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2010年3月12日 (金)

『海辺の光景』

 安岡章太郎氏のこの作品は昭和三十四年に発表された中篇で、著者の代表作の一つに数えられています。

 この中篇は、母が危篤であるとの知らせを受け取った主人公である信太郎が、母親の入院する海辺の病院へと到着してから、彼女が亡くなるまで九日間を描いた作品です。

 作者の安岡氏は作中の主人公同様、高知県出身であり、昭和三十二年に高知の病院で母親を亡くしていることからも、彼は多分に自己の体験を投影しByakuyakou てこの小説を書いたものだと思われます。安岡氏は幾つかの短編で落ちこぼれの息子とその母親との関係を描いていますが、この『海辺の光景』は母子の関係を描いた一連の小説の総決算とも言えるでしょう。

 今回読むと、主人公の母に対する罪悪感の象徴に思えます。落ちこぼれの自分への嫌悪、母の期待にそえなかったことが主人公を追い詰めいていきます。

 或る精神科医が「概して子供の神経症は父親が原因、統合失調症は母親が原因。」と述べています。

 『海辺の光景』という題名が示すとおり、海の情景描写がこの小説では重要な役割を果たしていました。しかし、情景描写は冒頭と最後の部分を除いて、小説内には多くは現れてきません。9日間の出来事は病院内を舞台としており、その閉鎖的な環境が、母の死を前にした信太郎を追い詰めていくことになるのです。

「海は相変わらず、絵のような景色をひらいていた。波はおどろくほど静かで、正面に小さな丸い島が黒い影になって浮かんでおり、右手には岬がなだらかに女の腕のような線を描いてのびている。そして左手には桟橋の燈がキラキラとまたたくのである。
それはまったく景色という概念をそっくり具体化したような景色だった。ほかには何ものも入り込む余地はなかった。一度見てしまうと、もはや眺めているということさえも出来ないものだった。」
 
 ここで窓のまわりにただよう灰白いものがこれから訪れ、母の死を連想させます。これまで母を見舞っていた伯母はバスでY村へと帰ってしまい、母の前にいる親族は信太郎と父の2人となります。

 母親は明らかに末期であり、その状態は「もはや人間的なものを全身から完全に剥ぎとられてしまっていた」と描写されています。

 伯母が再び病院に戻って来た後、看護人が母親に液体状の食事を与えている最中に、母親はついに息をひきとりました。医者は11時59分という時間を淡々とカルテに書き移していきます・・・・

 この母親の死の後、信太郎は病院の外に、9日ぶりに出、これまで風景として見てきた外部の自然に、信太郎は足を踏み出します。
 そして、顔を上げると、今まで風景としてみてきた海辺の光景が目の前に飛び込んでくるのです。
 
「岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮かべたその風景は、すHigashiyama_work25s でに見慣れたものだった。が、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬくいが黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っていたからだ。……一瞬、すべての風物は動きを止めた。頭上に照りかがやいていた日は黄色いまだらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ちて、潮の香りは消え失せ、あらゆるものが、いま海底から浮かび上がった異様な光景の前に一挙に干上がって見えた。歯を立てた櫛のような、墓標のような、くいの列をながめながら彼は、たしかに一つの”死”が自分の手の中に捉えられたのをみた。」

 印象深い終わり方だと思います。信太郎の前の海の光景は、彼に対して圧倒的なものとして襲ってきます。かつての「絵のような」といった抽象的な描写とは対照的に、ここでの海は信太郎の身体に迫ってくるものとして描かれています。

この情景の中で、信太郎は今まで実感の湧かなかった母親の死を、確かに手の中に感じ取っているように思いました。肉親との別離は辛いですが、そのとき後悔しないでいられるか、やれるだけのことをやったかは人それぞれで何ともいえないと思います。

 でも後悔する人のほうが圧倒的に多いような気がします。肉親の死くらい辛いものは無いと私も思うのです。後悔しないで親を見送るなんて絶対不可能です。親を超えたつもりでも超えられない血が流れているのではないでしょうか。
 本当に優れた作品です。
 

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コメント

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KOZOUさん、こんにちわ。
メッセージにも書きましたが、お疲れ様でした。
あくなき探究心を垣間見た気がします。自分であれこれ修復できれば、私も何台も買い換えなくてすんだでしょうね。
私のお給料と同じ、いえ、もっと高くついちゃったこのPCももう私の仕事で手一杯使ってるので、最近また起動が遅くなってきました。再起動も頻繁にやらないといけないし。。。
DELLはいいような悪いような。。。説明書が英語と中国語が殆どというのが、ちょっとむかつきます。でもファイアーウォールで仕事は快適に近いと思い込んで仲良くやっていきます。
 ご報告ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月15日 (月) 10時04分

こんばんわ。
昨日からちょっと前のデスクトップを分解組み立て、再設定とかしていたら何度も失敗(^_^;)
ようやく終わりすべてバックアップほっとしました。
快適になりました。
それでちょっとブログはそのままでした。
また鋭意がんばりますので(^_^;)
とりあえずご挨拶まで。

投稿: KOZOU | 2010年3月15日 (月) 02時02分

しのぶさん、こんにちわ。
いつもありがとうございます。
今回のテーマはまたちょっと重いものになりましたが、しのぶさんの叔父様のことを書くきっかけとなったのでしたら幸いです。あの家出した時、お世話になった叔父様ですか?
親だけでなく、肉親の死も辛いものですよね。まだまだこれからって言う時など、身につまされます。
 うちの両親もおかげさまで健在ですが、足腰が弱ってきているのが見ていてよく解ります。ともに血圧が高いので、私が嫌われ役で、「それにお醤油かけちゃだめ!!」なんて厳しいこと、つい言っちゃいます。好きに生きてもらうほうがいいのか、迷うところです。老いについては年々深刻に考えるようになりますね。私がしっかりしなきゃ介護も何も出来ないので、自分の健康ももっとしっかり管理しなければいけませんね。
反省。「あなたたちがしっかりしないから、老けられないのよ。」と言われる毎日です(苦)。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月12日 (金) 13時47分

KOZOUさん、こんにちわ。
帰ってた早々、こんな話題でごめんなさい。
私も歳を重ねてやっとこの作品の良さが解ったようです。私がこの記事を書こうと思ったのはKOZOUさんとお母様のことを知っていたからこそ、再アップする気になったようなものです。最初に書いた時は自分だったらと言う気持ちが大きかったのですが、KOZOUさんの小説を読んでいった結果、もう一度真摯に向き合ってみようと言う気になったのも事実です。子供にとって親は生涯変えられない人であり、愛情を注いでくれた人です。そういう親を亡くすといことが、どれ程苦しいものなのか、KOZOUさんは、けしてできそこないではないですが、信太郎の気持ちは痛いほど解ると思いました。残酷なことをしてしまったという後悔の念もあるのですが、今度は親の立場になったことで感慨深いと思い、私と違って親としての思いもひとしおだと勝手に思ってしまいました。愛する者を残して去る側も去られる側も切ないと思います。このことを私は忘れずに後悔しないわけは無いと思うけれど、出来る限りのことはしていきたいと思います。
 辛いことを思い出させてごめんなさい。
 私は祈るばかりです。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月12日 (金) 13時08分

茶々君のご主人様、こんにちわ。
辛いことを思い出させてしまってごめんなさい。
でもそういうことが、今あるご主人の幸せを願う人生になっていったのですね。
生きていることを喜び、感謝し、いつも明るく振舞っているご主人様はとても立派だと思います。
私は親の死に直面することから逃げたくて、先に死にたいと思っていた時期があります。親不孝です。今出来ること、精一杯したいと今では思えます。いつかご主人様のような境地になれるように、これからもご指導ください。
ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月12日 (金) 12時34分

 こんにちは。

 わたくしは描写が下手なので、このように描写の上手な作品を紹介してくださるととても勉強になります。
 わたくしは両親ともまだ健在でうっとうしいくらいですが(笑)、叔父が死んだときには人間ってこんなに泣けるものなのかと言うほどに泣きました。
 後悔しない別れって本当にないのかもしれませんね。
 この記事を読んでいて、こんど叔父のことを書いてみようかと、そんな気になりました。
 叔父が死んでもう何年か経ちましたが、とこさんの記事で少し整理がついた気がします。

投稿: 酒井しのぶ | 2010年3月12日 (金) 11時05分

こんにちわ。
寒さも今日は少しゆるんだようです。

なかなか勝れた論評だと思います。
だいぶ前に読んだのですがそのころはもちろん両親健在でピンと心に届くことはなかったと思います。
とこさんの記事を読んでまた読みたくなりました。
今はほとんど見なくなった私小説家ですが文章の錬磨、リアルな感情表現などはほんとに勝れていると思います。
引用されている文章も本当にすばらしいですね。
特に最後の文章はこれ以上的確なものはないように完成されていると思います。
母との状況はわたしも身につまされるようです。
わたし自身は最後焼かれて骨になった母を見たとき涙がこみ上げどうしようもありませんでした。
親不孝をしたと本当に思いました。
わたしも相当な落ちこぼれで母の期待を裏切ったという思いは終生抜けませんでした(^_^;)
だから半面あとでですが不思議な開放感に襲われたのも事実として認めざるを得ません。
母にとって死は本当に救いであったと思います。
「後悔する人のほうが圧倒的に多いような気がします。肉親の死くらい辛いものは無いと私も思うのです。後悔しないで親を見送るなんて絶対不可能です。親を超えたつもりでも超えられない血が流れているのではないでしょうか」これは本当にそうでしょうね。
わたしも後悔ばかりです。親は超えたつもりでも確かに血はいつもそこに戻っていくようです。
母の死の前後で信太郎に海辺の光景がまったく違ったものに見えるというのもよく納得できます。
やはり優れた小説ですね。
ぜひまた読んでみたいと思います。

投稿: KOZOU | 2010年3月12日 (金) 10時02分

母親の死は息子にとっては
言葉をだせないものですね。
私の母は14年間にガンでなくし、
残された父はいまは特養で過ごしています。

人生を思い知るとは、数年後
父親が倒れ病院を転々と看護した年
さまざまな思いが募りました。

その間に義母の看病と死を経験するにつれ、
他人事ではないことへの自覚、
動ける自分への感謝
今の大切さ
を教えてもらっているとおもいます。

確実に迎える死に対して
今をどのようにすごすのか?
反省の毎日ですが、自分にとっての
幸せを追い求めたいと思っています。

これが、最高の恩返しだとおもっています。

投稿: 茶々 | 2010年3月12日 (金) 09時55分

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