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2010年5月12日 (水)

私の好きな作品たち~F・スコット・フィッツジェラルド編

 私は翻訳された作品しか知らないのですが、村上春樹氏の『ノルウェイの森』の主人公も、そして『ライ麦畑で捕まえて』の主人公もなぜか『グレート・ギャツビー』を読んでいてそれに感化された方も多いのではないでしょうか。

 春樹氏は自分が読んだだけでは飽き足らず、一昨年、御自分で翻訳してしまわれましたね。確かに訳し方で随分印象が変わるので、私の兄はこの翻訳家はいいよなんて言って洋書を読んでいましたっけ。

 私も春樹氏の影響で『グレート・ギャツビー』を読みました、が、私が読んだ頃は第2期の映画化が終わった直後で、ロバート・レッドフォード、ミア・ファローが脚光を浴びる形になりましたが、アカデミー賞衣装デザイン、編曲賞を受賞しました。監督はジャック・クレイトン氏でした。

   貧しさの中から身を起こし、裕福になったジェイ・ギャッツビーRobato_001 は、フィッツジェラルド、あるいはアメリカそのものにつきまとう、金や野心、貪欲さ、進歩主義信仰などの強迫観念を象徴しているようです。
「ギャッツビーは、緑の灯火を信じていた。お祭り騒ぎは、年々かげりを見せはじめているというのに、未来は明るいと信じていた。いざ、その時が来て、明るいはずの未来が素通りしていっても、たいした問題ではない。明日になれば今日より速く走ることができるし、
大きく手を広げることもできるから…そしてすがすがしい朝が――」
   夢の実現と崩壊を描いたこの小説は、「アメリカンドリーム」に一種の警鐘を鳴らす作品なのでした。
  この小説は、デイジー・ブキャナンに対する、ギャッツビーのかなわぬ思いを描いたラブストーリーでもあります。2人の出会いは、物語の始まる5年前。若きデイジーはケンタッキー州ルーイヴィルの伝説の美女、ギャッツビーは貧乏な将校でした。2人は恋に落ちますが、ギャッツビーが海外出征している間に、デイジーは、粗暴だが非常に裕福なトム・ブキャナンと結婚してしまうのです。
 戦争から帰ってきたギャッツビーは、なりふりかまわず、富とデイジーを追い求めることに没頭し、やがて、当初は目的にすぎなかった富が、デイジーを手に入れるための手段になっていく・・・「彼女の声は金でいっぱいだ」これは、ギャッツビーが、この小説の中で
も特に有名なシーンで発する賛辞の言葉です。

 言語が違ってしまうと醸し出す雰囲気も当たり前のように変わるものですが、村上さんの描くギャツビーは、まさしく僕のイメージのギャツビー、いえ、アメリカで学ぶフィッツジェラルドの描こうとしたギャツビーそのものなのです。
 フィッツジェラルドの著作の中では、構成力と登場人物の性格づけという意味においても最高傑作かと思います。

 1920年代は間違いなくフィッツジェラルドが最も輝いたときでした。1922年に出版された二作目の長編小説『美しく呪われし者』は未熟な部分もあった前作に比べ格段の進歩を遂げていました。そして1925年には『グレート・ギャツビー』が出版されています。

 後世、この作品によってフィッツジェラルドは、1920年代アメリカのいわゆる「ジャズ・エイジ」や「フラッパー」の象徴としてのみならず、20世紀アメリカ文学全体を代表する作家の一人として認められるようになります。しかし発表当時は、流行作家が背伸びして書いた文学寄りの作品という程度の受け取られ方で、批評家の受けは良くても、支持層であった若い読者にはあまり歓迎されず売れなかったそう。

 この世紀の名作が正しい評価を受けるのはフィッツジェラルドの死以降であり、生前には絶版になった時期Sizuka003_2 すらあるそうです。この頃フィッツジェラルドは執筆の合間をぬってヨーロッパに旅行に出かけています。パリや南仏のリヴィエラではアメリカを抜け出してきたアーネスト・ヘミングウェイらと出会っているのです。

 しかしフィッツジェラルドは1920年代の終わり頃から4つ目の長編に取りくみ始めましたが、生活費を稼ぐ為に収入のいい短編を書かざるを得ず執筆は遅滞していました。

 1929年のウォール街での株価大暴落に端を発する世界恐慌、さらには1930年には妻のゼルダが統合失調症を発症し彼の生活に暗い影が差し始めます。1932年にゼルダ夫人はボルチモアの病院に入院し、フィッツジェラルドは一人で家を借りて長編小説に取り組み始めました。この作品の主人公である、若く将来を約束された精神科医ディック・ダイバーは彼の患者であった富豪の娘ニコルと恋に落ちます。

 不安定な妻に翻弄され転落していく主人公を美しい文章で描いたこの作品は、『夜はやさし』と題して1934年に出版されました。批評家の中には『グレート・ギャッビー』でなくこの作品こそが彼の最高傑作であると考える人もいます。
 しかし恐慌下のアメリカでフィッツジェラルドは既に過去の人となっており、作品の売り上げは芳しいものではなありませんでした。絶望からしだいにはアルコールに溺れるようになっていきました。

春樹氏の場合には 彼自身がどこかで言っていましたが 翻訳、自作の短編、自作の長編、エッセイを書き分けていくことで自分のバランスを取っているとのこと。その意味でも 翻訳を抜きにして春樹氏はは語れないと思うようになりました。そんな春樹氏が始めに訳したのが『マイ・ロスト・シティー』でした。

 春樹氏の翻訳の仕事の中では カーバーの紹介が一番目立ちますが 実はフィッツジェラルドから始めたというのは案外知られていない事実ではないかと思います。最近でこそ ギャツビーを訳したことで 村上とフィッツジェラルドの関係が目立つようになりましたがついこの間までは あまりり知られていなかったのだと思います。もっとフィッツジェラルド氏の短編集なども翻訳していただきたいものです。

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コメント

Awesome blog.Really thank you! Really Great.

投稿: tied up and fucked | 2016年3月 4日 (金) 05時29分

I value the post.Really thank you! Much obliged.

投稿: nice handjob | 2016年2月 2日 (火) 07時41分

KOZOUさん、こんにちわ。今さっきまでお寝坊です。
ホントに朝晩は冷えますね。風邪などひいていませんか?
最近は忙しさにかまけてめメールも書いていませんが、沢山書きたいこと今溜め込んでます。

 本当にあの時代のアメリカじは華々しいところばかりしか知りませんでしたが、浮き沈みの激しい時代だったのですね。
>育ちの差はいかんともしがたいところはあるようですね。精一杯背伸びして夢をつかんだように見えたギャッツビー、そのむなしさに壊れていく、切ないですね。
 本当にそれは私にも良く解ります。でもきっと、私は読み込んでいない部分が多くあると思います。感性というかギャツビーを通して垣間見られるフィッツジェラッルドの憂鬱、何故春樹氏がこんなに入れ込んだのかも、まだ私には理解出来ていないと思います。でもキャッチインザライともどもおそらくなんらかの影響を受けているのだと思います。あんな生き方はできないでしょうが、つまずいた時、ふっと思い出す、そんな本でした。ゼルダと言う女性は言われるように最後はまさにギャッツビーのような心境だったのでしょうね。
うう~んもう一度読まなければきっと真の意味はわかrないかもしれません。
 でもKOZOUさんがこの作品をよんでいたのは以外でした。
ちょっと嬉しい気がしてます。兄もかなり影響を受けたと言っていました。
再再読にチェックです。
本当にありがとうございまた。

投稿: とこ | 2010年5月13日 (木) 11時08分

茶々君のご主人さま、こんにちわ。
昨日はアップだけして眠ってしまいました。
はい、兄には頭が上がりません。でも最近は原書は読んでいないようです、やはり日常使ってないと忘れる単語も多いでしょうし。前は○○ってどういう意味だっけ?と聞くとすぐ答えてくれたのですが、最近はパソコンで調べろと、これは私のために言ってくれてるのか単純に忘れたか。。。
 と、また余計なおしゃべりを。すみません。
言われるようにフィッツジェラルドは私も多いに興味ある作家です。アメリカのよさと悪さみたいなものが凝縮された感じがしますね。バランスを取りきれなかったのかもしれませんね。
 長い恋路を読んで頂いてありがとうございました。

投稿: とこ | 2010年5月13日 (木) 10時38分

こんばんわ
朝晩は少し冷えるようになりました。

村上さんの訳ではないですが前に読んだことあります。細部は忘れたところが多いですが。
それにしてもお兄さんすごいですね。
原著でですか。
翻訳はあくまで翻訳、もちろん一番は原著でしょうね。
書かれていますようにギャッツビーはフィッツジェラルド自身でもあったのでしょうね。
特にあの時代激しい浮き沈みがあり富豪が一夜にして破産、その逆もあり得たでしょうからね。
プロレタリアのおやじに育てられギャッツビーの気持ちはよく分かります。これにも書かれてありますように、育ちの差はいかんともしがたいところはあるようですね。精一杯背伸びして夢をつかんだように見えたギャッツビー、そのむなしさに壊れていく、切ないですね。
ゼルダも相当な女性だったようでィッツジェラルドはだいぶ振り回されているようですね。最後はまさにギャッツビーのような心境だったのでしょうね。
日本にも青春の蹉跌とかありますけれど書かれている世界はほんとにアメリカを感じますね。今も浮き沈みはどんどんあっていますし。

投稿: KOZOU | 2010年5月13日 (木) 01時21分

お兄様原書で文学を鑑賞できるなんて
すばらしいですね!

なんどかの簡単英語の再再再・・勉強を
して、茶々の英語版ブログを創ろうと夢見ています・・・
いつになるやら

自分の私生活をもとに作品をつくられる
小説家や画家さんはやはり
どこかでバランスをとらないと
もたないのでしょうね。大変な世界だと
つねづね思います。

お祈りいつも感謝しています。
ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2010年5月12日 (水) 21時29分

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