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2010年3月

2010年3月29日 (月)

アルビノーニのアダージョの秘密

 私はこの曲をアルビノーニの曲と信じてきましたが、調べてみると、ジャゾットと言う音楽学者が、ザクセン国立図書館から受け取ったアルビノーニの自筆譜の断片を編曲したと称して、『ト短調のアダージョ』を出版していたことが解りました。この作品が『アルビノーニのアダージョ』として親しまれるようになると、ジャゾットの名もアダージョの編曲者としてとりわけ有名になったのだそうです。

 ジャゾットは、自分は編曲したのであって、作曲したのではないと言い張りましたが、現在では完全なジャゾットの創作であることが判明しました。自筆譜の断片が公表されたためしがなく、ジャゾットはバス声部のみが該当の部分だと述べており、しかもこの曲の版権はジャゾットが持っていたということでした。

 アルビノーニはトマゾ・ジョヴァンニ・アルビノーニ(1671年6月8日 ヴェネツィア - 1751年1月17日 ヴェネツィア)といい、イタリア・バロック音楽の作曲家で、生前はオペラ作曲家として著名であったが、今日はもっぱら器楽曲の作曲家として記憶され、そのうちいくつかは頻繁に録音されています。

 ヴェネツィアでは、ビッフィ以外の音楽家との交流はなかったようですが、多くのイタリア都市においてオペラ作曲家として名を上げ、たとえばヴェネツィア、ジェノヴァ、ボローニャ、マントヴァ、ウディーネ、ピアチェンツァ、ナポリなどでは有名でした。この頃になると器楽曲をふんだんに作曲し、1705年以前に、ほとんどのトリオ・ソナタやヴァイオリン協奏曲を作曲しましたが、その後は1719年まで、独奏楽器のためのソナタやオーボエ協奏曲を作曲するに留まっています。そして1720年代から作曲家アルビノーニの足取りはつかめなくなるのです。一体何があったのでしょう。

 多くの同時代の作曲家とは異なり、教会や貴族の宮廷に地位を得ようとした形跡が見当たらず、独自の財源によって、独力で作曲する自由を得ていたと言われています。

1742年にフランスで、アルビノーニのヴァイオリン・ソナタ集が「遺作」として出版されたことから、研究者から、アルビノーニはその頃には亡くなっていたと推測されてきました。しかしながらアルビノーニは、ヴェネツィアで人知れず生き延びていたそうです。生地のサン・バルバラ小教区の記録によると、アルビノーニは1751年に糖尿病により、「79歳」で亡く、なったとあります。

『アルビノーニのアダージョ』に話を戻しましょう。よく聴くと他のバロックとは違いがあることにお気付きでしょう。この作品は、トマゾ・アルビノーニの『ソナタ ト短調』の断片に基づく編曲と推測され、その断片は第二次世界大戦中の連合軍によるドレスデン空襲の後で、旧ザクセン国立図書館の廃墟から発見されたと伝えられてきました。作品は常に「アルビノーニのアダージョ」や「アルビノーニ作曲のト短調のアダージョ、ジャゾット編曲」などと呼ばれてきました。しかしこの作品はジャゾット独自の作品であり、原作となるアルビノーニの素材はまったく含まれていなかったのです。

 こんな背景の中、私はこの曲が好きになったのは、悲哀、哀愁をおび、アルビノーニの音に対する自由を感じるからなのでしょう。雄渾多感な旋律と陰翳に富んだ和声法ゆえの親しみやすい印象から通俗名曲として広まり、クラシック音楽の入門としてだけでなく、ポピュラー音楽に転用されたり、BGMや映像作品の伴奏音楽として利用されたりしたのも、もとはアルビノーニの皇帝音楽からの逃避と考えられるのではないでしょうか。

 本当にクラッシックのお好きな方には受け入れ難いかもしれません。でも私はジャゾットの曲であろうと、この曲を愛してやみません。

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2010年3月24日 (水)

芝居に賭けた人生~山﨑 努

 山崎さんは、映画が出発点であったことを私は知りませんでした。黒澤明監督作品の『天国と地獄』で演じた誘拐犯・竹内銀次郎役、同じく黒澤作品の1965年、『赤ひげ』で演じた佐八役で注目され、その後映画をはじめ、テレビ・舞台へと活躍の舞台を広げられたのだそうです。
 1984年の『お葬式』から『タンポポ』『マルサの女』と、『マルサの女2』からその位置を津川雅彦氏に代わるまで伊丹十三監督作品に連続出演されていました。

『静かな生活』にも出演。2000年、紫綬褒章受章。最近では、2001年の『GO』(東Yamazaki001映)、2004年の『世界の中心で、愛をさけぶ』と、全幅の信頼を置く行定勲監督作品に連続して出演し、鍵を握る役どころを圧倒的な存在感で見せました。現在も舞台、テレビドラマ、『地球大進化46億年・人類への旅』などで活躍し、2007年、秋の叙勲で旭日小綬章を受章と功績が認められて入る事は私にとっても嬉しいことです。

 「必殺シリーズ」において、人気キャラである念仏の鉄を『必殺仕置人』(1973年)、『新必殺仕置人』(1977年)と2度演じた事がありこれは極めて稀な例だそうです。そう、あの頃は山崎さんではなく鉄さんと呼んでいましたね。

 その後は『九門法律相談所シリーズ』を楽しみにしていました。強面でいかにも検事と言う感じだったのが、口は悪いけれど、優秀な弁護士・・・娘のめぐみさんとも仲がいいんだか、悪いんだか・・・でもああいう親子のやり取りは聞いていても不快にならないのだから不思議です。

 深く刻まれたしわとムスッとした表情、低いトーンの声など、他に並ぶ者がいないほど独特な存在感・威圧感を併せ持ます。その実力は渡辺謙さんが自ら、自分は山﨑努の弟子と公言してはばからない程です。渡辺さんがまだ若手だった1985年に自身プロデュースの舞台『ピサロ』に渡辺さんを起用したことが縁で二人の師弟関係が始まりました。

  山崎さんの舞台は特に観てみたいと思っていますが、なかなか舞台には行けません。『リチャード三世』や『ヘンリー四世』などは素晴らしいのだろうと推測されますが、せめて教育テレビで放送してくれるのをまつばかりです。

 1977年に公開された『八つ墓村』では、史上最凶最悪の殺人鬼・多治見要蔵を演じました。青白い顔で、日本刀と猟銃を手に、次々と村人を殺害していくシーンは、見る者すべてを戦慄させましたね。

『天国と地Aoki005獄』では、この 映画は主役が3人いて、映画の前半=被害者:三船敏郎 後半=刑事:仲代達也たち  終盤=犯人:山崎さんという形になっていますが、この終盤と言うのは実際には5分ちょっとしかないのですが、山崎さんがその5分でおいしいとこ全部持っていったそうで、(世界的スターだった三船氏や仲代氏を向こうにまわして…この映画140分もあるのに・・・) 

実際には山崎さんの場面のあとにまだ続きが用意されていたのですが、山崎さんの演技の凄さにかの黒澤氏が続きの場面をすべてカットし、エンドマークにしてしまったなんて事も聞いています。

 山崎さんの面白い面を見たいなら『刑務所の中』でしょう。面白いとこ大炸裂です。ドラマでも笑ってしまうのは『人に言えない職業の男』もそうですね。『クロサギ』(2006年/TBS)の詐欺師の大本締め桂木敏夫役かっこよかったすね。

でも本当はアットホームにすごされているようで、湯川学的に言えば、『さっぱり解らない。でも面白い。』というところでしょうか。

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2010年3月20日 (土)

水上勉『飢餓海峡』

   私が彼を知ったのは『飢餓海峡』のテレビ化されたものでした。

 昭和二十二年九月二十日十号台風の最中、北海道岩内で質店一家三人が惨殺され、犯人は放火して姿を消します。その直後嵐となった海で、青函連絡船の惨事が起き、船客五百三十名の命が奪われました。死体収容にあたった函館警察の刑事弓坂は、引取り手のない二つの死体に疑惑を感じます。船客名簿にもないこの二死体は、どこか別の場所から流れて来たものと思えます。そして岩内警察からの事件の報告は、弓坂に確信をもたせました。

 事件の三日前朝日温泉に出かけた質屋の主人は、この日網走Minakami_001_2 を出所した強盗犯沼田八郎と木島忠吉それに札幌の犬飼多吉と名のる大男と同宿していました。
 質屋の主人が、自宅に七八万円の金を保管していたことも判明。弓坂は、犬飼多吉の住所を探しましたが該当者は見あたらず、沼田、木島の複製写真が出来るまで死体の照合は出来ませんでした。

 でも弓坂は漁師から面白い話を聞きます。消防団と名のる大男が、連絡船の死体をひきあげるため、船を借りていったというのです。
 弓坂は、直ちに犬飼が渡ったと見られる青森県下北半島に行き、そこで船を焼いた痕跡を発見。犬飼が上陸したことはまちがいなく、その頃、杉戸八重は貧しい家庭を支えるために芸者になっていたが、一夜を共にした犬飼は、八重に3万4千円の金を手渡し去っていきます。八重はその恩人への感謝に、自分の切ってやった爪を肌身につけて持ってました。女心ですね。
 

 そんな時、八重の前に犬飼の件で弓坂が現われましたが、八重は犬飼をかばって何も話しませんでした。八重は借金を返済すると東京へ発ち、一方写真鑑定の結果死体は沼田、木島であり二人は、事件後逃亡中、金の奪い合いから犬飼に殺害されたと推定されました。その犬飼を知っているのは八重だけ。
 

 弓坂の労もむなしく終戦直後の混乱で女は発見出来なかったのです。それから10年、八重は舞鶴で心中死体となって発見されます。でもこれは偽装殺人とみなさます。東舞鶴警察の味村刑事は女の懐中から舞鶴の澱紛工場主樽見京一郎が、刑余更生事業資金に3千万寄贈したという新聞の切り抜きを発見。八重の父に会った味村は、10年前八重が弓坂の追求を受けたと聞き、北海道に飛び、樽見が犬飼であるという確証は、彼が刑余者更生に寄附したことでした。弓坂と味村は舞鶴に帰ると、樽見を責めましたが、しらをきる樽見の大罪は、八重が純愛の記念に残した犬飼の爪と、3万4千円を包んだ、岩内事件の古新聞から崩れていいきました。

 「飢餓海峡 それは日本のどこにも見られる海峡である。その底流に我々は貧しい善意に満ちた人間のどろどろした愛と憎しみの執念を見る事が出来る」・・・沁みる言葉です。

 飢餓が犯罪を生み出すのではなく、飢餓そのものが犯罪なのであると言います。八重にとって小学校を出て直ぐに娼妓として花家に売られ、まともな恋愛を一つもしていなかった彼女にとって、外出先で知り合い、心の交流が出来たこの多吉という男は特別な存在だったのでしょう。

 多吉、八重、弓坂という人間が、飢餓が生み出した善良な部分でなら、この作品で飢餓が生み出した悪徳の部分は、津軽海峡で死んだ二人の殺人犯でしょう。独り占めを目論み共食いし合Aoki003った2人ですが、これこそ飢餓が生み出す人間不信であると言えるのではないかと思います。そして、手に入るものなら何でも手に入れろ!という姿勢がありました。

 この作品の素晴ら しいところは、そういった飢餓の中でさえも善良な意思、「優しさ」を持った主人公でさえも殺人を犯してしまうという怖さを描ききった所にあると思います。

 自分の幸せと他人の幸せを両立する多吉と、自己犠牲の中で幸せを放棄して、ただひたすら多吉の事を思いながら生き続ける八重との違い。そう2人の間には、もはや渡り様のない海峡が存在していたのだとと思います。一方は、それを知っており、一方はそれを知らなかった・・・ここから悲劇は起こるといってもか過言では無いでしょう。

「誠に悲しいことです。お互いに人間と人間が信頼し合えないなんて・・・あんたは八重さんさえも信じなかった」
「樽見さん。あんたが歩んできた道には草も木も生えんのですか?」

 青函連絡船に乗り、津軽海峡上で恐山を前にして、般若心経を唱える弓坂。そして、樽見は花を海に投げるフリをして、投身自殺するのです。
 その時の樽見の気持ちを考えると、非難したことが後悔されます、そしてどんな思いで死んでいったのか、私などには想像出来ない葛藤があったのだと思います。
 漆黒の海原が波打ち、闇となり、樽見の殺人の罪をも呑み込んでいく・・・この余韻が私にさまざまな思いを去来させるように・・・

 まだまだ読みたい作品は沢山あり、作者の人柄も好きになりました。そういえば、男性で水上ファンと言う人がいました。一番好きだと言っていた意味が解るような気がします。

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2010年3月16日 (火)

野坂昭如『火垂るの墓』

 作家、歌手、作詞家、元参議院議員と多彩な顔をもつ野坂氏。 『火垂るの墓』は野坂昭如氏の実体験が色濃く反映された半ば自伝的な要素を含む小説です.。

 1945年9月21日、清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死します。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には節子の小さな骨片が入ったいました。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。。。

  太平洋戦争末期、兵庫県御影町現在の神戸市東灘区Monet07)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である西宮市の親戚の家に身を寄せることになります。

 当初は共同生活はうまくいっていましたが、戦争が進むにつれて争いが絶えなくなります。2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めますが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていくのです。当時の様子がうかがえます。清太は、畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら生き延びます。やがて日本が降伏し戦争は終ります。敗戦を知った清太は、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受けます。もはや親というものが存在しないと言う現実を突きつけられ、一体どれ程心細かったか、幼い兄妹は泣く涙さえ枯渇してしまっていたことでしょう。 

 節子の状態はさらに悪化し、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走りますが、既に手遅れで、幼い妹は終戦の7日後に短い生涯を閉じました。節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を後にして去っていきますが、彼もまた栄養失調に冒されており、身寄りもなく駅に寝起きする戦災孤児の一人として逝去しました。悲しすぎます。

 6月5日の神戸大空襲により自宅や家族を失ったことや、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだこと、美しい蛍の思い出などはすべて作者の経験に基づくものらしいです。   

 また野坂氏は戦中から戦後にかけて二人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、 血の繋がりはないのですが)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実だそうです。 野坂氏は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒をみなくてはならHaruoinoueなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたと認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったといいます。これを知った時、自分ひとりで精一杯な時、周りが疎ましく思える心の余裕の無さを感じずにはいられませんでした。

西宮から福井に移り、 さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死していたそうです。

 こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹へのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めてこの作品を著したと言われています。 その意味では二人を冷たく突き放した親戚の小母もまた、自分が生き抜くことだけで精一杯で妹を死なせてしまったという野坂自身の悔恨が投影された姿であると言えるのかもしれません。

 私はこれを単に自伝的といってすまされない、当時の情景を思い浮かべてしまいます。誰もがもがそういう苦しい体験をしてきたのだと思うからです。ただ言葉に出来ないで苦しんでいる方々にとって、この小説はやはり何かを投影したものなのでしょう。

 私はこの作品に出会うまで変な歌を歌う変な人なんて思っていました。こういう作品がこれからずっと忘れられないで残って欲しいと切に願う私です。

 『火垂るの墓』は必見の価値ありです。

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2010年3月12日 (金)

『海辺の光景』

 安岡章太郎氏のこの作品は昭和三十四年に発表された中篇で、著者の代表作の一つに数えられています。

 この中篇は、母が危篤であるとの知らせを受け取った主人公である信太郎が、母親の入院する海辺の病院へと到着してから、彼女が亡くなるまで九日間を描いた作品です。

 作者の安岡氏は作中の主人公同様、高知県出身であり、昭和三十二年に高知の病院で母親を亡くしていることからも、彼は多分に自己の体験を投影しByakuyakou てこの小説を書いたものだと思われます。安岡氏は幾つかの短編で落ちこぼれの息子とその母親との関係を描いていますが、この『海辺の光景』は母子の関係を描いた一連の小説の総決算とも言えるでしょう。

 今回読むと、主人公の母に対する罪悪感の象徴に思えます。落ちこぼれの自分への嫌悪、母の期待にそえなかったことが主人公を追い詰めいていきます。

 或る精神科医が「概して子供の神経症は父親が原因、統合失調症は母親が原因。」と述べています。

 『海辺の光景』という題名が示すとおり、海の情景描写がこの小説では重要な役割を果たしていました。しかし、情景描写は冒頭と最後の部分を除いて、小説内には多くは現れてきません。9日間の出来事は病院内を舞台としており、その閉鎖的な環境が、母の死を前にした信太郎を追い詰めていくことになるのです。

「海は相変わらず、絵のような景色をひらいていた。波はおどろくほど静かで、正面に小さな丸い島が黒い影になって浮かんでおり、右手には岬がなだらかに女の腕のような線を描いてのびている。そして左手には桟橋の燈がキラキラとまたたくのである。
それはまったく景色という概念をそっくり具体化したような景色だった。ほかには何ものも入り込む余地はなかった。一度見てしまうと、もはや眺めているということさえも出来ないものだった。」
 
 ここで窓のまわりにただよう灰白いものがこれから訪れ、母の死を連想させます。これまで母を見舞っていた伯母はバスでY村へと帰ってしまい、母の前にいる親族は信太郎と父の2人となります。

 母親は明らかに末期であり、その状態は「もはや人間的なものを全身から完全に剥ぎとられてしまっていた」と描写されています。

 伯母が再び病院に戻って来た後、看護人が母親に液体状の食事を与えている最中に、母親はついに息をひきとりました。医者は11時59分という時間を淡々とカルテに書き移していきます・・・・

 この母親の死の後、信太郎は病院の外に、9日ぶりに出、これまで風景として見てきた外部の自然に、信太郎は足を踏み出します。
 そして、顔を上げると、今まで風景としてみてきた海辺の光景が目の前に飛び込んでくるのです。
 
「岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮かべたその風景は、すHigashiyama_work25s でに見慣れたものだった。が、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬくいが黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っていたからだ。……一瞬、すべての風物は動きを止めた。頭上に照りかがやいていた日は黄色いまだらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ちて、潮の香りは消え失せ、あらゆるものが、いま海底から浮かび上がった異様な光景の前に一挙に干上がって見えた。歯を立てた櫛のような、墓標のような、くいの列をながめながら彼は、たしかに一つの”死”が自分の手の中に捉えられたのをみた。」

 印象深い終わり方だと思います。信太郎の前の海の光景は、彼に対して圧倒的なものとして襲ってきます。かつての「絵のような」といった抽象的な描写とは対照的に、ここでの海は信太郎の身体に迫ってくるものとして描かれています。

この情景の中で、信太郎は今まで実感の湧かなかった母親の死を、確かに手の中に感じ取っているように思いました。肉親との別離は辛いですが、そのとき後悔しないでいられるか、やれるだけのことをやったかは人それぞれで何ともいえないと思います。

 でも後悔する人のほうが圧倒的に多いような気がします。肉親の死くらい辛いものは無いと私も思うのです。後悔しないで親を見送るなんて絶対不可能です。親を超えたつもりでも超えられない血が流れているのではないでしょうか。
 本当に優れた作品です。
 

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2010年3月 8日 (月)

映画『いそしぎ』

 you tude でジャズを聴いていた時、このいそしぎのテーマ曲が流れてきました。あまり映画は記憶が無かったのですが、こんないい曲が流れる映画は、さぞかし素晴らしいだろうと思って調べてみました。

 あらすじは、カリフォルニア海岸に建てられた一軒家に、無名の画家ローラ(エリザベス・テイラー)と、9歳になる息子ダニーが、世間に煩わされることなく、自由な生活を送っていた。ところがある日、ダニーはなかば強制的にミッション・スクールに入れられることになった。
 宗教家の校長エドワード(リチャード・バートン)と、彼の妻クレアー(エヴァ・M・セイント)はダニーばかりでなく、世間知らずで、自然児のような母親ローラをも教育する必要があると感じた。そしてたびたびローラと接触するうち、エドワードは彼女の裸の人間性に強い魅力を感じるようになった。ローラの過去はほとんど謎だった。ただ学校の理事ヘンドリックスにると、彼女は不幸な恋愛のすえ、私生児ダニーを生み、彼の援助で美術学校に通ったのだという。

 この頃、エドワードは、新しい礼拝堂を建てる計画を進めローラにも協力を求めた。しかし彼女は、その建築費を貧しい子供たちの教育費につかった方がいいというのだった。自ら無神論者だと言いきるローラの前で、エドワードの宗教観はくずれそうになった。

 数日後、ありあまる自由を持ちながらも、やはり孤独だったローラは、訪ねてきたエドワードに身をまかせた。罪の意識を失くした彼は、妻を偽り、傷いえたいそしぎが、大空をはばたくように、ローラと旅に出た。2人の関係がそれとなくクレアーの知るところとなった。  思いあまったエドワードは真実を告白した。むろん彼女は許すことができない。一方、ローラにとっても自分たち2人だけのことを、たとえ妻といえども人に話したということは許せなかった。学校を辞めたエドワードは、もう一度考えてみるというクレアーを残し、ひとり、旅に出た。いそしぎの飛び交う海岸では、ローラが絵筆をとっていた。

 こう書いてしまうと不倫の恋のお話?でチャンチャンとなりそうですが、私はもっと深い感情を抱きました。ローラは常識人ではないかもしれません。でも礼拝堂を造るより、子供の教育費に、と思うローラは純粋です。私は無神論者ではありませんが、教会を大きく、立派にする余裕」があるなら、もっと有意義な使い方をして欲しいと思うのはいけないことでしょうか。エドワードの宗教観が崩れそうになる、それが本来あるべき姿のような気がします。神を信じて生きるがゆえに見えなくなってしまうことがあるのは確かだと思います。

 ただローラのダニーへの教育は自由奔放過ぎて、眼に余るものはありましたから、学校くらい行ったほうが、人間関係は作れると考えます。

ローラとエドワードの間には確かに恋愛感情が生まれたのでしょう。そしていそしぎのように飛びたかった。。。でもエドワードは妻に告白しますね。ここのところは『恋におちて』とよく似ています。妻としては、ただの浮気より、本気になってしまわれることが一番酷なのです。

ローラはそういうクレアーのことを思って秘密にしておきたかった。ローラも苦しんだのだと思います。自分も昔苦しんできたから気丈に振舞ったのだと思います。ただ、のらりくらりと自由奔放にしていたわけじゃないということが、だんだん解ってきます。ラストで一人海岸で絵を描く姿はこうして生きていくことを私は選んだのだという決心と本当は淋しい哀愁が漂って音楽が盛り立ててくれています。

 ただ救われないのはエドワードですね。色んなしがらみから開放されたローラとの時間は本当に素晴らしく思っていた、でも、妻に対する感情が無いわけではない。。。でも一人旅に出る。。。この行為は。。。男もつらいよ、ですかね。(すみません、男心が解らなくって)

 と、音楽の中にある哀愁をタイアップさせてしまいました。リズもある程度歳を重ねていい顔になっていますね。若い頃より好きです。

メロドラマの原点とも言われていますが、今時のメロドラマはもっと純粋さに欠ける気がするのは私だけでしょうか。

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2010年3月 6日 (土)

光の演出~クロード・モネ

 1840年フランス生まれの、印象派を代表する画家。『印象派、日の出』を発表し“光の画家”と呼ばれ、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたって追求した画家、モネ。幼少時より絵を描きはじめ、1860年頃、パリのアカデミー・シュイスにし、“光の画家”の異名通り、彼は同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く制作しました。『積みわら』『ポプラ並木』などがそれ で、その中でも最も知られるのが『睡蓮』でしょう。

 1873年、32歳の時印象派画家たちが最初に開いた展覧会に『印象・日の出』を出品しました。批評家のルイ・ルロワが、展覧会の作品を批判するために、皮肉って「印象派たちの展覧会」という記事を書いたそうです。これが「印象派」という言葉の始まりです。実はモネ自身も、これは未完成だと考えて「印象」という言葉を付けたらしいのです。

  38歳、『死の床のカミーユ』を出品。この作品に対するモネの言葉が残っていました。「あれほどいとおしかった人の死の床で、色の変化を機械的に写している自分に気付いた。色彩の衝撃によって手が勝手に動き出した。」モネの色彩への執念を感じる言葉です。

 モネがジヴェルニーに移り住んだのは、42歳のとき。ここでモネ一家とアリス一家が一緒に暮らすことになります。モネは、パリから郊外へ向う車窓からピンクの家を発見し、周りの景色とその家が気に入ったため、即、購入したそうです。
  家はお気に入りの色に塗り替え、花の庭を造った。後に、道路を挟んだ向いの土地を購入し、川から水をひく大工事を行って池の庭を造りました。
 池の庭はモネが想像した日本の庭で、モネは日本好きで、浮世絵のコレクションも相当なものがあります。
 ところで、ジヴェルニーはとても小さな村で、当時のご近所さんはモネをあまり温かくは迎えてくれなかったようでした。なにせ、突然移り住んで来て、池を出現させたり、何日も何時間も積み藁の前で何やらやっているのだから。

 モネはとにかく花が大好きで数人の庭師を雇い、細かく注文をつけていました。睡蓮は、当初はただ観賞用に育てられてましが、ある時から絵の題材としてモネをトリコにしました。57歳の時、『睡蓮』を多量に描き始めます。まるでとりつかれたように・・・

 カミーユとモネが知り合ったのは1866年ごろだと言われています。モネより6つ年下で、多くの作品にモデルとして描かれています。1867年、モネ26歳、カミーユ20歳のころに第一子ジャンが誕生。それから3年後に二人は正式に結婚します。一家は上流社会のような生活をしようとするために貧乏生活が続きました。けれどカミーユはゆったりした幸せそうな雰囲気で描かれつづけました。

 生涯において、技巧にあまり変化がなく、批評家ポール・ジャモに、「シスレーはモネに伝授された技法が一旦身につくと、自然を描く二流詩人以上にはなろうとしなかった。」とけなされています。けれど、シスレーは自然を素直に受け入れ、印象派の基本である美しい風景画をたくさん残しています。そして印象派の時代を良き結う憂い何時の友人でした。

 そういう仲間も老いとともにそれぞれに歩み出します。それが モネにとっては『睡蓮』の連作になったのだと思います。
 混合させない絵具で、細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法によって自然界の光と大気との密接な関係性や、水面に反射する光の推移、気候・天候・時間など外的条件によって様々に変化してゆく自然的要素を巧みに表現した作品を手がけました。

 1910年代初頭に白内障を患い、一時的に作品制作の意欲が著しく衰えるも手術で回復、最晩年には最後の大作『睡蓮』の大壁画を手がけました。1883年から借家で住み始め、1890年には買い取ったジュヴェルニーの自宅兼アトリエで1926年12月6日に死去されました。

享年86歳。最後まで良い意味での印象派の作家だったと思います。

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2010年3月 2日 (火)

私の好きな番組たち~CSIを考える

 米ドラマで有名になったCSIシリーズ。私はまだ『CSI:科学捜査班』と『CSI:マイアミ』しか観た事がないのですが実はこれは三部作になっていて、『CSI:NY(ニューヨーク)』があることをご存知でしたか?私は以前、海外ドラマのことを書いたときに知ったのですが、
一般のTVでみられないのか、放送されていないのか、見ることができません。

 ではこれらはのシリーズの違いは?

『CSI:科学捜査班』では全米視聴率NO.1ドラマ「CSI:科学捜査 班」。AXNが放送するシーズン5、その第8話でついに第100話に到達するロングラン・ヒット作です。

巨大カジノが建ち並び、世界中から観光客が押し寄せる娯楽都市Csi001 、ラスベガス。多種多様な人種、職業、年齢の人々が訪れるこの街は、華やかな表の顔を持つ一方、ありとあらゆる事件も起ます。全米で第2の規模を誇る科学捜査機関と言われるラスベガス市警 犯罪課 犯罪現場捜査研究所 科学捜査班(CSI:Crime Scene Investigation)のメンバーたちは、昼夜を問わず発生する事件の現場に駆けつけます。犯人の遺留品や証拠物件を検証し、犯罪を科学的に立証していくのです。CSIの3つのシフトのうち、夜間を担当するのがギル・グリッソム主任率いるチーム。シングルマザーのキャサリン、ラスベガス生まれのウォリック、ハーバード大卒の才女サラ、たまに失敗もするが仕事熱心なニックをあわせ、研究員から捜査官への自立を目指します。若手グレッグ、また元CSIで今は市警殺人課のブラス警部、ベテラン検死官のアルもチームを支えるというものです。グリッソムを筆頭に変わり者のキャラがドラマを一層盛り立てています。

 
 一方『CSI:マイアミ』は自然に恵まれ、セレブの豪邸・別荘が建ち並ぶ楽園ですが、犯罪多発地帯でもある米フロリダ州マイアミ。そこを守るマイアミ=デイド郡警察のCSIが、最新捜査テクニックを駆使して凶悪犯罪に挑む痛快ポリス・アクション・ミステリーです。米国や日本以外も人気は高く、06年には世界で最もよく見られているTV番組に選ばれました。知的ミステリー、洗練されたビジュアルとサウンド、科学捜査Csi002 の最前線に迫るリアリズムなどの見ものは他の「CSI:」と同じですが、「CSI:マイアミ」にはプラス・アルファがあります。まず「CSI:科学捜査班」は砂漠の町ラスベガス、第3の「CSI:」である 「CSI:NY」は大都会ニューヨークが舞台なのに対し、「CSI:マイアミ」は、海、ビーチ、湿地帯、空でスケールの大きい事件・事故が起きることがく、銃撃戦や爆破、カーアクションなも「CSI:」兄弟で一番派手です。マイアミの土地柄と同様、ホットな捜査模様が展開されます。
ゆえに私はマイアミが一番好きなんです。グリッソムとホレイショの対比も面白いですね。

 マイアミ=デイド郡警察のCSIは、タフなホレイショ・ケインが主任。母親を麻薬密売人に殺された過去があり、潜入捜査官の弟が殉職したこともあってか、悪を憎んで許さない男なのです。彼の部下は、銃器や弾道に詳しい“弾丸ガール”ことカリー・デュケーン、多岐にわたる仕事を黙々とこなす実力派ティム・スピードル、ダイバーのような装備で水中の調査を得意とするエリック・デルコ、死体に話しかけながら働く検死官アレックス・ウッズ。いずれも仕事熱心なプロフェッショナルです。
 彼らと連携する郡警察の刑事はイェリーナ・サラス。ホレイショの弟レイモンドの妻だったシングルマザー。ホレイショとは微妙な人間関係が続いていくのも見ものです。

 では『CSI:NY(ニューヨーク)』はどんな番組なのでしょうか。
『CSI:NY』は北米大陸最大の都市で約800万人が住み、外国人居住者も多く、国内外からビジネスマンや観光客が押し寄せることから“人種のサラダボウル”とも呼ばれるニューヨーク。治安は1990年代から改善が進みましたが、2001年にはあの忌まわしい同時多発テロ事件が起きるなど、すべてが揃った街だけに悲劇は尽ません。摩天楼の隙間を縫い夢と欲望、愛と裏切りは、今日も人混みに溶け込み、思わぬスピードで渦を巻き、それらは時に犯罪を生み出す・・・何が起きるか分からない、何が起きてもおかしくない、それがNYなのです。
 そんなNYで起き続けるユニークな難事件に挑むのがNYPD(NY市警)のCSI。チームを率いるリーダー、マック・テイラー自身、同時多発テロで愛する妻を失い、その悲しみを背負い続ける男。部下たちもNYならではの個性あふれる顔ぶれです。他の「CSI:」との違いを強調するなCsi003ら、やはり大都会NYならではの、フェティシズムにあふれる各事件のユニークさでしょう。シーズン2も、超高層ビル、エンパイア・ステートビルの外壁を登っていた途中でクライマーが落下した事件、朝のラッシュで混雑する駅で起きた殺人、動物園のトラに人間がばらばらに食いちぎられた事件など、背筋が冷たくなるような異常事態が連発。でも優れた犯罪学者でもあるマックのもと、捜査官たちは事件をあるがままに見つめ、掘り下げ、光を当てていきます。そこに集まった者が他人と距離を置きながら生きる大都会らしい、クールなプロフェッショナルたち。もちろん、中心人物マックに扮するのが「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94)「アポロ13」 (95)「グリ ーンマイル」(99)などのヒット映画で知られる名優、ゲイリー・シニーズなのも、「CSI:NY」の世界に厚みを増しています。

 クロスオーバーと言えば、実は米TV界では、人気が高い番組の登場人物が兄弟番組に登場してそちらの人気も高くしたり、それらを自然につなげるため弟分の番組のキャラが兄貴分の番組に登場することがあり、そんなクロスオーバーがファンの間でお祭りとなって盛り上がることが多いんです。

「CSI:」初のクロスオーバーは、「CSI:科学捜査班」シーズン2第22話「ベガス-マイアミ合同捜査」。これはまだ全米放送が始まっていなかった「CSI:マイアミ」の事実上の第1話であり、「CSI:科学捜査班」のウィロウズとウォリックがマイアミに出張することで、「CSI:マイアミ」のメンバーたちをTV初お目見えさせましたね。第2のクロスオーバーは「CSI:マイアミ」シーズン2第23話「マイアミ-NY合同捜査」で、これは「CSI:NY」事実上の第1話で、こちらもメンバーたちのTV初お目見えとなりました。ファンにはたまらない仕上がりでした。

 どの作品から観ても一話完結なので、面白さは伝わってきますが、どれもシーズン1から観ることを私はお勧めします。キャストの絡みといい、勿論一人一人の性格や背後を知ることで面白さは倍増します。日本のものと大きく違いを感じずにはいられないと思います。

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