映画・テレビ

2010年5月17日 (月)

自由を奪われるということ『ホワイトナイツ』 白夜(1985)

 この映画は何度映画館に通ったことか、数え切れません。ストーリーはとてもシンプルなのですが、ダンスシーンや脱走シーンetcはこの配役で成り立ったともいえるのではないでしょうか。

 ロンドンから東京に向う国際線が、白夜のシベリアのとある空港に不時着した。乗客の世界的なダンサー、ニコライ(ミハイル・バリシニコフ)は負傷しながらも、身元のわかるパスポートやクレジットカードをちぎってトイレに流した。彼は8年前、人生と芸術の自由を求めてアメリカに亡命し、祖国ソ連では犯罪者となっているのだ。病院のベッドで意識を取り戻したニコライに、KGBのチャイコ大佐(イエジー・スコリモフスキー)が笑みを浮かべていた。「おかえり、ニコライ」。ニコライは重傷者として拘留されマネージャーのアン(ジェラルディン・ペイジ)は、他の搭乗者と一緒に西側に移されることになった。
 

 チャイコはニコライを新装されるキロフ劇場に再び登場させようと考え、その説得役として黒人のレイモンド(グレゴリー・ハインズ)とン連人妻ダーリヤ(イザベラ・ロッセリーニ)の夫婦に彼を預けた。

 レイモンドは、かつてアメリカの国策に反対し、ニコライとは逆にソ連に亡命したタップダンサーである。だが、亡命当時は優遇された彼も、今ではシベリア公演のみが与えられた「自由」だった。監禁状態同様のあつかいにニコライは、レイモンドとダーリャをKGBの手先だと批難した。芸術の自由を得るために母国を捨反目しあった2人だが、やがて互いの立場を理解し、ニコライはダンスをすることを了解。

公けには意識不明とされたまま、彼はレイモンド夫妻とともにレニングラードヘ移された。
 一方アンは、ニコライの身柄引渡しをアメリカ大使館に求めたが、交渉は難航していた。レニングラードでニコライは、かつての恋人ガリナ(ヘレン・ミレン)と再会、8年間の時間を2人は感慨深くふり返るのだった。ニコライが脱走を企てたとしてチャイコはダーリャを連れ去った。

 ニコライはリハーサルを開始した。2人は見事なダンスを繰り広げる。
 そして彼はダーリャに想いを寄せているように装い、彼女を取り戻した。そのころガリナはニコライのソ連脱出の決心に負け、秘かにアメリカ大使館と接触、脱出工作を手助けした。綿密な計画通りに3人はKGBの目を盗んで脱出を開始。だが、レイモンドはチャイコの目をそらすため、自らオトリとなり、ニコライとダーリャはアメリカ大使館に駆け込んだ・・・。
 何日か経ったある日。深夜、レイモンドはチャイコに車で連れ出された。処刑か?不安に襲われるレイモンド。。。。g(oo映画より抜粋)

 ニコライの創作ダンス、レイモンドのステップが合った時、もう2人の間には友情が芽生えていたと思います。レイモンドにしても出来るならアメリカへ帰りたいと思っていたとはず。でも手立てを知らなかった。。。執拗なまでに付きまとうKGBのチャイコ大佐。

 照り続け、沈む事の無い白夜。。。気がおかしくなると人は言います。

自由を求めただけなのに、自由な芸術を模索しただけなのに、監獄のように見張られる日々です。

 3人の脱走劇は、ある高級な一室に押し込められ、ニコライがダーリアにちょっかい出したという前提で喧嘩を始め、それを録音したテープを流し続けることで3人が部屋に居るように見せかけ、窓から縛ったシーツで階下まで降りると言う計画でした。

 ところがチャイコ大佐が帰ってきてその頭上に3人目のレイモンドが。。。
レイモンドは引き返して2人を脱出させ、部屋から出て行き、チャイコ大佐に自分の妻を寝取られたと告白し、ウォッカを2人で飲み、酔いつぶらせようとします。でもテープの音声が同じ会話の繰り返しということを突き止められ、レイモンドは監獄に。

 数日経ったある夜、レイモンドは暗い道を『まっすぐ歩け!』と言われ、後ろから銃殺されるとばかり思っていましたが、向こうからも人が歩いてきて『ハーイ、同士』と言ってすれ違うのです。
 あっけに取られたレイモンドを待っていたのは、妻のダーリア、そして固く結ばれたニコライの顔でした。もう、私は何度観てもこの場面は忘れられません。

 この映画で私が得たものは、亡命とは名の通り、命がけであり、一度自由を奪われた人間は半ば諦めて新しい人生を見つけそのかごの中で生きなければならないこと。そしてお互いの国の人質交換が名誉の為になされるとい事実です。そして国境を超えようと、色が何色であろうと信じ合えるということです。

 そして、ラストに流れたライオネル・リッチーの『Ssy you Say me』は名曲としてグラミー賞を取りましたね。ではこの曲をお聞き下さい。

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2010年4月20日 (火)

映画『シンドラーのリスト』

 私が兄と一緒に映画を見に行く時は、どうしても重いテーマのものとなってしまいます。この作品もそのなかの一つです。
あえて原作と比べすに観た作品で、眼を覆うシーンやシンドラーのしたことは所詮、偽善ではないかと当初は思ってしまいました。

 私はこの作品のことを忘れかけていましたが、ある癒しのCDにこの作品のテーマ曲があり、それを聴いて思い出さずにはいら
れなくなりました。音楽も感極まる素晴らしいものでした。

 スピルバーグ監督でアカデミーを総なめしたことから、ご存知の方も多いと思いますが、ます、大まかなあらすじを。。。

 39年、ポーランド南部の都市クラクフにドイツ軍が侵攻した。ドイツ人実業家のオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、一旗揚げようとこの街にやって来た。彼は金にものを言わせて巧みに軍の幹部たちに取り入り、ユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらう。ユダヤ人会計士のイツァーク・シュテルン(ベン・キングズレイ)をパートナーに選んだシンドラーは、軍用ホーロー容器の事業を始める。

 41年3月、ユダヤ人たちは壁に囲まれたゲットー(居住区)に住むことを義務づけられる。シュテルンの活躍で、ゲットーのユダヤ人たちが無償の労働力として、シンドラーの工場に続々と集められた。事業はたちまち軌道に乗り、シンドラーはシュテルンに心から感謝したが、彼の差し出すグラスにシュテルンは決して口をつけようとしなかった。シンドラーはドイツ人の愛人イングリートをはじめ、女性関係は盛んな男だった。別居中の妻エミーリェ(キャロライン・グッドール)は、そんな奔放な夫の生活を目撃し、彼の元を去った。43年2月、ゲットーが解体され、ユダヤ人たちはプワシュフ収容所に送られることになった。ゲットーが閉鎖される当日、イングリートを連れて馬を走らせていたシンドラーは、小高い丘からその様子を目撃した。親衛隊員たちは住民を家畜のように追い立て、抵抗する者、隠れようとする者、病人など、罪もない人々を次々に虐殺していった。その悲惨な光景の中、シンドラーの目に赤いコートを着た少女が隠れるところが映る。(このコートの赤はパート・カラーで示される)収容所に着任したアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)は所内を見下ろす邸宅で、酒と女に溺れる生活を送る一方、何の感動もなく無造作に囚人たちを射殺していた。シンドラーは地獄図に耐えかねて、生産効率の向上という名目でユダヤ人労働者を譲り受け、私設収容所を作ることを許可してもらう。シンドラーは、ゲートのメイドとして働くヘレン(エンベス・デイヴィッツ)にも希望を与える。

 44年、敗色濃いドイツ軍は、ユダヤ人をアウシュヴィッツをはじめとする死のキャンプに送り込みはじめた。シンドラーはチェコに工場を移すという理由で、ユダヤ人労働者を要求する。急ぎリストアップされたのは1200人。途中、女性囚人がアウシュヴィッツへ移送されたが、シンドラーは役人にワイロを渡し、彼女たちを救い出す。彼の工場は武器弾薬の製造にも、徹底して不良品を作ることで抵抗する。やがて45年、ドイツ無条件降伏。ユダヤ人は開放された。ユダヤ人たちの感謝の念と涙に見送られながら、″戦犯″であるシンドラーは彼らに別れを告げた。(goo映画より抜粋)

 第二次大戦下、1200人のユダヤ人をナチスの虐殺から救った実在のドイツ人実業家の姿を、ドキュメンタリー・タッチで描いた大作です。第66回アカデミー賞では最優秀作品賞・監督賞ほか、7部門を受賞。トマス・キニーリーの同名ノンフィクション小説を「レナードの朝」のスティーヴン・ザイリアンが脚色し、「ジュラシック・パーク」のスティーヴン・スピルバーグが映画化。製作はスピルバーク、「ジュラシック・パーク」のジェラルド・R・モーレン、「ソフィーの選択」でプロダクション・デザイナーを務めたブランコ・ラスティグの共同。エグゼクティヴ・プロディーサーは、スピルバーグ作品のほとんどを手がけているキャスリーン・
ケネディ、撮影はヤヌス・カミンスキー。音楽は、監督とは14度目のコンビとなるジョン・ウィリアムス。主演は「ダークマン」のリーアム・ニーソン。共演は「ボビー・フィッシャーを探して」のベン・キングスレイ、「嵐が丘」(92)のレイフ・ファインズによって創られました。

 この作品では好対照に描かれている人物が2人います。1人は勿論主人公であるオスカー・シンドラー。彼は次第にユダヤ人解放者となっていき、最後には英雄として名を残すようになります。そしてもう1人は中盤か登場するナチスの将校、アーモン・ゲート。非情に不安定な気性の彼は、無機質的にユダヤ人を処刑することもあれば、ユダヤ人の女性に愛情を見せることもある。。。でも彼の行ったことは間違いなく悪行であり、最終的に彼は処刑されてしまいます。

 最初の段階でシンドラーにユダヤ人を保護するだけの力はありませんでした。彼らを雇い、事業を成功させることによって初めて、その可能性を生み出したのです。彼のユダヤ人保護が可能になるのはその後なのです。そして彼はその時、善意に目覚めます。
 自分にならこの悲惨な状況から少しでも多くのユダヤ人を救うことが出来ると知るのです。最初はアーモンを遠回しに説得しようとします。しかしこれは敢え無く失敗します。

 ユダヤ人虐待とは根拠も何もない、とてもナンセンスな、常軌を逸した恐るべき行為なのです。そのアーモンを、シンドラーは説得します。それは彼に「許す」ということを教えることでした。「許す」というのは王の選択であり、とても高度な選択です。人の過ちを「許す」ことによって威厳を示せ、と言うのです。これはアーモンにとっては願ってもない助言でした。自分の異常な行為を制御することが出来ると思ったからです。そしてそれからアーモンはユダヤ人のちょっとしたミスを許すようになりますが、すぐに我慢できなくなり、少年を射殺することで彼の善意は失われてしまいます。アーモンの善意は、シンドラーと違って、有事においては非情にもろいものでしかなかったのですね。

 シンドラーは率直にユダヤ人たちを労働力として雇うことで彼らを救うという手を考えます。そしてそれは成功をおさめます。これには危険もつきまとったことでしょう。彼の目論見がナチスに露呈すれば、シンドラーはおろか、彼の雇ったユダヤ人全てが処刑されるでしょうから。あるいはさらにナチスを反動的にさせたかもしれません。しかし彼は最後まで自分の信念を貫きました。

 シンドラーが逃亡する際、シュターンは『1100人の命を救った』と言います。しかしシンドラーは『もっと努力すれば救えた』と泣き崩れるシーンは忘れることが出来ません。『あんなパーティーをしなければ数十人救えた、このバッチだって一人は救えた。』そうつぶやくシンドラーも、最初のうちはシンドラーにすがる人々に対し、『私は慈善事業をしてるんじゃない!!』と憤慨する場面もあり、それこそ普通の人間だとも感じたものでした。

誰かが努力をすれば、状況はもう少しよくなっていたのではないかと悔やめば悔やむほど、新たな後悔が襲ってきます。シンドラーの尊い行いに感動しただけでなく、実際もう少しでもユダヤ人を救えなかったのかとやりきれない気持ちになりました。

 人間の善意は、時と場合によっては非情にもろく、必要なときに存在しない不確かなものという面があると思います。それでもこの映画は人間の善意を否定していません。善意は必ず人の中に存在すると信じたい。。。シンドラーの非常に立派な行い、そしてそういう点で非常に戦争とは悲惨なものなのだと思い知らされます。考えれば考えるほど辛くなるかも知れませんね。

 美しい音楽が物語をより一層盛り立てます。今になって観たことを良かったと思える映画でした。

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2010年3月24日 (水)

芝居に賭けた人生~山﨑 努

 山崎さんは、映画が出発点であったことを私は知りませんでした。黒澤明監督作品の『天国と地獄』で演じた誘拐犯・竹内銀次郎役、同じく黒澤作品の1965年、『赤ひげ』で演じた佐八役で注目され、その後映画をはじめ、テレビ・舞台へと活躍の舞台を広げられたのだそうです。
 1984年の『お葬式』から『タンポポ』『マルサの女』と、『マルサの女2』からその位置を津川雅彦氏に代わるまで伊丹十三監督作品に連続出演されていました。

『静かな生活』にも出演。2000年、紫綬褒章受章。最近では、2001年の『GO』(東Yamazaki001映)、2004年の『世界の中心で、愛をさけぶ』と、全幅の信頼を置く行定勲監督作品に連続して出演し、鍵を握る役どころを圧倒的な存在感で見せました。現在も舞台、テレビドラマ、『地球大進化46億年・人類への旅』などで活躍し、2007年、秋の叙勲で旭日小綬章を受章と功績が認められて入る事は私にとっても嬉しいことです。

 「必殺シリーズ」において、人気キャラである念仏の鉄を『必殺仕置人』(1973年)、『新必殺仕置人』(1977年)と2度演じた事がありこれは極めて稀な例だそうです。そう、あの頃は山崎さんではなく鉄さんと呼んでいましたね。

 その後は『九門法律相談所シリーズ』を楽しみにしていました。強面でいかにも検事と言う感じだったのが、口は悪いけれど、優秀な弁護士・・・娘のめぐみさんとも仲がいいんだか、悪いんだか・・・でもああいう親子のやり取りは聞いていても不快にならないのだから不思議です。

 深く刻まれたしわとムスッとした表情、低いトーンの声など、他に並ぶ者がいないほど独特な存在感・威圧感を併せ持ます。その実力は渡辺謙さんが自ら、自分は山﨑努の弟子と公言してはばからない程です。渡辺さんがまだ若手だった1985年に自身プロデュースの舞台『ピサロ』に渡辺さんを起用したことが縁で二人の師弟関係が始まりました。

  山崎さんの舞台は特に観てみたいと思っていますが、なかなか舞台には行けません。『リチャード三世』や『ヘンリー四世』などは素晴らしいのだろうと推測されますが、せめて教育テレビで放送してくれるのをまつばかりです。

 1977年に公開された『八つ墓村』では、史上最凶最悪の殺人鬼・多治見要蔵を演じました。青白い顔で、日本刀と猟銃を手に、次々と村人を殺害していくシーンは、見る者すべてを戦慄させましたね。

『天国と地Aoki005獄』では、この 映画は主役が3人いて、映画の前半=被害者:三船敏郎 後半=刑事:仲代達也たち  終盤=犯人:山崎さんという形になっていますが、この終盤と言うのは実際には5分ちょっとしかないのですが、山崎さんがその5分でおいしいとこ全部持っていったそうで、(世界的スターだった三船氏や仲代氏を向こうにまわして…この映画140分もあるのに・・・) 

実際には山崎さんの場面のあとにまだ続きが用意されていたのですが、山崎さんの演技の凄さにかの黒澤氏が続きの場面をすべてカットし、エンドマークにしてしまったなんて事も聞いています。

 山崎さんの面白い面を見たいなら『刑務所の中』でしょう。面白いとこ大炸裂です。ドラマでも笑ってしまうのは『人に言えない職業の男』もそうですね。『クロサギ』(2006年/TBS)の詐欺師の大本締め桂木敏夫役かっこよかったすね。

でも本当はアットホームにすごされているようで、湯川学的に言えば、『さっぱり解らない。でも面白い。』というところでしょうか。

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2010年3月 8日 (月)

映画『いそしぎ』

 you tude でジャズを聴いていた時、このいそしぎのテーマ曲が流れてきました。あまり映画は記憶が無かったのですが、こんないい曲が流れる映画は、さぞかし素晴らしいだろうと思って調べてみました。

 あらすじは、カリフォルニア海岸に建てられた一軒家に、無名の画家ローラ(エリザベス・テイラー)と、9歳になる息子ダニーが、世間に煩わされることなく、自由な生活を送っていた。ところがある日、ダニーはなかば強制的にミッション・スクールに入れられることになった。
 宗教家の校長エドワード(リチャード・バートン)と、彼の妻クレアー(エヴァ・M・セイント)はダニーばかりでなく、世間知らずで、自然児のような母親ローラをも教育する必要があると感じた。そしてたびたびローラと接触するうち、エドワードは彼女の裸の人間性に強い魅力を感じるようになった。ローラの過去はほとんど謎だった。ただ学校の理事ヘンドリックスにると、彼女は不幸な恋愛のすえ、私生児ダニーを生み、彼の援助で美術学校に通ったのだという。

 この頃、エドワードは、新しい礼拝堂を建てる計画を進めローラにも協力を求めた。しかし彼女は、その建築費を貧しい子供たちの教育費につかった方がいいというのだった。自ら無神論者だと言いきるローラの前で、エドワードの宗教観はくずれそうになった。

 数日後、ありあまる自由を持ちながらも、やはり孤独だったローラは、訪ねてきたエドワードに身をまかせた。罪の意識を失くした彼は、妻を偽り、傷いえたいそしぎが、大空をはばたくように、ローラと旅に出た。2人の関係がそれとなくクレアーの知るところとなった。  思いあまったエドワードは真実を告白した。むろん彼女は許すことができない。一方、ローラにとっても自分たち2人だけのことを、たとえ妻といえども人に話したということは許せなかった。学校を辞めたエドワードは、もう一度考えてみるというクレアーを残し、ひとり、旅に出た。いそしぎの飛び交う海岸では、ローラが絵筆をとっていた。

 こう書いてしまうと不倫の恋のお話?でチャンチャンとなりそうですが、私はもっと深い感情を抱きました。ローラは常識人ではないかもしれません。でも礼拝堂を造るより、子供の教育費に、と思うローラは純粋です。私は無神論者ではありませんが、教会を大きく、立派にする余裕」があるなら、もっと有意義な使い方をして欲しいと思うのはいけないことでしょうか。エドワードの宗教観が崩れそうになる、それが本来あるべき姿のような気がします。神を信じて生きるがゆえに見えなくなってしまうことがあるのは確かだと思います。

 ただローラのダニーへの教育は自由奔放過ぎて、眼に余るものはありましたから、学校くらい行ったほうが、人間関係は作れると考えます。

ローラとエドワードの間には確かに恋愛感情が生まれたのでしょう。そしていそしぎのように飛びたかった。。。でもエドワードは妻に告白しますね。ここのところは『恋におちて』とよく似ています。妻としては、ただの浮気より、本気になってしまわれることが一番酷なのです。

ローラはそういうクレアーのことを思って秘密にしておきたかった。ローラも苦しんだのだと思います。自分も昔苦しんできたから気丈に振舞ったのだと思います。ただ、のらりくらりと自由奔放にしていたわけじゃないということが、だんだん解ってきます。ラストで一人海岸で絵を描く姿はこうして生きていくことを私は選んだのだという決心と本当は淋しい哀愁が漂って音楽が盛り立ててくれています。

 ただ救われないのはエドワードですね。色んなしがらみから開放されたローラとの時間は本当に素晴らしく思っていた、でも、妻に対する感情が無いわけではない。。。でも一人旅に出る。。。この行為は。。。男もつらいよ、ですかね。(すみません、男心が解らなくって)

 と、音楽の中にある哀愁をタイアップさせてしまいました。リズもある程度歳を重ねていい顔になっていますね。若い頃より好きです。

メロドラマの原点とも言われていますが、今時のメロドラマはもっと純粋さに欠ける気がするのは私だけでしょうか。

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2010年3月 2日 (火)

私の好きな番組たち~CSIを考える

 米ドラマで有名になったCSIシリーズ。私はまだ『CSI:科学捜査班』と『CSI:マイアミ』しか観た事がないのですが実はこれは三部作になっていて、『CSI:NY(ニューヨーク)』があることをご存知でしたか?私は以前、海外ドラマのことを書いたときに知ったのですが、
一般のTVでみられないのか、放送されていないのか、見ることができません。

 ではこれらはのシリーズの違いは?

『CSI:科学捜査班』では全米視聴率NO.1ドラマ「CSI:科学捜査 班」。AXNが放送するシーズン5、その第8話でついに第100話に到達するロングラン・ヒット作です。

巨大カジノが建ち並び、世界中から観光客が押し寄せる娯楽都市Csi001 、ラスベガス。多種多様な人種、職業、年齢の人々が訪れるこの街は、華やかな表の顔を持つ一方、ありとあらゆる事件も起ます。全米で第2の規模を誇る科学捜査機関と言われるラスベガス市警 犯罪課 犯罪現場捜査研究所 科学捜査班(CSI:Crime Scene Investigation)のメンバーたちは、昼夜を問わず発生する事件の現場に駆けつけます。犯人の遺留品や証拠物件を検証し、犯罪を科学的に立証していくのです。CSIの3つのシフトのうち、夜間を担当するのがギル・グリッソム主任率いるチーム。シングルマザーのキャサリン、ラスベガス生まれのウォリック、ハーバード大卒の才女サラ、たまに失敗もするが仕事熱心なニックをあわせ、研究員から捜査官への自立を目指します。若手グレッグ、また元CSIで今は市警殺人課のブラス警部、ベテラン検死官のアルもチームを支えるというものです。グリッソムを筆頭に変わり者のキャラがドラマを一層盛り立てています。

 
 一方『CSI:マイアミ』は自然に恵まれ、セレブの豪邸・別荘が建ち並ぶ楽園ですが、犯罪多発地帯でもある米フロリダ州マイアミ。そこを守るマイアミ=デイド郡警察のCSIが、最新捜査テクニックを駆使して凶悪犯罪に挑む痛快ポリス・アクション・ミステリーです。米国や日本以外も人気は高く、06年には世界で最もよく見られているTV番組に選ばれました。知的ミステリー、洗練されたビジュアルとサウンド、科学捜査Csi002 の最前線に迫るリアリズムなどの見ものは他の「CSI:」と同じですが、「CSI:マイアミ」にはプラス・アルファがあります。まず「CSI:科学捜査班」は砂漠の町ラスベガス、第3の「CSI:」である 「CSI:NY」は大都会ニューヨークが舞台なのに対し、「CSI:マイアミ」は、海、ビーチ、湿地帯、空でスケールの大きい事件・事故が起きることがく、銃撃戦や爆破、カーアクションなも「CSI:」兄弟で一番派手です。マイアミの土地柄と同様、ホットな捜査模様が展開されます。
ゆえに私はマイアミが一番好きなんです。グリッソムとホレイショの対比も面白いですね。

 マイアミ=デイド郡警察のCSIは、タフなホレイショ・ケインが主任。母親を麻薬密売人に殺された過去があり、潜入捜査官の弟が殉職したこともあってか、悪を憎んで許さない男なのです。彼の部下は、銃器や弾道に詳しい“弾丸ガール”ことカリー・デュケーン、多岐にわたる仕事を黙々とこなす実力派ティム・スピードル、ダイバーのような装備で水中の調査を得意とするエリック・デルコ、死体に話しかけながら働く検死官アレックス・ウッズ。いずれも仕事熱心なプロフェッショナルです。
 彼らと連携する郡警察の刑事はイェリーナ・サラス。ホレイショの弟レイモンドの妻だったシングルマザー。ホレイショとは微妙な人間関係が続いていくのも見ものです。

 では『CSI:NY(ニューヨーク)』はどんな番組なのでしょうか。
『CSI:NY』は北米大陸最大の都市で約800万人が住み、外国人居住者も多く、国内外からビジネスマンや観光客が押し寄せることから“人種のサラダボウル”とも呼ばれるニューヨーク。治安は1990年代から改善が進みましたが、2001年にはあの忌まわしい同時多発テロ事件が起きるなど、すべてが揃った街だけに悲劇は尽ません。摩天楼の隙間を縫い夢と欲望、愛と裏切りは、今日も人混みに溶け込み、思わぬスピードで渦を巻き、それらは時に犯罪を生み出す・・・何が起きるか分からない、何が起きてもおかしくない、それがNYなのです。
 そんなNYで起き続けるユニークな難事件に挑むのがNYPD(NY市警)のCSI。チームを率いるリーダー、マック・テイラー自身、同時多発テロで愛する妻を失い、その悲しみを背負い続ける男。部下たちもNYならではの個性あふれる顔ぶれです。他の「CSI:」との違いを強調するなCsi003ら、やはり大都会NYならではの、フェティシズムにあふれる各事件のユニークさでしょう。シーズン2も、超高層ビル、エンパイア・ステートビルの外壁を登っていた途中でクライマーが落下した事件、朝のラッシュで混雑する駅で起きた殺人、動物園のトラに人間がばらばらに食いちぎられた事件など、背筋が冷たくなるような異常事態が連発。でも優れた犯罪学者でもあるマックのもと、捜査官たちは事件をあるがままに見つめ、掘り下げ、光を当てていきます。そこに集まった者が他人と距離を置きながら生きる大都会らしい、クールなプロフェッショナルたち。もちろん、中心人物マックに扮するのが「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94)「アポロ13」 (95)「グリ ーンマイル」(99)などのヒット映画で知られる名優、ゲイリー・シニーズなのも、「CSI:NY」の世界に厚みを増しています。

 クロスオーバーと言えば、実は米TV界では、人気が高い番組の登場人物が兄弟番組に登場してそちらの人気も高くしたり、それらを自然につなげるため弟分の番組のキャラが兄貴分の番組に登場することがあり、そんなクロスオーバーがファンの間でお祭りとなって盛り上がることが多いんです。

「CSI:」初のクロスオーバーは、「CSI:科学捜査班」シーズン2第22話「ベガス-マイアミ合同捜査」。これはまだ全米放送が始まっていなかった「CSI:マイアミ」の事実上の第1話であり、「CSI:科学捜査班」のウィロウズとウォリックがマイアミに出張することで、「CSI:マイアミ」のメンバーたちをTV初お目見えさせましたね。第2のクロスオーバーは「CSI:マイアミ」シーズン2第23話「マイアミ-NY合同捜査」で、これは「CSI:NY」事実上の第1話で、こちらもメンバーたちのTV初お目見えとなりました。ファンにはたまらない仕上がりでした。

 どの作品から観ても一話完結なので、面白さは伝わってきますが、どれもシーズン1から観ることを私はお勧めします。キャストの絡みといい、勿論一人一人の性格や背後を知ることで面白さは倍増します。日本のものと大きく違いを感じずにはいられないと思います。

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2010年2月11日 (木)

大森美香、『ランチの女王』『不機嫌なジーン』

 私は以前にも書きましたが竹内結子ちゃんのファンで、『ランチの女王』『不機嫌なジーン』など月9は結構観ていますがこの2作品、脚本が同じ方だとご存知でしたか?私はついぞ知りませんでした。『不機嫌なジーン』が向田邦子賞を取ったことは知っていたのにです。どちらかというと『ランチの女王』のほうに賞をあげて欲しいと思うのですが・・・

 脚本家であり演出家、映画監督でもある大森さんは1972年生まれ と聞いて驚いてしまいました。

 2000年からフリーランス。以後、『カバチタレ!』のヒットを足掛かりにコンスタントに佳作を著し、若くして月9、朝ドラの脚本を手がける人気脚本家となりました。その一方で、映画監督としての活動にも力を入れています。

 多くの作品で、気の強い女性を中心に据えているのですが、実は優しいし淋しがりやなのかなとふっと思える瞬間があり、今時の女の子ってこんな感じなのかなあと考えさせられます。

ドラマに共通するのが気の強い女性なのですが、ふっと力が抜ける瞬間がどの作品にもあって、それが何故か観ている私などはほっとするん
です。

『ランチの女王』はランチが大好きな麦田なつみ(竹内結子)は、ひょんな事からTakeuti003洋食屋「キッチンマカロニ」で働きながらその家に住む事に。「マカロニ」の次男鍋島勇二郎(江口洋介)、三男の純三郎(妻夫木聡)、四男の光四郎(山下智久)、そして下宿人でもある牛島ミノル(山田孝之)と共に店で働くなつみ。長男健一郎(堤真一)の偽りの婚約者と嘘を抱えているのですが・・・

「マカロニ」の父親(若林豪)は毎晩デミソースを作っている口数の少ないひとですが、いつも静かに、警察に追われているなつみを見守り、かばってくれました。そこが泣けます。「あいつらを宜しく頼みます。」「今日のソースは最高だ!」と言い満足げにしていた父親が翌朝、ン眠るように亡くなっていました。困惑しながら兄弟の絆を固くしていきます。

 そこでなつみは本当の居場所はここだと悟ります。家族など無かった彼女にとってそれまで突っ張ってきたものが解けていくのです。それまで一人で生きてきたなつみは気が強い、そんな一面だけで悪い仲間の中にいましたが、家族の愛情に包まれ、一人ではないとおもえることをしみじみ感じていたと思います。

なっちゃんが好きなのは、勇二郎か純三郎か・・・なっちゃんが自 分のことをつい話してしまう相手は勇二郎さんなんですよね。気の強い女は多少の年齢差があって相当頼れる相手じゃなければ、むずかしいのかもしれないと思いました。

 『不機嫌なジーン』が向田向邦子賞を得た背景に、動物行動学や大学院生の研究生活を取り扱ったことが月9の視聴者層全体には受け入れられなかったのか、高視聴率につながりませんでした。

 でも積極的に科学分野を取り入れたことが評価され、脚本は向田邦子賞を受賞しました。この作品で受賞できたことを大森さんはとても喜んでいました。実際の研究者が見れば失笑物のシーン・設定も多いでしょう。例えば舞台となる動物行動学研究室では学生一人が一つのモデル生物をテーマに研究を行っているのだが(しかも脊椎動物・無脊椎動物関係なしに雑多な生物を扱っている)、安定した実験結果を得るには莫大な科研費・維持費が必要となり、実際には一研究室がこのように雑多な動物をJannsenn043テーマにする事はほとんど不可能です。 一方で実際の分子生物学的実験のシーンでは、本物の研究者よろしく手際よく実験を進める芝居を行っている点で評価できるのだそうです。

 このジーンこと蒼井仁子(竹内結子)は努力家ですが『人間と自然は共存できる』『人間は動物を守る存在』など理想家の一面もあり、南原によく指摘され討論になることもしばしば。恋愛に無関心というわけではなく、実はシャイで純情に恋をする女でした。ただ1年付き合って南原が浮気をし、以来男性不信に陥るのです。

 一方南原孝史は35歳。仁子曰く、自分勝手でナルシスト。自信過剰、いつもブツブツ文句を言ってばかり、すぐに泣く。大嫌いで同時に愛おしいらしい。だが理想家の仁子と違い、『人が消えても地球は何も困らない』など現実を見る男です。仁子にどんなに貶されてもそれを原動力に変えてしまうポジティブ体質。実はバツイチ。

 最初は仁子を遺伝子を増やすために迫っていましたが、知らない間に彼女に惹かれ愛していました。ミネソタに旅立つ直前に本当の想いを告げ、両思いになる。2年後、仁子にプロポーズを申し入れ成功しますが彼女が迷っていることに気づき、背中を押す形で自分から別れを告げます。しかし、部屋の中で彼は一人涙を流していた・・・

そういうタイプの男性って増えているのですか?ちょっと気になるところです。

 他にもこれ観たというドラマがきっとあるはずです。私は『カバチタレ!』も好きでした。

どれも気の強い女性が登場しますが、実は一人じゃ生きられない、家族だったり、恋人だったり、仲間だったり、形はそれぞれ違いますが、ベースにあるものはこれに尽きると思います。

 今後も期待したい脚本家さんです。

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2010年1月29日 (金)

暗い影『海と毒薬』

 評論家の山本健吉氏は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」と言っています。

太平洋戦争末期、米軍捕虜八名を生体解剖した事件を二人の研究生の目を通して描いています。
本当に暗い海と、対象的な二人の研究生の姿が印象的でした。

 映画のあらすじは、昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、九州F市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。
 F帝大医学部研究生、勝呂と戸田の二人は、物資も薬品もろくに揃わぬ状況の中で、なかば投げやりな毎日を送っていた。

だが勝呂には一人だけ気になる患者がいた。大部屋に入院している“おばはん"である。助かる見込みのない貧しい患者だった。「おばはんは、おれの最初の患者だ」と言う勝呂を、リアリストの戸田は、いつも冷笑して見ていた。そのおばはんのオペ(手術)が決まった。

どうせ死ぬ患者なら実験材料に、という教授、助教授の非情な思惑に、勝呂は憤りを感じながらも反対できなかった。当時、死亡した医学部長の椅子を、勝呂たちが所属する第一外科の橋本教授と第二外科の権藤教授が争っていたが、権藤は西部軍と結びついているため、橋本は劣勢に立たされていた。

 橋本は形勢を立て直すために、結核で入院している前医学部長の姪の田部夫人のオペを早めることにした。簡単なオペだし、成功した時の影響力が強いのだ。ところが、オペに失敗した。手術台に横たわる田部夫人の遺体を前に呆然と立ちすくむ橋本。

橋本の医学部長の夢は消えた。おばはんはオペを待つまでもなく空襲の夜、死んだ。数日後、勝呂と戸田は、橋本、柴田助教授、浅井助手、そして西部軍の田中軍医に呼ばれた。B29爆撃機の捕虜八名の生体解剖を手伝えというのだ。二人は承諾した。

生体解剖の日、数名の西部軍の将校が立ちあった。大場看護婦長と看護婦の上田も参加していた。勝呂は麻酔の用意を命じられたが、ふるえているばかりで役に立たない。戸田は冷静だった。

彼は勝呂に代って、捕虜の顔に麻酔用のマスクをあてた。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたった。

その夜、会議室では西部将校たちの狂宴が、捕虜の臓物を卓に並べてくり広げられていた。その後、半月の間に、次々と七人の捕虜が手術台で“処理"されていった。(goo映画より)

 この小説はフィクションとして書かれていますが、「捕虜に対する生体解剖実験(九大生体解剖事件)」と言うのは戦時中、実際に起きた事件です。作者の遠藤周作氏は、その事件に着想を得てこの「海と毒薬」を書いたようです。

 原作は信仰心はあるのに実質的に神の存在というものが無いTadanori004 日本人と、キリスト教の教えを対比していますが、映画の中でその部分は薄くしか感じ取れません。熊井啓氏は、宗教的な相違に焦点を当てるよりも、生きている人間を組織や状況の中で致し方なかったとはいえ、実際に生きている人間を解剖してしまうその人間の強欲、エゴ、そういった部分に焦点を当てて脚本を書いたと思われます。

 この映画は1986年の作品ですが白黒です。それがなおさら物悲しいものに仕上げています。私は映画の前半はあまり記憶がなく、ただ、研究生の勝呂(奥田瑛二 )の気の弱い性格と、戸田(渡辺謙)の物怖じしない性格の二人が暗い海辺で、生体解剖をするにあたり、苦悩する姿は忘れられません。白い巨塔宜しく教授争いなどというものが絡んでいた為に生体解剖というとてつもないことに直面するのです。
  

 まさに人権を無視したエゴであり、強欲です。そしてその様子を記者らしき人々が群がって写真を取り捲るシーンは、これが戦渦の実態なのかとおぞましくさえ思えました。

 戦争で人を殺しても非難されなかった時代、生体解剖で人を殺すことだけが悪いといえなかった背景もあったでしょう。人間の本性、理性という仮面を一旦取ってしまえば人間はこんな残虐な行為まで行えるのです、そしてそれを知性で正当化しようとする。

 確かに「戦争」と言う異常な状況が彼らを狂わせたとも言えるのかも知れませんが、この物語で私が感じたのはやっぱり「戦争」の恐ろしさより「人間」の恐ろしさでした。戦争という背景と、結核治療の進歩が必至であった背景とを合わせてみても、生体解剖は誤った方向を向いていたとしか思えな思えません。

 一番手術のシーンがリアルに描かれています。輸血の代わりに食塩水を注射することがどこまで可能か、といった残酷な実験が戦争の名のもとに平然と実行されていく恐ろしさを、二人の青年医師の目を通して問いかけています。医学研究生の勝呂は、米軍捕虜の生体解剖に参加させられてひどく苦悩し、良心の呵責に苦しみます。それとは対照的に、戸田は良心の呵責にこそ苦しまないものの、人間的な感性が欠如しているのではないかと悩み、勝呂と対立。

 自分の無力さと、医師の使命という思想を裏切られた空虚をもって勝呂は描かれています。そして、舞台が「誰も彼もが死ぬ時代」であるということも空虚の影を色濃くしているように感じます。空虚を抱えているのは勝呂だけではありません。登場人物たちの独白はそれぞれが抱えている空虚を吐露しています。女としての機能を失い、誰からも必要とされないと感じている看護婦の空虚。自分には「良心」がない、と感じる戸田の空虚。そこにあるのは、感情の放棄と諦めだと思います。

 遠藤氏は小説で、倫理的な規範を根本的な原理に入れているキリスト教と異なり、成文的な原理が無く、集団心理と現世利益で動く日本人の姿を描いています。登場する人体実験に関わった勝呂医師や看護師らは、人格的に元々問題のあるような人間ではなく、どこにでもいるような標準的日本人です。彼らは誰にでも起き得るような人生の挫折の中に居てその時たまたま、この人体実験に呼びかけられたのだと。

 クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずですが、そうではない日本人は抑止させる原理が無く、あるいは周囲の人間の行動に自己の行動を合わせようとする日本人の持つ行動原理に従い参加してしまう・・・作品の初期に登場する中国で殺人・強姦を犯してそれをあっけらかんと話す元日本兵などは、恐らくその日本人の持つ行動原理の負の一例として過ぎ去る様に登場させていると思われ、最後に実験に参加してしまう勝呂達の行動を予感させていますね。

 ただラストのシーンで、橋本(田村高廣 )が解剖室のドアノブに手をかけ、躊躇するシーンは救いなのかなと思わされました。

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2010年1月21日 (木)

私の好きな映画~『ソフィーの選択』

 1982年の作品です。この作品は原作が発売されてわずか3年で映画になっています。最初、ソフィーは優雅で男性2人を含んだ三角関係のお話かと思っていました。ところがソフィーには隠された過去が・・・

 1947年。ニューヨークのブルックリンに小説家になる夢を抱いSofi003 て南部から出てきた青年、スティンゴは、下宿先で、不思議な生活をするソフィーとネイサンという恋人たちと出会います。

「父はポーランドの大学教授でユダヤ人を助けようとした」と語るソフィーの腕には、強制収容所の囚人番号の烙印がありました。

 ネイサンは製剤会社ファイザーに勤めている生物学者で、強制収容所から解放されて渡米したソフィーが貧血と疲労で倒れたところを救い今は一緒に住んでいます。三人はコニー・アイランドで終日遊び、親友になりました。三人のほんのひとときの美しい友情の日々と、二人が持つそれぞれの心の闇が対比的に描かれます。

 しかし、スティンゴはネイサンがソフィーに言った「わかるかソフィー、俺たち死ぬんだ」という言葉が気になるのです。

ソフィーと同棲しているネイサンはユダヤ人。普段は理知的で愉快で、アイデアに溢れた人なのですが、とても精神不安定な人物です。いつも、騒動を巻き起こすのに、憎めないですね。 やがて、病気がどんどん重くなって、スティンゴとソフィーの仲を邪推して、銃を持ち出して二人を脅迫します。
 ネイサンは、平和な世界の心の闇を象徴しているのでしょうか・・・

 ソフィーの父と夫がドイツ軍に拉致されて処刑されたこと、自分は病気の母のため闇市でハムを買ったことがばれてアウシュヴィッツに送られたのです。カソリック教徒である彼女は、解放後、教会で自殺を図ったとも語りはじめます。

 ネイサンの部屋へ入ると、ナチ関係の本がいっぱい。ユダヤ人である彼はナチの犯罪が許せないのです。

 翌日、ネイサンとソフィーがいなくなりました。スティンゴは、ポーランド時代にソフィーの父の講議を受けたという教授から意外な事実を聞きます。ソフィーの父はナチ信奉者だったというのです。

 その夜、もどってきたソフィーを問いつめると、彼女は父、父の弟子であった夫が反ユダヤ主義者であったことを認めました。でも、ナチはそんなことはかまわず、父と夫を拉致し、彼女自身も息子ヤン、娘エヴァと一緒にアウシュヴィッツに送られたのだのです。

ヤンは子供バラックに、エヴァは抹殺され、彼女は収容所長ヘスの秘書にされます。

 父のナチ賞揚の論文を見せヤンをドイツ人化計画に組み入れてくれと頼むのですが、効果なく、ヤンのその後は知れずじまいに終ったと語るソフィー。

 ある日、スティンゴはネイサンの兄ラリーから弟は妄想性分裂Sofi001 症であると聞かされます。その夜、ネイサンはソフィーに求婚し、新婚旅行にスティンゴの故郷である南ヴァージニアに行くと発表。幸福そうなソフィー。

ある日、またネイサンが怒り出し、スティンゴはソフィーを連れてワシントンに逃げました。ホテルの一室で、ソフィーに求婚するスティンゴ。彼にソフィーが告白します。「アウシュヴィッツの駅でナチの医者が3人の前に来て、子供を1人だけ手放せと迫った。出来ないと言うと、医者は、では2人とも焼却炉行きだと冷たく言いはなつ。無情な選択を迫られ、ついに娘を連れてってと叫んだ」と。

 ソフィーとスティンゴはその夜、結ばれました。翌日ソフィーの姿がありません。ブルックリンにもどったスティンゴは、ソフィーとネイサンが自殺したことを知るのです。(goo映画より)

 ソフィーは、希望を抱いてアメリカへ来たのでしょう。でも親と夫と子供の無残な死にかたをどうしても忘れることが出来なかった、ソフィーが選んだ選択は間違っていたといえるでしょうか。「嘘をつきすぎてどれが本当か分からなくなった」というソフィーのさりげない
一言が重く響きます。

 そもそもソフィーの選択とは何だったのか、ソフィーはいったい何を「選択」しなければならなかったのか。

 ひとつはっきりしないことは、果たしてソフィー自身がそれを選択したという明瞭な自覚があったかどうかです。ソフィーの選択がもたらしたものはそれからの彼女の一生涯を貫いて背負い続けねばならなくなった重い十字架であり、消すことのできない禍根でした。

 そして子供を一人生かしてやる、どちらを選ぶ?と迫られた時、これもまた究極の選択だったに違いありません。選べるはずが無いのにと怒りを覚えました。

 私はこの映画を観てから、自分自身の無知さ加減を反省しましSofi002 た。あれだけ残忍なユダヤ人狩りを強行したヒットラーとナチスについて、ほとんどまともな知識がなかったのですから。そうして、ユダヤ人が「600万人」虐殺されたということについても、改めえ改めて考えることになりました。

「ホロコースト」という未曾有の惨事を告発するだけでなく、男2人、女1人の友情と愛情のドラマを絡めることによって、その悲惨さを更に浮き彫りにしているのですね。この世の地獄を経験し生きる気力を失ったソフィーと、狂気の中で漂っているネイサンの関係は非常に切なくていろいろな事を考えさせられました。これも選択だったのかと。

私たちはいつも大小の差こそあれ、選択を迫られることがあります。

そんな時この映画を観て、自分の選択は大きな問題ではないと気付くのではないか、私はそうでした。そして自分の辛さなど何てこと無いと思わせてくれる一級品の映画だと思いました。

 

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2010年1月11日 (月)

涙が止まらない映画『ひまわり』

 もう40年も前になるのですね。当時、ソフェア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主役の映画は目白押しでしたね。
中でも今でも愛されている映画とそのバックグランドミュージックは、忘れることが出来ません。

 貧しいお針子のジョバンナ(S・ローレン)と電気技師のアントニオ(M・マストロヤンニ)は、ベスビアス火山をあおぐ、美しいナポリの海岸で出逢い、恋におちた。

 だが、その二人の上に、第二次大戦の暗い影がおちはじめた。

ナポリで結婚式をあげた二人は、新婚旅行の計画を立てたが、アントニオの徴兵日まで、一四日間しか残されていなかった。
 

 思いあまった末、アントニオは精神病を装い、徴兵を逃れようとしたが、夢破ぶられ、そのために、酷寒のソ連戦線に送られてしまった。
 

 前線では、ソ連の厳寒の中で、イタリア兵が次々と倒れていった。アントニオも死の一歩手前までいったが、ソ連娘マーシャに助けられた。

 年月は過ぎ、一人イタリアに残され、アントニオの母と淋しく暮していたジョバンナのもとへ、夫の行方不明という、通知が届いた。これを信じきれない彼女は、最後にアントニオに会ったという復員兵の話を聞き、ソ連へ出かける決意を固めるのだった。
 

 異国の地モスクワにおりたった彼女は、襲ってくる不安にもめげす、アントニオを探しつづけた。そして何日目かに、彼女は、モスクワ郊外の住宅地で、一人の清楚な女性に声をかけた。この女性こそ今はアントニオと結婚し、子供までもうけたマーシャであった。
 

 すべてを察したジョバンナは、引き裂かれるような衝撃を受けて、よろめく足どりのまま、ひとり駅へ向った。逃げるように汽車にとびのった彼女だったが、それを務めから戻ったアントニオが見てしまった。

 ミラノに戻ったジョバンナは、傷心の幾月かを過したが、ある嵐の夜、アントニオから電話を受けた。彼もあの日以後、落ち着きを失った生活の中で、苦しみぬき、今マーシャのはからいでイタリアにやってきたとのことだった。
 

 迷ったあげく、二人はついに再会した。しかし、二人の感情のすれ違いは、どうしようもなかった。そして、ジョバンナに、現在の夫エトレの話と、二人の間に出来た赤ん坊を見せられた。
 アントニオは、別離の時が来たことを知るのだった。

 翌日、モスクワ行の汽車にのるアントニオを、ジョバンナは見送りに来た。万感の思いを胸に去って行く彼を見おくるこのホームは、何年か前に、やはり彼女が戦場へおもむく若き夫を見送った、そのホームだった。(goo映画より)

 ジョバンナがどんな思いで彼の帰りを待っていたかを思うと、もう胸が締め付けられます。

 モスクワまで出かけていった時も、「ここには生きたイタリア人は一人も居ませんよ」と止められますが、それでもジョバンナは一枚の写真を手に探し続けました。その胸中は計り知れません。
 ロシアの担当高官に案内された地は、見渡す限りのひまわり。その木、一本一本の下に雪の中で死んでいったイタリア兵、ロシア兵たちが無数に眠っているのだといいいます。明るさの象徴のようなひまわりが、悲しく見えてしまいます。

 事実を知って失意で岐路する場面・・・ヘンリー・マンシーニの音楽が流れるとそれだけでぐっと来てしまいます。夫とロシアの駅で再会するシーンでアントニオの顔を瞬間的にアップし、ジョバンナが汽車に飛び乗るシーンは思わず号泣していまいました。駅に行くまでの二人を写す緊迫したシーンは素晴らしい演出です。

 アントニオがミラノに訪ねてくるシーンでは別れる決意をしながらも、抱き合って愛を確かめ合っているように思えました。

 駅で別れるシーンの列車に乗ったアントニオの切なそうな顔の捉えかたがたまりません。ロシアの大地に広がるひまわり畑はただ悲しく揺れるだけ。かえってあの眩しさが切なさを助長しているかのように見えます。
 
 戦争が引き裂いた愛。

 時が引き裂いた愛。

これがこの映画の主軸であり、戦争がいかに悲惨な結末しかもたらせない事を物語っています。
 
 ラストシーンの悲しいアントニオの目と、ジョバンナの強く美しく、しかし悲しみに耐えた年月に曇ったような瞳を見てここでも思わず涙ぐんでしまいます。そしてまたラストはどこまでも続くひまわり。

 あんなに愛し合った二人が、別々の道を歩むことになる、お互いの家族のためなのでしょうが、虚しさが残ります。

どこの国でも戦争で残された妻や子供がいます。そしてこのような不幸な愛の形があるのでしょう。痛ましいことです。

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2009年12月29日 (火)

私の好きな映画~『暗くなるまで待って』

 お嬢様やお金持ちの役が多かったオードリーの映画の中で、私はこの作品が一番好きです。でもあくまでも可愛らしく愛らしい彼女の演技には脱帽です。

 あらすじは、カナダからニューヨークに帰る途中に知り合った女から、夫のサムが人形を預かって来たことで、盲目の妻スージー(オードリー・ヘップバーン)は、思いがけない事件にまきこまれていったといものです。

 サムもスージーも知らないことだったが人形の中には、ヘロインが縫いこまれていたのだ。そのヘロインをとり戻すべくマイク(リチャード・クレンナ)、カルOdori003 リーノ、そして犯罪組織のリーダーであるロート(アラン・アーキン)の3人が、スージーのアパートに集まった。部屋中探しまわったが、人形は見つからなかった。そこへスージーが帰宅したが、盲目の彼女は、3人がいることに気がつかなかった。

 その翌日、妙な予感からスージーが止めるのもきかずに、サムはニュージァージーに仕事に行った。サムが出ていって間もなく、スージーはサムが煙草の火を消し忘れていったのが煙を出して、見えない彼女は恐怖から大声で叫んだ。そこへマイクがサムの海兵時代の仲間といつわって入って来て、火を消しとめ、人形のあり場所をと思ったが、いつもスージーの手伝いをしてくれる、グローリアという少女が入ってきたので、引き上げざるを得なかった。しばらくしてグローリアが買物に出たあと今度はロートが初老の男に化けて現れ、自分の息子の妻がよその男と不貞を働いているらしい。その相手がどうもサムらしといい、不貞の証拠を探すふりをして部屋中をかきまわしたが、やはり人形はみつからなかった。

 そこへ再びマイクが忘れ物をしたという口実で入ってきて、乱暴者を送り出してやろうと警察に電話をした。だが、呼ばれて入ってきたのは警官をよそおったカルリーノだった。いったん外に出たロートは今度は、老人の息子として再び入ってきて、サムがもし人形を持っていたら、サムの命は危ないとスージーを脅した。ロートが帰ってからスージーはマイクに、確かにサムが人形を持って帰ってきたが、それがどこにあるのかを自分は知らないと話した。マイクはもしスージーが人形を探したら、サムの安全は守ると言った。マイクが帰って間もなくグローリアが買物から帰った。彼女の腕には問題の人形が抱かれていた。スージーは喜んでマイクにそのことを知らせたが、その直後、自分は3人にだまされているのだということに気づいた。スージーはサムへの連絡をグローリアに頼み、自分は警察に電話をした。だが、電話線はすでに切られていた。1人残された自分を守るためスージーは部屋の明かりを、次々と壊していった。やがて3人はやって来たが3人は仲間割れを起こしており、カルリーノとマイクはロートに殺されてしまった。闇の中でスージーはロートと対峠。スージーが消し忘れた冷蔵庫の灯りをたよりに迫った。だが、その時、サムと警官たちがなだれこんできた。(goo映画より)

 ミステリとしても面白く、「スージー、そこは危ない!!」等と口走ってしまう私でした。目の不自由さが圧倒的に有利なスージーでしたが、冷蔵庫の灯りが残っていたことは悪人の知恵としか言い様がありません。とても古典的な筋書きですが、オードリーファンにはたまらない1Odori002 作です。盲目の役は目に何かを入れているのかと思って観ていましたし、さりげない洋服や髪型もたまらなく素敵でした。

 原作は『ダイヤルMを廻せ!』などで知られるフレデリック・ノットの戯曲。台本を読んで惚れ込んだヘップバーンの夫;メル・ファーラーが彼女の主演で企画し、自らプロデューサーとして製作したヒット舞台劇の映画化です。監督には、ヘップバーンの強い希望によって、当時『007シリーズ』で名を馳せていた英国人のテレンス・ヤングをハリウッドに初めて招いて起用しました。
 オードリー自身も、盲目の人妻という難役にスイスの眼科医に付いて盲人の細かい動作や表情のレクチャーを受けるなど、恐怖におののくキャラクターをリアルに演じて見せ、その年のアカデミー賞にノミネートされる熱演です。
  
 まさに"夫唱婦随"で作られたサスペンス・ミステリ映画の傑作は見逃せませんね。

私は歳を重ねていったオードリーも好きです。好きな花や草いじりをしてとてもスターの手とは思えないとおっしゃっていた黒柳徹子さんの言葉を思い出します。自然を愛することを惜しまない方でしたね。

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