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2010年2月22日 (月)

松浦寿輝『花腐し』

『花腐し』が芥川賞受賞作の松浦氏。

 書のタイトルにもなっている『花腐し』とは、万葉集の和歌である「春されば卯の花腐し・・・」からとったもの。せっかく咲いたきれいな花をも腐らせてしまう、じっとりと降りしきる雨のことを表現しているといいいます。そして、その和歌が示しているように、本書の中には多くの水のイメージ・・・というよりも、絡みつくような湿ったイメージと、そこから湧き上がる腐敗のイメージがあります。

 同棲した祥子の死から10数年、栩谷は、友人と作ったデザイン事Shagaru018 務所が行き詰まって倒産に追い込まれ、礼金ほしさに、多国籍な街、新宿・大久保のアパートで一人頑張っている伊関の立ち退き交渉に行きますが、したたかな伊関に誘われてビールを飲みながらついつい話し込むことになってしまいます。部屋には少女が眠っていて、伊関は幻覚作用のあるキノコを売っているらしいのです。。キノコの腐臭に酔った栩谷は、少女と交わり、祥子に似た姿を見かけるのです。生死の境が溶けていくような妖しさを、男の現在と過去とを重ね合わせ、その精神の彷徨の一夜を雨の中に描いた、古風で知的な文体の小説です。

 祥子との関係について、栩谷は次のように言います。「そうか、とだけ呟いて黙ってしまった俺の冷たさに祥子はきっとひどく傷ついたのだ。あの『そうか』、一つをきっかけに俺たちの関係は腐りはじめたのだ。腐って、腐って、そして祥子は死んで、俺の方もとうとうこんなどんづまりまで来てしまったということなのだ」。

「40代も後半に差し掛かって、多かれ少なかれ腐りかけていない男なんているものか。とにかく俺の会社は腐ったね。すっかり腐っちまった」と言うと、伊関が「卯の花腐し・・・」と呟きます。「春されば卯の花腐し・・・って、万葉集にさ」と言います。

「卯の花腐し」は、陰々と降り続いてウツギの花を腐らせてしまう雨のことを言うそうです。卯の花月、すなわち陰暦4月の季語です。あたりの腐臭を立ちこめさせる「卯の花腐し」には、ひたすら陰気な鬱陶しさしかありません。今の日本にはそうした雨がじくじくと降り続いているように思われると、松浦寿輝は言います。確かに「花腐し」は、廃屋寸前の木造家屋やら、蒼い光の中で栽培されるキノコやら、幽で甘い時代の腐臭に覆われています。

腐るという感覚の中に、この主人公の過去の風景が混濁していく。それは、同棲相手の女性とのささいな思い出であったり、幼い日の心象風景であったりと、正に詩人的な感覚で語られています。

 著者は、現役の東大大学院総合文化研究科教授でもあり、古井由吉選考委員は、「東大も変質した、東大教授になっても、やっぱり往生できないんでしょう。」と、冗談交じりに話したそうです。

 本書の中では、常に雨が降りつづいています。伊関という陰気な男が居座っている古びたアパート、春をひさぐ女たち、近代的な高層ビルや、その影の中にひっそりとたたずむ繁華街、そこに渦巻くさまざまな人間の情念、そして栩谷という名の、くたびれた中年男そのもの・・・
  そのすべてを腐らせようとするかのように、そこにあるのは徹底した負のイメージ、けっして何ものも生み出Sag21 すことのない、自然からかけ離れた世界のイメージですが、面白いことに、人工物によって築かれた世界のなかで、ただひとつ、降りしきる雨のみが自然の産物なのですね。

 言葉を発明し、自分たちの文明を発展させていった人類は、実に様々なものをつくり出し、そのことによって豊かな社会を築いてきたと信じてますが、私たちが生み出したものは、何も目に見えるものばかりではなく、目に見えないもの、実体のないもの・・・たとえば時間、感情、意識や無意識、心といったものにもわざわざ名前をつけ、あたかもそういったものが存在するかのように思い込んでいるのかもしれ無いと思いました。

 立ち退きを迫る栩谷をアパートの中に招き入れた伊関は、そうした人間が名付けたものたものを『怪異なお化け』と呼んでいます。私たち人間が生み出したものに、いったい如何程の価値があるのかと問うている気がします。

 私たちは自然によって生み出されたものを真似て、造花をつくり、犬や猫そっくりのロボットペットをつくることはできるようになりましたが、それらは結局ところ、本物を超えることのできないのだと。

たったひとつ、私たちが生み出すことのできる生命の奇跡・・・自分たSag19 ちの分身でもある子供は、しかしこの日本においては徐々に出生率が減少しており、それ以前に行なわれる性の営みさえ、人間は古くからひとつの商品、娯楽として切り売りすることを暗黙に了解しているのではないでしょうか。

 自然の中で生きることを拒否し、経済という目に見えない約束事、亡霊のような存在にがんじがらめにされてしまった私たちの姿は、たしかに伊関が言うとおり、すでに亡霊の仲間入りを果たしてしまった存在なのかもしれません。

 本書に治められているもうひとつの作品『ひたひたと』は、その亡霊の存在をより前面に押し出したもので、時間の概念から解放された人の記憶の残留・・・澱のように沈殿している影の部分がさまざまに変化しながら、何者でもないものとして物語を語る、という構成になっているようです。

 澱・・・私にとっても永遠のテーマです。いつまでも澱の中にいてはいけない、澱の中から今私達がすべき事・・・澱のなかではなく川の様に流れ、水の中でころがることが必要なのではないのか・・・

『転がる石にはコケはつかない』そんなことを考えました。

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

I loved your blog post.Really thank you! Keep writing.

投稿: how to fuck | 2016年7月 8日 (金) 18時49分

スイーツマンさん、こんにちわ。
遡って書いてくださり、ありがたいです。
これは、さすが芥川賞だけさ非品だと思わされました。
挿絵も私はいつも奔放で、イメージし難い作品は破壊的な挿絵になったりします。ゴッホとシャガールなので統一感もないですね。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月26日 (金) 08時25分

面白そうな本ですね
記事本文もさることながら
挿し絵が奔放で気になります

投稿: 狼皮のスイーツマン | 2010年2月25日 (木) 21時00分

しのぶさん、こんにちわ。
いつもありがとうございます。
コメントを読んで思わず笑ってしまいました。
はいからさんが通るはNHKでみてました。
雨はミステリには確かに難しいでしょうね。でもあのトレンチコートと雨って似合いそうですけど(笑)。どんどん雨降らせる作家さんになってください!!!
大久保ってやはり、イメージ通りの街みたいですね。でもハングル語で書いた看板の中をしのぶさんが歩く姿はあまり想像すきませんね(笑)。アイヌの方とかいれば面白そうです。
また、遊びに行きますね!!

 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月23日 (火) 18時30分

 こんにちは。
 
 卯の花と聞いて思い浮かぶのは「ヨコハマ物語」という少女漫画です。(笑)
 はいからさんが通るで有名な大和和紀の作品ですが、ほぼ現代の少女漫画の基板とも言える恋愛模様を描いている優れた少女漫画です。
 
 雨はわたくしも好きですが、自分の小説にはあまり登場しません。というのも、ミステリーでは雨さえも推理の伏線になってしまうので、好きなときに好きなように降らすことができないんですね。使いどころが難しいです。伏線の上手い作家になって雨をガンガン降らせたいものです。(笑)

 大久保は歌っていたお店があるので、一時期ほとんど毎日通っていました。多国籍な街で、独特の雰囲気があります。看板の文字とかハングルですしね。
 裏路地とかに入ると、たしかにキノコ売っている人とかが暮らしていそうですね。(笑)
 キムチとか韓国の食材を売っている小さな個人商店で、韓流ドラマのDVDが売られていたりするのは知っていますが。(笑)
 携帯電話の激安なお店があるのですが、なんか怖くて買えなかったわたくしです。(爆)

 とまぁ、相変わらず記事から脱線したコメントですいませぬ。(苦笑)

投稿: 酒井しのぶ | 2010年2月23日 (火) 11時29分

茶々君のご主人様、おはようございます。
いつも早々とありがとうございます。

本当に40代って境目なのかもしれませんね。突っ走ってきたつもりでもまだこれだけしか出来ていないとか、私も考えた時期でした。
この作風はとても変わっていてイメージが陰鬱でジトジトしていてあたかも澱みの中で腐っていく感じがしますね。ものの見方も、物自体を見る澄んだ目でいられたらなと思います。

こうして気付くこと、澱みから這い上がれること、次の世代に伝える作品として残って欲しいと思います。
言われますように、ポジティブに昂揚できる心をいかにもつか?が問われていますね。頑張りまっしです。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月23日 (火) 07時56分

KOZOUさん、ジョークの解らないヤツでごめんなさい!!!

でもほっとしました。ガブリヨリ様。

投稿: とこ | 2010年2月23日 (火) 07時36分

澱んだ水は腐る。だから澱みの出ない配管構造に
する。水を扱う人の常識です。配管もサニタリー加工で鏡面に仕上げます。それほど、いつか清らかな水も腐るんですね。 じとじととした梅雨の季節を思い出しましたが、「卯の花腐し」は4月なんですね。 勉強になります。
40代後半で腐る人生、くたびれますものね。
わかりますよ。でも沈んでしまったら滓になってしまうだけ。
ポジティブに昂揚できる心をいかにもつか?
これが決めてなんでしょうね。私の場合、多くの本が助けてくれたと思います。

今の子がこの世代になり、落ち込んだとき、なにでこの世界から脱出するのか?できるのか?ちょっと
心配になります。

視点一つで、人生変わるんですが・・・

くらいよりあかるいですよね!!

投稿: 茶々 | 2010年2月23日 (火) 06時17分

おはようございます。
すみません、たびたび(^_^;)
いえいえ、けしてテーマわるくないですよ。
落ち込んでませんので(*^_^*)
フネのようになりたいではなく「フネの様に物事を見たい」です(*^_^*)
ローリングストーンもおもしろく書いたつもりですが下手だったですね。
40からのセーシュンでっせー。

投稿: KOZOU | 2010年2月23日 (火) 05時18分

KOZOUさん、こんばんわ。
いつもありがとうございます。
おっしゃる通り、何でも複雑に考えればいい訳じゃないと思いました。少し、私には難しいと思ったのですが、表現が美しい、そして雨の世界が魅力的でした。
そして、虚飾をはぎ取った「物自体」を把握することがもっとも大切、これはじーんときました。
「転がり転がりどっか落ちて消えるかも知れませんけれど」とかフネになりたいとか、どうか考えないで下さい。悲しくなります。40歳からの青春ではなかったのですか?
 テーマが良くなかったみたいですね。落ち込まないでくださいね。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月23日 (火) 02時13分

こんばんわ。
少し暖かい日でした。

芥川賞受賞作全集を買い込み読んでいったのですがまだ全巻は読んでいません。
「花腐し」は読みました。「腹下し」と違い本当にきれいな言葉ですね。
だいぶ前で、陰鬱でただ哲学的なイメージは覚えていましたが細部は忘れていました。とこさんの記事でだいぶ思い出しました。
確かに東大教授でも往生できないという言葉はぴったしですね。
土台往生していれば文学作品とか書くはずないですね(^_^;)
街にからみつくねっとりしたイメージをよく書いてあったと思います。
そして書かれていますように、「時間、感情、意識や無意識、心といったものにもわざわざ名前をつけ、あたかもそういったものが存在するかのように思い込んでいるのかもしれ無いと思いました」本当にそうだと思います。
「死」もそうでしょうけど、わざわざ複雑なイメージを付け加え、さも重大なことのようになっていますけれど、この前のネコ、フネが見つめていたのが死の実態だと思っています。
「時間、感情、意識や無意識」なども結局そうなのでしょうね。「物自体」という言葉がありますが、本当に虚飾をはぎ取った、井関が言うような『怪異なお化け』でない「物自体」を把握することがもっとも大切なような気もします。
なかなか難しいこととは思いますが。
本当にネコのように世界を見つめることができたらと思います。
ほんとにローリングストーンにはコケはつかないですよね。あたいも転がりたい(^_^;)転がり転がりどっか落ちて消えるかも知れませんけれど(^_^;)

投稿: KOZOU | 2010年2月23日 (火) 01時06分

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