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2010年1月28日 (木)

歌に捧げた人生『本田美奈子』

 アイドル歌手だった美奈子ちゃんが本格『ミス・サイゴン』に約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた時は、正直驚きました。
 でもミュージカルやクラシカル・クロスオーバーへの進出をした時、彼女の歌唱力が評価されたことを喜ばずにはいられませんでした。

 私は美奈子ちゃんがアイドル時代から好きで、「マリリーン!!」とへそだしルックで腰を振っていても、何ていやみの無い、唄の上手な女の子として応援してきました。

 『ミス・サイゴン』での体当たりな演技も「私は演技がヘタだから」と言っていてことなど忘れさせてくれる程素晴らしいものでした。                   

まさか白血病だなんて・・・

 1986年には、ロンドンを訪れて、ブライアン・メイのプロデュースによりシングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」を制作。美奈ちゃんは武道館でのコンサートでフレディ・マーキュリーの「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」をカバーしており、このコンサートのライブ盤とデビューアルバムをロンドンEMIを通じてメイに送ったところ、彼の方から申し出がありコラボレーションが実現しました。シングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」は翌1987年に発売され、英語版もイギリスをはじめヨーロッパ20箇国でリリースされたのです。

 ボンド企画が手がけた縁で1987年に彼女とのジョイントコンサートを行い、ジャクソン・ファミリーとも親しくなった。ロサンゼルスのマイケル・ジャクソンの自宅にも招待され、彼らのスタッフのプロデュースにより全曲英語詞のアルバム『OVERSEA』を制作。このアルバムはアメリカでも発売されました。
 またこの年の7月にはジャマイカを訪れスライ&ロビーのライブにゲスト参加し、「HEART BREAK」と「EYE言葉はLONELY」を歌いました。

このようにデビューから数年後には海外ミュージシャンとのコラボレートは本田の歌手活動の際立った特徴ともなっていったのです。

ロックバンドを結成したこともありましたが、不振に終わり、少なくとも商業的には成功したとは言えず、1989年秋に解散してソロに戻った後も人気は回復しない時期がありました。彼女にとってこの頃は最も苦しい時期で、自身「歩いてきた道が突然、ガケっぷちになって行き止まりになっていた」と回顧しています。

それでも歌へのこだわりの強い美奈子湖ちゃんはバラエティー番組への出演を断り続け、ドラマや映画の仕事も最小限に絞っていました。

東宝のプロデューサー、酒井喜一郎から『ミス・サイゴン』のオーディションの話を聞かされた時も初めは関心を示しませんでしたが、全編歌で構成されたミュージカルであることを知ると目の色を変えて意欲を示すようになったそう。

1990年秋に始まったオーディションの選考は数ヵ月にわたり、翌1991年1月13日にキム役に決定すると3月以降の全ての予定をキャンセルして公演に備えました。開幕にあたっては「私は舞台では、演じないからね。生きるからね。強く生きてみせるからね」と抱負を語っていたそうです。

 2000年前後にはクラシックへの志向を強めていた彼女ですが、本格的にクラシックの楽曲を歌うようになったきっかけは2002年8月31日に東京オペラシティコンサートホールで開催された『グラツィエ・コンサート』でした。
 クラシックの楽曲を現代人に受け容れやすいスタイルで歌える歌手を探していたコロムビアのプロデューサー、岡野博行氏はこのコンサートに足を運び、終演後に楽屋を訪れてアルバムを制作することを申し入れた。元よりそうしたアルバムの制作を望んでいた美奈ちゃんは即座に快諾し、企画が進行することとなった訳です。

 『ミス・サイゴン』以来の本田の恩師である岩谷時子さんが日本Tensi004 語詞を書き下ろし毎回歌入れに立ち会って、場合によっては言葉が旋律に乗りやすいようにその場で変えるなど全面的にサポートし、編曲は井上鑑氏が担当。

井上氏を起用した理由について岡野氏は、のめり込み過ぎない一歩引いたクールさがあり、ホットでのめり込みやすい美奈ちゃんとのバランスが絶妙だろうと考えたと述べています。

 翌2004年11月25日には2枚目のアルバム『時』が発表され、没後に公表されたものも含めるとアルバム2枚強の音源が制作されました。そこ
に共通する考え方は、クラシックの名旋律を歴史的背景にとらわれず現代の感覚で歌うこと、しかし決して奇を衒うのではなく素直に楽曲の素晴らしさを大切にするということで、特にこだわったのは日本語で歌うことでした。こうしたクラシカル・クロスオーバーでの活動により、美奈ちゃんは従来のファン層とは異なる新たな聴衆からの支持を獲得したのです。

 彼女は音楽学校などで声楽を学んだ経験はありません。でも、ミュージカルに出演するようになってからは山口琇也氏や岡崎亮子さんのレッスンを受け続けました。

 特にオペラへの出演経験もある岡崎の指導はクラシカル・クロスオーバーへの進出に大きな影響のあったものと思われます。岡崎さんは最初に会った時彼女のあまりに華奢な体つきに不安になったそうですが、背中をさわってみるとしっかりとした筋肉がついていたので大丈夫だと確信したと言います。

1994年発表の「つばさ」には後半に10小節にわたって声を伸ばすロングトーンがあるのですがが、この伸びやかな声を支えていたのはその強靭な背筋だったのです。

 舞台には歌の神様がいると話し、いつも出番の前には舞台の天井を見上げて祈りを捧げていた美奈ちゃん・・・

  • 彼女の療養中に発売されたミニアルバム『アメイジング・グレイス』 のラTensi002イナーノートには手書きのメッセージを寄せ、次のように述べていいました。

『私は今まで、歌と一緒に歩んできました。…私の歌が皆さんに、歌の素晴らしさを伝えることができるよう... 1人でも多くの方の心が豊かになれるよう... という願いを込めて これからも、歌い続けたいと思います。』・・・

 38歳の若さでの急逝は社会に衝撃を以て受け止められました。彼女の遺志により朝霞で行われた通夜にはファン・関係者合わせて2700人、告別式には3700人が参列。彼女の早世を惜しむ声は絶えることがなく、没後に新たにファンになった人も多く彼女の公式ファンクラブは多数の要望により没後も存続することになりました。

 私にはまだ、テレビで流された闘病中の言葉、『たけしさん、助けてください。』が心に残っています。そしてあのアメイジング・グレースの歌声も。

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コメント

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投稿: Pharmd552 | 2014年4月26日 (土) 01時23分

アリファティック さん、こんばんわ。気が付かなくてごめんなさい。
そうでしたね、クラッシックお好きでしたものね。
紆余曲折がありながら最後はクラッシックに行き着いたこと、私は喜んでいたのですが、あっという間でした。

アリファティック さんには辛いお話になってしまってすみません。その上、お友達まで急性白血病だなんて・・・

健康であることに感謝しなければ、バチがあたりますね。

頑張れなんて簡単に口に出来ませんが、どうかお友達もアリファティックさんもお身体ご慈愛くださいね。またお祈りしています。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月30日 (土) 18時54分

本田美奈子さんに接したのは彼女がこの世を去ってからでした。
私はクラシックが好きで、私自身もオペラやカンツォーネを歌いますが、そんなことから最初に接した彼女の歌もクラシックでした。
透明で伸びやかな歌声、決してオペラ歌手のような圧倒的な力強さを持っているわけではありませんが、妖精の舞いのような世界を聴かせてくれました。
タイムトゥーセイグッバイ、好きな歌のひとつです。
彼女が歌うこの曲が私の着メロになっています。
生きていたかったでしょう、歌い続けたかったでしょう。
そして彼女に作詞を提供した岩谷時子さんも、越路吹雪についで本田美奈子も失い辛いことと思います。
久しぶりに連絡のあった友人も急性白血病と闘っています。
不思議なえにしを感じました。

投稿: アリファティック | 2010年1月30日 (土) 13時00分

しのぶさん、わざわざお越し頂いて恐縮です。リンクの件、ありがとうございます。早速貼らせて頂きます。
 しのぶさんは歌手のご経験もあるのですね、素晴らしい。
それこそマルチな才能を持っていらっしゃって女性の私からみても「しのぶ様」と呼びたくなる魅力があって羨ましいです。あ、お話が脱線してしまいました。
美奈子ちゃんのような妖精を天使に召されるなんて酷すぎますね。骨髄の提供についてもっと考えなければいけないのだと思います。
  ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月29日 (金) 10時12分

 おはようございます。
 コメントありがとうございました。リンクの件、とっても嬉しいです。わたくしのほうでも貼らせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 本田美奈子、「たけしさん、助けてください」はわたくしも観ていました。
 本当にすばらしい歌手を失いましたね。彼女のアメイジング・グレイスは、わたくしも大好きでした。
 マリリンのときから観ていましたが、晩年の彼女の声は、声量も音幅もあり、感情豊かなすばらしい歌手でしたよね。
 わたくしもしがない歌手をしていたことがあるので、ロック、ポップス出身の歌手が、マルチ歌手になるのがとても大変だというのはわかります。
 ポップスでは、個性を大事にしないと売れないので、癖を捨てずに得意分野だけを伸ばすのですが、マルチ歌手はなんでも歌えなければならないので、転向するにあたってまずやるのが、それまで培ってきた得意分野の癖を捨てるところからになるのです。
 彼女は、自分の個性とマルチとしての多彩性をとてもうまく融合させたと思います。
 
 やさしくやわらかく、それなのに揺るがない強さを感じる、彼女の素敵な歌。
 本当に残念ですよね。

投稿: 酒井しのぶ | 2010年1月29日 (金) 08時59分

おりえさん、こんばんわ。
最後の渡辺謙さんの言葉が、気になります。

 本当に芸能界も今は境がなくなり、えっ、あの人もバラエティに?と違った面を見られるのはいいけれど、せめてトーク番組で留めてほしいと思う今日この頃。美奈ちゃんは崖っぷちにたっても決して自分に信念を曲げず、それどころかクラッシックにまでたどり着いたことはファンとして嬉しかったものです。

 舞台には歌の神様がいると話し、いつも出番の前には舞台の天井を見上げて祈りを捧げていたと聞いて彼女の純粋さが現れていると思いました。本当に歌を愛していたのですね。
詩人岩谷時子さんとの出会いもいい出会いだったと思います。越地吹雪さん、亡き後岩谷さんは美奈ちゃんのような人が現れることをずっと待っていたのではないかと思います。
 早すぎる死にかけてあげる言葉もまだ見つかりませんが、史上に残って欲しいです・・・
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月29日 (金) 03時13分

 とこさん、こんばんは!!!

>>「マリリーン!!」とへそだしルックで腰を振っていても、

あああ~懐かしいです。憶えていますよ、とってもキュートでしたね。
 当時のアイドルとしては歌が上手い方で初期の曲は名曲が多かったので私も好きでした。
 テレビでお見かけしないなあと思っていたら、若すぎる訃報を聞いてびっくり致しました。

>>女にとってこの頃は最も苦しい時期で、自身「歩いてきた道が突然、ガケっぷちになって行き止まりになっていた」と回顧しています。

 芸能界というのはそういう所なんでしょうね。アイドルは若くして名声を得るから余計にその後に苦境に陥った時に苦しまれるのだろうと思います。

 こちらの記事を読んで本当に歌が好きだったんだなあと思いました。芸能界という場所で生きていくのなら色んな道もあったでしょうにそうではなく歌を歌い続けられた所が凄いと思います。
 早すぎる死は本当に残念ですね。

 本田美奈子さんが亡くなられて渡辺謙さんにインタビューした記事を読みましたがそれが印象深かったのを憶えています。渡辺さん自身も白血病で今は治されて俳優業を頑張っていらっしゃいますがその言葉にとても思いを感じました。

投稿: おりえ | 2010年1月29日 (金) 00時57分

KOZOUさん、度々すみません。足跡にメッセージを残しておきました。暇な時でも、読んでください。

投稿: とこ | 2010年1月28日 (木) 10時29分

KOZOUさん、こんにちわ。先程はありがとうございました。
本当にあの細い体のどこからあんな天使のような声が出たのでしょうね。アイドル時代より、より洗練された歌声は外国まで行って色んなものを吸収してきたのだと思わされます。それにKOZOUさんの言うようにお母様への愛が、歌になって心打つものになった気もします。なんだかまだ何処かで歌っているようで、亡くなられたことを信じたくいない気持ちと「たけしさん、助けてください」と言った声が入り混じって複雑な気持ちです。でもクラッシックを身近にしてくれた、本当にこれは立派な功績ですよね。
「アメイジンググレイスはまさに彼女の祈りの歌ですね。」と言ってくださりとても嬉しく涙が出そうです。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月28日 (木) 10時21分

茶々君のご主人様、来ていただけて光栄です。
私も大好きだったので、悔やまれてなりません。
でもこの歌声と映像は何時の時代になっても残っていって欲しいですね。
奥様もアメージンググレース、お好きなんですね。特集を組んでくださるなんて素敵じゃないですか!!
天国でも歌っていて欲しいですね、きっと耳を澄ませば聞こえるような気がします。泣き言言わない彼女が「助けて」と言った言葉、歌と共に思い出すのかと思うとつらいですけど。
 生ある私たちが精一杯生きなくちゃ、そしてご主人様の言うとおり感謝しなければいけませんね。
 また一緒に頑張りましょう!!!
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月28日 (木) 09時56分

おはようございます。
こちらだいぶ雨が降りました。

お~~本田美奈子さん、アメージンググレイスは大好きです。
ほんとに細い体ですごい歌唱力ですね。
彼女が療養中のドキュメンタリーを見たことがありますが、ほんとに心の優しい人だったようですね。
お母さんとの交流が悲しかったです。
記事を読んでもほんとに歌にこだわった人なのですね。
しょうもないバラエティを断り続けて、立派です。
クラシックをほんとに親しみやすくしたのは功績ですよね。
「歩いてきた道が突然、ガケっぷちになって行き止まりになっていた」苦しい道のりもあったのですね。
最後の「たけしさん、助けてください」実に痛々しいですね。
もっともっと歌いたかったでしょうに。
アメイジンググレイスはまさに彼女の祈りの歌ですね。

心から冥福を祈ります。

投稿: KOZOU | 2010年1月28日 (木) 09時55分

へそ出しのマリリンの人と
あのきれいな歌声でアメージンググレイスの人が
一致したのは、追悼番組でした。
かあちゃんがいろんな人のアメージンググレイスを
特集してくれたんですが、
本田美奈子さんのが一番好きです。

なにもこれまで罪を犯していない彼女を
あの年で、これからだという時に
神様は召されたのか?
とっても残念でした。

でも、私の心にもアメージンググレイスの
すばらしい歌詞と偉大な歌手の存在は
永遠に残っています。

生きていることへの感謝は
忘れてはいけませんね。もっと
役にたたねばと反省です。

今日は和顔施で過ごします。
ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2010年1月28日 (木) 09時07分

スイーツマンさん、おはようございます。
え~、生美奈ちゃんを観たのですか~羨ましい!!!
可愛いですよね、いくつになっても可愛かったです。
歌を愛し、決してバラエティなんかには出なかった
その姿勢は歌手本田美奈子を貫いたと言う点でとても評価しています。若すぎる死にご冥福を祈ります。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月28日 (木) 07時57分

本田美奈子

デビュー当時
新宿高層ビル裏の小さな公園で唄ってましたね
学生時代の寮生活で同じ部屋の住人が
「大型新人がでるぞ。ビデオカメラを貸してくれ」
といっていたので、ついていきました
雨の日でやたらまたされました
可愛いこだなあと思っていたら大スターになっていました
ご冥福をお祈りします

投稿: 狼皮のスイーツマン | 2010年1月28日 (木) 07時27分

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