« 天井桟敷~寺山修司 | トップページ | 『メロディーズ・オブ・ラブ』~ザ・クルセイダーズ »

2010年2月 5日 (金)

かけがえの無い命『天の瞳』

 最初、私はあまりに有名な作家さんというだけで灰谷作品を読んでみました。すると、これは児童向き作品?と躊躇し、暫く読まないでいたのですが、灰谷さんは左翼とか色々な批判を聞くようになり、左翼でもいいじゃないというおもいで読み返してみました。

この作品は、小瀬倫太郎の成長物語です。倫太郎は天衣無縫で、Kaii17 いたずら好き。小学校入学早々担任の先生に「ヤマンバ」とあだ名を付けたり、クラスメートを泣かせたりして、先生や周りの大人たちから叱られてばかり。でも、倫太郎は本当に問題児なのでしょうか。

 少なくとも、私にはそうは感じられません。灰谷氏は「倫太郎は問題児なのか。そういうふうにレッテルを貼ってもいいものなのか、というのが、この小説の主題の一つでもある」と語っていました。
 「なぜ教師の言うことに従わないのか、を反抗とみるのではなく、何か伝えたいことがあるのだと思ってほしい。子どもの目線に立って倫太郎のことを考えると、その答えが自ずと見えてくる。」と灰谷氏は言っているような気がします。もし、倫太郎に「悪ガキ」というレッテルを貼ってしまったら、見えるものまで見えなくなってしまい、新しい倫太郎を発見することが難しくなってしまうかもしれない。実際、一年生の担任の山原先生は思ったことをストレートに表現する倫太郎に戸惑い、倫太郎を授業を妨害する問題児だと見ていたきらいが多少あります。山原先生は倫太郎に出合ったことで、少しずつ変化をしていくのですがが、もし一歩間違え「倫太郎は問題児だ」という目で倫太郎を見ていたら、倫太郎の鋭い感受性やその他の可能性に気付けなかったかもしれません。

 灰谷氏はこの作品に「人にも、ものにも添うて生きてほしい」という祈りを込めている気がします。「添う生き方」とは、一体どのような生き方なのでしょうか。
 
 倫太郎は、おじいちゃんから出合いで学んでいます。
「人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。」
「好き嫌いが激しいと、これは嫌い、これは嫌いとせっかくの出合いを遠ざけてしまうか、見えるものまで見えなくなってしまう。」

そして、倫太郎に友だちが多いことに触れ、
「神様がおまえのために祈ってくださったおかげがひとつ、そうしてできた出合いを倫太郎が大事にしたことがひとつ、相手もまた倫太郎を気にかけてくれたことがひとつ、そんなひとつひとつが重なって、今の倫太郎がある」と言います。
 

 倫太郎は友だちとのつきあい方だけでなく、命とのつきあい方、さらにこの世の中にある全てのものとのつきあい方をおじいちゃんから学んでいますが、それらのおじいちゃんの言葉は倫太郎を
『いったん友だちになってしまえば、それは、親兄弟と同じように、取り替えることの出来ない、かけがえのないものなんだ』
という思いに変えていくのです。

 こんなことがありました。ヒマワリとホウセンカの種を蒔く時、花をHigashiyama_work21s きれいに咲かせるにはばらばらに蒔いあた方がいいのだが、倫太郎にはどうしてもそれが出来ません。

人間だけでなく、種同志も「仲良しの方がええねん」というのです。そしてひとつの穴に一緒に蒔く・・・とても心打たれる場面です。

 倫太郎について、保育園のヒデミ先生が「倫太郎ちゃんみたいな子にどう添うてあげたらええの」と言います。

「人に添うて生きる」「人とつながって生きる」ことこそがこの『天の瞳』の主題であり、様々な反響を呼び、いろいろな人に読まれる所以ではないでしょうか。
「一緒にいるってことは、ほんとうに素晴らしいことなのよ。」という園子さん。この言葉こそ灰谷健次郎氏がいつも実感し、かみしめていることなのではないかと思います。

 中学生になり、リンチを受けた倫太郎は、復讐の鬼と化します。やられた相手一人一人に仕返しをしていく・・・。そんな荒れた倫太郎をミツルや青ポン、タケやん、芽衣、園子さん、あんちゃんらは、自分のことのようにとても心配していました。そして、そんなみんなの心配を受けて、自分はどうするべきなのか、自分がしてきたことは間違っていたのか、これからどう行動すべきなのかを考えて、倫太郎は変わっていきます。たとえ暴力を受けて、相手にどんなに怒りが込み上げてこようと、どんなに痛みがおそってこようと、無抵抗で通すようになりました。
 倫太郎はこう言いました。
そのとき、オレは、オレを大事にしてくれる人のことを、じっと考えていた。だから我慢できた。』と。
 そして、倫太郎の母、芽衣は考えます。「 自分を大事にしてくれる人がいるのに、自分を粗末にできるはずはない。」「自分の命の中に、他者のいくつもの命が存在することを、この子はこの子なりに解しているのだ」と。

 一つの命が成り立つためには、他の無数の命がそれを支えているのだということ、自分の命も、また、他の命を支えているのだという思想が、人間の誠実さを生み、優しさを創るのではないかということを教えられました。そしてこの「命」の追求は、灰谷健次郎氏の文学にとって終わることはないでしょう。なぜなら、この思想こそ灰谷健次郎文学の始まりであり、永遠のテーマであるからです。
「命を見つめる」、それが灰谷健次郎文学の神髄なのではないでしょうか。

|

« 天井桟敷~寺山修司 | トップページ | 『メロディーズ・オブ・ラブ』~ザ・クルセイダーズ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

I value the blog article.Really thank you! Really Cool.

投稿: rrb result 2016 | 2016年7月17日 (日) 04時15分

Awesome article.Thanks Again. Fantastic.

投稿: purificadoras | 2016年7月12日 (火) 23時09分

Great, thanks for sharing this article.Thanks Again. Really Cool.

投稿: dancing porn | 2016年6月 2日 (木) 14時19分

Thanks again for the blog article.Much thanks again. Keep writing.

投稿: carly parker | 2016年2月 3日 (水) 10時48分

KOZOUさん、何度もありがうございます。
私の言葉が足りなかったことで混乱を招いてしまいました。
皆さん、深く考えて下さって、それに答えられない自分に深く反省させられました。ありがたいことですが。

 KOZOUさんの」言うように負けてばかりいましたが、「サヨク」はよく闘ったと思います、殆どが人生をかけて。
でもいっこうに世の中はよくならない、今の世は隠れアカが結構いるような気がします。そして増殖する可能性も。
 ただ批判するだけなら誰でもできる、こういう風潮ともとれますが。灰谷さんのような方はもう現れないのでしょうか。
風刺するだけじゃだめですよね。やはり一人一人が流されず、考えて実行することが要求されているような気がします。
あ~また左に寄ってますね(笑)
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 8日 (月) 06時47分

スイーツマンさん、おはようございます。

>闘うときは闘わないとなりません。理不尽に立ち向かうことは悪ではないのです。
 
そうおっしゃてくださって救われた気がします。ありがとうございます。

>理想に生き、相手もやがて悟ってくれるなら、天の恵み。しかしながら、子供には「天使」と「餓鬼」が宿っています。成長しきれない大人にも「餓鬼」の心はあります。
 
 そうですね、言われること、よくわかります、こういう言う答えが出来なかったことを恥ずかしく思いました。
「天使」と「餓鬼」が心の中で葛藤をするのが人間なんですね。子供にはつい天使を求めてしまうのは大人の勝手なのかもしれません。
ちょっと悩みすぎて混乱してました。善・悪だけをものの尺度には出来ない深いところを掘り下げていなかったようで反省しています。
 本当にありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 8日 (月) 06時26分

こんばんわ
寒い上に雨まで降ってきました。

倫太郎の精神の成長物語が全世界規模に発展していますが、「サヨク」は戦うべき時には断固戦ってきましたね。ま、たいてい負けてきましたが(^_^;)灰谷さんも政治的社会的テキには存在をかけて闘ってきています。沖縄とかしかり。だから今はやりませんが。かっての「アカ」というバイキン呼び名の復活するのもそう遠くないでしょうね。

投稿: KOZOU | 2010年2月 8日 (月) 02時21分

「非暴力不服従」
なるほどガンジーは偉い。インドの人たちの勇気にも敬服します。

キリストも
「右頬を打たれたら、左頬を示せ」
といってます。

他方、中国戦国時代に、「兼愛」の思想で一世を風靡した『墨子』教団は、男女を含めた人間の平等をうたい、理不尽な暴力に対しては、徹底抗戦も辞さない。──という姿勢で、弱小国を大国の攻撃から守り抜き、堅牢なる防衛体制を「墨守」という言葉にされています。

その物語には、素晴らしい理想があります。理想に生き、相手もやがて悟ってくれるなら、天の恵み。しかしながら、子供には「天使」と「餓鬼」が宿っています。成長しきれない大人にも「餓鬼」の心はあります。

闘うときは闘わないとなりません。理不尽に立ち向かうことは悪ではないのです。国家・警察が守ってくれるのが当然なのでしょうか? 生きるために自身が身を守るのは不可避と考えます。(すみません、あくまでも私見です)

※ 本日はPCの調子がとてもいいです。

投稿: 狼皮のスイーツマン | 2010年2月 7日 (日) 15時49分

アリファティックさん、こんばんわ。
いつもありがとうございます。
無抵抗が善かと聞かれますと、考えてしまいますね。
でも無抵抗な人間に対して暴力を振るい続ける人間にはなりたくないですね。やはり宗教の違いは争いの種なのでしょうか。灰谷さんならどう答えてくださったでしょうか。きっといろんな人が悲しむことを考え無い人がけんかや暴力を行うのではないかと思うのですが・・・すみません、うまく答えられません。優しいだけ、人と添うだけでは無いのでしょうね。命を粗末にすることも、灰谷さんは悩んでこられたと思います。
 教育というのは本当に難しいと思います。我々大人がどれだけ模範になれるかも大事ですよね。考えさせられるテーマです。でも考えてい頂き、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 7日 (日) 03時01分

難しいテーマですね。
ガンジーが無抵抗、非暴力を展開し、インドの独立を果たします。
しかし、他方でこの国では、イエスの教えに従い暴力に抵抗せず、リンチで殺された少年もいました。
抵抗しないことが絶対的に善なのか。
良しとされるべきことなのか、今の私には分かりません。

投稿: アリファティック | 2010年2月 6日 (土) 20時23分

KOZOUさん、こんばんわ。
私はいつからか左よりに傾いているようです(笑)。でも酒鬼薔薇事件の内情は知りませんでした。凄いですね。

 本当に子供の教育では身をはって考えてこられていますね。私の父も教員だったので苦悩する姿は痛いほど解るつもりでしたが、KOZOUさんには叶わないなあ。
 灰谷作品は殆ど読まれているのですね。一つの作品だけでなく全てに一貫した作品と生き方をされたのですね。
それだけで、尊敬の念を感じます。

この作品は、読み込むほどに一人一人の登場人物が魅力的です。言われますようにおじいちゃんとの会話が倫太郎をン問題児と言われても成長する姿は立派だと思いますね。
喧嘩を売られても抵抗しなかった、そこには人との繋がりがあったから我慢できたと言うくだりはこどもの成長を願ってこそ、出来たお話だった気がします。灰谷さんはこどもとその将来を何時いかなる時も考えていた、KOZOUさんのお話を備えて、父に話してあげたくなりました。

 また私の記事の補修を書いていただいているようで中身がぎゅっと引き締まりました。
 いつもありがとうございます。

投稿: とこ | 2010年2月 5日 (金) 19時58分

あ、いつも丁寧な感想、大変ありがとうございます。
感謝いたします。

投稿: KOZOU | 2010年2月 5日 (金) 19時19分

こんばんわ。
こちらも寒いですが北海道は寒すぎでしょうね。

「左翼とか色々な批判を聞くようになり、左翼でもいいじゃないというおもいで読み返してみました」読み返していただきありがとうございます(笑)。いつの間にか「左翼」はアホの代名詞になっていますが、一昔前は文化人の条件は「左翼」、それから雪崩をうって転向していますが、灰谷さんは数少ない一貫した作品と生き方、心から尊敬しています。まあ、サヨクも誰にも負けないほど学び苦しんできた自負はあるもので、灰谷さん自身も教師でそれに疑問を感じ、退職し各地を放浪、兄の自殺とか苦労されていますね。子供の教育では身をはって考えてこられています。
さすがだと思ったのは酒鬼薔薇事件で実名と顔写真を報じた新潮社に抗議し作品の版権をすべて引き上げたことで、わたしはうなりました。当代一の出版社に反旗を翻し生き方を貫いた。作品は作品だけで評価すべきと言うのはよくわかりますが、言葉は何とでも言えるもの、わたしは作品そのものはおもしろいと思ってもどうも信じられないという気が残ることが多いですが、灰谷さんはちがいますね。

すみません、また自分の「評論」になり(^_^;)
とこさんの記事でした(^_^;)
灰谷さんのはかなり読んでいてこれも読みました。
作品の感想も多くはとこさんが書いてありますね。
現場で苦しんできた灰谷さんの気持ちがよく出ていると思います。もちろんテーマを丸出しだけでは最も厳しい子供に受け入れられるはずはなく、倫太郎はじめ子供たちが生き生きと書かれ物語としてもとてもおもしろかったです。みんな個性にあふれていますね。おじいちゃんが魅力的でした。
悪魔のように袋だたきにされた酒鬼薔薇事件の少年さえ守ろうとした灰谷さんの子供への深い愛を讃えたいと思います。もっともっといい作品を書いてほしかったです。

投稿: KOZOU | 2010年2月 5日 (金) 18時40分

しのぶさん、こんにちわ。
いつもありがとうございます。
おっしゃること、ことごとくうんうんと頷いてしまいました。

そうですね、好き嫌いと善悪を混同している教師が何を教えられるでしょうか。教師が聖職者と呼ばれる所以の根源は、これを混同しないところにあるのだと、私も思います。

 命の大切さ、人とのつながり、言葉煮出すのはたやすいけれど、実践して模範を見せるのが教師の役目だと思います。

と、教師にばかり押し付けるのも変ですね。家庭環境も多いに子供の人格形成に影響している訳ですから。

壊れやすい子供の心をこの作品のおじいちゃんのように説いてくれる人が欲しいですね。

 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 5日 (金) 13時17分

 こんにちは。
 わたくしの今日の記事で書くつもりでいたことなのですが、ここに書いちゃいましょうか。(笑)

 人間というのは、感情が豊かであるがゆえに、〝好き嫌い〟と〝良い悪い〟を混同してしまいます。つまり、好き=良い。嫌い=悪い。この図式が成立してしまう思考のことです。
 
 これはあらゆる側面で、ほとんどの場合マイナスに働いてしまうことです。
 どっかのお相撲さんしかり、最近流行りの裁判員制度しかりです。
 
 教師が聖職者と呼ばれる所以の根源は、これを混同しないところにあるのだと、わたくしは思います。
 現代教育の場で起こる教師の問題はすべてこの善悪と嗜好の混同からきていると言っても過言じゃないと思います。

 とまぁ偉そうなことを述べましたが、教師って大変ですよね。尊敬しちゃいます。(ゴマすりじゃないわよ! 笑)

投稿: 酒井しのぶ | 2010年2月 5日 (金) 12時14分

茶々君のご主人様、いつもありがとうございます。
灰谷作品に出て来る問題児はまだ可愛いほうですね。

>なぜの観点から取り上げ、検証し、体制側の改善にまた説明と理解を求める行動にまで取り上げるには現実問題難しいですよね。

そう思います。でも書かれていますように小さな一歩がそして灰谷氏の言うように人と繋がって生きていくことが出来れば
何かが大きく変化するような気がします。

>信じあい暖かくささえあう社会を目指して一歩進めたいですよね。

 はい、それをこの作品であらためて感じました。政治もそうあって欲しいと思います。

 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年2月 5日 (金) 08時34分

問題児の定義はむつかしいですね。
はっきりしているのは、体制側の進行を
妨げるものなのでしょう。

なぜの観点から
取り上げ、検証し、体制側の改善にまた
説明と理解を求める行動にまで取り上げるには
現実問題難しいですよね。

元暴力団幹部の神父さんの話を
みましたが、この神父さんの目を通してしか
問題児の視点を受けれないのだなと
おもいました。

でも、このような草の根活動でしか
いい社会、命を大切にすることはできないのだろうと
おもいます。政治はそのためのインフラを
わかりやすく提供することなのだとあらためておもいます。

信じあい暖かくささえあう社会を
目指して一歩進めたいですよね。

いつも祈っていただきありがとうございます!!
とこさまの優しさに ニコ!

投稿: 茶々 | 2010年2月 5日 (金) 07時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 天井桟敷~寺山修司 | トップページ | 『メロディーズ・オブ・ラブ』~ザ・クルセイダーズ »