映画・テレビ

2009年11月 7日 (土)

私の好きな作品~『ひとがた流し』

北村薫さんの連載小説で、これを原作としたテレビドラマ化したものに私は何故かとても惹きつけられたので、ここで紹介しようと思います。
 ご存知の方も多いと思ったので部分的な書き方になってしまいますが。

ヒロイン・千波は、テレビ局のアナウンサーとして仕事一筋に30067dega代を駆け抜け、40代という人生の折り返し地点を迎えた。ニュース番組のメインキャスターという長年の目標に手が届く直前に、病に倒れた千波を、幼なじみの親友・牧子と美々が懸命に支えていく。フリーライターの牧子。写真家の妻になった美々。二人はそれぞれ、離婚・再婚・出産・子育てという人生の紆余曲折を経験しながら、千波とは変わらぬ友情を育んできた。二人に支えられながら、病と闘い、必死に生きる千波。仕事への執念。後輩ディレクターとの愛。そんな千波の姿は、牧子と美々にも、それぞれの人生に正面から向き合う勇気を与えていく…。(NHKドラマより)
 
 お互い中高生の時に知り合い、ずっとべたべたするのではなく、離れすぎずいい関係ですごしてきた歳月・・・「友情」という言葉ではこぼれ落ちてしまうような、お互いに対する思いがたくさん詰まった作品です。

 夫婦が人生を一緒に歩いていく仲間であるとしたら、女同士の関係というのは、ずっとつかず離れずの位置にいながらいつも心を開いて受け止め合える関係・・・同士と呼んでも過言ではないと思います。「女の友情なんてもろいもの」と世間ではよく言われますね。でも、一度相手を信じたらとことんつき合う、相手を見ることがまるで鏡を観ているかのように・・・だからほっとけない、言いたいこともポンポン言い合えるのでしょう。

 描写のひとつひとつの積み重なりが、登場人物たちがともに生きたということそのものにしたと思います。そして、そのエピソードを丹念に読んでいくと、そのことの重さと意味が読む者の心にじわじわじわと染み渡ってくるのです。

 最後に好きな人と女としていい時間をすごせた千波の一生・・。人生にはそれぞれの時間があって、母から娘に受け継がれる思いがあって、それは川に流れるように過ぎ去っていく・・・川に流れるたくさんの「ひとがた」は、それぞれの願いをのせて流れていく・・・。

 人生は流れに浮かぶ木の葉のようにはかないけれど、それぞれが愛しい大切なもの。そんな当たり前だけれど、当たり前でないことを感じることができました。

自分の感情を押し出す前に、この築いた関係において 今大切な007dega_2 ことは何かを問うことが出来るのは、人間として見習いたいところですね。人間が最後まで忘れてはならないものだと思います。

 誰も教えてくれない、目に見えない本当の“絆”というものが見えてくるような気がしました。

 限りある身であるから、人間は、否応無しに大切な誰かとの別れを体験するでしょう。その時、その人と過ごした時間を一緒に持って行ければ・・・。自分の何分の一かが消えてしまうような喪失・・・。だからこそ、消えても残る、その人との繋がりを確認することがとても大事なのでしょう。
 この物語に書かれた内容の多くは、実際の体験から生まれています。それだけにつらく、また大事な一冊です。

 40代を迎えた彼女達にとって友達とは何かを考えた時、こんなに深く結びついた友情があるだろうかとつい自分のことを振り返り、はっとさせられます。

 でも友情はこんなにも深く、でも切ないのだとしみじみ思いました。『転がる石にはコケはつかない』、転がりながら成長していく友達や家族について考えるための作品でした。

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2009年11月 5日 (木)

私の大好きな映画~『私の中のあなた』

 『号泣するよ』ということだけで、他に先入観を持たずに観た久々の映画でした。映画にはポップコーンでしょなんて思っていたのですが、ポップコーンにAna001 は最後までほとんど口に出来ないほど、考えさせられた映画でした。

 11歳の少女アナは、白血病の姉に臓器を提供するドナーとして、遺伝子操作によってこの世に生まれた。母サラは愛する家族のためなら当然と信じ、アナはこれまで何度も姉の治療のために犠牲を強いられてきた。そんなある日、「もうケイトのために手術を受けるのは嫌。私の体は、自分で守りたい」と、アナは突然、両親を相手に訴訟を起こす。しかし、その決断にはある隠された理由があった…。
    

  アメリカの人気作家ジョディ・ピコーの同名小説を映画化ですが実際にあったお話らしいので驚きました。

 ケイトはずっと白血病で苦しみ、「もう手立てはないのか」と医者に詰め寄ります。家族の誰もドナーとして適合せず、新しい命を作ることでドナーとなりえることを知らされた母親は妹を産みました。姉ケイトと妹のアナは仲の良い姉妹。しかし、アナは白血病を患うケイトのドナーとなるために人工授精で生まれた女の子で、生まれてから何度も血や髄液などをとられ、その影響による感染症により入院も経験していましたが、姉のために当たり前のように役目を果たしてきました。愛する家族の為だと信じ・・・

 ところがある日突然、訴訟を起こすのです。私はまだ幼い妹が自Ana006 己主張したくなったのだ、自分も普通の人のように元気で何でもやりたいのだと、幼心で感じたのかと思っていました。ここではケイトのために最善を尽くそうとしている母親サリーの言い分のほうが最もだとも思っていたのですから。そこにある真実が隠れている事にも気付かず・・・

 でも家族は明るく、何事も無い普通の家庭より、深い愛情で結ばれて沢山のステキな写真を撮りました。それをケイトは愛しいまなざしで見、アルバムにしていきました。そして入院の際はいつもその写真を撫でていたのです。まだ17~18歳くらいのケイトの頭はすでに髪が抜け、「こんな私を皆じろじろ見るの。」と落胆するケイトにサリーは自分の長い髪をばりかんで剃り出しました。そして堂々と街へ繰り出すのです。また明るさが戻ったと思っていましたが、訴訟をおこしたアナと母親の対決が始まりました。

 「ケイトが死んでもいいの?」と詰め寄るサリー。窮地に立たされるアナ。そこでサリーは気付くのです。「他に何か隠しているんでしょ!」・・・傍聴していた兄がとうとう言ってしまうのです。

「ケイトが望んでる事なんだ!アナのせいじゃない!」

そう、ケイトは疲れ果てていました。もうこれ以上延命措置はしてほAna003 しくない、もう充分だと。だからアナに頼んだのです。もう手術はイヤだから、アナに拒否してほしいと、お願いしていたのです。

 ずっと姉の苦しみを目の当たりにしてきた兄弟姉妹たちは最初はケイトの話に戸惑ったけれど、幼いながら苦しむ姉を見て承諾するのです。子供にこんな選択が出来るだろうかと私は呆気にとられました。これは大きな問題です。日本ではこんな選択は出来ないでしょう。そして愛する我が子を1日でも長く生きさせたいと思う親の気持ちも当たり前だと思います。

 ケイトはステキな恋愛を同じ病気の男の子とし、それも支えになっていたのですが、二人が結ばれてすぐ、彼はこの世を去りました。ケイトは次第に衰退し、ある日海へ行きたいと言い出します。父親とアナたちは早速出かける用意をしますが、サラはまたもや猛反対。危険すぎると。でもあとから追いかけてきたサラとともにまた家族のふれあいが始まります。そこでケイトは最後の海だと覚悟したのでしょう。

 このストーリーの主役は誰なのだろうと考えると、おそらくドナーとしての運命を背負ったアナでしょう。姉を慕う純粋な少女が実は姉のために産まれてきたとはきっと知らされていなかったでしょうし、知っていたとしても、それは「あなたしか適合しないのよ」と言った表現ではなかったかと思います。でなければアナは救われないもの。Ana005 訴訟などという行為もアナには過酷だったでしょう。でもケイトのために約束を守った、それが安楽死させたと思われても。映画を見ていると本当にケイトの衰退は見ていられないほどで、これが現実ならもっと壮絶な病との戦いだったことがじーんと伝わってきました。キャメロン・ディアス扮するサラも主役なのかもしれません。

 親の視点で見ると、どう写るのか、観る人それぞれがどんな観かたをするか、私には計り知れませんでした。問題作と言われる意味も解りますが、死とどう向き合うかを深く考えされられました。観てよかったです。

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2009年10月23日 (金)

何度観ても飽きないドラマ~『ラスト・フレンズ』

ーー長らくお休みをいただきましたがおかげさまで少しずつ良い方向へ向かっています。これからは無理せず、コツコツやらせいていただきます。宜しくお願い致します。ーー
 

★ラスト・フレンズ

もう何度も再放送で観ているのですが、これは虚構ではなく、あり得る話ですよね。

 家や職場でも居場所が得られず、恋人からのDVに苦しむ藍田美知留、モトクロス選手として全日本選手権優勝を目指す一方、性別という誰にも言えない悩みを抱える岸本瑠可、女性達の良き相談相手でありながら、過去のトラウマからセックス恐怖症に悩む水島タケル。
 悩み傷ついた3人は、ひょんな事から、シェアハウスで共同生活をRasutohurennzu003_2 始めます。そして、彼女達は共に暮らすうちに、人と人との関わりの大切さを知り、前向きに生きようとするのです。

 シェアハウスには他にスチュワーデスのエリ、おぐりんこと小倉友彦もいて、何かといえば、「○○パーティー」と名をつけては飲んだり、笑ったりのごく普通の共同生活に見えるのですが、虐待を受けながらも『私は弱いから宗佑の気持ちがわかるの。瑠可は強いから。』
とたびたび宗佑のもとへ行ってしまっては後悔し、タケルに連れ出される美知留をシェアハウスの面々は真剣に彼女を守ろうとします。

 『男だったら引くことも愛情なんだってこと、解んないの?!』とエリに突っぱねられても理解できない宗佑が次々とシェアハウスの住人に嫌がらせを繰り返す・・・

 一方、瑠可は高校時代から美知留に特別な感情を抱きつつ、友情だと偽って美知留を必死に守ろうとします。それは観ていて切なくなりました。性同一性障害のことを誰にも言えないで悩んでいる瑠可を『男の心を持った化け物』と吹聴して回る宗佑の陰険なやり方で周囲を混乱させたことを回りの家族や友人が知らぬふりをする思いやりも見所の一つだと思います。そう、驚いたのは宗佑の本来の姿を見抜いていたことです。
 一度苦しくて、シェアハウスをあとにし、タケルにだけ手紙で本当のことを打ち明けますが、タケルも児童性的虐待のトラウマで異性を好きになれないという心の傷を持っていることもあり、瑠可を追いかけ、『話は解った、でもオレは瑠可が好きだ。』といって瑠可を思い切り抱きしめました。その時の瑠可は本当に心がほぐれて泣き崩れてしまいます。私も思わず泣いてしまいました。

 私の友達にも決してスカートをはかないし、自分のことを「自分は」という女の子がいますが、私にはとても優しくて気配るの出来る人です。彼女が性同一性障害なのかは解りませんが、男性と対等に見て欲しいという思いは伝わってきました。

 性同一性障害は同性愛と勘違いされることが多いようですが、厳密には違います。心の性と身体の性が一致しない状態のことをいうのが本当なのだそうRasuto006_2 です。ここのところはドラマでは少しウヤムヤにしているように思えますが、自分の胸を見るのが嫌、といったことをとっても恐らく性同一性障害と捉えいていいのではないかと思います。男性が女性の心を持っていて悩む人も多いと思いますが、男性より、女性のほうが内に秘めて悩んでいるケースが多いのではないかと、このドラマを通じ、感じたことでした。

 東野圭吾さんの『片思い』でもこういう女性が出いてきますが、ここでは堂々と自分は女じゃないと化粧をとり、上半身裸になったりとするのですが、やはり、同級生同士で結婚した奥さんのことをずっと好きだったとは言えなかったことを思いだしました。

 このドラマでキーマンになるのがタケルの存在だと思います。誰に対しても優しく接しますが、瑠可とはとても気が合い、守ってあげたいと思い続けます。好きだと告白して、好きな人がいると言われ傷つくのですが、それでも友達として守りたいと思い直すことの出来る人なのです。普通はふられたらそこでお終い、友情なんて形にならないと思うじゃないですか。でもタケルは見守り続けてくれるのです。ここが現代の若者像なのかなと感心しました。瑠可の大事な友達の美知留を守ろうとするのも頷けます。こんな人が友達の中にいたら、やっぱり頼ってしまうだろうなと思います。

 シェアハウスの住人は今の若者の縮図のようです。問題を抱えながらも前向きに生きようとする、大人からみれば危なかしいようでも、ちゃんと歩いていく姿に私は感動を覚えました。

 この作品を手掛けた脚本家は浅野妙子さんです。『大奥』や『神様、もう少しだけ』でもう有名な脚本家さんですね。

その後先の読めないストーリー展開が放送を重ねてくほどに視聴率を高めるなどし、テレビ雑誌『ザテレビジョン』が行った「第57回ドラマアカデミー賞」(2008年春クール)において、作品賞・助演男優賞(錦戸亮)・助演女優賞(上野樹里)など6冠を達成したそうです。

 久しぶりにいい作品に出会えたと言う思いです。

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2009年9月 7日 (月)

私の好きな俳優~メル・ギブソン編

 本名はMel Columcille Gerard Gibson。11人兄弟で育ったメルさん。父親の事業の失敗で68年にオーストラリアに移住。高校を卒業し、奨学金を受けながら国立演劇学校に学ぶ(この時期ジェフリー・ラッシュと同居生活を送っていたとか)。76年「メル・ギブソンの青春グラフティ」で映画デビューしました。79年、「マッドマックス」のオーディションで主役を得て国際スターに。また「ティム」ではオーストラリアのアカデミーと呼ばれるサミー賞で主演賞、新人賞を受賞。「誓い」はオーストラリアで空前のヒットを飛ばしました。以降、82年「危険な年」でハリウッドに進出。

 幾つかの作品をへて87年「リーサル・ウェポン」でスターとしての地Meru003 位を確かな物にしました。また、93年「顔のない天使」で監督デビュー。95年「ブレイブハート」ではアカデミーの作品、監督賞を受賞。製作者としても広い才能を示しました。2004年には監督第2作目となる「パッション」を製作。キリスト最後の12時間を描いた本作は、多くのハリウッド関係者が及び腰となるなか、約30億円もの私財を投じて執念の映画化、様々な物議を巻き起こしながらも映画は世界各地で空前の大ヒットを記録、メル自身も出資金をはるかに上回る巨額のギャラを手にする大成功を収めることとなりました。79年、看護婦だったロビンと大恋愛の末、結婚。現在は7人の父親です。

 かなり前のお話ですが、『ウェーサル・リポン、面白いよ。』の言葉につられ、観たのが始まりでした。言われたとおり『いかれた奴』という名がふさわしい、でもストーリー展開も、おばかなコンビも最高でした。

 家庭思いの黒人刑事と自殺志望の刑事が、麻薬組織を潰滅させるまでの警察アクション。製作はリチャード・ドナーとジョール・シルヴァー。監督は「レディホーク」のリチャード・ドナー。脚本はシェーン・ブラック、撮影はスティーブン・ゴールドブラット、音楽はマイケル・ケイメン、エリック・クラプトンが担当。出演はメル・ギブソン、ダニー・グローヴァーほか。ドルビー・ステレオ。シーズン4まで観ましたよ。

監督業にも乗り出しており、1995年の『ブレイブハート』でアカデミー監督賞を受賞していますね。

 中でも私のお気に入りは『顔のない天使』でした。

 それまでのアクションスターがまるで別人のようにそれも、将来に不安を抱く少年と、過去の呪縛から逃れられない元教師の理解と友情を描いたヒューマン・ドラマです。メル・ギブソンが友人のプロデューサー、ブルース・デイヴィと設立したアイコン・プロ第一回作品で、ギブソンが初監督と主演を兼ね、製作をデイヴィーが手がけています。イザベル・ホランドの小説を、本作が初の劇場映画のマルコム・マクラーリーが脚色。撮影は「パトリオット・ゲーム」のドナルド・マッカルバイン。音楽は「心の扉」のジェームズ・ホーナーでした。

 1968年の夏、メイン州の高級避暑地にノースタッド家が恒例のバカンスにやって来ました。姉と妹とはそれぞれ父親が違うという複雑な家庭に育った12歳の少年チャック(ニック・スタール)の夢は、名門ホリフィールド士官学校に入学することMeru001 。家族から孤立している彼は、朝鮮戦争で死んだという父のわずかな記憶だけを心のよりどころにしていました。避暑地には事故で顔半分にやけどを負い、人目を避けるように暮らす、元教師のジャスティン・マクラド(メル・ギブソン)がいました。
 チャックは彼に自分の個人教師になってほしいと頼みますが、マクラウドは誰も教える気はないと断りました。でも、いつしか2人は心を通い合わせ、友情が芽生えるのです。勉強に打ち込むうちに、2人は教えること、学ぶことの喜びを取り戻していきました。チャックはマクラウドの事故のことを聞き出そうとしますが、彼は決して語ろうとしませんでした。ある時セックスの現場をチャックに見られた姉は怒りから、彼の父の本当の死因を明かしてしまいます。父はアルコール依存症で、精神病院で悲惨な最後を遂げたと聞かされたチャックは、雨の中をマクラウドの元にかけつけます。彼は動揺するチャックを家に泊めました。

 母親の連絡を受けてマクラウドの家を訪れた保安官は下着姿のチャックを見つけて母親の元に連れて帰るばかりか、以後は彼に会うことを禁じてしまいます。

マクラウドは10年前、教え子を乗せた車で事故を起こして死なせたばかりか、その時、車内で性的虐待を行っていたかどで投獄されていたのでした。自分とマクラウドの間には何もなかったと言っても町の人々は信じてくれなません。町を発つ日、チャックは母の目を盗んでマクラウドに会い、事故当時の真相を聞きました。「真実は自分が信じることにある」と言う彼の姿に無実を確信したチャックは、士官学校の入試に向けて旅立ちました。

みごと合格したチャックはマクラウドの家を訪れますが、そこには誰もいません。4年の歳月が過ぎ、チャックは卒業式を迎えました。人込みの彼方には懐かしいあの後ろ姿が・・・その後ろ姿はゆっくりと振り向くと、嬉しそうに手を振っていました・・・・

 どうですか?いいお話ですよね。まさに顔など要らない天使だと想いました。彼としては異色ですが、これからはこんな作品にもっと出演して頂きたいですね。

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2009年9月 1日 (火)

私の観たい映画~『明日の記憶』

 かねてより、観たいと思いつつ、行けない映画、それが、『明日の記憶』でした。

 広告会社の営業マンとして働く雅行は、時に家庭を返り見ないほど仕事に没頭してきた。大きなプロジェクトと娘の結婚を控え、忙しい日々を送っていたが、50歳を前にしたある日、原因不明の体調不良に襲われる。ミーティングを忘れたり、部下の顔が思い出せず、心配になった雅行は病院を訪れ、医師から「若年性アルツハイマー」の診断を受ける。そんな雅行を、妻の枝実子は献身的に支え、一緒に病と闘うことを決心する……。

『私の頭の中の消しゴム』でも注目された「若年性アルツハイマ ー病」をテーマに、病を背負った働き盛りの男性と、彼を支える妻の絆を描いた感動作品です。

 当たり前だった風景が記憶から消えていく恐ろしさを、渡辺謙さAsuenokioku001 んが卓越した演技力で見せています。

また、辛さを心の内にひた隠しながら、最後まで夫の傍にいることを決めた妻を、樋口可奈子さんが熱演。監督は、ユニークな映像で独特の世界観を発揮する堤幸彦氏。複雑な感情表現が必要なドラマで、新境地を開いています。

原作は、第18回山本周五郎賞を受賞した、荻原浩の同名小説。忘れてしまうことの恐れと、忘れられてしまうことの痛み、それらを乗り越え、なお笑顔を見出していく夫婦の姿が、深く心に残る---

 これが私が読んだgoo映画での情報源となりました。ロスでも紹介され、中でもロサンゼルス・タイムズ紙は「『硫黄島からの手紙』『SAYURI』などこれまでのハリウッドでの抑圧された典型的な役柄とは懸け離れ、動と静の幅のある演技を見せている」と渡辺さんの演技力を高評価されました。また、ロイター通信は「米国の観客は『硫黄島-』『ラストサムライ』とはまったく違った渡辺謙を見ることになるだろう」と配信しています。

 この映画の源には渡辺健さん白血病だった頃の闘病生活があり、ハリウッドで原作を読んだ渡辺さんは自分を重ね合わせ、内容に対し深く感動し、原作者である荻原浩に映画化を熱望する手紙を直接送り、映画化されることになったそうです。

 若年性アルツハイマー病・・若年性アルツハイマー病も老年性と同じように、最初は、もの忘れが増える、日付や自分のいる場所がわからなくなる、感情表現など精神活動が低下する、といった症状が見られますが、老年性よりも病気の進行が早く、症状も重くなる傾向が見られます。
 また、働きざかりの40、50代でアルツハイマー病を発症するわけですから、家計や介護などさまざまな面で問題がおこります。

 しかし、若年性アルツハイマー病は、老年性のように誰もがかかる可能性がある病気ではありません。若年性アルツハイマー病の原因は、遺伝によるものがほとんど。ごく大まかにいって、アルツハイマー病の原因となる遺伝子に異常がある人は、40代でも発病する可能性があるのです。原因となる遺伝子は次々と見つかっていますが、まだ研究は半ばで、しっかりした遺伝子診断ができる状況ではありません。また、万が一発症しても、発症初期より前の「前駆期」段階で発見し、適切なケアを受けることができれば、病気の進行を遅らせることができます。

 必要以上に病気の発症をおそれることはありませんが、私たちは「痴呆」を遠い先のことと考えがち。同じようなミスが続いても、「年のせいだ」と軽く考えてしまうものです。しかし、「自分だけはぼけるはずがない」と思うのはすこし楽観的すぎ。とくに家族にアルツハイマー病を発症した人がいる場合は、日ごろからかすかな兆候を見逃さないようにしたいものだとお医者様は言っておられます。
 

 こういった知識など殆ど持たない私達は突然いろんなことが記憶から消えていく不安に耐えられるのかというのが、今回の映画の見所であり、共に暮らすもの立ちにとっても大きな決断なのだと思います。

 重いテーマなのに 鑑賞後にとても明るい気持ちになれるのは、ラストで渡辺さんがが一番身近な妻を妻と覚えていられなくなったのに、彼女をみて、Watanabekenn002 懐かしい、はにかんだような、そして、これからこの人とちょっと話しをしてみたいな、というような表情を樋口可南
子さんに対して見せるシーンがあるそうです。渡辺さんのその演技力にとことん引き込まれるでしょうし、樋口さんがその短い瞬間にすべてを悟り、それを受け入れ、新たな出会いとして歩き始める(という演技力もまたすごい)強い心に感動させられると想像しています。渡辺さんは樋口さんが好きだし、樋口さんはそんな渡辺謙が好きなのです・・・。
  

 なんとなく夫婦になってしまった、こんなんでいいのか?と後で思う夫婦って多いと思うのですが、よく考えるとその”なんとなく”は実はとても奥が深くて、自覚してないけど、自分にとってとても大事な人を選んでいるのだろうなと気づくに至りました。

渡辺さんが観たくて観ようと思った映画ですが、樋口さんもきっとあっと息をのむ演技を見せてくれそうで楽しみでなりません。

 現実はとてもじゃないが映画のように格好よくいかないと思います。もっともっと悲惨で、たいていの妻は「ずっと貴方のそばにいます」なんて言葉ではなく、たいていは無言で、この先どうしていこうかと悩み始め,離婚してしまう夫婦も多いそうです。

老人性ならば介護は大変でもまだ諦めもつきますが,若年性の場合は進行が早いだけに現実として受け止めにくく,その悲惨さは映画の比ではないと思いますが、私はこの映画を観てそこの所を今一度再確認する良い機会だと思えてまりません。

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2009年8月12日 (水)

私の好きな俳優たち~笠 智衆編

 忘れ難い俳優さんの中の一人、笠さん。誰もが温厚なおじいさん役として心に残っている事でしょう。

小津安二郎監督の『一人息子』(1936年公開)でまだ32歳だったのに初めて老け役を演じ、好演。この老け役の成功が、笠の俳優としての地位を築くものとなりました。そして『父ありき』(1942年公開)では小津作品で初の主役を演じました。『Ryuutishuu_003 若人の夢』に出演後はほとんどの小津作品に出演していた笠さんですが、極度に感情を抑え、淡々とした語り口という日本人の「父親」としての役どころは、この作品が原点です。以後、小津さんの遺作となる『秋刀魚の味』まで主役・脇役を問わず、すべての作品で重要な役を演じています。

 小津氏亡き後は山田洋次監督作品の『男はつらいよ』シリーズに出演し、御前様として知られるようになります。第40作からは出演シーンも少なくなったものの、亡くなる直前まで出演した『男はつらいよ 寅次郎の青春』が遺作になりました。出演としては第45作が最後ではりますが、第46・47作では劇中で御前様が生きているとの言及があります。

  またテレビドラマにも出演し、山田太一氏が「笠さんに主役を演じてもらいたい」(NHK笠智衆の追悼番組より)として書き下ろした『ながらえば』、『冬構え』、『今朝の秋』に主演、高い評価を受けました。なお、『今朝の秋』放映時笠さんは83歳で、現時点でテレビドラマで主役を演じた最高齢の男優でもあるのです。

 『今朝の秋』は、今は亡き 笠智衆。杉村春子。体の元気な樹木希林。若くて美しい倍賞美津子・・・と豪華な俳優陣。

脚本(山田太一さん)が良くていい演出(深町幸男氏)がそこここに光っていてすべてに無駄がない、球形のような作品でした。
 

 木漏れ日の美しい自然のなかで 老いた(70代 80代)の両親に支えられて終わりの日を迎えようとしている50代の息子。 両親は20数年前に離婚しており ・・・・ 息子には 2人の子がいますが、 妻から 離婚を請求されている・・・。 
 それでも、今は3世代の毀れた家族が、ガンの息子を中心として肩を寄せ合い「生」をみつめていきます。
満ち足りた夜。家族で歌う「恋の季節」・・・・・ それは母親が20年前 家を出てから 父親がよくうたった歌だった。

錯覚しそうだなァ・・・・・。 家族ていいなァ。

(返)錯覚ていうことはないでしょう・・・・。 あんたのためにこうやって集まっているんだもの。

歌が遠のき・・・・・ 家族の映像が遠のき・・・・・ モノクロになり 暗転。

次のシーンには、 鳥の鳴き声と木漏れ日、 緑をわたる風が映し出され、カメラは部屋に置かれた祭壇へ。そこには息子の位牌が・・・
 

 例によって深町演出の見事さです。なにも説明はいりません。カメラがなめるだけで視聴者はの間に流れた厳かな温かい時間を感じることができます。

 この会話で 元夫婦が二人きりで 数日息子の位牌といたことが分かります。

作品をとおしての笠智衆さんの顔がいいんですよね。病む息子の横に座った笠智衆の視線。元妻を見つめる笠智衆の視線。人間の内面が育っていないと、 こういう顔は出来ないと思う顔。
 人はもしかしたらこういう顔ができるようになるために年をとるのかも知れませんね。役者笠さんに拍手です。  

NHKでは笠さんの亡くなった直後に追悼番組として『今朝の秋』 を放映しまDaisougenn_005したが、放映後笠を悼む感想が多数寄せられたそうです。その中でも多かったものが、笠さんを自分の祖父のように思い、笠の死が自分の祖父が亡くなったように思えて悲しい、という内容でした。NHKではこれらの感想を中心に構成された番組を放映。笠さんとの共演が多かった杉村春子がナレーションを担当しました。杉村さん自身も手紙の多さに驚き、笠さんの人気の高さに感動したと述べています。

 もう1つ、『あ・うん』のおじいさん役も印象的でしたね。一癖も二癖のありそうなおじいさん、でも『ありゃ、駒犬さんだな。』という一言が全てをを語ったドラマでした。

 とにかく素晴らしい俳優さんでした。

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2009年8月 6日 (木)

私の好きだったドラマ~『大草原の小さな家』

 1975年から1982年まで毎週土曜の18時台に放映されたドラマですが何度の再放送されて覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。いまやDVDとなりいつでも観られるようになりましたが、あの頃はテレビにかじりついて見ていました。

 原作とは次第に変わっていったそうですが、原作はローラ・Daisougenn003 インガルス・ワイルダ(1867年2月7日-1957年2月10日)による一連の半自叙伝的小説シリーズです。原作シリーズは『大きな森の小さな家(Little House in the Big Woods)』に始まり全9作を数えますが、テレビシリーズでは第3作の『大草原の小さな家(Little House on the Prairie)』以降を描いています。

 西部開拓時代のアメリカを舞台にしており、インガルス一家はウィスコンシン州―オクラホマ州―ミネソタ州―サウスダコタ州と移り住むお話です。

ローラが生まれたウィスコンシン州を後にオクラホマ州へ移り、その後ミネソタ州へ向けて旅立つまでの話がまず2時間のパイロット版として制作され、続いてミネソタ州のウォルナットグローブという町を主な舞台とした連続ドラマが、9シーズンに渡り制作されました。

 インガルス一家とそこを囲む人々の姿にはとても勇気付けられました。
ローラの成長ぶりには本当にも驚かされたものでした。

 私がとても印象火かかったのは、ローラがまだ幼かった頃、神様に会いに行くと言って一人で山を登り、湖で顔を洗っていた時、不思議な老人が現れて、ローラのこういうのです。

 『神様の声がちゃんと聞こえるように耳の中も洗うんだよ。』『洗ったわ。』

私はこの回を観て神様の声は聞こえるのだと真剣に思ったものです。

メアリー(ローラの姉)は失明してしまいますが、心は尊いまでに清く、大人になって盲学校の先生にまでなりました。

ローラも教師になり、いろいろな問題に立ち向かっていきました。彼女達がこんなにまっすぐ育ったのには父のチャールズ、母のキャロラインの信仰深い育て方が大きく関与していると私は思いました。

 働き者の両親の背中を見ながら、時にキャロラインにどうすればいいのか訪ねた時の母の深い愛情のこもった答えには、今の私達に必要なことに思えます。

 また、テレビシリーズということでかなり脚色されており、原作とはいささか趣を異にしています。このことから、原作を愛好する者からの批判もかなりありましたが、テレビシリーズがきっかけで原作を手にした者も多く、また原作もテレビシリーズも両方好きだという者も多くなりました。

テレビドラマ化される際、先住民(いわゆるインディアン)の問題Daisougenn002 をどう扱うのか、アメリカ本国では特に大きな話題になったと言われています。原作ではキャロライン・インガルスが先住民に対し好感情を持っていないと見られる描写が多く(当時のアメリカ人の一般像でもあった)、そのままドラマ化するのかどうかが興味の対象でした。実際には第1話にほんのわずか先住民との邂逅が描かれていますが、以後のストーリーに先住民に関するエピソードはほとんど登場しませんでした。その一方、黒人への人種差別に関するストーリーは何話か存在します。現実から目をそらさない撮影はやはり必要だと感じました。

 最初の方のシーズンでは原作に基づいた話が基本でしたが、第5シーズンあたりから物語の内容が原作とは離れていきました。

 しかしその物語の根底にあるものは原作と通じるところがあり、原作とは別のものとして十分に楽しむことが出来ます。たとえば、第5シーズには一家は一旦ウイノカという大きな町に移住し、その数回後にウォルナットグローブに帰って来るのですが、これは原作に
はありまえん。

 しかし、実際のインガルス一家は、ウォルナットグローブで農業に失敗したたDaisougenn007めに、都会に移って知人のホテル経営を手伝っていたことがありました。その頃の暮らしは実際のインガルス家にとっては、都会の騒々しさに辟易したり、また旅の途中で生まれて数ヶ月の長男を失くしたりしたためにあまり幸せなものではなかったらしく、原作には全く出て来ないのであるが史実です。

 チャールズ(マイケル・ランドン)は、91年4月8日に癌に侵されていることをマスコミに公表し、「奇跡を信じて癌と闘う」ことを宣言し、共感を呼びました。同年7月1日、闘病むなしくこの世を去りました。ああ、これでこのシリーズはテレビで観られなくなったと思うと涙が止まりませんでした。

 DVDのシーズン6は殊にお勧めです。このシーズンでは悲しいエピソードがあります。 ガーベイの奥さんと、メアリーの赤ちゃんが火事で亡くなります。 大草原の小さな家は、試練が次々と襲いかかってきて、皆、乗り越えるのに苦労しています。

 もちろん、そのことを通して、心に痛みを覚えながらも、生きていき、大人になっていきますが、メアリーの試練は、いくらなんでも悲しすぎました。病気、失明、子供を失う・・・メアリーの呆然とした表情にはいつも胸がズキズキとして、涙ぼろぼろこぼしていました。でも、これを見て、幼いながらに、生きる意味を考えさせられたドラマなのです。

今度は原書を読んで観たいいと思います。忘れてしまっている、小さなことへの喜びや大きな悲しみが私に教えてくれることは、きっと多いはずですから。

私がお祈りを捧げることを覚えたのはこの時期だったかもしれません。

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2009年7月27日 (月)

私の好きなドラマ~『風のガーデン』

 もう昨年の10月からあっと言う間に過ぎてしまいましたが、私は昨年観ていなくて、つい先日再放送で観ることができました。緒方拳さんがあんな最期をとげなければ、おそらく再放送も観なかったでしょう。というのは最近の倉本作品には昔書いたものほど、感動で
きなくなっていたからです。『風のガーデン』もそういう意味で、観てがっかりするのが嫌だったからなのです。

 でも、こんな特別なドラマになるとは思ってもみませんでした。Gadenn001 おそらく大抵の方がご覧になったと思うのでストーリーは割愛します。

 倉本氏は『死を目前にした一人の麻酔科医を主人公に、「人が最期に帰る場所」を描くドラマです。タイトルにもある「ガーデン」には、三途の川を渡るところの向こう側に見える花園、という意味合いがあって、どうやってそこへ行き着くのか、つまりどう最期の時を迎えるのか、ということを描いてみたいと。家庭崩壊、ターミナルケアなど、今の日本で問題になっていることをベースに据えながら、死ぬということについて考えた作品です。
 設定を麻酔科医にしたのは、痛みを取り除く専門家である医師が、自分が末期癌だということになったとき、どう自分を死に向かわせるんだろうかという発想があったからです。死を目前にしたとき、恐れと生きたいという気持ちとが自分の中でどういう状態になるのだろうかということを、僕なんかはリアルに考える年齢なんですよね。
 

 医療、花、ガーデニングと、取材は非常に大変でしたが、本当にいいキャストを組むことができて、脚本はすごく書きやすかったですね。ただ、書きながら感情移入しすぎてしまい、身体を壊しまして。昨年は精密検査を2回も受けたんですよ。
 富良野を舞台にした連続ドラマは三作目となりますが、これが最後になるかもしれないし 、それゆえにこういった「人が最期に帰る場所」というのをテーマに選んだというのもあるんです。『北の国から』は富良野の東側、富良野岳をバックにしたドラマでしたが、今度は西側、芦別岳を背景としてガーデンがあるシチュエーションだし、冬のドラマだった『優しい時間』に対し、今回は春から秋を中心にした景色が背景になるので、また違った富良野の表情をご覧に入れることができるのではないかと思います。』とおっしゃっていましたね。

 ドラマの中の生と死ではなく、息子が苦しんでいる時の緒方さんの表情が何とも言えず、笑っている顔すら観ていて涙が止まらず、なんて神様はこんなこGadenn008 とをするのかと毎回泣きました。
 
 奇しくも緒方さんが演じたのはターミナルケアを専門にする老医師で、中井貴一さん演じる末期ガンの息子を看取る役という役。劇中では病気を隠すのは中井さんの役でしたが、現実には緒方さんが本物の末期ガンを隠していました。このドラマが放映される頃に、自分は死ぬことを覚悟しての演技だったはず。緒方さんが文字通り命を懸けた、最後の芝居が観られました。

 人は最期に何処に還るのでしょう。倉本氏脚本『北の国から』『優しい時間』に続く、富良野三部作の集大成。美しき花が咲き誇るガーデンを舞台に、死を目前にした男を通して家族の絆や生きること、死ぬことを描いた人間ドラマを緒方さんにはどう写っていたのいたのでしょう・・・

 ドラマのために、2年がかりで造成した富良野の美しく広大なブリティッシュガーデンをBlu-rayで堪能できる「風のガーデンに咲く花々富良野から~」のドラマスピンオフBGVも発売中です。倉本脚本作品が続々リリースしています。
フジテレビドラマ初のBlu-ray化として「北の国から」からは、11/19発売「'95秘密」、12/17発売「'98時代」、1/21発売「2002遺言」。
そして、2009年1月21日には「6羽のかもめ」が、2009年2月18日には「ライスカレー」が発売されるなど不朽の名作が続々リリース決定となりました。  Hosino001

 『6羽のかもめ』でも加藤さんと言う役者さんがドラマの中で死ぬシーンがあり、その後、本当に加藤さんは帰らぬ人となったことがあり、その事を倉本氏はとても悔いていました。

今回もおそら倉本氏は大きなショックを受けている事でしょう。大天使ガブリエルとなって空に旅立ったと思いたいです・・・

 もう一度、生と死を見つめなおしているのかもしれませんね。そうあってほしいです。

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2009年7月 9日 (木)

私の好きな演出家~久世光彦編

Gadenn  私が久世さんの名をおぼえたのは、紛れもなく向田作品をテレビで観ていた時でした。演出家、プロデューサーとして「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」などテレビ史に残る数多くのテレビドラマを製作しました。女性問題が週刊誌で騒がれ1979年に独立、1980年にカノックスを設立。1987年に出版された処女作『昭和幻燈館』を皮切りに、作家活動を本格的に開始。小説・評論・エッセイなど幅広く執筆活動を行いました。50歳を過ぎてのスタートにもかかわらずその活躍は目覚しく、独自の耽美的な作風を確立して多くの文学賞を受賞。他にドラマ作成の現場の戦友であった向田邦子さんを巡るエッセーが人気を博しました。

 2006年3月2日、虚血性心不全のため都内の自宅で死去。生 前はどんな病気でも入院することを嫌っていたそうです。軽い糖尿病を患っていた他、数年前には副交感神経関係の手術を受け、脳梗塞からの回復の途上でもありましたが、死の直前まで仕事を抱えており、多くの関係者を驚かせた急逝でした。

私にとってもとても悲しい出来事でした。向田さんの作品を誰よりも愛し、理解していた方だと思います。

 『向田邦子 久世光彦 終戦記念BOX』は特に好まれている作品群で、終戦60周年を記念し向田邦子原作、久世光彦氏がディレクターを務めた「終戦記念」TVドラマ5作品をBOX化です。戦時中の母親と娘の生きる姿を描いています。『いつか見た青い空』『言うなかれ、君よ別れを』『蛍の宿』『昭和のいのち』『あさき夢みし』を収録しています。これだけでも久世さんの才能があふれんばかりに触れることができます。

 久世さんが手がけられたこのドラマシリーズでは、戦争はあくまで背景として描かれていて、ここでも主役は「家族の日常」です。戦時下でも変わらない心のふれあいと微妙なずれが、久世さん独特の美意識によって色彩豊かに描かれています。

 このシリーズで一番印象に残っているのは、「蛍の宿」のラストシHosino001 ーンです。 戦争が終わった日の午後、まばゆいばかりに輝く海に向かって末娘役の田畑智子さんが砂浜を駆けて行くシーンは鮮烈でした。

「いつか見た青い空」のラストのナレーションも感動的でした ・・・・・あの日の空は青かったと誰もが言います。何かが終わったのか、それともこれからはじまるのか、私にはよくわかりませんでした。私たちは四人で青い空を見ていました。いつまでも、いつまでも・・・
ナレーターの黒柳徹子さんは読みながら声をつまらせ、涙を流されたそうです。

 戦争を体験された世代としては、久世さんの世代が最後になるのでしょう。戦時下の人々の暮らしを身近な日常として描くことは、後の世代の作家には出来ないことです。そういう意味でも、この作品が素敵な装丁のDVDとして残されることを嬉しく思います。
 あらためて、久世光彦さんのご冥福をお祈りします。

 向田邦子原作、久世光彦がディレクターを務めた名作TVドラマシリーズの平成9年から13年までの作品をBOX化では母と3人の娘が暮らす一家と落語家の触れ合いを綴る『空の羊』ほか、『終わりのない童話』『小鳥のくる日』『あ・うん』『風立ちぬ』を収録されています。
毎年お正月を少し過ぎたころに放送されていた、久世光彦演出の向田作品。毎回、話の構成は大体同じなのですが、つい見入ってしま作品の魅力。その理由としては、向田作品の持つ「力」でしょう。一見すると、堅実で、礼儀正しく、朗らかな「完璧」な家庭。しかしながら一人ひとりの人間には何かわだかまりやら秘密があって、ふとしたときにそれが露呈される。家庭の持つ「陰」の部分が非常に旨く描き出されているからこそ、この作品は時代を超えて共感されるのではないでしょうか。

 そして忘れてはならないのは、この作品を演じる役者たち、加藤治子さん、小林薫さん、田中祐子さん。ちょっとしたしぐさにもその時々の心情が表現されており、かつそれが自然なだけに引き込まれてしまいます。このような豪華な定番キャストに挑戦する「旬」の俳優たちも、普段とは異なった一面を見せていて、この点もこの作品群の大きな魅力となっているように思われます。

 また、TVの演出やプロデューサーで名を馳せた久世さんが、小説家として一躍メジャーにのし上がった作品が『一九三四年冬―乱歩』でした。この作品で1994年の第7回山本周五郎賞を受賞。その年の第111回直木賞にもノミネートされるも、非常に高い評価と「もはや直木賞のカテゴリーを越えている」等の否定的な意見と賛否両論となり、受賞には至りませんでした(その時の直木賞受賞作の一つは同じく山本賞にノミネートされながらも久世氏の前に落選した海老沢泰久の『帰郷』でした)。

1934年、乱歩は新聞に連載していた小説「悪霊」を突然自分の都合で打ち切るというGadenn007醜態を世間に晒し、数ヶ月間姿を隠していた。打ち切りの理由は「構想の未熟」であったと言う(乱歩の構想は「アクロイド」だったらしい)。本作はその空白の期間を作者があり余る想像力で補い、乱歩のそして時代の様子を描いたもの。乱歩に対する作者の愛情がヒシヒシと伝わります。 乱歩は友人に紹介されたホテルに泊まり新作を書こうとする。ところが、このホテルが怪しいのだ。ホテルの雰囲気自身が怪しいし、美青年のボーイ、謎の麗人、その他の怪しい宿泊客等、いかにも乱歩好みの状況。この状況に押されように、乱歩は新作(勿論作者の作中作)を書き始める。その名は「梔子姫」。
 物語は、乱歩が数々の謎に満ちた出来事に刺激を受けながら、この「梔子姫」を書き上げるまでを描いています。

この作中作は素晴らしい出来で、エロティシズムに溢れた怪異譚の傑作。乱歩自身の作品に優るとも劣らない幻想的作品です。そして、最後に仕掛けが用意してある全体の構想も見事の一言に尽きます。
 戦前の東京の様子・雰囲気も見事に描かれ、作者の研究ぶりが窺がえます。乱歩への愛情が産んだ乱歩ファンへの最高のプレゼントであり、構成も確かな耽美小説の傑作といえるのでしょう。このような作品を読みながら久世さんを偲ぶのも、ファンである私達のできることではないでしょうか。 もう少し詳細を調べて久世さんの足跡を辿ってみたいと思うのでした。

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2009年7月 6日 (月)

 私の好きな作品~『クライマーズ・ハイ』

 ご存知横山秀夫氏の作品です。実は映画化されていたことを知らなかったので最近本で読みました。

1985年、群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故をめぐって翻弄される地元の新聞記者たちの姿を描く社会派ドラマ。実際に記者として日航機墜落の取材をした作家・横山秀夫s氏」が自らの体験を反映した同名小説を、映画『金融腐蝕列島 [呪縛]』の原田眞人監督が映像化しました。地元新聞社の熱血漢デスクを『ALWAYS 三丁目の夕日』の堤真一が演じたほか、『殯(もがり)の森』の尾野真千子ら実力派が集結。感情が激しく交わる濃密な1週間の人間ドラマに圧倒されれます。

 あの夏の惨劇――直後に動き出す地元新聞記者たちの闘Higashiyama_work15s い。編集局内の確執や販売局との対立といった事態に直面し、ブンヤ魂が熱くほとばしる。カオスの中、脇役たちが活写され、局内の管理職・蛍雪次朗、遠藤憲一、でんでんら個性派キャラは、ここぞとばかり全開でした。単なる事件記者ものではないのです。あれから23年経った現在から、極限状態の中を無我夢中で生きた全権デスク・堤真一が、トラウマともなった過去を思い起こし、今また新たな「山」に登り直すという構成を採っています。つまり、1985年の墜落事故は彼の心象風景でもあるのです。

原田眞人氏の演出は、サスペンスフルではあっても、相変わらず内面の掘り下げにもどかしさを感じさせ、時折インサートされる現代のパートは、過去とうまく反照し合わないらしいです。立て籠もった若者たちの描写を一切捨象した権力礼賛映画「突入せよ!『あさま山荘』事件」の原田は、何を血迷ったのか、今度はもっと遺族側を描こうと画策したようです。だが、原作者・横山さんから受けた「君は『クライマーズ・ハイ』がやりたいのか? 日航機墜落事故がやりたいのか?」という示唆が効いたようで、未曾有の悲劇そのものを描くだけの映画では終わらず、あの事故を通過した主人公の、組織という父性からの自立、息子との関係を修復し自身が父性を確立するというテーマは貫かれました。極度の興奮によって感覚が麻痺した状態を脱し、挫折を乗り越えて成長するという
物語の核心はかろうじて担保され、映画的醍醐味が味わえる佳作に仕上がっているそうです。

 1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日航機123便が、群馬と長野の県境に墜落、その一報が北関東新聞社に入る。編集部で全権デスクに任命された悠木和雅は記者として扱う一大ニュースに対する興奮を禁じえないが、中央紙とのスクープ合戦や組織や家族との衝突を経て、命の重さに対しわき上がる使命感を覚えます。
 
 新聞社デスクの、ひりひりするような、日々の葛藤を、臨場感たっぷりに描いていますね。思わず感情移入させられ、その場で、ビジネスの、大小のさまざまな摩擦の中にいる感覚を味わえます。これらの瑣末なしかし影響度合いの大きな日常の葛藤と、大惨事、人の生死という、エポック・メイキングな出来事とを、錯綜させて、主人公の苦悩のほどを、描いています。

 新聞社でのキャリアを、寒村の記者とし終えた主人公ですが、なんと手ごたえある、人間らしい人生だったでしょう。これもまた、猪瀬直樹の「日本凡人伝」を彷彿とさせる、凡
人でありながら、筋を通した人物の、ドラマでだと思います。 責任を負った者がそれを果たそうとするも、壁に阻まれ思い通りにならない歯痒さに共感する方が多いと思います。阻む「壁」は、時には自分自身の揺らぎであったり、組織であったり、人であったりと様々。

日航機事故を巡る新聞社を描写しながら、現実に対応していく人々の生き様が描かれ、人の弱さと強さが浮き彫りにされます。
生きていれば思い通りにならないことは沢山あって、主張や妥協を経て、着地点を見つけるのも一苦労だなと思ってしまいますね。安西の「下りるために登るんさ」というのも、彼が目指した着地点でえした。読み終えて、自分にとって、何か見出したい着地点はあるのだろうかと自問が残ります。また、何かに対して「クライマーズ・ハイ」な状況になったことがあるかと鑑みるに、無い。何だかそれも哀しい・・・。

 横山さんの作品は今1冊も目を話せないところですね。

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2009年6月18日 (木)

私の好きな映画~『それから』

 ご存知、夏目漱石氏の作品の映画化です。それまで夏目氏の作品は殆ど読みましたが、主人公の姿がうまく想像できず、悩んでいました。昔、加藤剛さんが出演されていて、そのイメージを植付けようとしたののですが、どうも違うのです。夏目先生のお顔が一番しっくりくるのですが、やはりそこはもっと想像を駆り立ててみたかったのです。女性像はいかようにも解釈できるので、誰という一人の女性に関わらず、作品によって、容姿を簡単に変えてイメー時できたのですが。

 そんなことも忘れてしまいそうだった時、『それから』が映画化されることを知りました。なんと主役が松田優作さんだと聞き、『えっ?』と声をあげてしまいました。何て表現すればいいのか、イメージが、離れすぎている気もするし、何かを秘めた部分があるところは似ているような・・・とにかく観に行きました。そして私はその映像美に釘付けにされてしまったのです。
 
 明治後期の東京を舞台に、親友の妻への愛に悩む主人公の姿を描いたもので、脚本は「ヘッドフォン・ララバイ」の筒井ともみ氏、監督は「メイン・テーマ」の森田芳光監督、撮影は「お葬式」の前田米造氏がそれぞれ担当でした。

 あらすじは、もうご存知の方が多いと思いますが、明治後期のYumeji001 東京が舞台です。長井代助は、三十歳になってもあえて定職を持たず、本を読んだり界隈を散歩したり、毎日を気ままに送る思索者でした。しかし生活に困ることはなく、父・得は大実業家で、兄・誠吾がその事業を継いでおり、次男の代助に多大な援助を与えていたからです。おかげで、代助は別宅を構え、老婢と門野という書生を置いていました。父や兄は、そんな代助に、早く身を固めろと説き、しきりに縁談を持ち込みましたが、その都度、何らかの理由をつけてはそれを拒んできました。そんな代助を、兄嫁の梅子や子供たちの縫と誠太郎が好ましい視線で見ていたのです。ある朝、代助に、親友・平岡常次郎からの便りが届きました。平岡は代助とは異なり、大学を出るとすぐに大手銀行に入社し、地方の支店に勤務していましたが、部下が引き起こした問題の責任を負うことになり、辞職し東京へ戻るというのです。平岡とは三年ぶりの再会になりますが、それは、また彼の妻・三千代との再会をも意味していました。三千代は、かつて大学時代、代助が想いを寄せていた女性で、親友・菅沼の妹でした。が、平岡もまた三千代に惹かれていることを知り、自らの義侠心にのっとった友情で、三千代を平岡に嫁がせたのです。

 上京した平岡は、明らかに変っていました。彼の三年間の社会人としての生活は、平岡を俗人に変貌させていたのです。金のために働くことには意味がないと言う代助に、それは世に出たことのない男の甘い考えにすぎないと、平岡は非難をあびせます。が、そんな代助に、平岡は自分の就職の相談を持ちかけるのです。一方、三年ぶりに会った三千代は、生活にやつれている様子はあるものの、以前にも増してしっとりとした美しさを備え、代助の心に不安な胸騒ぎのような感情が湧くのです。平岡のために、住居を手配し、果ては借金の口ききまで奔走する代助は、やむなく兄に頭を下げなした。そんな代助を見て梅子が力を貸してくれたのです。用立てた金銭のことで幾度となく三千代に会ううちに、代助は、過去に自分が選択した道が誤りであったことを深く実感します。平岡に三千代を譲るべきではなかったと・・・そして、三千代もまたかつてより押えていた代助への愛が押えきれなくなっている自分におののきを覚えていました。一方、家の繁栄のために、長井家とゆかりの深い財産家・佐川の令嬢との縁談を望む得と誠吾は、強引に代助に見合いをさせました。音楽会、食事会と次々に見合いの席を用意し、代助も、素直にそれに臨んみました。しかし、縁談が順調に進めば進むほど、代助の中で、ある一つの決意が固まっていたのです。「昔の自然に今、帰るのだ」・・・。

 三千代に自分の気持ちを打ち明ける決意をした代助は、思い出のある百合の花を飾り、三千代を家に呼び寄せました。代助の思いきった告白に、三千代は涙を流しました。なぜ、もっと早くに言ってくれなかったのかと。あなたは残酷な人だ、となじりながら、その中には喜びが含まれていました。「覚悟を決めます」という三千代を代助はみつめます
。しかし、この二人の決意は、二人の社会からの離反を意味していました。得の家に縁談をことわりに行った代助に、三千代とのことを平岡からの手紙で知った誠吾が罵声をあびせました。ついに、得は、代助に言い切りました。「出ていけ!」。今は無一文になった代助
は、それからを思い、ひたすら、歩き続けるのです。本当の意味のそれからはそこから始まったのです。でも膜は閉じます。漱石氏らしいエンディングだとは思いませんか?その後に2人は?その後の生活は?

 本当の意味での生活の苦しさを知らないお坊ちゃま育ちんの代助がどうやって三千代を養っていくのか、もう思いは遥か彼方、それからに通じているのです。そしてまた大学時代に、親友の妹であった三千代と結ばれていたら、三千代は平岡のような仕打ちをしないで済んだのだろうか・・・色々な思惑が頭をよぎりました。明治と言う時代に振り回され、行く末は見えているようで、薄いヴェールが覆った漱石の初期の三部作にふさわしい作品だとつくづく思い知らされた気がします。『明暗』を読んだきりにしてしまっていた私は、明暗のラストもこのように読者に考えさせる終わり方をしたのだろうかと考えてしまいます。また、『こころ」を読んだ時のセンセーショナルな最後もふと思い出していました。

今また歳を重ねて読むと違ったものが沢山見えてくるのだろうと想い至りました。

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2009年6月16日 (火)

私の好きな俳優たち~室田 日出男編

私が知ったのはピラニア軍団でどすのきいた役から『前略おふくろさま』での3枚目に移行し始めた頃でした。川谷卓三さんもあの番組で好きになりました。北海道札幌東高等学校卒業だったんですね。また同郷の思いが湧いてきます。

 東映ニューフェイス第4期としてデビュー。同期には山城新伍、佐久間良子、花園ひろみ、曽根晴美、山口洋子などがいた。大部屋俳優時代は岩尾正隆、川谷拓三、志賀勝らと共に斬られ役集団の一員で、後に彼らは渡瀬恒彦の発起のもと「ピラニア軍団」を結成。室田さんはリーダー的存在として、ヤクザ映画を中心にテレビドラマでも無骨な個性を見せました。有名な代表作に『仁義なき戦い』シリーズでの悪役ですね。、紆余曲折の多い人生だったようですが、深作欣二ら監督陣や役者仲間からの信望は厚く、幾度の憂き目にも負けずに復活しました。1980年代以降はヤクザ映画から離れ、一般映画で活躍しはじめました。
 軍団構成員の中で最もキャリアが長く、主に代貸クラスでの出演Murota001 が多く、鶴田浩二さんや松方弘樹さんの片腕として活躍したり、時には鶴田氏や安藤昇氏といったスター俳優に混じってクライマックスの殴り込みに参加したりと、印象的な役柄に恵まれることもしばしば。当時の東映ファンから注目されるのも早く、その1人であった宇崎竜童は、勝手に“ヒクヒク仮面 ”(死ぬ時に必ず鼻をヒクヒクさせてブッ倒れるのが由来らしい)と命名して応援、スクリーンに登場すれば、主演スターそっちのけで大歓声を送っていたらしいです。一般的にピラニア軍団No2と捉えられる傾向が強いのですが、ブレイク直前の川谷拓三がインタビューの際、「室田日出男さんみたいな役者になりたいです。」と語っていた事からも、室田さんが他の軍団構成員と較べて、1ランクも2ランクも上に位置する役者である事がお判りいただけるでしょう。
 無論、ご承知のように室田の俳優人生もまた、華々しいスポットライトとは無縁のドン底の歴史だったのも事実でありました。スター候補生としてデビューを飾ったのも束の間、撮影に遅刻しては役をオロされて謹慎を命じられたり、ロケ先で大喧嘩を起こして自宅待機のあげく、東映から専属解除を通告。契約俳優となるや否や、正義感から先頭に立って組合運動にも参加。上層部から反乱分子扱いされて、徹底的に仕事を干される結果に。そのような長い苦節の果てにピラニア軍団でブレイクし、人気スターへの切符を掌に収めたかに見えた大事な時期ですら、またもや不祥事を起こして謹慎処分を受け、出演中のTVドラマや予定されていた映画等、次々と降板の憂き目に遭ってしまいました。でもその後、室田さんは見事な復活劇を遂げました。復帰第1作として主演した日活ロマンポルノ「人妻集団暴行致死事件」がそれです。(私は残念ながら観てません・・・)かつて「暴走パニック大激突」で、寡黙ながらも全身に充満された凶暴性の凄みや、また「ドーベルマン刑事」でも、陰湿なるサイコパス的狂気を演じた事がありましたが、本作ほど内面的演技を要求された事はなかったのではないでしょうかか。室田さんが演じた地方都市で生活を営む中年男性像は、思わず噎せ返ってしまいそうになるほど密度が濃く、これまでの東映系作品で、菅原文太氏や渡哲也氏を相手に怒鳴りわめき散らしていた姿が、いささか子供っぽく感じられた程でした。
 しかしその反面、短期間ではありましたがお茶の間からの需要がストップ。川谷拓三のようにCM出演のオファーが来る事も、志賀勝氏のようにバラエティに引っ張りだこになる事もなくなってしまった。だが、拓ボンが「河内のオッサンの唄」に主演した当時を振り返って、「僕がこの映画に出たことは失敗だった。(中略)少なくとも役者・川谷拓三としては10年は遠回りしたと思っている」(「3000回殺された男」サンマーク出版)と、人気者として祭り上げられたが為に、コメディ演技ばかり要求された忸怩たる心情を、率直に吐露していた事を考えると、「影武者」「野獣死すべし」「マルサの女」、そして第35回ブルーリボン賞助演男優賞に輝いた「死んでもいい」etc数々の作品に出演し、着実にキャリアを重ねた室田さんの方が、むしろ映画俳優の王道を歩んで来たように思えてしまうのが何とも皮肉でもありますね。

 数年前、病に倒れて故郷で静養していましたが、無事に復帰。貴重な脇役として、映画・ドラマ・Vシネマで活躍。。かつて「ムービー・マガジン」第13号(昭和52年8月1日発行)誌上にて、いくつんなっても、その年齢の芝居できる役者さんになりたいね。 田中絹代さん
なんて素晴らしい女優だよ。死ぬまでやってたもん。しわも隠さないで、自分の年齢の芝居してたもん。(中略)50歳になったら50歳の芝居をね。いるよ、日本にだって、笠智衆さん、大滝秀治さん、みんな本物の芝居してるもん。一緒に演らしてもらって涙出るときあるもん。」と、諸先輩方の名を挙げて語っていたが、それから四半世紀を経た現在の芸能界において、室田日出男こそが自分の年齢の芝居ができる数少ない役者の1人である、と今やすっかり老成した感のある彼の姿に、心をこめて賛辞を送りたいです。

2002年6月15日、肺癌のため亡くなりました。64歳没。まだ信じられません。亡くなるまでドラマや映画以外は(『徹子の部屋』などのトーク番組へのゲスト出演を除き)ほとんど出演しなかった事で知られ、室田の葬儀・通夜にて山城新伍氏から「彼は僕らと違ってバラエティには出ないから、本当に役者だね」と言われるほどでした。Murota002 また大の酒好きで知られ、ドラマなどで共演した陣内孝則ら後輩俳優からも慕われていました。『前略・・・』のあと、ウィスキーのCMに卓三さんと出た時の逸話があります。これは倉本聡さんが書いておられたのですが、本当のウィスキーをのんで撮影したので最後には『体制の媚びたらいかん!』などという発言が出てきたりしてスタッフもまいっていたそうです。なんだか、いいですね、そういうのって。でももう役者でなくても一人の人間として息をしていてくだされていたらと思うと・・・・都内の自宅で妻の鞆子(ともこ)さん(63)は「あんなに体格のいい夫が最後は体が小さくなって別人のようでした。病状が急変したので、家族も最期をみとれなかったのが悔やまれます」と涙ながらに話しました。
 室田さんは俳優生活の後半は病気との闘いだったそうです。92年には映画「死んでもいい」の撮影中に北海道で倒れ緊急入院。お酒の飲み過ぎで腎臓を痛めて10時間に及ぶ手術を受けました。その際、肝臓の肥大も心配され3週間の入院生活。95年には都内で大量吐血して緊急入院、CU(集中治療室)で治療を受けました。 私生活でも役柄同様の“無頼派”を通しました。
 出演した作品は700本以上。仕事への思い入れも人一倍強かったといいます。長男の晃さんは昨年12月に病院で最後に会いました。室田さんは無理に起き上がって「いい作品があれば、オレはまだ(仕事を)やるんだ」と話したといいます。

悪役一筋の人生の幕切れは、あまりに早すぎました・・・安らかなご永眠をお祈りいたします。

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2009年6月15日 (月)

私の好きな作品たち~手塚治虫編

 戦後日本において多数の漫画を発表し、漫画を「子供の読み物」から「日本を象徴する文化」にまで育て上げた人物であり、漫画の神様の異名を持つ手塚さん。手塚さんが暮らしたトキワ荘において直接親交があった漫画家だけでも藤子不二雄氏・石ノ森章太郎氏・赤塚不二夫氏など後にマンガ界の中核を担う人物が多数あり、Tezuka001 またアニメ制作においては自ら創設した虫プロダクションで多くの人材を育てるなど、その影響を受けた人間は到底数え切れないほどです。手塚さんがいなければ現在の日本のマンガ・アニメの隆盛は存在し得なかったといわれる存在なのです。いまだ人気の衰えを知らず、漫画世代に生きた人々だけでなく2009年には『火の鳥』がBSで観られるようになり、新たな人気を博すでしょう。私は子供の頃、『ジャングル大帝」を観たり、読んだりして育ったのですが(アッ、鉄腕アトムもですね)、実は大人になってからは『ラックジャック』に憧れました、といっても読んではいないのですが。
 
 1947年、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新宝島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こしました。1950年より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけました1963年、自作をもとに日本初のTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながるTVアニメ制作に多大な影響を及ぼしました。
 1960年代後半より一時低迷するも、『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などにより復活。また『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を手がけていました。

 終戦後、手塚さんは戦時中に描き溜めた長編のなかから『幽霊男』(『メトロポリス』の原型)という長編を選んで描き直し、毎日新聞学芸部へ送りました。これは音沙汰無しに終わりましたが、その後、となりに住んでいた毎日新聞の印刷局に勤める女性からの紹介で、子供向けの『少国民新聞』学芸部の程野という人物に会い、彼の依頼を受けて同紙に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』を連載(1946年1月1日- 3月31日)、この作品が手塚さんのデビュー作となりました。『マアチャンの日記帳』は描かれる風 俗やタッチに新しさはあるものの、路線としては戦前からある家庭向けの新聞漫画にのっとったものででした。この『マアチャン』はローカルながら人気があり、人形や駄菓子のキャラクターに使用されたという記録も残っています。『マアチャン』に続けて4月から『京都日日新聞』に4コマ漫画『珍念と京ちゃん』を連載しており、これらと平行して4コマ形式の連載長編作品『AチャンB子チャン探検記』『火星から来た男』『ロストワールド(後述するものとは別物)』なども各紙に描かれていますが、4コマ連載という形式に限界があり後2者はどちらも中断に近い形で終わってしまいました。 漫画執筆が忙しくなると大学の単位取得が難しくなり、手塚さんは医業と漫画との掛け持ちは諦めざるを得なくまりました。教授からも医者よりも漫画家になるようにと忠告され、また母の後押しもあって、手塚さんは専業漫画家となることを決意します。もっとも学校を辞めたわけではなく、1951年3月に医学専門部を卒業(5年制、1年留年。この年に専門部が廃止されたため最後の卒業生となった)、さらに大阪大学医学部付属病院で1年間インターンを務め、1953年7月に国家試験を受けて医師免許を取得しています。このため後に手塚さんは自伝『僕はマンガ家』の中で、「そこで、いまでも本業は医者で、副業は漫画なのだが、誰も妙な顔をして、この事実を認めてくれないのである」と述べていいます。

 1959年、週刊誌ブームを受けて週刊漫画雑誌『少年マガジン』(講談社)『少年サンデー』(小学館)が創刊、以後月刊少年誌は次第に姿を消していくことになります。このTeduka002時手塚は誘いを受けて小学館の専属作家となりましたが、講談社からも誘いを受けて困惑し、結局『少年サンデー』創刊号には自身の手による『スリル博士』を連載、『少年マガジン』のほうには連載13回分の下書きだけして石森章太郎氏に『快傑ハリマオ』の連載をさせています。同年、血の繋がらない親戚で幼馴染であった岡田悦子さんと宝塚ホテルにて華燭の典を挙げました。多忙な手塚は結婚前に2回しかデートができず、結婚披露宴では1時間前まで閉じ込められて原稿を描き遅刻してしまったという逸話もあります。

 少年期からディズニー映画を愛好していた手塚はもともとアニメーションに強い情熱を持っており、アニメーション制作は念願の仕事でだったそうです。漫画家になる前の1945年の敗戦の年、手塚さんは焼け残った松竹座で大作アニメーション『桃太郎 海の神兵』を観て感涙し、このときに自分の手でアニメーション映画を作ることを決意したといいます。手塚さんにとって漫画はアニメ制作の資金を得るための手段でした。「がめつい奴」と言われても蓄財に走り、自らを「ディズニー狂い」と称しました。
 一方少年誌では『ファウスト』を日本を舞台に翻案した『百物語』、永井豪『ハレンチ学園』のヒットを受け「性教育マンガ」と銘うたれた『アポロの歌』『やけっぱちのマリア』などを発表していますが、しかしこの時期には少年誌において手塚さんはすでに古いタイプの漫
画家とみなされるようになっており、人気も思うように取れなくなってきていました。さらにアニメーションの事業も経営不振が続いており、1973年に虫プロが倒産、1971年に経営者を辞していた手塚も1億5千万円と推定される巨額の借金を背負うことになります。作家と
しての窮地に立たされていた1968年から1973年を、手塚は自ら「冬の時代」であったと回想しています。

 973年に『週刊少年チャンピオン』で連載開始された『ブラック・ジャック』も、少年誌・幼年誌で人気が低迷していた手塚の最期を看取ってやろうという、編集長の好意で始まったものでした。しかし、連綿と続く戦いで読み手をひきつけようとするような作品ばかりであった当時の少年漫画誌にあって、『ブラック・ジャック』の短編連作の形は逆に新鮮あり、後期の手塚を代表するヒット作へと成長していくことになりました。さらに1974年、『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』も続き、手塚は本格的復活を遂げることになりました。

 晩年は、それまでの日本の漫画は、現在の4コマ漫画と同じように、1ページ内で右側に配置されたコマを縦に読んで行き、次に左側に移りまた縦に読んでいく、という形で読まれていました。しかしこの読み方ではコマ割りの方法が大幅に制限されるため、手塚さんは赤本時代に、上の段のコマを右から左に読んで行き、次に下の段に移りまた右から左に読む、という現在の読み方を少しずつ試み浸透させていきました。これに加えて、初期の手塚は登場人物の絵柄をより記号化し、微妙な線の変化を用いて人物造形や表情のヴァリエーションを格段に増やしました。流線や汗、擬音などの漫画的な記号も従来に比べて格段に増やしており、このような表現の幅の広さが、多数の人物が入り組む複雑な物語を漫画で描くことをTezuka002 可能にし、また絵柄の記号化を進めたことは、絵を学ばずとも記号表現を覚えることで、誰でも漫画を描くことができるという状況を作ることにもまりました。また物語という点において戦前の漫画と手塚漫画の物語を隔てるものは「主人公の死」などを始めとする悲劇性の導入であり、死やエロティシズムを作品に取り入れていったことで多様な物語世界を描くことを可能にし、以降の漫画界における物語の多様さを準備することになったのです。
 上記の絵柄の記号化、体系化は、アシスタントを雇いプロダクション制を導入することを可能にしました。漫画制作にアシスタント制、プロダクション制を導入したのは手塚さんが最初でした。手塚さんが漫画制作に導入したものとしては他に、Gペンの使用(早く描けるという理由によるそうですが、それまで漫画で使われるペンは丸ペンが一般的でした)、スクリーントーンの導入などがあります。

 漫画を描く際にプロ・アマ、更には処女作であろうがベテランであろうが描き手が絶対に遵守しなければならない禁則として、“基本的人権を茶化さない事”を挙げ、どんな痛烈且つどぎつい描写をしてもいいが以下の事だけはしてはならない、「これをおかすような漫
画がもしあったときは、描き手側からも、読者からも、注意しあうようにしたいものです」と述べていました。それは
・戦争や災害の犠牲者をからかう
・特定の職業を見下す
・民族、国民、そして大衆を馬鹿にする
夏目房之介氏は、手塚さんが追い求めたテーマを「生命」というキーワードに見出しています。

 手塚さんは医師免許を持っていましたが、実際に医師として患者を診たことはありません(もっとも知人の漫画家やアシスタント、手塚番記者らが手塚さんの診断を受けたことがあるという言及は幾つか残っています)。手塚さんは旧制中学時代、栄養失調状態のまま厳しい教練を受けたため水虫が悪化し、もう数日で両腕切断というまでになったことがあります。このとき診察した大阪帝国大学付属病院の医者に感動したため医師を目指したといいます。ただし手塚さんは、医学校に行けば卒業までは徴兵される心配がなく、卒業後も軍医ならば最前線に配置される可能性が低いことが医学校に進んだ理由であったことも認めています。

医師としての専門は外科であり、その当該分野の専門知識が『ブラック・ジャック』などの作品に活かされていますよね。ただし医学博士を取得した際の研究テーマは外科分野ではなく基礎生物学領域のものでした。息子の手塚眞さんによれば、手塚さんは血を見るのが嫌いで医師の道を断念したと言われています。(ホントかどうか・・・?)

 2008年 - 生誕80周年を記念して小学館から過去のコミックの特装版、純金製アトムなどの商品の発売、出身地宝塚でのイベント、アメリカ・サンフランシスコでの手塚治虫展、広島国際アニメ-ションフェスティバル、東京国際映画祭で過去に自身が手がけたアニメ作品が特集されて上映されました。

 手塚さんの記念館もあちこちにあるようですね。本当に医大じゃなくて偉大な方だったと感心しています。

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2009年6月12日 (金)

私の好きな映画~『ツィゴイネルワイゼン』

 私が鈴木清順監督をはじめて知った作品でもあり、妖艶なそのあらすじは一生忘れない映画となりました。清順さんは役者としても、素晴らしい素質の持ち主で、映画やテ出演も一時期多かったですよね。

 もう何十年前になるのでしょうか、今観ても決して古くない作品で、内田百〓原作の「サラサーテの盤」を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として、特設映画館を作って各地で映画を上映して回るという日本映画の新しい形を目指すことで注目を集
めるシネマ・プラセットの第一回作品で、最初の公開は東京タワーの駐車場に作られたドーム型特設劇場で行われました。昭和初期、一枚の奇妙なSP盤に取り憑かれた二組の男女と一人の女を描いています。脚本は「おんなの細道 濡れた海峡」の田中陽造氏、監督は「悲愁物語」の鈴木清順氏、撮影は「殺しの烙印」の永塚一栄氏がそれぞれ担当していました。

 ドイツ語学者、青地豊二郎と友人の中砂糺の二人が海辺の町をSeijunn001 旅していた。二人の周囲を、老人と若い男女二人の盲目の乞食が通り過ぎます。老人と若い女は夫婦で、若い男は弟子だそう。青地と中砂は宿をとると、小稲という芸者を呼んびました。中砂は旅を続け、青地は湘南の家に戻ります。歳月が流れ、青地のもとへ中砂の結婚の知らせが届きました。中砂家を訪れた青地は、新妻、園を見て驚かされます。彼女は、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのです。その晩、青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している一九○四年盤の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを中砂に聴かされました。この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品なのだそうです。中砂は青地にその話の内容を訊ねるが、青地にも、それは理解出来なかませんでした。中砂は再び旅に出ます。その間に、妻の園は豊子という女の子を産みました。中砂は旅の間、しばしば青地家を訪ね、青地の留守のときも、妻・周子と談笑していきます。そして、周子の妹で入院中の妙子を見舞うこともありました。ある日、青地に、中砂から、園の死とうばを雇ったという報せが伝えられました。中砂家を訪れた青地は、うばを見てまたしても驚かされます。うばは死んだ園にソックリなのだ。そう、何と彼女は、あの芸者の小稲だったのです。その晩は昔を想い出し、三人は愉快に飲みました。中砂は三人の盲目の乞食の話などをして、数日後、中砂は旅に出ました。そして暫くすると、麻酔薬のようなものを吸い過ぎて、中砂が旅の途中で事故死したという連絡が入いります。
 その後、中砂家と青地家の交流も途絶えがちになっていきます。ある晩、小稲が青地を訪ね、生前に中砂が貸した本を返して欲しいと言いいます。
二~三日すると、また小稲が別に貸した本を返して欲しいとやって来ました。それらの書名は難解なドイツ語の原書で、青地は芸者あがりの小稲が何故そんな本の名をスラスラ読めるのが訝しがりました。そして二~三日するとまた彼女がやって来て、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言います・・・。青地はそれを借りた記憶はありませんでした。小稲が帰ったあと、周子が中砂からそのレコードを借りて穏していたことが分り、数日後、青地はそれを持って小稲を訪ねました。そして、どうして本を貸していたのが分ったのかを訊ね、それは、豊子が夢の中で中砂と話すときに出て来たというのです。中砂を憶えていない筈の豊子が毎夜彼と話をするという・・・
 家を出た青地は豊子に出会いました。『おじさんいらっしゃい、生きている人間は本当は死んでいて、死んでいる人が生きているのよ。おとうさんが待ってるわ、早く、早く』『おじさん、お骨をちょうだい』と青地を迎えるのです。
 砂の娘豊子が主人公の青地に向かって手招きをしているラストはぞっとしますね。遂に青地も引きずり込まれたか・・と思ってしまいます。小さな子供のころ、得体の知れない物音や姿が見えないのに誰かのしゃべっている声がすると想像力Seijunn004 がふくらんでとても怖い思いをしたのを覚えていますが、この映画はそんな感覚でいっぱいです。恐怖だけでなくどことなくおかしくてたまらないユーモアも混じっているのです。園がしきりにちぎりこんにゃくをちくっていたり・・・現実は歪み、夢か幻か境目はどんどん曖昧になっていきます。文字どおり狐につままれたような感覚になってしまうのです。 映像の浮世絵師・鈴木清順による圧倒的なイメージの奔流。内田百間の「サラサーテの盤」を解体、再構成して全く別趣の作品に仕上げました。手際の見事さと見事な世界観の表現は、ジャンルは異なりますがテクノモーツァルト、リチャード・D・ジェイムスのリミックス手法を彷彿とさせますね。見事です。大正の世が持っていた日本的美意識のなかで、大谷直子の美しさと原田芳雄の肉体、とまどう藤田敏八が踊り惑う・・・。不思議な静けさは「けんかえれじい」で見せた戦前の社会への憧憬が底に流れているようです 感性だけでは撮れない、経験に裏打ちされたこと可能であった、まさしく鈴木清順映画の最高傑作と呼ぶにふさわしいでしょう。
 戦前の上流アカデミック社会とその逆の低俗な世界を対比させながら、鎌倉文化人の風俗をとりまぜたすばらしい映像美です。それぞれの映像コンテもすばらしく映画を熟知しているという印象であります。どの場面をとっても1枚の写真のようも頭に残されています。内田百聞の「サラサーテの盤」ほかいくつかの短編小説を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として田中陽造が見事に脚色。士官学校教授の青地(藤田敏八)と無頼の友人中砂(原田芳雄)を中心に、青地の妻周子(大楠道代)、中砂の妻と後妻(大谷直子のニ役)をめぐる幻想譚。破天荒な中砂に翻弄される青地はいつしか現実と幻のなかに惑い、妻周子が青地に誘惑されほだされているという懸念に取り憑かれる・・・そんな矢先、中砂は「とりかえっこ」を提案します。なにをとりかえるのか…。そして中砂の死後もなお青地は見えない影に弄ばれます。奇妙な物語のまにまにサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の音色が物悲しく響き、音色のなかに一瞬、微かな声が聞こえてくるが、何を呟いているのか解らずじまいですが。

清順監督はプログラムピクチャーの脚本を巧みに換骨奪胎し、全Seijunn005 く違った独自の作品に仕上げてしまう、天才的アルチザン(職業監督)です。常にスタイリッシュで実験的で人を喰った映像、無秩序で先の読めない奇妙な傑作を作りづつけます。スターシステムを敷き、アクションと歌を基本とする日活映画の製作ラインの中で生まれた監督だが、皮肉にも会社のそうしたシステムがマンネリ化し出した時期に俄然、独自の美学が花開くことになります。映画のスタイルだけではなく、体制と戦いつづけた監督としての在りようも、若い監督たちに影響を与えています。ウォン・カーワァイ監督(「花様年華」)、ジム・ジャームッシュ監督(「ゴースト・ドッグ」)やクレール・ドゥニ(「パリ、18区、夜」)、「肉体の門」を愛するアルノー・デプレシャン(「そして僕は恋をする」)など…。最大の傑作「殺しの烙印」は時代、国籍を超え、永遠に語りつづけられています。座右の銘は『一期は夢よ 只 狂え』だそうです。

 またツィゴイネルワイゼンは印象的な冒頭のフレーズを含め、ヴァイオリンの名曲として、まず知らない人はいないぐらいに有名な曲です。音楽の教科書を始め、様々な機会に見たり聴いたりしてらっしゃると思います。「ツィゴイネルワイゼン」とは「ジプシーの歌」
という意味のドイツ語ですが、その名の通り民族的で、華麗なテクニックが楽しめる作品です。協奏曲のように3部からなり、特に最後の第3部は両手でのピチカートも登場するなど、華やかでヴァイオリニストの最高の腕の見せ所です。サラサーテは自らがヴァイオリンの名手で、彼に触発されて作品を書いた作曲家はブラームスやラロ、ブルッフなど多く存在します。一緒に演奏旅行に出たサン=サーンスも、ヴァイオリン名曲として知られる「序奏とロンド・カプリチオーソ」やバイオリン協奏曲第3番」をサラサーテに捧げました。

音楽と映像がピッタリマッチした、イチオシの作品です。

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2009年6月 8日 (月)

私のすきな作品たち~伴一彦編

 私が伴さんを意識したのは『スチュワーデス刑事』でした。福岡県立福岡高等学校、日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。在学中に石森史郎に師事しました。1981年頃から本格的に脚本家の活動を始めていました。言われてみれば、『うちの子にかぎって』『パパはニュースキャスター』、『誰かが彼女を愛してる』などはみんな伴さんの脚本で、観てた、観てたの渦でした。

 『七瀬ふたたび』と言えば解るでしょうか。その日、わたしは目覚Nanase001 めた。ひとを超えた、未知の力に。「孤独なエスパーたちの出会い 仲間との絆 そして戦い」。他人の心の声を聞くことのできるテレパス(精神感応力者)、七瀬。「なぜ自分に、こんな力が備わっていたのか」。死んだ父が自分の能力の誕生にかかわっていたことを知り、彼女の旅ははじまる。七瀬が出会うさまざまな未知能力者たち。仲間に支えられ、七瀬は父の謎を探り、自分たちを狙う大きな力と戦う。明らかになる衝撃の真実、そして七瀬たちを訪れる大いなる最終章…火田七瀬は老人ホームで働く母親思いの女性である。母の死をきっかけにテレパシー能力にめざめた七瀬は、死んだと聞かされていた父・精一郎が実は生きているかもしれず、まだ自分が幼いころ、精一郎によって自分に特殊な力が与えられたことを知る。

七瀬は精一郎の生前の足跡をたどり、かつての父の研究仲間である科学者・藤子と知り合う。藤子の話を聞き、精一郎の死への疑惑は深まる。七瀬は父の謎を解き明かすための旅の電車のなかで、その電車が事故にあうことを予知する青年・恒介、同じテレパシー能力をもつ少年朗と出会う。恒介もまた、かつて精一郎の能力開発実験に参加したことで未知の力を呼び覚まされた人間だった。七瀬は恒介の勤めるマジック・バーで働き、親のいない朗とともに暮らしながら、精一郎の秘密への手がかりを探しはじめる。七瀬たちの行動に疑念を抱く刑事・高村は、七瀬たちを徹底的に追跡する。悪意をもつ未知能力者たちとの対立、明らかになる精一郎の隠された過去、そして七瀬たちを狙う謎の組織との戦い。やがてついに七瀬たちは、人類の命運を左右しかねない未知能力の真実に直面する…という、超能力者であるが故の苦悩や葛藤を描く筒井康隆氏のSF小説およびそれを原作として1979年以降、数回にわたり制作されたテレビドラマでです。小説は第7回星雲賞を受賞しました。2008年なので記憶に新しいと思います。それに『喰いタン』東山紀之さんが見事3枚目を演じてくれました。

 田村正和さんが演じることが多かった番組のなかでも『うちの子Papa001 にかぎって』は、田村正和さんが小学校の教師役に挑戦。悪ガキたちの行動から大人社会を風刺し、大いにお茶の間に話題を集めましたね。「小学5年生の子どの発言や行動を通して大人や社会を風刺するコミカルでシニカルなドラマでした。二枚目路線だった田村正和さんに、ちょっぴり頼りない石橋先生のキャラが見事にハマッっちゃたのです。

 それ以田村さんの2枚目半的な役は続き、『パパはニュースキャスター』でも、酒を飲むと記憶が飛ぶ、独身主義のニュースキャスター・鏡竜太郎の元に、12年前に酒の席で口説いた3人の女との間に出来た娘が現れ、いきなり3人の父親になるというコメディドラマが出来ました。レギュラー終了後も1994年までスペシャルで放送され、3人の娘の名前がすべて「愛(めぐみ)」である。鏡竜太郎が“身を固めるから”と女を口説く時、“娘が出来たら何と名付ける”と訊ねられ、決まって「愛情の『愛』書いて『めぐみ』、愛に恵まれるように」と答える事から。スペシャル版で、「愛」は母親の名前であることが判明するのです。

 翌年に『パパは年中苦労する』という類似ドラマが制作されました。'80年代の子役全盛期の傑作ドラマででしたね。
巽耕作、41歳、新進気鋭の作曲家。10年前に結婚し、4人の子供をもうけたが、離婚。子供達は別れた妻が引き取り、彼は優雅な独身生活を送っています。女には勿論モテるが、口説いた女に振られる事も多く、実は、子供好きな彼、つい酔って子供の写真を見せてしまうのです。ある日、離婚した妻が突然蒸発してしまった。彼は、置き去りにされた子供達の面倒を見なければならなくなってしまいました。(冒頭ナレーションより)”このドラマは、噂のプレイボーイが子育てに悪戦苦闘する、聞くも涙、語るも涙の........喜劇である”

 等など、田村さんが子供と絡むドラマが6本も当時ありました。でも私はあえて『スチュワーデス刑事』に優先順位を1位としたいのです。
日本航空の国際線担当客室乗務員3人組が、乗務機に乗り合わせた乗客(多くは著名人)に関係する事件に遭遇する、という形で展開される「トラベルDajka001 グルメミステリー」なのです。このドラマは日本航空が全面的に協力しており、その為関係者のアリバイトリックに航空ダイヤ(撮影当時の時刻表を使用)を巧みに利用したものが用いられていました。また毎回、日本も含めフランス、ドイツ、イタリア、カナダ、及びヴェトナムなど日本航空の就航地でロケが行われている他、同社社員がエキストラとして出演しているというのです。
シリーズ物のサスペンスドラマでは珍しい楽屋落ちや出演者に関する内輪ネタを巧みに取り入れた演出が好評を博し、2005年に放送された第9作目までの平均視聴率が19.3%という人気シリーズでした。しかし、主演3人の内、財前直見と水野真紀が結婚(ちなみに財前さんの夫は、この番組のプロデュース・演出を担当した本間欧彦である)し、スケジュールがきつくなった事もあり、2006年1月13日放送の第10作目を区切りとしてシリーズは終了しました。現在のところDVD化されていません。
 番組が始まった当初、一般的に「スチュワーデス」という愛称で呼ばれていた主人公たちの職業は、その後、業界内で正式に使用されている「客室乗務員」に名称が統一されましましたが、シリーズ物という事もあり、「スチュワーデス」という愛称がそのまま使用されているのも軽々しくなくてよかったと思っています。

ところが、『初雪の恋 ~ヴァージン・スノー』がいきなりQVD化ですよ。『スチュワーデス刑事』はまだなのに!!
 この作品は日韓合同作品で、「初雪の日にデートした恋人たちは幸せになる」--そんなソウルの恋人たちの間で信じられている言い伝えから生まれた、一途な恋の物語です。陶芸家の父親に同行して、京都に転校してきた韓国の高校生ミン(イ・ジュンギ)は、七重(宮崎あおい)と出逢ってひと目ぼれ。日本と韓国の文化の差を乗り越えて、七重は少しずつミンに心を開いていき、やがて2人は初雪の日にソウルの石垣道を一緒に歩くことを誓うようになる。だが、七重の家庭には事情があり、七重はミンに心を残しながらも、祇園祭の宵山の夜を境に、突然、ミンの前から姿を消してしまうのです・・・

『 ストレートニュース』も面白かったですね。ストレートニュースとは、報道用語で、キャスターのコメントや特集コーナーなどを一切挟まず、起きた事件や出来事のみを放送する報道番組のこと―。低視聴率で打ち切り寸前の報道番組「ストレートニュース」のプロデューサーとなった、矢島俊介。「事実の裏側に隠された真実を伝える」と言った報道姿勢で、自ら現場に出向き型破りな指揮を執り、周囲の困惑や反発を招くのだが・・・。報道の現場に働く20人にも及ぶメインキャスト達が繰り広げる人間模様。緊張感溢れるリアスナストーリーが冴える社会派エンターテイメントドラマでした。放送中は毎週、号泣!スピード感と迫力があってハラハラドキドキ!そして様々な問題提起。そのうえ泣かずにはいられない内容でした。

 これらを通して伴さんについて思うこと、純愛を書きたいけれど、ヴェールをかぶせて3枚目ぶっているんじゃないかと、作品を観て感じずにはいられませんせした。ドタバタの中にも、ちゃんと芯がある、だから殆どのドラマがDVDになているのでしょうね。

 あまり視聴率を気にせず、マイペースで邁進して欲しい脚本家さんでした。
 

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2009年6月 4日 (木)

私の好きな作品たち~冨川元文編

 久々に脚本家さんのお話です。大学卒業後、墨田区の小学校で図工の先生を8年間勤めました。教職の傍らシナリオの勉強を始め、1977年、『愛してます』(TBS)で師でもある小松吾郎氏との共同執筆でデビューしました。79年には公募に入選した『親切』がNHKで放送され、芸術祭優秀賞を受けました。82年の大河ドラマ『峠の群像』執筆を機に教師を辞職、脚本に専念。その後も『心はいつもラムネ色』『砂の上のロビンソン』『新十津川物語』(NHK)、『パパ・サヴァイバル』(TBS)、『櫂』(衛星第2)など質の高いドラマを茶の間に提供してきました。1991年、『二本の桜』『結婚しない女達のために』で第10回向田邦子賞受賞しています。

 『二本の桜』は、転職を軸にした兄弟愛の物語です。銀行支店長で、将来は重役といわれている剛志が、突然銀行に辞表を出します。腕のいい植木職Shagaru006 人だった兄と造園業をやりたいというのです。昔、ダム建設で沈む村の桜を、兄が移植、見事に根付いた桜を見た時の感動が忘れられないというのですが、転職の本当の理由は…。いうまでもなく桜は日本人の心の原典です。毎年力強く咲き誇り短期間に散るその美しさは人々を魅了し支えとなってきました。ダムに埋没する二本の老いた巨木を人々が惜しみ移転させた荘川桜。   著者はそこにヒントを得、兄弟とは、夫婦とは、木の生命力とは、老いるとは、などをうまく織り交ぜて一編の物語を創作しました。10年以上前に江守徹氏、長門裕之氏主演のNHKでドラマ化された番組ですが市井の人々の機微を上手に描いています。

 最初の作品『親切』では、無理をして3LDKのマンションを購入した若夫婦(岡本富士太、秋野暢子)。ローンの返済に四苦八苦のふたりは、一部屋を貸すことに。やがて老夫婦がその部屋に住み込み、奇妙な共同生活が。マンション問題、老人福祉、安楽死問題などをクローズアップされていきます。

 これらはすごい新人が出てきたと業界を震撼させました。いきなり大河ドラマ『峠の群像』の脚本家に抜擢、普通の小学校の先生が、大河ドラマを書く! というので、当時はあっちこっちの新聞に載ったものです。なんでも、そのとき新聞社のインタビューに、執筆に専念するので、教師も辞め彼女とも疎遠になって・・・とぼやいたらそれが記事になっちゃったと、ぼやいていたそうです。あれから、ざっと四半世紀、さらにカンヌ映画祭パルムドールを受賞した映画『うなぎ』など、名作を次々放ってきました。その間、トルコに留学。これもユニークな経歴。将来、トルコで知り合った、知人達と映画を作ることも、実現させたいそうです。
   
 とにかく富川さんの人間観察、洞察、分析の力は、凄いです。これが、脚本家の力だと思います。
これほど、偉い先生ですが、気さくな方なので、放作協では、女性会員に人気があり、「トミー」の愛称で呼ばれています。最近、ベテランの先生方も、「トミー」と呼び始めるようになりました。

『うなぎ』は、妻の浮気によって人間不信に陥り、唯一飼っているうなぎだけに心を開く中年男と、そんな彼をとりまく人たちの交流を描いた人間喜劇です。監督は前作「黒い雨」から8年ぶりにメガホンを取った今村昌平氏。吉村昭氏の『闇にひらめく』を、冨川さんと「罠」の天願大介氏、そして今村氏自身が共同脚色しています。撮影「BADGUYBEACH」の小松原茂氏。主演は「失楽園」の役所広司さんと、「義務と演技」の清水美砂さん。第50回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドール)受賞作で、今村氏は83年の『楢山節考』に続く2度目の受賞となりました。97年度キネマ旬報ベスト・テン第1位も獲得しています。

 あらすじは、1988年夏、サラリーマンの山下拓郎は妻の浮気を告発する差出人不明の手紙を受け取りました。不倫の現場を目の当たりにした彼は、激しい怒りに駆られて妻を刺殺してしまいます。それから8年、刑務所を仮出所した山下は、千葉県佐倉市の住職・中島の世話で、利根川の河辺に小さな理髪店を開業しました。人間不信に陥っていた彼は、仮釈放中にトラブルを起こしてはならないこともあって近所づきあいもせず、飼っているうなぎを唯一の話し相手に、静かな自戒の日々を送っていました。

ところがある日、うなぎの餌を採りに行った河原で、山下は多量の睡眠薬を飲んで倒れている女性を発見。服部桂子というその女性は、山下によって命を救われますが、山下は「
東京に帰りたくない」と言う彼女を店で使うよう、中島の妻・美佐子Hirosi001 に押し切られてしまいます。でも、明るい彼女のお陰で店は繁盛するようになり、また山下の気持ちも次第に解きほぐされていき・・・。でも、そんな山下の前に刑務所で知り合った男・高崎が現れます。出所し、ゴミ回収の仕事に就いていた高崎は、桂子と幸せそうに働いている山下をやっかみ、桂子に山下の前歴をバラしたり、怪文書を店先に張ったり、山下のSEX経験をバカにしたりと執拗な嫌がらせをしてきます。一方その頃、堂島の子を身ごもっていることが判明した桂子が、山下の前から姿を消しました。過去を清算するために上京した彼女は、母を秋田の病院に帰し、堂島の会社から預金通帳を取り戻すと再び山下の元へ戻ってきます。しかし、堂島はそれを許しませんでした。山下の店へ先回りした彼は、帰ってきた桂子から金を奪い返し、彼女を連れ戻そうとします。ところが、それまで桂子の愛を頑なに拒絶し続けていた山下が、あえてトラブルに巻き込まれると承知しながら、堂島から桂子を守りました。山下は堂島とのトラブルで刑務所に戻されることになりますが、様々な人たちとの交流を通して人間性を取り戻し、桂子とお腹の子を受け入れて、これからの人生を生きていくことを決心するというものです。
 

 それぞれの個性がありながら、織り成す人間模様は考えさせられる事が沢山ありました。人間は弱い、だから助け合い、愛し合う。それを妬む人間の気持ちもよく解りますが、それも弱い人間の性なのでしょうね。少しだけ勇気があれば、少しだけ前進できったら・・・こんな気持ちになるのは、私だけではないでしょう。喜劇風に仕上がっててはいるものの、人間臭さが残るのは、冨川さんの優しさと今村監督の目がこんな素晴らしい作品に仕上がったのだと思います。

 『赤い鯨と白い蛇』も冨川さんの脚本の映画ですが、もうご覧になりましたか?
 雨見保江(香川京子)は、千倉に住む息子夫婦のもとに身を寄せることにってからのお話です。孫の明美(宮地真緒)を伴って千倉に向かう途中で昔住んでいた家を見に行きたいと、館山駅で途中下車しました。保江らがその家の中へ入って行くと、家の持ち主・光子(浅田美代子)が姿を見せ、この家を取り壊して建て直すと話します。保江は千倉に向かおうと促す明美に、「できれば今日はここに泊まりたい」と言い出します。光子はイヤな顔も見せずに承諾してくれました。次第に記憶が心もとなくなった保江は、「昔の約束を確かめるためにここに来た」と明美に打ち明けます。ふと外に目をやると、見知らぬ女性が家を覗いていました。彼女は、美土里(樹木希林)。以前、この家を借りていたことがあるのだと言いいます。女性たちはいつしか古い知り合いのように打ち解けはじめていました。保江が唐突に「この家には150歳になる白い蛇が住んでいて、その蛇と話をすると幸せになれる」と言い出すのです。記憶を辿るように白い蛇を探す保江の脳裏に、少しずついろいろなことが思い出されていきました。その記憶は、保江の心に深く刻まれた、青春時代のある出来事に深く関わりがあるのでした・・・。世代も生きかたもまるで異なる女性たちの出会いと別れを、深い慈しみを込めて描く珠玉の名編です。

 冨川さんの作品をもっと観たい観客の一人でした。

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2009年6月 3日 (水)

私の好きな映画~『サバイビング ピカソ』

 私は大抵の画家は好きでしたが、高校に入るまで、ピカソだけは受け入れられないでいました。それは、支離滅裂な絵、何故こんなに絶賛されるのか、批評家がいいと言ったことで誰もがいいと言い出したのではないかという疑問があったからでした。正直、ピカソの有名な絵画は、私には理解できず、そのことを率直に高校の美術の先生にレポートとして提出しました。そして、その答えは『いい作品には多くの人が自然に集まってくるものです。そこで初めていい作品と言われるようになるのですよ。』と言われ、ふと我に返りました。それ以来、ピカソの作品を青の時代のものから現在に至るまでPikaso001 観直しました。そして深く調べるようになったのです。

 私の過ちだと気付き、どれだけの作品を食い入るように観てきたことか・・・言うまでもありません。今年の誕生日に、私はピカソの画集をプレゼントされました。とても大切な宝物がまた一つが増えました。その間、1996年に『サバイビング ピカソ』が発表され、何度も足を映画館に運びました。

 老境に入った天才画家パヴロ・ピカソと、彼をめぐる女たちの姿を描いた伝記ロマンです。監督はジェームズ・アイヴォリーで、製作のパートナー、イスマイル・マーチャントとは、30年以上に渡る名コンビで知られていますね。製作はアイヴォリーとマーチャントにデイヴ
ィッド・L・ウォルパーの共同。脚本のルース・プローワー・ジャブヴァーラ、撮影のトニー=ピアス・ロバーツ、音楽のリチャード・ロビンス、美術のルシアナ・エリッヒは「ハワーズ・エンド」でも組んだ常連スタッフです。主演は「ニクソン」のアンソニー・ホプキンス。
 ヒロインにはオーディションで選ばれた舞台出身のナターシャ・マケルホーンが抜擢され、本作がデビュー作となった。共演は「42丁目のワーニャ」のジュリアン・ムーア、「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」のジョス・アックランド、「ヒート」のダイアン・ヴェノーラ、「ジェイン・エア」のジョーン・プロウライトほかです。

 あらすじは、1943年。大戦下のパリ。22歳の画学生フランソワーズ・ジロー(ナターシャ・マケルホーン)は、61歳の天才画家パヴロ・ピカソ(アンソニー・ホプキンス)と運命の出会いを果たします。38歳の年齢差を越えてピカソを愛するようになるフランソワーズ。ピカソには長く別居中の妻オルガ(ジェーン・ラポテア)、2人の愛人マリー=テレーズ・ワルテルと芸術家であるドラ・マール(ジュリアン・ムーア)Pikaso004がいました。かつてドラと暮らした南仏の家にフランソワーズを連 れて行き、母性的なマリー=テレーズから毎日送られて来るラヴレターを彼女に読んで聞かせるピカソ。彼の女に対する倣慢さを知り、恥辱を感じて家を去ります「が、ピカソは彼女を連れ戻し、永遠の愛を誓わせました。愛の苦しみは感じつつも、芸術家としては啓発されるピカソとの生活。1947年に長男クロードが、49年に長女パロマが生まれてからは、南仏の陶器工房が生活拠点になっていました。ピカソの知己のアンリ・マチス(ジョス・アックランド)との交際も始まりましたが、ピカソはお守り役的な新しい愛人ジャクリーヌ・ロック(ダイアン・ヴェノーラ)の元へ通い始め、2人の仲は急速に冷えていきます。祖母(ジョーン・プロウライト)が亡くなり、葬儀のためパリへ赴いた彼女は、浮かれ騒ぐピカソを見て、彼との別居を決心。子供たちだけとパリで暮らすという訣別宣言に幼児のように泣きわめくピカソ。数カ月後。ジャクリーヌと暮らし始めたピカソを訪ねたフランソワーズ。「君は戦士のように私の人生から去って欲しい」と彼女に願うピカソ。ピカソを称えた闘牛の開会式。フランソワーズは白馬にまたがって姿を現し、身をもって彼への失いがたい尊敬と自身への誇りを示すのでした。

 サバイビング…といっても、巨匠ピカソの長寿の秘けつの物語じゃなくて、彼の40歳年下の愛人フランソワーズが、いかにしてこの恋多き天才芸術家との10年の愛の生活をサバイビングしたか(生き残ったか)を描いた、天才ピカソを恋愛遍歴から描いた伝記映画です。現実にはもっと生々しくドロドロとした愛憎劇が繰り広げられたのかもしれないですが、監督のセンスかナターシャ演じるヒロインの魅力ゆえか、ラストの闘牛場のシーンに象徴される”愛の闘争”を描いた作品とはいっても、鑑賞後は、妙にすがすがしく颯爽とした気分になってしまうラブ・ストーリーでした。
 この映画は、ピカソ、フランソワーズ、その他の女性たち、誰かひとりに思い入れて同情的に描かれてるワケではなく、非常に公平な視点で描かれていたからだと思います。「恋は戦争といっしょ・・・ルールも掟もない(by カルメン?たしか)」、そして「恋愛には被害者も加害者もない」・・・あらためてそう強く感じました。

 ピカソは、いわゆる女たらしとは当然違います。ピカソ本人のPikaso005 みならず、彼に振り回され、別れていく女たちは、その苦しみ(だけではないけれど)のなかでしか生きていけない類の人種なのだと思います。対人関係の距離のとり方が互いにどこか似ているようにも見えました。
 だから、そこに善し悪しという価値は、意味を持ち得ないと思うのです。アンソニー・ホプキンスはピカソの生き写しのようにも見え、つい私もピカソに関われたらと願ってしまいました。マチス、ブラックなどの芸術家との交流、彼を支えた女性達とのエピソードなどがとても分かりやすく表現されていましたが、これを観て興味がわいたのはピカソ自身より、むしろ彼を愛した女性達でした。今回特にクローズアップされていたのはフランソワーズ・ジロー。なんでも、ピカソを「捨てた」女性は彼女ただ1人だったそうです。なので個人的にはあのラストに小さなカタルシスを感じました。金銭的にも、女としてもピカソに頼らず自立した女性だったフランソワーズ。素敵すぎます。

 一人の女性として、芸術家を愛するということは、とてつもなくパワーがいるような気がします。太宰氏のように心中することのほうが楽に思えてしまいます。そんなこと、思ってはいけないのですが・・・

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2009年6月 2日 (火)

私の好きな俳優たち~岸恵子編

 岸さんといえば、長くパリんい在住されていて、エッセイなども出されていますが、私はやはり、女優岸恵子さんが好きです。

 最初にいいなと思ったのが『悪魔の手毬歌』のリカ役をした時でした。本当に儚い、霞のような女性だと思います。この映画は、

古い因襲に縛られ、文明社会から隔離された岡山と兵庫の県境、四方を山に囲まれた鬼首村(オニコベムラ)。青池歌名雄は、葡萄酒工場に勤める青年。歌名雄には、由良泰子という恋人がおり、仁礼文子もまた、歌名雄が好きであった。この由良家と仁礼家は、昔から村を二分する二大勢力でした。しかし、二十年前に、恩田という詐欺師にだまされ、それ以来由良家の、勢いはとまってしまい、逆に仁礼家が前にもまKeiko002 して強くなった。その時、亀の湯の源治郎、つまり歌名雄の父親が判別のつかない死体でみつかりました。この事件を今も自分の執念で追いかけているのが磯川警部。磯川は、ナゾをとくために、金田一耕助に調査を依頼。金田一は、最初に恩田と特にかかわりがあった多々良放庵に会う。その頃、村では大騒ぎ。というのも、別所千恵が、今では人気歌手大空ゆかりとなり、今日はその千恵の里帰りの日でした。その晩、千恵の歓迎会の時に、第一の殺人事件が起きた。泰子が何者かによって殺されたのだった。そして、泰子の通夜の晩、葡萄工場の発酵タンクの中に吊り下げられて死んでいる文子を発見。この二つの殺人事件には、この地方につたわる、手毬唄の通りに行なわれていることを金田一は発見。そして、文子の通夜の晩、犯人は、千恵に入れかわっている里子を殺してしまいます。この犯人は、青池リカで、里子は、母親が犯人であることを知り、千恵の身がわりになったのである。金田一の捜査により、恩田と源次郎は同一人物である事が解ってしまいます。そして、恩田=源次郎は、千恵、泰子、文子の実の父親なのでした。リカは、それらの娘たちと血のつながる歌名雄をいっしょにできないと思い娘たちを殺してしまったのです。リカは、犯行を自供後、沼に入って自殺を測るという、ご存知の方が多い作品ですが、他の横溝作品より、好きな作品でした。
 このリカと言う役は歴代、何人もの女優さんが演じてこられたのですが、私は岸さんがはまり役だと思っています。彼女の持っている吸引力は、なんなのでしょうか・・・と考えた時、それはきっと彼女らが、「安定しきっていない存在のあり方」を楽しんでいるからなんだと思いました。小賢しい「演技の技術」を身につけた凡庸な役者たちが繰り出す優等生的な演技ほど、見ていて退屈で眠くなるものはありません。器用な台詞回しと器用な表情を作り、「映像演技のお手本」のようなマニュアルどおりの立ち回りを見せられても、スリルがないんです。よく、「子どもと動物には敵わない」という喩えがありますが、それは本当だと思います。子どもと動物は「次に何をするのか」予測がつかないから見ていて面白いし目が離せない。児童劇団で大人に飼いならされて死んだ目をしている子役たちを別にして、子どもというのは基本的に「打算」とか「計算」を身に付ける必要がない存在ですから、自分の内面に忠実に、天真爛漫に振る舞うことが出来ますよね。岸恵子さんの「演技者としての存在のあり方」も、まるで子どものような無防備さとスリルを感じさせてくれるものでした。演技技術というマニュアルに則った「安定」に寄りかからず、不器用さも醜さも含めた内面の多様性を隠さずに表現し、他者に開いてぶつかっている潔さ。ベテラン女優であるはずなのに、他の誰よりも演技が「素人っぽい」んです。だから目が離せない・・・「次の行動」や「次の表情」が読めないし、どんどん裏切ってくれるから退屈せずに見ていることができるし、常に驚かされ続けるんです。それがいろんな映画やドラマに出ていてつい見入ってしまうのです。

 『女王蜂』の家庭教師、神尾秀子役も最後まで目が離せませんでした。他にも『女が結婚しない理由』(1992) 『天河伝説殺人事件』(1991) 『式部物語』(1990) 『細雪』(1983) 『古都』(1980) 『闇の狩人』(1979) などは必見でしょう。

『細雪』は、昭和十三年の春、京都嵯峨の料亭、蒔岡家の四姉妹と幸子の夫貞之助が花見に来ているところから始まり、幸子は今度の雪子の縁談を本家の長姉鶴子(岸さん)から、家系に問題があるとの理由で断わるように言われ苛立っていました。五年前末娘の妙子が、船場の貴金属商奥畑の息子啓ぼんと駆け落し、その事件が新聞ダネになり、しかも雪子と間違って書かれ、本家の辰雄が奔走して取消し記事を出させたら、妙子の名をより大きく出す結果になったことがあったのです。妙子も雪子も本家の不手際から分家の幸子の家に居つくようになってしまいました。人形作りに励む妙子は、啓ぼんとの仲も冷め、奥畑家にもと奉公していて、現在は写真家で立とうとしている板倉と親密な間柄になっていましたが、板倉は中耳炎をこじらせて急逝してしまいます。雪子は、鶴子が夫の筋から持ってきた銀行員、幸子の女学校時代の友人、陣場夫人Monet07 の紹介の水産技官野村、幸子の行きつけの美容院のマダム井谷が持ってきた製薬会社の副社長橋寺とお見合いしますが、いずれも雪子が気にいらなかったりとうまくいきませんでした。そんな折、本家では辰雄が会社からもって帰ってきた東京赴任の知らせに、鶴子が動転していました。井谷がまた雪子に見合い話を持ってきます。相手は華族の東谷子爵の孫。板倉が死んでから酒場通いを続けていた妙子は、その酒場のバーテンダー・三好のところに押しかけ同棲してしまいますが、貞之助が会いに行くと、三好はしっかりした青年で、妙子も地道な生活設計を立てているようで心配はありませんでした。鶴子は悩んだ末東京へ行くこを決心し、雪子も東谷との縁談がまとまります。そして、冬の大阪駅、雪子や貞之助らが送るなか、鶴子たちを乗せた汽車は出発しました・・・谷崎作品の傑作を見事に映画化しています。会話が大阪弁で書かれた異色の作品でもあります。

市川監督は岸さんがお気に入りだったのでしょうか、映像の美しさと岸さんがまるで遷ろうもののように映し出されていますね。

 パリに在住し、色んな苦難もあったと思いますが、そういう外国暮らししてますよとか、苦労しましたよと言うことは微塵も出さず、いつもにこやかにしていらっしゃる姿勢は見習いたいものです。

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2009年5月15日 (金)

私の観たい映画『60歳のラブレター』

 先日、『大様のブランチ」でも取り上げていた作品、『60歳のラブレター』はぜひ観たいと思っています。

 大手建設会社の専務、橘孝平は、定年を期に離婚が決まっていました。会社を出て向かったのは、若い愛人の住むマンション。これまでは家庭と会社のために働いてきましたが、定年後は愛人と二人でベンチャー企業を共同経営し、若いスタッフと共に本当にやりたい仕事をやるのだといいます。しかし、大手企業重役だった橘にとって現実は思ったほど甘くはありませんでした。一方、離婚して自由になった妻・ちひろは、友達も増え、恋のチャンスが巡って来ていました。

 家族や社会のために働いてきた人たちが、第二の人生をどう生60sai001 きるか考える年代である60歳。全国から寄せられた手紙をまとめた書籍「60歳のラブレター」を原案に、タイプの違う三組の夫婦の人生模様を挟み込み、等身大の60歳の姿を描いた、真の意味での大人のラブストーリーです。社会的成功は出来たが心は満たされない人、平凡な人生だと思ってきたけど、それが幸せだったと気付く人…様々な幸せの形を提言し、観る人全てが共感するストーリーとなっているそうです。中村雅俊と井上順が、本来のイメージとは逆の不倫夫と堅実な男やもめを演じているのに注目。監督は『真木栗ノ穴』の深川栄洋氏、脚本は『ALWAYS 三丁目の夕日』の古沢良太氏です。古沢作品は前に取り上げましたが、面白いこと、お墨付きのようです。

 試写を見た方に伺うとホノボノとして、何処ににもころがっているようで、我が身を考えさせる映画でしたとのこと。60歳近くのカップル3組のラブストーリーで、コミックタッチで描いてあり観やすく作ってあります。
 定年を迎える会社人間の旦那を持つ夫婦。魚屋を営みいつも顔を突き合わせている夫婦。むつかしい年頃の娘を持つ妻を亡くした男と独身を続けてきた翻訳家の女。三組三様の身につまされる、お話展開となっています。キャストも、それぞれにピッタリとはまっている気がします。熟年離婚あり熟年恋愛ありで青春回帰を思い起こさせます。
 魚屋夫婦の口は罵っているが心の中は、お互いを案じあっている感じがよく出ています。綾戸智恵とイッセー尾形のコンビが絶妙な夫婦を演じきっています。言うならば、熟年青春映画の感じです。
 人は、それぞれの理由で、それぞれの立場で自分で考えて、考え違いに気がつかないことを、思い起こさせます。自分を表現すること、自分を素直に人に伝えることが下手な団塊世代の方々に、是非にも鑑賞していただきたい作品の一つだと思います。

 《中村雅俊/原田美枝子》《井上順/戸田恵子》《イッセー尾形/綾戸智恵》この団塊の世代の三組がグランド・ホテル・・・失礼ながら《役所広司》ならぴったりな役柄だと…。
別に中村雅俊の演技が劣っているということではなく、どうにも彼には、かつての<青春映画>の幻影が付きまとうからです。しかし、もう定年の役を演じる歳になったのですね・・・長年連れ添った間柄でなければ出せない<何気ない所作>まで再現している点は感心しました。
 空気みたいな関係って、羨ましいですね。
日常に染み付いたルーティーンから来る可笑しさ…。脚本60sai002 家は古沢良太、テレビドラマ『アシ!』でデビュー。そう、あの傑作ドラマを書いた人です。シリアスとコミカルの配分が良いですねぇ。心に突き刺さる《言葉》がいくつもありました。
 きっと、それぞれが誰かに感情移入して見てしまうのでは?団塊の世代ならではのコネタにも頷いてしまいます。
 きわめて、撮影はオーソドックス。幾分、マンガチックにした点もあるけど、これも分かりやすさを優先したと考えれば納得のいく演出。過剰過ぎない音楽も効果的。
 各々のラブレターがベタなのに一ひねりしてあり、見ていてジ~~~ンとなります。大人世代に向けたラブファンタジーですね。
…そうだ、これは青春映画だ。なるほど中村雅俊がキャスティングされたはずだ。(ん?)といったお声を拝聴して、参考にさせていただきます。60なんてまだまだだなんて思っていたら坂を転げ落ちる勢いで年を重ねて、歳と体調だけは若ぶるわけにもいかず、自分が60の姿など想像もできませんでしたが、確実にやってくるのですね。昔は60と言えば隠居の身でしたが、今は働かなければなりません。

 そう、両親に映画のチケットをプレゼントしたら喜んでくれるでしょうか。

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2009年5月14日 (木)

私に好きな俳優たち~常盤 貴子編

 私が彼女を覚えていたのは、あの人気ドラマ『愛していると言ってくれ』でした。まだキャピキャピしていた年頃でしたが、あの細い身体に大きな胸は印象的でした。そしてきつねのような愛くるしい顔にコロッとなってしまった男性の多かったはずです。私もどちらかというと、はじめて見る豊川悦治さんに興味をひかれもしました。ドラマ自体もとても魅力的だったので再放送まで見てしまいました。

 どうやら私は彼女の必死に伝えようとする手話の手に惹かれていたのかもしれません。『星の金貨』もそういう点で好きだったのかもしれません。手話はそれほどまでに私を虜にしました。でも実際に使っている手話を見た時、これはとても難しいものだと解りました。
速さが全く違うのです。ユーキャンの通信講座で手話を習おうとこころみてみましたが、現実を知って諦めてしまいました。

 それはさておき、『愛していると言ってくれ』は1995年の作品ですから、観てない方もいるでしょう。

あらすじは、耳の聞こえない画家と女優の卵が、障害を乗り越えなTokiwa005 がら愛を深めるというストーリーで決して障害を悲劇的に扱うことなく、主役2人の日常的な交流という形で淡々と描き、障害者のドラマが持つそれまでのイメージを大きく変えたものでした。この点などが高評価されて、第33回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞しました。まだ本当の愛を知らない女の子が、彼が前に付き合っていた女性から、一番好きなところは声だと言われ、自分には声を聞かせないことに、『愛してるっていってよ!』と泣く彼女がいたいけで、誤解が誤解をよび別れてしまうのですが、大人になって出逢った2人はどうなったのかが気になるエンディングでした。

その後貴子さんはヒロイン役に多く抜擢され、ぐんぐん伸びていったように思います。1991年夏に自らスターダストプロモーションの門を叩き、事務所に所属した。しばらくは、原宿の歩行者天国で路上ライブ(このライブにはデビュー前のMANISHも出演していた)の司会をするなど、下積み生活が続いたそうです。年末にTBS系SPドラマ『イブは初恋のように』で女優デビューをしたのち、ドラマの脇役やCMの仕事が入るものの、なかなか芽が出ませんでした。
 1993年CX系の深夜バラエティ番組であった『殿様のフェロモン』にサブ司会者として出演。
 1993年夏、フジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」で、カード地獄に落ち借金苦から風俗嬢に転落する女子大生役を熱演し、一躍新進女優の仲間入りを果たします。トップバストを露わにしたヌードを披露したことが大反響を呼びました。
 1994年秋のTBS系ドラマ『私の運命』で不倫と純愛の間をさまよう上昇志向の強い看護師役を演じ、1995年夏のTBS系ドラマ『愛していると言ってくれ』では、耳が不自由な青年画家(俳優豊川悦司)の恋人役を演じ、ドラマは大ヒットします。その後も数々の連続ドラマで主演を務め、1996年春から1997年夏までは5作の連続ドラマにおいて主役級を務め、撮影を連投しました。コメディーからシリアスまで様々な役柄を演じ出演作の全てがヒットしたため、この時期から彼女は「連ドラの女王」と呼ばれるようにもなりました。

 2008年に入り、『眉山』、『笑顔をくれた君へ~女医と道化師の挑Tokiwa003 戦』、『ロス:タイム:ライフ』とSPドラマに主演し、 2008年から2009年にかけて、3部作で公開される映画『20世紀少年』でヒロイン・ユキジ役を演じました。また 妻夫木聡が主演する2009年NHK大河ドラマ『天地人』で、ヒロイン・お船の方を演じていますね。 2009年10月には、主演映画『引き出しの中のラブレター』が公開予定です。

 また、羽田実加や沢尻エリカ、鈴木えみ、原史奈など、事務所の後輩にファンが数人いるといいます。沢尻さんは「TVガイド」2007年9月26日発売号で自らが常盤ファンであることを公言しています。また、金田美香や小倉智昭、眞鍋かをり、内山理名、川村亜紀、川村由紀、マーティ・フリードマンなど、芸能界の中にもファンを数多く持っているのも彼女の人徳なのでしょう。

 私が他に好きだった番組を挙げると『東芝日曜劇場・Beautiful Life ?ふたりでい日々?』 『カバチタレ!』『ロング・ラブレター~漂流教室~』などがあります。日々成長する彼女の姿が美しくもあり眩しくもありました。

 映画の本格デビューは1999年の香港・日本合作『もういちど逢いたくて/星月童話』でした。2003年に公開された『赤い月』では戦中の満州で波瀾万丈に生きた女性を演じ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。ここ数年は主演以外に脇役としても、スクリーンの中で印象に残る演技を見せています。演技の幅も広いので、今後がもっと期待される女優さんだと思い、これからも見守っていきたいと思います。

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2009年5月13日 (水)

私の好きな映画~『恋人たちの予感』

 1989年の作品なのでご存知ない方も多いかもしれませんが、メグ・ライアンのお好きな方は必見です。
ある男女の11年にわたる愛と友情の軌跡を描いています。製作・監督は「スタンド・バイ・ミー」のロブ・ライナー、共同製作はアンドリュー・シャインマン、脚本はノーラ・エフロン、撮影はバリー・ソネンフェルド、音楽はハリー・コニツク・ジュニアが担当。出演はビリー・クリスタル、メグ・ライアンなど。「男と女はただの友達になれるのか?」という永遠のテーマに迫るラブコメです。男のハリーは「セックスが邪魔して男と女は友達になれない」と主張。女のサリーは「セックスなしの男友達だってありえる」と。この永遠のテーマを二人が身を持って証明していく物語。英題は「When harry met sally」。邦題の「恋人たちの予感」に軍配! くっつきそうでくっつかない“恋の予感”が散りばめられています。「男と女の間に友情は成り立たないッ!」とキッパリとこう断言して始まるお話でもありますね。ところが内容はというと、十何年もの長い年月をかけて、この命題をなんとか覆そうとチャレンジする形で進んで行くのです。なので、見ている方は、命題が覆るのが良いのやら、2人が無事ゴールインするのがシアワセなのやら、どっちに転ぶべきか分からん二人を、どっちに転ぶべきか観客も分からぬまま応援しつつ見守らされるということになるのです。

 77年のシカゴ、大学を卒業したばかりのハリー・バーンズ(ビリー・クリスタル)とサリー・オルブライト(メグ・ライアン)は、ハリーの恋人がサリーの親友であったことから経費節約のために同じ車でニューヨークに出ることになりますが、事あるごとに2人は意見を衝突させ、初めての出会いは最悪のものとなりました。

 それから5年後、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港。出張の見送りに来てくれた恋人ジョンと長いキスを交わしているサリーのもとにハリーが姿を現わした。2人はお互いが相手の名前を覚えていたことに驚くが、飛行機の中で席を替わってもらって隣り合わせになったハリーとサリーはまたしても口論、しかしもうすぐ結婚するというハリーの様子は以前とは違ってみえました。

 さらに5年後、離婚直前のハリーと、ジョンとの別れから何とか立ち直ろうとしているサリーが再会。これを機会に2人は友達同士になり、デートを重ねるようになるのですが、2人の会話はお互いの恋の悩みばかり。ジョンとの恋にケリをつけたと思い込みたいサリーと、妻と離婚した現実を受け入れられないハリーの関係は、時として互いに振りかかってくる相手へのロマンティックな思いを振り払おうとしています。ある日2人はお互いの親友を紹介しあおうとするが、逆にハリーの親友ジェス(ブルーノ・カービー)とサリーの親友マリー(キャリー・フィッシャー)が意気投合し、2人を残してどこかへ消えてしまいます。

ある夜サリーの泣きじゃくる電話をうけたハリーは、彼女のアパートヘ駆けつけます。独身主義者のジョンが自分以外の女と結婚すると聞きショックをうけたサリーを慰めるうちに、どちらともなく2人は互いを求め、ついに一夜を共にしてしまうのです。それ以来2人の関係は、変に相手を意識しすぎてぎくしゃくしてしまい、ハリーの言い訳が逆に混乱を招いたりもしました。しかしニュー・イヤー・イヴの夜、相手への愛を確信したハリーとサリーは、様々な紆余曲折の末に自然な恋人関係を築きあげるのでした。

 この2人の間は最初は険悪、途中で何でも話せる友達、そして恋人としての予感・・・と来るわけですが、ここで私は友達と論争になりました。男と女で友達はあり得ないと友達は主張。男性は必ず下心があるといいます。でも、私はあっていいと思う派です。何故って男友達がいたら、「こんなとき、男の人だったらどうする?」といった意見が聞けるわけすし、逆もあると思うのです。同性同士が延々話して解決出来ないことが異性の一言で「ああ、そうかもしれないね」という話に変わることってありますよね。1対1じゃ無理なのでしょうか・・・

 私が面白いと思ったことは、ハリーがまだ全然サリーを意識Jonsari001_2 していなくて、別れた奥さんのことばかり話す場面です。私もよく、若い頃は、この人、全く私を女として見ていないからこんなことまで話すのだろうなと思う男友達が多くて、これって喜んでいいの?と思った
ことが何度もあったので、それはそれで大事な友達として今でも思い出します。でも結局、ハリーとサリーはいつの間にか惹かれあっていたんですね。でも情事の後にそそくさと帰ってしまわれたサリーの気持ちを考えると、尋常ではいられなかったでしょう。ハリーの悪い癖がこんな形で自分の前で行われている・・・サリーはやられた、ハリーはやってしまったとお互い友人であるマリーとジェスに電話で報告。

 メグ・ライアンは、ホントに可愛いですね。そのお相手が、ビリー・クリスタルというところが、この映画を成立させているように思います。もし、メグのお相手が、誰が見ても好青年で文句のつけようのないハンサムな男性だったら、友情ではなく即、恋人でしょう。サリーとハリーが、お互いの親友を相手に紹介するシーンがありましたが、あれ、わかるんですよね。相手に彼氏・彼女ができてしまったら、今までの様につきあえなくなるけれど、自分の親友が彼氏・彼女だったら今まで通り会える・・・そんな気持ちがあったのでしょう。
サリーとハリーがけんかするシーンが観たくて、久しぶり にまた観てしまいました。もう20年近く前の映画になってしまったのですね。どこか懐かしさを感じつつ、楽しく観ました。これは原題「WHEN HARRY MET SALLY」のほうが絶対に好きですが。

 それからとても些細なことですがサリーはソースがかかっているのが嫌いで、「ソースは横に添えてね。かけるとベチャベチャニなるから」が口癖で、ウェディングケーキも勿論、ソースは横に添えたそうですよ。

 秋の紅葉も冬のツリーもちゃんと背景になってるところなど今観ても、綺麗だろうなと思います。とにかく賞はしとめませんでしたが、その年のアカデミー賞の司会をしたのがなんとビリー・クリスタルでした。こんなラブコメディならまた観てみたいです。

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2009年5月 3日 (日)

私の好きな作品たち~古沢 良太編

 『ALWAYS 三丁目の夕日』で2005年、私達に懐かしい時代を見せてくれた古沢さん。昭和33年(1958年)の東京の下町を舞台とし、夕日町三丁目に暮らす人々の暖かな交流を描くドラマに仕上がっています。(当時の港区愛宕町界隈を想定しています。)
 建設中の東京タワーや上野駅、蒸気機関車C62、東京都電など当時の東京の街並みをミニチュアとVFX(CG)で再現した点が特徴で。昭和30年代の街並みが再現されたコンピュータシミュレーションでは、東京工科大学メディア学部の研究室が協力しました。
 映画に出てくる、三丁目の住宅、商店、街並みは全てセットで再Shagaru005 現されており、東宝第2、9ステージ及び、館林市大西飛行場に建設されたオープンセットで撮影されました。三輪自動車ミゼット、家電、店内の商品等は殆どが各地から集められた本物です。
 山崎貴監督によると当時の現実的情景再現以上に、人々の記憶や心に存在しているイメージ的情景再生を重視したようです。
 東京の下町、夕日町三丁目にある鈴木オート。そこにC62蒸気機関車に乗って青森から集団就職で六子(むつこ)がやってくきます。六ちゃんと親しまれます」が、実は大企業に就職できるかと期待していた六子はボロっちい下町工場の鈴木オートに内心ガッカリ。
その向かいにある駄菓子屋「茶川商店」の主人・茶川竜之介は小説家。茶川は居酒屋「やまふじ」の美人店主・石崎ヒロミから見ず知らずの子供・古行淳之介を酔った勢いで預かってしまう。帰すに帰せず、二人の共同生活が始まる・・・という皆さん御なじみの映画の脚本が古沢さんでした。

 その後も映画では2007年『キサラギ』で、某ビルのペントハウスに、互いに面識のない五人の男たち(ハンドルネーム:家元、オダ・ユージ、スネーク、安男、いちご娘)が集まった。彼らはD級アイドル如月ミキのファンサイトを通じて知り合い、如月ミキの一周忌の為に集まったのでした。一年前にマネージャーの留守番電話に遺言メッセージを残し、自宅マンションに油を撒いて焼身自殺した彼女を悼むのが会合の趣旨だったが、オダ・ユージが彼女は自殺ではなく「他殺だ」と言い出したことで状況は一変する。徐々に明らかになる当時の状況、次々と明かされる五人の男達の正体。紆余曲折を経て彼らが辿りついた真実とは・・・?これも話題になりましたね。

 同2007年に『ALWAYS 続・三丁目の夕日』でまたまたヒットを飛ばし、というか静かなレトロブームが進み、あらすじは、東京下町の夕日町三丁目では、茶川が黙って去って行ったヒロミを想い続けながら淳之介と暮らしていた。そんなある日、淳之介の実父である川渕が再び息子を連れ戻しにやって来ます。そこで茶川は、人並みの暮らしをさせられる証しを必ず見せるからと頼み込み、改めて淳之介を預りました。
 大きな事を言ったはいいが、どうやって安定した生活を見せられるのか。やけ酒に酔いつぶれる茶川ではあったが、翌朝、一度はあきらめていた“芥川賞受賞”の夢に向かって黙々と執筆を始める茶川の姿があった。それを見た鈴木オートやまわりの皆は、心から応援し始めるのでした。
 茶川が芥川賞へ向けて全力で書き上げた内容とは、それはなんとも川のせせらぎのように純粋な物語であった。鈴木オートや商店街の人たちは殆どの人が茶川の書き上げた本を買い何度も読み、泣く人、感動する人、あのころを思い出す人など、人それぞれが違った観点をもち茶川を支えていくのである。はたして黙って去っていったヒロミとの運命はいかに・・・というところでしょうか。

 私が何故、古沢さんを選んだかというと、ご存知の通り、向田邦子賞を取ったと聞き、聞いた事のない名前にただ呆然としてしてしまったからです。テレビドラマは欠かさず観ていた私なのですが、最近は殆ど見ていません。でも『相棒』は再放送で観ていました。古沢さんがシーズン4から長きに渡って書かれていたとも知らずに・・・迂闊でした。

 ところで今回受賞対象になったのはどの作品かといいますと、『ゴンゾウ 伝説の刑事』でした。舞台は、井の頭警察署。主人公はかつて捜査一課に在籍し、3年前のある事件をきっかけに、現在は備品係に所属する警察官・黒木俊英。毎日、職務中にテレビゲームにのめり込んでいる変人扱いの彼には、ゴンゾウという仇名がつけられていました。ゴンゾウとは警察用語で能力や経験があるのに働かない警察官という意味の隠語、もしくは、英語(gonzo)で風変わりな・愚か者などの意味を持つといいます。ある日、バイオリニストの女性が射殺されます。その時、彼女の知人であった婦警が一緒にいた事から、世間に注目され、先輩刑事の代理として捜査一課に復帰したゴンゾウは、さまざまな拳銃事件を解決していきます。過去に関係のあった女性の、少女時代の幻影に苦しむ黒木は、「この世界に、愛はあるの?」 という女性の残したキーワードが、一連のRatur001 殺人事件に関係していることに気づく・・・
 ストーリーは一話完結ではなく、一人の女性の射殺事件の真相究明と、それに伴い明かされる黒木が3年前関わった事件が焦点となっています。刑事ドラマが向田邦子賞を取ったのは初めてではないでしょうか。それだけ価値のある番組だったのか、『女王の教室室』のように現代に問いかけるドラマだったのか、観なかった私はただ悔しい思いで一杯です。
 黒木 俊英を演じたのが内野聖陽さんと聞き、ややアットホーム的な部分もあったのかなとも思いましたが、これでは机上の空論です。

それで、時下に古沢さんの声と書評を見てみることにしました。すると、古沢氏は「向田邦子さんは、作家としても女性としても気になっていた存在。今回の受賞で少し振り向いてもらえた気持ちです」』とコメントしていました。そして『ゴンゾウ~伝説の刑事」は、刑事ドラマであり、連続ドラマであり、さまざまな制約があったであろうと思われます。その枠組みの中、作家としての挑戦を感じる作品でした。達者な構成力、はりめぐらせた伏線等、視聴者を楽しませることに心血を注ぐ精神とセンスは授賞に値すると判断いたしました。今後、違うジャンルへの挑戦を含め、テレビドラマの脚本家としての更なる飛躍を期待します。おめでとうございます。』と受賞の喜びの声と授賞理由についてに述べられておられました。

 『木曜ドラマ・おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』ではコメディの要素を加えたホームドラマ的な作品になっており、佐々木倫子による少女漫画を脚色した『動物のお医者さん』などもホームドラマな要素がびっしり詰まっています。

 これからが楽しみの脚本家さんでした。

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2009年4月30日 (木)

私の心の記憶~実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

 1972年、あなたはテレビに釘付け、新聞を読みあさりはしませんでしたか?あのあさま山荘立てこもり事件にたんを発したと思われた赤軍派のことを。

 この映画は、日本赤軍との関係も深い若松孝二監督が、革命を叫ぶ若者のそばから1972年の連合赤軍・あさま山荘事件に迫る人間ドラマ。殺害される運命の遠山美枝子を坂井真紀、中心メンバーである永田洋子を並木愛枝、坂口弘をARATAが熱演。狂信的な連合赤軍メンバーの革命への夢が、悪夢へと至るプロセスが臨場感たっぷりに描かれます。壮絶なリンチシーンは目をそらしたくなるほど衝撃的ですが、それ以上に彼らの思いが圧倒的な力強さで表現されています。

 ことの発端は、ベトナム戦争、パリの5月革命、中国文化大革命Dorakuroa02 など、世界中が大きなうねりの中にいた1960年代。日本でも学生運動が熱を帯び、連合赤軍が結成されました。革命戦士を志した坂口弘(ARATA)や永田洋子(並木愛枝)ら若者たちは、山岳ベースを設置し訓練をはじめます。厳しい訓練に追い詰められ、メンバーによる仲間同士の粛正が壮絶を極めていきます。

 これは、理想の名の下に懸命に生きたのに、取り返しのつかない過ちを犯してしまった若者たちと失われた命の峻厳な記録です。60年代から70年代初め、この国を憂い、革命を夢見て起ち上がり、その反市民性ゆえ社会の闇へと追いやられた若者たちがいました。

 映画は客観的に事実を積み上げ、彼らを決して美化せず、ひたすら観念的に純化していく未熟な姿を時系列に追いました。やがて、数十挺の銃だけでは「革命」など実現しえないことに気づいたのか、欺瞞と不安を埋め合わせるかのように仲間の精神的な向上を追求し、その粛正は凄惨なリンチへ・・・当時はその猟奇性ばかりが喧伝されましたが、本作のカメラアイは、彼らが平和と他者の幸福を願った誠実な若者だった事実を伝えつつ、冷徹な眼差しと確かな愛情をもって批判的に捉え、慟哭しています。最後の銃撃戦の最中、最年少の高校生戦士の発するにもなだれ込んできます。あれから36年経った今も、戦うべきは「国家」なのでしょうか。いえ、何も考えず皆と同じだと感じることで安堵する個々の顔がない、ただ思いつきと思いこみで動き、消費に明け暮れる怪物・・・そう、国家も何もかもまるごと呑み込んでしまった「大衆」こそが撃つべき相手ではないかとさえ思えてきます。あの事件を正視してこなかったすべての日本人に向け、挫折した彼らの精神の中から希望のかけらを見出せないかと真の「総括」を問う、若松孝二渾身のメッセージをしっかりと受け留めなければならないでしょう。

 1972年2月、日本中がテレビに釘付けとなったのは5人の若者たち が、長野県軽井沢の「あさま山荘」に立てこもり、警察との銃撃戦を展開したからでした。彼らは、革命に自分たちのすべてを賭けた「連合赤軍」の兵士たち。その後、彼らの同志殺しが次々と明らかになり、日本の学生運動は完全に失速する・・・この時期まで学生運動が行われていた事など露とも知らなかった幼かった私に怒りさえ覚えました。あの時代に、何が起きていたのか。革命戦士を志した若者たちは、なぜ、あそこまで追いつめられていったのか。なぜ、同志に手をかけたのか。なぜ、雪山を越えたのか。なぜ、山荘で銃撃戦を繰り広げたのか。あさま山荘へと至る激動の時代を、鬼才・若松孝二が描くいた本作は、2008年ベルリン国際映画祭「フォーラム部門」招待作品に選出され、第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門では作品賞を受賞しました。

 しかし、私の諸先輩達は、世で言うところの団塊の世代は、どの様に思い、今という時代を生きているのか私には想像も出来ないのだろうと思います。ただあんな形で学生運動が失速したと言っていいのでしょうか。

 この「実録・連合赤軍」はそういう地平で語れない、数多くの矛盾に満ちた日本の戦後史の重要な側面を語る映画であり、それは世界に影響を与えた政治運動の軌跡を記録した巨大なアーカイブスとなった事業だと思うのですが・・・

 何がすごいと思ったのか?と問われれば、連合赤軍が辿った一連の事件をなぞるだけでも膨大であるのに、この映画は、敗戦国日本が米国の覇権主義の手先となって、朝鮮やインドシナの戦乱への協力と引き換えに国際社会に復帰し、国内経済を復興してゆく過程を描き、日米安保制定、第二琉球処分(外国軍基地付き返還)、三里塚紛争という社会矛盾を敏感に感じ、学費値上げや待遇改善など身近な問題からその異議申し立てを始めた学生たちの意識の高揚と行動から、緻密に語っていることだ。誰も言わないけれど、連合赤軍が決して特殊ではなく、あの時代の誰もが〝わたしだったかもしれない〟と思わせる内なる事件だったことを浮かび上がらせる映画として、学校では絶対に教えてくれない日本戦後史のタブーを丁寧に駆け足で描いてゆきます。そして愚かで間違っていただろうが確かにそこにヒトが必死に生きていた姿を映画は的確に冷徹に語ってくれます。
 総括という名のリンチ殺人や山荘での銃撃戦など、連合赤軍の起こした事件の一つひとつは、はっきり云って「革命ごっこ」と馬鹿にしてもおかしくありません。それは太平洋戦争で「お国のため」「鬼畜米英」「神国」などと信じ込んで叫んだこととほとんど変わりはないように思えます(事後首謀者がのこのこ生き残っていたことも共通点として滑稽)。・・・運動の中身をどうこう云う資格はないけれど、日本の左翼運動の大衆化の可能性を急速に減退させた一連の事件をまさしく「日本史」として記録した映画であり、あの事件、あの時代に関心のある者には決して避けては通れない映画であると思います。

 連合赤軍は京浜安保共闘と赤軍派がコンジャンクションした組織であり、既成の左翼思想に物足りなさを感じた左翼大学生とそれに洗脳された専門学校生や高校生、労働者たちによって組織化されていました。しかし、トロツキズムを基盤とする共産主義がスターリニズム共産主義と如何に違っているのかを自分自身の理論として確立するには、専門学校生や高校生、労働者たちの学習量では追いつけなかったようです。(※日本共産党は反日共系を一派一絡げにして、全員トロツキストと呼んでいます。)
 悲劇はこの格差によって引き起こされますが、共産主義を具現化しようとして先鋭化していく連合赤軍という集団に、百姓の身分でありながら士道を追及するあまり、局中法度により仲間を切腹や斬首に追い込んだ新撰組をダブらせてしまうのです。そして、スターリンへのアンチテーゼでトロツキーを選択した連合赤軍が“スターリニズムの血のDorakuroa01粛清”を犯してしまう行為は、勇気がなかったといった
“1フレーズ”は映画内でも少年が叫び、実際には獄中で森が自分を総括しています。しかしこれだけでは解決出来ない筈です。
 連合赤軍メンバーの多くは所謂、一流大学の学生でした。中でも黒澤明監督作品の「わが青春に悔なし」でも題材にした京都大学の反権力、反骨主義が極左集団の知識の拠り所となりますが、そこには超一流大学の東京学、一橋大学、東京工業大学の学生は一人もいません。全員が旧・国立二期校、或いは早稲田、慶応という、超一流大学の滑り止め校へ進学した挫折感が鬱屈とした感情に構築され、それを満たすためにイデオロギーへ傾斜していったのでしょう。更なる無力感は連合赤軍たちが救済しようとした市井の一般市民たちによって警察機構へ通報され逮捕されたことにもあります。

 殆どの一般学生も積極的にデモ等に参加していた安保闘争は、映画の冒頭のドキュメントでも描かれている東京大学の学生だった樺美智子さんの死に見てとれます。彼女はラジカリストではなく、デモがある日にたまたま時間があったから参加したノンポリ学生に過ぎなかったということを聞きました。当時、“手には朝日ジャーナル、心に少年マガジン”という一世を風靡した言葉がそれを物語っているといえるでしょう。
 映画のクライマックスは浅間山荘攻防戦ですが、国家権力のエリートである東京大学法学部卒の幹部キャリア警察官の遠望深慮によって、この浅間山荘事件を宣伝材料と利用され、国民は左翼系学生運動自体を支持しなくなり、国家権力の中に取り込まれていくのです。日本の左翼系学生運動の終焉を意味したエンディングが見事な映画です。
 連合赤軍が渇望した共産主義は毛沢東の文化大革命やポルポト政権による自分の国の市民を大量虐殺に辿り着きました。人間は、必ず理想を求めては、いつも最悪のモノを生み出してしまう存在なのです。…共産主義を実現した国家は皆無に等しいのですから。

 とにかく考えさせられる映画でした。(と、ここでチャンチャンは無しです)

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2009年4月29日 (水)

私の好きな作品たち~『愛は静けさの中に』

 もう何年前になるでしょうか、この映画を劇場で観たのは・・・知っている方は少ないかもしれませんので、あらすじから・・・

 ジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)は、片田舎の聾唖者の学校に赴任して来ました。11年生の7名の生徒を受け持つことになったリーズは、彼らと対面した後、食堂でサラ・ノーマン(マーリー・マトリン)という若く美しい女性を見かけます。校長Marimanntonn001 (フィリップ・ボスコ)の説明によると、サラは5歳の時からここで学び、昔は優秀な生徒だったが、今は学校掃除係をしているという。彼女に興味を抱いたリーズは、自分の殼に閉じこもろうとするサラを根気強く説得していきます。イタリアン・レストランで食事をした際、聞こえるはずのない音楽に合わせて踊るサラの姿を見たリーズは、かたくなに心を閉ざし続ける彼女をなんとか救いたいと、遠路はるばるサラの母(パイパー・ローリー)を訪ねました。そして、サラの姉の男友達とデートをするほどだった彼女が笑い者にされるなどして、心を閉ざしてしまったことを知ります。その事実をサラにぶつけたリーズは、彼女から、かつて姉の作ったリストの順番に従って男友達に求められるまま体を与えたことをうち明けられました。思いもかけぬ告白に心みだされつつも、サラを愛していることを知ったリーズは、人目をしのんで1人プールで裸で泳ぐサラのもとにいき、愛を告白、プールに飛び込みました。そして2人は、水深き沈黙の世界で、かたく抱き合うのだす。父兄会の席で、日頃の教育の成果を披露し、生徒達と手をとって喜ぶリーズ。そんな姿に嫉妬し興奮したサラは手に5針も縫うけがをしてしまいます。感情表現えお余りにすらないさらでした。校長に強く叱責されたリーズは、サラと一緒に暮らすことを決意します。サラと順調な同棲生活を続けていたある日、リーズは思わず彼女に自分の名前を呼んでくれるように語ってしまいます。かなわずとも遠き願いである禁句の一言を発したリーズの目の前で、心なしかサラは悲しそうでした。
 ある日、パーティで、経済学者で数学の天才の女性聾唖者マリアン・レッサー(リンダ・ボブ)に出会ったサラは、自分が無能力であることを痛感し、自分を哀れんで一緒に暮らしていると興奮してリーズに言い放つと、泣きながら夜の街に飛び出していきました。何日たっても母の許から戻ろうとしないサラを気にかけてリーズは、大学にいく資金を貯めるため美容院で働いていた彼女を窓越しに見ると、その場を立ち去りました。胸中を思うと胸が張り裂けんばかりの光景でした。家に帰り、リーズが来たことを母から聞いたサラは、卒業パーティで生徒達と別れの挨拶を交わすリーズの前に現われました。愛し合いながら離れ離れになった2人は自分のいたらなさを認め合い、永遠に手をとり合って生きることを、強く、それぞれの心に誓うのでした・・・

 これを観たとき、聾唖者の苦悩と絶望に胸打たれ、リーズのもとを去り、必死で美容師の道を歩もうとするノーマンにいたいけな気もちになった事を思い出します。

 そして耳が聞こえないとはどんなだろうとプールの中に身体うを沈め、何も聞こえない中に身をおいてみるリーズ・・・

 2人にはそれまでまるで違う生き方をしてきて、リーズは家に帰ると心地よい音楽を聞く週間があったのが、聞こえないノーマンには理解出来ず、そんなすれ違いの日々を送っていました。お互い時運の領域を侵されたくないという気持ちが、結婚当初はあったように思います。県下になって思わず口にした『ファッキュー』をノーマンはセックスしたいと勘違いをしてしまう始末・・・ノーマンはノーマンなりにこれではいけないという思いを募らせていたのでしょう。家を出る決心は高まっていき、一人立ちできるようにならなければ、何をやっても今までの繰り返しと考えたのでしょう。その過程は映像になっていませんが、いつも一人、プールの中に身をおいていた時、こんな事を決意させたのでしょう。リーズを愛していたから、彼女は変わったのだと私は思いました。

 一度でいいから名前を呼んでくれと願うー男と言葉の無い世界で深い愛に生きようとするー女・・・この言葉を意識しながら観ていくと、それぞれのキャラクターの内面がより理解できると思います。落ち着いた感じの映画ですが心に響く作品です。

 実際、聾唖者の方々は相手の言葉は口を見て理解できても、自分のからに閉じこもって、話せたらいいのに、とか、話して表現したいという希望を捨てている方が多いでしょう。手話が全てを表せるものだとは私にも解りません。

 私達は普通に生活していれば、聞きたい音も聞きたくない音も否Wiriamuhart002 応なしに耳に入ってきます。それは不快な音楽だったり声だったりするわけです。しかしこの音が無けれ人はコミュニケーションをとれません(特別な修練を積まない限り)。人と関わり合うことは恐らく一生続くだろうし、人間の本能とも言えるでしょう。会話をする時によく「沈黙が恐い」と言います。余り親しくない人との間に漂う何とも言えない気まずい空気。この映画はその空気を見事に表現しているシーンがあります。聾唖の女性学者に招待されたパーティーでの孤立感や、卒業パーティー(?)で再会した二人がベンチに腰掛けるあの距離感。沈黙は決して無ではなくその奥に爆発しそうな感情の固まりが蠢いているとサラは言いたかったのではないだでしょうか。「声にならない声を聞け」と。ちょっと野暮ったい気もしますが邦題の「愛は静けさの中に」というのは非常に的を得た表現だと思えてなりません。

 私の好きな作品の2位か3位にいつもいて、不自由な身体で生き抜いてる人々を常に忘れず、五体満足で生まれた事に感謝せずにはいられないのでした。

 ただ気になるのは、『相は静けさの中に』でラストに2人が会うシーンで終わっていますが、本当にハッピーエンドなのだろうかと、問いたい気持ちは残ったのですが・・・皆さんはどう思われましたか?

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2009年4月17日 (金)

私の好きな作品たち~宮藤官九郎編

 ある日、『オーラの泉』を観てみると、ゲストは官九郎さんでした。彼のプロフィールは、

大学在学中、劇団「大人計画」に参加。
2002年、バンド「グループ魂」でメジャーデビュー。
2002年、ドラマ「木更津キャッツアイ」の脚本を担当。
2003年、第41回ゴールデン・アロー賞特別賞を受賞。
2005年、ドラマ「タイガー&ドラゴン」の脚本を担当。
2005年、映画「真夜中の弥次さん喜多さん」で監督デビュー。
2005年、映画「クワイエットルームにようこそ」に出演。

と誰もが観たことのある作品作りをしています。特に若い世代には人気の監督さんです。

毎日欠かさずにすること
 →家族と奥さんに「ありがとうございます」と心の中で言う     Munku3

・好きな言葉
 →低姿勢

・人生の転機
 →大学を中退した時

・一番充実感を感じる瞬間
 →ドラマのシナリオを書き上げて、シーンナンバーをふる時
だそうです。

低姿勢・・・とは以外な言葉でした。「ねばならぬ」が大嫌い、と美輪さん。→やってはいけないことがあると、何でだろうと思う、と宮藤さん。→理由を説明されても納得がいかない。自分で自分を「型」に入れているが、「型」は大嫌い。→ドラマでは「型」にはめるのが嫌。→時代劇にバイクを出したり、と意外性を出している。父親の厳しさは全て「型」、と江原さん。→それを言われ続けていたから、父親という存在があるだけで責められている気がしてしまう。魂のテーマは「型」と江原さん。→型があるか無いか。自分の行動も頭の中で脚本を書いている。→現場の状況に合わせて毎日雰囲気を変えている・・・etc

 こんなふうに人を観察するのはいかがなものか?と思いながらつい見てしまいました。

『木更津キャッツアイ』で騒がれて『大様のブランチ』にも出演していましたね。私なんかは、昔の野田秀樹さんを思い出しました。

頭の構造自体万人と違うのではとまで思いましたね。映画では直木賞を受賞した金城一紀の恋愛青春小説『Go』は、宮藤脚本、窪塚洋介主演、行定勲監督で映画化されました。映画も日本アカデミー賞8部門制覇など、評価の高い話題作になりました。
 
『ピンポン』では松本大洋の漫画を映画化。素晴らしい俳優陣を迎え、友情、情熱、それぞれのトラウマ、そして成長を、笑いを交えて描いた痛快青春映画でした。
 
『69 sixty nine』では69年に高校生だった村上龍の、当時を描いた自伝的青春小説を映画化したものでした。
 
『少年メリケンサック』はNHK大河ドラマ「篤姫」で歴代最年少ヒロインを演じ、いまや押しも押されぬ国民的女優に大飛躍した宮崎あおい(24歳)、同じく「篤姫」や「ラスト・フレンズ」で鮮烈な印象を残した俳優の瑛太(27歳)、さらに「篤姫」や「薔薇のない花屋」、映画『花より男子ファイナル』、主演映画『イキガミ』などクセのある役どころを演じた松田翔太(24歳)、映画『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』や『奈緒子』を皮切りに、ドラマ「貧乏男子 ボンビーメン」「ごくせん 第3シリーズ」「ガリレオΦ」「ブラッディ・マンデイ」とメディアで顔を見ない日がないほど大車輪の活躍だった三浦春馬(19歳)、ドラマ「扉は閉ざされたまま」「1ポンドの福音」「風のガーデン」「男装の麗人・川島芳子の生涯」 と多彩な作品に出演した女優の黒木メイサ(20歳)、「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」や「流星の絆」など高視聴率ドラマで大活躍した女優の戸田恵梨香(21歳)の6名がおりなすコメディ(?)です。もうご覧になられた方が多いと思いますが、ただただ面白い映画です。佐藤浩市さんは三谷監督が壊しちゃったから、また怪しい役で出てきます。
 
 TBS系で10月から放送された金曜ドラマ『流星の絆』も人気作家東野圭吾さんと官九郎さんのタッグが絶妙でした。

 書籍では、宮藤官九郎と「HIGHLEG JESUS」総代・河原雅彦が、「演劇ぶっく」連載コラムを加筆訂正、語りおろしや撮りおろしを加えた『河原官九郎』、『私のワインは体から出て来るの』、永作博美、的場浩司、阿部サダヲ、相田翔子、羽生善治、及川光博等との対談集『妄想中学ただいま放課後』、大人計画サイトにて、5年間で1,064通の相談コーナーの中から約150の悩みと答えをまとめた本『宮藤官九郎の小部屋』などがあり、きっとまた頭がエビみそのようになりそうな本が満載です。

 これからもエンタテイメントとして楽しめる作品を作ってください。

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2009年4月15日 (水)

私の好きな作品たち~いとう斗士八編

 いとう斗士八さんという名前はよく観ますがどんな作品を手掛けてきた脚本家さんなのか、私も実はよく解っていませんでした。でも『家なき子』、お昼の『温泉へ行こう』くらいは知っていますよね。後は2時間ドラマの巨匠といえるほど、単発が多い作家さんなのです。

 ザ・テレビジョン第1回ドラマアカデミー賞最優秀作品賞・ザ・テレビジョン特別賞受賞(ピュンピュン&池田動物プロダクション)・主演女優賞受賞(安達祐実)・主題歌賞受賞対象作品。天使の顔をした11歳の少女は「金」しか信じない悪魔だった!?貧乏と世間の冷たさの中で育った相沢すず(安達祐実)は金に異常に執着するように。家を失った彼女は親類を渡り歩きますが、その先々で受けるイジメと闘いつづけます。脚本の高月真哉は野島事務所の若手。御都合主義の展開が逆に伝統的な物語性の持つ面白さを生み出して中高生を中心に賛否両論の人気をよびました。犬の名前は企画書の手伝いをした龍居由佳里がわが子の名前にしたところそのまま採用されてしまったといいます。「同情するなら金をくれ!」と叫ぶ主人公の台詞は1994年の流行語大賞を受賞しましたね。なお一部資料では、この台詞が「同情するなら金をくれ!」ではなく「金おくれ!」が正しい、との記述があります。本放送開始時の宣伝資料では確かに「金おくれ」との記載がみられます。

 映画では、クリスマス・イヴの夜、すずは相棒リュウの為にケーキを盗み、販売員に捕まってしまいます。人々の嘲りと同情の視線の中、すずを助けたのJansem_work06s は、サーカスの団長・磯貝でした。しかし彼は、身寄りのない子供たちを安く買っては、団員としてこき使っている悪党で、すずもまたそのサーカス小屋に連れて行かれるのでした。ところが、その小屋にはすずの意地悪な叔母・京子と、その娘・真弓がいました。真弓たちのいじめに遭うすず。しかし、そんな彼女に優しく接する少女がいました。その少女の名は恵。実の兄のように慕っている稔という青年と共に、サーカスの花形である空中ブランコ乗りとして活躍している少女です。でも、恵は生れつき心臓が弱く、練習中に倒れてしまいます。そんな彼女を見て稔とすずは、稔の実の父親であるらしい、県会議員の南条に恵の手術代を借りに彼の元を訪れますが、けんもほろろに取り合ってもくれませんでした。そこで、医師・黒崎に頼むことを思いついたすずは、彼の病院へリュウを走らせ、自分は恵の代わりを務めようと、稔の指導の下、空中ブランコの練習に励むのです。「いそがいサーカス」の公演初日、リュウに案内されてやって来た黒崎によって恵の応急手術が行われました。恵は一命をとりとめ、すずも空中ブランコを成功させます。しかし、中央政界への進出をもくろんでいる南条にとって、自分の過去の汚点となる稔と恵は邪魔な存在。そこで、恵が入院した病院の医師を買収して、恵を殺害した南条は、続いて稔とすずをサーカスのテントごと、事故にみせかけて焼死させようと火を放ってしまいます。でもその時、稔が昔愛した女との間に出来た子であることを知った南条は、稔を救おうとして自らの命を落としてしまいます。その後、稔は別のサーカスに入団し、すずはまたリュウと共に孤独な生活に帰っていくのでした。

 私はすずの実直さの裏返しのような言動に今の子供たちの歪んだ心を見たような気がします。信じて欲しい人に信じてもらえない・・・子供にとってこんな残酷な事はないと思います。せめて親が信じてあげないと子供は救われません。子供が出すSOSに気付かないで取り返しのつかない事が起きるケースは沢山あります。誰もがすずの様に芯が通って撃たれ強い訳ではないのです。『家の子に限って』という考え方もどうかと思いますが、安心できる場所が家庭であることはとても大切ですよね。

 でも、もし私に子供がいたら・・・と考えると末恐ろしくなるのですが・・・

 私は子供の頃、全く親にかまってもらえませんでした。兄は何かと問題を起こして叱られていて、それを見て育った私は、「要領がいいのよね」なんて言われ、憤慨したものですが、ただかまってくれない両親の働く姿を見てきただけで、親のような立派な大人になりたいと思っていました。父親に威厳のあった時代の話ですが・・・親を馬鹿にするなんてとんでもない、そんな時代があったのです。だから私は向田邦子さんの作品に惹かれるのかもしれませんね。

 『温泉へ行こう』も、主役の薫ちゃんの頑張りについ『頑張れ!!」と言ってしまう私です。
 割りとミーハーな私なのでした。

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2009年4月 9日 (木)

私の好きな映画~キリング・フィールド (The Killing Fields)

 どうしても忘れられない映画に、以前も紹介したように『キリング・フィールド』があります。

 1949年、シアヌークを元首としてフランスからの独立を果たしたカンボジア。1970年3月、シアヌークの訪ソの隙に乗じて、親米派のロン・ノルがクーデタをおこしました。折からのベトナム戦争を有利に進めたいアメリカはこれをチャンスと見て、ロン・ノル政権を支援すべくカンボジアに侵攻。これに対し、シアヌークは中国にあって祖国の解放闘争を指導し、激しい内戦が展開されたのです。

 1975年4月17日、ポル・ポト率いる共産党勢力、赤いクメール(クKiringfield002 メール・ルージュ)はロン・ノル政権をついに打倒し、民主カンボジア政府の樹立を宣言。しかし、プノンペン解放後、ポル・ポト政権は、極端な共産主義政策を押し進め、住民の強制移住や大量虐殺を行いました。カンボジアはまさに“killing fields”(虐殺の野)と化したのです。

 1973年8月、ニューヨークタイムズの敏腕記者、シドニー・シャンバーグは特派員としてカンボジアに派遣されました。折しも、アメリカを後ろ盾としたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いがいよいよ表面化していました。彼を出迎えたのは、通訳兼ガイド、ディス・プランでした。1975年、いよいよクメール・ルージュが首都プノンペンに迫り、ロン・ノル政府軍は敗退を続けていました。シャンバーグは、プランに家族とともにアメリカに脱出するよう勧めるが、結局妻と4人の子だけを見送り、プランは彼のもとにとどまったのです。

 1975年4月、ロン・ノル政権はついに崩壊。病院を取材したシャンバーグとプランら4人は、帰途クメール・ルージュの兵士たちに捕まってしまいます。しかし、プランが、機転をきかせて3人とも中立の立場を守っているフランスのジャーナリストであると偽ったため、すんでのところで死刑を免れ釈放される。4人は最後の避難所であるフランス大使館に逃げ込む。シャンバーグらは、プランのバスポートを偽造して一緒に脱出しようとするが、写真がうまく焼き付かず、失敗してしまうのです(ここでうるうる・・・)。プランだけが外に出され、降りしきる雨の中、プランは泣きながら去っていきました。この場面は心がちぎれそうな思いで、観ていました。

 タイとの国境を越えて、無事ニューヨークに帰ったシャンバーグは、プランの身の上を案じていました。彼はカンボジアで見たことを書き、ピューリッツァー賞受賞という名誉にも輝きました。しかし、それもみなプランのおかげなのです。彼は、必死になってプランの行方を探しますが、遠いアメリカではどうにもならなかったのです。サンフランシスコに住むプランの家族にも一切連絡はないというし・・

その頃プランは、クメール・ルージュの監視下、強制労働に従事していました。毎日たくさんの人々が殺され、更に多くの人々が飢えと病のために死んでいました。クメール・ルージュはとくに知識人に対してはその撲滅を図っていたため、プランは、外国語を話せることや、ジャーナリストだったことなど、過去についてはひたすら隠していました。

 子どもが親を密告するような異常な状態。考えられますか?クメKiringfield001 ール・ルージュの村では、一切の知識に毒されていない子どもたちこそ、リーダーだったのです。ある時、プランはひそかに牛の血を吸っているところを見つかり、炎天下に放置された彼のもとに一人の少年がやってきて、「ベンツ、ナンバーワン」と言いながら縄を切ってくれます。その少年は、かつてプランがベンツのエンブレムをプレゼントした少年でした。やがて、辛くも脱出したプランは、累々と屍が連なる“killing fields”をさまよい、さまざまな苦労を経て、ようやくタイの難民キャンプにたどり着きました。

 それは1979年秋のこと。シャンバーグはついにプランの消息をつかみ、キャンプを訪れます。4年ぶりの再会できたのです。功なり名とげたアメリカ人と、苦闘と死の恐怖にさいなまれたカンボジア人。そこには、国境も、戦いも、体制も、すべてを超越した友情だけがありました。
 最後の再会のシーン、どこからともなく『イマジン』が流れてきます。もう嬉し涙があふれてしまい、『イマジン』はそれから私には欠かせない曲となりました。イマジンも良かったですが、途中、途中で流れる効果音で私は背筋がぞーっとするほどまさにピッタリのサウンド・エフェクトでした。

 ニューヨークタイムズ記者としてカンボジア内戦の混乱をルポし、ピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの実体験を、デビットパットナムが企画し、ローランド・ジョフィが見事に映像化しています。もう一度観たいですが、これは映画館で観なければ臨場感の伝わり方が違ってしまうと思います。

 この映画で私はいろいろなことを考えました。国境を越えた友情、人を蝕むだけも戦争、プランの忍耐、子供と大人の逆転、荒れ果てた地にどっさり置かれた人骨・・・友情以外に美しい物は何も無かった・・・だからなおのこと、プランがシャンバーグに駆け寄り、あのちいさな身体を大きなシャンバーグに飛びついた時の感情は手に取るように伝わってきたのだと思います。目を背けたくなるシーンの沢山ありますが、私達はそこから逃げてはいけないのだと思いました。世界のどこかでまだこのような惨劇が繰り返されているのですから・・・

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2009年4月 6日 (月)

私の好きな映画たち~レインマン

 私は自閉症に近い症状を起こした事があるので、『レインマン』を観た後、すぐ立ち上がれないほどの衝撃を受けました。
 1988年公開の映画ですから、若い方はご存知ないかもしれませんが、原作のバリー・モローはロナルド・バスと共同で脚本を執筆し、主演はダスティン・ホフマン、トム・クルーズでした。第61回アカデミー賞と第46回ゴールデン・グローブ賞、さらに第39回ベルリン国際映画祭においてそれぞれ作品賞を受賞した素晴らしい作品です。

 26歳の中古車ディーラー、チャーリー・バビット(トム・クルーズ)は、恋人スザンナ(ヴァレリア・ゴリノ)とのパーム・スプリングへの旅の途中、幼い頃から憎み合っていた父の急逝の訃報を耳にし、葬儀に出席するため、一路シンシナティへと向かいました。そしてその席で、チャーリーは父の遺言書を開封し、自分に遺されたものが車1台と薔薇の木だけという事実に衝撃をうけます。同時に300ドルの財産を与えられたという匿名の受益者の存在を知った彼は、父の管財人であるウォルター・ブルーナー医師(ジェリー・モレン)を訪ね受益者の正体を聞き出そうとしますが、医師はそれを明かそうとはしませんでした。

 諦めて帰ろうとするチャーリーは、スザンナの待つ車の中にいReinnmann たレイモンド(ダスティン・ホフマン)という自閉症の男と出会い、やがて彼こそが受益者であり、自分の兄であることを知るのです。記憶力に優れたレイモンドをホームから連れ出したチャーリーは、スザンナも含めて3人でロスヘ旅することにしました。

 ところがある日、チャーリーが遺産を自分のものにするためレイモンドの面倒を見るつもりでいることを知ったスザンナは愕然とし、チャーリーのもとを去ります。兄の後見人となることで遺産の半分を所有しようとするチャーリーは、飛行機嫌いのレイモンドとともに車で旅をすることになりましたが、ある日モーテルに泊まった夜、彼こそがチャーリーの幼い頃の辛いばかりの思い出の中で、唯一心なごませる存在であった“レインマン"であることを知り胸つき動かされ、スザンナに電話で兄の本当の後見人になる決意を伝えました。
 チャーリーとレイモンドがバスルームで歯を磨いていたとき、レイモンドが歌った『歯がガタガタのレインマン・・・』という歌をチャーリーもかすかに覚えていて、一緒に歌い、幼い頃別れ別れになった兄の存在を思い出すのです。こうして兄弟の熱い絆で結ばれた2人は、ラスベガスに立ち寄り、レイモンドの抜群の記憶力でカードで大金を得ました。またチャーリーは、レイモンドが好意を抱いた娼婦アイリスとのデートのセッティングをしたり、ダンスを手ほどきしたりしますが、結局彼女は姿を現わしません。落胆するレイモンドをスザンナは優しくなぐさめ、彼と一緒にダンスをし、2人は静かに唇を重ねました。
 しかしロスに到着した2人を現実の荒波は容赦なく押し寄せ、やがてレイモンドとチャーリーは、兄として弟として、それぞれの路を歩み始めることになるのでした。
 レイモンドが施設へ帰ることが決まり、見送りに行ったチャーリーは『愛してるよ。』と言い、レイモンドは『ベストフレンドだよ』と・・・レイモンドにとってはそれがぎりぎりの言葉だったのだと思います。話によると、最後のセリフはアドリブだったとか・・・
さすがダスティン・ホフマンですね。
 
 そこで自閉症について少々。

・言葉の発達のおくれ…
生涯ひとことも話さない人もいるし,話せても,反響言語(オーム返し)や紋切り型のことばだったりする。また,身振りや表情など別の方法を用いたコミュニケーションもほとんどしない。
・対人関係の困難さ…
乳児期には抱かれるのを喜ばないとか,幼児期になって呼びかけられても振り返らないとか,相手と視線を合わせようとしないなど。学童期や青年期になっても,相手の気持ちを理解できず,友だちと協調して遊ぶことができない 。
・アンバランスな感覚…
身体に触られることには過敏に反応して嫌うのに,けがの痛みには平気だったりする。また,赤ちゃんの泣き声や犬の吠え声など日常的な音をひどく不快がって泣き叫ぶこともあれば,ガラスや金属が擦れ合う音など一般の人には耐え難いような音にはケロッとして平気でいたりする。
・活動や興味の範囲が狭い…
手をひらひらさせたり,紐を目の前にかざして振ったり,身体を前後に揺すったりなど,反復的な動作を繰り返す。また,ミニカーやブロックなどを横一列に並べたり,水道の水を出しけてながめていたりするのに没頭して,他の遊びに興味や関心が広がらない。
・アンバランスな知的機能…
知的機能の水準は個人差があり,発達水準の低い人が多いが,一部の機能が全体の能力と比べて不釣り合いなほど優れていることがある。たとえば,ジグソーパズルや神経衰弱ゲームがやたらと得意だったり,何年も先の暦が全部頭に入っていたり,手芸や絵画がとても上手だったり…。
・変化に対する不安や抵抗…
ものを置く位置や歩く道順,着替えの手順,生活の日課など,決まったやり方にこだわって変化に強い不安や抵抗を示す。

このようにして見てみると,自閉症の人に関わる側の立場の者にとって,彼らの“問題行動”と呼ばれている,いわゆる困った行動をどのように理解するかがとても重要です。
 ここで大切なのは,『問題行動には,意味がある』ということだと思うのです。問題行動が生じた背景にはいったい何があったのかを、冷静に見極める必要があると言えます。

そういった意味で私の問題行動にも,意味があったのでしょう。生活の日課など,決まったやり方にこだわって、変化に強い不安や抵抗を示す・・・その通りに私の行動パターンは決まっていて、そのリズムを壊される事が不安でたまりませんでした。

一度強い恐怖の体験をしたことが、私の場合トラウマとなってそういう行動を起こしたのだと思います。と同時にレイモンドも幼いころ、弟にやけどに似た体験をあじあわせていたと思われますね。それが原因だったかどうかは私の想像ですが、生まれつきの自閉症ではないと私には思えます。

 バリアフリーといっても、障害者には開かれていない扉がいくつもありますね。乗り越える本人の意思も大事ですが、普通に生きている方々にも今一度考えていただきたい問題ですね。そういう意味で『レインマン』を観てみてはいかがでしょうか。

 

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2009年4月 3日 (金)

私の好きな俳優たち~イッセー尾形編

 この方の芸を観て笑わない人がいるでしょうか、面白い方ですよね。一人芝居のスタイルを確立し、日本における一人芝居の第一人者となりました。現在では日本国内のみならずアメリカやヨーロッパといった海外でも巡業を行っている。また一人芝居の他にも桃井かおりさんや小松政夫さんとの二人芝居、映画、ドラマ・CM・司会、小説の執筆、絵画など幅広く活動を行なっています。

 基本的に最小限の小道具と衣装だけで芝居を行い、内容は日常の中にあるユーモラスな人物とのかけあいが主で、演目名をのぞいて状況説明などは一Issei001 切行われなません。最初のうちはシチュエーションを把握するのに多少手間取りますが、軽妙な語り口と演技の巧みさに引き込まれるうちに自然と状況が理解できるようになるから不思議ですね。大まかな設定や筋書きはあるものの、セリフのほとんどはアドリブだそうで、観ていても、「ああ、こんな人いるよね。」と共鳴できてしまうんですよね。

 『意地悪ばあさん』は1982年にレギュラー番組が終了した後、月曜ドラマランド枠の単発スペシャルが放送されましたが、1983年10月の第1作で早野は警察をクビになって波多野医院(ばあさんの長男が経営する医院)の事務長になっています。でも不評だったのか1984年4月の次作以降は警察官に戻っている。それほどイッセー尾形=早野巡査のイメージは強かったということですね。

 また、「お笑いスター誕生!!』では、人間を体現、描写した漫談なので、完全な玄人向け。上手いなあとは思いながらも、あまり笑うことは出来なかった。審査員にも、よく「芝居が上手すぎて、笑うことが出来ない」と言われていたそうです。

 あるドラマで脇役として出ていたことがあるのですが、確かに主役より目立っていました(笑)。それもそのはず、ドラマや映画が放す訳ありませんよ。純然たる主役でいきたいところで、2005年:桃井さんと共に昭和天皇役で出演したロシア映画『太陽』(アレクサン
ドル・ソクーロフ監督)が、ベルリン国際映画祭で上映されました(日本では2006年公開)。

 映画では、
『会社物語 MEMORIES OF YOU』(1988年 日本)
『未来の想い出 Last Christmas』 (1992年 日本)
『企業戦士YAMAZAKI』(1995年 Vシネマ)山崎宅郎役 ※初主演
『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年 台湾・日本)
『それから』
『そろばんずく』
『悲しい色やねん』
『トニー滝谷』(2004年 日本)
『晴れた家』(2005年 日本)                                                     Isasei002
『太陽』(2005年 ロシア)昭和天皇役
『ホームレス中学生』(2008年 日本) 田村一郎役
等があり、いい味を出してくれています。ドラマでは
NHK連続テレビ小説『凛凛と』
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』
NHK銀河テレビ小説『まんが道』
NHKドラマ新銀河『くろしおの恋人たち』、『やさしい関係』(主演)
『意地悪ばあさん』(フジテレビ、レギュラー番組:1981年~1982年、単発スペシャル:1983年~1989年)
『藤子不二雄の夢カメラ』(1986年3月3日、1987年3月2日)ヨドバ役 
『ビートたけしの学問のススメ』
『お坊っチャマにはわかるまい!』(1986年 TBS)
『都会のタコツボ師』1~3
『男たちの運動会』
『ラベンダーの風吹く丘』
『花へんろ』
『くらげが眠るまで』(CS放送「イッセー尾形が来た!」内ミニドラマ、1998年~1999年:共演は永作博美)
『イッセー尾形の「たった二人の人生ドラマ」』(NHK総合、2006年8月13日、制作NHK福岡放送局)
共演は大泉洋、石田ゆり子、小松政夫。福岡市・中州の屋台を舞台にした即興の二人芝居。
等に出演し、完全に個性派路線にと思いきや凡人の役がこれほどおかしいと思える人も非常に稀で、確かに顔だけ観ると普通のサラリーマンなのですが普通に見えないのですから困ってしまいます。一度でも彼の一人芝居を観たことがある人ならば、そのおかしさは伝わっているでしょう。

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2009年4月 1日 (水)

私の尊敬する大統領~ジョン・F・ケネディ編

 私はケネディ大統領の英語はとても美しく、聞きやすいものだというところから興味っを持ち始めましたが、まもなく死去され、本当に残念でなりませんでした。幼い私は『ジョン・F・ケネディ』と名付けられた文庫本を買い、読めない漢字が多い中、夢中で読んだり、暗殺についてのドキュメントを何度の見たりしていました。

 ケネディ中尉が率いる魚雷艇、PT-109は、1943年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西を哨戒していた時に、大日本帝国海軍の駆逐艦・天霧との偶発的な接触事故によって船体を引き裂かれました。彼は痛めていた背中からデッキにたたきつけられましたが、負傷者を命綱で結びつけ3マイル遠泳して、なんとか小さKenedi001 な島にたどり着いたと言います。その接触事故を目撃した僚艇の乗員は、PT-109の乗員全員の戦死を確信し、基地に帰還後の報告でも乗員全員の戦死を報告(天霧側でも艇員全員が戦死したものと思い込んだ)。ゆえに友軍の捜索・救出開始まで一週間近くかかってしまい、助かったPT-109の乗員たちは飢えと渇きに苦しみました。そして、友軍による数日の探索後に島民2人に出会い、ココナッツに刻んだメッセージが元で救助された(このココナッツは後年、ホワイトハウスの執務室に暗殺の日まで置かれていたといいます)。この時の部下を見捨てなかった勇敢な行動が、後の政治家としての資質評価に大きく寄与したとされました。

 1960年11月8日の大統領選挙は歴史に残る接戦でリチャード・ニクソンに勝ちますが、43歳で当選したケネディは最も若い大統領および最初のカトリック教徒でした(セオドア・ルーズベルトはケネディより若い42歳で大統領になったが、ウィリアム・マッキンリーが暗殺された後を埋めるため自動的になったもので、選挙で選ばれた大統領はケネディが史上最年少です)。その選挙運動に関するセオドア・H・ホワイトの1961年の著書『 TheMaking of the President 1960 』は、ベスト・セラーであるだけでなく、しばしば高校と大学のアメリカ政治と歴史のコースの中で補足のテキストとして使用されているほどです。

 ケネディはキューバ危機が去った1963年6月10日に、アメリカン大学の卒業式において『平和のための戦略 (THE STRATEGY OF PEACE)』という演説を行ないました。この演説の中でケネディは、「私の言う平和とは何か? 我々が求める平和とは何か? それはアメリカの戦争兵器によって世界に強制されるパックス・アメリカーナではない。そして墓場の平和でもなければ奴隷の安全性でもない。(中略) ソ連への我々の態度を再検討しようではないか。(中略) 我々のもっとも基本的なつながりは、我々全てがこの小さな惑星に住んでいることである。我々はみな同じ空気を呼吸している。我々はみな子供たちの将来を案じている。そして我々はみな死すべき運命にある。(中略) 我々の基本的、長期的なジュネーブでの関心は全面的かつ完全な軍縮である。この軍縮は段階的に行われるよう計画され、平行した政治的な進展が兵器に取って代わる新たな平和機構を設立することを可能にするものである」と語りました。
 さらに米英ソの間で核実験禁止条約に関する話し合いを始めることを明言し、「他の国が核実験をしない限り、アメリカも再開することはない」と宣言しました。この演説はノーカットでソ連の新聞やラジオで伝えられました。その後、1963年7月25日、米英ソの間で部分的核実験禁止条約 (PTBT) を締結することになるのです。

 ケネディの失敗はベトナム戦争を止めなかったことだと散々聞かされていましたが、果たしてケネディ大統領の思惑はどこにあったのでしょう。ケネディはベトナム戦争からの早期撤退の可能性を検討し始めていました。1963年9月3日に、ケネディはテレビのインタビューに対し、「サイゴン政府が国民の支持を得るためにより大きな努力をしなければこの戦争には勝てない。最終的にはこれは彼らの戦争だ。勝つか負けるかは彼らにかかっている。我々は軍事顧問団を送り、武器を援助することはできる。しかしこの戦争―ベトナム人対共産主義者の戦い―で実際に戦い勝たねばならないのは彼ら自身なのだ。我々は彼らを支援し続ける用意はある。しかしベトナム国民がこの努力を支持しなければこの戦争には勝てない。私の見るところ過去二ヶ月の間にサイゴン政府は民衆から遊離してしまっている」と答えました。

 そして10月31日には、「1963年の末までに軍事顧問団を1000人引き揚げる予定」であることを発表ししました。そして11月の反ディエムクーデターの後には、マクナマラ国防長官が年内の1000人の顧問団の引き揚げを再確認するとともに、1965年までの軍事顧問団の完全撤退を発表しましたが、ケネディ暗殺のため撤退計画は頓挫したと言われています。
 2003年発表のドキュメンタリー映画「The Fog of War」では、マクナマラ国防長官とジョンソン大統領の電話の録音記録が紹介され、ジョンソンがケネディのベトナム撤退に強く反対であったことの直接的な証拠を提示しています。アメリカによるベトナムへの軍事介入
はジョンソン大統領によってより増強され、泥沼化したというのが事実なのです。

 また、人種差別の問題では、ケネディはそれまでは議会との対立を避け公民権法案の提出を見合わせていましたが、アラバマ州立大学に2人の黒人学生が入学した1963年6月11日夕方、公民権運動を助けるためにより強い処置を講ずる時期が来たと決断し、議会へ新しい公民権法案を提案、テレビで大統領執務室から直接国民に訴えかけました。「リンカーン大統領が奴隷を解放して以来100年間の猶予が過ぎた、彼らの相続人、彼らの孫は完全に自由ではない」と言いました。アメリカは多くの国家および背景の人、そして人は皆平等に作られたという原理によって設立されたことを訴え、ケネディはアメリカ人がみな彼らの皮膚の色にかかわらず、アメリカで幸福な生活を楽しむべきであることを明らかにしました。この演説の中でケネディは人種差別を単なる憲法や法律上の問題ではなく、「道徳的危機」であると断じたのです。
 ケネディは議会に対する説得にも力を入れました。6月19日に法案を議会に送るとともに、法案に関する特別メッセージを送りました。その中でケネディは「この法案の提出は、単に経済的効率のためでも、外交的配慮のためでも、ましてや国内の平穏を保つためでもない。ただ何よりもそれが正しいことだからだ」と訴えました。この公民権法はケネディ政権下では成立しませんでしたが、人種差別廃絶に対し積極的な姿勢を持っていたジョンソン政権下で議会を通過し、1964年、公民権法として成立することとなりました。

 これほど愛された大統領がいるでしょうか・・・

なのに暗殺事件・・・暗殺の理由と暗殺者は多くの説があり、いまだに結論が得られていなません。その主な原因は、証拠物件の公開が政府によって不自然にも制限されたり、また大規模な証拠隠滅が行われたと推測できる事象が多くあるためです。例えば、暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、ダラス市警察本部でジャック・ルビーに射殺されました。この射殺事件にもケネディの暗殺事件の真相の隠蔽行為(口封じ)であるとする意見があります。暗殺事件の最初の公式調査委員会は、事件の一週間後1963年11月29日にリンドン・B・ジョンソン大統領によって招集された。その委員会は、最高裁長官アール・ウォーレンによって率いられ、ウォーレン委員会の名称で知られるようになりました。10か月の調査後、1964年9月末にウォーレン委員会報告書が公表されます。委員会はリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行と結論付け、いかなる個人、団体、国家の共謀を示す証拠は発見できなかったとしました。オズワルドの単独犯行説はローン・ガンマン・セオリーと呼ばれます。委員会は暗殺時に三つの弾丸が発射れ、二発の弾丸がケネディ大統領とコナリー知事を命中。その弾丸は全てリー・ハーヴェイ・オズワルドがパレード車列の後方にあったテキサス教科書倉庫から発射した物として結論を下しました。

委員会の判断:
・一発は車列から外れたと考えられる。(三発の内の何射目かは特定できない。)
・ケネディ大統領の上背部に命中した弾丸は、首の正面近くに貫通し、コナリー知事を負  傷させたと思われること。
・最後の弾丸は大統領の頭部に命中し致命傷となったこと。

 ウォーレン委員会の報告による致命傷を与えた銃弾の方向Kenedy002 (魔法の銃弾)委員会は教科書倉庫の6階で3つの薬莢が発見されたことに注目しました。また、ライフル銃は近くに隠されたことが判明した。委員会はケネディとコナリーは別々の弾丸で傷つけられたのではなく、両者とも同じ弾丸で傷ついたとするのが適当だと提示した。弾丸はほとんど形状を保ったまま担架(stretcher)の左腿付近から発見された。この説はシングル・バレット・セオリーとして知られるようになった。いくつかの弾道の証拠は弾丸がそのような軌道を描くことが可能であると示唆したが、多くの主張がこの点で一致しない。魔法の銃弾は1発の弾丸がそのような多くの銃痕を残すのは不可能であることを揶揄的に表現したものです。委員会はさらにセキュリティ面の不備を指摘した。指摘は大統領が旅行する際のセキュリティ増加に帰着しました。銃弾の入り口とされるコナリー知事の背部(右半身)の傷は、出口とされる胸部(右半身)の傷より小さかった。銃弾の入り口とされる右手首(甲側)の傷は出口(掌側)よりも大きかったといいます。この問題について、胸部を貫通した銃弾が回転し、前後逆に手首に侵入したとする「回転説(Tumbling Theory)」がありました。

 暗殺の真相は未解明であり、様々な陰謀説が流れています。ケネディの暗殺は現在に於いてもアメリカ社会に暗い影を投げ掛けているのです。
 ケネディ本人を始めとして、
実弟のロバート・ケネディは1968年の大統領選挙の予備選中に暗殺。
末弟のエドワード・ケネディはチャパクィディック事件で政治家としての求心力を失う。
実の妹のローズマリー・ケネディはロボトミー手術を無理やり受けさせられ、知能が後退して性格が粗暴になる(2005年死去)。
息子のジョン・F・ケネディJr.は自家用機を操縦して別荘へ向かう途中、大西洋上で墜落し不慮の死を遂げている。

等、多くの家族が不慮の死を遂げたり、不幸に見舞われていることから『悲劇のケネディ家』と言われています。

 私より上の世代にとってもやりきれない思いを心のどこかに隠している人たちがきっといると信じています。ジョン・レノンの死も強烈な印象を多くの若者に残しましたね。

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2009年3月27日 (金)

私の好きな映画監督~北野武編

 武さんのねたはピンからキリまでありますが、私はあえて映画人の武さんに注目しています。それから俳優としても。

 1997年、映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞。発表直後、たけしさんは「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画目指す者に刺激になったと思う」と語りました。授賞式では「また日伊同盟を組んで他国を攻めよう」と英語でスピーチ。帰国時の記者会見で現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して笑いをとりましたね。

 その後、2005年4月、フランスの『カイエ・デュ・シネマ』創刊600号記念号の特別編集長を務めるようになりました。。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めRock184 た映画監督は、ジャン=リュック・ゴダール(300号)、ヴィム・ヴェンダース(400号)、マーチン・スコセッシ(500号)などがいます。

 2005年4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の教授および映画専攻長に就任しました。

 「キタノ映画」のビジュアル面での最大の特徴は、「キタノブルー」と評される青の色使い。また、多くの作品で登場人物の「死」が描かれ、青みの深い画面のもたらすひんやりした映像感覚とあいまって、全編に静謐な不気味さを醸し出しています。
 こうした一貫したカラーを持つ一方で、撮影時のアングルや編集のリズム、自身の絵画の導入、CGによるエフェクトなど、一作ごとに新たなチャレンジや創意も感じさせる。映像に一層の格調高さを与えている久石譲の音楽(3作目以降)も「キタノ映画」には重要な存在です。監督作品については、

・その男、凶暴につき(1989年)
ヨコハマ映画祭・監督賞
(第63回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第8位、第11回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第2位)

・3-4×10月(さんたいよんえっくすじゅうがつ)(1990年)
トリノ国際映画祭・特別賞
(第64回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第12回コハマ映画祭日本映画ベストテン第4位)

・あの夏、いちばん静かな海。(1991年)
第46回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第13回ヨコハマ映画祭・作品賞、監督賞
第65回キネマ旬報賞・読者選出日本映画監督賞
第16回報知映画賞・最優秀監督賞
第34回ブルーリボン賞・作品賞、監督賞
(第65回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第6位、第13回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第1位)

・ソナチネ(1993年)
タオルミナ国際映画祭・「カリッディ金賞」
コニャック国際映画祭・批評家賞
※イギリス国営放送BBC「21世紀に残したい映画100本」に選出
(第67回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第4位、第15回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位)

・みんな?やってるか!(1995年)

・キッズ・リターン(1996年)
第51回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第39回ブルーリボン賞・監督賞
第7回文化庁優秀映画作品賞・長編映画部門
第6回日本映画プロフェッショナル大賞・監督賞
(第70回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第2位、ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第1位)

・HANA-BI(1998年)
ヴェネチア国際映画祭・グランプリ(金獅子賞)
ニューヨーク国際映画祭・ヨーロピアン・アカデミー賞「スクリーン・インターナショナル賞」
サンパウロ国際映画祭・批評家賞
オーストラリア映画批評家協会賞・外国作品賞
第53回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
報知映画賞 邦画部門・最優秀作品賞、最優秀監督賞
第41回ブルーリボン賞・作品賞、監督賞
第49回芸術選奨・文部大臣賞映画部門
(第72回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、第20回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位)

・菊次郎の夏(1999年)
第54回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第1回文化庁優秀映画賞・長編映画部門優秀映画賞
(第73回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第21回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第5位)

・BROTHER(2001年)

・Dolls(2002年)
ダマスカス国際映画祭・最優秀作品賞
第4回文化庁優秀映画賞・長編映画部門優秀映画賞

・座頭市(2003年)
ヴェネチア国際映画祭・監督賞
シッチェス・カタロニア国際映画祭・グランプリ
トロント国際映画祭・観客賞(グランプリ)
第58回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞
第77回キネマ旬報賞・読者選出日本映画監督賞
(第77回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位、第25回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位)

・TAKESHIS'(2005年)

・監督・ばんざい!(2007年)
ヴェネチア国際映画祭・監督ばんざい!賞
アキレスと亀(2008年)
テサロニキ映画祭・ゴールデン・アレクサンダー賞(同映画祭の大Rock026 賞で、最優秀作品賞もしくは名誉賞にあたる。)
パストーネ・ビアンコ賞2008(白い杖賞)

とありますが、私は『あの夏、いちばん静かな海。』が大好きです。他の作風とは違って、映画評論家の淀川長治氏は「ビートたけしと言う人は、お年寄りの事を馬鹿にしたりするので嫌いだったが、この映画を観て考えが変わった、一度会いたい」という旨の発言をしていましたし、また蓮實重彦氏もこの映画を絶賛しています。

たけしさんが『文藝春秋』で勝新太郎と対談した際(これは1994年文芸春秋社刊行の勝新対談集「泥水のみのみ浮き沈み」に収録された)、勝氏から「お前、この映画撮ってて気持ち良かっただろ。でも観る側にすれば、これ程キツイものはないよ」と言われました。 黒澤明に高評価されたが、一方でよくわからないラストシーンはいらなかったと指摘されます。これに対して武さんははサービスだったとしています。(「黒澤明が語る日本映画論」より)
 脚本家の笠原和夫氏は当初この映画を酷評しましたが、後に北野映画全体への評価を改めています。その際に脚本執筆についての要諦をまとめた「骨法十箇条」を記しました。

 『座頭市』も爽快でよかったですね。私も淀川さん同様好きなこと言ってる嫌な人だと思っていましたが、年々好きになってきた方です。俳優としても、もっと活躍して欲しいですね。歳をおう毎に魅力的になる俳優さんを私は大好きです。

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2009年3月25日 (水)

私の好きな俳優たち~とよた真帆編

 学習院女子高等科在学中にモデルの仕事をはじめ、89年CX「愛しあってるかい!」で女優デビュー。テレビ、映画、舞台に出演する一方、写真や絵画の個展を開くなど幅広く活躍。また、ディノスで洋服やアクセサリーなどのデザインを手掛ける「MAHO*STYLE」をプロデュースしています。2002年映画監督の青山真治さんと結婚。来年フランスで開催される世界の映画監督による「ランヴェール・ド・ラ・トワル」展では夫婦でコラボレートするとが決まっていました。現在、NHKハイビジョン特撮ドラマシリーズ「生物彗星WoO」、NHK教育テレビ「イタリア語会話」に出演中なんです。ここ数年で急成長を遂げ、連続ドラマだけでなく、単発2時間ものでよく見ていました。元々私が真帆さんを好きになったのはモデル時代からで、あどけない顔が印象的でした。あっという間にテレビのあちこちで見るようになり、髪型やきている服までチェックするようになりました。 『一に睡眠、二に食事。どんなに忙しくてもこれさえ充実していれば、絶対に文句を言わないし、毎日を気持ちよく過ごせるんです。』と言う真帆さん。気取ってなくて3枚目も時折見せ、主役も脇役もこなせる役者さんですね。

 <連続ドラマ>
1989/09~12 フジテレビ「愛しあってるかい」                                 Maho002
1990/01~03 TBS「トップスチュワーデス物語」
1990/10~12 フジテレビ「すてきな片想い」
1994/04~06 TBS「パパとなっちゃん」
1991/07~09 TBS「結婚したい男たち」
1993/01~03 テレビ朝日「いちご白書」
1994/01~03 TBS東芝日曜劇場「Sweet Home」
1994/04~06 テレビ朝日「彼と彼女の事情」
1994/10~12 TBS「夢みる頃を過ぎても」
1995/01~03 日本テレビ「ステイション」
1995/03~08 NHK「宝引の辰捕者帳」
1995/07~09 TBS東芝日曜劇場「パパ・サヴァイバル」
1996/04~06 日本テレビ「竜馬におまかせ!」
1997/02~03 NHKドラマ新銀河「名古屋お金物語2」
1998/01~03 TBS「SWEET SEASON」
2000/07~09 日本テレビ「億万長者と結婚する方法」
2001/07~09 テレビ朝日「生きるための情熱としての殺人」         
2002/05~06 フジテレビ「空から降る一億の星」(第6話~)            
2003/01~03 TBS「刑事★イチロー」
2006/04~ NHKハイビジョン/特撮ドラマ「生物彗星WoO」
2006/11~12 TBS 日曜劇場「鉄板少女アカネ!!」
2007/05~06 NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」
2007/07~09 テレビ朝日「警視庁捜査ファイル さくら署の女たち」
2008/04~06 テレビ東京「密命 寒月霞斬り」
2008/07~09 テレビ東京 ドラマ24 「ウォーキン☆バタフライ」

これだけでも凄いのに単発の数は連続を上回っています。
 連続では、推理のも、サスペンスものが多く、推理作家、推理好きのカメラマンなどは印象的です。最近は洋服やアクセサリーなどのデザインを手掛ける事のほうがお忙しいのか、あまり見かけません、残念です。でも結婚なさったのですね、良かった、良かった!
まさか女優業をおやめになった訳ではないですよね。元気な顔を見せてください!!

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2009年3月19日 (木)

私の好きな俳優たち~仲間由紀恵編

 最初は綺麗なだけの女優さんかと思っていました。とことが、『トリック』を見てえ~っとあのボケぶりにすっかり酔ってしまい、『お前のやったことは全部お見通しだ!』などと言って私の天然ボケをごまかしていたりしました。上田次郎役の 阿部寛さん、矢部警部役の 生瀬勝久さんもとてもおかしくて実に肩の凝らないドラマでした。脚本も 堤幸彦氏から鬼頭理三氏など、第3シリーズまでで10人近い方々がおられました。札幌だからなのでしょうか、人気シリーズなのに深夜番組だったのは。

 どちらが先になるのかはっきりしないのですが、『神様、もう少しNakama005 だけ』で宮沢りえちゃんの妹役でちょっと意地悪な役をやっていた時は別人かと思うほど冷たい女の子の役で綺麗なだけじゃダメよなんて思ったこともありましたが、圧倒的に私が仲間さんを好きになったのは『ごくせん』でした。宇津井健さん曰く『かつて赤いシリーズで共演した山口百恵を彷彿させる存在感』と絶賛していました。学園ものでは私は一番に挙げたいですね。ヤクザやさんの娘や孫が教師だったり、警官だったりするのはあり得ないようですが、これから出てくるかもしれませんよね。

 仲間さんのブレイクは女優としての演技力の認知によるもので、歌手やアイドル活動によるものではないのです。結果的にむしろアイドル路線を追求しなかったことが後発ながらも巻き返しに繋がりました(同時期にともさかりえや深田恭子がいました)。そのステイタスは今や同世代タレントではトップの座に君臨するまでとなり、主にコメディをはじめ幅広い演技力、存在感ともに認められた地道な戦略が功を奏したといえるでしょう。

仲間さんの演技力は『リング0 バースデイ』の山村貞子役のオーディションに合格してから見出されました。その後『TRICK』で注目され、『ごくせん』で大ブレイク。2作はその後のホームグラウンドとも位置づけられるコメディの作品で、共演者に恵まれたこともあり、彼女を一気にスターダムへと押し上げた。『TRICK』では共演の阿部寛との絶妙な掛け合わせにより、コメディを得意分野にすることに成功しました。『ごくせん』では『おしゃれカンケイ』出演の際、苦労したことに「怒る演技」をあげています。理由は日常生活で怒って声をあげたことがなかったため、ということだった。『ごくせん』(特に第2期)でのブレイク以降は、“視聴率の女王”と呼ばれるまでになっています。その後『ザテレビジョン』のドラマアカデミー賞主演女優最優秀賞を幾度となく受賞しています。

 透き通るような透明感のある声が特徴で、女優として本格始動する前は、事務所の意向と言われているがアニメ声優をメインに力を入れており、1998年までは「現役女子高生のアイドル声優」ということになっていました。でも、彼女がかつてアイドル声優として活動していたことは、女優として成功しましたが、今となってはほとんどのプロフィールに記載されていません(例えば、日本放送出版協会が発行している大河ドラマ『功名が辻』のドラマストーリーにおいても、声優としてのプロフィールは一切書かれていません)。
ただし、仲間さん自身が過去の声優業を否定した事はないそうです。キャリア等を踏まえても、大河ドラマ3回目の出演にして主役登板になったことはかつNakama002 てない抜擢的な要素が強いそうです。
 大河ドラマにおいて女優が主役となったのは1994年の『花の乱』の三田佳子以来であり(ちなみに『利家とまつ?加賀百万石物語?』のまつ役・松嶋菜々子は準主役。主役は利家役・唐沢寿明)、他に過去に主役として名を連ねたのは松坂慶子、大原麗子、佐久間良子ら大女優ばかかりです。

 そう、あなたはもう大女優さんんです!!ハードなスケジュールだと思うので、身体に気をつけて・・・

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2009年3月14日 (土)

私の好きな俳優たち~江守徹編

 またひさびさに渋い方の紹介です。私が江守さんが凄い!!と思ったのは子供のころ、NHKの『お母さんと一緒』で朗読をするお兄さんとして観た時です。何の小道具も使わないで江守さん自身が身体一杯を使ってそして声もトーンを変えることで何人もの人が存在したかのようにお話を進めていくのは思わず、引き込まれていました。何十年も前のことなのに鮮明に覚えています。

 いろんな役をやってきたからなのか、悪人、善人どちらのイメージが強いかと言われても答えられません。ただ、凛としたところのある方なので時代劇Emori002 には欠かせないですね。まだ意味も解らず『樅ノ木は残った』や『 新・平家物語』『元禄太平記』など、観ていた記憶があります。でも実は江守さん、脚本家・翻訳家・演出家でもあるのですね。『アマデウス』(ピーター・シェーファー原作)の翻訳をされていますね。

 同級生に吉田日出子さん、出崎統氏がいます。同高校卒業後、19歳で文学座に入り、早くから俳優志望でしたが、当時の東宝などの「ニューフェース」という言葉が嫌で、偶々杉村春子や宇野重吉など、それらと違う新劇俳優の道を知ったのが文学座へ入った理由。風貌と演技力が買われ、次第に頭角をあらわしました。以後、テレビや舞台において俳優・演出・台本などをこなす実力派俳優となりました。

 特に実践から培われたシェイクスピアの演劇論はかなり専門的で、大学での演劇論の出前講座を受け持ったほどです。1991年には「魔笛」で初のオペラの演出を手掛けてました。

 文学座では「オセロー」「シラノ・ド・ベルジュラック」といった作品に出演するほか、「欲望という名の電車」などを演出。テレビやCMなどナレーションの仕事も多数。主な映画出演作に、『社葬』(1989)、『39 刑法第三十九条』(1999)。声優として出演した作品には『東京ゴッドファーザーズ』(2003)、『パプリカ』(2006)があります。

 『シラノ・ド・ベルジュラック』においては、2007年(平成19年)は、文学座にとって創立70周年の記念すべき年になります。1937年9月6日に産声を上げた文学座。その記念公演の第一弾として『シラノ・ド・ベルジュラック』を上演致します。『シラノ・ド・ベルジュラック』は言うまでもなく、エドモン・ロスタンの戯曲作品として遍く知られている作品です。17世紀に生きた実在の人物シラノ・ド・ベルジュラックを主人公に描かれていた戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』は、1897年12月27日、パリのポルト・サン・マルタン座に於いて歴史的な初演を迎えました。それから119年の月日が経過し、文学座も記念の年に『シラノ・ド・ベルジュラック』を上演するわけですが、この作品自体も文学座にとっては記念碑的作品と言っても過言ではありません。
 文学座が『シラノ・ド・ベルジュラック』を初めて上演したのは1951年(昭和26年)。辰野隆、鈴木信太郎の共訳で、演出は長岡輝子、戌井市郎でした。シラノに三津田健、ロクサアヌに杉村春子(後半の続演は丹阿弥谷津子)、クリスチャンに大泉滉を配し、全膜での上演でした。会場は三越劇場、一ヶ月を超える公演で、ステージ数は54回、29000余名の観客動員の記録が残されています。この全幕通し公演は、このような形態をとったものとして本邦初演でした。以後、1955年に東横ホールで再演されており、この時のクリスチャンは仲谷昇。1967年(昭和42年)、文学座創立30周年には、演出に木村光一、安堂信也。シラノに三津田健と北村和夫、ロクサアヌに杉村春子と小川真由美、クリスチャンに細川俊之という布陣で国立劇場小劇場、渋谷公会堂で37回の公演通しに挑んでいます。さらに16年後、いよいよ江守シラノの登場です。1983年(昭和58年)、演出は藤原新平。シラノに江守徹、ロクサアヌに平淑恵、クリスチャンに大出俊という配役でした。どうしても観たかったのですが、叶わず・・・残念です。文学座の重鎮的な存在であることから、濱田雅功が出る番組に登場する際には「文学座の偉いさん」などと呼ばれることがあるそうですね。

  主な受賞歴は、1973年 紀伊國屋演劇賞・個人賞(舞台「オセロー」イヤーゴ役)、1989年 日本アカデミー賞優秀助演男優賞(映画「社葬」)、1994年 読売演劇大賞優秀演出家賞受賞(「ウェストサイドワルツ」「恋ぶみ屋一葉」)。

 2007年2月末に軽度の脳梗塞で入院したそうですが、今は元気に復帰なさっています。是非生舞台を一度は観たいものです。

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2009年3月13日 (金)

私の好きな俳優たち~長瀬智也編

 私が長瀬さんを意識したのは、鈴木光司によるミステリーホラー小説、およびそれを原作とした映画、ドラマかされた『リング?最終章?』でした。なんてホリの深い顔にサラサラヘアーなんだろうと、そしてこの人は何者?すみません。TOKIOを知らなかったもので・・・
 かもし出す妖艶さといい、スタイルのよさといい、二重丸!!と心のうちで叫びながらあの怖い『リング?最終章?』を見ていました。

柳葉さんも好きでしたが眼中に無かったですね(ごめんなさい)。『白線流し-19の春』は再放送しか見ていなかったし、普通の高校生以上に感情は揺れませんでした。

ところがまた、『ムコ殿』で大ブレイクしてしまいました。普段はバカNagase_005 で熱い心を持つが、世間ではクールなキャラを貫くトップスター・桜庭裕一郎が結婚した女性の元へ嫁ぎ、家族の問題に関わっていく姿を桜庭の芸能活動を絡めて描いたホームドラマでした。竹内 結子
ちゃんがまだ目立たない存在だった気がします。桜庭裕一郎のポスターがほしくてたまりませんでした。
 何といっても長瀬さんの演技が印象的でした。一人二役と言ってもいいぐらいギャップのある裕一郎役を彼は見事に演じ分け、桜庭裕一郎を本当のスターに創りあげてしまったのですから。あの役は長瀬君以外の俳優では絶対に考えられない、と感じたのは私だけではないはずです。

 また、『マイボスマイヒーロー』では12年ぶりの学生服姿を披露。ストーリーのおかしさに今度は没頭しました。『マイボス・マイ・ヒーロー』は原作のある作品で、もともとは2001年に公開された同名の韓国映画が下敷き。学歴コンプレックスを持つ28歳のヤクザの若親分が、極道の世界を渡るためには「学」が必要と判断、子分と共に高校へ入学し、恋やケンカに大暴れしながら高校3年生をやり直すというストーリー。堅苦しい話ではなく、純然たる学園コメディです。そう、この作品での長瀬智也は高校生役であると共に、ヤクザ役で
もあるのです。昨年放送された「タイガー&ドラゴン」でもヤクザ役を演じていたので、連続ドラマではヤクザ役連投になるわけですね

『歌姫』でも熱演。
ドラマの内容は昭和の高知県を舞台にした人情喜劇、戦争で運命を狂わされた悲しいラブストーリーになりました。そこで長瀬さんは歌姫と言われた歌手を娘に持つ父と、同歌姫を母に持つ息子の2役に演じることになり、長瀬自身も「すごくいいキャラクターを演じられ
ることが楽しみです」とコメントを残していました。

 そして今だ続いている『鉄腕ダッシュ』ではメンバーとうち解けて煎る姿もまた、彼らしいですね。あくまでリーダーをリーダーとして敬い(たまに城島さんがこけますが)、ここまでできるようになるの?と思いたくなるほど、皆、村での生き方を習得してきたところは凄いと思います。

 映画では話題作『ヘブンズ・ドア』は、97年のドイツ映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(トーマス・ヤーン監督・脚本)を原案とし、余命3日と宣告された28歳の青年・青山勝人(長瀬)と、病院で出会った余命わずかな14歳の少女・白石春海(福田)が、海を目指して無軌道な逃避行を繰り広げるというロードムービーです。ストーリーにちなんで、「もし余命3日と知らされた時、これだけは言っておきたいこと」を問われた主演の2人は、「親にキャッシュカードの暗証番号を言っておきたい」(長瀬)、「両親に仲良くしてほしいと言いたい」(福田)とそれぞれ答えました。一方、若い女性で埋めつくされた客席を見て「今日はやっぱり長瀬くんのファンが多いかな(笑)」と寂しげにつぶやいた三浦さんが“言っておきたいこと”は、長瀬さんに対し「ずっとアイドルでいてくれ」とのこと。かつてアイドル俳優として絶大な人気を誇った三浦さんは、タバコのCMへの出演が問題となって国会でも議論され、「三浦友和は結婚したので、もうアイドルではない」という結論になったそうでNagase003_2、「僕は国会でアイドルじゃないって決められてしまったので、長瀬くんにはこれからもずっとアイドルでいてほしい」と、自分が叶えられなかった“永遠のアイドル”への道を長瀬さんに託したそうです。長瀬さんは「尊敬する大先輩。国会を揺るがすだけの人間だなっていうオーラを感じた」と先輩アイドル・三浦に恐縮しながらも、「奥さん(山口百恵さん)と 仲良くされていますか?」と鋭いツッコミを入れたが、「けんかしたことないです」とかわされて、貫禄負け。すると、長瀬さんは突然、別会場での舞台挨拶直前にパンツのチャックが開いていたというエピソードを披露しはじめ、「俺の“ヘブンズ・ドア”はノックしなくても開いていた(笑)」と下ネタを披露し、アイドルのイメージを台無しにしていました。(笑)

まだ30ですよ、結婚もしなければいけないし、父親にもならなきゃいけないんです。アイドルと呼ばれなくてもいいからTOKIOのメンバーと末永く仲良く、そしていい俳優でいてください。でもヤクザさんの役ばかりや羅内で欲しいです・・・・

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2009年3月11日 (水)

私の好きな俳優たち~秋吉久美子編

 誰もがその言動に驚いていたデビュー当時1974年、日活の藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』に立て続けに出演し、愛くるしい表情、70年代を表現する繊細な存在感、今までの日本の青春映画を脱却した大胆な脱ぎっぷりで一躍フ
ォークソングとベトナム反戦の時代の寵児となりました。

 本当に愛くるしい女優さんで、純情なんて言葉が似合う、それでいて大胆、このギャップが返って魅力だったのかもしれませんね。
 当時はインタビューにも素顔で出るくらい、化粧っ気がなく、それが繊細に見えたりしていました。『赤ちょうちん』は観ませんでしたが 、『妹』では平気で裸で兄の前を通ったり、最後には鶏の羽をむしって半狂乱になってしまう・・・久美子さんだからあのシーンは迫力が出たのだと思います。

 その後の代表的な作品には、『さらば愛しき大地』『夜汽車』『異 たちとの夏』『誘惑者』『レッスン』』などがありますが、特にお勧めなのが『異人たちとの夏』です。

大人の愛の世界を幻想的に、哀切に描き、第一回山本周五郎賞を受賞した山田太一氏の小説を、原作者推薦の市川森一氏が脚色し、“映像の魔術師”大林宣彦が監督して映画化。出演は、舞台となる浅草に因縁めいたものを感じるという風間杜夫、監督から妖しい童女のような母親をとの注文を受ける秋吉久美子をはじめとして、初めて死びとを演じる名取裕子、映画初出演の片岡鶴太郎、そして永島敏行が顔を揃えました。現代に“やさしさ”を追い求めつづける人に贈る、異色の話題作でした。
 

妻子と別れ、孤独な日々を送るシナリオ・ライターの原田(風間杜Kumiko003 夫)は、生まれ育った浅草で、幼い頃に死に別れた若い父母(片岡鶴太郎・秋吉久美子)と出逢います。こみあげてくる懐かしさに身を任せつづけ、不思議な体験に激しく心揺さぶられる原田。しかし、美しい恋人ケイ(名取裕子)は、もう決して彼らと逢わないでと迫った。いったい何が起きているのか。静かな夏の夜、窓に二つの灯がゆらめく・・・。

 大人の愛と孤独を幻想的に描き好評を得た異色ファンタジー。大林監督は、主人公が体験する怖さや懐かしさ、そして父母の情愛の深さに触れる喜びを、観る者に追体験させます。孤独な現代人が無意識に渇望する人の温もりや優しさを、死者の悲しみや苦しみと
対比して描いています。また、風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎、永島敏行、名取裕子という適役による演技が作品に厚みを加えています。山田太一氏が託した原作を、市川森一が映画的に脚色し、それを大林が見事に映像化した愛すべき逸品です。是非DVDが欲しいものです。

『深い河』『透光の樹』などで円熟した女性を演じて定評があります。2004年、『透光の樹』では、他の同年輩の女優の追随を許さない深遠な性愛シーンを披露しました。

 『深い河』は遠藤周作氏の作品で、成瀬美津子は満たされぬ心を埋める“何か”を求めて、インドツアーに参加。観光客を乗せたバスは聖地ベナレスを目指し、大平原の中を疾走します。美津子は自由奔放な学生生活を送りながら、耐え難い空しさに心を支配されていた10年前を回想します。秋のある日、美津子はクリスチャンの大津と出会い、彼を誘惑して、「神を捨てろ」と迫りました。彼女にとっては全てがゲームでしたが、真剣に揺れ動く大津を眺めて、美津子は「自分は神に勝ったのだ」と思います。でも心の空虚さは広がるばかりであり、結局彼女は大津を捨ることに。
 傷心の中で大津は神学を志し、フランスへと旅立って行きました。。数年を経て、ふたりはリヨンで再会。美津子は実業家と結婚し、何不自由ない生活を送ってましたが、心の空しさは満たされることはなありませんでした。神学校で学ぶ大津は「日本に戻ったら、日本人の心に合う基督教を考えたいんです」と夢を語ります。美津子は大津との再会で、かつて紙屑のように捨てた彼が自分の心に少なからぬ痕跡を残していることを意識し始めました。満たされない心が癒えぬまま美津子は夫と別れ、病院でのボランティアを続けていました。
 そんな彼女の下にインドのベナレスに行くことになったというイスラエルの大津から手紙が届きます。ベナレスへ向かう車中には美津子のほかにも、苦悩を抱き“何か”を求めるためにツアーに参加した日本人たちがいました。家庭を顧みることなく一途に働き続けてきた壮年の男・磯辺の目的は、死んだ妻の生まれ変わりと思われる少女を探すことでした。またビルマ戦線での命の恩人である戦友が、死の床で打ち明けた衝撃の事実に苦悩する老人・木口もいた。

 一行はベナレスの街に到着。美津子はガンジス河とガートで一心に祈る人々に圧倒されます。彼女は磯辺や木口との交流を通じて、それぞれが人生の苦悩を背負い、ツアーに参加してきていることを知りました。ベナレスの街で大津を探す美津子は、突然背後から呼び止められ、そこには薄汚れた身なりの大津が立っていました。彼はベナレスの街で教会を離れ、今はヒンドゥー教徒たちと生活を共にしているという。彼の心は昔と少しも変わっていなかった。美津子は大津との再会の後、意を決したようにガンジス河に身を浸した。自分が欲しかったものが何であったか、少しだけ解ったような気がすると、美津子は自らに語りかけました。やがて美津子は、あらゆる人間の哀しみや苦悩、死までも包み込んで流れる“深い河”に、いつしか自分自身が溶け込んでいくような安らぎを憶えていくのでした。 遠藤周作氏の本当に好きなところはみじめさを、イエスキリストになぞらえて描写するところ。彼の作品には必ず神の存在あり。神についてずっと考えてきた遠藤氏の集大成んなかもしれません。この作品のお勧めです。美津子役の久美子さんは必見です。

 シラケが流行した1970年代の時代性を象徴し、そのユニークな言Kumiko02 動が話題を呼んび、このため「シラケ女優」、「なまいき」、「宇宙人」、「新人類」、「プッツン」などと時代時代の異邦人的な扱いを受けてきた久美子さん。 有名なものに、芸能界にデビューしたての若い少女にありがちな発言を求めた記者に対抗して「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」や、当時の芸能界にあるまじき、出来ちゃった婚の際の記者会見の「おなかが大きくなるのはイヤ、卵で産みたい」などの発言を残した。後者の発言に関しては、その後繰り返されるインタビューや著書などから、ジェンダー的な暗喩が感じられる。 また『妹』の公開前、宣伝のために出演した番組にて共演者が礼儀正しくインタビューに答えていたのに対して、頬杖をつきあさっての方を見ていた。なお、当時の様々な
ラディカルな言動については後に「不器用だったのかな」と振り返った発言もあります。でもこれらの言葉の原点となる『つかのまの久美子』(1977年 青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之氏も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いています。最近は格言に興味があるとか・・・いいえ、昔から勉強していたのでしょうね。凡人でないところが魅力なのか知らん・・・?

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2009年3月 9日 (月)

私の好きな作品たち~小山内 美江子編

 手がけた作品の中には、教育や子育てへの思いを込めたものがあり、『3年B組金八先生』をはじめ誤算シリーズ(『親と子の誤算』『父母の誤算』)などのテレビドラマによって、教育界でも知られるようになった小山内さん。また、アクション、特撮ものも多く書いていま
す。
 特撮界の第一人者ともいわれた円谷英二氏が設立した株式会社円谷特技プロダクション(現在の株式会社円谷プロダクション)の初めての作品である『ウルトラQ』の第28話「あけてくれ」などの脚本を書きました。また、東映制作の人気刑事ドラマシリーズ『キイハンター』『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』でメインライターを務めました。

 1990年(平成2年)、湾岸戦争の直前にヨルダン・ハシェミット王Sag16 国への支援に参加し、難民キャンプでボランティア活動を行いました。
1993年(平成5年)には教育困難な国で学校建設の活動を行う特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会(当時は、任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」)を設立するなど、国際協力活動も行っています。
 2004年10月現在、特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会代表理事の外に、社団法人日本シナリオ作家協会理事、特定非営利活動法人日本子どもNPOセンター理事、社会福祉法人NHK厚生文化事業団理事(非常勤)、熱海国際交流協会会長なども務めています。

2005年1月に、病気で『金八先生』第7シリーズの第11話以降の脚本から降板したと発表されています。それに関連して、自身の『金八先生』への思いをつづった『さようなら私の金八先生』を出版。一方、週刊誌上でこの降板が事実上の「更迭」であったことが報じられてます。
田鉄矢さんのハマリ役以外に注目していたのが、もうひとつのTBS作品『父母の誤算』です。このドラマは「太陽にほえろ」で年季の入った知恵袋刑事を好演したヤマさん役の露口茂さんが、実在の悩める管理教育者役に挑戦した秀作でした。今はほぼその人気も定着した感がある村田雄浩さんの出世作になるのでしょうか。おそらく演劇で苦労したのでしょうが、あの年頃の高校生を村田さんが演じていて更正の道歩み始めたのでが、このドラマで主演の問題高校生高尾役を演じた利重剛さんはこれがデビュー作で初主演だったといいいますが、脚本書いた小山内さん実子だということも話題になりましたね。

 得に教育問題は真っ向から取り組んで打算を許さない、だから金八先生も誤算シリーズもあんなに真剣に観ることが出来たのだと思います。前回、性同一性障害について取り上げましたが、金八先生でも取り上げていると書きましたね。何故この問題を取り上げたのかと聞いたところ、『まず、性同一性障害は人権の問題です。他の国ではマイノリティの存在を認めているのに、男女共同参画社会とうたっている日本が認めていないのはおかしいと思った。それと、興味本位というのはこの人たちに申し訳ないですから、やるのならキチンとやろうと。実際、取材したときは女装している人に会ったりして、ビビったりもしたのですが…。でも、もしこの題材を扱ってピッタリ当てはまる子がいなかったら、この話は途中で変えてしまったでしょうね。そういう意味では、上戸綾さんがここまで伸びるとは思わなかったし、すごく良かった。』 とのこと。

私はこの一話を観ていないのでなんともいえませんがマイノリティの存在についてはもっと真面目に考える事だと思っています。教育問題も永遠のテーマです。親が、先生が真剣にならなければ子供はいつまでも戸惑うペリカンなのでしょう。

 主な著作は、
ヨルダン難民救援への旅」(岩波ジュニア新書)【1992年文芸大賞受賞】
『3年B組金八先生』シリーズ」(24冊)(高文研)
「カンボジアから大震災神戸へ」(旬報社)
「メコンに輝け桜小学校」(佼成出版社)
「できることからはじめよう」(講談社)
「『ボス』と慕われた教師」(岩波書店)
「『赤い靴』の女たち」(集英社be文庫)
「25年目の卒業 さようなら私の金八先生」(講談社) 他多数 です。是非読まれることをお勧めします。

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2009年3月 7日 (土)

私の好きな作品たち~鎌田敏夫編その②

 本来もっと早く書きたかった脚本家さんなのですが、資料が少なくて今まで延ばし延ばしにしていたところ、ドラマだけでなく、著作に沢山読みたい作品を見つけてしまいました。脚本家としても数えられない程の業績を残してきて、青春ものから入り、トレンディもの、そして私は『わが街』が気に入っていました。黒澤明の「天国と地獄」の原作、ヒッチコックの「鳥」の脚本を手掛けた、アメリカン・ミステリーの大家エド・マクベインの人気シリーズ“87分署”を鎌田敏夫さんの脚本でドラマ化したもので佃島を舞台に、渡辺謙演じる刑事が、生まれ育った自分の町を守っていく姿を通し、大都会の複雑な人間模様と、警察活動の実態をサスペンスタッチに描いています。鎌田さんならではの視点は私達日本人の大切な事を提示してくれました。

 『男女7人秋物語』も『夏物語』より更に深みを増した人間関係Deberuto03 、等身大でちょっとお洒落で・・・ 憧れていたんだと思います。 それにしても、バブリィと言われても、やっぱり景気は好い方がいいですよね。
懐かしく眩しく想い出します・・・『29歳のクリスマス』は、1994年10月20日~12月22日の22:00~22:54(木曜劇場枠)にフジテレビ系列で放送された鎌田敏夫脚本のドラマ。全10回。最終回のみ30分拡大して22:00~23:24の放送。20代の女性をターゲットにしたトレンディドラマが見られるものの、結婚観、友情、男女関係や大人の付き合いなど恋愛ドラマのエッセンスと人生観を盛り込んだ大人の恋愛ドラマ。
第13回向田邦子賞受賞しましたね。

『愛と死をみつめて』もリバイバルですが、軟骨肉腫という不治の病を患った・大島みち子さんと、恋人・河野実さんの約400通もの文通は、1963年に愛の往復書簡集「愛と死をみつめて」と題し出版されベストセラーとなった。高度成長の1960年代は新幹線も未開通で東京と大阪はまだ遠く、電車賃も高く当時の収入からは気軽に行き来ができなかった。大学に通うため東京へと上京したマコ、病気の為大阪の病院へと入院したミコ…2人はなかなか会えなくても多くの文通を交わし愛を深めた。2人の出会いからミコの死、マコのその後を描いた感動の愛の物語でした。
 最近は『ジュテーム?わたしはけもの』は、「自分自身の人生を他人のせいにせず自分の責任で生きる」という力強い意思を持った、高級コールガールの女性の生き方をリアルに描いています。 またテレビと連動して、脚本を手がけた鎌田さんが小説化し、劇画化もされるとのことです。三島由紀夫氏の『鹿鳴館』も鎌田さんによって美しい作品に蘇っています。

 私が最近みつけたのは、著作『恋物語』など美しい恋愛物語です。鎌田さんが小説家としてデビューしてまだまもない頃の、今から20年近く前に書かれた作品です。でも、今読み返しても決して古臭さは感じさせません。とは言え、そこはもちろん80年代の話ですから、連絡はケータイではなく公衆電話。かえってそのあたりはノスタルジックな雰囲気があって微笑ましいのです。敢えて文学的表現を避け、平易にして簡潔な文章で登場人物のキャラクターの魅力や舞台背景を的確に描写する技量は、まさに脚本家としての面目躍如でしょう。特に場面をつなぐシチュエーションの演出が心憎いほどに上手いです。カメラマン助手の仕事ぶりも緻密に取材された跡が窺われ、いわゆる“業界モノ”としても十二分に雰囲気を伝えています。小説や漫画が原作のドラマや、人気ドラマのノベライゼーションも良いですが、脚本家の書いた小説もなかなか捨て置けません。

 『世界で一番ロマンチックな海』は、薄っぺらな短編集なのに,読んでみると一つ一つの中身の凝縮感にびっくりします。男と女の恋愛ものですが,幸せに満ちたものは無く,手のひらからこぼれ落ちるはかなさ,もどすことの出来ない時間のもどかしさ,想うがあまりすれ違う心と心。短い文章の中に,無駄な飾りは付けずにストレIsono008 ートに描いているから一気に読み終えます。
『世界で一番・・』は映画で観てみたいですね。手紙のやりとりだけの「ラブレター」はその構成に少し驚いたけど,一番短くて一番奥が深いです。個人的には『シャルル・ドゴール空港』が一番切ないですね。ありふれたストーリーだけど,男と女の出会いと別れって,こんな風におこるんだろうなと共感できるから・・・

 新婚旅行で夫と上海にやってきた真代は、亡き親友の足跡を辿るうちに、日本軍の諜報活動をしている川井中尉と出会い、次第に魅かれていく。そんな折、川井に頼み込まれた真代は、暗黒組織が仕切っているビリヤードゲームに出場することに。相手は、共産党員の中国人・文仙、ロシアの皇女・エリアナ、ゲームの主催者であるイギリス人不動産王の娘・ジェーン。そのゲームには、信じ難いルールがあった。勝者には、とてつもない量の阿片が、敗者には屈辱と死が・・・異国の恋、死のゲーム、愛と自由と孤独を描く書き下ろし長篇、『世界の果てまで』も読んで観たい一冊です。ドラマでみるのもいいですが、鎌田さんの原作ものは本で読んでおくこともお勧めです。

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2009年3月 6日 (金)

私の好きな俳優たち~野際 陽子編

 大学卒業後、1958年にNHKにアナウンサーとして入局。1962年に退局して、フリーアナウンサーになりました。。同年4月から1967年まではTBS『女性専科』の司会を務めました。    1963年にはTBS系列ドラマ「近鉄金曜劇場・悲の器」にて女優デビューを果たします。

1966年にはソルボンヌ大学でフランス文学を学んで翌年帰国。その後Nogiwa003 は女優業を中心に活動し、1968年から出演のドラマ『キイハンター』で一気に人気を得ました。共演した千葉真一氏とは1973年に結婚し、長女(真瀬樹里)を出産。出産時は高齢出産で話題を呼びましたが、千葉氏とは1994年に離婚。

 NHKアナウンサー出身の女優として、長く知性派として親しまれてきましたが、1992年にTBS『ずっとあなたが好きだった』で演じた強かな姑役が話題になり、その後も『ダブルキッチン』など姑役が続きました。一時期は白川由美さんとお母さん女優の双璧とまで呼ばれていたほど姑役に定評があります。また本人は「(私の次の姑役は)浅野ゆう子さんにでもお願いしようかしら」とも言っていて、実際『抱きしめたい!』で母親役をやりました。 また上記の作品などのドラマやCMで着物を着て登場する事が多く、着物の似合う女優として挙げられる事も多いですね。

 夫婦役では伊東四朗氏との共演が多く、伊東さんは「野際さんは本当にお若いし努力家で素晴らしい人だ」と発言しています。また、『ずっとあなたが好きだった』『スウィート・ホーム』『京都迷宮案内』『新・京都迷宮案内』(無印から9シリーズ連続共演)『笑う三人姉妹』などで、橋爪功氏とドラマで多く共演しており、交流も深いそうです。

 私は何時までも変らない容姿と知性を併せ持ち、今だ現役でバリバリなところが大好きで、歳を重ねてもこうありたいと憧れる女性の一人として、野際さんをあげています。少しも気負うところ無く自然体で今ミニスカートはいても決して恥ずかしくない足をしていると想像できるのもまた素晴らしい。もう顔に知性が出ているのに、それが全く嫌味じゃないところも憧れてしまうんです。

 ご本人曰く、「女優の仕事はやめようと思ったことはなく、やっててよかったと思うような劇的なこともありませんでしたね。70代に入ってからは健康日記をつけて1日1日かみしめながら生きています。邪魔にならないおばあちゃんになろうか、と」謙虚です。

 『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さんの母役のような異常なお母さんから浅見光彦のお母様ぶりも、はまっちゃうのだから不思議です。憎まれ役をやっても野際さんの好感度は変らないと思います。あまり生活感がないのはどうしてなのでしょうか・・・湖面から下でを必死にこいでいても、湖面の上は優雅な白鳥・・・みたいな目には見えない努力をなさっているのでしょうね。
 もう頑張らなくていいですよ、少しは休んでくださいね。

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2009年3月 5日 (木)

私の好きな作品たち~橋本以蔵編

 あまり聞きなれない名前かもしれませんが、実は凄いドラマを排出してきた演出家さんです。またか・・と思わないで下さい。

私は別に脚本家を目指しているわけでもないですし,、なれるはずがありません。ただこんなプロットをだれが作っているんだろうと好奇心が旺盛なただの一庶民です。こうして何人もの脚本家さんを通して小説が原作だった時代、脚本家さんがせっせと書いていた時代、漫画がモチーフになった時代などが解ってきて、このドラマはこの人の作品だったんだと単に喜んで見たり、考えさせられたりしているのです。常に新たな発見ができて、私はそれが嬉しいのです。

 本題です。橋本さんは、自主制作活動を経て1982年、自主映画「パソコンウォーISAMI」で監督デビュー。その後、テレビドラマ『スケバン刑事』シリーズの脚本を担当してメジャーデビュー。以降『君の瞳をタイホする!』など数多くの作品を生み出しました。ドラマの脚本や映画監督以外にも漫画の原作などの仕事も手がけています。

 今では公演の以来もあり、こう述べています。

 『ドラマとは、人間を描くことです。賢くも愚かな人間。醜くも、限Higashiyama_work25s りなく美しくもある。ドラマ屋として映画、テレビを山ほど書いてきて、ますます人間が大好きになりました。すべての人に、固有の、かけがえのない人生があります。それを自覚していますか?人間の素晴らしさを、多くの人と分かち合いたい。人は己を突き詰める時、生を極め、最高にハッピーになれると信じます。』

 映画『軍鶏 -Shamo-』では、『20年間ぐらい温めてきたアイデアが素晴らしい表現で漫画になり、今回は香港の素晴らしいスタッフたちが見事に実写映画にしてくれました。みなさんの力でいいものに仕上げていただいたので、ただただ感謝ですね。もともと映画の企画だったんです。だけど、実らなかった。たまたま漫画の話がきて先にコミックになりましたが、親殺しの主人公の物語って映画会社は首を縦に振らないですよね(笑)。ようやく映画化に漕ぎ着け、自分で監督をしたかったんですが、規模の面で香港に投げました。時代のマニュアル化が進んでいて、子どもたちは安全な生き方を決められてしまった。社会が決めた価値観に取り込まれていく以外に道がなくなってしまって、コースから外れることがダメとされた。そうすると生きている実感がなくなってしまい、異常な事件に繋がってしまったんだと思います。

 そんな時期にたまたま極真空手と出会って、これが圧倒的に肉体の世界でした。自分が商品になっていることを痛感していた時期に、ボコボコに殴られると雑念が飛んで、それどころではない。映像の世界では有名かも知れないが、10代の若者に蹴りを喰らって苦しむ自分が新鮮で、ある種の危機を脱することができたわけです。
 今日、これまで語ってきたことは作り手側の理屈に過ぎないので、映画って自分のレベルに応じて観るべきものだと思います。自分ならそうしますし、格闘技ファンなら格闘技をメインに観てもらって、それでいいと思います。深いテーマが込められていますが、自由な姿勢で『軍鶏 Shamo』を楽しんでもらえればと思います。』

 ドラマでは『君の瞳をタイホする!』がトレンディ路線で、でもこの作品で三上博さんの人気度が上がったのは確かです。この後三上主演のドラマが多く作られ「トレンディドラマのエース」と呼ばれました。また、それまで「スタイルの良さが鼻に付く」等、女性から反感を買っていて雑誌調査の「女性が嫌うタレント」でも常に上位にランキングされていた浅野ゆう子さんは、この作品でシングルマザーを演じて一躍女性の共感を獲得しました。これが同年7-9月期放送の『抱きしめたい!』のW浅野人気にも繋がりました。浅野さんの他にも数多くのアイドル女優や著名俳優が出演し話題になりました。後に『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』などで「ドラマ黄金時代」を創った大多亮氏のプロデュース第1作でもあります。

 そして問題作『隣人は秘かに笑う』はストーリーは警察官による犯罪や不祥事を鏤めたミステリー仕立てのサスペンスドラマ。かなり際どい情景描写で話題を呼んびました。しかし当時騒がれていた「警察不祥事」を大きく扱ったドラマであり外国のミステリー映画の影響もみられます。

 おりしも、主人公の警官高木が配属する部署は、当時不祥事でHigashiyama_myoushou_xl_2 騒がれていた「神奈川県警察」でした。高木洪一(本名:毛利健一):本木雅弘は神奈川県警の警察官。妹・ユウナ(平山あや)を庇う為、男関係が派手だった母親を殺し、自分達が住んでいた家に放
火。しかし、それをのちの上司(深水三章)に見られた。いろいろと秘密があるようで過去に犯罪歴もあるが県警上層部により揉み消されているのはその為だと思われる。それをいい事に外見的には“優しいお巡りさん”を装い恐ろしい犯罪計画を練っていた。引っ越しで奈緒子宅の隣人となり、奈緒子に特別な感情を抱いている。平穏で幸せな家庭の主婦・奈緒子の前に現れた、ひとりの警察官―そのときから彼女の日常が狂い始める…息もつかせぬスリリングな展開、二重三重に仕掛けられた謎・・・ このような作品は彼の得意分野と言えるでしょう。

 『探偵左文字進10』も橋本さんの脚本です。ご存知水谷豊さんこと佐文字進は32歳の私立探偵で、左文字探偵事務所所長。ロサンゼルス生まれ。母は日本人、父はドイツ系アメリカ人の混血。日本とアメリカの両方の国籍を持っている。私立探偵以外に、アメリカでは弁護士資格も有している。左文字の妻である史子は、ある事件をきっかけにして左文字と知り合い、半年足らずで左文字と結婚した。現在は、左文字探偵事務所秘書 兼 事務員の28歳。また、左文字は、ある事件で知り合いになった、警視庁捜査一課に所属している矢部警部と共に、難事件に挑むシリーズものですが脚本は1作1作違っていて、橋本さんは10話を任されました。

 西田敏行さん主演の『浅草ふくまる旅館』も橋本氏の脚本です。いろんな色があり、楽しめます。是非橋本ワールドへ・・・

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2009年3月 4日 (水)

私の好きな作品たち~黒土三男編

 『とんぼ』で一躍有名になった黒田さん。長淵剛さん主演のドラマ・映画はほとんど黒田さんの作品でした。立教大学法学部を卒業後、木下惠介プロダクションの助監督となりました。学生時代はAD(アシスタントディレクター)のアルバイトをし、木下恵介プロで助監督をつとめた後、独立してシナリオライターに。デビュー作は1979年、大場久美子主演の「コメットさん」(TBS)。

 出世作は84年、フジテレビの『オレゴンから愛』。古谷一行さHigasiyama002 ん主演のこの作品は連続ドラマとして放映された後、88年まで毎夏スペシャルとして放送され高視聴率をあげました。長渕剛さんとのコンビ作品でその個性が光りましたね。その後、1989年には「オルゴール」で映画監督デビューし、90年には自らの脚本の「東京湾ブルース」で初ドラマ演出を手がけるなど、助監督時代の夢を実現した。自身がメガホンを取った作品は全て自らが脚本を手がけています。1988年『とんぼ』『うさぎの休日』で第7回向田邦子賞受賞。「今晩はピーピーピーがあるね」こんな会話がありましたっけ。

 『うさぎの休日』では、まじめに働くサラリーマンが家一軒持てない現実を背景に、家族にマイホームをせがまれた若い父親(長渕剛)の怒り、悲しみを描いた作品です。「ともすればこれまで社会問題(今回は住宅問題)をテーマに据えると、ドラマとしての面白味が希薄となっていく傾向が見受けられたが、黒土さんには哀切で爽やかな夫婦の愛情物語という視点で素敵な脚本を書いていただいた」とは演出・黛氏の言葉です。
 

 受賞時に黒田さんは『「とんぼ」の企画は“怒り”から生まれましたが、私の一生の課題は“笑い”。向田さんの作品には、高級なユーモアがありました。(次回の)私の作品はもうひとつ、エンターテイメントな作品にしました。今回の受賞は(釣りに例えれば)こんな大きなタイが釣れましたという感じです。』とのこと。

 『とんぼ』は、TBSテレビで放送されていたテレビドラマです。1988年10月7日から1988年11月25日までの期間、毎週金曜日の21:00~21:54(JST)に放映された(第1回のみ21:00~22:24(JST)の拡大版)。長渕剛の5作目の主演連続テレビドラマ作品です。

 後にこのドラマの続編として、1997年にフジテレビで「英二ふたたび」がスペシャル番組として放映され、また1999年には映画「英二」が公開されました。
 最終回の衝撃的な結末は、今も語り種になっています。また、このドラマで実質俳優初挑戦となった哀川翔さんは、以降本格的に俳優業に乗り出すことになりました。
 ヤクザを題材としたドラマであり、過激な暴力シーンなどゴールデンタイムにはそぐわない内容でしたが、当時長渕剛が人気絶頂だったこともあり、平均視聴率約18%と高視聴率を得ました。

 2年の刑期を終え、出所した暴力団・八田組の若頭、小川英二。でも出迎えに来たのは舎弟分の水戸常吉だけでした。英二が刑務所に入っている間、さまざまな問題が起き、妹・あずさは大学を中退して勝手に喫茶店で働いていたり、恋人・夏実は英二が刑務所に入った瞬間に他の男と付き合って、また英二は刑務所の中で八田組のさまざまな裏事情を握っていた。英二の下克上に恐れを感じた組長・八田昇は英二を始末しようと企んでいました。そんな中、あずさの働く喫茶店のオーナー・波子と出会い、波子は英二に想いをよせていき、また英二も波子のことを気になりかけて・・・。最終回のラストシーンで、電話ボックスから出た直後、八田組の残党に刺され、血まみれになりながらも立ち上がり、人込みの中を歩く姿は、主人公・小川英二の生き様を強烈に印象付けるとともに、その周りを取り囲む通行人の姿が、他人に無関心な現代社会の非情さを浮き彫りにしました。どう見ても刺殺されたようなラストシーでしたが、続編があることからも分かるように、残党の数人に背中を一度に刺され路上に大量出血したが、失血死した訳ではなく生き続けていることになり、主演の長渕さんは続編の『英二ふたたび』の制作記者会見の際、英二が生きていたことについて「刺された後たまたま近くに病院があって駆け込んだんでしょうね」と語っています。

 ドラマでは、「俺んちものがたり!」「ぼくらの時代」「幸福の黄色いハンカチ」「親子ゲーム」「親子ジグザグ」「イエローカード」、「どっきり天馬先生」、「新橋烏森口青春編」、「男たちの運動会」、「外科医柊又三郎」、「ボディガード」ほか「八月のラブソング」
、「英二ふたたび」※監督も含め 「外科医・夏目三四郎」と意外性のある作品が数多くあります。

 「幸福の黄色いハンカチ」の映画化にあたっては、脚本家の一人として参加し、以来、木下惠介氏とともに山田洋次氏を師として仰いでいます。

 私は「外科医柊又三郎」が好きで執刀医としての腕は、とても優秀。しかし大学を捨て肩書きも無い、ただの外科医。飄々とした性格で、ハーモニカが上手い。家族は妻を亡くし、娘と二人で暮らしている。亡くした奥さんをずっと思っているが、次第に島津涼子にひかれていく・・・恋愛には、とても鈍いと言う優しいけれど鈍いところがたまらないですね。長渕さんのキャラとは対照的とも言える柊役は萩原健一さんが熱演していました。

 そして、2005年、映画『蝉しぐれ』・・・原作は藤沢周平氏ですがHigasiyama004 、小説の冒頭で文四郎は15歳。市中の剣術、道場と学塾に通い、ひとつ年上の小和田逸平や同い年の島崎与之助と仲がよく、また隣家の娘ふくに不思議と心を引かれ、すこしずつ大人になりつつある年頃。やがて、学問に優れた与之助が修行のために江戸へ旅立ち、文四郎と逸平は空鈍流の稽古に熱をあげるようになる。ことに文四郎は道場でも期待の俊才でした。
 平凡な日々がおだやかに過ぎてゆくなかで、お世継ぎをめぐって突如として藩内を二分する政争がおこり、文四郎の養父助左衛門(じつの叔父)がこれに巻きこまれて切腹を余儀なくされ、助左衛門は普請組につとめる寡黙な人物だが、常に百姓の生活を気にかける父の姿を文四郎はひそかに尊敬していた。最後の面会の日、文四郎は逸平にこう言って涙する。「親父のことを尊敬しているといいたかった。だがいえなかった……」。
 当主の切腹、家禄没収というきびしい運命のなかで、文四郎はひたすらそれに耐え、鬱屈を晴らそうとするかのように剣術修行にあけくれる日々。その間に逸平は当主として城に勤めはじめ、おふくは江戸藩邸に奉公するために国許を去ります。最後の別れにおとずれたおふくにかけちがって会えなかったことを文四郎は悔やむことに。一方でその剣は長足の進歩を示し、奉納試合で難敵をやぶり、師から秘伝「村雨」をさずけられ、秘剣の授受をめぐって藩内に隠然たる勢力を持つ加治織部の面識を得ます。加治は先年の政争の詳細を文四郎に伝え、彼をはげまします。
 やがて牧家に対する処分はやや減ぜられ、文四郎は当主として郷方に勤務するようになると言うストーリーでしたね。

 黒田さんの作品は映画も含めて長渕さん、萩原さん主演が多いですよね。一見はみ出し者のようで実はとても人間臭い人々が織り成す人間ドラマだと思います。これも師と仰ぐ木下さんと山田洋次監督の影響なのでしょうか・・・

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2009年3月 1日 (日)

私の好きな作品たち~君塚 良一編

 当時倉本聰氏などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった君塚さん。

 大学の指導教官の紹介で、大学卒業後は萩本欽一さんに弟子入り(これは、萩本さんが教授に成績が1位と2位の学生を紹介してくれと頼んでいたらく、ちなみに萩本さんいわく「君塚は2番目のほう」)し、パジャマ党に在籍して『週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』や初期の『ごきげんよう』などバラエティ番組に携わったのがきっかけとなりました。当初シリアスなドラマ脚本を志向していた君塚さんは、バラエティ番組の台本を手がけることに消極的でしたが、萩本さんに「ドラマを書くためには、いろいろなことを経験しておけ」と言われたといいます。現在でも『欽ちゃんの仮装大賞』に構成作家として参加しています。

 1984年頃から『心はロンリー気持ちは「…」』シリーズや『世にも奇妙な物語』などテレビドラマ脚本の仕事が増え、1992年、連続テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』を大ヒットさせ、冬彦さんブームを巻き起こしました。以後、現在に至るYuuji000 まで、テレビドラマを中心に『踊る大捜査線』など数多くの話題作を発表しています。

 かねてから映画監督への志向も強かったので、高校時代からの映画フリークで、年間500本以上鑑賞したこともあるそうです。

 映画雑誌「キネマ旬報」で古今東西の映画を脚本から読み解くコラムを連載し、2002年に『脚本(シナリオ)通りにはいかない!』(キネマ旬報社)と書いています。ところが幸運にも2008年、『誰も守ってくれない』で第32回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門最優秀脚本賞を受賞しました。この作品は、殺人事件の容疑者として逮捕された未成年の家族を保護する役目を負った刑事が、しゅん巡しながら任務を遂行していく姿を追うサスペンスで、佐藤浩市、志田未来らが出演。君塚監督が「少年犯罪や家族の崩壊、ネットやマスコミの暴走、ひとつの事件が起こった時、その裏で何が起きているのかを10年にわたって取材し作った」という意欲作でした。819席あるメイン会場シネマ・インペリアルは、ほぼ満席の盛況ぶり。上映前には「今の日本という国が抱えている問題を描いている。最後まで堪能してほしい」と力強くアピールしました。

 脚本も

太陽にほえろ!(日本テレビ) - 脚本家デビュー作(小川英との共作)
心はロンリー気持ちは「…」(フジテレビ)
Wパパにオマケの子?!(日本テレビ、1987年)
奇妙な出来事 「待合室」(フジテレビ、1989年)
季節はずれの海岸物語(フジテレビ、1991年・1992年) - 第4弾~第6弾を執筆
世にも奇妙な物語(フジテレビ)
大人は判ってくれない「きっとひとりで歩いていける」(フジテレビ、1992年)
ずっとあなたが好きだった(TBS、1992年7月クール)
あの日に帰りたい(フジテレビ月9、1993年1月クール)
If もしも 「花を愛するか、宝石に生きるか」(フジテレビ、1993年)
誰にも言えない(TBS、1993年7月クール)
時をかける少女(フジテレビ「ボクたちのドラマシリーズ」、1993年2月~3月)
青春の影(テレビ朝日、1994年7月クール)
ヘルプ!(フジテレビ、1995年1月クール)
ナニワ金融道(フジテレビ、青木雄二原作、1996年~) - 現在パート6まで
コーチ(フジテレビ、1996年7月クール) - 翌年10月に単発スペシャルで続編
踊る大捜査線(フジテレビ、1997年1月クール) - のち単発スペシャル2編と映画版2編も
世界で一番パパが好き(フジテレビ、1998年7月クール)
深夜も踊る大捜査線(フジテレビ、1998年10月) - 「踊る大捜査線 THE MOVIE」に合わせて放映された全5回のミニドラマ
グッドニュース(TBS、1999年4月クール)
TEAM(フジテレビ、1999年10月クール) - のち単発スペシャルで続編4回
ラブコンプレックス(フジテレビ、2000年10月クール)
さよなら、小津先生(フジテレビ、2001年10月クール) - 2004年11月26日にスペシャルで続編を放映
恋人はスナイパー(テレビ朝日、2001年・2002年) - のち映画版も
ホーム&アウェイ(フジテレビ、2002年10月クール)
深夜も踊る大捜査線 2(フジテレビ、2003年7月) - 「踊る大捜査線 THE MOVIE 2」に合わせて放映された全5回のミニドラマ
弁護士 灰島秀樹(フジテレビ、2006年10月28日)           Hirayama_005   
役者魂!(フジテレビ、2006年10月クール)
警護官 内田晋三(フジテレビ、2007年1月27日)
はだしのゲン(フジテレビ、2007年8月10日・8月11日)
ファイブ(NHK総合、2008年1月5日)
課長島耕作(日本テレビ、2008年)
課長島耕作2~香港の誘惑~(日本テレビ、2008年)
誰も守れない(フジテレビ、2009年1月24日)

と多作で、中でも『誰も守れない』は映画『誰も守ってくれない』と連動した企画になっており、内容は映画版の4ヶ月前に起こった事件を描いたものになっています。映画の『誰も守ってくれない』は、「加害者の保護」の視点・観点で描かれているのに対して、このドラマ
では、「被害者の保護」という映画と逆の視点・観点から描かれました。

 私はとりわけ『踊る大捜査線』がお気に入りで、『さよなら、小津先生』もはずせないわけで、そうなるとあの冬彦シリーズ『ずっとあなたが好きだった』『誰にも言えない』も忘れられないトップ10に入ってしまい、君塚さんの作品はこれからも目が離せないのです。

また新たに脚本家を見つけてしまいました。懲りずに好きですよね、私も・・・

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2009年2月28日 (土)

私の好きな作品たち~北川悦吏子編

 脚本家であり、今や映画監督でもある北川さん。『あすなろ白書』の頃から注目していました。原作は柴門ふみさんでしたが原作を読まずして観たドラマは青春という名のもとに、悩んだり、感動したり、泣いたりしなががらでも恋愛が中心核となった甘く切ない作品でした。本当のことを言うと柴門さんが漫画家だということも知りませんでした。本来、私は原作が漫画ということに少し不満を持っているので(こういう偏見はいけないことなのですが)、でも割と好きで観ていた作品が漫画ということがだんだん多くなってきていることに戸惑いながら、ここは脚本家の腕!とばかり肯定して観ているわけで、とりわけ北川さんはその当りを上手に描写されていると思います。
 1991年に放映された『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)の「ズンドコベロンチョ」で注目を集め、その後、1992年の『素顔のままで』(フジテレビ系)で開花。翌年には、『あすなろ白書』(フジテレビ系)などの恋愛ドラマ・トレンディドラマを中心に秀作を連発し、脚本界の“恋愛の神様”と呼ばれています。

主な作品は

あすなろ白書(1993年、フジテレビ系)                 Saitoco001
"あすなろ白書"をもう一度(1993年、フジテレビ系)                 
君といた夏(1994年、フジテレビ系)
愛していると言ってくれ(1995年、TBS系)
ロングバケーション(1996年、フジテレビ系 )
最後の恋(1997年、TBS系)
Over Time-オーバー・タイム(1999年、フジテレビ系)
ビューティフルライフ(2000年、TBS系)
Love Story(2001年、TBS系)
空から降る一億の星(2002年、フジテレビ系)
オレンジデイズ(2004年、TBS系)
たったひとつの恋(2006年、日本テレビ)

と見て解るようにトレンディだけでなく『ビューティフルライフ』のように腕はあるのに人気のない男性美容師と、難病に侵され車椅子での生活を強いられながらも健気に生きる図書館司書の女性を描いたラブストーリーもあります。

 その点から言えば『愛していると言ってくれ』も豊川さんは耳の聞こえない画家で、女優の卵が、障害を乗り越えながら愛を深めるというストーリーもありました。そのため障害者のドラマが持つそれまでのイメージを大きく変えた作品と言えるでしょう。この点などが高く評価されて、第33回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞しました。またこのドラマの放送を期に、若い女性を中心に手話を習う人が増えるなどの社会的影響がありました。
 主演は豊川悦司さんと常盤貴子さん。それまで二人は、若干斜に構えたクールな役柄を演じることが多かったのですが、このドラマへの出演により、新境地を開くことに成功したそうです。このドラマは、それぞれの俳優人生を変えるほどの代表作となり、常盤はこのドラマでの演技が評価され、1995年度のエランドール賞新人大賞を受賞しました。

 『ビューティフルライフ』は向田邦子賞を取り、高視聴率をあげました。『オレンジデイズ』もどこにでもいそうな大学4年生・結城櫂(妻夫木聡)と、病気で4年前に聴覚を失った事により心の扉を閉じてしまった女の子・萩尾沙絵(柴咲コウ)のラブ・ストーリーを軸に展開される、大学の卒業を1年後に控えた5人の若者の青春ドラマでした。

 このように、北川さんの書くドラマは、制作側の期待度を反映して多くの人気俳優が出演するため、一見派手で空疎な恋愛劇と捉えられがちですが、その射程は社会的弱者の本音にも及ぶ、包括的で現実的な愛として、視聴者ならびに批評家からも高い評価を受けています。

 エッセイストとしての著作、『君に話した言葉』などの詩集も多数。『10 minute diary』は雑誌ヤングユーにて漫画化、ウェブサイトにてドラマ化され、ウェブドラマ第4話では、北川さん自身が初のメガホンを取り、監督デビューを飾りました。2009年春に公開予定の映画『ハルフウェイ』では、岩井俊二、小林武史らを共同プロデューサーに迎え、初の劇場公開されます。

 この作品は、この恋は、きっと永遠・・・そう信じてひたむきに恋をする、地元の高校に通うシュウとヒロ。 しかし“卒業”を前に、二人の心は揺れる。東京の名門大学を受験することを決めたシュウと、そんな彼を素直に応援できないでいるヒロ・・・誰の記憶にもある「卒業の風景」を通して、初々しくはかない青春と初恋の季節を綴る、まっすぐな恋の物語です。なんの打算も無く一途に愛する事を描ききる北川さんはやはり凄い存在です。
 

また、社会的弱者との恋愛を取り上げた作品を期待しています。回りの私たちもこういう時どうすればいいのかという道標を作ってください。

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2009年2月26日 (木)

私の好きな俳優たち~山口 智子編

 私が初めてに近い感覚で観たドラマが『もう誰も愛さない』でした。

婚約者と妹と旅行中に二人の目の前で強姦され、それが原因で婚約は破談になります。沢村卓也のため銀行の金を横領し、投獄も。獄中、卓也と小百合の陰謀を知り、出所後は別人の様に復讐の鬼と化したあのドラマは観ていて怖いほど山口さんのショートカットされた髪型とともによくないイメージが出来てしまいました。

 ところが違うドラマではホームドラマの元気のいい役をこなし、私 が好きだっYamaguti05たのは『王様のレストラン』『ロング・バケーション』などで、結婚してからは『向田邦子の恋文』、これは忘れられないドラマとなりました。

 『王様のレストラン』では優秀なのですが何故か橋幸夫が好きな陽気ででも頑固な一面のある役で、舞台は、とあるフレンチレストラン「ベル・エキップ」(La Belle Équipe)。天才的なオーナーシェフ(中村嘉葎雄)が急逝し、その長男・範朝(西村雅彦)が、後を継ぐことになったのですが、範朝は怪しげな副業にうつつを抜かし、店の経営は危うくなる・・・
 そんなある日、範朝の腹違いの弟・禄郎(筒井道隆)が、先代の遺言によりオーナーになります。禄郎は、父の遺言により、伝説のギャルソン・千石(松本幸四郎)を呼び寄せるのでした。そして成功の道を歩みだす、そんな作品でした。

 前年のテレビドラマ『警部補 古畑任三郎』の成功により、この作品から三谷幸喜氏自身の発言権が増え、キャスティングに際して、三谷氏の希望がかなりいれられたといいます。そのため、松本幸四郎、筒井道隆、山口智子、鈴木京香といった有名俳優の他、西村雅彦、小野武彦、梶原善、白井晃、伊藤俊人、田口浩正といった実力派の舞台役者が出演し、話題になりましたね。それぞれの焼き柄もおかしかったのですが、山口さんは異様に優れていて、観ていてハッとさせられるくらいいたについていました。

 『ロング・バケーション』も山口さんだからあんなにお茶目になっても浮くことなく、キムタクと別れて暮らして自分を紛らわしていたのが稲森いずみに粋な計らい、セナマンに向かったのですが、そこでのセリフ、『何しに来たの?、』の問いに『キスしに来た、セナとキスしに来た。』と初めて自分の気持ちを打ち明けた時は、やっと言えたねと観ていてほっとしたものです。

 それから「あすなろ白書」「愛していると言ってくれ」に続き、このドラマで北川悦吏子さんは人気脚本家の地位を確立したともいえます。また、木村拓哉さんにとって初の連続ドラマ主演作であり木村さんが国民的人気を得ていくきっかけとなりました。

 ここまでは誰もが観てきた作品かもしれませんが、いえ、これも結婚後の作品と言う事もあって山口ファンは見逃していないだろうと思う作品が『向田邦子の恋文』でしょう。本で読んだ人も多と思います。

 私は向田作品が大好きだったのですが向田さん自身のことは殆ど知らなかったので、向田さんの妹さんの和子さんが、今なら姉も許してくれるだろうと書き下ろしたこの作品に対する山口さんの意気込みもジーンと伝わってくる素晴らしい作品でした。向田さんには、凛としていて、強くって、非常に正しく美しい人というイメージを持ってました。そんな彼女にこんなにお茶目な一面があったなんて・・・
 でも向田さんとある男性の秘め事は、決してほほえましいものYamaguti004 ではなく、悲劇的な方へと向かいました。しかし書簡の中では一切その様な片鱗が顔を出さないということに、なおさらやりきれなさを感じました。秘め事であるはずの恋文にも自分の弱さをさらけ出せない向田さんは、やはり毅然としていて、凛としていて、強い人だったのかも知れなません。あの屈託のないお茶目さは彼女なりの強さの表し方だったのだとしたら…、と考えると賞賛と哀しさの入り交じった何とも言えない気持ちになります。若いころの向田さんに近づこうと、山口さんは髪も肩まで切り、昭和30年前後のファッションをさらっと着こなし、恋人との本の数時間を満喫していたようです。

 仕事で活躍するのはもちろんのこと、美人でオシャレで料理も上手だった向田さん。彼女はとある男性と長い間不倫関係にあったことが、今では発表され、不倫によって婚期を逸するとは、まさに高齢未婚女性の典型的なパターンであり、現在でも多くの同類の共感を呼んでいます。彼女は飛行機事故によって独身のまま、50代で命を閉じました。まるで桜花のような散り方がまた、不世出のカリスマ独身女、という感を深めました。今、向田邦子に続くあこがれの独身女スターは、存在しません。向田邦子的、つまりは「美しくて女っぽくて、異性のにおいはしつつも結婚しない」という、いい女系の独身女ともいわれていますが、果たして向田さんの心の内は・・・私は封印してきたこの出来事を一緒になれない辛さを作品に散りばめていた気がしてなりません。

 山口智子さん、すてきなドラマにしてくれて有難うございます。これからも芯のある役をしてください。

 それから絵画とももっと触れていい作品を描いてくださいね。今はCMで我慢します。

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2009年2月25日 (水)

私の好きな作品たち~浅野 妙子編

 1961年生まれ。脚本家。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』(97)や、『神様、もう少しだけ』(98)、『大奥』(05)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がけています。

 恋愛ものが多いのですが、どのドラマもこれはハッピーエンドじゃCommon_work11s ないみたいとドキドキしながら最終回を見るあのスリルはたまりません。特に問題提起をするようなドラマ構成には本当に考えさせられました。『ラスト・フレンズ』は向田邦子賞をあげたいくらいです。
 ドメスティックバイオレンス(以下・DV)やセクシュアルマイノリティといった現在日本のメディアでも話題となっているテーマを中心に描き、いま最も注目を集めるドラマだからです。
 
 私の好きだったドラマ、『ラスト・フレンズ』の反響について浅野さんは

『今回の作品に関しては、「現代の最先端のことをやりたい!」と思って描いているんです。私は、いまのドラマ界って比較的保守的だと感じていて、そのせいかわかりやすいドラマが多くなっていると思うんです。それと、「暗い」というのが駄目だとか、「切実」であることなどは視聴率的に良くないという雰囲気があるんですよ。
 そんな中で、私は“いまを切り取りたい”という気持ちを抱いていて、いままさに輝いている若い俳優たちと仕事をして「世の中に問いかけたい」と思っていたんです。簡単に言うと、視聴率も欲しかったですし、反響も与えたかった。まず、ストーリーがこれまであまり触れられていなかった、現代のある部分を取り上げているというところですね。いままで見えなかった世界を見せて、目を開いてもらいたいという気持ちがあるんです。また、難しい問題ばかりを扱っているぶん、ストーリーの先がどうなるのかがとても気になるようにも描いているんですよ。 

 役者さんを見て、彼らの一番良いところを引き出してあげたいといつも思っているので、当て書きをするんですね。だから、一番うれしい褒め言葉は私に対する直接の褒め言葉というより、「登場人物が本当に存在するみたい」と言ってもらえることなんです。これって
、役者さんの持っている本質が最大限に引き出されているからこその賛辞じゃないかなと思えるからです。』

性同一性障害については?

『本を読んで勉強はしたんですが、最終的には自分の想像力で脚本を書いた部分が大きいですね。いったん書いてみて、その脚本をいわゆるFtMの方々に見ていただいて意見を伺いました。「ここはおかしい」や、「こういう風には言わない」など、指摘していただいて少し訂正など行いました。(※FtM: 性同一性障害の方で、女性の体に生まれ心が男性の方。Female To Maleの略。その逆がMtF。)私がストレートなのでよくわかっていないのかもしれないのですが、まず、FtMとレズビアンの間にグレーゾーンがあるように感じているんです。
 たとえば瑠可とタケルとの関係性も、グレーゾーンとして描いています。瑠可が女の部分がまるっきりゼロパーセントではなくて、少しはあるかもしれないという風には私は思っていて、人間ってグレーでいいんじゃないかなと。』

 金八先生でも同一性障害を扱っていましたし、東野圭吾さんの『片思い』でも描かれ、一つの社会問題となりつつありますね。『神様、もう少しだけ』ではエイズを取り上げていますし、こういう問題は是非、大きく取り上げ『偏見』『間違った認識』を正していければと思います。他にも

木曜劇場「Age,35 恋しくて」(1996年、フジテレビ 脚本家としてのデJannsenn05 ビュー作。)
TOKYO23区の女「葛飾区の女」(1996年、フジテレビ)
木曜劇場「ミセスシンデレラ」(1997年、フジテレビ)
ラブジェネレーション(1997年、フジテレビ)
神様、もう少しだけ(1998年、フジテレビ)
パーフェクトラブ!(1999年、フジテレビ)
二千年の恋(2000年、フジテレビ)
木曜ドラマ「婚外恋愛」(2002年、テレビ朝日)
薔薇の十字架(2002年、フジテレビ)
スーパー時代劇「怪談百物語」(2002年、フジテレビ)
スーパー時代劇「大奥」(2003年、フジテレビ)
よるドラ「ちょっと待って、神様」(2004年、NHK)
木曜劇場「大奥~第一章~」(2004年、フジテレビ)
よるドラ「アイ'ム ホーム 遥かなる家路」(2004年、NHK)
土曜ワイド劇場特別企画 悪魔のような女「私と一緒に夫を殺して!」(2005年、テレビ朝日)
木曜劇場「大奥~華の乱~」(2005年、フジテレビ)
連続テレビ小説「純情きらり」(2006年、NHK)
眉山(2008年、フジテレビ)
木曜劇場「ラスト・フレンズ」(2008年、フジテレビ)
ドラマ8「キャットストリート」(2008年、NHK)
イノセント・ラヴ(2008年、フジテレビ)

と大抵の方が見ていると思われます。「純情きらり」は、ジャズピアニストを夢見ながら、戦争に揺れる昭和の激動時代を駆け抜けるヒロイン・桜子の波乱万丈の人生を描いていく作品で『篤姫』の宮﨑あおいちゃんがりりしく見えたものです。
  これからも大いに問題提起してください!!

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2009年2月23日 (月)

私の好きな俳優たち~石坂浩二編

 私が覚えているのは『ありがとう』と『2丁目3番地』というドラマでした。まだ幼い私は浅丘ルリ子さんの美しさばかりに見とれていましたが、あの時のドラマがきっかけで石坂さんはルリ子さんにプロポーズしたわけで、当然のように倉本先生が石坂さんの保護者のごとく浅丘家への挨拶は倉本先生もついていったそうです。その途中、靴下くらい履き替えようと言う話しになって靴下を購入、履いていったまでは良かったのですが、玄関の上がり口でルリ子さんがさりげなく値札をとってくれたそうです。値札をとってもらったのが石坂さんだったか、倉本先生だったか思い出せないのですが、石坂さんの事を考えるとついその出来事を思い出してしまいます。

 それはともかく、石坂さんは俳優、司会者、ナレーター、趣味で絵画と料理だけだと思っておいたら、作家、翻訳家、作詞家、石坂ミュージカル・エンタープライズ社長でもあるんですね。

 大学在学中の1962年、ドラマ『七人の刑事』でデビューし、大学卒業後に劇団四季に入団。劇団では演出部に所属し、演出家・浅利慶太のサポートを務めました。在籍中に台本・作詞を手がけた子供向けミュージカル『王子とこじき』は現在もなお上演され続けています。

 端整な容姿と長身、知的な雰囲気などでテレビドラマ・映画界(初期は松竹と契約)から声がかかり、舞台を離れてからは、映画『日も月も』『風の慕情』、NHK大河ドラマ『天と地と』『元禄太平記』『草燃える』などに出演し、俳優としての貫禄を見せました。
 大河ドラマで主演3回は最多であり、他に多数の助演でも出演があります。1970年代前半にはTBSの人気タレント調査で3年連続1位になるなど、一般人気はアイドル的盛り上がりを見せました。1976年には、横溝正史原作、市川崑監督による映画『犬神家の一族』に金田一耕助役で主演し、本作は空前の大ヒットを記録。以降、石坂主演で横溝作品がシリーズ化され、石坂版金田一ファンはいまだに多数存在します。Heisann006

 以後は市川作品の常連となり、『ビルマの竪琴』『おはん』の準主演、『細雪』(3度目の映画化)の助演などが特に評価が高いのです。
また、テレビドラマ『Yの悲劇』でドルリー・レーン、映画『危険な女たち』でポワロに相当する役を演じ、舞台『十二人の怒れる男』の8号陪審員などとあわせ、さながら世界の名探偵一手専売の感もあります。近作のリメイク版『日本沈没』では大学同期の小泉純一郎の向こうを張って首相役に挑みました。『竹取物語』の帝役をあわせ、映画で天皇と総理大臣の両方を演じた唯一の俳優であり、柳沢吉保、源頼朝、水戸光圀、間部詮房、大久保利通、城戸四郎、小泉信三など、権力者役は名探偵役と並ぶ得意分野でもあります。

 俳優業のみならず、作家、司会者やクイズ番組の解答者など多方面で活躍。芸能界屈指の薀蓄を誇り、1980年代後半からの「クイズ王ブーム」の際には、毎回のようにゲスト出演していました。共演者には撮影直前まで薀蓄を語り続けることで知られます。『白い巨塔』の撮影時には薀蓄を語りすぎて、共演の唐沢寿明を閉口させたそうです。

 でも二枚目で頭が良くて何でもで出来るって出来すぎですよね。それがいいんですけど・・・そこがいいのかなあ。いろんな話をしてくれる人って好きなんですよね。

絵を描くことでも知られ、おもに裸婦を描いています。これはアマチュア画家で裸婦を描く者が少ないからでそうです。『開運!なんでも鑑定団』の「ご当地出張なんでも鑑定」に出ると石坂浩二カレンダーがもらえるって知っていましたか?

音楽はクラシックを好み、特にベルリオーズが好きで、日本ベルリ オーズ協会の会長を務めたこともあります。

テレビ番組だけでも

花の生涯(1963年 NHK大河ドラマ)
赤穂浪士(1964年 NHK大河ドラマ)
平四郎危機一発(1964年 国際放映=TBS)九条平四郎役(8話まで)
太閤記(1965年 NHK大河ドラマ:石田三成役) ※大河出演では初めて名前がある配役となった。
ウルトラQ(1966年、TBS:ナレーター)
ウルトラマン(1966年、TBS:1話-19話のナレーター、ウルトラマンの声(15話))
大奥(1968年 関西テレビ:徳川家茂役)
天と地と(1969年 NHK大河ドラマ:上杉謙信役)
オレとシャム猫(1969年 TBS)
ありがとう(1970年 TBS)
徳川おんな絵巻 第13話「白鷺城の若き獅子」、第14話「永遠の初夜」(1970年 関西テレビ:榊原政岑役)
大忠臣蔵(1971年 NET 萱野三平役)
繭子ひとり(1971年 NHK朝の連続テレビ小説:ナレーター)      
2丁目3番地(1971年 日本テレビ)
暗闇仕留人(1974年 必殺シリーズ:糸井貢役)
元禄太平記(1975年 NHK大河ドラマ:柳沢吉保役)
草燃える(1979年 NHK大河ドラマ:源頼朝役)
ポーツマスの旗(1981年 NHKドラマ:小村寿太郎役)
関ヶ原(1981年 TBS)
俺はご先祖さま(1982年 日本テレビ)
続・夢千代日記(1982年 NHK)
徳川家康(1983年 NHKドラマ:納屋蕉庵役)
宮本武蔵(1984年 NHK新大型時代劇:本阿弥光悦役)
なんて素敵にジャパネスク(1986年 日本テレビ)
渡る世間は鬼ばかり(1990年~、TBS:ナレーター)
腕におぼえあり 第9話「内蔵助の宿」(1992年 NHK)
かりん(1993年 NHK朝の連続テレビ小説:小守友行役)
女の言い分(1994年、TBS)
家族A(1994年、TBS)
八代将軍吉宗(1995年 NHK大河ドラマ:間部詮房役)        Shartowa 
天晴れ夜十郎(1996年 NHK:河内山宗俊役)
元禄繚乱(1999年 NHK大河ドラマ:吉良義央役)
水戸黄門(第29?30部:水戸光圀役)
貫太ですッ!(2003年、亀岡万次郎役)
白い巨塔(2003年:東貞蔵役)
新選組!(2004年 NHK大河ドラマ:佐久間象山役)
東京湾景(2004年7月~9月)
古畑任三郎ファイナル第1夜「今、甦る死」(2006年:天馬恭介役)
氷壁(2006年1月-3月 NHK:八代哲夫役)
新マチベン ?オトナの出番?(2007年 NHK:堺田春樹役)
松本清張 点と線(2007年 テレビ朝日:ナレーター)
魔王(2008年7月-9月 TBS)

となり、これに金田一シリーズの映画を入れると凄いスケジュールをこなしながら絵を描いたり、料理をしたり、そして体調管理もしているのです。上記の中でもとくに私のお気に入りの作品は『2丁目3番地』『かりん』『草燃える』『白い巨塔』等は好きな作品です。
 『2丁目3番地』には確か続編があって『3丁目4番地』と言ったはずなのですが私の思い違いでしょうか?『2丁目3番地』では石坂さんとルリ子さんは夫婦役、でも実際に夫婦になってからは『3丁目4番地』で別れる役・・・これって倉本先生の嫉妬ではないかと思ったも
のです。時々そういうおかしなことやっちゃう先生だから好きなんですけどね。これからも先生の作品に出て欲しい、それが私の願いです。

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2009年2月18日 (水)

私の好きな俳優たち~藤村俊二編

 愛称おひょいさんでおなじみの藤村さん。もともと振り付け師だったこと、ご存知でしたか?演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。理論偏重の教育に飽き足らず中退し、東宝芸能学校舞踊科を第1期生として卒業しました。

 日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧し、イギリスやフランスを巡り、このとき本場の芸の水準に驚いて舞踊家の道を断念し、帰国後、振付師に転向。ザ・ドリフターズの大人気番組『8時だョ! 全員集合』(TBS)やレナウン「イエイエ」のCFの振り付けも担当しました。

 それからは、昭和37年 俳優としてテレビでの初レギュラーの座に着きました。昭和44年頃から 『巨泉・前武ゲバゲバ90分』『カリキュラマシーン』「ぴったしカン・カン」など人気番組で活躍されていましたね。

 近頃私が頭から離れないのは映画『ラジオの時間』です。ただOhyoi001 の守衛のおじさんかと思いきや昔はSE(効果音)は全部自分達で作り出していた、それをやってのけたのがおひょいさんだったのです。花火の効果音などは最高でしたよね。久々に笑った映画でした。

 他にも
くるみ割り人形(1979年3月3日公開 インド風名士 サンリオ製作)
日本の黒い夏─冤罪(2001年3月24日公開) - 藤島教授 役 
Quartet カルテット(2001年)- 藤岡俊吉 役
ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT(2001年7月20日公開) - 木本研作博士 役
子ぎつねヘレン(2006年3月18日公開) - 上原教授 役
初恋(2006年6月10日公開) - 柏田バイク店店主 役
デスノート / デスノート the Last name(2006年) - ワタリ 役
L change the WorLd(2008年) - ワタリ 役

と知的な部分とひょうきんな役となんでもこなせる役者さんだと思います。

特にお勧めは『日本の黒い夏─冤罪』と『デスノート / デスノート the Last name』です。おひょいさんは脇をしっかり固めてくれています。地味でも派手でもない、本当に喫茶店で時々しゃれた事を言うダンディなマスターという感じですが、私は『カリキュラマシーン』で育ったのでおひょいさんをみるとつい、港で『さようなら~。さようならはうと書いておと読むのよ~』なんて子供向けなのに大人が体当たりでしている演技に感動したものです。

 『日本の黒い夏─冤罪』は1995年6月上旬、長野県松本市に住む高校生の島尾エミと山本ヒロは、松本サリン事件報道の検証ドキュメンタリーを制作していました。NHK長野放送局をはじめとするテレビ局が取材を拒否する中で、ローカルテレビ局「テレビ信濃」は取材に応じるといいいます。報道部長の笹野、そして記者の浅川・圭子・野田の口から誤報につながった原因が語られました。
 被疑者不詳の殺人事件として捜査していた長野県警松本警察署は、事件の第一通報者である神部俊夫の自宅を家宅捜索して薬品を押収。その中に青酸カリがあったとの警察からのリーク情報から、マスコミは「青酸カリから毒ガスを発生させた」と一斉に報道するのですが、笹野は過去に誤報を伝えた経験から、裏付けが取れない以上は青酸ガス発生説の報道を取り止めるとの判断を下すのです。
 その後毒ガスが「サリン」と断定。テレビ信濃では大学教授・藤島から得た「サリンは薬品をバケツで混ぜ合わせて簡単に作る事ができる」との証言を放送したが・・・。熊井は自身の母親が理科教師を勤めていた当時の長野高等女学校(現・長野県長野西高等学
校)の校長に河野義行の祖父が就任していた縁で、幼少の頃に河野家に出入りしていた経験から河野家の家風をよく知っており、当初より「河野は事件に関わっている疑いが濃厚である」とのマスコミ報道についても「シロ」ではないかと感じていたという。また、熊井の初監督作品『帝銀事件 死刑囚』での取材経験になぞらえて、犯行は極めて専門的な知識が必要であって「素人」では不可能である点や、確たる証拠がないまま容疑者を自白に追い込む警察の捜査手法が明らかになった事も、熊井が制作へ傾倒させる一因でした。
 構想以前から日活社長の中村雅哉から「社会性が濃厚で、文化的にもレベルが高い作品の構想を考えておいて欲しい」と依頼されていた事もあり、本作品の制作が決定したそうです。

 『デスノート / デスノート the Last name』は死神のノート「デスノート」を、ひとりの天才・夜神月(やがみ ライト)が入手する。そして、その日を境に、世界の犯罪状況は一変してしまう。犯罪者を裁く法に限界を感じた月は、世の中を変えるため、ノートの力で凶悪犯を次々と粛清し始めたのだ。そして、この奇妙な連続殺人事件を調査する警察から、大きな期待を寄せられている人物がいた。警察を裏から指揮し、数々の難 事件を解決してきた世界的名探偵Lである。
 天才同士の戦い、求める世界の違いから起こったこの闘いに勝つのは死神の力を持つキラか、それとも警察を動かすLか。
 月はキラ対策本部に加入することに成功する。そして、月とL、2人が対峙し壮絶な頭脳戦が始まった。もう一匹の死神レムによりデスノートを手に入れたキラに心酔する少女、弥海砂(あまね ミサ)は自らの寿命と引き換えに、顔を見るだけで相手の名前と寿命が見える死神の目を得て、さくらTVを利用し、自身を「第2のキラ」と称して、キラを否定する者を消し去っていく・・・多くの人が興味を持った作品だと思います。前編・後編とも夜神月役が藤原竜也さんだったことも頷けます。

話を戻しますね(最近話しが横道にずれるんです・・・ごめんなさい。

 人生70歳代に入ったことを「初めてだから楽しみ」と目を輝かせる藤村Ohyoi003俊二さん。振り返ることはあっても後悔も反省もしないという言葉の後に、「だって言った言葉を返せなんて言えないでしょう」と茶目っ気をきかせます。
 いまを代表する「大人が惹かれる大人」といえる方ですね。芸能界で活躍する一方、バー「O'hyoi's」(オヒョイズ)を経営していることはご存知に方も多いはずです。店のロゴマークにはオーナーの藤村さんのシルエットがあしらわれている。芸能人が経営する店は、いわゆる名義貸しオーナーの形が多いのですが、藤村さんは仕事の合間を縫って店に立つなど、実際に現場での経営を行っています。ちなみに、このお店には「お客様にサービスするのが当たり前だから」という粋な理由で、サービス料はないそうです。

 「僕はわりと〝しょうがないや?タイプなの。例えば、今までゴルフであそこまで飛んだけど飛ばなくなっちゃったのも「しょうがないよ」と思う。同じように飛ばそうなんて思って飛ばないと落ち込むんじゃない。ゴルフをしに行くわけで、落ち込みに行くわけじゃないんだからね。僕は人と比べることから不幸が始まると思っている人だから、人と比べないの。それより自分の好きな車、好きな服装。そこが起点のほうが自分自身が楽しい。大車輪を回るおじいちゃんいるでしょ。すごいと思うけれど、同じことやったら僕なんて腕は抜けるわ複雑骨折するわ、でしょ。やりたいと思わないもん(笑)。勘かもしれない。やってもしょうがないやというね。」とさらっとおっしゃる(ここではおひょいさんとは呼ばずに)イギリス紳士藤村氏。

「体にはガタがきているけれど、それは武器にするものが少なくなった証拠なの。でもね、年を取ったという武器があるでしょ。見えないとか、聞こえないとか、覚えてないとか(笑)。忘れちゃったとか言っておけば良いんだからね。爺の特権ですよ(笑)。年を取って出来なくなることが増えたどころか、実際に楽ですよ。長距離歩けないけど、歩く必要もなくなってくるわけだから。
  僕は本来はせっかちなんだけれど、一つ心に留めているのは、「元気」「勇気」「陽気」っていう言葉があって、この三つの「き」さえあれば何でも出来るんだけれど、それでも出来ないことがある。「時」という「き」があるんだそうですよ。これは自分じゃどうにも出来ない。だから何も慌てることはないんですよ。」ともおっしゃてくれました。

 素敵な言葉だなと思いませんか?そして素敵な歳をとっている・・・私も「50になるのが楽しみ」といってみようかしら・・・

神田昌典「60分間・企業ダントツ化プロジェクト戦略構築・速習セミナー」

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2009年2月15日 (日)

私の好きな俳優たち~田村 正和編

 私はもう何十年も田村さんをテレビで観てきましたが、こんなに歳を感じさせない俳優さんは他にいるでしょうか。

 体格も華奢で声もあまり通らないためか、映画では兄ほど成功しなかったそうですが、線の細いナイーブな二枚目青年として、人気も実力も徐々に身につけ、日本屈指のスター俳優にまで登りつめました。

 最終的には兄の人気を超えたといえるでしょう。主にテレビドラマに多く出演していました。70年代初頭までに出演したテレビドラマで代表的なものとしては、例えば『冬の旅(立原正秋原作・木下惠介脚本)』等があります。
 70年代中頃まではテレビ時代劇『眠狂四郎(関西テレビ系列)』に代表されるようなニヒルでクールな、そして「憂愁の貴公子」とさえ呼ばれるような憂愁を帯びた役柄に限られてましたが、1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帖』あたりから、軽やかで明るい役柄にも徐々に芸域を広げていきました。後年、その頃を顧みて、あるMasakazu004 新聞の取材に対して「(若様侍を演ることに関して)それまでのクールなイメージとの段差があり、かなり熟慮した」と田村さん本人も語っています。

 そして40歳を過ぎた1984年、それまでの路線を完全に覆すようなコメディドラマの主役に抜擢されました。TBS系列の『うちの子にかぎって…』です。ちょっと頼りなく優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』
『パパはニュースキャスター』など数々のコメディドラマに主演。以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめています。

 恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界随一の主演スターとしての地位を築き、本人もある時期から自身「テレビ俳優」と位置づけるようになりました(他に桃井かおりさんも自身をそう位置づけています)。後年のインタビューでは待ち時間が多い映画の現場よりも、スピーディーに撮影が進むテレビドラマの現場の方が気持ちが乗ると語っています。

 刑事ドラマ『古畑任三郎』役では和製刑事コロンボともいえる新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となりましたね。
舞台では専ら時代劇でニヒルなヒーローを主演し活躍しています。田村正和の殺陣は妖艶な美しささえ感じさせる独特の境地を見せ、多くの時代劇ファン・正和ファンを興奮させています。若くして映画に主演した当時には、その責任の大きさを理解できず、自身の役者としての力について考えることはあまりなかったといいます。テレビの世界に入り、有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて初めて自分の力のなさに気づいたといい、それ以来の努力は相当なものであったと想像されます。
 
 テレビドラマに多く出演しているせいか、映画ファンからは多少、過小評価される感もありますが、日本の二世俳優としては屈指の努力家であり、また、父の名声にすがることなく実力で這い上がってきた真の名優といえます。それは田村さんの眠狂四郎を見た原作者の柴田錬三郎氏が、市川雷蔵氏亡きあと、「最高の狂四郎役者」と絶賛したという事実が何よりも物語っています。いずれにしてもテレビドラマを主な活躍の舞台としている俳優としては別格の評価を得ている名優です。

面白いのは、例えば

・刑事ドラマには出演しないと決めていたが(マネージャーが断っていたらしい)、『古畑任三郎』は送られてきた三谷幸喜の脚本(第1シリーズ第2話、犯人・中村右近の回)を読んで出演を決意した。
・古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、芝居に優劣をつけたくないという理由で辞退していた。その後、古畑任三郎第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞している。
・『古畑任三郎番組宣伝&NG特集スペシャル』は、出演作品には珍しく、ドラマ仕立てのバラエティ番組であった。現場での撮影風景を編集したものであるが、バラエティ用のトークをしている場面もある。また、田村が、NGらしきものを出しているシーンも見られる。トークゲストとしてスタジオに出演したのは西村雅彦と石井正則のみであった。
・『古畑任三郎』第1シーズンは夢中で取り組み、第2シーズンでは円熟された磨きをみて第3シーズンではマンネリ回避からの古畑疲れが出ていると自身でも認めている。
・古畑任三郎の性格でバラエティ番組が好きと言うミーハーな一面があるが、実際の田村にもそういった一面があり、2007年6月16日放送のSmaSTATIONで香取慎吾と対談した時に「こないだSMAP×SMAP観たよ。」と香取に言っていた。
・古畑任三郎役はセリフも多く複雑で、相当大変だったようだ。ファンの声に押され、三谷幸喜の脚本アイデアと自身のチャレンジ精神で10年以上続けたが、2006年1月3日~5日『古畑任三郎 FINAL』が放送され、完結となった。しかし続編を望むファンの声は絶えない。三谷幸喜は「アイデアが尽きた」と語っているが古畑放送終了後に出演した「スタ☆メン」(フジテレビ)において「打ち上げで田村さんと相談する」と語っMasakazu_008 ていた。
・2008年6月14日放送の『古畑中学生-古畑任三郎、生涯最初の事件-』では、番組側が水面下で田村と話し合っており、古畑の過去を語る意欲的なストーリーに理解を示した田村は、数日後に「そういうことでしたら、出演しましょう」と、TVでは2年ぶりの古畑役での再登場を快諾したという。また、出演後は、「少し古畑の役作りを変えてみようか」とも周囲に語ったようである。
・「しゃべりすぎた男」にゲスト出演した明石家さんまは、事前に台詞を覚えない主義のため、現場でミスを繰り返し、これを見た田村はさんまに「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。結果的に仕上がった作品は、その撮影現場の雰囲気から緊張感あふれる優れた法廷劇になった。
・一旦「古畑」が終了した際に、多くのファンからの続編を望まれ た。その質問に対し番組で「(続編は)ないですね」とクールに返した。しかしその後もシリーズやスペシャルなどで度々続編は組まれることになり、まさにエンタテインメントの男らしくファンには何が起こ
るかわからない「期待」や「煽り」を送り続ける一面を持ち合わせている。
・『新ニューヨーク恋物語』(2004年)撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていると、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在するという偶然が起こった。

 等の逸話があって昔からのファンの秋野耀子さんは田村さんがボンカレーのCMで3枚目をやった話しをするだけで『やめて!!』と話しをそらしたそうですがそういう気持ち判らなくはないですよ。私は2枚目が3枚目の役をやったり、悪役がとってもいい人の役やったりする時のギャップがたまらなく好きなもので、田村さんも壊れちゃっていいと思います。(ファンの皆様ごめんなさい!)

 たとえ、酢豚弁当が好きで無いとだだをこねても、たっぷり甘いパフェを食べていても、私はファンの一人です。

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2009年2月12日 (木)

私の好きなマルチ作家~大橋巨泉編

 時は1970年前後になりますが、巨泉さんを知らない方はいないのではないでしょうか?

 セミリタイアと言う言葉を使って巨泉さんは50歳にはセミリタイアをする人生設計を描いていましたが、各方面からの慰留、また49歳の時に司会を始めた「世界まるごとHOWマッチ」に本人の意向で起用したビートたけしさんや石坂浩二さんとの絡みが楽しかったこともあり、56歳まで仕事を継続しました。

 現在では「セミリタイア」は、早くから蓄財しておき仕事が好調の内に辞め、悠々自適に過ごしながら余裕のあるときに仕事もする、という意味合いの言葉として定着していますが、これにもちろん巨泉さんの、絶頂にも係わらず仕事をすっぱりと終わらせたことと、以降の生活スタイルが源泉です(尚、同じような形で芸能活動の一線からのリタイアをした司会者としては上岡龍太郎氏・芳村真理さんがいます。何れも巨泉さんと同じく司会者の大御所として絶頂を極めていた50代でリタイアを宣言していますね)。

 現在は、11月から翌年4月までオーストラリアとニュージーランKyosenn002 ドに、6月から9月までカナダに滞在し、経営するギフトショップの管理の傍ら、ゴルフを楽しむなど悠々自適の生活を送っています。日本に滞在するのは5月と9月から10月末までの約3ヶ月間だけで、この期間はバラエティ番組にゲスト出演するなどしている。外国がとても好きなようだが、以前、福留功男氏の『ベストタイム』に出演した折、寿司を食べてビールを飲んでご満悦のご様子で「日本人でよかった」とコメントする一面もありました。

 まだ評価の高くない人間の才能を見抜く眼にすぐれており、関口宏氏の司会者としての素質を関口自身が司会した『スター千一夜』の時から評価していたといいます。また、TBS番組『大学対抗バンド合戦』のMCをつとめた際、学生バンドの司会として出場したタモリの才能を認めており、芸能界入り直後から積極的に自身の番組に起用しました。さらに、漫才師としての活動が主だった頃のビートたけしさんを、『世界まるごとHOWマッチ』にレギュラー出演させました。テレビ東京アナウンサーで、競馬実況を担当していた小倉智昭氏を誘い自身の所属事務所に入れたりもしました。

こんな偉そうなのは何者?と思うでしょうが、日本のタレント、放送作家、司会者、評論家、元参議院議員、オーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)取締役会長兼エグゼグティブタレント、芸能プロモーター、エッセイスト、競馬評論家、馬主なんです。

大学生の頃はほとんど勉強をせず、テストではカンニングをしていたという(東京新聞での発言)。後に「早大を中退したタレントは出世する」という伝説のはしりとなった方なのです。早稲田大学の学生時代から当時ブームだったモダンジャズ、コンサートの司会者として活躍。なお早稲田大学在学中は俳人としての活動もしており「巨泉」という芸名はこの時期に付けた俳号でだそう。でも2年後輩の寺山修司氏と出会った時に「こいつにはかなわん」と思って俳句の道から足を洗ったといいいます。

 ジャズ評論家・放送作家からテレビ司会者に進出、弁舌家のマルチタレントとして人気を得るようになりました。この方面では、やはり放送作家出身の前田武彦氏と人気を二分し、この2人で日本テレビのバラエティー番組『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』の司会を務めました。あんな面白い番組なのに遅い時間帯にやっていて見れずに寝なければならず後悔したものでした。

 競馬評論家としても積極的に活動していて、調教を見ないで予想することから、書斎派の筆頭格ででした。サンケイスポーツや競馬エイトで執筆するほか、『中央競馬ダイジェスト』(フジテレビ系・土曜深夜放送分)や『日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)に出演していました。血統と展開と騎手で推理し、しばしば長距離の逃げ馬を的中させていた(トーヨーアサヒのダイヤモンドステークス等)。
 谷岡一郎氏が「本命2000円、対抗1000円、穴・大穴・枠流し500円」で大橋の予想と結果をGIレースのみ計算した結果、戻って来る金は賭け金の80.85%でした(谷岡一郎『ツキの法則』)。もちろん負け越しですが、競馬の控除率が25%前後であることから、平均してそれ以上の戻りがあった巨泉さんの予想を優れたものと結論づけています。また、巨泉さんの予想の影響力が大きく、大橋氏が本命に推した馬がそのまま実際の本命(倍率が最低)になったことも多々あり、その結果大橋の回収率は下がっていると指摘。もし巨泉さんが予想を公表せず、自分一人で買う金額も決めていたなら、もっと回収率は上がった可能性があるとしています。

 所ジョージ、関口宏、藤村俊二、タモリ、石坂浩二、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン等から番組に出演するたに「日本に帰ってくるな」などの嫌味を言われていますが、これは慕われていることの裏返しでしょう。「バラエティは生放送じゃなきゃダメ。今の番組はすぐにスタッフの意向でハサミを入れる(カットする)から、出演者の面白さが全部切り取られてる」「映画は監督のもの、テレビはホストのもの」が口癖(巨泉さんが司会を務めていた番組は殆ど収録番組でしたが、全て放送時間と同じ時間で収録を行っており、極力カットもしない「撮って出し」の方式をとっていました。現在このスタイルを取り入れている日本のテレビ番組は『徹子の部屋』、『ライオンのごきげんよう』など、ごく一部しかない)。尚、本人も日本に帰ってきた際、オファーがあれば収録番組にも出演しますが、実際自身が観る番組は『笑っていいとも!』や深夜のニュースショーなど、生放送の番組だけだと言われています。
 月・水・金曜の『11PM』は中学生ながら楽しみにしていました。矢追純一氏がディレクターだった頃、UFOや超常現象について放送されると、真剣に観たものです。

11PM
お笑い頭の体操
クイズダービー
世界まるごとHOWマッチ
巨泉のこんなモノいらない!?

が長寿番組だったことからも巨泉さんの力量が見えてきますよね。上記の番組は毎週みていました。特に『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』はまさに伝説のバラエティー・エンターテイメント番組といっても過言ではないと思います。そして評論家としての顔でいろいろなジャンルの著作を出しています。

読むと納得しちゃうんでしょうね、きっと。私は好きですよ、こういう物知り博士みたいでどこか頭のねじがずれてはまっているような方。覚えてますか?流行語にもなった、あのセリフ、

『みじかびの きゃぷりことれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ』・・・野田秀樹氏と対をはれそうですよね。

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2009年2月10日 (火)

私の好きな作品たち~田向正健編

 NHKでよく名前は知っていたのですが、作品についてはあまり知りませんでした。でも向田邦子賞を取った『橋の上においでよ』は観たかった作品でした。

1987年の堤真一さんと南果歩さんは観たかったです。聞いたところによると、脇を固めていた俳優も一流ばかりだったそうで・・・すみません、DVDありませんかぁ~?と叫びたい気持ちです。なんでも堤真一は当時社会現象化しつつあったテレクラに通う浪人生だったそうで、テレクラでアポを取り、待ち合わせは大阪戎橋の上。女の子とデートできたのだが、その時に聞いた話は嘘で会うことができなくなったのですが・・・・

 人の人に対する虚構と真実、人の本当の姿とは何か。を求めていく堤真一。いろんな事が起きたのちに、実は故郷には17の時に生んだ子供が故郷にいると真実を話だす南果歩。しかしそれだけでは信じることができない堤真一は南果歩を故郷(富山)につれていく。
 ラスト近くに、南果歩の故郷に帰ったときに起こった体の変化に、南果歩と一緒に見る者は心をうち震わせられる。そして蜃気楼を二人で見る。蜃気楼は有名だが、ここで見るのはめずらしいと南果歩はいう。
 ラストさらに、堤真一に衝撃がおとづれる。本当に現代の焦Kaii5 燥感、虚構から、真実を求めていこうとする姿に私たちも感情を見事に移入させられます。これは見るしか無い!!

 そこで田向さんについて、少々。

1961年に明治大学文学部卒業後、松竹大船撮影所に助監督として入社。1969年『とめてくれるな、おっ母さん』で監督および脚本家としてデビュー。同年木下惠介プロに移籍し、それ以後は脚本家の道を歩みました。1976年、NHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』で人気脚本家となります。
1982年、『リラックス』で芸術祭大賞を受賞。
1987年、『橋の上においでよ』で第6回向田邦子賞受賞。
1988年、NHK大河ドラマ『武田信玄』を大ヒットさせ、大河史上2位の平均視聴率を上げた。その後も、2本の大河ドラマを執筆しています。
 同世代の脚本家である山田太一との交流が深く、山田氏は、ずっと意識していた脚本家として倉本聰氏と田向氏の名を挙げています。

そうなんです。大河ドラマを3本も書いているんです。『信長 KING OF ZIPANGU』『徳川慶喜』がそうです。

ところがネットで調べていたら田向さんのドラマは重いとか配役が悪いとか言いたいこと言われていて、驚きました。原作があってその時代風景を考えれば、現代劇のようにいかないのは解りそうなのですが・・・時々あるんです。例えばある人について調べてみようとします。ずっと尊敬していて書く材料を探していたら、凄い反撃の記事、スキャンダラスな記事ばかりだったということが。こう情報が氾濫していると何が正しいのかわからなくなりませんか?

 私はこう考えます。NHKがよく起用するということはそれだけの信頼を得ているわけで、単なる人気取りではないのです。受け狙いでは無いのです。大河ドラマは歴史小説を重んじていますから、二谷幸喜監督のような茶目っ気を求めること自体が間違いだと思いますよ。

 と、このことは忘れて、本題に戻ります。山田氏と同じく1900年代に多くの作品を残していますが、2005年、『ハチロー?母の詩、父の詩?』がやはりNHKで放送されました。昭和を代表する詩人・サトウハチローの破天荒な生涯と、その家族の波乱万丈の物語を描いたもので、サトウハチロウ役は唐沢さんでした。それ以前の作品を紹介すると

冬の旅(1970年、TBS)
喪服の訪問者(1971年、日本テレビ)
雲のじゅうたん(1976年、NHK総合)
優しい時代(1978年、NHK)
リラックス 松原克己の日常生活(1982年、関西テレビ)
夏に恋する女たち(1983年、TBS)
ロマンス(1984年、NHK)
オアシスを求めて(1985年、NHK)
橋の上においでよ(1987年、NHK)
武田信玄(1988年、NHK)
問題の教師(1989年、テレビ朝日)
真夜中のテニス(1990年、NHK)
信長 KING OF ZIPANGU(1992年、NHK)
街角(1993年、NHK)
和菓子の味(1994年、NHK)
ひとさらい(1995年、TBS)
レイコの歯医者さん(1996年、NHK)
月の船(1996年、NHK)
誰かが私を愛してる(1997年、TBS)
徳川慶喜(1998年、NHK)
ハチロー~母の詩、父の詩~(2005年、NHK)

となり、考えさせられる作品が多いことが解ります。『問題の教師』では堤真一さんを再起用するなど、役者へのこだわりもある方です。

もう一度向田邦子賞をとってあっと言わせてください。

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2009年2月 7日 (土)

私の好きな俳優たち~寺脇康文編

 正直なところ、高感を持って観ていた作品は『相棒』と以前の『大様のブランチ』でした。元々水谷さん目当てに『相棒』を観ていたのですが、あの杉下右京殿と最初は全く息が合わなかったのにどんどんお互いを意識し始めながら、自分のスタイルを崩さず、相棒として相手の存在を認めるようになった・・・動物的感を持つ亀山薫クンは杉下さんがいるからこそ際立つ事が出来たともいえますが、もうひとり立ちできるようになったのです。どんどん、その人間臭さが好きになりました。

  このお二人は以前にも『刑事貴族』で共演されていたのですね。残念ながら藤村亮刑事のことははほとんど覚えていませんでした。

『刑事貴族2』以降の主演は水谷豊氏に定着し、出演陣を大幅に入れ替えながら心機一転しました。シリアスとコミカルさが入り混じる若手刑事たちが活躍する刑事ドラマに生まれ変わり、新たなファン層を獲得しました。水谷さんは愛車にイギリス車を使用し、エンデ
ィングにて、タキシード姿に花束を持ってステップを踏むシーンや、常にベストを着用しているなどファッショナブルな設定が随所に出てきて、また音楽も英詞の楽曲を使用したり、インストもあぶない刑事以降のフュージョンを多用したおしゃれな楽曲が多く、エTerawaki003ンディングテーマも舘、郷はもちろん、矢沢永吉、織田哲郎、鈴木雅之 など、アーバンかつワイルドな雰囲気の持つアーティストの楽曲を起用し、そのような細かいところでのこだわりが作品のスタイリッシュなディテールを際立たせました。
 パート1に見られたレギュラー刑事の殉職は、パート2以降はなくりますが、代わりに、卒業や入学を思わせる若手刑事たちの人事異動などは、他の刑事ドラマにはない特色だったと言えます。
やがて人情系刑事ドラマが主流になり始めるとともに視聴率が低迷、1992年12月をもってシリーズは終了。アクション刑事ドラマとしての歴史は、次作『はだかの刑事』で終焉を迎えることになりました。

 1996年4月の放送開始から2006年12月まで司会を務めました。地球ゴージャス公演中(東京公演・地方公演)も生放送、その直後劇場に戻って舞台出演と多忙を極めるスケジュールながらも番組を休む事はありませんでした。(2007年1月からは谷原章介にバトンタッチ)。
 上京して1984年に三宅裕司主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)へ入団。同年11月、SETの第17回目公演『超絶技巧殺人事件』でデビュー。1987年、同劇団の岸谷五朗、山田幸伸と共にコントユニット・SET隊(せったい)を結成。SETの公演内やラジオドラマ等でコントを披露していました。
 1994年、岸谷五朗と共にSETを退団し、企画ユニット「地球ゴージャス」を結成。現在は舞台や映画、テレビドラマ等で活躍中です。観たいですね、とっても。これまで出演されたテレビ作品は、

追いかけたいの!(1988年10月 - 12月、フジテレビ系列)
ヴァンサンカン・結婚(1991年7月 - 9月、フジテレビ系列)祐之 役
刑事貴族2(1991年10月 - 1992年3月、日本テレビ系列)藤村亮・刑事 役 
刑事貴族3(1992年4月 - 12月、日本テレビ系列)藤村亮・刑事 役
ジェラシー(1993年1月 - 3月、日本テレビ系列)宮坂隆夫 役 
悪魔のKISS(1993年7月 - 9月、フジテレビ系列)加藤明夫 役。
オレたちのオーレ!(1993年10月 - 12月、TBS系列)島田健太 役
季節はずれの海岸物語 X'masスペシャル(1993年12月24日 フジテレビ)
適齢期(1994年4月 - 7月、TBS系列)不破貴之 役 
男嫌い(1994年、TBS系列)平尾修二 役 
おれはO型・牡羊座(1994年、日本テレビ系列)林大臣 役 
君に伝えたい(1994年、MBS/TBS系列)
パパ・サヴァイバル(1995年、TBS系列)北原直人 役 
輝け隣太郎(1995年、TBS系列)富島正樹 役
君と出会ってから(1996年、TBS系列) 神谷健一 役
ひと夏のプロポーズ(1996年、TBS系列)三上絋一 役 
竜馬におまかせ!(1996年、日本テレビ系列)高杉晋作 役 
バージンロード(1997年、フジテレビ系列)有川俊 役
D×D(1997年、日本テレビ系列)岡崎博文 役 
心療内科医・涼子(1997年、日本テレビ系列)杉本陽一 役 
サービス(1998年、日本テレビ系列)早乙女彬 役 
女教師(1998年7月 - 9月、テレビ朝日系列)杉本裕之 役。
徳川慶喜(1998年、NHK)岩倉具視 役。 
板橋マダムス(1998年、フジテレビ系列)岩倉具視 役。   
女医(1999年、日本テレビ系列)時任慎司 役
恋愛中毒(2000年1月 - 3月、テレビ朝日系列)藤谷直樹 役。 
相棒(2000年 - 、テレビ朝日系列)亀山薫 役 
最後のストライク(2000年、フジテレビ系列)北別府学 役 
エースをねらえ!・奇跡への挑戦(2004年、テレビ朝日)桂大悟 役 
ヒットメーカー 阿久悠物語(2008年、日本テレビ)宣弘社の上司  役 
お台場探偵羞恥心 ヘキサゴン殺人事件(2008年、フジテレビ)フジテレビ医務室の医師 役

「相棒」シリーズで水谷さんと共演できた約8年間を『夢のような時間だった』と語っています。また、同シリーズで寺脇はシーズン7を最後に卒業しますが、それは「寺脇はこれから俳優としてどんどん成長できる。相棒にとどまらず様々な役を演じるために、羽ばたいて欲しい」という水谷さんの先輩俳優としての気遣いがあったと「徹子の部屋」出演時に寺脇さんが明かしました。充分主役をはれる俳優さんです。アドリブもできそうですよ、三谷監督!でも『大様のブランチ』も卒業してしまわれたので、これから主役を期待しています。

『地球ゴージャス』も順調で、『ささやき色のあの日たち』は           

どこだかわからない空間。体温の感じられない透明な場所。
そこで、2人の男が出会った。
2人は、何故だかわからないまま、どちらかともなく、それぞれの人生を語りだす。