« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月

2010年2月28日 (日)

私の好きな俳優たち~萩原健一編

水谷豊世代で欠かす事の出来ないのは萩原ショーケンですよね。色々問題を起こし、俳優活動もままならなくなってしまいまいたが、元々甘えっ子で、結婚生活も『オレ、甘えちゃうから嫌われちゃうんだよね』と離婚後倉本聡氏に話しています。

 でも『太陽にほえろ』のマカロニ役でGS時代とは違うハードな側面を見せてくれたお陰で人気は急上昇。殉職シーンは男の子なら誰もがマネをしたのではないでしょうか。井上堯之、大野克夫らの音楽もまたよかったですよね。

 その後『傷だらけの天使』では当時の若者の風俗に鮮烈な印象を  与え、当時の視聴者のみならず、その後の日本のテレビドラマ界に与えた影響も大きい作品でといっていいでしょう。いまだに伝説的なドラマとして名高く、ファンも多いのです。恩地日出夫、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一ら当時の日本映画界を代表する監督陣が参加し、市川森一がメインライターを務め、毎回豪華なゲストが出演しており、各話の完成度も高いといわれています。これも井上堯之バンドによる軽快なタッチのオープニングテーマ曲も有名で、いまだにテレビCMなどで流用されてましたね。
 水谷豊氏は今でも兄は二人(本当は一人です)だと言っています。

 それから一変して『前略おふくろ様』で東京の下町を舞台に照れ屋な板前の青年を見事に演じてくれました。彼の役の言動は、常に同世代を感化し、『~っすよ』という言葉が溢れていました。川谷卓三ら『ピラニア軍団』を一躍有名にしたのもこのドラマでした。

桃井かおり演ずる海ちゃん、坂口良子演ずるかすみさんも魅力的でした。

 ショーケンは既成の枠組みから完全に外れた強烈な個性と存在感、その圧倒的な感性の鋭さをもって当時シラケ世代と呼ばれた若者の間でカリスマ的な存在となり、以後も『八つ墓村』『影武者』等で演技にも磨きがかかっていきました。特に作家・連城三紀彦氏がショーケンをモデルにしたという直木賞作品を自身で演じた『恋文』(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)など数多くの名演を残し、故・松田優作をはじめ後続の俳優に大きな影響を与えたそうです。

ドラマも『君は海を見たか』『ガラスの知恵の輪』『飢餓海峡』『豆腐屋直次郎の裏の顔』『課長サンの厄年』『外科医柊又三郎』など年齢に応じて変わっていく役もまたたまらなく引きつけられました。
 特に私的には『風の中のあいつ』(1973年)が好きでしたね。たしか主題歌はGS時代に人気を二分したジュリーが歌っていた記憶があります。(今でも歌えます)

 ロックシンガーとしても数々の名曲を残しましたが、俳優としてのショーケンのほうがやはりいいです。

 今後またテレビや映画に出ることがあることを祈り、今年3月に発売された『ショーケン』を読もうと思うのですが、なんだか嫌な予感がるので、買うのが怖いというのが、本音です。
ショーケンは心優しき人なのに・・・いわゆる団塊の世代が生んだ最大のスターの一人ですよね。

| | コメント (10)

2010年2月26日 (金)

藤田宜永『愛の領分』

 夫人はあの小池真理子女史。実は知りませんでした。初期はフランスを舞台にしたフィルム・ノワールを思わせるような犯罪小説や冒険小説を手がけ、その後、主に推理小説および恋愛小説を執筆するようになり、都会的なセンスと人情の機微を描く優れた心理描写で、熟年の愛を描いた『愛の領分』にて第125回直木賞を受賞しました。

 妻に先立たれた仕立屋の淳蔵は、かつての親友高瀬に招かれ「長く患っている妻に会いに来て欲しい」といわれ、高瀬のそのコトバに淳蔵は戸惑いを覚えながらも時間の流れを感じるのです。そして淳蔵が高瀬夫妻に会うために故郷である町Kaii23 を訪ねる事で新たな歯車が動きだします。佳世と出会った淳蔵は年齢差を超えて惹かれますが、過去の事実が二人の恋情をより秘密めいたものにしていくのだったという『愛の領分』。
 

  昔自分を捨てた女は様変わりし、自分を愛した男の記憶だけを頼りに生きていた・・・その醜悪にもみえる高瀬の妻の言動、そして運命の悪戯のように、昔の知り合いの娘である佳世との出会い心を惹かれてしまう・・・妻を亡くした男と男に自殺された過去を持つ女。 
 歳を重ね愛する重さを経験すればするほど、人は臆病になっていく・・・不倫でもないのに秘密の匂いがする、と宣伝文に評されるように藤田氏の書く愛は、奥に潜むこもった体の熱や汗を感じさせます。

 『どんなに立派なものでも、着物に合わない帯がある。帯に合わない着物がある。(中略) そんなふたりを結びつかせてしまったのは、俺だけど、やっぱり、愛にも領分があるって思うんだ』

 この言葉に私はとても惹きつけられました。

  一人息子を育てながら静かに仕立て屋を営む男、友人、その妻でかつての不倫相手、そして友人の元愛人の若い絵描きの女。この4人の愛憎を細かに 綴った作品です。住む世界が違うとか、考え方が違うとか、そういうのではなく、男と女には「愛の領分」があるということを教えてくれた気がします。
 
 紳士服の仕立てという孤独な仕事が丁寧に描かれています。職人気質の登場人物は藤田氏の作品に多く登場しますよね。かつての恋愛相手が病気になり、すさんでいく姿は読んでいて酷な感じがしました。でもこれは「大人の恋の物語」であると同時に「老い」に差し掛かるときの冷静と情熱の狭間で揺れる人たちを良く捕えていると思いました。中年男の静かな情念の描き方は凄いと思います。

 過去の傷も、燃える思いも、晩年を迎えつつある人生の感慨も、静謐な日常の中に閉じこめるだけの抑制があり、大人の恋愛小説として久々にいいと思った作品です。信州の上田が舞台です。塩田平、別所温泉、前山寺等々、「信州の鎌倉」と称される詩情豊かなこの上田の地で、中年男女の密やかな恋が描かれています。

 この時間の長さからYukuaki 推し量ることができるように、淳蔵にとってかの地は不幸な思い出をもった場所でしたが、そこで画家の佳世との中学生の時以来となる出会いをきっかけに、物語が動き出します。お互いに秘密を抱えながらの不安定な交際。静かに燃える二人の姿は、落ち着いたたたずまいのこの町と見事に調和していました。

 作家の渡辺淳一が直木賞の受賞に際して『文章につやが増してきた。久々に正統な恋愛小説家が現れた』と評したと言われています。

 孤独な日々を送る男と女が偶然出会う。25年ぶりの再会が、お互いの危うい過去を明らかにしていきます。許すこと、忘れること・・・登場人物たちの苦悩と官能が、軽井沢の美しい自然を背景に繰り広げれます。大人の愛情模様を描いたものなのに老いていくことも辛さのほうが前面に出てしまって辛くなってしまう場面も多々ありました。

 長い時間の流れの中に横たわる深い男と女の情愛や嫉妬を,丁寧な構成と柔らかい言葉、そして時に情熱的に描かれてる、これは妻の小池さんの影響もあるのかと考えさせられました。

 自身の小説について、『女性の描き方が現実的で、女の人に対する ファンタジーがない』と自己分析する藤田氏ですが、『愛の領分』は何よりも淳蔵という得恋の五十男がとてもとく書かれていると思います。

 独特の世界に生きる人間ならではの、価値観、喪失感、切れ味の良い決断が小気味良く伝わってきました。青春を通り過ぎたものだけが知る愛の哀しみを描く作品だと思います。

| | コメント (8)

2010年2月22日 (月)

松浦寿輝『花腐し』

『花腐し』が芥川賞受賞作の松浦氏。

 書のタイトルにもなっている『花腐し』とは、万葉集の和歌である「春されば卯の花腐し・・・」からとったもの。せっかく咲いたきれいな花をも腐らせてしまう、じっとりと降りしきる雨のことを表現しているといいいます。そして、その和歌が示しているように、本書の中には多くの水のイメージ・・・というよりも、絡みつくような湿ったイメージと、そこから湧き上がる腐敗のイメージがあります。

 同棲した祥子の死から10数年、栩谷は、友人と作ったデザイン事Shagaru018 務所が行き詰まって倒産に追い込まれ、礼金ほしさに、多国籍な街、新宿・大久保のアパートで一人頑張っている伊関の立ち退き交渉に行きますが、したたかな伊関に誘われてビールを飲みながらついつい話し込むことになってしまいます。部屋には少女が眠っていて、伊関は幻覚作用のあるキノコを売っているらしいのです。。キノコの腐臭に酔った栩谷は、少女と交わり、祥子に似た姿を見かけるのです。生死の境が溶けていくような妖しさを、男の現在と過去とを重ね合わせ、その精神の彷徨の一夜を雨の中に描いた、古風で知的な文体の小説です。

 祥子との関係について、栩谷は次のように言います。「そうか、とだけ呟いて黙ってしまった俺の冷たさに祥子はきっとひどく傷ついたのだ。あの『そうか』、一つをきっかけに俺たちの関係は腐りはじめたのだ。腐って、腐って、そして祥子は死んで、俺の方もとうとうこんなどんづまりまで来てしまったということなのだ」。

「40代も後半に差し掛かって、多かれ少なかれ腐りかけていない男なんているものか。とにかく俺の会社は腐ったね。すっかり腐っちまった」と言うと、伊関が「卯の花腐し・・・」と呟きます。「春されば卯の花腐し・・・って、万葉集にさ」と言います。

「卯の花腐し」は、陰々と降り続いてウツギの花を腐らせてしまう雨のことを言うそうです。卯の花月、すなわち陰暦4月の季語です。あたりの腐臭を立ちこめさせる「卯の花腐し」には、ひたすら陰気な鬱陶しさしかありません。今の日本にはそうした雨がじくじくと降り続いているように思われると、松浦寿輝は言います。確かに「花腐し」は、廃屋寸前の木造家屋やら、蒼い光の中で栽培されるキノコやら、幽で甘い時代の腐臭に覆われています。

腐るという感覚の中に、この主人公の過去の風景が混濁していく。それは、同棲相手の女性とのささいな思い出であったり、幼い日の心象風景であったりと、正に詩人的な感覚で語られています。

 著者は、現役の東大大学院総合文化研究科教授でもあり、古井由吉選考委員は、「東大も変質した、東大教授になっても、やっぱり往生できないんでしょう。」と、冗談交じりに話したそうです。

 本書の中では、常に雨が降りつづいています。伊関という陰気な男が居座っている古びたアパート、春をひさぐ女たち、近代的な高層ビルや、その影の中にひっそりとたたずむ繁華街、そこに渦巻くさまざまな人間の情念、そして栩谷という名の、くたびれた中年男そのもの・・・
  そのすべてを腐らせようとするかのように、そこにあるのは徹底した負のイメージ、けっして何ものも生み出Sag21 すことのない、自然からかけ離れた世界のイメージですが、面白いことに、人工物によって築かれた世界のなかで、ただひとつ、降りしきる雨のみが自然の産物なのですね。

 言葉を発明し、自分たちの文明を発展させていった人類は、実に様々なものをつくり出し、そのことによって豊かな社会を築いてきたと信じてますが、私たちが生み出したものは、何も目に見えるものばかりではなく、目に見えないもの、実体のないもの・・・たとえば時間、感情、意識や無意識、心といったものにもわざわざ名前をつけ、あたかもそういったものが存在するかのように思い込んでいるのかもしれ無いと思いました。

 立ち退きを迫る栩谷をアパートの中に招き入れた伊関は、そうした人間が名付けたものたものを『怪異なお化け』と呼んでいます。私たち人間が生み出したものに、いったい如何程の価値があるのかと問うている気がします。

 私たちは自然によって生み出されたものを真似て、造花をつくり、犬や猫そっくりのロボットペットをつくることはできるようになりましたが、それらは結局ところ、本物を超えることのできないのだと。

たったひとつ、私たちが生み出すことのできる生命の奇跡・・・自分たSag19 ちの分身でもある子供は、しかしこの日本においては徐々に出生率が減少しており、それ以前に行なわれる性の営みさえ、人間は古くからひとつの商品、娯楽として切り売りすることを暗黙に了解しているのではないでしょうか。

 自然の中で生きることを拒否し、経済という目に見えない約束事、亡霊のような存在にがんじがらめにされてしまった私たちの姿は、たしかに伊関が言うとおり、すでに亡霊の仲間入りを果たしてしまった存在なのかもしれません。

 本書に治められているもうひとつの作品『ひたひたと』は、その亡霊の存在をより前面に押し出したもので、時間の概念から解放された人の記憶の残留・・・澱のように沈殿している影の部分がさまざまに変化しながら、何者でもないものとして物語を語る、という構成になっているようです。

 澱・・・私にとっても永遠のテーマです。いつまでも澱の中にいてはいけない、澱の中から今私達がすべき事・・・澱のなかではなく川の様に流れ、水の中でころがることが必要なのではないのか・・・

『転がる石にはコケはつかない』そんなことを考えました。

| | コメント (11)

2010年2月20日 (土)

小椋佳 『40歳からの青春』

 私はまだ小学生の時から小椋さんの歌に惹かれていました。初めて聞いたのが『大いなる旅路』でした。鉄道100周年記念番組の主題歌でした。そこでは、この曲をバック音楽として吹雪の中を走ってくるSL列車の感動的なシーンが組まれてましたね。
誰が歌っているかも解らずレコードを探したのを覚えています。伸びやかな声、優しい声、そして曲も素晴らしいですが、詩がとてもいいですね。

 ここで、小椋さんのプロフィールを紹介します。

 1967年東京大学卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。同行に約四半世紀勤務、浜松支店長・本店財務サービス部長等を経て1993年退職しました。勿体無いないなあと思いましたよ。

1994年東京大学法学部に再入学。文学部思想文化学科に進み、哲学専攻にて2000年大学院修士号取得。この間、1971年自らの作詩作曲による初LPアルバム「青春・砂漠の少年」を発表しました。このあたりから詩に重みを増してきたように思います。

 3作目のアルバム「彷徨」は100万枚のセールスを突破 しました。以来、ソングライターとして、布施明、中村雅俊、堀内孝雄、美空ひばり等、多数のアーティストへ作品を提供。「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「夢芝居」「愛しき日々」「愛燦燦」など数多くのヒット作品があり、日本レコード大賞を始め数々の賞を受賞しましたね。

 作詩作曲・歌手活動の他、執筆活動や舞台創造も重ね始めました。『小椋佳 言葉のある風景』『思い込み』などなど、古書扱いのものもあります。
 少年少女たちの演じる音楽劇「アルゴ」や、邦楽界の歌い手たちを起用しての新歌唱舞台「ぶんざ」「一休宗純物語」の公演がその代表です。

 1998年以降、歌と語らいで綴る公演を「歌談の会」と称し、年間を通して全国各地にて開催中。2006年1月、「ぶんざ」「一休宗純物語」等に出演した高橋孝のデビュー・ミニアルバム「逢いたくて」をトータルプロデュースしています。
  2006年8月、約9年振りとなるフル・オリジナル・アルバム「未熟の晩鐘」をリリース。

 2007年3月、西本智実を指揮者に迎え、ミューザ川崎にて洗足学園音楽大学オーケストラをバックに「未熟の晩鐘シンフォニーコンサート」を行いました。
2007年夏「ぶんざ」「一休宗純物語」に出演し、「歌談の会」でも共演中の伊東恵里さんのニューアルバム「LONLEY WITH YOU」をトータルプロデュース。還暦を迎えてもなお精力的に創作活動、若手の育成に励んでおられます。

 という、多彩を発揮なさっていますね。でもまだ銀行に勤めながらギターを習い、少しずつ曲を作っていた頃が懐かしいですね。NHKで初めてコンサートを行った時、照れて、ギター演奏を間違えるなんて場面もありました。それから十何年もたち、ある雑誌でこう答えてました。

『僕は40歳を0歳だと思っています。だから10年、20年後が青春なんです。』と。いい言葉だと思いました。これからどんどん活躍するのだと、若かった私に刺激を与えてくれました。

 やはり才能がある方なのですね、子供、成人、大人の愛のテーマがちゃんとあるのです。でも青春を感じさせる歌が多いですね。
中でも、私のお気に入りは『めまい』『揺れるまなざし』『糸杉のある風景』『旅支度』・・・きりがないです。
 アルバムでは『彷徨』『残された憧憬-落書-』が最高です。

 特に気に入っている詩は『旅支度』

あなた一人の旅の仕度を
手伝う時のやり場の無さは
何処へ捨てましょう

ちょっと演歌っぽいですかね(笑)。それから『糸杉のある風景』はまさにゴッホの絵と同じ題名ですが、暗さがなく、こんな風にゴッホの
絵を観る小椋さんの感性に惹かれました。下記の詩も好きです。

ただお前がいい
わずらわしさに なげた小石の
放物線の軌跡の上で
通り過ぎてきた 青春のかけらが
飛び跳ねて見えた

そのてり返しを
そのほほに移していたお前
また会う約束などすることもなく
それじゃぁまたな と別れるときの
お前がいい

こんな小椋さんの歌をまた動画で探しましたが、無いものもあったので、この2曲でご勘弁ください。

| | コメント (12)

2010年2月17日 (水)

善と悪『決壊』

 恐ろしいほどにタイムリーだった小説・平野啓一郎さんの『決壊』。
私達は、秋葉原で起きた連続殺傷事件・・・一種の「無差別テロ」に戦慄しました。
このような事件がなぜ起きたのか、なぜ起こりえたのかに当惑し、恐怖したこと覚えています。

 長編小説『決壊』は、この秋葉原の事件を彷彿とさせるような、あるいは秋葉原の事件を予見するような連続殺人事件を描いています。
 
『決壊』の主人公の沢野崇は、国会図書館に勤める、有能で知的なPikaso001 調査員です。独身ですが、女性にはよくもてて、何人も恋人がいたりします。2002年10月、京都の三条大橋で、バラバラ遺体の一部が、犯行声明付きで発見され、やがて、その遺体が、沢野の弟で会社員の良介のものであることが明らかになります。良介が、殺害される直前に崇と会っていたこと、良介の妻佳枝が、良介が密かに作っていたブログにたびたびアクセスし、コメントとっていた人物を義兄の崇ではないかと考えていたこと等が原因となって、警察は、崇を犯人だとほぼ断定するのですが・・・
 
 事件は、日本各地で次々と起き、それどころか海外にまで飛び火した、連続殺人へと発展します。崇への疑いは、11月に実行犯の中学生北崎友哉が逮捕されたことで、晴れることになるのですが、事件の拡大は止まりません。クリスマスイブには、お台場のフジテレビと渋谷で連続的に爆破テロまでが起きて・・・
 
 この小説と「現実」との意図した、あるいは意図せざるをえない、数々の共鳴には驚かざるを得ません。たとえば、良介殺害の実行犯友哉は、「孤独な殺人者の夢想」なるブログを開設していますが、それは、秋葉原事件の加藤智大容疑者によるネットの掲示板への大量書き込みを連想させます。無論、友哉が中学生であるのは、酒鬼薔薇聖斗(を始めとする少年殺人犯)を意識してのことでしょう。
 
 無差別的なテロや殺人の正当性を哲学的に語る「悪魔」と名乗る人物が登場しますが、彼の主張は、加藤智大容疑者の「世界そのものへの怨恨」や、オウムの「ポア」の思想に通じています。秋葉原事件に関して、ターゲットとなった「秋葉原」という場所の象徴的な中心性を考慮に入れざるをえないのですが、『決壊』のテロの標的となっているお台場や渋谷は、秋葉原と表裏関係にあるような、東京のあるいは日本の中心ではないのでしょうか。

 『決壊』が「現実」とのこうした共鳴を通じて格闘しているのは、「悪」の存在をどのように解釈し、それにどう対処すればよいのかという問題提起にあると思います。 
そして、責任能力や精神病の問題から警察の取調べの問題まで現代日本で騒がれる犯罪関係、法律関係のあらゆる問題が本作内には凝縮され扱われているとも言えるでしょう。
 
 もし「人を殺してはならない」という規範に代表されるような普遍的な「善」が存在するとすれば、連続無差別殺人や無差別テロのような極端な悪が、どうして可能なのか? 異常ではないように見える普通の人が、どうしてこれほどに極端な悪を犯すことができるのでしょうか。悪とは、善とは、と、こんなことが覆される世の中に絶望したくもなります。

でも、人は一人で生きているのではないし、関係性の中でしか私たちは生きられないと思うのです。そして今更ながらに、人はそれを自覚しなければならないのだといことが、一番私に伝わってきたことなのです。そうすることで人は自らの裡にある「悪」を殺すことが出来るのではないかと。

 主人公をとりまくPicaso6 日常を描写した幕開けから既に不穏な雰囲気 。どんな事件が起きているという訳でもないのに、登場人物たちが生活の中で感じている不安は、読者である我々が今現在抱えているもやもやしたものと同様であり、その分析力やおよび筆力に脱帽します。

 携帯やネット問題、雇用や生活不安、教育、政治等現代社会が抱える負の要素をうまく一人一人に背負わせて交互に語らせる展開は、スリリングで、つい熱が入ってしまいました。
 
 特に、絶対に好きになれないだろうエリート公務員でモテモテの「崇」は作者の代弁者のようです。論理の肥大化した「悪魔」と徐々に複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起してきて同一人物か?と思わせるミステリー要素も抜群だと思います。

10年の時を経てこのような作品を書けるようになるとは、さすがに芥川賞を23歳で取っただけの価値を持っている作家さんだったのですね。

| | コメント (11)

2010年2月13日 (土)

私の好きなミュージシャン~坂本 龍一編

 教授のことはYMO時代から好きで、音楽もよく聞きましたし、村上龍さんとの対談形式の本を解りもしないのに読んでみたり・・・CDも何枚かあります。

 クラシック音楽が根幹にはあるものの、民俗音楽、現代音楽にも造詣が深く、ヘビーメタルとカントリー音楽以外はすべて演奏分野の範疇にあります。
 

  幼いころから作曲を学び、東京藝術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動開始。1970年代後半よりソロとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなります。YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られていますが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニット成してのワールドツアー、近年はアンビエントやエレクトロニカの 品を発表するなど、ジャンルを超越して多彩な作品を発表しています。

 自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っています。また、映画『戦場のメリークリスマス』の音楽を担当したことをきっかけに映画音楽の作曲も手掛けるようになり、1987年公開の『ラストエンペラー』(坂本さんが書いたピアノスケッチ譜に基づいて、実際のオーケストレーションは、本人を含む、東京藝術大学作曲科後輩のアレンジャーが分担しました)では日本初のアカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞し、以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築きました。

 近年は各メディアで環境問題や平和問題をはじめとした諸問題について発言する機会も多く、最近はPSE問題において、坂本も中心人物として参加した反対運動が実を結んびました。近年は「エコ」や「ロハス」といったキーワードを口にすることが多く、マクロビオティックの実践者でもあります。一時期はベジタリアンでしたが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に挫折ていとか・・・

 音楽を担当した映画「ラストエンペラー」においてアカデミー作曲賞を受賞した際には、写真週刊誌フライデーにおいて

 『この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい』と発言しています。

 活動の拠点を米国に移したのも『日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む』と雑誌「GOETHE」で述べています。

 ただ成功したかどうかではなく、いかに積極的に動いたか、働きかけをしたかと言う点で私は教授を教授と呼び続けると思いまず。

動画は『戦場のメリークリスマス』ですが、『鉄道員(ぽっぽや)』の動画も映画と重なり素晴らしいです。お好きなほうをお楽しみください。

| | コメント (10)

2010年2月11日 (木)

大森美香、『ランチの女王』『不機嫌なジーン』

 私は以前にも書きましたが竹内結子ちゃんのファンで、『ランチの女王』『不機嫌なジーン』など月9は結構観ていますがこの2作品、脚本が同じ方だとご存知でしたか?私はついぞ知りませんでした。『不機嫌なジーン』が向田邦子賞を取ったことは知っていたのにです。どちらかというと『ランチの女王』のほうに賞をあげて欲しいと思うのですが・・・

 脚本家であり演出家、映画監督でもある大森さんは1972年生まれ と聞いて驚いてしまいました。

 2000年からフリーランス。以後、『カバチタレ!』のヒットを足掛かりにコンスタントに佳作を著し、若くして月9、朝ドラの脚本を手がける人気脚本家となりました。その一方で、映画監督としての活動にも力を入れています。

 多くの作品で、気の強い女性を中心に据えているのですが、実は優しいし淋しがりやなのかなとふっと思える瞬間があり、今時の女の子ってこんな感じなのかなあと考えさせられます。

ドラマに共通するのが気の強い女性なのですが、ふっと力が抜ける瞬間がどの作品にもあって、それが何故か観ている私などはほっとするん
です。

『ランチの女王』はランチが大好きな麦田なつみ(竹内結子)は、ひょんな事からTakeuti003洋食屋「キッチンマカロニ」で働きながらその家に住む事に。「マカロニ」の次男鍋島勇二郎(江口洋介)、三男の純三郎(妻夫木聡)、四男の光四郎(山下智久)、そして下宿人でもある牛島ミノル(山田孝之)と共に店で働くなつみ。長男健一郎(堤真一)の偽りの婚約者と嘘を抱えているのですが・・・

「マカロニ」の父親(若林豪)は毎晩デミソースを作っている口数の少ないひとですが、いつも静かに、警察に追われているなつみを見守り、かばってくれました。そこが泣けます。「あいつらを宜しく頼みます。」「今日のソースは最高だ!」と言い満足げにしていた父親が翌朝、ン眠るように亡くなっていました。困惑しながら兄弟の絆を固くしていきます。

 そこでなつみは本当の居場所はここだと悟ります。家族など無かった彼女にとってそれまで突っ張ってきたものが解けていくのです。それまで一人で生きてきたなつみは気が強い、そんな一面だけで悪い仲間の中にいましたが、家族の愛情に包まれ、一人ではないとおもえることをしみじみ感じていたと思います。

なっちゃんが好きなのは、勇二郎か純三郎か・・・なっちゃんが自 分のことをつい話してしまう相手は勇二郎さんなんですよね。気の強い女は多少の年齢差があって相当頼れる相手じゃなければ、むずかしいのかもしれないと思いました。

 『不機嫌なジーン』が向田向邦子賞を得た背景に、動物行動学や大学院生の研究生活を取り扱ったことが月9の視聴者層全体には受け入れられなかったのか、高視聴率につながりませんでした。

 でも積極的に科学分野を取り入れたことが評価され、脚本は向田邦子賞を受賞しました。この作品で受賞できたことを大森さんはとても喜んでいました。実際の研究者が見れば失笑物のシーン・設定も多いでしょう。例えば舞台となる動物行動学研究室では学生一人が一つのモデル生物をテーマに研究を行っているのだが(しかも脊椎動物・無脊椎動物関係なしに雑多な生物を扱っている)、安定した実験結果を得るには莫大な科研費・維持費が必要となり、実際には一研究室がこのように雑多な動物をJannsenn043テーマにする事はほとんど不可能です。 一方で実際の分子生物学的実験のシーンでは、本物の研究者よろしく手際よく実験を進める芝居を行っている点で評価できるのだそうです。

 このジーンこと蒼井仁子(竹内結子)は努力家ですが『人間と自然は共存できる』『人間は動物を守る存在』など理想家の一面もあり、南原によく指摘され討論になることもしばしば。恋愛に無関心というわけではなく、実はシャイで純情に恋をする女でした。ただ1年付き合って南原が浮気をし、以来男性不信に陥るのです。

 一方南原孝史は35歳。仁子曰く、自分勝手でナルシスト。自信過剰、いつもブツブツ文句を言ってばかり、すぐに泣く。大嫌いで同時に愛おしいらしい。だが理想家の仁子と違い、『人が消えても地球は何も困らない』など現実を見る男です。仁子にどんなに貶されてもそれを原動力に変えてしまうポジティブ体質。実はバツイチ。

 最初は仁子を遺伝子を増やすために迫っていましたが、知らない間に彼女に惹かれ愛していました。ミネソタに旅立つ直前に本当の想いを告げ、両思いになる。2年後、仁子にプロポーズを申し入れ成功しますが彼女が迷っていることに気づき、背中を押す形で自分から別れを告げます。しかし、部屋の中で彼は一人涙を流していた・・・

そういうタイプの男性って増えているのですか?ちょっと気になるところです。

 他にもこれ観たというドラマがきっとあるはずです。私は『カバチタレ!』も好きでした。

どれも気の強い女性が登場しますが、実は一人じゃ生きられない、家族だったり、恋人だったり、仲間だったり、形はそれぞれ違いますが、ベースにあるものはこれに尽きると思います。

 今後も期待したい脚本家さんです。

| | コメント (15)

2010年2月 9日 (火)

『甲子園ヘの遺言』『なぜ君は絶望と闘えたのか』

 野球の好きな私が忘れてはいけない作家さん、門田隆将氏。最初に読んだのは『甲子園ヘの遺言』でした。

 平成16年7月1日、多くの野球人、生徒たちに惜しまれつつ世を去った、不世出の打撃コーチ・高畠導宏氏の生涯を描いたノンフィクション作品です。高畠氏は古くは南海の原、ロッテの落合、高沢、西村、そして最近ではイチローや田口、小久保など、数多くの名選手を育てたプロ野球界伝説の打撃コーチです。多くのプロ野球選手たちが彼に教えを乞い、30年にわたって第一線の選手たちの技術面と精神面の支えになり続けました。

 ところが、その高畠氏は五十代半ばにして一念発起をします。通Gohho14 信教育で教職の勉強をはじめ、プロ野球球団のあまたの誘いを蹴って高校教師の道を選んだのです。そして、平成15年春、福岡県の私立筑紫台高校に新人教師として着任します。

 社会科教諭として教鞭をふるう一方、野球部を甲子園に連れて行きたいと考えたのでした。諦めや疲労感に支配される五十代に、なかなかできることではありません。ところが、長年の無理がたたったのでしょう。高畠氏の体はそのとき重大な病気に冒されはじめて……。
こんなに凄い高校教師がいた・・・高畠氏はなぜ転身を決意し、そして、そうまでして高校生たちに何を伝えようとしたのでしょうか。

 NHK土曜ドラマ枠で、タイトルは『フルスイング』として放送されたので観た方も多く、感動されたと思います。

これは、ただの野球人の一生を描いたノンフィクションではありません。野球を知らない人、または私のような女性をも、ぐっと引き込みます。それは、この本に描かれた高畠導宏さんの人生に、苦境をバネにし前に突き進んで行こうとする直向さや、人を想い、人との絆を大切にする優しさが感じられるからなのだと思います。
 野球という一つのスポーツを通し、彼が出会った素晴らしい人々との絆や、困難な時、また自分の思い通り事がゆかぬ時の心持ちや生き方には、読んでいる者の心を揺さぶるエピソードが沢山あります。高畠さんという人は、「まあ、この程度でいいか」なんて考えを持たない人だったに違いありません。目の前に山があったら、どんなに高くても、どんなに道が険しそうでも登る。いえ、時にはその登るべき山さえ、自分で創造してしまうような人だったのではないでしょうか。

 そういう高畠さんの魂は、彼が野球コーチ時代指導した野球選手や、彼が晩年関わった筑紫台高校の生徒たちにしっかり伝わったはずです。そして、この本を読んだ多くの人の心に染み入るはずです。
『氣力』高畠さんが繰り返し口にしたというこの言葉は、弱気になりそうな時、私を鼓舞してくれます。落ち込んだり、気持ちが塞ぎがちな人は、老若男女問わず、是非手にとって読んで見て下さい。私は、この本に、彼の人生に、本当に勇気付けられました。 プロ野球コーチ人生30年を通して選手個々人に応じた指導を行い、数々の名選手を 育ててきた点も「伝説」と称されるだけあって凄いのですが、実際にそこから高校教師 になってしまうところに、高畠氏の意思の強さが感じられました。 何より本書を通して感動したのは、教え子に対し思いやりや愛情を持って接することが、 勝負師の世界であるプロ野球界であっても、高校教育の場であってもまったく異なること なく人を育て上げていく、ということがわかったことです。

 この作をきっかけに門田さんの本を何冊か読みました。

 ジャーナリストで多方面にわたって作品を手掛けていらっしゃるのですが、いつも読み終えた時、唸りたくなるのは私だけでしょうか。スポーツに関わらずということで、お勧めしたいのが、『なぜ君は絶望と闘えたのか』です。

 記憶に新しい事件、何気ない日常の中で今日も1日が終わる。夕Gohho50 食の献立を楽しみにしながら軽い疲れとともに帰途につく。この世で最もくつろげる場所であるはずの自宅に戻ると、暖かい会話や柔らかい明かりのかわりに奇妙に静まり返った冷たい暗闇が広がっている。そしてそこに変わり果てた最愛の妻の姿を見つけてしまったら・・・。
 本の扉に掲載された本村氏と弥生夫人、そして愛娘の夕夏ちゃんの写真を見て欲しです。学生のような面影さえ残る若い両親と丸々とした可愛い赤ちゃんの姿は、どこにでもある幸せな家族のそれです。この日から実に9年、本村氏は闘いました。正しい事を正しいのだと訴え続けて、ただひたすらに闘う・・・。例えば、地裁での判決後の記者会見での「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」という、本村さんの言葉は震撼とさせられます。

 いろいろな事のあり方について、目を背けず 憎しみ、絶望、孤独、そして埋めようのない喪失感。本村氏は何度も自殺を考えながら、ただただ闘って、そして死刑判決を勝ち取った壮絶な記録の書です。 TVで見る限りいつも冷静沈着に、且つ、理路整然と自分の考えを言葉にしていた本村氏の、決して表に出なかった犯罪被害者としての苦しみに身を切られる思いがします。
 日本は法治国家です。でもそれは真に正しい法治と言える状態なのか・・・死刑判決を勝ち取るまでなぜ、山口地裁・広島高裁・最高裁・差し戻し広島高裁と9年もの長い時間を必要としなくてはならなかったのか。犯罪を犯す者がいる限り、誰でも等しく犯罪被害者になってしまう可能性があるんのです。だからこそ多くの人に本書を読んで頂きたい・・・他人事では決してないんです。
  

 他人事とせず、考えたい作品です。

 これからも門田さんの行動は要チェックです。

| | コメント (8)

2010年2月 7日 (日)

『メロディーズ・オブ・ラブ』~ザ・クルセイダーズ

 私が大学生だった頃、ジャズにはまったお話はしましたよね。きっかっけとなったのが、クルセイダーズのメンバー・ジョーサンプルの『メロディーオブラブ』でした。ジャズと言うよりフュージョンに近いのですがこの曲だけはまた特別に情緒のある曲です。日本で好まれるのも解る気がします。

 もともとはテキサス州のハイスクールで同級生だったウェイン・ヘンダーソン(Tb) ウィルトン・フェルダー(T.Sax) ジョー・サンプル(Key) スティックス・フーパー(Dr) の4人が結成したグループで、何度かグループ名を変更した後、1961年にジャズ・クルセイダズとしてアルバム「フリーダム・サウンド」でメジャーデビューしました。

 その後1971年にグループ名を「ザ・クルセイダーズ」とし、アル バム『パス・ザ・Ruso01 プレイト』を発表。1972年に発表した『クルセイダーズ1』が高い評価を得、続く『セカンド・クルセイド』『アンサング・ヒーローズ』等によりジャズのみならずポピュラー・ミュージックのファン層にも浸透し、1970年代フュージョン・シーンを代表するグループとなりました。

 ジャズ・クルセイダーズのほうが良いと思われる方も多く、60年代はジャズグループとして『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス66 』などもツウの方はお好きなようですね。

 しかり、その後も次々とアルバムを発表するのですが、1976年に結成以来のオリジナル・メンバーであるウェイン・ヘンダーソンと、最初期から準メンバーとして参加しており1974年に正式メンバーとなっていたラリー・カールトンが脱退し、1983年にはスティックス・フーパーが脱退するにいたって、グループとしての形態は維持できなくなり、ウィルトン・フェルダーとジョー・サンプルのユニットに、そのつどゲストミュージシャンを参加させるというスタイルで活動を続けていきました。その活動も、1991年に発表された『ヒーリングザ・ウーンズ』を最後に事実上停止していたが、1992年に突如としてウェイン・ヘンダーソンとィルトン・フェルダーが「ネクスト・クルセイド」を名乗ってアルバム『バック・トウ・ザ・クルーヴ』を発表。さらに1995年、「ジャズ・クルセイダーズ」名義で、アルバム『ハッピー・アゲイン』を発表しました。

 新生ジャズ・クルセイダーズとして数枚のアルバムが発表された後、今度は2002年にウィルトン・フェルダー、ジョー・サンプル、スティックス・フーパーによって「ザ・クルセイダーズ」名義で』ルーラル・リニューアル』が発表され、ほぼオリジナル・メンバーからなるグル
ープ再結成(活動再開)が成立しました。ちょっと混乱しますがこれで良かったのではないかと私は思うのですが・・・

 フュージョンはおろかクロスオーバーという言葉もなかった時代から、ジャズという既成概念にとらわれずにさまざまなジャンルの音楽を取り込み、独自の音楽世界を表現しようとしてきた点に、このグループの革新性がありますね。「Mr.335」ラリー・カールトンという、のちのフュージョン・シーンを牽引するトップ・ギタリストを、グループの結成初期から準メンバーとして参加させていたところにもそれが顕われているといえます。

 バンド全体からうねり出されるブラック・グルーヴが最大の魅力。なかでもフロントに配備されたテナー・サックス/トロンボーンは重量感を4割増しにしています。そして、どこか哀愁漂うブルージーなメロディが奏でられ、アーシーな音世界が繰り広げられる・・・もうたまりません!!
『Scratch』(74年)と『Those Southern Knights』(76年)は、そんな彼らの最高傑作。また、少し洗練された色合いだが、ランディ・クロフォード(vo)を招き、タイトル曲が大ヒットし『Street Life』(79年)も挙げておかなければ語れないほど素晴らしかったですね。

 まだ聞いた事の無い方は『ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・クルセイダーズ 』が今あるはずなのでそちらから入ったほうがいいかもしれません。

 今回、『メロディ・オブ・ラブ』を動画にしましたが、本来10分ほどの即興も交えた曲をお届けしたかったのですが、10分はジャズをあまり聴かない方には苦痛だろうと思い、一番スタンダードに知られいるバージョンでお聞き下さい。

| | コメント (60)

2010年2月 5日 (金)

かけがえの無い命『天の瞳』

 最初、私はあまりに有名な作家さんというだけで灰谷作品を読んでみました。すると、これは児童向き作品?と躊躇し、暫く読まないでいたのですが、灰谷さんは左翼とか色々な批判を聞くようになり、左翼でもいいじゃないというおもいで読み返してみました。

この作品は、小瀬倫太郎の成長物語です。倫太郎は天衣無縫で、Kaii17 いたずら好き。小学校入学早々担任の先生に「ヤマンバ」とあだ名を付けたり、クラスメートを泣かせたりして、先生や周りの大人たちから叱られてばかり。でも、倫太郎は本当に問題児なのでしょうか。

 少なくとも、私にはそうは感じられません。灰谷氏は「倫太郎は問題児なのか。そういうふうにレッテルを貼ってもいいものなのか、というのが、この小説の主題の一つでもある」と語っていました。
 「なぜ教師の言うことに従わないのか、を反抗とみるのではなく、何か伝えたいことがあるのだと思ってほしい。子どもの目線に立って倫太郎のことを考えると、その答えが自ずと見えてくる。」と灰谷氏は言っているような気がします。もし、倫太郎に「悪ガキ」というレッテルを貼ってしまったら、見えるものまで見えなくなってしまい、新しい倫太郎を発見することが難しくなってしまうかもしれない。実際、一年生の担任の山原先生は思ったことをストレートに表現する倫太郎に戸惑い、倫太郎を授業を妨害する問題児だと見ていたきらいが多少あります。山原先生は倫太郎に出合ったことで、少しずつ変化をしていくのですがが、もし一歩間違え「倫太郎は問題児だ」という目で倫太郎を見ていたら、倫太郎の鋭い感受性やその他の可能性に気付けなかったかもしれません。

 灰谷氏はこの作品に「人にも、ものにも添うて生きてほしい」という祈りを込めている気がします。「添う生き方」とは、一体どのような生き方なのでしょうか。
 
 倫太郎は、おじいちゃんから出合いで学んでいます。
「人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。」
「好き嫌いが激しいと、これは嫌い、これは嫌いとせっかくの出合いを遠ざけてしまうか、見えるものまで見えなくなってしまう。」

そして、倫太郎に友だちが多いことに触れ、
「神様がおまえのために祈ってくださったおかげがひとつ、そうしてできた出合いを倫太郎が大事にしたことがひとつ、相手もまた倫太郎を気にかけてくれたことがひとつ、そんなひとつひとつが重なって、今の倫太郎がある」と言います。
 

 倫太郎は友だちとのつきあい方だけでなく、命とのつきあい方、さらにこの世の中にある全てのものとのつきあい方をおじいちゃんから学んでいますが、それらのおじいちゃんの言葉は倫太郎を
『いったん友だちになってしまえば、それは、親兄弟と同じように、取り替えることの出来ない、かけがえのないものなんだ』
という思いに変えていくのです。

 こんなことがありました。ヒマワリとホウセンカの種を蒔く時、花をHigashiyama_work21s きれいに咲かせるにはばらばらに蒔いあた方がいいのだが、倫太郎にはどうしてもそれが出来ません。

人間だけでなく、種同志も「仲良しの方がええねん」というのです。そしてひとつの穴に一緒に蒔く・・・とても心打たれる場面です。

 倫太郎について、保育園のヒデミ先生が「倫太郎ちゃんみたいな子にどう添うてあげたらええの」と言います。

「人に添うて生きる」「人とつながって生きる」ことこそがこの『天の瞳』の主題であり、様々な反響を呼び、いろいろな人に読まれる所以ではないでしょうか。
「一緒にいるってことは、ほんとうに素晴らしいことなのよ。」という園子さん。この言葉こそ灰谷健次郎氏がいつも実感し、かみしめていることなのではないかと思います。

 中学生になり、リンチを受けた倫太郎は、復讐の鬼と化します。やられた相手一人一人に仕返しをしていく・・・。そんな荒れた倫太郎をミツルや青ポン、タケやん、芽衣、園子さん、あんちゃんらは、自分のことのようにとても心配していました。そして、そんなみんなの心配を受けて、自分はどうするべきなのか、自分がしてきたことは間違っていたのか、これからどう行動すべきなのかを考えて、倫太郎は変わっていきます。たとえ暴力を受けて、相手にどんなに怒りが込み上げてこようと、どんなに痛みがおそってこようと、無抵抗で通すようになりました。
 倫太郎はこう言いました。
そのとき、オレは、オレを大事にしてくれる人のことを、じっと考えていた。だから我慢できた。』と。
 そして、倫太郎の母、芽衣は考えます。「 自分を大事にしてくれる人がいるのに、自分を粗末にできるはずはない。」「自分の命の中に、他者のいくつもの命が存在することを、この子はこの子なりに解しているのだ」と。

 一つの命が成り立つためには、他の無数の命がそれを支えているのだということ、自分の命も、また、他の命を支えているのだという思想が、人間の誠実さを生み、優しさを創るのではないかということを教えられました。そしてこの「命」の追求は、灰谷健次郎氏の文学にとって終わることはないでしょう。なぜなら、この思想こそ灰谷健次郎文学の始まりであり、永遠のテーマであるからです。
「命を見つめる」、それが灰谷健次郎文学の神髄なのではないでしょうか。

| | コメント (17)

2010年2月 2日 (火)

天井桟敷~寺山修司

詩人、歌人、俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、俳優、作詞家、写真家、劇作家、演出家など多才だった寺山さん。演劇実験室・天井桟敷主宰していたことはご存知でしょう。本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返すのTeramama_006 が常でした。

 寺山さんは、ネフローゼを患ってました。

 1967年(昭和42年)1月1日演劇実験室・天井桟敷を結成。4月18日草月アートセンターで旗揚げ公演。 身体の調子は不十分だったのによくここまでやってこれたことを私は尊敬しています。1983年(昭和58年)東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、敗血症で死去。享年49(満47歳没)。死後、青森県三沢市に寺山修司記念館が建てられました。

「寺山よ。君は昏倒して入院してから一度も意識を回復しなかったから、自分の死がどのように訪れたか知らなかったにちがいない。その日、何かにせきたてられて私が病院についた時は、まだ、いつも好奇心を湛らせていた君の特異な眼は混濁する虚空を追い求めていたはずだ。二週間ほとんど眠らないで看護していた九條映子が病室から出てきて、今朝から君の強い心臓が弱り始めたと告げ、そのまま君のお母さんに連絡するため公衆電話の方に走った。私に、二十三年前の一九六〇年の初夏の頃、君を映子にひき合わせた神楽坂の陽ざしが甦ってきた。そして、あの季節の同じ深緑をつけてた樹々が病棟の窓から見えた。……」。これは篠田正浩映画監督の寺山修司さんに対する弔辞です。

 寺山修司主宰で演劇実験室を標榜した演劇グループ天井桟敷は状況劇場の唐十郎、早稲田小劇場の鈴木忠志、黒テントの佐藤信と並び、'アングラ四天王と呼ばれ、1960年代後半から1970年半ばにかけて、小劇場ブームを巻き起こしたことは以前にも書きましたね。天井桟敷という劇団名はマルセル・カルネの映画『Les Enfants du Paradis(邦題:天井桟敷の人々)』に由来しますが、寺山氏曰く、「好きな演劇を好きなようにやりたいという同じ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっとTerayama001 高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」と言われています。
 

創立時のメンバーは寺山の他に、九條映子(当時寺山夫人)を入れ全16人。『書を捨てよ街へ出よう』などの一連の著作により、若者の間で「退学・家出の扇動家」として認識され人気を得ていた寺山氏が主宰していること、また劇団創立時のメンバー募集の広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったことなどから、設立から長い間「一癖も二癖もあ る退学者や家出者が大半を占める」という異色の劇団になりました。

1969年12月5日、唐十郎主宰の「状況劇場」初日に、寺山修司からお祝いとして”葬儀用の花輪”が届きました。寺山氏としては、ユーモアのつもりであったし、寺山の「天井桟敷」旗揚げ公演に、唐氏が”中古の花輪”を贈ったブラックジョークに対するきつい返答でしたが。

でも、唐十郎氏と「状況劇場」劇団員は、12月12日深夜に天井桟敷館に殴り込み。双方もみあいから、乱闘に発展し、関係者9人が逮捕されるに至ったと言う経緯があります。文化人が無頼であった時代の伝説と言えるでしょう。

1983年5月4日に寺山さんが死去すると、劇団としての求心力を失い、同年夏の『レミング -壁抜け男』を最後に、同年7月31日をもって解散してしまいました。惜しいことです。その後、1970年代初頭から寺山の片腕として演出・劇伴を務めたJ・A・シーザーが演劇実験室「万有引力」を設立し、劇団員の多くはそこに移りました。

 そして作家としての寺山さんは最後まで優しさというものを貫かれTerayama_004 た方です。詩、エッセイが一番寺山さんらしいと思いますが、例えば、『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム』のような一字に影があるように、一行にも影がある・・・言葉と発想の錬金術師・寺山修司さんならでは、諧謔と毒との合金のような、文字どおり寸鉄の章句たちです。愛と暴力、快楽と死、賭博と夢、もちろん男と女。つごう52のキーワードの下、広く著作群のなかから集められ、あの鬼才のエッセンスがそのまま凝縮された413言が彼らしいこの一冊になったのもも見逃せません。

 いろいろな作品から抜き出された言葉なので、前後の文脈が分からないといまいち意味を掴みきれないものも多々あると思います。ですがその意味を想像してみるのも楽しいですし何より羅列された言葉の中には必ず「お気に入り」が見つかることと思います。

 その言葉によって救われたり、また歩き始める力をもらえたりするのでしょう。
 童話のように挿絵があり優しい言葉で語られているものも、実は大人が読むべきだと思います。
 
 何かが変ります、きっと。

| | コメント (15)

2010年2月 1日 (月)

私の好きな作品たち~杉森 久英編

 随分懐かしい作家さんのことをふと思い出し、書いてみようと思いました。

  『天皇の料理番』でも名を知られた方も多いと思いますが、私は直木賞作品『天才と狂人の間』を読んだ氏のことをとても昔の事のように思い出しています。副題が「島田清次郎の生涯」で、島清恋愛文学賞にその名を残す石川県出身の小説家、島田清次郎の生涯について書かれた作品です。

 少年時代から自分を天才と信じた島田清次郎が、弱冠20歳で世に問うた長編小説『地上』は記録破りの売行きを示し、彼は天才作家ともてはやされ、いちやく文壇の流行児となりましたが、『地上』の成功に気をよくした島田は「精神界の帝王」と自らを思いこんでいたところに世間からの高い評価を受けて、傲慢な振る舞いをすることが多くなりました。加えて社会主義運動・理想社会思想に傾倒し、ソビエト的な理想社会主義を掲げ全国をアジテーションして周る活動を行いながら『地上』を第4部まで出版。印税が多く入るようになって生活も豪奢となった上に奔放な女性関係も文壇関係者から嫌われる原因となり、次第に文壇では孤立していき、またたく間に人気を失い、没落したと言うお話です。

 本書は、島田清次郎の狂気にも似た足跡を克明にたどり、没落Gogh01 のよって きたるところを究めようとした、傑作伝記小説といってもいい傑作だと私は思います。そしてつい太宰治氏を思い出してしまいます。

 島田清次郎氏については、島清恋愛文学賞というものまであって恋愛小説を対象とした文学賞です。同市出身の作家島田清次郎にちなんで1994に制定されました。選考委員は渡辺淳一、高樹のぶ子、小池真理子の3名です。受賞者には正賞としてブロンズ像、副賞として100万円が贈られるそうです。 阿川佐和子さんの『婚約のあとで』は今年度の受賞作品に選ばれています。

 話が横に逸れました、失礼。
杉森氏の作品で一番印象深いのはこの作品ですが、杉森氏は、作品の冒頭で書いています。
「島田清次郎が自分自身を天才だと信じるようになったのは、彼があまりにも貧しくて、父もなく、家もない身の上だったからにちがいない。」と。

 惨めな幼少時代のコンプレックスをはね返し、自負心の唯一のバネになったのが、自分を天才だと信じることだと。彼の創作意欲は、これまで自分を見下していた連中に復讐しようという高慢心、功名心であることは、本人が一番良く知っていたのです。そして、傲慢で尊大な自分自身の真の姿は、非常な臆病者であることも、重々承知していたはず。彼は、他人の前では、仮面を被らなければ、一瞬たりともいられなかったのです。

私の中にも彼と同じような高慢心があった時期がありました。時に心の中に相手を見返してやりたいという気持ち、だから解るのかもしれません。人にアドバイスを受けた時も、攻撃されているとしか感じられなかったりして・・・。弱い自分を見せたくない、知らせたくないから、いつも虚勢を張っていたんです。そんなことだから、人に会うのは、極度に緊張。素直なありのままの自分を出せるのはとても勇気のいることでしたから・・・

 虐められていた自分、惨めな自分、不幸な自分、劣等感の塊の自分、そんな自分を他人がたくさんいる外の世界へ連れ出すには、高慢心や功名心のようなバネがないと、どうしようもないのです。だから私はこの作品と切れないでいるのでしょう。

 杉森氏は伝記小説が多く、人間の観察、いえ、人間に関わらずいろいろなことに観察力、洞察力のある作家さんだと思います。

坂口安吾氏、太宰治氏、石原莞爾氏などについても書かれています。

 太平洋戦争前夜の難局のなかで、衆望をにない首相となるが、日米開戦を避けられずに辞職し、戦後、マッカーサーによる戦犯容疑での収監を拒み、その前夜に自決した五摂家筆頭華族の家に生まれ幼少年期からの人間形成と、風雅を愛する心と政治の重圧とのはざまを生きた文人宰相の悲劇の生涯を、公私両面からあますところなく描いた『近衛文麿』も今は古書扱いなのでしょうね。

  太宰治好きの方ならきっと分かり合えると思います。

| | コメント (11)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »