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2010年4月20日 (火)

映画『シンドラーのリスト』

 私が兄と一緒に映画を見に行く時は、どうしても重いテーマのものとなってしまいます。この作品もそのなかの一つです。
あえて原作と比べすに観た作品で、眼を覆うシーンやシンドラーのしたことは所詮、偽善ではないかと当初は思ってしまいました。

 私はこの作品のことを忘れかけていましたが、ある癒しのCDにこの作品のテーマ曲があり、それを聴いて思い出さずにはいら
れなくなりました。音楽も感極まる素晴らしいものでした。

 スピルバーグ監督でアカデミーを総なめしたことから、ご存知の方も多いと思いますが、ます、大まかなあらすじを。。。

 39年、ポーランド南部の都市クラクフにドイツ軍が侵攻した。ドイツ人実業家のオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、一旗揚げようとこの街にやって来た。彼は金にものを言わせて巧みに軍の幹部たちに取り入り、ユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらう。ユダヤ人会計士のイツァーク・シュテルン(ベン・キングズレイ)をパートナーに選んだシンドラーは、軍用ホーロー容器の事業を始める。

 41年3月、ユダヤ人たちは壁に囲まれたゲットー(居住区)に住むことを義務づけられる。シュテルンの活躍で、ゲットーのユダヤ人たちが無償の労働力として、シンドラーの工場に続々と集められた。事業はたちまち軌道に乗り、シンドラーはシュテルンに心から感謝したが、彼の差し出すグラスにシュテルンは決して口をつけようとしなかった。シンドラーはドイツ人の愛人イングリートをはじめ、女性関係は盛んな男だった。別居中の妻エミーリェ(キャロライン・グッドール)は、そんな奔放な夫の生活を目撃し、彼の元を去った。43年2月、ゲットーが解体され、ユダヤ人たちはプワシュフ収容所に送られることになった。ゲットーが閉鎖される当日、イングリートを連れて馬を走らせていたシンドラーは、小高い丘からその様子を目撃した。親衛隊員たちは住民を家畜のように追い立て、抵抗する者、隠れようとする者、病人など、罪もない人々を次々に虐殺していった。その悲惨な光景の中、シンドラーの目に赤いコートを着た少女が隠れるところが映る。(このコートの赤はパート・カラーで示される)収容所に着任したアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)は所内を見下ろす邸宅で、酒と女に溺れる生活を送る一方、何の感動もなく無造作に囚人たちを射殺していた。シンドラーは地獄図に耐えかねて、生産効率の向上という名目でユダヤ人労働者を譲り受け、私設収容所を作ることを許可してもらう。シンドラーは、ゲートのメイドとして働くヘレン(エンベス・デイヴィッツ)にも希望を与える。

 44年、敗色濃いドイツ軍は、ユダヤ人をアウシュヴィッツをはじめとする死のキャンプに送り込みはじめた。シンドラーはチェコに工場を移すという理由で、ユダヤ人労働者を要求する。急ぎリストアップされたのは1200人。途中、女性囚人がアウシュヴィッツへ移送されたが、シンドラーは役人にワイロを渡し、彼女たちを救い出す。彼の工場は武器弾薬の製造にも、徹底して不良品を作ることで抵抗する。やがて45年、ドイツ無条件降伏。ユダヤ人は開放された。ユダヤ人たちの感謝の念と涙に見送られながら、″戦犯″であるシンドラーは彼らに別れを告げた。(goo映画より抜粋)

 第二次大戦下、1200人のユダヤ人をナチスの虐殺から救った実在のドイツ人実業家の姿を、ドキュメンタリー・タッチで描いた大作です。第66回アカデミー賞では最優秀作品賞・監督賞ほか、7部門を受賞。トマス・キニーリーの同名ノンフィクション小説を「レナードの朝」のスティーヴン・ザイリアンが脚色し、「ジュラシック・パーク」のスティーヴン・スピルバーグが映画化。製作はスピルバーク、「ジュラシック・パーク」のジェラルド・R・モーレン、「ソフィーの選択」でプロダクション・デザイナーを務めたブランコ・ラスティグの共同。エグゼクティヴ・プロディーサーは、スピルバーグ作品のほとんどを手がけているキャスリーン・
ケネディ、撮影はヤヌス・カミンスキー。音楽は、監督とは14度目のコンビとなるジョン・ウィリアムス。主演は「ダークマン」のリーアム・ニーソン。共演は「ボビー・フィッシャーを探して」のベン・キングスレイ、「嵐が丘」(92)のレイフ・ファインズによって創られました。

 この作品では好対照に描かれている人物が2人います。1人は勿論主人公であるオスカー・シンドラー。彼は次第にユダヤ人解放者となっていき、最後には英雄として名を残すようになります。そしてもう1人は中盤か登場するナチスの将校、アーモン・ゲート。非情に不安定な気性の彼は、無機質的にユダヤ人を処刑することもあれば、ユダヤ人の女性に愛情を見せることもある。。。でも彼の行ったことは間違いなく悪行であり、最終的に彼は処刑されてしまいます。

 最初の段階でシンドラーにユダヤ人を保護するだけの力はありませんでした。彼らを雇い、事業を成功させることによって初めて、その可能性を生み出したのです。彼のユダヤ人保護が可能になるのはその後なのです。そして彼はその時、善意に目覚めます。
 自分にならこの悲惨な状況から少しでも多くのユダヤ人を救うことが出来ると知るのです。最初はアーモンを遠回しに説得しようとします。しかしこれは敢え無く失敗します。

 ユダヤ人虐待とは根拠も何もない、とてもナンセンスな、常軌を逸した恐るべき行為なのです。そのアーモンを、シンドラーは説得します。それは彼に「許す」ということを教えることでした。「許す」というのは王の選択であり、とても高度な選択です。人の過ちを「許す」ことによって威厳を示せ、と言うのです。これはアーモンにとっては願ってもない助言でした。自分の異常な行為を制御することが出来ると思ったからです。そしてそれからアーモンはユダヤ人のちょっとしたミスを許すようになりますが、すぐに我慢できなくなり、少年を射殺することで彼の善意は失われてしまいます。アーモンの善意は、シンドラーと違って、有事においては非情にもろいものでしかなかったのですね。

 シンドラーは率直にユダヤ人たちを労働力として雇うことで彼らを救うという手を考えます。そしてそれは成功をおさめます。これには危険もつきまとったことでしょう。彼の目論見がナチスに露呈すれば、シンドラーはおろか、彼の雇ったユダヤ人全てが処刑されるでしょうから。あるいはさらにナチスを反動的にさせたかもしれません。しかし彼は最後まで自分の信念を貫きました。

 シンドラーが逃亡する際、シュターンは『1100人の命を救った』と言います。しかしシンドラーは『もっと努力すれば救えた』と泣き崩れるシーンは忘れることが出来ません。『あんなパーティーをしなければ数十人救えた、このバッチだって一人は救えた。』そうつぶやくシンドラーも、最初のうちはシンドラーにすがる人々に対し、『私は慈善事業をしてるんじゃない!!』と憤慨する場面もあり、それこそ普通の人間だとも感じたものでした。

誰かが努力をすれば、状況はもう少しよくなっていたのではないかと悔やめば悔やむほど、新たな後悔が襲ってきます。シンドラーの尊い行いに感動しただけでなく、実際もう少しでもユダヤ人を救えなかったのかとやりきれない気持ちになりました。

 人間の善意は、時と場合によっては非情にもろく、必要なときに存在しない不確かなものという面があると思います。それでもこの映画は人間の善意を否定していません。善意は必ず人の中に存在すると信じたい。。。シンドラーの非常に立派な行い、そしてそういう点で非常に戦争とは悲惨なものなのだと思い知らされます。考えれば考えるほど辛くなるかも知れませんね。

 美しい音楽が物語をより一層盛り立てます。今になって観たことを良かったと思える映画でした。

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コメント

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投稿: bertajt60 | 2017年6月17日 (土) 17時57分

I am so grateful for your article.Really thank you! Awesome.

投稿: big butts | 2016年7月 9日 (土) 07時02分

Marunagaさん、こんにちわ。
いえいえ、こちらこそ、疎遠になってしまってごめんなさい。
Marunagaさんの頑張りと素直さにいつも、励まされているんですよ、本当に。
 私のように今はアップが出来ない状態でも仲間の方々に支えれられていることに感謝です。だから時々UPして欲しいです。英会話ですか、大変そう。。。でも努力してるのですね。

 この作品はかなりしんどいと思います。あまり考えないで下さいね。落ち着いたら、また音楽の記事で明るくいきますので。
 お忙しい中、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年4月26日 (月) 06時41分

シンドラーのリスト、とても小さい頃に、ビデオの表紙を見た事しかないです。白黒で構成されているのに、小さな子の洋服だけ、赤く表現されていた所だけ、記憶に残っています。
他の兄弟が見ているビデオも少しだけ見ましたが、とても残虐で、全て見られなかった様な気がします。
酷い出来事の中には、善意を持った助けてくれる人が絶対にいるんですよね。だけれども、大きな事件となると、必ず犠牲になる人も出て来て…。悲しいです。
いつもコメントありがとうございます。
最近、英語に力を入れるべきかと思い始めていまして、
私の本のブログの方は、これからは、更新頻度がかなり少なくなって行くとは思うのですが、それでもとこさんの様に頑張っていらっしゃる方を見習い、辞める事はせずに、書ける範囲で書いていきたいと思っています。
どうもありがとうございました。

投稿: Marunaga | 2010年4月25日 (日) 23時19分

おりえさん、こんばんわ(ん?おはようかな?)。
本当に急に思い立って書いたので、音楽でカバーしようと思ったほどです。「「善意」は時と場所によって本当に脆い時があります。そういう時であっても善意の行動を取れる人間は私は尊敬してしまいます。」私もそうなんですよね。私は原作を知らないので、シンドラーがの心の変遷を画面でしか捉えられませんが、贅沢三昧の裏で泣いている人がいる、そのことに気付くかどうかということも、ラストで痛感させられますね。今も有事に備え、死と隣り合わせで生きる人々がいることを忘れてはいけないんですよね。先日ジャーナリストでカメラマンが弾道に巻き込まれ亡くなりましたね。ああいう方は死をを覚悟して戦地に赴くのでしょうが、我々も何時、自分の意志とは関係なく死と隣り合わせになるかをこれまでの日本がしてきた事を含め、考える必要があるのだと思います。
今、私たちに何が出来るかを少しだけでも考え、大量虐殺
いとも簡単に出来ることを絶滅させられるにはどうしたらいいかを問う作品でもあったと思います。形は変わっても細菌でも殺せることを考えている人に善意が芽生えて欲しいものです。あ、なんか、しのぶさんに言おうとしていたことまでおりえさんのコメントに含めてしまってごめんなさい。
本当に人間の弱さに漬け込む行為はしたくないと思います。
ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年4月22日 (木) 05時10分

しのぶさん、こんばんわ。
やはり、悟られていましたか(笑)。
はい、しのぶさんの言うこともしかりですね。シンドラーは最初はお金儲けのことから始めましたしね。でもしのぶさんの言うように、何故あんな残忍な大量虐殺が必要だったのか、はシンドラーの内が私たち観る者と同化していったようにも思えますね。こんな意味の無い戦争、でも有事になった時、今はもっと恐ろしく一度で世界が滅ぶ事態になってしまえば、考える余地も無いかもしれません。それくらいの意識を我々は持たなくてはいけないのだと、あの美しい音楽と共に学ぶべきなのでしょうね。あのソフィーの選択と合い通じる世界観を感じてしまいます。「感動と言っても前向きで明るいものではありませんが、こういった出来事を知っておいて良かったと、知らずに一生を終えずに良かったという、感動ですね。」
そうなんですね。感動とはそういう形で心にのしかかっていても良いのだと思いました。丁寧なコメント、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年4月22日 (木) 04時18分

 とこさん、こんばんは!!!
私は原作は読んだんですが、映画は見ていないくちです。見たい、見たいと思っていたのですが、あまりにも有名な作品になり過ぎて天邪鬼な私は背を向けてしまいました。。。
勿体無い事をしました。
 
>>人間の善意は、時と場合によっては非情にもろく、必要なときに存在しない不確かなものという面があると思います。それでもこの映画は人間の善意を否定していません。

おっしゃる通り「善意」は時と場所によって本当に脆い時があります。そういう時であっても善意の行動を取れる人間は私は尊敬してしまいます。
 基本は人間は善だとは思いたいですね。ただ誰しも弱さというものを抱えている。その弱さに負けてしまわないようにするというのはなかなか難しいものなのかもしれません。
 

投稿: おりえ | 2010年4月22日 (木) 01時31分

 こんばんは。

 来ましたね、シンドラー。
 とこさんのところなら、いつか紹介されるだろうと思っておりました。(悪い意味じゃありませんよ!)
 
 まず思うのは、オスカー作品というのは、やはり映画としてよく出来ているというところでしょうか。
 ハリウッド映画にありがちな、目先の派手さだけに頼った作品ではぜんぜんありませんよね。

 ただし、シンドラーが本当に善人になったのかについては、わたくしにはまったくわかりません。
 この作品で重要なのは、シンドラーが本当にこういった人物だったかではなく、ユダヤ人殺害という事実があったということでしょうからね。
 シンドラーのポジションは、作品として面白さを演出するためのものであって、実際とどうかを問う必要はないのでしょう。なにせこれは映画ですからね。

 ともあれ、わたくしもこの映画には大きな感動を受けました。感動と言っても前向きで明るいものではありませんが、こういった出来事を知っておいて良かったと、知らずに一生を終えずに良かったという、感動ですね。
 
 一体全体、なにがどうなればユダヤ人を大量虐殺するようなことになるのか、皆目見当もつきませんが、有事における人間の精神状態とは、それほどにもろいものなのでしょうね。
 日本人だってアジアの各地で同じようなことをしていたわけですし、こうした国が敗戦したのは良かったことなのでしょう。
 
 戦争ばかりは勝利になんの意味もない、そんなふうに思います。
 

投稿: 酒井しのぶ | 2010年4月21日 (水) 22時13分

茶々君のご主人様、こんにちわ。
いつもありがとうございます。でもこういう辛い話の時は、
無理してコメントしなくて、本当にいいですから。
お気持ち、よくわかりますので。すみませんでした。

私はどうしてもこういう問題を考えたくなるので、悪い癖です。
でももう本当に終わってほしいんです。こういう体験者を世界から亡くすために幸せを探したいのです。
その気持ちはご主人様と同じだと思っています。
ご主人様は幸せに向けて、明るく振舞っている、立派だとおもいます。それが幸せへの私たちが出来ることなのではないでしょうか。だからご主人様はそのままで良いのだと私は思います。

辛いコメント、ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年4月21日 (水) 10時05分

重たい映画ですよね。そして
有名な映画ですよね。でも観てないのです。

映画は基本、楽しく、最後はハッピーエンドものが
多いのです。ですから、アリスのその後のアバター以上
といわれてる映画を3Dで予定しています。
でも
このような重たい映画は非常に大切だとおもいます。
有事における非常事態ではありますが
そのさい、人間は非常にもろいものであり、
逆に
強く、清く、より人間らしくふるまった魂の
存在が心をうちますものね。
いまも
おなじように有事である状態が
あちらこちらで継続しています。

時が過ぎ、経済戦争に負けた国は
アウシュビッツのような生活を経験することに
なるのではないのかなど心配しています。

いつになったら
世界は安定を取り戻し幸せを築くことになるのでしょうか
状況はなかなか厳しそうですが、今日も自分なりに
幸せとはなにか?について考えてみたいと思います。

ありがとうございました。


投稿: 茶々 | 2010年4月21日 (水) 05時45分

またしぶい映画ですね。
戦争が終わって、きれい事をならべ、〝戦犯〟を批判するのはたやすいこと。「おまえ同じこと出来る?」といわれれば、同じ状況で、「できない」と答えるしかないです。裁かれる人って、本当は、評論ばかりで何もしなかった人かもしれません。(←コメントしながら自分に銃口むけてる感じです)

投稿: | 2010年4月20日 (火) 20時35分

KOZOUさん、おはようございます。
いつも、本当に丁寧なコメント、ありがとうございます。実は今日、記事をアップするつもりはなかったんですけど、また早く起きてしまって記事だけ書いて眠ってしまい、KOZOUさんへのコメントまだできていなくてごめんなさいね(苦笑)。この記事は再アップではなく、音楽を聴きながら仕事をしていて
この曲にいつも癒され、ふっと映画の最後のシーンを思い出して書き始めました。
KOZOUさんも観られたんですね。本も読まれているのですね。何度かこういうテーマを扱って、少しのめりこんでしまったのかもしれません。本当に「つくづく暴力を前にした人間は弱いと思います。」そうですね。
「一人を助けるものはすべてを助ける」、良い言葉ですね。
私たちにはとても良い教訓です。シンドラーのように辛いことかもしれませんが。でもシュターンの『1100人の命を救った』と言う言葉は救いでしたね。あの時既に泣いていたような気がします。
 今のドイツは私も好きです。牧歌的なイメージがあってもう二度と同じことを繰り返さないことを物語っているようですね。
 本当にこういうことを考えるために映画が活躍してくれることを、私も心から望みます。
 ありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年4月20日 (火) 08時12分

おはようございます。
また寒くなったですね。毎日お疲れ様です。

美術作品のようなオープニング、堪能しました。
重いもの大いに結構と思っています。重いものを持てれば軽いものももちろん持てます(^_^;)
わたしもハリウッド製と言うことでちょっと抵抗がありましたが、とてもよかったですね。
書かれていますように享楽主義者のようなシンドラーが実践していくうちにのめり込み最後は全財産をつぎ込んでユダヤ人救出に存在をかける。
その辺は実際のシンドラーに似てリアルだと思いました。
ドイツ人にも当然良心を持つ人はいるわけで、きっと同じように思った人も結構いたと思うのですが、そこから一歩を踏み出すことが至難、命さえかける行為ですからね。
つくづく暴力を前にした人間は弱いと思います。わたしももちろんそのうちの一人でしょうけれど。
「一人を助けるものはすべてを助ける」という言葉がユダヤ教典にあるそうですけれど、心の動きはまさにそうなのでしょうね。シンドラーは一人のユダヤ人を本気で救ったときすべてのユダヤ人を心では救っていた。彼が数の少なかったことを嘆く必要はないと思いますが現実に目の前で殺されるユダヤ人を多数見てきた彼にとりやはり痛恨のことだったのでしょうね。
「偽善」大いに結構だと思います。「偽善」でも現に救われたユダヤ人が多数いた。そのなかでシンドラーも変わっていった。巨視的に見ると戦争もユダヤ人殺戮も今のドイツの大きな教訓になっていて、ドイツはEUの熱心な推進者になっていますね。悲惨な戦争を二度も行いようやく目が覚めたような気がします。もうけして少なくともヨーロッパであのような戦争も殺戮もないと思います。今のドイツ人は大好きですね。殺された千万人を超える人たちには本当に言葉がありませんけれど。
このような映画けして絶やすことなく作り続ける必要があると思っています。

投稿: KOZOU | 2010年4月20日 (火) 07時08分

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