スポーツ

2009年7月11日 (土)

私の尊敬する選手だった男~長嶋茂雄編

 私は中学2年生でプロ野球に目覚め、毎晩欠かさず、試験があろうと、勉強は9時からと決めて、観ていたジャイアンツファンです。V9時代から引退、そして負け続けた監督就任・・・そして今懸命にリハビリをされているミスタージャイアンツ、長嶋さん。

 日本テレビのジャイアンツおやじ、徳光アナウンサー、私はあなたの気持ちが痛いように解ります。

お姿を拝見しなくなって、テレビは観なくなったものの、心は同じです。私じは今、すっかり親父さんモードになっています。

プロ選手としての長嶋選手は、その打撃力のみならず三塁手とNagasima001 しての守備も注目されました。長嶋選手はライン際の打球の処理に難点があるため、欠点をカバーすべく三塁線に近く、そして深めに位置していました。そのため、長嶋とコンビを組む遊撃手(初期には広岡達朗、のちに黒江透修)は長嶋の分まで守備範囲を広めにとっていたのです。しかし彼は、時に通常の守備範囲を超え、本来であるならば遊撃手が捕るべき打球にまで反応し、猛烈なダッシュとともに捕球を試みる場合も多く、観るものを圧倒させました。

イージーゴロにさえ鋭いダッシュをみせる長嶋氏の守備は、プロ経験者からは「簡単なゴロを難しく見せる」と評されたりしました。一方、フライ飛球などは「見せ場がない」と、遊撃手に任せるということもしばしば。それゆえ、当時から守備の堅実さでは三宅秀史(同時代のタイガースにおける正三塁手)に軍配を上げるファンや解説者も少なからずいました。しかし、長嶋氏の派手なアクションをまじえた守備は、トンネルなどの単純なエラーですら、多くの観客に喜ばれたのです。どんなプレーもありなんです。たまりませんでした、あの爽快感は・・・

 1974年10月12日、中日ドラゴンズの優勝が決まり、巨人の10連覇が消えると、長嶋は現役引退を表明した。翌々日の10月14日、後楽園球場で行われた優勝したドラゴンズとのダブルヘッダーの第1試合で、長嶋はホームランを放ちました。これが現役最後のホームラン(通算444号)です。また、大卒での通算2471安打は日本最多記録であり、この先これを抜く選手はなかなか出ないであろうとも言われていました。 第2試合の最終打席はショートゴロ(ダブルプレー)であった。

 引退セレモニーでは『わが巨人軍は永久に不滅です!!』という、あまりにも有名な言葉を残しましたね。兄も外野スタンドの金網に捕まって、泣いたそうです。

 1974年11月21日、巨人の監督に就任した長嶋は、「クリーン・ベースボール」を標榜しました。川上流の緻密な用兵と作戦重視のスタイルではなく、投・打の力量差がそのまま勝敗につながることを理想としていることを端的にあらわした言葉です。「哲のカーテン」と揶揄された川上監督時代とは対照的に、マスコミとのコミュニケーションを重要視しました。    それゆえ、川上監督時代のスタッフはほぼ一掃され、新生長嶋巨人軍の選手達には「シンデレラ・ボーイ」と名付けられました。又、球団初の非日系の外国人選手であるデーブ・ジョンソン内野手を獲得し、自らの後継三塁手としました。

長嶋監督は自らの背番号を「90」に変更し、現役時代の「3」は永Nagasima002 久欠番となりました。この「90」は当時小学生の息子・一茂のアイディアといわれています。「現役のときは3つの3があった(打順が3番、背番号3、3塁手)から、3を3つ足して9。これに0を付け加えて90番にしたら?」という言葉がきっかけになったそうです。しかし、迎えた1975年のシーズンは長嶋氏の構想が裏目に出て、球団創設以来初の最下位に終わりました。そのため、オフには日本ハムファイターズから高橋一三投手・富田勝内野手との交換で「安打製造機」と呼ばれた張本勲を獲得。外野手である高田繁を内野手の三塁に、当時としては異例のコンバートをし、ジョンソンを本来の二塁に移動するなど、チーム強化に着手。その結果、翌1976年、1977年と優勝を果たしますが、日本シリーズではともに阪急に敗れました。同年、ヤクルトから倉田誠投手との交換で浅野啓司投手を獲得しました。

 (1980年前後)になると長嶋の采配が「カンピューター野球」(論理的に説明することができない、長嶋独自の勘・ひらめきによる野球)と揶揄されることも常となり、また、OBによる批判も数多く出るようになりました。前監督である川上氏が、週刊文春の座談会で長嶋の
後継監督について語ったことは、長嶋批判の象徴的な出来事であったと言えるでしょう。また、王さんの衰えも明らかであり、チームの成績は芳しくありませんでした。

 長嶋氏の指揮する巨人の低迷を憂慮した務臺光雄ら読売新聞社幹部は、1980年のシーズン終了前には長嶋の監督解任を決断しました。10月21日に行われた記者会見で長嶋氏は「男のけじめ」と、みずから不振の責任を取り辞任することを表明しましたが、自身が「辞任」を知らされたのは、会見の直前のことであったといわれています。解任が発表されると、一連の読売新聞社および巨人の措置に激怒した一部のファンによる、読売新聞・スポーツ報知の不買運動が起きたほどでした。

 長嶋氏以後、藤田元司監督(1981年?1983年、1989年?1992年)、王監督(1984年?1988年)が監督に就任し、リーグ優勝5度、日本一も2度達成しますがが、プロ野球全体、そして巨人の人気は低下していきました。V9時代の巨人にはじまり、そのOBである広岡や森祇晶などにより確立されたシステマティックな野球は管理野球(長嶋の前任者だった川上監督時代の流れを汲む野球)と評され、かつての長嶋氏のように個人技が際立つということがみられなくなったことによる人気の低下と考えらていました。

 Jリーグの創設を翌年に控えた1992年には、巨人は2位でシNagagsima003 ーズンを終了、2年連続で優勝を逃したこともあり、国民的スポーツとしての野球を再活性化するためのキャラクターとして長嶋の復帰が求められました。読売グループ内の事情を考えても、長嶋氏の復帰を阻む最大の障害であると考えられていた務臺光雄氏が1991年に死去し、現役時代から親交のある渡邊恒雄が読売新聞社社長に就任したことが、長嶋氏の監督再就任を容易にしました。ふたたび現場に復帰することとなった長嶋の新しい背番号は「33」(3を2つ合わせたもの)となり、同年のドラフト会議において当時、星稜高等学校の松井秀喜(現:ニューヨーク・ヤンキース)を引き当てました。

 ここまで長嶋氏を愛し続けた国民を私は全力で愛し返したいです。アンチ巨人でも長嶋さんは好きということはよく聞きます。そういう方々を含め、これからも体調を気遣って見守っていってあげようではありませんか。

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2009年3月23日 (月)

私の好きな選手たち~イチロー編

 今ははWBCでちょっと元気の無いイチロー選手。日本で活躍していた頃は凄い記録を撃ちたてながらも、それほど気になる選手ではありませんでした。2001年メジャーに入ってからです。年々線が細いと思っていた体が肉体改造したかのように外国人選手にひけをとらなくなったと思い出したのは・・・

 当初は、日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多くありました。あるマリナーズの番記者は、日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球をたたくように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投Itiro001 手と野手が相手では歯が立たないだろうと思われました。そのうえ、パワーもなさそうだった」と述べ、当時のマリナーズの監督だったルー・ピネラも、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30、まあ得点
は稼いでくれるだろう」とそこまで大きな期待はしていなかった。「51」という背番号をつけることになったときにも、当時のマリナーズには「背番号51」はランディ・ジョンソン(1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られてはいませんでした。その後の活躍で、このことを取り沙汰するファンは誰もいなくなりました。前述の番記者も、シーズン開幕から1か月半後の『シアトル・タイムズ』紙に、「お詫び」のコラムを掲載したほどです。その後、日本プロ野球とメジャーリーグのシーズン最多安打記録を保持しており、驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称されます。米国においては、その巧みなバットさばきの様子から「wizard(魔法使い、魔術師)」と呼ばれています。

 イチローのバッティングスタイルは、変化球を打ちにいき、直球を“詰まりながら”内野と外野に落とす、または、あえて相手投手の決め球を狙って打ちにいきます。アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、一塁への到達時間が短いのですね。バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ためでです。そのため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるようなボテボテの内野ゴロ
が安打になることが多いのです。日本時代は全安打の約16%、メジャーでは全安打の約22%を内野安打が占めており(2008年シーズン終了時点)、内野安打の多さは突出している。さらにこのような内野安打は「狙って打っている」と語っています。2001年は打率.350をマークしましたが、242安打中62安打が内野安打であり、内野安打を全てアウトとして計算すると打率は.260に過ぎない。262安打を放ち打率.372で首位打者に輝いた2004年も、内野安打58本を全てアウトと換算すると打率は.290に留まる。毎年記録される高打率はこのような内野安打を打つ技術に裏打ちされて生まれていることは明白です。でも、イチロー本人は意外にも「(内野安打では)見てる人もつまらないでしょ」というコメントを残しています。(余裕~)現役プロ野球選手としては小柄なほうで、本塁打数も歴代シルバースラッガー賞受賞者の中でも最も少ない部類に入るイチロー選手。ただし、本塁打に関しては、前マリナーズ監督のボブ・メルビンがケーブルテレビ局・ESPNに「(試合前の)彼の打撃練習を見てみなよ。いつも山ほど(ホームランを)打っているよ」と語っているように、ウェイド・ボッグスと同じくあえて試合では単打狙いに徹していると言われています。コラムニスト・木本大志氏は、イチローが内野安打を打った時と本塁打を打っItiro002 た時では軸の位置に違いがあることを言及しています。イチロー自身も『ニューヨーク・タイムズ』紙に「僕にとって、フライを打ってから『あぁ、多分ホームランになるな』と思うシチュエーションになった事は一度もない」と語っていることから、本塁打は意図的に打っている事が汲み取れます。実際それは記録上にも現れており、日本時代の1000本安打目を始め、節目の安打は本塁打が多く、メジャーでの通算本塁打のうち3分の1以上が初回先頭打者本塁打です。2007年のオールスター後のインタビューでは「(打率が)2割2分でいいなら、40本(打てる)と言っておきましょう」と冗談混じりながら語っています。

 「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視し、四球を望まず積極的に打ちにいくタイプで、三振・四球ともに少ないですね。ただ敬遠の数は多く、年10回以上されることが多々あり、通算でも200個を超えています。書籍『イチローイズム』では、著者の「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で、3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」という質問に対し、「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えています。2005年は年間最多安打記録を更新した翌年だけに打率4割を期待する声も強かったのですが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮し、4割の大台達成よりもむしろジョー・ディマジオの持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解を示唆しました。対して本人はインタビューでの『打率4割とメジャー最長記録である56試合連続安打、どちらのほうが達成は難しいか』という問いで、56試合連続安打のほうを選んでいます。まさに職人ですよね。

 打席に入ると背筋を伸ばし、やや後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、1996年シーズンから必ず行うようになりました。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する動体視力を一時的に上げる効果があるとも言われています。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「magic wand(『魔法の杖』の意)」と称されます。メジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、ハイキックをやめてオープンスタンスを採用するなど、止めどなく変化を続けるバッティングフォームであるが、2004年シーズン中である6月24日の夜に行ったフォーム改造で、「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っています(この時、なにかが降りてきたかのようにフォーム改造を思いついたことから、一部で「シスラーが憑依した」とも言われた)。
このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っています。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えています。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えました。

 2001年のメジャーデビュー当初、元マリナーズのチームメイトであったジョン・オルルドはイチローの打撃について5通りの打ち方をすると評しました。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりな
がら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力で引っ張るバッティング)であるといいます。2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった強肩に加え、「レーザービーム」と称されるコントロールのいいスローイングのため、他球団からは最もタッチアップしにくい外野手に挙げられています。コントロールの良さは、マリナーズのCMのメイキング映像で、外野からキャッチャーミット目がけて指定したコースにカーブを投げ、ストライクになっている事からも窺えます。

 記録には出ないファインプレーも魅力の一つになっています。この守備はメジャーでも高い評価を受け、ゴールドグラブ賞を2001年?2008年の8年連続で受賞しています。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりするのですから驚きです。この事からイチローの守備する右翼は、その背番号と超常現象がよく確認されるというネバダ州の米軍秘密地区に掛けて、「エリア51」と呼ばれていました。

 「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」ことなどを挙げています。

ニューヨーク・ヤンキースの捕手ホルヘ・ポサダはイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同チームの王建民は試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。同僚のジャロッド・ウォッシュバーンは「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評しています。

 チームが勝利した試合であっても自分に安打が出なければ「つまらない」とコメントするように、ある種独特な野球観を持っていますね。更に孤高な態度も相まって、チーム内からは、イチローがチームワークを乱すとの不満が度々表面化しています。2007年5月のタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)戦前には、イチローはわがまな選手だとの声がチーム内で聞かれ始めたことを受けて、当時の監督マイク・ハーグローブが急遽ミーティングをして沈静化しており、2008年には『シアトル・タイムズ』紙が、“信じ難い人数のチームメートがイチローを嫌って”おり、彼らがイチローを”殴り倒してやりたいと話していたのを耳にしたと言う内部者の話を掲載しています。この時は当時の監督ジョン・マクラーレンによってミーティングが開かれたといいいますが、記事掲載当時の監督代行ジム・リグルマンとJ.J.プッツはこれを否定しています。2009年にニューヨーク・メッツに移籍Itiro007したJ. J. プッツは『シアトル・タイムズ』紙に、「マリナーズ内にチームプレイヤーではない奴がいた」として、イチローを遠回しに非難しているそう。更に、米大手スポーツサイトは、「WBCを辞退すべき5人の選手」と題した記事の中でイチローの名前を挙げ、「チームは新監督を迎え、自身の性格について疑問が投げかけられる状況なので イチローは(マリナーズのキャンプに参加し)チームメートと親睦を深めることに 時間を費やしたほうがよい。」と述べました。 東北楽天の野村克也監督は、「(イチローは)マリナーズ で評判悪いらしいやないか。 チームメートが全然相手にしていないらしい。 団体競技なのに、嫌われたら話にならんだろ」とコメントしています。これも職人気質が災いしているだけで、イチローがいなくなったら、また逆の評判がたつんでしょうね。気にしない、気にしない。

 普段はメディアの取材に積極的に応えることはありませんが、糸井重里氏との対談で、「僕はゲームの後にその日の試合のことについて語ることを、あまりしていません。それは真剣に見てくれている人々のことを考えると、いい加減なことを言えないからです。適当にあしらうことはできないんです」と語っています。「オフになってからは『イチローは何を考えているのだろう』という質問に答えることにしています」との言葉どおり、オフの特別番組やロングインタビュー等には積極的に応じています。同対談では「一時的な注目ではなく、何年も僕に興味を持ってくれる人達とは、もう一生の付き合いだと思っているんです」とも語っていいます。現在39歳になるとは思えない俊敏さをずっと見守りたい気持ちで一杯です。

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2008年4月10日 (木)

対長崎ドリームチーム『権丈組』笑顔のラストマッチ

早大A      長崎ドリームチーム  7対5

 『権丈組』4年生メンバー(+ちょっと下級生。研修等で全員揃いませんでした…)だけで臨んだこの日のテーマは、この1年の集大成・選手権ファイナルと同じく『権丈ワセダ』。体はまったく動かずとも、既に引退していようとも、万事に「らしく」。「今日はとにかくこの4年間のすべてを出すこと、この仲間とできる最後の試合、勝ちに拘りつつ、楽しもうって」(SH藤森啓介)…。「最後に負けて終るのだけは絶対に嫌だった。4年間、自分たちのやってきたことは最後まで貫き、出し切れたと思います」(主将・権丈太郎)…。攻めれず、攻められっぱなしの展開も、最後の一線だけは『気合い』で阻止。「試合というより、ただ激しい練習をしているという感じ」のなか、何人のキープレーヤーによる激しいブレイクダウンと、こちらは全員の体に沁み込んだセービングで凌ぎに凌ぎ、じっと勝Photo_2 機を伺った。前半21分にトライを許し0-5。これは勝つには7-5か現実的か…。そう思った矢先の30分、スクラムから直接ボールを受けたFB五郎丸歩が気合いのワンステップで相手を交わし(ここだけはスタンドも盛り上がりました!)、同点トライ。入れごろ、外しごろのコンバージョンも難なく沈め逆転。もうここから先は本当に気合い
と執念、ここぞのまとまりで乗り切りだけだった。「本当に自律したチームだったね。一貫して自分たちをうまく回していく力があった。よく守って、セービングして、激しいプレー。今日も彼ららしい試合だったと思う」(中竹監督)…。
 今はもうただただ感謝。そしてお疲れ様でした。勝った代だからこその義務もある。これからも「らしく」、熱き人生を―と思うのであります!!

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2008年3月16日 (日)

ラグビー日本選手権 決勝

清宮監督「完敗です・・・」

 私の予想は見事にはずれました。サンヨーの先制点で始まってしまった前半。解説者が「サンヨーが先制を取れば面白い試合になるのでは。」と言っていた通りの試合展開となった。前半15分で15点を取り、3度もターンオーバーでサントリーのボールを奪うとは・・・でもまだ余裕の私。そして清宮監督が田中を起用。そこで流れがサントリーに向いた。ラインアウトからモールで押していくサントリー。二人も怪我人が出て始まった決勝、前半終わってみると、17対0から17対11まで追い上げていた。よし、いける!!

  ところがサントリーの良さは後半、殆ど見られなかった。サンヨーにはトニー・ブラウンという凄い選手がいた。キックは何種類も使い分けられ、パスも確実。そしてどの場面にも彼は絡んでくるのだ。敵ながらアッパレとしか言えない。その上サンヨーはフォアードも強かった。タックル後の反応も速い。あ~とかぎゃあ~とか言っていているうちにあっという間に点は離されていく。これでいいのかあ~サントリー。
  もう反省点が解り切ったと私は思いたい。そして来年こそ、日本一になってくださいね。
個人的に早稲田の頃から応援していた清宮監督、きっとやってくれるでしょう。

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2008年3月 8日 (土)

清宮監督、2年目にして勝利、おめでとう!!

   日本選手権 準決勝第一試合 サントリー対東芝     25対14

清宮監督、2年目にして勝利、おめでとう!!

「勝つ為のラグビー」を目標に1年間練習してきたサントリー。まるで先日の早大を思い起こさせるようなこのコンセプト、さすが5年間ワセダの監督をしてきた清宮監督らしい。

 プレーも全く東芝を寄せ付けないディフェンスの強さ、そして前半あっという間に25点をとってしまい、後半はゆっくり、じっくり時間を使っていた。

 そこで14点追い上げた東芝だったが、先日のワセダでみせたようなプレーはまるでみられなかった。横に大きくパスしてうまくトライを見せた先日の東芝が、パスは繋がらない、ボールを保持しても一瞬躊躇してしまうようなプレーですっかり、自信をなくしてしまったようにみえた。そう見えたのはサントリーのプレーがことごとく成功したことからもいえるだろう。

 監督は「今日は準決勝じゃない。東芝対サントリーなんだ!」と言ったことがこの数年の屈辱から出た言葉のように重く感じられた試合だった。ワセダを潰した東芝に勝ってくれたこと、私は少し気持ちが晴れた。

 今、トヨタ自動車とサンヨー電気が準決勝を行っているがどちらが勝とうと来週の決勝は見ずにはいられないだろう。

 久々に清宮ラグビーを観られることがなんと言っても嬉しいのであります。

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2008年3月 4日 (火)

ワセダ、日本選手権を終えて・・・

悔しさを胸に・・・後輩に期待する4年生たち

主将・権丈太郎
「今日は今年1年やってきたことをすべて出そうと言って試合に臨みました。普通ではなく、とにかく狂いまくって頭からブッ刺さろうって。ワセダは勝つことがすべて。自分たちの力、やってきたことはすべて出し切ったとは思いますけど、負けてしまい、悔しいという気持ちが一番です。やるべきこと、貫くべきことを貫けたことには納得し7313 てはいますが。トップリーグと戦うときに大事なのは、2人目の寄り、キャリアのレッグドライブですけど、その部分で完全に東芝さんの方が上でした。今日のテーマであった『ワセダ』が出せたかは…、ん~、勝たなくてはいけないという点では見せられなかったですけど、1年間やってきたこと、貫いてきたことは、やりきれたと思います。悔しいですけど、出し切ることはできました。試合が終った直後、同期のみんなとは、今までありがとうって。」

中竹監督
 「タックル後の絡み、プレッシャー、仕事量、トップリーグ上位チームのカベを感じた。そういった前提はもちろんあったなかで、クロスゲームを想定していたけれど、結果として取られすぎてしまった。今日は勝てなかったという部分では否定されてしまうけれど、テーマにしていた『ワセダ』らしさ、『権丈ワセダ』というものはしっかり見せられたと思う。」

副将・畠山健介
  「今日で終ってしまうのは本当に寂しいです…。試合については、モールはもう言うことなし。押し込むことができましたし、トライも取れた。ただ、スクラムで7316 僕の方から回されてしまったことと、フィールドからのモールに受けてしまって、そこから崩されてしまったのには悔いが残ります。後輩たちの力がなければここまで来られなかったですし、こんなチームもできなかった。

副将・五郎丸歩
「もうみんなには本当にありがとうという気持ちだけ。言葉は交わさなくても、深くは話さなくても、みんな通じ合っているところがありますから。試合は自分たちから仕掛けて、ワセダのやりたいことはできていたんですけど、ブレイクダウンが劣っていた。そこが一番です。130人いる部員全員が赤黒を目指さないといいチームはできないし、日本一を目指すのであれば、自分を奮い立たせて、這い上がっていくのがワセダ。後輩たちには1日1日を勝負して、またいいチームを作って欲しいです。」

 東芝戦を持って『権丈組』のシーズンはひとまず終了しましたが、実は…あと2試合予定が残っています。まず23日(日)に福岡にて2年ぶりとなる朝日招待(対九州代表、於:博多の森、14時KO)。そして、翌週30日(日)には昨年同様、長崎ドリームチーム(於:長崎県立総合運動公園陸上競技場、14時KO)戦にご招待頂きました。

 大学王者として臨む朝日招待は、前回のリベンジを果たすべく、『権丈組』ベストメンバーで臨む予定です。福岡と長崎で、『権丈組』最後の勇姿を。九州のファンの皆様、23日、30日は是非応援にいらしてください。

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2008年3月 2日 (日)

お疲れ様、権丈組!!

   ラグビー日本選手権 二回戦     東芝47対早大24

やはり東芝は強かった。

 プレイ5分で五郎クン(五郎丸歩)の長いキックからモールに持ち込んだ先制トライでいけるかと錯覚する程、前半戦の早大はぶれなかった。誰もが自信に満ちた顔をしていた。東芝がポイントを抑えて小回りの効く動きで攻めてきてもぶれなかったのだ。そう、そのペネトレイトは後半も最後の最後まで続いた。 

 しかし最後の5分で権丈の目には涙が溢れていた。見守るベンGh191 チのラガーたちも気持ちは同じ。権丈組は、そして4年生は後悔の残らない試合ができたのだろうか。私には少し苦い思いが心に残った。例え、相手が東芝であろうと・・・

反応の速さはトップリーグに劣らないと言わしめたワセダ。キック力も強いと言われていた。今日、秩父宮へ足を運んだのは圧倒的にワセダファンだったと思われる。東芝がトライをしても会場はシ~ン。驚いた。誰もがワセダに勝利してもらいたかったのだと確信した。

 もっと、キャーキャー言って楽しめると思っていた試合。この苦い思いは暫く続きそう。続きは明日のラグビーのHPで話を観ようと思う私なのでした。
  
 中竹監督もそしてワセダのラガーマンたち、この1年お疲れ様でした。

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2008年2月25日 (月)

日本選手権 一回戦 試合結果

早大A      タマリバ  48-0

日本選手権が始まりました。1回戦はワセダ対タマリバ。

「今年はブレないチームを目指してきたんだろ。本気になれ。ここで本気になれないような集団には、絶対に次はないからな!」(中竹監督)。

第45回日本選手権がようやく開幕。常に全力、オールアウト、決してブレない『権丈組』は、風にも負ケズ、砂にも負ケズ、その芯の強さ(太さ)を見せ付けた。

信念の男! 打倒・トップリーグを信じきる主将・権丈太郎
 「テンポはあまりよくなかった。やっぱりいいテンポで出たときはトライになっているので、次までにそこはしっかりと詰めていきたいです。」

タマリバは前半は検討するものの、局面で踏ん張りきれず気がつくと大差での完封負け。まあしょうがないんでしょうかね。ワセダの方ですが、ブレイクダウンがやや甘めな印象なのと、山中君のパスとバックスのラインがやや深すぎるような気もしましたが。

と、このような記事をHPで見て、何故NHKで放送してくれなかったのかと地団駄踏んだ私なのです。次の対東芝戦は是非TVで応援したいものです。手に汗握ってキャーとかおぉーとか言いたいのです。
権丈さんや五郎さんには最後の勝負。荒ぶるを日本中のワセダファンに聞かせてください。

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2008年2月 4日 (月)

早大vs慶応大学選手権 決勝

 1月13日の決勝戦で私も泣きました!!昨年の屈辱をバネにやっぱりやっちゃってくれました。早大ラグビー部のHPを見てまたまた感激です。サッカーは観てもラグビーは・・・という方でも年に一度の大学選手権は必見ですよ。私は早大のOBではないのですが、兄の影響で中学生の頃から成人式にはラグビーという習慣がついて毎年、年の初めは箱根駅伝と大学選手権を見ないと始まらないのです。6542
 対慶大 部員133人、『権丈組』、貫き通した『荒ぶる』!
で始まるHP
は一度、ご覧アレ!
 今度は日本一になって泣きじゃくりたいものです。

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