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2010年2月17日 (水)

善と悪『決壊』

 恐ろしいほどにタイムリーだった小説・平野啓一郎さんの『決壊』。
私達は、秋葉原で起きた連続殺傷事件・・・一種の「無差別テロ」に戦慄しました。
このような事件がなぜ起きたのか、なぜ起こりえたのかに当惑し、恐怖したこと覚えています。

 長編小説『決壊』は、この秋葉原の事件を彷彿とさせるような、あるいは秋葉原の事件を予見するような連続殺人事件を描いています。
 
『決壊』の主人公の沢野崇は、国会図書館に勤める、有能で知的なPikaso001 調査員です。独身ですが、女性にはよくもてて、何人も恋人がいたりします。2002年10月、京都の三条大橋で、バラバラ遺体の一部が、犯行声明付きで発見され、やがて、その遺体が、沢野の弟で会社員の良介のものであることが明らかになります。良介が、殺害される直前に崇と会っていたこと、良介の妻佳枝が、良介が密かに作っていたブログにたびたびアクセスし、コメントとっていた人物を義兄の崇ではないかと考えていたこと等が原因となって、警察は、崇を犯人だとほぼ断定するのですが・・・
 
 事件は、日本各地で次々と起き、それどころか海外にまで飛び火した、連続殺人へと発展します。崇への疑いは、11月に実行犯の中学生北崎友哉が逮捕されたことで、晴れることになるのですが、事件の拡大は止まりません。クリスマスイブには、お台場のフジテレビと渋谷で連続的に爆破テロまでが起きて・・・
 
 この小説と「現実」との意図した、あるいは意図せざるをえない、数々の共鳴には驚かざるを得ません。たとえば、良介殺害の実行犯友哉は、「孤独な殺人者の夢想」なるブログを開設していますが、それは、秋葉原事件の加藤智大容疑者によるネットの掲示板への大量書き込みを連想させます。無論、友哉が中学生であるのは、酒鬼薔薇聖斗(を始めとする少年殺人犯)を意識してのことでしょう。
 
 無差別的なテロや殺人の正当性を哲学的に語る「悪魔」と名乗る人物が登場しますが、彼の主張は、加藤智大容疑者の「世界そのものへの怨恨」や、オウムの「ポア」の思想に通じています。秋葉原事件に関して、ターゲットとなった「秋葉原」という場所の象徴的な中心性を考慮に入れざるをえないのですが、『決壊』のテロの標的となっているお台場や渋谷は、秋葉原と表裏関係にあるような、東京のあるいは日本の中心ではないのでしょうか。

 『決壊』が「現実」とのこうした共鳴を通じて格闘しているのは、「悪」の存在をどのように解釈し、それにどう対処すればよいのかという問題提起にあると思います。 
そして、責任能力や精神病の問題から警察の取調べの問題まで現代日本で騒がれる犯罪関係、法律関係のあらゆる問題が本作内には凝縮され扱われているとも言えるでしょう。
 
 もし「人を殺してはならない」という規範に代表されるような普遍的な「善」が存在するとすれば、連続無差別殺人や無差別テロのような極端な悪が、どうして可能なのか? 異常ではないように見える普通の人が、どうしてこれほどに極端な悪を犯すことができるのでしょうか。悪とは、善とは、と、こんなことが覆される世の中に絶望したくもなります。

でも、人は一人で生きているのではないし、関係性の中でしか私たちは生きられないと思うのです。そして今更ながらに、人はそれを自覚しなければならないのだといことが、一番私に伝わってきたことなのです。そうすることで人は自らの裡にある「悪」を殺すことが出来るのではないかと。

 主人公をとりまくPicaso6 日常を描写した幕開けから既に不穏な雰囲気 。どんな事件が起きているという訳でもないのに、登場人物たちが生活の中で感じている不安は、読者である我々が今現在抱えているもやもやしたものと同様であり、その分析力やおよび筆力に脱帽します。

 携帯やネット問題、雇用や生活不安、教育、政治等現代社会が抱える負の要素をうまく一人一人に背負わせて交互に語らせる展開は、スリリングで、つい熱が入ってしまいました。
 
 特に、絶対に好きになれないだろうエリート公務員でモテモテの「崇」は作者の代弁者のようです。論理の肥大化した「悪魔」と徐々に複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起してきて同一人物か?と思わせるミステリー要素も抜群だと思います。

10年の時を経てこのような作品を書けるようになるとは、さすがに芥川賞を23歳で取っただけの価値を持っている作家さんだったのですね。

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コメント

とこさん、こんばんわ。
こちらとても寒いですがそちらは雪なのでしょうね。

いつも読んでいただきコメントありあとうございます。
あれはコメントが800字までの仕様になっているようです。もちろんそれで十分ですけれどもし長くなるときは分割していただくと結構です。
あし友を申請しています。ちょっとあし@具合が悪いようで申請が表示されていないのかも知れませんが表示されたときにはどうかよろしくお願いいたします。

投稿: KOZOU | 2010年2月18日 (木) 20時37分

スイーツマンさん、こんにちわ。
いつもお忙しい中来てくださりありがとうございます。

お引越しされたのですか?
大変でしたね、お疲れ様です。

日本の作品もたまにはいい気晴らしになるかもしれませんね。こういう作品はお好きかもしれませんね。リアルです。

 私もなかなかスイーツマンさんの小説、読めなくて、すみません。でもなかなか曲者揃いで面白くなってきました。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月18日 (木) 07時38分

おりえさん、おはようございます。
やはり、作家さんというのはケータイが流行ればどうなっていくかとか、そういうこと、常に考え、創造していくのでしょうね。あるいはある事件をきっかけに同じようなドラマを創り出し、このようなことが身の回りで起こる恐怖とどう向き合うかを問うているような気がします。とにかく、考えることの多い作品でしたね。
 そんな中、やはり人間関係が円滑にいくような相手への配慮や優しさで満たされていたら悪が頭をもたげる事も無い、そんな人間関係を作ること自体に苦労しちゃうわけですが、そうやって生きていきたいなと思うことが唯一の救いでした。
 あまり、お勧めできませんが、おりえさんなら、きっともっと希望を見出せるような気もします。
 挿絵を褒めていただき、恐縮です。なんというか書いていたときの気分がもう破壊的だったのでピカソ・・・単純です。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月18日 (木) 07時08分

 とこさん、こんばんは!!!
 平野啓一郎さんはお名前は存じていましたが作品は未読です。記事を読んで読みたいと思いました。

>>長編小説『決壊』は、この秋葉原の事件を彷彿とさせるような、あるいは秋葉原の事件を予見するような連続殺人事件を描いています。

才能がある作家さんというのはご自身が知らず無意識に未来を感知されるのかもしれません。
 確か宮部みゆきさんが「模倣犯」を書かれた後同じように未来の事件の先取りという言い方は変ですがそういう事を指摘されていましたので。

>>でも、人は一人で生きているのではないし、関係性の中でしか私たちは生きられないと思うのです。そして今更ながらに、人はそれを自覚しなければならないのだといことが、一番私に伝わってきたことなのです。そうすることで人は自らの裡にある「悪」を殺すことが出来るのではないかと。

なるほどなと思いました。今は関係性を気づくのが難しい時代なのかもしれません。皆他人との関係性を望んでいながらもどこか希薄な人間関係に終始する。ネットとかそういうものの影響もあるのかもしれません。
 私自身他人との関係性を気づくのに苦労しているので余計にそう思うのかもしれません。

 記事とピカソの絵の雰囲気がびったりですね。
 特に二枚目の絵とそのあたりの記事の内容がビタッとはまっている気がします。
 

投稿: おりえ | 2010年2月18日 (木) 01時06分

どれほど読んでいない名著があるのやら見当もつかないほどです。引っ越ししたばかりで余暇はパニック中。落ち着いたら読んでみようと思います。

投稿: 狼皮のスイーツマン | 2010年2月17日 (水) 21時39分

しのぶさん、こんばんわ。いつもありがとうございます。
的を得抜いた指摘、大変参考になります。

>善だからといって、敵意や怨念がないというわけではないってことです。ここらへんが、所詮は人間が生み出した思想の限界、人間なんて所詮は〝混沌〟なのです。
 
じんときました。そう、今の私はまさに混沌としています。混沌というよどみの中から這い上がって澄み切った所へ行こうとしてるのに、上手くいかないってところでしょうか。

>見出すべきものは〝幸せってなに?〟ってことで、死ぬときに〝ああ、幸せだったな〟と言える人生を積みあげることです。
そうですね。そう思って人生を極めていくのですね。
本当に勉強になります。私はこの作品を読んで、答えを出すどころかカオスの中にどっぷり漬かった感じです。

 でもどう生きるかは本人次第ですね。

深いお言葉、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月17日 (水) 18時21分

 こんにちは。
 
 いちいち言わなくてもわかっているでしょうが、日本の作家を知らないわたくしです。(笑)
 
 わたくしのように殺人をゴシップとして扱う作品を書く人間が偉そうなことは言えませんが、殺人の是非に疑問符を投げかける作品に注目が集まる時点で、世の中がおかしなことになっているのは一目瞭然ですね。
 
 ともあれ、善と悪というのは、言葉どおりの存在ではないと言うのも、間違いのないことだと思います。
 ポアに似た理念は少なからずどの宗教にも存在します。唯一ないのは釈迦仏教くらいでしょうか。
 これはつまり、完璧主義の思想に存在するもので、善と悪を立て分けた結果が生んだものですね。
 悪魔祓いだって魔女狩りだって善が悪を排除しようとした結果です。
 要するに、善だからといって、敵意や怨念がないというわけではないってことです。
 ここらへんが、所詮は人間が生み出した思想の限界であり、人間なんて所詮は〝混沌〟なのです。
 混沌にまみれた人間は完璧を求め、完璧なカリスマに憧れます。宗教の信仰対象となるものはそうやって生み出された偶像だったりすることがほとんどです。(宗教を否定しているわけではありません。あくまで信仰対象は人をひきつけるきっかけであり、重要なのは教えであると思っています)

 ですが実際にわたくしたちが生きる上で求めるべきものは、〝完璧〟ではありません。
 〝幸せ〟です。
 見出すべきものは〝幸せってなに?〟ってことで、死ぬときに〝ああ、幸せだったな〟と言える人生を積みあげることです。
 
 などと、ヘリクツで生死を〝考える〟のがそもそも間違いなのかもしれませんね。
 
 とまぁ、偉そうなことを書きましたが、こんなヘリクツはわたくしの小説には登場しません。(笑)
 芥川賞作家はやはり観点が違いますね。頭が下がりますが、わたくしはゴシップにだってこの世の真実があると信じております。(笑)

投稿: 酒井しのぶ | 2010年2月17日 (水) 14時30分

KOZOUさん、おはようございます。
こちら、大分雪が積もりましたが、わりと暖かいです。

そうなんです、日蝕を読んで平野氏を知り、その後は解らなかったのですが、芥川賞作家を調べていて、この作品にたどり着きました。あまりのテーマの重さに押しつぶされそうでしたが、殺人が何故いけないか、この問いに私はちゃんと答えられるだろうか、と言うのが読んでみて、最後まで引っかかりました。それがテーマなんですけれど、これは人を殺し合うことも含め、命の尊厳、善と悪、罪と罰、神とサタン、いろんなことを考えさせられました。書かれてますように、社会的状況的にはもちろん絶対の悪で現実に法により裁かれますけれど、大阪の事件のようなことも考えると本当に戦慄が走りますね。殺した本人は悪と思っているのか、そもそも悪とは何なのか、ともすれば善のあり方も相対的なだけじゃないのかとまで考えました。人間の価値観の違いと言ってしまえば、いつまでも殺人は消えないだろうし、まして今迄戦争を、いえ、今でも殺し合う背景にある暗黒は何なのだろうと最後まで読み取ることが難しい作品でした。単に善とはこうなのだという結論付けをしていないように私は感じました。
悪の存在をどのように解釈し、それにどう対処すればよいのかという問題提起こそ作者の意図するところではないかと受けとめたつもりでしたが、悪を根絶できるのは、人と人が関わり続けながら一人一人の真の悪を知り、闘うことだということも言いたかったことなのだと解釈しました。
KOZOUさんが書こうとしいることとは、大分かけ離れていると思います。私はいくつになってもこういう問題を抱えて生きていくような気がします。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月17日 (水) 08時12分

 茶々君のご主人様、おはようございます。
 言われるように、高度なシュミュレーション破壊ゲームに洗脳された若者が増加していき、社会が彼らに夢を与えることもできず、彼の人格も無視したら彼の敵は社会であり、駆逐すべきものとなる・・・そう思います。
 少なからず、真っ当に生きている人達を巻き込み、苦しめるだけの行為ですね。
 でも何故人を殺してはいけないの?と聞かれたら絶対的な言葉で答えられるか、私には自信がありません。そのことを抉り取られたような作品です。善と悪、神とサタンのように対極にあるようで実は背中合わせな存在があることを考えさせられました。善良な一市民として生きたい私には酷ない話でした。読んでくださりありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月17日 (水) 07時21分

おはようございます。
今日はそう寒くないのですかね。

平野啓一郎さん、すごいですね。
23歳で芥川賞、「日蝕」はしびれるほどのやつかみと驚きで読みました。舞台も文体もすばらしかったです。
その後現代を舞台に書いてあるようですがそれはあまり読んでいないですね。
この作品も秋葉原事件の時騒がれたですよね。
ちょうど今度の記事は戦争における殺人の問題で書こうと思っていました。
秋葉原の殺人の論理、ポアの論理、それらはけして絶対的に否定できることではないですよね。
社会的状況的にはもちろん絶対の悪で現実に法により裁かれますけれど。だからわたしは絶対にしないですけれど(^_^;)
大阪で小学生を多数殺した詫間は最後まで詫びず、喜んで死刑にされた、こんな事実を見ると本当に人間の底知れぬ恐ろしさが胸に迫ります。
「崇」は作者の代弁者のようです、というのは何だか分かる気がします。そのような問題を扱うのが文学でしょうし思想でしょうからね。
やはり時代の嗅覚も鋭いのですね。
この作品に作者の結論めいたものが書いてあるのか興味を持ちました。
ただ「命は地球より重い」などというエセヒューマニズムは特に
嫌悪したいです。

投稿: KOZOU | 2010年2月17日 (水) 06時22分

おはようございます
いろんな個人的な理由があっても、
決して社会からは認められない
殺人それも無差別殺人ですね。

それも知的にゲームのような無差別殺人は
理解を超えます。しかし、これだけ現実に発生
すると、不思議にも理解の範囲にはいってきます。

高度なシュミュレーション破壊ゲームに洗脳
された若者が増加していき、社会が彼らに
夢を与えることもできず、彼の人格も無視したら
彼の敵は社会であり、駆逐すべきものとなる・・・

ピカソの絵ですか?
いつも不思議に合う絵画で感心しています。

投稿: 茶々 | 2010年2月17日 (水) 06時03分

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