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2010年3月16日 (火)

野坂昭如『火垂るの墓』

 作家、歌手、作詞家、元参議院議員と多彩な顔をもつ野坂氏。 『火垂るの墓』は野坂昭如氏の実体験が色濃く反映された半ば自伝的な要素を含む小説です.。

 1945年9月21日、清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死します。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には節子の小さな骨片が入ったいました。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。。。

  太平洋戦争末期、兵庫県御影町現在の神戸市東灘区Monet07)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である西宮市の親戚の家に身を寄せることになります。

 当初は共同生活はうまくいっていましたが、戦争が進むにつれて争いが絶えなくなります。2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めますが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていくのです。当時の様子がうかがえます。清太は、畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら生き延びます。やがて日本が降伏し戦争は終ります。敗戦を知った清太は、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受けます。もはや親というものが存在しないと言う現実を突きつけられ、一体どれ程心細かったか、幼い兄妹は泣く涙さえ枯渇してしまっていたことでしょう。 

 節子の状態はさらに悪化し、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走りますが、既に手遅れで、幼い妹は終戦の7日後に短い生涯を閉じました。節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を後にして去っていきますが、彼もまた栄養失調に冒されており、身寄りもなく駅に寝起きする戦災孤児の一人として逝去しました。悲しすぎます。

 6月5日の神戸大空襲により自宅や家族を失ったことや、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだこと、美しい蛍の思い出などはすべて作者の経験に基づくものらしいです。   

 また野坂氏は戦中から戦後にかけて二人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、 血の繋がりはないのですが)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実だそうです。 野坂氏は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒をみなくてはならHaruoinoueなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたと認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったといいます。これを知った時、自分ひとりで精一杯な時、周りが疎ましく思える心の余裕の無さを感じずにはいられませんでした。

西宮から福井に移り、 さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死していたそうです。

 こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹へのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めてこの作品を著したと言われています。 その意味では二人を冷たく突き放した親戚の小母もまた、自分が生き抜くことだけで精一杯で妹を死なせてしまったという野坂自身の悔恨が投影された姿であると言えるのかもしれません。

 私はこれを単に自伝的といってすまされない、当時の情景を思い浮かべてしまいます。誰もがもがそういう苦しい体験をしてきたのだと思うからです。ただ言葉に出来ないで苦しんでいる方々にとって、この小説はやはり何かを投影したものなのでしょう。

 私はこの作品に出会うまで変な歌を歌う変な人なんて思っていました。こういう作品がこれからずっと忘れられないで残って欲しいと切に願う私です。

 『火垂るの墓』は必見の価値ありです。

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コメント

 とこさん、こんばんは!!!
名無しのごんべえは私です。すいません、名前の入力忘れていました。

投稿: おりえ | 2010年3月18日 (木) 00時39分

おはようございます。
お名前がないのですが、ありがとうございます。

 私も現実に戦争の最中にいたら、もっと残酷な心を持ち合わせていたかもしれません。自分にことで精一杯になってしまうかも。そう思うと、おぞましいですね。自分以外の人を思いやる、それは心の余裕なのかもしれません。

今の時代、充分心の余裕というものがあるはずなのにどこかぎくしゃくしている、それもまた、淋しいですが。
 そうならないように心がけたいと思う作品でもありました。

 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月17日 (水) 06時36分

 とこさん、こんばんは!!!
「火垂るの墓」は本は読んでいないのですが、アニメは見ています。
 もうあらとあらゆる部分に泣きのツボがあり過ぎて個人的にはつら過ぎる作品ですね。それが故に一回しか見ていません。兄が妹を守りたいと思っても何も持ち得ない彼の無力感が切なくて。愛する者が死にいくのを止められない無力感の絶望感が堪らなすぎです。

 野坂氏の話は初めて知りました。彼にとっては思い十字架でしょう。
 でも時代の残酷さというのか自分が同じような立場になって余裕がない時はやはり彼と同様の思いを抱くのかもしれないと思いました。
 時代というか状況によっては人は自分が思っているよりも残酷な自分を思い知らされるのかもしれません。
 願わくばそういう場面というか出くわさないで一生を終えたいものです。

投稿: | 2010年3月17日 (水) 01時44分

茶々君のご主人様、こんばんわ。
辛すぎる話でごめんなさい。
最後まで観れないという気持ち、とてもよく解ります。

>今の自分とは遠い世界になりましたが、人生の中には小さいながらも同じような苦しみを経験しているのでおなじような世界の貧困ドキュメントも最後までみれないのです。

ご主人様は感受性も豊かで、そして心が綺麗過ぎて辛い思いをなさったのですね。そんなことも知らず、前回といい、辛いことを思い出させてしまって本当に申し訳ありません。
 平和を愛する心はこういうところからも来ていたのですね。
私もご主人様の言霊をもっともっと大切に心に刻んで生きたいと思います。
 優しい、ご主人様、いつまでもその優しさを持ち続けてください。優しい眼で現実と向き合える日が来ることをお祈りします。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月16日 (火) 19時49分

しのぶさん、こんばんわ。
読まれていたのですね、さすがです。本当に涙でぐしゃぐしゃになりました。

>火垂るの墓をはじめとする戦争の愚かさを伝える作品は、日本人の十字架として後世に残し語っていくべきものだと思います。
本当にそうですね。アニメになったことも、子供にも戦争に加担してはいけない、悲惨なものなんだと伝える為に良かったのかもしれませんね。
 死体を掃除する仕事をしていたお爺さんのことも胸にしみました。辛かったでしょうに、後世に伝えるためにきっとお話してくださったのですね。こういう教訓を守って行く私たちはもっとしっかりしなければと思う次第です。
 辛いお話をありがとうございました。本当に優れた作品でした。

投稿: とこ | 2010年3月16日 (火) 19時32分

この話悲しすぎて最後まで
見れないんです。人間の余裕というもの
血のつながりの関係、貧困、戦争・・・
これが、事実であることの現実・・
たぶん、戦時下ではどこの国もいまもなお
人間から崇高さを奪い去っていく
ものに耐えがたいものを
感じます。

今の自分とは遠い世界になりましたが、
人生の中には小さいながらも
同じような苦しみを経験しているので
おなじような世界の貧困ドキュメントも
最後までみれないのです。

もっと現実をみなければ
ならないのでしょうけど・・・・

投稿: 茶々 | 2010年3月16日 (火) 14時02分

 こんにちは。
 
 日本人には十字架信仰がありません。
 つまり、罪を胸に刻み繰り返さないという観念が、教育や信仰という形で存在していないってことです。

 べつに十字架信仰が良いと思っているわけではありませんが、火垂るの墓をはじめとする戦争の愚かさを伝える作品は、日本人の十字架として後世に残し語っていくべきものだと思います。

 火垂るの墓、本は読んだのですが、アニメは観ていません。悲しくて泣いてしまうのがわかっているから。(笑)
 本を読んでいるときも涙が止まらず、読むのが苦痛に感じるときさえありましたからね。
 
 1945年当時に青年だったお年寄りに知り合いがいて、戦争終結当時の話を聞いたことがあります。
 死体を掃除する仕事をしていたそうで、その話を愉快に語ってくださるのですが、言葉の愉快さとは裏腹に目がどんどん死んでいくように曇っていくそのお年寄りの顔を忘れることができません。
 
 戦争だけはなにがあってもしちゃいけませんね。原子力の恐怖を知る国だからこそ、戦争と言う十字架を背負い世界に向けてその愚かさを発信していくべきなのだと、それには火垂るの墓ほど優れた作品はないと思っています。
 

投稿: 酒井しのぶ | 2010年3月16日 (火) 13時51分

KOZOUさん、こんにちわ。
いつも素敵なコメント、ありがとうございます。
そうですか、お母様と一緒にご覧になったのですか、いい思い出ですね、物語は悲しすぎましたけど。
本当に戦争が残したのは傷跡だけですね。
>焼け跡派というか自分の実感だけを信じ無頼にしかしシャイに生きてきた彼も今はだいぶ病気が進んでいるようですね。
知りませんでした、どちらも。どうりで姿をお見受けしないわけですね。
彼の饒舌ぶりは昔はよく拝見していて、こんな作品を書いていたことは、これも待ったk知らず。。。
 アニメも知らなかったのですが、検索して節子ちゃんらしき女の子の絵を観て、可愛いと思いましたが、いたいけですね。あの当時はこんな子たちがどれ程犠牲になったかと思うと悲しいというより、悔しいですね。これからも残って欲しい作品です。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年3月16日 (火) 10時27分

おはようございます。
少しずつ春が近づいている感じですね。

お~~「火垂るの墓」とても懐かしいですー。
野坂昭如も大好きです。
焼け跡派というか自分の実感だけを信じ無頼にしかしシャイに生きてきた彼も今はだいぶ病気が進んでいるようですね。
何とか元気になってほしいです。
火垂るの墓、本もアニメも見ましたが、涙でぐちゃぐちゃになったことを思い出します。
戦中、戦後このような悲劇は数多かったのでしょうね。
節子がほんとにかわいいですね。
アニメでも抱きしめたいほどかわいくて、死の場面は母も号泣していました。
食べることがままならぬ、ほんとうに辛いと思います。彼の饒舌で長いセンテンスの文体もほんとに調子がよく、やはりすごい才能だと思います。
確かにへんてこりんな歌も歌っていましたね。(^_^;)
私よりはだいぶ上ですが感覚は共通なものを強く感じます。
戦争は最大の犯罪であり悪ですね。
ほんとにいつまでもこのような物語は語り伝えてほしいとおもいます。

投稿: KOZOU | 2010年3月16日 (火) 06時13分

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