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2010年1月29日 (金)

暗い影『海と毒薬』

 評論家の山本健吉氏は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」と言っています。

太平洋戦争末期、米軍捕虜八名を生体解剖した事件を二人の研究生の目を通して描いています。
本当に暗い海と、対象的な二人の研究生の姿が印象的でした。

 映画のあらすじは、昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、九州F市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。
 F帝大医学部研究生、勝呂と戸田の二人は、物資も薬品もろくに揃わぬ状況の中で、なかば投げやりな毎日を送っていた。

だが勝呂には一人だけ気になる患者がいた。大部屋に入院している“おばはん"である。助かる見込みのない貧しい患者だった。「おばはんは、おれの最初の患者だ」と言う勝呂を、リアリストの戸田は、いつも冷笑して見ていた。そのおばはんのオペ(手術)が決まった。

どうせ死ぬ患者なら実験材料に、という教授、助教授の非情な思惑に、勝呂は憤りを感じながらも反対できなかった。当時、死亡した医学部長の椅子を、勝呂たちが所属する第一外科の橋本教授と第二外科の権藤教授が争っていたが、権藤は西部軍と結びついているため、橋本は劣勢に立たされていた。

 橋本は形勢を立て直すために、結核で入院している前医学部長の姪の田部夫人のオペを早めることにした。簡単なオペだし、成功した時の影響力が強いのだ。ところが、オペに失敗した。手術台に横たわる田部夫人の遺体を前に呆然と立ちすくむ橋本。

橋本の医学部長の夢は消えた。おばはんはオペを待つまでもなく空襲の夜、死んだ。数日後、勝呂と戸田は、橋本、柴田助教授、浅井助手、そして西部軍の田中軍医に呼ばれた。B29爆撃機の捕虜八名の生体解剖を手伝えというのだ。二人は承諾した。

生体解剖の日、数名の西部軍の将校が立ちあった。大場看護婦長と看護婦の上田も参加していた。勝呂は麻酔の用意を命じられたが、ふるえているばかりで役に立たない。戸田は冷静だった。

彼は勝呂に代って、捕虜の顔に麻酔用のマスクをあてた。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたった。

その夜、会議室では西部将校たちの狂宴が、捕虜の臓物を卓に並べてくり広げられていた。その後、半月の間に、次々と七人の捕虜が手術台で“処理"されていった。(goo映画より)

 この小説はフィクションとして書かれていますが、「捕虜に対する生体解剖実験(九大生体解剖事件)」と言うのは戦時中、実際に起きた事件です。作者の遠藤周作氏は、その事件に着想を得てこの「海と毒薬」を書いたようです。

 原作は信仰心はあるのに実質的に神の存在というものが無いTadanori004 日本人と、キリスト教の教えを対比していますが、映画の中でその部分は薄くしか感じ取れません。熊井啓氏は、宗教的な相違に焦点を当てるよりも、生きている人間を組織や状況の中で致し方なかったとはいえ、実際に生きている人間を解剖してしまうその人間の強欲、エゴ、そういった部分に焦点を当てて脚本を書いたと思われます。

 この映画は1986年の作品ですが白黒です。それがなおさら物悲しいものに仕上げています。私は映画の前半はあまり記憶がなく、ただ、研究生の勝呂(奥田瑛二 )の気の弱い性格と、戸田(渡辺謙)の物怖じしない性格の二人が暗い海辺で、生体解剖をするにあたり、苦悩する姿は忘れられません。白い巨塔宜しく教授争いなどというものが絡んでいた為に生体解剖というとてつもないことに直面するのです。
  

 まさに人権を無視したエゴであり、強欲です。そしてその様子を記者らしき人々が群がって写真を取り捲るシーンは、これが戦渦の実態なのかとおぞましくさえ思えました。

 戦争で人を殺しても非難されなかった時代、生体解剖で人を殺すことだけが悪いといえなかった背景もあったでしょう。人間の本性、理性という仮面を一旦取ってしまえば人間はこんな残虐な行為まで行えるのです、そしてそれを知性で正当化しようとする。

 確かに「戦争」と言う異常な状況が彼らを狂わせたとも言えるのかも知れませんが、この物語で私が感じたのはやっぱり「戦争」の恐ろしさより「人間」の恐ろしさでした。戦争という背景と、結核治療の進歩が必至であった背景とを合わせてみても、生体解剖は誤った方向を向いていたとしか思えな思えません。

 一番手術のシーンがリアルに描かれています。輸血の代わりに食塩水を注射することがどこまで可能か、といった残酷な実験が戦争の名のもとに平然と実行されていく恐ろしさを、二人の青年医師の目を通して問いかけています。医学研究生の勝呂は、米軍捕虜の生体解剖に参加させられてひどく苦悩し、良心の呵責に苦しみます。それとは対照的に、戸田は良心の呵責にこそ苦しまないものの、人間的な感性が欠如しているのではないかと悩み、勝呂と対立。

 自分の無力さと、医師の使命という思想を裏切られた空虚をもって勝呂は描かれています。そして、舞台が「誰も彼もが死ぬ時代」であるということも空虚の影を色濃くしているように感じます。空虚を抱えているのは勝呂だけではありません。登場人物たちの独白はそれぞれが抱えている空虚を吐露しています。女としての機能を失い、誰からも必要とされないと感じている看護婦の空虚。自分には「良心」がない、と感じる戸田の空虚。そこにあるのは、感情の放棄と諦めだと思います。

 遠藤氏は小説で、倫理的な規範を根本的な原理に入れているキリスト教と異なり、成文的な原理が無く、集団心理と現世利益で動く日本人の姿を描いています。登場する人体実験に関わった勝呂医師や看護師らは、人格的に元々問題のあるような人間ではなく、どこにでもいるような標準的日本人です。彼らは誰にでも起き得るような人生の挫折の中に居てその時たまたま、この人体実験に呼びかけられたのだと。

 クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずですが、そうではない日本人は抑止させる原理が無く、あるいは周囲の人間の行動に自己の行動を合わせようとする日本人の持つ行動原理に従い参加してしまう・・・作品の初期に登場する中国で殺人・強姦を犯してそれをあっけらかんと話す元日本兵などは、恐らくその日本人の持つ行動原理の負の一例として過ぎ去る様に登場させていると思われ、最後に実験に参加してしまう勝呂達の行動を予感させていますね。

 ただラストのシーンで、橋本(田村高廣 )が解剖室のドアノブに手をかけ、躊躇するシーンは救いなのかなと思わされました。

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コメント

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投稿: cheerleader porn | 2016年7月 6日 (水) 10時59分

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投稿: underwater | 2016年6月 3日 (金) 15時00分

Im grateful for the article.Much thanks again. Want more.

投稿: argentina | 2016年2月 1日 (月) 22時56分

アリファティックさん、こんにちわ。お加減悪いのに来てくださってありがとうございます。
遠藤氏が悩んだ気持ち、とてもよく解ります。実は私もクリスチャンなので、こういう作品を取り上げることは少々抵抗がありました。でも矛盾と向き合わなければ何も解決出来ないと思い、あーだこーだと考えあぐねています。
でも、アリフィティックさんのいうように無信仰だから残忍なのだとは私も思いません。では何故戦争をするのか・・・今の私には答えられません、悲しいけれど。
KOZOUさんも言ってましたが、私たち一人一人がいかに強くなれるかなのかもしれません。救いが無いと思うのは悲しすぎます。希望を持ちたいです。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月30日 (土) 18時24分

スイーツマンさん、こんにちわ。ご訪問ありがとうございます。

>東アジアでの、食人風習は、戦争に起因しており、憎しみをこめて敵を食らう。
 
 そうなのですか、知りませんでした。スイーツマンさんは何でもご存知で博学ですね、尊敬します。

>凶器を狂気に置き換えても違和感がないですね。

 ほんと、そうですね。戦争というものは人間を狂気にするだけの産物のような気がします。

私ももっと勉強しなければ・・・最近、戦争のことをよく考えます。考えて何かを出来るわけではないのですが・・・

 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月30日 (土) 17時55分

しのぶさん、こんにちわ。ご訪問ありがとうございます。

人間のサガ、そうかもしれませんね。
しのぶさんがもし医学に進んでいたら、やはり探求するのでしょうか。それで医学が発達すのであれば・・・

>科学者というのは、倫理という壁との戦いなのでしょうね。
 そうでしょうね。倫理をどう捕えるかでも違うのかもしれませんが、何をするにせよ、壁はありますね。本当に考えさせられます。
 お忙しい中、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月30日 (土) 17時44分

遠藤周作はカトリックであるが故に、その矛盾に苦しみ悩んだこともあったようです。
彼の言葉に、あいつさえいなければ自分はもっと自由だったのにと語っています(イエスのこと)。
そんな彼から見ると、平時には出来ない狂気的行為を簡単になしえる人という存在は、宗教だけでは語りえないのかもしれません。
日本人は無宗教だと言われます、だから残忍なことが平気で行えるのか。そうではないはず、ナチスもアメリカもソ連もそして世界中の強者だった立場の存在は弱者に対して罪の意識もなく暴挙に出ています。
人の救いようの無い因果なのかもしれません。

投稿: アリファティック | 2010年1月30日 (土) 12時47分

日本における食人カーニバリズムや、縄文時代のはじめにあり、以後数千なかったようです。弥生時代に大陸系の人たちが渡来してきて、「戦争」が輸入されるのですが、目立った食人風習はないようです。
 東アジアでの、食人風習は、戦争に起因しており、憎しみをこめて敵を食らう。という意味があるとのことで、古代中国、近代韓国地域での例をきいたことがあります。
 『孫子』でしたか、「兵は凶器なり」といってます。凶器を狂気に置き換えても違和感がないですね。

 コメントをありがとうございます。

 

投稿: 狼皮のスイーツマン | 2010年1月30日 (土) 12時29分

 こんにちは。
 とってもよく出来ている作品だと思います。
 戦時中という舞台での人体実験、出世やライバルとの競争。
 それらすべてが、最初から最後まで日本人の信仰心というテーマで繋がれていく。
 
 まぁ、生体実験が信仰や習慣のせいで行われたとは思えませんけど。世界中で行われていましたし、いまでもクローンなどの倫理が問われていますしね。
 これはもう、人間のサガだと思います。
 わたくしは、ギターを改造したり修理したりするのが大好きで、自分のはもちろん、友達のギターも材料費のみで改造、修理してあげたりします。
 ブログの改造も好きで、プログラムを独学で読み解いて楽しんだりしていますが、観点が医学に向いたらどうだったのかなと考えれば、人体の謎という意味では人体実験は究極の欲求なのかもしれません。
 
 科学者というのは、倫理という壁との戦いなのでしょうね。
 
 昔テレビで観たことがあるのですが、どこかの死刑囚が自分の死後に体を医学発展に提供することを志願するんです。
 それで、その死体を冷凍して、頭からつま先までスライスするんです。その後こんどはもとに戻して縦にスライス。
 人間の細かな輪切り写真が完成し、医学の発展に大きく貢献したそうです。(現在で言うところのCTスキャンのリアルバージョンですね)

投稿: 酒井しのぶ | 2010年1月30日 (土) 10時43分

KOZOUさん、こんばんわ。
「日本人を動かすのは罪の意識ではない恥の意識だといわれるように対人関係での恥を一番においておれば、人が変われば自分も合わせて変わるわけで、ほんとに絶対の基準がないですね。」それは痛感させられました。中国でも同じことやってますね。相手を人間と思っていない、頭が麻痺してるようにしか思えません。私はクリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うと書きましたが、KOZOUさんの言うように、
ただ神があるはずのアメリカが最も好戦的で神もいざとなれば歯止めにならないと思っている、そうでしょうね。遠藤氏の訴えることはわかりますが、やはり個人が一人でいかに強くなれるjかが最大の問題なのだと思います。でも映画の中でのそれぞれの人物の空虚は日本全体の空虚のように思えます。最後までおびえ続けた勝呂の気持ち、これが本来の人間の姿のようにも映りました。最後に審判がくだされる場面があるのですが、医師も研究生も重い口を開こうとしません。ただ、ただ怯えるばかりです。そこで私は各々が受けるべき罪を改めて感じてくれていたらと願って観ていました。
 日本人の倫理観、今のうちに固めておかないと、同じことの繰り返しになるのでしょうね。
P.S 人間の肉を食べたというくだり、私もそうおぼろげに思い出すのですが、生きた臓器を見ながら大騒ぎで宴会している軍人たちの光景だった気がします。

投稿: とこ | 2010年1月30日 (土) 02時15分

茶々君のご主人様、こんばんわ。
美奈子ちゃんの後にこんなおぞましいお話はと思ったのですが、映画が白黒でしかもかなり前に観たもので書く材料を見つけた喜びと悲しいお話につい・・・。そうですか、相関する人体の生データがそのもとに存在していること自体怖いことですね。私は何故生体実験をしなければならなかったかがよく解っていません。医学の進歩の為なのか、どこまですれば人は死ぬのかを実験の結果で推し量りたかったのか。
臓器ビジネスなどあってはいけないと思いながら、貧しい子供が生活の為にしていると言う事実を聞きなにもいえなくなったのを思い出します。ほんとになんとも悲しいお話でした。
お付き合いくださり、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年1月30日 (土) 01時13分

追記です。
食べたというのはその後の調べでその事実はないようですね。
ショッキングなことでだいぶ広まってはいたのですが。
ただ小笠原島では米軍捕虜を殺して明らかにその肉で酒宴をしています。
南方では飢餓の兵士はいくらでも人肉食をしていますね。

投稿: KOZOU | 2010年1月29日 (金) 23時20分

こんばんわ。
天気はよかったですが寒いです。

この事件は福岡ですからとても身近ですね。
ただ戦後もあまり公には語られなかったですが、小さいころ叔父が九大で捕虜を生体実験して食べたということは聞き、ほんとに恐ろしかったものです。
映画は見ていないのですが原作は読みました。
さすが遠藤周作さん問いかけが根源的ですね。
細部は覚えていないですが原作のテーマは書かれていますように神なき日本人の倫理ですね。
実際はほんとに白い巨塔ではないですが医学部内の争い、出世競争がからんでいるようでほんとにおぞましいですね。
日本人を動かすのは罪の意識ではない恥の意識だといわれるように対人関係での恥を一番においておれば、人が変われば自分も合わせて変わるわけで、ほんとに絶対の基準がないですね。
中国でも731部隊はもっと組織的大量に同じことをやっておりほんとにおぞましいと思います。中国人が未だに日本を許さないのは当然ですね。
少し前の時代のことでありいつまた同じことを繰り返すかわかりませんね。
神なき人間の倫理、ほんとに大きな問題だと思います。わたしはただ哲学的な考察で倫理は絶対確立できると思っていますが、それがどれほど強く広く浸透するかは別問題ですね。ただ神があるはずのアメリカが最も好戦的で神もいざとなれば歯止めにならないとは思っています。
結局人間個人一人一人が以下に強くなるかでしょうが難しいことではありますね。
ユーチューブは何でもあるのに驚きました。

投稿: KOZOU | 2010年1月29日 (金) 23時12分

こんばんは~

生体実験に関連したお話なんですね。化学物質についてのナチスでの致死量データはすごいと思います。
今はラットやマウスのLD値ですが、動物実験も許されない環境で、原生動物からの推測になっています。でも相関する人体の生データがそのもとに存在して、化学物質の安全性が評価されている貢献度をどう評価するのか?

医学の進歩には、避けて通れないジレンマがありそうだと
おもいます。なくなった母の執刀医が切り取った患部を
我々にみせた顔はいまもはっきりおぼえています。

学問を学び追求することと人としての医療の専門家
かならずしも一致しないですよね。

ましてや、臓器ビジネスなど命もお金しだいとは
なんとも悲しいお話です。

投稿: 茶々 | 2010年1月29日 (金) 22時17分

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