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2010年2月 2日 (火)

天井桟敷~寺山修司

詩人、歌人、俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、俳優、作詞家、写真家、劇作家、演出家など多才だった寺山さん。演劇実験室・天井桟敷主宰していたことはご存知でしょう。本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返すのTeramama_006 が常でした。

 寺山さんは、ネフローゼを患ってました。

 1967年(昭和42年)1月1日演劇実験室・天井桟敷を結成。4月18日草月アートセンターで旗揚げ公演。 身体の調子は不十分だったのによくここまでやってこれたことを私は尊敬しています。1983年(昭和58年)東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、敗血症で死去。享年49(満47歳没)。死後、青森県三沢市に寺山修司記念館が建てられました。

「寺山よ。君は昏倒して入院してから一度も意識を回復しなかったから、自分の死がどのように訪れたか知らなかったにちがいない。その日、何かにせきたてられて私が病院についた時は、まだ、いつも好奇心を湛らせていた君の特異な眼は混濁する虚空を追い求めていたはずだ。二週間ほとんど眠らないで看護していた九條映子が病室から出てきて、今朝から君の強い心臓が弱り始めたと告げ、そのまま君のお母さんに連絡するため公衆電話の方に走った。私に、二十三年前の一九六〇年の初夏の頃、君を映子にひき合わせた神楽坂の陽ざしが甦ってきた。そして、あの季節の同じ深緑をつけてた樹々が病棟の窓から見えた。……」。これは篠田正浩映画監督の寺山修司さんに対する弔辞です。

 寺山修司主宰で演劇実験室を標榜した演劇グループ天井桟敷は状況劇場の唐十郎、早稲田小劇場の鈴木忠志、黒テントの佐藤信と並び、'アングラ四天王と呼ばれ、1960年代後半から1970年半ばにかけて、小劇場ブームを巻き起こしたことは以前にも書きましたね。天井桟敷という劇団名はマルセル・カルネの映画『Les Enfants du Paradis(邦題:天井桟敷の人々)』に由来しますが、寺山氏曰く、「好きな演劇を好きなようにやりたいという同じ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっとTerayama001 高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」と言われています。
 

創立時のメンバーは寺山の他に、九條映子(当時寺山夫人)を入れ全16人。『書を捨てよ街へ出よう』などの一連の著作により、若者の間で「退学・家出の扇動家」として認識され人気を得ていた寺山氏が主宰していること、また劇団創立時のメンバー募集の広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったことなどから、設立から長い間「一癖も二癖もあ る退学者や家出者が大半を占める」という異色の劇団になりました。

1969年12月5日、唐十郎主宰の「状況劇場」初日に、寺山修司からお祝いとして”葬儀用の花輪”が届きました。寺山氏としては、ユーモアのつもりであったし、寺山の「天井桟敷」旗揚げ公演に、唐氏が”中古の花輪”を贈ったブラックジョークに対するきつい返答でしたが。

でも、唐十郎氏と「状況劇場」劇団員は、12月12日深夜に天井桟敷館に殴り込み。双方もみあいから、乱闘に発展し、関係者9人が逮捕されるに至ったと言う経緯があります。文化人が無頼であった時代の伝説と言えるでしょう。

1983年5月4日に寺山さんが死去すると、劇団としての求心力を失い、同年夏の『レミング -壁抜け男』を最後に、同年7月31日をもって解散してしまいました。惜しいことです。その後、1970年代初頭から寺山の片腕として演出・劇伴を務めたJ・A・シーザーが演劇実験室「万有引力」を設立し、劇団員の多くはそこに移りました。

 そして作家としての寺山さんは最後まで優しさというものを貫かれTerayama_004 た方です。詩、エッセイが一番寺山さんらしいと思いますが、例えば、『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム』のような一字に影があるように、一行にも影がある・・・言葉と発想の錬金術師・寺山修司さんならでは、諧謔と毒との合金のような、文字どおり寸鉄の章句たちです。愛と暴力、快楽と死、賭博と夢、もちろん男と女。つごう52のキーワードの下、広く著作群のなかから集められ、あの鬼才のエッセンスがそのまま凝縮された413言が彼らしいこの一冊になったのもも見逃せません。

 いろいろな作品から抜き出された言葉なので、前後の文脈が分からないといまいち意味を掴みきれないものも多々あると思います。ですがその意味を想像してみるのも楽しいですし何より羅列された言葉の中には必ず「お気に入り」が見つかることと思います。

 その言葉によって救われたり、また歩き始める力をもらえたりするのでしょう。
 童話のように挿絵があり優しい言葉で語られているものも、実は大人が読むべきだと思います。
 
 何かが変ります、きっと。

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

Thanks for sharing, this is a fantastic blog article.Really looking forward to read more. Will read on...

投稿: eebest8 | 2015年5月 9日 (土) 02時33分

KOZOUさん、おはようございます。
はい、追悼、追加しました。篠田監督と同胞だったことにまず驚きましたし、内容も寺山さんの最期にふさわしいと思って。KOZOUさんの言うように70、80まで生きる人ではなかったのだと言う気がしますね。
 自分もなんて、悲しいこと言わないで下さい。
安らかな死なんて無いと思う私です。それなりに苦しみがあったと思います。生きてることのほうがもっと苦しいと思いますが。喜びがあるのも生きてるからこそなんですよね。
 なんて解ったような口きいてごめんなさい。
 わざわざ来てくださったのに、こんな〆でホントすみません。
 今日、本当は記事をアップする日なのですが、寝坊をして、仕事が詰まってしまったので明日にすることにしました。

 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 4日 (木) 08時31分

スイーツマンさん、おはようございます。
そうだったのですか。
会社からとは大変でしたね。
お疲れ様です。
ホント言うともう相手にされていないのかと
悩んでました。これで解決。

わざわざありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 4日 (木) 08時08分

こんばんわ。
また(^_^;)

篠田監督の弔辞は知らなかったですけれどほんとにいいものですね。
昏倒して一度も意識は戻らず、そのまま。
なんかうらやましい気もします(^_^;)
亡くなったときはそうなんだろうなと不思議に受け入れていましたね。
やっぱ70,80まで生きる人ではなかったのでしょうね。
精一杯生きている間に生みだしそれでよかった気もします。


投稿: KOZOU | 2010年2月 3日 (水) 23時42分

 読み返してみましたところ、漢字変換がうまくいかなかったようです。会社のPCを借用したのですが、うまく操作できなかったようです。意図したものではありません。平伏。

投稿: 狼皮のスイーツマン | 2010年2月 3日 (水) 10時26分

アリファティックさん、こんばんわ。
私もブラックユーモアだけでなくただのユーモアさえ和からなう鈍い人間です。だから時々、真面目に考えて損な気分になることもありますが、そこは笑って流しています。
 唐十郎氏と「状況劇場」劇団員の殴りこみ事件もちょっとしたユーモアの取り違えで起きたことです。

 アリファティックさんは真面目すぎるんですよ、きっと。物事を斜に見ているのではないように思いますよ。一つ一つのことを真剣に考えず、斜め読みをしてるのは私たちのような気がします。だから知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうのでしょう。反省します。中途半端な生き方しているのは私のような人間です。だから落ち込まないで下さい。精一杯生きてるじゃないですか、それは良く解っていますから。こんな記事が続いてちょっと暗くなりましたね。でも寺山さんの優しさが解っていただけただけで嬉しいです。
 お身体辛いのではないですか?そんな中来て下さっただけで充分です。ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 2日 (火) 22時42分

寺山修二さんは、ある意味異端児であると同時に優しく人の弱さを理解していた人だったのでしょうね。
日本人はユーモアを解さないと言われますが、イギリス人が好きなブラックユーモアは特に受け入れられにくいようです。
唐十郎ですら、理解しえなかったのでしょう。
私もブラックユーモアは苦手ですが。
世の中を斜めに見てしまう癖がある私には、天井桟敷の人々にはなれそうもありません。
かといってアングラにもなりきれない、中途半端な人生観のような気がします。

投稿: アリファティック | 2010年2月 2日 (火) 20時05分

しのぶさん、こんにちわ。
はい、天才です。多方面に渡り、熟知してらっしゃるところはしのぶさんも同じですよね。でもl名前だけっていうのも珍しいのかな?スイーツマンさんも本当に知ってか知らずか・・・

 海外物が多い方には馴染みがないかもしれませんね。あと若い人も、もう知らない世代が大人になったのかもしれません。私はいったいいくつなのでしょう!?

ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 2日 (火) 15時52分

茶々君のご主人様、こんにちわ。

言葉と発想の錬金術師ですから、きっと本も楽しめると思います。でも天才過ぎて、野田秀樹のように訳解らないものもあるかもしれません(笑)。私もうる覚えです。でも身体弱くしてもあのブームに乗っていたのは気丈です。優しい言葉を投げかける人だったのに・・・惜しいですね。ご主人様の健康は私が神様にお祈りしていますから、気を弱くしないでくださいね。きっとですよ!!
  幸せに向かって頑張りましょうって言ったじゃないですか
。無理せずがんばりましょうね、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 2日 (火) 15時40分

 こんにちは。
 寺山修司、名前は知っていました。なるほど、記事と皆さんのコメントを読んでみると、なかなかな鬼才のようですねぇ。
 413、気になってきました。
 
 えぐいジョークをやってのけるあたりが、わたくし好みかもしれません。(笑)

投稿: 酒井しのぶ | 2010年2月 2日 (火) 12時13分

両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム
ちょっと興味ありますね!
今度探してみます。

アングラは私にとっても青春時代で
学生運動の嵐など、時代は変わりましたね~

惜しまれて行く人の年齢が最近はとっても
気になります、やはり若いですね。
虚弱体質であった自分がこの歳まで
無事で、家族も健康であったことに
あらためて感謝しています。

ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 12時01分

スイーツマンさん、おはようございます。
どうしちゃったのですか?
私が相手だと壊れちゃうんですか?困りました・・・

DVD,どうでしょう。あってもよさそうですが、あるかどうか解りません。今度調べておきますね。

投稿: とこ | 2010年2月 2日 (火) 06時53分

KOZOUさん、おはようございます。
アングラ、お好きですか?一時期は本当に一声風靡でしたよね。あの頃は、天井桟敷と言うと、いやらしいっていう目で見られて、内容は殆どしりませんでした。お芝居は唐さんのほうを先に観ていましたね。ただ、寺山さんは、本のほうで、まだ小学生だというのに立ち読みしていました。波乱な人生だったと思います。篠田監督の言葉が痛いです。時代が産んだ天才、その通りですね。覗きで問題になった事がありましたが、覗かれるだけ光栄と思えと言いたかったです(笑)。
あ~~マッチ擦る つかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや・・・いいですよねえ、でも私もそんなもの無いなという心境です。アップしてよかったです。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 2日 (火) 06時45分

なまえでしかきいたことのないハイユウ
です。
おもしろそうです
DVDとかあるといいのですが

投稿: おおかみかわのすいーつまん | 2010年2月 2日 (火) 06時18分

こんばんわー。
いつも丁寧なコメントいただき大変ありがとうございます。

お~~~寺山修司。
唐十郎、早稲田小劇場、黒テント、'アングラ四天王、『書を捨てよ街へ出よう』一つ一つがとても懐かしいです。ほぼ落涙状態。(^_^;)
ほんとに活気があったですね。時代の風潮がほぼ暴力、ブンカ人の必要条件、今から思うとムチャクチャでしょうが。
状況劇場の殴り込みは覚えています。さすが驚きましたが。今のように裏にこもった自尊ではなく、全身で表す自尊、みんながそうならぶつかるのは当然ですね。
もうあのような時代は二度と来ないのでしょうね。
寺山修司さん、若死にはほんとに惜しかったです。
やはり時代が産んだ天才でしょうね。
太宰と似た含羞の人という感じもします。
書かれていますように「一字に影があるように、一行にも影がある・・・言葉と発想の錬金術師」ですね。むき出しの優しさと詩情があったと思います。
ご存じと思いますが大好きな短歌です。
マッチ擦る つかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや
そんなもんネエよという彼の叫びが聞こえてきそうです。

投稿: KOZOU | 2010年2月 2日 (火) 04時34分

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