐な行為まで行えるのです、そしてそれを知性で正当化しようとする。

 確かに「戦争」と言う異常な状況が彼らを狂わせたとも言えるのかも知れませんが、この物語で私が感じたのはやっぱり「戦争」の恐ろしさより「人間」の恐ろしさでした。戦争という背景と、結核治療の進歩が必至であった背景とを合わせてみても、生体解剖は誤った方向を向いていたとしか思えな思えません。

 一番手術のシーンがリアルに描かれています。輸血の代わりに食塩水を注射することがどこまで可能か、といった残酷な実験が戦争の名のもとに平然と実行されていく恐ろしさを、二人の青年医師の目を通して問いかけています。医学研究生の勝呂は、米軍捕虜の生体解剖に参加させられてひどく苦悩し、良心の呵責に苦しみます。それとは対照的に、戸田は良心の呵責にこそ苦しまないものの、人間的な感性が欠如しているのではないかと悩み、勝呂と対立。

 自分の無力さと、医師の使命という思想を裏切られた空虚をもって勝呂は描かれています。そして、舞台が「誰も彼もが死ぬ時代」であるということも空虚の影を色濃くしているように感じます。空虚を抱えているのは勝呂だけではありません。登場人物たちの独白はそれぞれが抱えている空虚を吐露しています。女としての機能を失い、誰からも必要とされないと感じている看護婦の空虚。自分には「良心」がない、と感じる戸田の空虚。そこにあるのは、感情の放棄と諦めだと思います。

 遠藤氏は小説で、倫理的な規範を根本的な原理に入れているキリスト教と異なり、成文的な原理が無く、集団心理と現世利益で動く日本人の姿を描いています。登場する人体実験に関わった勝呂医師や看護師らは、人格的に元々問題のあるような人間ではなく、どこにでもいるような標準的日本人です。彼らは誰にでも起き得るような人生の挫折の中に居てその時たまたま、この人体実験に呼びかけられたのだと。

 クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずですが、そうではない日本人は抑止させる原理が無く、あるいは周囲の人間の行動に自己の行動を合わせようとする日本人の持つ行動原理に従い参加してしまう・・・作品の初期に登場する中国で殺人・強姦を犯してそれをあっけらかんと話す元日本兵などは、恐らくその日本人の持つ行動原理の負の一例として過ぎ去る様に登場させていると思われ、最後に実験に参加してしまう勝呂達の行動を予感させていますね。

 ただラストのシーンで、橋本(田村高廣 )が解剖室のドアノブに手をかけ、躊躇するシーンは救いなのかなと思わされました。

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2010年1月28日 (木)

歌に捧げた人生『本田美奈子』

 アイドル歌手だった美奈子ちゃんが本格『ミス・サイゴン』に約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた時は、正直驚きました。
 でもミュージカルやクラシカル・クロスオーバーへの進出をした時、彼女の歌唱力が評価されたことを喜ばずにはいられませんでした。

 私は美奈子ちゃんがアイドル時代から好きで、「マリリーン!!」とへそだしルックで腰を振っていても、何ていやみの無い、唄の上手な女の子として応援してきました。

 『ミス・サイゴン』での体当たりな演技も「私は演技がヘタだから」と言っていてことなど忘れさせてくれる程素晴らしいものでした。                   

まさか白血病だなんて・・・

 1986年には、ロンドンを訪れて、ブライアン・メイのプロデュースによりシングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」を制作。美奈ちゃんは武道館でのコンサートでフレディ・マーキュリーの「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」をカバーしており、このコンサートのライブ盤とデビューアルバムをロンドンEMIを通じてメイに送ったところ、彼の方から申し出がありコラボレーションが実現しました。シングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」は翌1987年に発売され、英語版もイギリスをはじめヨーロッパ20箇国でリリースされたのです。

 ボンド企画が手がけた縁で1987年に彼女とのジョイントコンサートを行い、ジャクソン・ファミリーとも親しくなった。ロサンゼルスのマイケル・ジャクソンの自宅にも招待され、彼らのスタッフのプロデュースにより全曲英語詞のアルバム『OVERSEA』を制作。このアルバムはアメリカでも発売されました。
 またこの年の7月にはジャマイカを訪れスライ&ロビーのライブにゲスト参加し、「HEART BREAK」と「EYE言葉はLONELY」を歌いました。

このようにデビューから数年後には海外ミュージシャンとのコラボレートは本田の歌手活動の際立った特徴ともなっていったのです。

ロックバンドを結成したこともありましたが、不振に終わり、少なくとも商業的には成功したとは言えず、1989年秋に解散してソロに戻った後も人気は回復しない時期がありました。彼女にとってこの頃は最も苦しい時期で、自身「歩いてきた道が突然、ガケっぷちになって行き止まりになっていた」と回顧しています。

それでも歌へのこだわりの強い美奈子湖ちゃんはバラエティー番組への出演を断り続け、ドラマや映画の仕事も最小限に絞っていました。

東宝のプロデューサー、酒井喜一郎から『ミス・サイゴン』のオーディションの話を聞かされた時も初めは関心を示しませんでしたが、全編歌で構成されたミュージカルであることを知ると目の色を変えて意欲を示すようになったそう。

1990年秋に始まったオーディションの選考は数ヵ月にわたり、翌1991年1月13日にキム役に決定すると3月以降の全ての予定をキャンセルして公演に備えました。開幕にあたっては「私は舞台では、演じないからね。生きるからね。強く生きてみせるからね」と抱負を語っていたそうです。

 2000年前後にはクラシックへの志向を強めていた彼女ですが、本格的にクラシックの楽曲を歌うようになったきっかけは2002年8月31日に東京オペラシティコンサートホールで開催された『グラツィエ・コンサート』でした。
 クラシックの楽曲を現代人に受け容れやすいスタイルで歌える歌手を探していたコロムビアのプロデューサー、岡野博行氏はこのコンサートに足を運び、終演後に楽屋を訪れてアルバムを制作することを申し入れた。元よりそうしたアルバムの制作を望んでいた美奈ちゃんは即座に快諾し、企画が進行することとなった訳です。

 『ミス・サイゴン』以来の本田の恩師である岩谷時子さんが日本Tensi004 語詞を書き下ろし毎回歌入れに立ち会って、場合によっては言葉が旋律に乗りやすいようにその場で変えるなど全面的にサポートし、編曲は井上鑑氏が担当。

井上氏を起用した理由について岡野氏は、のめり込み過ぎない一歩引いたクールさがあり、ホットでのめり込みやすい美奈ちゃんとのバランスが絶妙だろうと考えたと述べています。

 翌2004年11月25日には2枚目のアルバム『時』が発表され、没後に公表されたものも含めるとアルバム2枚強の音源が制作されました。そこ
に共通する考え方は、クラシックの名旋律を歴史的背景にとらわれず現代の感覚で歌うこと、しかし決して奇を衒うのではなく素直に楽曲の素晴らしさを大切にするということで、特にこだわったのは日本語で歌うことでした。こうしたクラシカル・クロスオーバーでの活動により、美奈ちゃんは従来のファン層とは異なる新たな聴衆からの支持を獲得したのです。

 彼女は音楽学校などで声楽を学んだ経験はありません。でも、ミュージカルに出演するようになってからは山口琇也氏や岡崎亮子さんのレッスンを受け続けました。

 特にオペラへの出演経験もある岡崎の指導はクラシカル・クロスオーバーへの進出に大きな影響のあったものと思われます。岡崎さんは最初に会った時彼女のあまりに華奢な体つきに不安になったそうですが、背中をさわってみるとしっかりとした筋肉がついていたので大丈夫だと確信したと言います。

1994年発表の「つばさ」には後半に10小節にわたって声を伸ばすロングトーンがあるのですがが、この伸びやかな声を支えていたのはその強靭な背筋だったのです。

 舞台には歌の神様がいると話し、いつも出番の前には舞台の天井を見上げて祈りを捧げていた美奈ちゃん・・・

  • 彼女の療養中に発売されたミニアルバム『アメイジング・グレイス』 のラTensi002イナーノートには手書きのメッセージを寄せ、次のように述べていいました。

『私は今まで、歌と一緒に歩んできました。…私の歌が皆さんに、歌の素晴らしさを伝えることができるよう... 1人でも多くの方の心が豊かになれるよう... という願いを込めて これからも、歌い続けたいと思います。』・・・

 38歳の若さでの急逝は社会に衝撃を以て受け止められました。彼女の遺志により朝霞で行われた通夜にはファン・関係者合わせて2700人、告別式には3700人が参列。彼女の早世を惜しむ声は絶えることがなく、没後に新たにファンになった人も多く彼女の公式ファンクラブは多数の要望により没後も存続することになりました。

 私にはまだ、テレビで流された闘病中の言葉、『たけしさん、助けてください。』が心に残っています。そしてあのアメイジング・グレースの歌声も。

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2010年1月25日 (月)

『悪魔の手毬唄』

 私は横溝正史氏の作品の中で、一番好きな映画でした。

 あらすじは、古い因襲に縛られ、文明社会から隔離された岡山と兵庫の県境、四方を山に囲まれた鬼首村(オニコベムラ)。青池歌名雄は、葡萄酒工場にAkuma004 勤める青年。歌名雄には、由良泰子という恋人がおり、仁礼文子もまた、歌名雄が好きであった。

この由良家と仁礼家は、昔から村を二分する二大勢力であった。しかし、二十年前に、恩田という詐欺師にだまされ、それ以来由良家の、勢いはとまってしまい、逆に仁礼家が前にもまして強くなった。その時、亀の湯の源治郎、つまり歌名雄の父親が判別のつかない死体でみつかった。この事件を今も自分の執念で追いかけているのがあの磯川警部。

 磯川は、ナゾをとくために、金田一耕助に調査を依頼する。金田一は、最初に恩田と特にかかわりがあった多々良放庵に会う。その頃、村では大騒ぎ。というのも、別所千恵が、今では人気歌手・大空ゆかりとなり、今日はその千恵の里帰りの日であった。その晩、千恵の歓迎会の時に、第一の殺人事件が起きた。泰子が何者かによって殺されたのだった。そして、泰子の通夜の晩、葡萄工場の発酵タンクの中に吊り下げられて死んでいる文子を発見。

この二つの殺人事件には、この地方につたわる、手毬唄の通りに行なわれていることを金田一は発見。そして、文子の通夜の晩、犯人は、千恵に入れかわっている里子を殺してしまう。

この犯人は、青池リカで、里子は、母親が犯人であることを知り、千恵の身がわりになったのである。
 金田一の捜査により、恩田と源次郎は同一人物であることがわかる。そして、恩田=源次郎は、千恵、泰子、文子の実の父親であった。
 リカは、それらの娘たちと血のつながる歌名雄をいっしょにできないと思い娘たちを殺してしまったのである。(goo映画より)

 手毬唄になぞらえて起きる殺人事件。

金田一さんが調べるまで、恩田という詐欺師が3人の娘の父親であり、歌名雄の父親でもあることに気づかなかった、これは相当念入りな詐欺行為であり、無責任極まりない行為であると言っていいと思います。リカも真実を知らなければ殺人など起こす必要が無かったのです。現代のドラマや映画でも、愛し合っている2人が実は兄妹の間柄であって苦しむと言うセッティングはよくあり、その先駆けとなったものと思われます。

事件の背景に存在する複雑な人間模様に重点を置いたストーリーは、人間ドラマ的な深みが感じらます。

 我が娘を間違って殺めたこと、母親にこれ以上犯罪を犯してもらい たくない、私はどうせ陰の身なのだから・・・里子は顔の片面にあざがあり、いつもずきんをまとっていました。可愛そうな生い立ちにリカは余計に苦しんだことでしょう。

 こんなことになったのも恩田と言う詐欺師のせいなのに、リカは最後まで、恩田のことを愛していたのです。

「心底夫を憎めたらこないなことにはならなんだ。むごい人とはわかっても好きやった。忘れられませんのや・・・。」Akuma002

 過去に縛られながら生きる女主人リカ。彼女の心中を察すると、この結末は泣かされます。そして、彼女を見守るように20年間も捜査を続ける磯川警部も・・・演じる若山富三郎氏が良い味を出しています。

湖に入っていき自殺を図ろうとするリカ。そのシーンも市川監督により、美しく映りだされます。
 
この作品の根底にあるのは『愛』だったのではないでしょうか。リカは誰も憎んで殺めたのではいなかったのです。
 
 この映画で、「人を恨むのは簡単だけれど、愛してしまった感情を簡単に変えることは出来ないのだ」ということを深く考えさせられました。

 そうですよね、私もきっと同じように苦しむのだろうと思います。愛想を尽かすのは簡単かもしれませんが、ひとたび愛してしまったらそれは呪縛のように払いのけようとして払えるものではない、昭和初期の女性像がそこに垣間見れた気がします。

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2010年1月23日 (土)

私が最近知った画家~クリスチャン・ラッセン

 日本で人気と言えば、この方を好きな女性は多いのではないでしょうか。私は個人的にあまり好きではありませんでした。というのもあまりに写真を合成したかのようなその精密な描き方が逆に私がこれまで愛した画家とかけ離れていたからです。まるで、ディズニー映画にでも出てきそうな風景や動物が眩しすぎました。でも、やはり凄いと思わなければいけないのかと悩みました。好き嫌いがはっきり分かれる画家ではないかと思います。

 エコロジーの現代を迎え、ますます注目されると思われますね。

カリフォルニア州メンドシノ郡で生まれ、10歳の時に家族と共にハワイ州マウイ島に移住したそうです。
幼少の頃から絵を描くことに興味を持ち、独学で勉強しました。高校時代は美術系の学科を専攻し、独自のスタイルと画法を開発していきます。

1976年から、画家として作品を発表し始め、マリンアート画家としての地位を確立する一方、プロサーファー、プロウィンドサーファーとしても活躍。

1980年代初頭に、絵画技法のグレージング゙を用いて、ハワイの自然風景(イルカ・夕景・海岸など)を描いた絵画で注目されはじめます。

1989年のホノルルマラソン公式ポスター制作を担当。1990年に環境保護団体のシービジョン財団を設立。アメリカ以外では、日本でも展示会を開くなど、精力的に活動しています。

1992年国連の「クリーンオーシャン キャンペーン」のイメージアートを手がけました。環境保護活動に情熱を傾けるエコロジーアーティストとしても有名です。
 
 どこまでもクリーン、爽やかな印象が強すぎて、私には不釣合いな気がしていましたが、今回、絵を集めていて、『あ、意外!』と思わず言ってしまった作品を中心に紹介しようと思ったのですが、ちょうどいい動画をみつけたのでそちらをご覧下さい。

 この動画はラッセンのサーフィンシーンがかなり出てきますので、絵だけが観たいという方は絵だけの紹介の動画も入っていますので、そちらをご覧になることもお勧めします。

 美しい自然の中で育ったラッセンの作品は、海に寄せる愛、自然への慈しみ、地球環境への関心から生まれています。

 彼が世界中で人気が大変高いのは、その作品が私達の心の中にある前向きな部分を気付かせ、地球に対してどのようなことが出来るかを思い起こさせてくれる力をもっているからではないでしょうか。

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2010年1月21日 (木)

私の好きな映画~『ソフィーの選択』

 1982年の作品です。この作品は原作が発売されてわずか3年で映画になっています。最初、ソフィーは優雅で男性2人を含んだ三角関係のお話かと思っていました。ところがソフィーには隠された過去が・・・

 1947年。ニューヨークのブルックリンに小説家になる夢を抱いSofi003 て南部から出てきた青年、スティンゴは、下宿先で、不思議な生活をするソフィーとネイサンという恋人たちと出会います。

「父はポーランドの大学教授でユダヤ人を助けようとした」と語るソフィーの腕には、強制収容所の囚人番号の烙印がありました。

 ネイサンは製剤会社ファイザーに勤めている生物学者で、強制収容所から解放されて渡米したソフィーが貧血と疲労で倒れたところを救い今は一緒に住んでいます。三人はコニー・アイランドで終日遊び、親友になりました。三人のほんのひとときの美しい友情の日々と、二人が持つそれぞれの心の闇が対比的に描かれます。

 しかし、スティンゴはネイサンがソフィーに言った「わかるかソフィー、俺たち死ぬんだ」という言葉が気になるのです。

ソフィーと同棲しているネイサンはユダヤ人。普段は理知的で愉快で、アイデアに溢れた人なのですが、とても精神不安定な人物です。いつも、騒動を巻き起こすのに、憎めないですね。 やがて、病気がどんどん重くなって、スティンゴとソフィーの仲を邪推して、銃を持ち出して二人を脅迫します。
 ネイサンは、平和な世界の心の闇を象徴しているのでしょうか・・・

 ソフィーの父と夫がドイツ軍に拉致されて処刑されたこと、自分は病気の母のため闇市でハムを買ったことがばれてアウシュヴィッツに送られたのです。カソリック教徒である彼女は、解放後、教会で自殺を図ったとも語りはじめます。

 ネイサンの部屋へ入ると、ナチ関係の本がいっぱい。ユダヤ人である彼はナチの犯罪が許せないのです。

 翌日、ネイサンとソフィーがいなくなりました。スティンゴは、ポーランド時代にソフィーの父の講議を受けたという教授から意外な事実を聞きます。ソフィーの父はナチ信奉者だったというのです。

 その夜、もどってきたソフィーを問いつめると、彼女は父、父の弟子であった夫が反ユダヤ主義者であったことを認めました。でも、ナチはそんなことはかまわず、父と夫を拉致し、彼女自身も息子ヤン、娘エヴァと一緒にアウシュヴィッツに送られたのだのです。

ヤンは子供バラックに、エヴァは抹殺され、彼女は収容所長ヘスの秘書にされます。

 父のナチ賞揚の論文を見せヤンをドイツ人化計画に組み入れてくれと頼むのですが、効果なく、ヤンのその後は知れずじまいに終ったと語るソフィー。

 ある日、スティンゴはネイサンの兄ラリーから弟は妄想性分裂Sofi001 症であると聞かされます。その夜、ネイサンはソフィーに求婚し、新婚旅行にスティンゴの故郷である南ヴァージニアに行くと発表。幸福そうなソフィー。

ある日、またネイサンが怒り出し、スティンゴはソフィーを連れてワシントンに逃げました。ホテルの一室で、ソフィーに求婚するスティンゴ。彼にソフィーが告白します。「アウシュヴィッツの駅でナチの医者が3人の前に来て、子供を1人だけ手放せと迫った。出来ないと言うと、医者は、では2人とも焼却炉行きだと冷たく言いはなつ。無情な選択を迫られ、ついに娘を連れてってと叫んだ」と。

 ソフィーとスティンゴはその夜、結ばれました。翌日ソフィーの姿がありません。ブルックリンにもどったスティンゴは、ソフィーとネイサンが自殺したことを知るのです。(goo映画より)

 ソフィーは、希望を抱いてアメリカへ来たのでしょう。でも親と夫と子供の無残な死にかたをどうしても忘れることが出来なかった、ソフィーが選んだ選択は間違っていたといえるでしょうか。「嘘をつきすぎてどれが本当か分からなくなった」というソフィーのさりげない
一言が重く響きます。

 そもそもソフィーの選択とは何だったのか、ソフィーはいったい何を「選択」しなければならなかったのか。

 ひとつはっきりしないことは、果たしてソフィー自身がそれを選択したという明瞭な自覚があったかどうかです。ソフィーの選択がもたらしたものはそれからの彼女の一生涯を貫いて背負い続けねばならなくなった重い十字架であり、消すことのできない禍根でした。

 そして子供を一人生かしてやる、どちらを選ぶ?と迫られた時、これもまた究極の選択だったに違いありません。選べるはずが無いのにと怒りを覚えました。

 私はこの映画を観てから、自分自身の無知さ加減を反省しましSofi002 た。あれだけ残忍なユダヤ人狩りを強行したヒットラーとナチスについて、ほとんどまともな知識がなかったのですから。そうして、ユダヤ人が「600万人」虐殺されたということについても、改めえ改めて考えることになりました。

「ホロコースト」という未曾有の惨事を告発するだけでなく、男2人、女1人の友情と愛情のドラマを絡めることによって、その悲惨さを更に浮き彫りにしているのですね。この世の地獄を経験し生きる気力を失ったソフィーと、狂気の中で漂っているネイサンの関係は非常に切なくていろいろな事を考えさせられました。これも選択だったのかと。

私たちはいつも大小の差こそあれ、選択を迫られることがあります。

そんな時この映画を観て、自分の選択は大きな問題ではないと気付くのではないか、私はそうでした。そして自分の辛さなど何てこと無いと思わせてくれる一級品の映画だと思いました。

 

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2010年1月11日 (月)

涙が止まらない映画『ひまわり』

 もう40年も前になるのですね。当時、ソフェア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主役の映画は目白押しでしたね。
中でも今でも愛されている映画とそのバックグランドミュージックは、忘れることが出来ません。

 貧しいお針子のジョバンナ(S・ローレン)と電気技師のアントニオ(M・マストロヤンニ)は、ベスビアス火山をあおぐ、美しいナポリの海岸で出逢い、恋におちた。

 だが、その二人の上に、第二次大戦の暗い影がおちはじめた。

ナポリで結婚式をあげた二人は、新婚旅行の計画を立てたが、アントニオの徴兵日まで、一四日間しか残されていなかった。
 

 思いあまった末、アントニオは精神病を装い、徴兵を逃れようとしたが、夢破ぶられ、そのために、酷寒のソ連戦線に送られてしまった。
 

 前線では、ソ連の厳寒の中で、イタリア兵が次々と倒れていった。アントニオも死の一歩手前までいったが、ソ連娘マーシャに助けられた。

 年月は過ぎ、一人イタリアに残され、アントニオの母と淋しく暮していたジョバンナのもとへ、夫の行方不明という、通知が届いた。これを信じきれない彼女は、最後にアントニオに会ったという復員兵の話を聞き、ソ連へ出かける決意を固めるのだった。
 

 異国の地モスクワにおりたった彼女は、襲ってくる不安にもめげす、アントニオを探しつづけた。そして何日目かに、彼女は、モスクワ郊外の住宅地で、一人の清楚な女性に声をかけた。この女性こそ今はアントニオと結婚し、子供までもうけたマーシャであった。
 

 すべてを察したジョバンナは、引き裂かれるような衝撃を受けて、よろめく足どりのまま、ひとり駅へ向った。逃げるように汽車にとびのった彼女だったが、それを務めから戻ったアントニオが見てしまった。

 ミラノに戻ったジョバンナは、傷心の幾月かを過したが、ある嵐の夜、アントニオから電話を受けた。彼もあの日以後、落ち着きを失った生活の中で、苦しみぬき、今マーシャのはからいでイタリアにやってきたとのことだった。
 

 迷ったあげく、二人はついに再会した。しかし、二人の感情のすれ違いは、どうしようもなかった。そして、ジョバンナに、現在の夫エトレの話と、二人の間に出来た赤ん坊を見せられた。
 アントニオは、別離の時が来たことを知るのだった。

 翌日、モスクワ行の汽車にのるアントニオを、ジョバンナは見送りに来た。万感の思いを胸に去って行く彼を見おくるこのホームは、何年か前に、やはり彼女が戦場へおもむく若き夫を見送った、そのホームだった。(goo映画より)

 ジョバンナがどんな思いで彼の帰りを待っていたかを思うと、もう胸が締め付けられます。

 モスクワまで出かけていった時も、「ここには生きたイタリア人は一人も居ませんよ」と止められますが、それでもジョバンナは一枚の写真を手に探し続けました。その胸中は計り知れません。
 ロシアの担当高官に案内された地は、見渡す限りのひまわり。その木、一本一本の下に雪の中で死んでいったイタリア兵、ロシア兵たちが無数に眠っているのだといいいます。明るさの象徴のようなひまわりが、悲しく見えてしまいます。

 事実を知って失意で岐路する場面・・・ヘンリー・マンシーニの音楽が流れるとそれだけでぐっと来てしまいます。夫とロシアの駅で再会するシーンでアントニオの顔を瞬間的にアップし、ジョバンナが汽車に飛び乗るシーンは思わず号泣していまいました。駅に行くまでの二人を写す緊迫したシーンは素晴らしい演出です。

 アントニオがミラノに訪ねてくるシーンでは別れる決意をしながらも、抱き合って愛を確かめ合っているように思えました。

 駅で別れるシーンの列車に乗ったアントニオの切なそうな顔の捉えかたがたまりません。ロシアの大地に広がるひまわり畑はただ悲しく揺れるだけ。かえってあの眩しさが切なさを助長しているかのように見えます。
 
 戦争が引き裂いた愛。

 時が引き裂いた愛。

これがこの映画の主軸であり、戦争がいかに悲惨な結末しかもたらせない事を物語っています。
 
 ラストシーンの悲しいアントニオの目と、ジョバンナの強く美しく、しかし悲しみに耐えた年月に曇ったような瞳を見てここでも思わず涙ぐんでしまいます。そしてまたラストはどこまでも続くひまわり。

 あんなに愛し合った二人が、別々の道を歩むことになる、お互いの家族のためなのでしょうが、虚しさが残ります。

どこの国でも戦争で残された妻や子供がいます。そしてこのような不幸な愛の形があるのでしょう。痛ましいことです。

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2010年1月10日 (日)

『あえてブス殺しの汚名をきて』 

 これはまた古いつかこうへいさんのエッセイ集です。殺されていた女性がブスだったために、「何であんなブスを殺したんだよ!!」と刑事にこずかれ、「立派な犯罪者にしたててやる」とまで言わしめた『熱海殺人事件』。

それからというものつかさんはブス殺しのドンと言われるまでに女性をメッタ切りにしてきたと言う経路があります。なのでそれならば、汚名をきようじゃなかと出来た作品集です。               

 これまでも『鎌田行進曲』を書きましたが、決してきざなせりふは似合わないかれど、ふっとした瞬間に醸し出す優しさと情が人一倍あるのだと思えるのがつかさんなのです。だから1冊2冊じゃ修まらなくなってしまうんだと思うんですね。

 つかさんはまさに団塊の世代です。ですからこの世代の方たちにあTanaka003 りがちな照れくささが何ともいえず、私にはたまりません。
ロミオとジュリエットみたいなことは照れくさくて言えないのです。

 エッセイの中に、「傷ついた男たちにもたらされるのは何か」と言う章があります。

=たまに女の人からホレられたるすると、何か悪いことをしてるんじゃないかとブチ壊してしまいます。2人でお茶を飲んだり、映画を観たりするなどみっともなくてできません。一人で安酒くらって恨み言を口走っているほうがしっくりいくような気がするのです。
 いつもいつもテレ臭く思うことが、僕の唯一の価値観でした。=

 傷ついた男たちにもたらされるのは何か・・・傷つくことだけ上手になってみじめになることがとりえになってしまう。みじめさを手の平に転がしながら日々を過ごすのです。これは女も同じだと思うのですが・・・

 さらに私がつかさんを見直したのは、芝居が始まり、今日は○○の両親が見えてると聞くと、例え、○○さんのせりふが無い時でも、瞬時にせりふを作ってくれることです。

そしてテレビ局を回り、「うちの俳優を使ってやってください!」と頭をさげ、それを「仕方ないからさあ、やってあげてよ。」とそれとなくふる、男です。いい話ではありませんか!で終わればいいのですが、だんだん、「オレがとってきてやったんだろ、その役!!」とかえってくることしばし・・・

 でも当時は風間杜夫、平田満、加藤健一、萩原流行などせりふ覚えのいい役者さんが揃っていたので、いつどの役が回ってくるか解らないので全せりふを頭に入れていたと聞いたことがあります。案の定、つか劇団にいた役者さんはいい役者になってますよね。

 本当は『ジャイアンツは負けない』というジャイアンツファンなら泣いて喜ぶ作品を取り上げたかったのですが、本が本棚から消えてしまって、詳細が解らなくて書けませんでした。

といいつつ、何故『あえてブス殺しの汚名をきて』というの?と聞かれると、やっぱり、つかさんは、若くてかわいい娘が好きなのよ、としか答え様がありませんが。

団塊の世代の皆さんにはきっと頷ける内容だと思います。是非お手にとってみてください。

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2010年1月 8日 (金)

私の好きなミュージシャンたち~久石 譲編

 日本の作曲家・歌手・ピアニストである久石作品は最初、イージーリスニングとして出会いました。
作曲家としてテレビ音楽に彼が初めて登場したのは、テレビアニメ「はじめ人間ギャートルズ」からだそうですがまさかと思っていました。
宮崎駿監督の劇場用アニメ作品の音楽としては『風の谷のナウシカ』(1984年)からが本格的といっていいにではないでしょうか。
『ナウシカ』以後、沢山の映画に楽曲提供を行っていますが、宮崎駿監督作品が一番多く、次いで北野武監督作品や大林宣彦、澤井信一郎監督作品にも多く携わっており、その集大成として『WORKS・I』(1997年)を発表しました。
 

 2004年、『ハウルの動く城』の音楽の作曲を担当するほか、第57回カンヌ国際映画祭において、日本の作曲家としては初となるオープニング・セレモニーの作曲と指揮を担当、注目を集めました。
 『WORKS・I』はまるで交響曲でも聴いてるかのような気持ちになり、私はとても感動を覚えました。曲に山と谷がはっきりあって小気味いいいのです。うまく表現できませんが、イージーリスニングとか癒しの曲などと一くくりに出来ないはっきりとした主張があるのです。
 
 2004年には新日本フィルハーモニー交響楽団が新たに結成した新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督に就任。自身の楽曲だけではなく『007のテーマ』、『ミッション・インポッシブルのテーマ』、『スター・ウォーズ』」と云った有名な映画音楽からラヴェルの『ボレロ』のようなクラシック曲など、ジャンルにとらわれないスタイルでのコンサートがうけています。

 また、2005年のコンサートツアー「Symphonic Special 2005」ではステージに大スクリーンを設置しバスター・キートンの無声映画『The General』(邦題「キートンの大列車強盗」)の映像に合わせてオーケストラを指揮するといった難しい試みにも挑戦。元々は2004年の第57回カンヌ国際映画祭のイベントで久石氏が行ったものでしたが、日本でも大成功を収め脚光を浴びました。                                  

 私は癒し系の音楽を聴き始めて、覚えたのですが、ずっと気なる存在で、『ハウルの動く城』は見ているというより、聴いていましたね(監督、すみません・・)。それからCDを借りにいきました。今回上げた四名は、私にはアミノ酸の入ったドリンクのよう存在です。

元気な時は葉加瀬氏、落ち着きたい時は加古氏と千住氏、じっくり聞きたい時は久石氏・・・今年の箱根駅伝のテーマ曲も彼の作品だそうです。

お聞きの曲は『WORKS』の中の「人生のメリーゴーランド」です。Hauru001

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2010年1月 7日 (木)

私の好きなミュージシャンたち~千住明編

 千住明氏も気になる作家の一人でした。いいなぁと感じた曲の中に千住氏の作品が多かったからです。

作曲家・編曲家・音楽プロデューサーを巧にこなす千住氏。編曲やプロデュースなど幅広く活躍し、特に野島伸司脚本・企画のドラマや近年では、中森明菜の大ヒットカバー・アルバム『歌姫』シリーズをすべて手掛け、累計100万枚の売り上げを記録させました。また、2007年に中森明菜が『歌姫』に続く演歌・歌謡曲のカバー・アルバム『艶華 -Enka-』を発表、本シリーズでも千住明がプロデュースを担当しました。「映像音楽の魔術師」と称されています。
ソロアルバム、メインアルバム、プロデュースアルバムは数多くあります。編曲でこんなに曲って変わるのかと絶対思うはずです。

 小澤征爾等の巨匠指揮者とのセッションも数多く、オーケストラ作品では、ヴァイオリン協奏曲『リターン・トゥザ・フォレスト』(2000)、ピアノ協奏曲『宿命』(2004)、『四季』(2004)、交響曲第1番(2005)、日本交響詩 (2005、「ブレス・アンド・ロザリー」(2006)等、初のオペラとして「隅田川」(台本:松本隆)(2007)などがあります。映画『226』『RAMPO~国際版』『わが心の銀河鉄道』『愛を乞うひと』『黄泉がえり』『HINOKIO』『この胸いっぱいの愛を』『涙そうそう』『象の背中』、ドラマ『高校教師』『家なき子』『聖者の行進』『世紀末の詩『ほんまもん』『砂の器』『仔犬のワルツ』『恋の時間』『風林火山』、アニメ『機動戦士Vガンダム』『鉄人28号』『雪の女』『RED GARDEN』NHKスペシャル「世紀を越えて』、NHK「日本映像の20世紀』、CM「アサヒスーパードライ』「コスモ石油』「パナソニック ビエラ』等、音楽を担当した作品は数え切れません。

 昨年3月、千住兄妹初の共同作業(コラボレーション)によるジョイントコンサート『音楽会の絵』が開かれました。これは画家であり兄である博氏の絵画をテーマに、明氏が書き下ろした『ヴァイオリンコンチェルト』を、妹の真理子さんが演奏するというものでは喝采をあびましたね。

『Still Blue: Sketchpiano』『Feel Solo Selection Best Wishes テーマ曲集』など一度聴いたらその旋律は忘れられないものになるでしょう。
 癒しの曲のなかに存在不可欠の方です。『feel』『frow』などから入ってみていかがでしう。
 

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2010年1月 6日 (水)

私の好きなミュージシャンたち~葉加瀬太郎

      

 『情熱大陸』の音楽で世間をあっと言わしめた葉加瀬氏。何時聞いても元気になれます。

 4歳からヴァイオリンを習い始め、東京芸術大学の学生で結成された『クライズラー&カンパニー』の中心人物として音楽界に登場。クラシックやポップスといったジャンルの垣根を越えて、壮大で心地よい音楽で人気を博しますが、1996年に解散。その後、作曲家・ヴァイオリニストとして高く評価され、アート・リンゼイ・プロデュースより『atashi』(1997年)でソロデビューを果たしました。1996年10月からのセリーヌ・ディオンのワールドツアーに参加し注目を浴びるようになりました。
 
 ジャズやボサノヴァ、ラテン、その他様々な民族音楽をクラシックと溶け込ませたような楽曲を奏でる。 また、打ち込みの音と生音とを組み合わせた楽曲を手がけ、新たな音世界を形成しました。これが聴いていて斬新なのでしょうね。私の求めている音はこれかもしれない!と思った程です。

主だった曲は
ドラリオン(シルク・ドゥ・ソレイユ) 『Time Messenger』
スーパーニュースアンカー 『Beyond the Sunset』(演奏は功刀丈弘)
情熱大陸(毎日放送)OP『情熱大陸:』、ED『Etupirka』
ファイナルファンタジーXII(スクウェア・エニックス) ED:交響詩『希望』
全日空イメージソング 『Another Sky』
新生銀行イメージソング 『COLOR YOUR LIFE』
やじうまプラス (テレビ朝日) 『陽の当たる家』
ぐるり日本鉄道の旅 (BS日テレ) 『アフタヌーン・ブリース』
なんばパークスイメージソング 『Loving Life』

などテレビの主題曲が目白押しです。テンポのよさ、ノリのよさ、体中で表現するエンタテイメント性、生で聞けたら踊リ出してしまいそうですよね。でもじっくり聞かせてくれる曲もあってどちらも甲乙つけがたいんです。

彼自身の結婚式でずっとヴァイオリンを弾いていたそうです。奥様はあっけに取られていたそうですが・・・でも好きな事に夢中になってるって素敵ですよね。

映像音楽と言う新しいジャンルで活躍し進歩し続けるミュージシャンに喝采を!!

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2010年1月 4日 (月)

 私の好きなミュージシャン~加古隆編

     

 加古氏の『パリは燃えているか』『黄昏のワルツ』は何度聴いたことでしょう。それから色々聴き始めたミュージシャンの一人です。

 幼少の頃からクラシックピアノの訓練を受け、作曲を東京芸術大学・大学院、パリ国立音楽院で学んだ加古氏。オリヴィエ・メシアンに師事し現代音楽の作曲家への道を歩むのですが、その一方で、パリ時代にフリージャズ(=即興演奏)に傾倒する、という音楽遍歴を持っています。これらの体験が、彼の生み出す音楽の根幹を成しているのでしょうね。
 

 『クラシックに根づく美しい旋律とハーモニー』『現代音楽の斬新な感性』ジャズの持つ即興性とリズムその全てを包含し、ジャンルにとらわれない独自の音楽スタイルを築きました。
 自身の作品によるコンサートは世界各国に及び、オリジナルアルバムは50作品を超えます。シンプルで繊細かつ壮大なメロディーと、ピアノから紡ぎ出される透明な音の響きから、『ピアノの画家』と称されるようになりました。

 1977年、NHK土曜ドラマ「松本清張シリーズ」で初めて映像音楽を手掛けて以降、映像音楽の作曲家としての活動も盛んになりつつあった加古氏は、1995年にNHKスペシャル『映像の世紀』の音楽を担当したのを機に、映像音楽の第1人者としての地位を確立。(以降、葉加瀬太郎氏やゴンイチチ、羽毛田丈史が浮上するようになります。)
 

 膨大な量の映像と番組の重厚なテーマを支えるべく、1年以上の時間をかけて誕生した、約100曲にも及ぶ『映像の世紀』の音楽には、テーマ曲『パリは燃えているか』のみならず、『睡蓮のアトリエ』といった代表作も多数存在します。番組の終了後にはNHKに音楽に関する問い合わせが殺到。

 『ノルウェーの森』(1994)は加古さんの音楽を、「他のニューエイジ系のミュージシャンと識別する大きな特徴として、加古さんの音楽の持つ強い求心性があげらるのではと思っています。ニューエイジは、時に"ヒーリング・ミュージック"とか"癒しの音楽"と呼ばれて、誘眠音楽とイコールみたいな受け取られかたをされているようだけれど(そういう面もあると思いますが)、加古さんの音楽を聴いていると、逆に精神が冴えてくるような気がします。特に、このアルバムの『永遠の流れ』に加古さんに求める全てがあると言っていい」と言う声もあります。

 また、『オリジナル・サウンドトラック』発売から5年後の2000年に、オリジナル・サウンドトラック第2弾とも呼ぶべきアルバム『Is Paris Burning』がリリースされたことなどからも、これらの音楽が世間に及ぼした影響の大きさを推し量るこができますよね。。1997年に『ドキュメントにっぽん』の音楽を担当し、翌1998年に担当した映画『he Quarry(邦題:月の虹)』では最優秀芸術貢献賞を受賞。この間に、声楽とピアノとの共演によるアルバム『予感~アンジェリック・グリーンの光の中で~』のほか、『静かな時間』を発表。1999年ツアーをブラジル・アルゼンチン・チェコ・ハンガリー・フランスで開催し、第2回能登国際音楽祭にも出演。2000年には『にんげんドキュメント』から、『黄昏のワルツ』が誕生するほか、演奏時間50分を越える大作『組曲《映像の世紀》』が発表され、その繊細な音に心が揺さぶられる思いをしたものです。 
 

 さらにこの年には、映画『式日』の音楽も担当し、第3回能登国際音楽祭に出演しました
 2001年に映画『大河の一滴』の音楽を手掛け、翌2002年には映画『阿弥陀堂だより』の音楽で、第57回毎日映画コンクール「音楽賞」及び第26回日本アカデミー賞「優秀音楽賞」を受賞。
 2003年、フジテレビ系で放送されたドラマ『白い巨塔』の音楽を担当。エレキギターを用いた斬新な音楽で、大きな話題を呼びましたね。
 2005年にはNHKスペシャル『日本の群像 再起への20年』の音楽を担当。バブル崩壊後の日本経済の荒波の中を懸命に生きる人々の、苦悩と決意を託した「虹が架かる日」は、代表作のひとつとなりました。
聞き覚ぼえのある曲は、CFの
   「ポエジー」(収録アルバムは「代表作」の項目参照):ニッカウヰスキー(1985年)
     「ジブラルタルの風(マンドリン・ヴァージョン)」:カネボウ「デナリ」(1992年)
     「一つの予感」:「ホンダ・レジェンド」(1997年)

 心に触れるさまざまな印象を映した一曲一曲から、ある予兆に近い香りが醸し出される。音楽は夢や感情移入のきっかけをつくるが、その先は導かない。人々がそれぞれの体験や記憶の中で次なるものを感じてゆく。
             アルバム「水の前奏曲」より/ 加古隆

ジャンルを超えた音の楽しさ、美しさに出会えたような気分です。

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2010年1月 1日 (金)

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。

今年も少しでも楽しめるブログにしたいと思います。

三が日はお休みしますが、また新たな気持ちでやっていきたいと思います。

とっつき難いと思われている方が多いと思います。        Tihiro02

もっと工夫を凝らすよう、努力いたしますので、

宜しくお願い致します。

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